2019年9月8日日曜日

映画 「北国の帝王」

1973年 アメリカ。






タイトルだけは、昔から知っていたし、主演が『リー・マーヴィン』なのも分かっていた。


でもストーリーや内容なんてのは全く知らない。


若い時には、このリー・マーヴィンの顔も、

(何だか年老いた牛のような顔の人だなぁ~)

と思ったり、パッケージのアーネスト・ボーグナインの顔もクドイ顔に見えたりして、見かけても素通りしてました。(スミマセン)




話の内容なんてのもひどいもので、勝手に、


「タイトルが『北国の帝王』なんだから、きっと雪山か何かの話で、リー・マーヴィンが、そこで有名な登山家か、雪山ガイドなんだろうな~」

くらいの決めつけ。


そんな『北国の帝王』でありましたが、後年、あのロバート・アルドリッチが監督しているのを知ると、俄然見方が変わってしまう。




そして観てみると、相変わらずの勘違いで、全然内容は違ってました。(笑)





時は1933年の世界恐慌の時代。


あちこちの町では、『ホーボー』なんて言われている人々で溢れかえっている。



ホーボー』って何じゃろ?



『ホーボー』とは、基本的には金を持たない失業者たちのこと。


そして遠くに働きに行くにしても無賃乗車をして鉄道などに、無断で乗り込んだりする人々の事でもある。(横文字にすると、何だか格好いいような気もするが、やってる事はねぇ~)




今日も、そんな『ホーボー』たちが、減速してきた列車の隙をついて、後部車両に乗り込んできた。


でも、生憎、乗った列車が悪かった。



ホーボーたちの間でも怖れられている『19号車』。


鬼車掌『シャック』(アーネスト・ボーグナイン)が管理する列車だったのである。



「俺の列車で無賃乗車なんて許さん!」


シャックはトンカチ片手に、後部車両に移動すると、乗り込んで安堵しているホーボーを滅多打ちにした。


哀れ、年老いたホーボーは、線路に落ちて、列車の下敷きになる。



「ざまぁ、みろ!ハハハー!」


ホーボーなんてものを、虫けら同然に見ているシャックにとっては、一人死のうが、殺そうが関係ないのだ。


(恐ろしい …… )

列車が通りすぎるのを草むらの蔭から見ていた、他のホーボーたちは震え上がった。



そんな『19号車』がしばらく走っていると、山道の草むらで野営をしている男がいる。



年老いているが眼光鋭い、『エース・ナンバーワン』(リー・マーヴィン)。




エースが、どこから調達したのか、食糧の鶏を調理しようとしてると、浮浪者らしき男と少年が、それをまた草むらから、唾を飲み込みながら見ていた。(ゴックン!)



「狙え!」

男たちは、エースに襲いかかってきた。



だが、それを意図も簡単に毛散らかすエース。




エースは、そのまま走り去る『19号車』に乗り込んだ。



そして、浮浪者の若者『シガレット』(キース・キャラダイン)も後を追った。


二人が乗り込んだのは、干し草を積んだ車両。


その車両の上部入口に隙間を見つけたシャックは、厳重に閉めると関貫をかけた。



エースとシガレットは、完全に閉じ込められてしまう。



「ちくしょう!出しやがれ!」(自分で乗り込んだくせに)


若いシガレットは、閉じ込められた車両で、バタバタもがいているが、エースは余裕綽々。



鶏を片手に、葉巻に火をつけると、「プーッ!」と吹かしてみせた。



(な、なんで、こいつ落ち着いてやがるんだ ?…… )



そう、彼こそが、ホーボーたちの間でも尊敬されている『北国の帝王』と呼ばれる男だったのである。






この映画って、笑っていいのやら、それともマジメ~に観たらいいのやら ……



そもそも、このエース・ナンバーワンって名前も変だし。(なぜ?誰もツッコまないんだ?)


そうして、このエースの渾名(あだな)が北国の帝王》???(只の無賃乗車の常習犯に(なぜ?)こんな英雄視するような渾名がついたのか? そもそも、このエースは北国出身なんだろうか??)


全く意味分かりません。



リー・マーヴィンの威厳と雰囲気だけで、形だけは真面目そうなアクション映画に仕上げようとしているのだが。(とても真面目に観れるものですか!)




大体、シャック役の『アーネスト・ボーグナイン』のクドイ顔が、映画の中で観ると、さらに超 クドく仕上がってて、観客を笑わせる気、満々なのだ。(笑)




ボーボー眉毛に、目ん玉が飛び出るくらいのデカい目


これまた、デカい裂けたような大きな口には、すきっ歯が並んでいて、これはもう、一種の顔芸である。



これを、平静に笑わずに見られる人がいるのだろうか。(笑)



こんなシャックの『19号車』から、いとも簡単に乗ったり、脱出したりするエース。


シャックは、それに「キーッ!」と悔し顔。



「今度こそ、『北国の帝王』に負けてたまるか!」


ヒステリックに喚き散らして、周りに当たり散らして。




それでも無賃乗車犯と車掌の闘いは、果てなく続いてゆく ……




映画は、真面目さを装いながらも、現代の我々が観れば、最後まで「何じゃこれ?」の連続。




でも、この馬鹿馬鹿しさが、観ているうちに、段々と癖になってくる。(最高なのだ!)




それにしても男って奴は、くだらない事に命をかける、馬鹿な生き物でやんすねぇ~。




ロバート・アルドリッチ様、この映画って笑っていいんですよね?

星☆☆☆☆☆である。

2019年9月5日木曜日

映画 「深夜の告白」

1944年 アメリカ。





スッゴク良くできた映画である。


良くできた映画だと思ったら、またまた、監督は『ビリーワイルダー』でした。(この人は本当に凄い。コメディーでもサスペンスでも、何でもござれだ)


このオープニグから、もう惹き付けられる。


二つの松葉杖をついた男の影が、画面の遠くから、こちらに向けて迫ってくる。


何だ?

何かはじまったの?

かと思ったら、深夜の町中を猛スピードで駆けてゆく車。


車が停まると、出てきたのは保険外交員の『ウォルター・ネフ』(フレッド・マクマレイ)。


着いた場所は、彼が働いているビルのオフィスだった。


そうして、同僚のキーズが使っている録音機の前に座ると、ウォルターはひとり、話し始める。

それは罪の告白。

「殺したのは俺だ……」

いったい誰を殺したというのか?


時は、さかのぼっていく。





それは半年前の事………


保険外交員のウォルター・ネフは、顧客で抱えている実業家のディートリクソンを訪ねた。

期限が迫っている自動車保険の更新の為だったのだが、生憎本人は留守。


そうして、代わりに応対した妻はというと……。


美人、セクシーな色気妻『フィリス』(バーバラ・スタンウィック)。


ソファに腰掛けながら、組んでいる綺麗な足には、キラキラ光るアンクレットなんてのをはめている。


足フェチのウォルターには、もうたまらない刺激。


人妻だろうが、何だろうが、口説きにかかった。


でも妻フィリスも、まんざら悪い気もしないのか、妖しい笑みで誘いに乗ってきた。


でも、次第に表れてくるフィリスの本性。

「ねえ、主人の保険額を上げられないかしら?」(でたー!)

なんて提案をしてきたのだ。


そうして、ウォルターが身も心もフィリスに、ベタぼれになってくると、今だ!とばかりにフィリスは言い出した。



「主人を殺して保険金を奪いましょう!」と。

フィリスの色香にすっかり骨抜きにされたウォルターは、『保険金殺人』の計画をたてるのだが………。





この映画が、後々、数多く作られる『保険金』を題材にした、映画やドラマの元祖なんだとか。


でも保険金をかけてから、直ぐ様殺せば、すぐに怪しまれるんじゃないのかねぇ~普通は(笑)。



こんなウォルターは、足を骨折した旦那のディートリクソンを、上手く列車に誘い込むと、最後尾から突き落として殺してしまう。

その後は、自分がディートリクソンのように振る舞いながら、松葉杖をついてアリバイ工作なんてことをしてしまうのだ。(冒頭の画像はソレだったのか)



完璧な計画。

警察さえも騙す事ができた。



誰も疑わない。     ただ一人を除いては……。


それは、同じ保険外交員でクレーム処理係の『キーズ』(エドワード・G・ロビンソン)である。



トラックの運転手が嘘の保険請求をしても一発で見破る、敏腕外交員なのだ。


「帰れ!保険なんか下りるか!」で一喝するキーズ。



そんなキーズは、当然、ディートリクソンの死にも疑問をもつ。

「おかしい………」と。






この映画の脚本に、あの『長いお別れ』や『さらば愛しき女よ』のレイモンド・チャンドラーが参加しているが、例によってケチョン、ケチョン。

「馬鹿馬鹿しい!くだらない!」

と、原作者を罵倒したり、ビリー・ワイルダーにも罵詈雑言だったらしい。(この人、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』の時にも参加しているが、いつもこんな感じだ)


気難し屋ののハードボイルド作家。



当時、小説だけでは生活出来なくて、やむなく脚本も書いていたらしいが、どうも柄じゃない気がする。(どこでも、誰とでも揉めている)


でも、そんなチャンドラーが、馬鹿にする映画は、逆にヒットするんだけどね。(笑)



これが、文章を書く小説家と映像作家との、埋められないような感覚の違い?なんだろうか。



そのうち酒に溺れて、若くして亡くなってしまったチャンドラー。(あ~合掌)



ビリー・ワイルダーもアルフレッド・ヒッチコックも映画つくりを、充分楽しんでいた。


悩んで苦しみぬいて、やっと産まれた作品も良いモノはあるだろうが、物つくりを楽しむ事ができない人は、なんだか可哀想な人に見えてしまう。



我々、観る側は楽しみたい。


最後までハラハラ、ドキドキ。

観ていない方は、ワイルダーの手腕に、ただ身を委ねて、楽しんでほしいと思う。

星☆☆☆☆。

2019年9月2日月曜日

映画 「海猿」

2004年 日本。






『仙崎大輔』(伊藤英明)は、数十人の仲間たちと一緒に、潜水士になるために、海上保安庁の訓練学校に入った。


過酷な訓練は、身が千切れるような辛さで脱落していく者も少なくない。

海上保安官の中でも、潜水士になれるのは、わずか1%。



その1%に食い込もうと、毎日もがき苦しむ訓練生たちなのだった。





今日も、鬼教官である『源』(藤竜也)の激がとぶ。



「後、●秒……」



プールの中で、重りを抱きながら、皆が必死に息を止めて、潜水している中、一人が我慢できずに浮き上がってきた。



「ヒィー!、ハァ、ハァ、ハァ……」

小柄な体格の工藤(伊藤淳史)である。


なんとか訓練に参加しているも、ついていくのが、やっとの工藤。



(何であんな奴が潜水士を目指すんだ?)


(あいつとだけは、バディを組みたくない)



口に出さなくても、訓練生たちの腹の中は、皆、同じだった。



そんな時、源から、バディを組むペアが発表される。

「仙崎と工藤!」


えー!こいつとかよ?!



ガッカリする仙崎だったが、工藤に「ヨロシク」と言われると、「あぁ、お互い頑張ろうぜ!」なんて言葉で応えるのだった ……






8月も終わって、ちと時期はずれだと思ったが、あの『海猿』である。


これは劇場版、第1作目。


フジテレビが、漫画『海猿』の実写化にのりだし、これが思いの外、大当たりした。


劇場版が終わると、テレビドラマが作られ、その後も、2作目、3作目、4作目と劇場版が作られていく。




もはや、作れば、作るほどヒットするという、フジテレビにとってはドル箱コンテンツ。




でも、でも、世間が熱狂すればするほど、ひとり冷めていくのが、私、双子座の天の邪鬼な性格。


全盛期に、まったく観ておりませんでした(笑)。





原作者との摩擦で、シリーズが終わるのを見届けた時、

「あぁ、それじゃ観てみようかな……」と。(本当に天の邪鬼な性格でスイマセン)



で、劇場1作目を観たのだが、………


うん、なかなか面白いじゃないですか。(既に観ている方々は、「それ見た事か!」と思ってるでしょうね)



良くできた青春映画に仕上がっておりました。




あんまり、個人的には、そこまで好きじゃない伊藤英明だが、この映画の為に肉体改造しただけあって、潜水士の訓練シーンや、実際の海での潜水など見応えたっぷり。



プールの水の中に、アスレチックを作って、それを潜り抜けたり、網の下を抜けて、タイムを競う訓練なんて、下手すれば死んでしまうくらい過酷な撮影。



「へぇ~」、「ほぉ~」、なんて言いながら、いちいち感心してしまいました。



他の俳優さんたちも、過酷な撮影を、良く頑張ってらっしゃるし。




でも訓練生たちも、訓練だけに明け暮れる日々だけじゃ物足りない。

だって、みんな、まだまだ若いんだもんね。(笑)


恋だってしたいじゃん!、っていうので伊藤英明のお相手が、加藤あい






加藤あいも、可愛かった!





この映画を、今更ながら観てみようと思ったのは、あの、藤竜也が出ていたから。


ピリリとした緊張感の鬼教官を演じていて、やはり流石。



この人の存在が、現場の空気を締めてくれているのが、観ていても分かります。(出演は、この1作目だけなのが残念)



こりゃ、ヒットするわ。



何にしても食わず嫌いは、いけませんね。(笑)


でも、この手の青春映画って、観ながら、どうにも気恥ずかしくなってくる。

なんでだろ~。


星☆☆☆☆です。

2019年9月1日日曜日

映画 「シャザム」

2019年 アメリカ。






久しぶりの近年映画である。




この映画、子供が魔術の力で、大人の体格とスーパーパワーを手に入れる予告だけを見ていたので、

「あぁ~、また、その手の映画ね」くらいの軽い気持ちで観てました。(この手の映画には、あまり期待してはいけません)



それでも『アクアマン』が珍しく良かったし、同じDCユニバースが公開したのなら、と思ったのだが、……………… やっぱり残念でした。


映画の出来は『アクアマン』よりも、ものすご〜く劣っている。




最初、敵となる『サデウス』の子供時代からこの映画ははじまる。



なぜに?

敵の子供時代や、大人になっても引きずるような過去のトラウマを延々観させられなきゃならんのだろうか。(このあたりが、長くて、退屈すぎて、よっぽどスルーしようかと思ったくらいだ)





逆に、主人公である『ビリー・バットソン』の過去はアッサリしたもの。


母親とはぐれて、迷子になって、そのまま見つからなくて、14歳になるまで里親暮らし。

たったこれだけである。



どっちに感情移入せぇ、と言ってるんだろう?この映画は!




しばらくして、それぞれ成長した二人。



『サデウス』(マーク・ストロング)は、よい中年になっても、中身は子供のまんま。

歪んだ精神は、まさにアダルト・チルドレン。



父親と兄を、いつまでも怨み続けていて、魔物の力を得ると、

「あの日、兄さんはこう言った!」とか、

「あの日、父さんはこう言った!」とか言いながら、魔物を使ってなぶり殺しにする。(そんなくだらない事に縛られて、何十年も無駄に過ごしてきたのか、と思うと哀れ ……… 思春期も、青年期も……… )




ビリーは、ビリーでこの描き方はないだろう?というくらい酷い脚本と雑な演出である。


14歳のビリー少年は、いくつもの里親暮らしを経験してきて、簡単には人に心を開かないくらいな、シャイな性格なのに。




なのに!


『シャザム』の力を得て、大人になった『ビリー』(ザッカリー・リーヴァイ)は、いきなり、よく喋る!喋る!




馬鹿な事はするし、平気でジョークまで、とばしてしまう。

まるで人格までも変わってしまったかのようだ。





でも、そう………それが大問題なのである。




姿形だけでなく、中身までも、まるで別人になってしまったのなら、折角のこの設定

中身は少年、見た目は大人は、まるで台無しなのだ。




大人の姿の『シャザム』でも、ザッカリーは、中身はシャイな少年のビリーの性格を、ちゃんと演じるべきだったのだ。


私には、ノリの軽い馬鹿な大人が、スーパー・スーツを着せられて、ただ、はしゃいでいるだけに見えてしまったのである。



そんな別物といえる違和感が、映画を観ている間中もずっと続いていたのでした。




それにしても、この映画は、本国でヒットしたのかな?




そして、またしても続編が作られるのかな?


続編の制作には、何年かかるんでしょうか。(2~3年?4年?5年??)




その間に子役が成長して、立派な体格の青年になったらどうするんでしょうねぇ~?



多分、この制作スタッフたちは、その先の事までは、全く考えてなさそうである。




全てが見切り発車で制作された感じ。


残念ながら、私は全くノレませんでした。(菅田将暉のヘタクソな吹き替えにも唖然)


こんなのに予算をかけるよりも、早く『アクアマン2』を作ってくれぇ~!とお願いしたい。


星☆☆。