2019年6月11日火曜日

映画 「レモ / 第1の挑戦」

1985年 アメリカ。



その昔、こちらの映画も、何度も繰り返し、日曜洋画劇場で放映されていたものだ。



監督は、『007 ゴールド・フィンガー』でお馴染みのガイ・ハミルトン。


タイトルが、『レモ / 第1の挑戦』だけあって、シリーズ化する予定だったのだろうが……残念。これ一本で終わってしまった。



こんなに面白いんだけどなぁ~。







普通の中年警官『マキン』(フレッド・ウォード)は、夜間の勤務中、港にいたチンピラたちのいざこざ(どうでもいい)に巻き込まれてしまう。


それでも、チンピラたちを成敗し、ヘトヘトになりながらもパトカーに戻るマキン。


かじりかけの夜食のバーガーを手に取ったとき、パトカーに、いきなり衝撃が襲った。


後ろから、大型トラックが押してきたのだ。

(何だ?!何が起こったんだ?!)

マキンのパトカーは、そのまま海へ押し出され、ブクブクと沈んでいった……。





そして、ハタッ!と目が覚めたマキン。


いったい何日が過ぎたのか………マキンは病院のベットの上に寝かされていた。


起き上がり、そばの鏡を見ると、そこに映るのは、見たこともない別人の顔。


「何だこれは?これは俺の顔じゃない……」(いいじゃないか、前よりハンサムになってるんだから)





その時、戸口のドアから男が、颯爽と入ってきた。

「顔だけじゃない。指紋も変えてあるし、君は、完全に生まれ変わったんだ!」

その男、マクレリー(J・A・プレストン)は淡々と言い放った。


「マキンは死んだ。君は今日から『レモ・ウイリアムズ』と名乗り、我々の組織の為に働いてもらおう」


レモ・ウイリアムズ(同じフレッド・ウォード ……多分、マキンの役の時だけブサイクに変装してたんだろう)は、ポカ~ンとした顔をしている。(こんな人権無視な勝手な整形手術許されるの?)


あまりの状況の変化についていけないレモ。


それでも、そんな事はお構いなしに、マクレリーは、レモが退院すると、強引に(銃を押し付けながら)、組織の場所に連れていった。



そこは小さなオフィス。


ポツンと一人の老紳士『スミス』(ウィルフォード・プリムリー)がいるだけだった。


(これが組織?)


「いったい何人いるんです?ここの組織は?」

レモが聞くと、スミスは、しれ~として、「君を入れて、我々3人だけだが」と言うのだ。
(どんだけ、低予算の組織なのだ!)


こんな小規模の組織だが、大統領の直属で、法律で裁けない悪を替わって成敗する組織らしい。(ほんとかよ)



その暗殺者として『レモ=マキン』が選ばれたのだった。(まぁ、選考基準は、親類や家族がいないってだけだが…)


(ええい!こうなりゃ、ヤケクソよ!やったるわい!)、と思ったか、どうか分からないが、レモは、取りあえず引き受けた。


「さて…君に最初の任務だが……」






「ここだ。」


夜半、マクレリーの車に乗せられたレモは、あるアパートの前で降ろされた。


「ここにいる人物を殺してくるんだ。俺は車で待っている。」

マクレリーは、レモに銃を渡すと、さっさと行け!と、ばかりに、手を振って合図をした。



マクレリーを振り返り、振り返り、レモはアパートに入っていった。(トホホ…やっぱり気が進まないなぁ~)


ドアを開けると、目の前には、アジア人の老人が、ちょこんと座っている。



(なんだ、年寄りか。どうせ英語も分からないだろう……)


その年寄りを無視して、先の部屋の階段に進んでいくレモ。


そんなレモに、ドアのそばの年寄りが、
「どこへいく?」と声をかけた。(もちろん英語で)


(なんだ、言葉が分かるのかよ。)


「じいさんには関係ない!」レモは、そう言い捨てると、奥の部屋のドアに手をかけたが、老人はさらに続けて、こう、声をかけた。


「奥には誰もいやせん。このアパートには、わし一人だが」


(何?すると殺しのターゲットは、目の前の、このジジィなのか?)レモは、一瞬、躊躇したが、すぐに腹を決めた。


こんなヨボヨボのじいさん、片付けるなんて訳ない。楽勝な仕事だ。


「悪いが、じいさん死んでもらうぜ」

レモは銃を構えると、老人に向けて発砲した。


それをスルリとかわす老人。


2発目、3発目も、弾丸がスローモーションのように見えるのか、なんなくかわしていく老人。



やがて弾を撃ち尽くしたレモに、間合いをつめると、老人はレモの腕を、軽くひねり、力も入れないで投げ倒した。


何が起きたのか分からないレモだったが、それでも、老人に向かって体当たりしようとする。


それを、またもやスルリとかわされ、壁に激突。


まるで赤子のように扱われるレモ。



ドタバタ一人相撲で、(ゼイゼイ、ハァハァ)息がきれて、最後にはバッタリ、その場に倒れこんだレモ。




そこへ、しばらくして、マクレリーが現れた。

「どうですか?彼は?」


老人はこう言ったのだった。

「まるでノロマだ、反射神経が、まるでなっとらん!」

老人の名は『チュン』(ジョエル・グレイ)。


組織がレモを鍛えるために選ばれた指南役。武術の達人なのだった……。




ここから、師範代チュンの下でレモの修行の日々がはじまるのだが……。


『ベストキッド』やジャッキー・チェンの『酔拳』なんて、修行ものの好きな方はニヤリとするだろう。




アパートの屋上で、幅の狭い縁を走らされたり、(下を見れば一貫の終わり)

長い高さの棒の上を、順番に、ピョンピョン、飛び移りながら、昇っていく修行などなど。



回る観覧車に掴まりながら、昇り避けるなんて危険な事も。(CGもない時代ですぞ)



最後には、修復中で、頭上まで足場を組んだ『自由の女神』での修行なんてのもある。(高所恐怖症の方には、どれもこれも鳥肌ものである)




こんな、過酷な修行を続けるうちに、レモの身体能力も、ドンドン上がっていき、ずば抜けて成長していく。(一歩間違えれば死んでるのに、このレモも運がいいというか、相当タフだよ)




でも、チェン老人が教える『シナンジュ』という武術、現実には存在しません。


まったく架空の武術なのである。(だろうと思ったよ。こんな修行、見たことも聞いたこともないわ (笑) )


そして、アメリカで、のさばっているという巨悪へと向かっていくレモなのでした。





この『レモ』には原作が一応ある。



『デストロイヤー(殺人機械)シリーズ』という小説で、なんと150冊近くの長寿シリーズ。


だから、続けようと思えばシリーズは続くはずだった、が、残念!この映画はヒットしなかったのだ。



何でなんだろう?こんなに面白いのに……と、当時は思ったものだが、数十年ぶりに観て、その謎も解けた気がする。



音楽が、チョーダサいのだ!



監督も、演出も、脚本も、俳優たちも良いのに、バックで流れる音楽がダサすぎる!




まるで『特攻野郎Aチーム』を崩したような音楽で、それが、この映画に全然マッチしていない。


音楽だけを入れかえたら、多分、上質なエンターテイメントとしてヒットして、シリーズ化も夢じゃなかったと思うのである。



だから、残念でならない。


映画のできばえは、音楽を引いて、星☆☆☆☆の4つ星とさせていただきます。



それでも観る価値あり。


バカバカしい修行の数々も、これぞ80年代!って感じの雰囲気。(修行の成果で、固まってないコンクリートや水面を走れるようになるって! もう、どんな修行よ!(笑) )


どうぞ、御一見を!

2019年6月8日土曜日

映画 「舞台恐怖症」

1950年 イギリス。






どんな巨匠にも失敗作というものはある。



アメリカに渡り、『レベッカ』で成功した後も、数年間、口うるさいプロデューサー、セルズニックに耐えに耐えた日々。


その契約が終わったヒッチコックは、久しぶりに故郷イギリスに帰ってきた。


そして、イギリスに帰ってくると、この『舞台恐怖症』を撮りあげたのである。

でも………。



後年、本人も「あれは失敗作だった」と認めているし、自分もそう思う。





若い青年『ジョナサン』(リチャード・トッド)は、女友達で舞台女優の卵、『イブ』(ジェーン・ワイマン)の元へやってきた。


「警察に追われているんだ、匿ってくれ!」と。


イブはジョナサンを自分の車に乗せながら、「何があったか教えてちょうだい」と言うと、ジョナサンは語りだした。

実は………。




※有名女優『シャーロット』(マレーネ・デートリッヒ)がジョナサンのアパートを訪ねてきた。


荒い息で、「あぁ、ジョナサン、私、主人を殺してしまったの!」と玄関先で叫ぶシャーロット。


コートの前を広げると、白いドレスは血だらけ。


仰天したジョナサンは、シャーロットを部屋にひきいれた。


シャーロットが言うには、ちょっとした口論の末に、誤って殺してしまったと言うのだった。

「慌てて出てきてしまって……、こんな格好で……お願い!ジョナサン!私の家に行って代わりのドレスを持ってきてちょうだい!」

「ぼくがかい?」

「頼れるのは貴方だけなのよ!お願い!」


美人のシャーロットの懇願に、ジョナサンは断れず、屋敷にドレスを取りに行った。


強盗に襲われたようにして、窓ガラスを割り、オフィスを荒らしてまでして、状況証拠まで工作するジョナサン。


その時、「キャアアアー!」の叫び声。


ジョナサンはドレスを手に取ると一目散に逃げ出した。


「その叫び声は、きっとメイドのメリーだわ」

ジョナサンが持ってきたドレスを、手早く着ながらシャーロットが言う。


「顔を見られた?」

「分からない……とにかく君は早く劇場へ行ってくれ!、血のついたドレスは、ぼくが処分するから」


「ありがとう、ジョナサン!」シャーロットはそう言うと出ていった。


だが、警察の行動は早かった。


警察は犯人をジョナサンと決めて、追いかけてきた。


逃げ場を失ったジョナサン。


ジョナサンは昔からの女友達イブに救いを求めたのだった。※




「そうだったの……」ジョナサンの告白に何ともいえない顔で、ハンドルを握るイブ。


ジョナサンにとっては、只の女友達でも、イブにとってジョナサンはかけがえのない愛する人なのだ。


「これからどうすればいい?」イブが言うと、

「イブのお父さんのボート小屋にしばらく匿ってくれないか?」とジョナサン。(虫のいい男)




夜半、ボート小屋にたどり着いた二人。


風変わりなイブの父親(アラステア・シム)は、嫌な顔もせず、二人を暖かく向かい入れた。


疲れてグッスリ眠り込むジョナサンのそばで、イブはここまでの全ての出来事を、父親に打ち明けるのだった。


「お願い!助けてお父さん!彼を愛しているのよ!」

イブの嘆願に、父親は困惑した顔をするのだったが………。







おもいきってネタバレしてしまおう。(自分にしては珍しい)



このジョナサンの最初の独白(※→※)全て《 嘘 》である。



嘘のつくり話を、延々、我々は映像として見せられているのだ。



これは、あまりにも、観客に対しても、ミステリーとしても、フェアなやり方ではないんじゃないか?!(サスペンスの巨匠が、こんなヘマをやらかすなんて、どうかしてたのか?この時期のヒッチコック)


ジョナサンの語り口だけで、それを説明するなら、まだ分かるが、このマレーネ・デートリッヒまで、担ぎ出した映像が、全て《 嘘 》なのは、ひどすぎる。


この場面が全て《 嘘 》ならば、映像からしか知り得ない観客は、何を頼りに、この映画を信用すればいいというのだろう。

あきらかに《 大失敗 》である。





この映画を、昔、最後まで観た時、

「なんじゃこりゃー!」

と、巨人の星の、星一徹じゃないが、ちゃぶ台をひっくり返したくなったぐらいだ。(たぶん大多数の人がそう思うはずだ)


大スター、マレーネ・デートリッヒの出演を獲得し、それだけで浮かれてしまったのだろうか。(当然、舞台女優としてマレーネは、得意の歌声も披露している)


そのくらい、いつものように美しいマレーネ・デートリッヒ。


でも残念ながら、それをビリー・ワイルダーが撮った傑作『情婦』のように、うまくいかせなかったヒッチコック恩大。


つくづく残念である。




1度、歯車が狂うと、それは出演者にまで派生するのか……。




主演のイブ役、ジェーン・ワイマンは散々だった。


脇役とはいえ、マレーネの美しさを間近に見て、打ちのめされ、嫉妬し、泣きあかした。


「あんな綺麗な人に勝てるはずがない……あんな人の隣では、私なんて、あまりにも地味で目立たない女だわ……」


比べる事もないと思うのだが、ジェーン・ワイマンは、泣いてばかりいたそうな。(そこまで自分を卑下しなくてもいいのに……でも、同じ女性にそこまで思わせるマレーネ・デートリッヒの存在って………どれだけ、当時、大スターだったのか分かるエピソードである)



『青の恐怖』に出ていたアラステア・シムが、ジェーン・ワイマンの父親役として、映画の中でも庇い、慰めているが、何だか映画と、現実がオーバーラップして見えてしまうのである。



ヒッチコックの数多い作品として、この映画も、当然のようにDVD化されて、観ることができる。


でも、たまに観ても、つくづく残念な溜め息がもれるのだ。


星☆

※ブログ内参照……ビリー・ワイルダー「情婦」、ヒッチコック「レベッカ」

2019年6月4日火曜日

映画 「マジック」

1978年 アメリカ。







カード・マジックの使い手としては、一流のマジシャン、コーキー(アンソニー・ホプキンス)。

今日も、得意のマジックを、酒場の客たちの前で、披露する。



「いいですか?このカードを覚えていてください」


酒場『スターダスト』の客たちは、舞台の上の、地味なコーキーなど、誰も見ていない。
(残念。もう少しイケメンで、洒落た格好なら振り向いてくれるのにね)



勝手にガヤガヤ、話し込んだり笑いあったりしている。



「さあ、ハートに変わりましたよ!」

客たちは、ヤッパリ誰も見てもいない。




コーキーの声は客たちの笑い声に、かき消され、のみこまれていく。




コーキーは、その様子に段々腹が立ってきた。

そして、ついに、ブチギレ!

逆上し、いつの間にか客たちに、向かって怒鳴り散らしていた。



「お前ら、分かってるのか?! 今、やってるのは誰でもできるもんじゃないんだぞ!! 最高のマジックなんだぞ!!」




「コーキー、……コーキーよ……」


ショーが散々な結果になり、帰ってきたコーキーは師匠の枕元で、全てを話すと師匠は嘆き、ため息をもらした。


そばでは、さっきの怒りが終わって、半べそのコーキーが佇んでいる。



「コーキー、お前のマジックの技術は最高なんだ! だが、工夫が足りない。工夫するのだ! コーキーよ!お客に見てもらえるように……」


師匠の助言は、コーキーに、どう響いたのか………。

頭の中で、その言葉を反芻するように、微動だにせず、コーキーは、ただ、じっと立ち尽くしていた。






                       ー 1年後 ー


『スターダスト』に行列が並んでいる。

やり手のマネージャー、ベン(パージェス・メレディス)は、NBCテレビのプロデューサー、トッドソンを待っていた。



しばらくして、やってきたトッドソンは、

「今時、マジックなんて……。こんなの子供番組でもウケるもんじゃないぞ」とブツクサ。



それをベンは、「まあ、まあ、…」と言いながら強引に引っ張っていった。



舞台上では、あのコーキーがいた。


いつものように、つまらないマジックをやっているのだが、客たちはなぜか真剣な面持ち。


トッドソンは、「これの何が面白いのかね……」と、ありきたりのマジックにウンザリした様子を隠そうともしない。


横では、ベンがニヤニヤしている。



その時、客席の中から、

「インチキマジックが始まるぞ!」の声がした。


コーキーは客席に下りると腹話術の人形を手に、舞台に戻ってきた。



客席からは大歓声がとどろく。


人形の名前は『ファッツ』。(もっと可愛い顔の人形はなかったのかね?、顔面が、異様にでかくて、見た目、ほんとに不気味な人形である)


毒舌な『ファッツ』と、気の弱いコーキーの掛け合い漫才が始まると、客たちは、たちまち笑い転げた。



「お前の『アレ』は、ショートピースと同じ長さだろう」

ファッツの下ネタに大爆笑する客たち。(どうも、我々日本人にはアメリカン・ジョークの面白さが伝わりにくい。こんなので簡単に笑い転げて大爆笑するアメリカ人って…いったい)


「余計な事を言わないで、さあ、カードを引いてくれよ」コーキーが、ファッツにカードをひかせた。


それが一瞬で、クローバーからハートに変わる。


ファッツが目を開き、アゴを下げて、ギャフンとした顔になると、客たちは大笑い。大喝采して拍手したのだった。



「これは売れるね」とトッドソン。

「そうだろう」とホクホク顔のベン。(そうだろか? (笑) )



ショーが終わり、コーキーの楽屋にやってきたトッドソンは絶賛。かたい握手をすると帰っていった。


マネージャーは大喜び。

「良い感触だった。お前は、これから大スターになるんだぞ!」と激励する。




嬉しいような気恥ずかしい顔をするコーキー。



そんなコーキーの側では、『ファッツ』の人形が置かれていたが、人形の目が、一瞬、異様なキラメキを見せたようだった …………





この映画を遠い昔、確かVHSの時代に観ていて、なんとな~く、気色の悪い人形のインパクトで覚えていました。


もっと可愛い人形なかったの?(でも、可愛いけりゃ、可愛いで全然恐くないんだけどさ)





主演は、若き日のアンソニー・ホプキンス。(まあ、若いといっても40歳くらいだが)


この『マジック』の頃は、ガリガリに痩せていて、元々くぼんだ目元が、さらに落ち窪み、一種恐ろしい顔になっている。


この顔じゃ、アイドル的な人気を期待できそうもない。(着ている服装もチョー地味でダサいし)



でも、男の顔も変わるのだ。


年齢を重ねるごとに、《渋さ》と《貫禄》、《経験》を供えた、50代後半(『羊たちの沈黙』の頃)のアンソニー・ホプキンスは、若い時よりも、ずっといい顔をしている。




と、お顔の事はここまで。

話はガラリと変わって、映画の事をちゃんと語りたい。(おぉ?!自分にしてはマジメな展開だぞ!)




この映画、二重人格を扱ったサイコ・サスペンスである。



腹話術の『ファッツ』人形に、もうひとつの人格をのせるうちに、それを占める割合が、段々大きくなり、やがてコーキー自体の存在を支配し、おびやかすようになってくるのだ。


しかも、コーキーの抑圧された邪悪な部分が、ごっそり、『ファッツ』に乗り移るのだから、タチが悪い。




ある日、マネージャー・ベンに健康診断を勧められたコーキーは、それを嫌がって、昔住んでいた田舎に突然帰ってしまう。(本能的に何か《危険》を察知したのか?)



そこで高校生の時好きだった憧れの女性・『ペグ』(アン・マーグレット)と再会。

見事!両想いになってしまう。





だが、彼女は既に結婚している《人妻》さんである。



夫は禿げてて、うだつの上がらない『デューク』(エド・ローター)で不倫しちゃうのも充分に分かる気がするが。(でも、よりによって不倫の相手が、精神異常者? …… つくづく【男を見る目がない可哀想な女】である)






そんな場所にまで、マネージャーのベンは執拗に追いかけて来る。



「おい!邪魔なあいつを殺すんだよ!コーキー!!」

ファッツ人形の囁きがコーキーに命令する。(だが、全てが二重人格のコーキーひとりの仕業だと思うと、寒気がするくらい恐ろしい)



やがて、それは、マネージャーのベンや関係ない者、そして愛する人・ペグさえも巻き込んだ大惨事へとなってきて ………





その大昔、腹話術師は、裁判で有罪になり処刑されることもあったとか ……



この、人形に魂を移したようにして喋らせるという行為自体が、大昔の人たちには、まるで魔術や魔法に見えたのだ。


人々は、それを怖れて弾圧、迫害する。


まぁ、訳の分からないものを毛嫌いするのは、しょうがない事なのだけども……(でも処刑もあんまりな気もする。)


それを観て楽しむ者もいれば、一方では、不気味に思って恐怖する人たちもいる。


同じモノを観ていても、捉え方は様々って事なのだ。





そして、人の心は複雑なモノ。



普通の人でも本音と建前を使い分けて、我々は生活している。


それを二重人格というなら、誰だってこんなコーキーのようになる可能性を秘めている。




ただ、そうならないように、身近な人物には、本音を小出し小出しに語る。


いわゆる、これは《毒出し》のようなモノで、これは人が精神の均衡を保つためには、本当に必要な作業なのだ。




たまに、ニュースで世間を騒がすような凄惨な事件の犯罪者も、こんな感じだ。


近所の聞き込みでは、元はおとなしい何を考えているのか分からないような人物。



それは、いうなれば意思表示の下手クソな人物たち。



人に悩みを打ち明けたりする事が、まるで《恥》だ!と思うくらい、そんな人たちは、プライドも超高い。



そんなくだらないプライドに邪魔されて、弱気さえも見せられない。


身近で語れる人間もいなければ、毒を吐く機会もないのだ。




そして、毒を吐かなければ毒は体中に周り、貯まっていく。


精神までも侵してしまうのも当然なのである。




日常でも、言いたい放題の自分には、想像すらつかない。

小出しに毒を吐くのはヤッパリ大事な事なのである。(適度なガス抜きと一緒)


こんな事をツラツラと考えさせられた『マジック』の一編なのでございました。

 星☆☆☆。


2019年6月2日日曜日

映画 「レ・ミゼラブル (1957)」

1957年 フランス・イタリア合作。







『たった一片のパンを盗んだために………』


その罪で投獄され、脱走を繰り返し、また、戻され………刑期を逐えた頃には、19年の歳月が経っていた。



1815年、46歳になったジャン・ヴァルジャン(ジャン・ギャバン)。


その顔は、世間に出てきても、長い囚人生活で、石のように、冷たく硬くなっていた。


『誰も信じられない……』


冷遇され続けた歳月が、男の顔を、すっかり変えていた。





行くあてもなく、歩き続けると、目線の先には、司教館が見えてきた。


「……司教様、一晩の宿をお願いします」

善意の塊のような、温情のある、ミリエル司教は、快く承諾した。




「さあ、お腹が空いているでしょう、おあがりなさい」

ジャン・ヴァルジャンの目の前には、暖かいスープが出された。


だが、こんな待遇をされながらも、ジャン・ヴァルジャンは、その夜、司教の銀の燭台を盗んでしまう。


逃亡するも、すぐに憲兵に捕まり、司教の前に連れて来られたジャン・ヴァルジャンに、司教は、


「これは私が、この人に差し上げたものです。」と一言。


憲兵たちはビックリし、ジャン・ヴァルジャンも驚いた。



司教は建物に入ると、もうひとつ、銀の燭台を手に持ち、すぐさま戻ってきた。


「これも差し上げましょう」そう言うと、ジャン・ヴァルジャンの手のひらに、それを置いたのだった。


アングリした顔の憲兵たち。

ジャン・ヴァルジャンを解放すると、憲兵たちは、キツネにつままれたような顔で、立ち去っていった。



「どうして………何故なんです?」

訳の分からないジャンに司教は、

「私は、これであなたの『善意』を買ったのですよ」と言うのだった。




そして、司教館を後にしたジャン・ヴァルジャン。


後ろを振り向くと、もう、司教館は遥か彼方。

道の切り株に腰を下ろし、司教から貰った銀の燭台を、じっと見つめながら、ジャン・ヴァルジャンは思っていた。


『あの司教の善意は本物だった……』

産まれて初めて、人の善意に触れたような気がした。


その時、ジャン・ヴァルジャンの中で何かが変わった。


『真人間になろう!』

それは、そう決意した男の顔だった。







もはや、この『レ・ミゼラブル』の物語を知らないという人は、いないんじゃないか……。


そのくらい、この原作は、世界中で読まれ、慕われてきた。

次々、映画化され、舞台やミュージカルにまでなっている。



忘れた頃には、何かしらのメディアで、この『レ・ミゼラブル』のタイトルを目にしたり、耳にしたりもしている。



日本人も、この『レ・ミゼラブル』が大好き。


『ああ、無情』のタイトルに変えて、古くは1910年からはじまり、何度も、何度も映画化されたり、ドラマ化されてきた。(アン・ルイスの歌は関係ないです)


そんな数多い『レ・ミゼラブル』の中で、ジャン・ヴァルジャンといえば、自分の中では、ジャン・ギャバンなのである。


子供の頃に観た印象が強くて、この一作だけで、ジャン・ギャバンの名前を覚えていたくらいだった。


今回、ブログの為に40年以上ぶりに観たのだが、ジャン・ギャバンの存在以外は、きれいサッパリ、全部忘れていて、改めて新鮮な気持ちで観ることができました。





数年後、模造宝石の事業で成功したジャン・ヴァルジャンは、名前を変えて『マドレーヌ』と名乗り、工場長になっていた。


その善人の人柄で、皆から慕われていたマドレーヌは、町の市長にまで上り詰める。



その町に赴任してくる警部のジャベール(ベルナール・ブリエ)。

冷徹な性格で、「法が全て」というこの男は、町中で、ある売春婦を逮捕した。



売春婦の名はフォンティーヌ(ダニエル・ドロルム)。


マドレーヌ(ジャン・ギャバン)が駆けつけると、フォンティーヌは、元は、マドレーヌの工場で働いていた女工だったと言うのだった。



幼い3歳の娘コゼットを、遠い町のテナルディエ一家に預けて、女ひとりで死にものくるいで働いたフォンティーヌ。

たがテナルディエへの送金は厳しく、生活は困窮していった。

「私は生活の為に髪も売ったわ!見てよ!歯も売ったのよ!、そして最後に売るものがないと言ったら、男たちは『お前の体があるだろう?』、そう言ったのよ!」


フォンティーヌの激しい訴えに、マドレーヌは心を押し潰されそうになった。


そんな事はお構いなしに、連行していこうとするジャベール。

「待ちなさい!その人を解放しなさい!」

「だが、この女は軽犯罪ですよ」冷酷なジャベールがいい放つ。


「今は私が『市長』で、警察は市長の監視下にあるはずだが!」マドレーヌが言うと、ジャベールは渋々、フォンティーヌを解放して出ていった。


「ありがとう、市長様」

「もう、大丈夫だ。娘さんのコゼットも必ず私が連れてこよう」


だが、マドレーヌは、この時、知らない。


マドレーヌ=ジャン・ヴァルジャンにも、すぐそこまで、正体がバレる危機が迫っていた事を…………。





1957年に公開されたこの映画は、当時としては破格の制作費を投じて作られた。


しかも186分の長さ。


でも、全然退屈しない。


最後までだれる事なく、とても面白かったと思います。


つい最近あげた『殺意の瞬間』で悪女カトリーヌを演じていたダニエル・ドロルムさんが、この映画でも名演技。



この、難しい『フォンティーヌ』役を演じていたとは……。



ヴィクトル・ユーゴーの原作に一番近いのが、この1957年版だという。


舞台やミュージカルもいいけど、原作としての『レ・ミゼラブル』に触れたいのなら、この映画は、絶対オススメである。



たまには、こういった文芸映画もいいものである、うん。(心が洗濯されて、すこやかになった感じ)

名優ジャン・ギャバンを久しぶりに堪能しました。

星☆☆☆☆☆。