2019年6月2日日曜日

映画 「レ・ミゼラブル (1957)」

1957年 フランス・イタリア合作。







『たった一片のパンを盗んだために………』


その罪で投獄され、脱走を繰り返し、また、戻され………刑期を逐えた頃には、19年の歳月が経っていた。



1815年、46歳になったジャン・ヴァルジャン(ジャン・ギャバン)。


その顔は、世間に出てきても、長い囚人生活で、石のように、冷たく硬くなっていた。


『誰も信じられない……』


冷遇され続けた歳月が、男の顔を、すっかり変えていた。





行くあてもなく、歩き続けると、目線の先には、司教館が見えてきた。


「……司教様、一晩の宿をお願いします」

善意の塊のような、温情のある、ミリエル司教は、快く承諾した。




「さあ、お腹が空いているでしょう、おあがりなさい」

ジャン・ヴァルジャンの目の前には、暖かいスープが出された。


だが、こんな待遇をされながらも、ジャン・ヴァルジャンは、その夜、司教の銀の燭台を盗んでしまう。


逃亡するも、すぐに憲兵に捕まり、司教の前に連れて来られたジャン・ヴァルジャンに、司教は、


「これは私が、この人に差し上げたものです。」と一言。


憲兵たちはビックリし、ジャン・ヴァルジャンも驚いた。



司教は建物に入ると、もうひとつ、銀の燭台を手に持ち、すぐさま戻ってきた。


「これも差し上げましょう」そう言うと、ジャン・ヴァルジャンの手のひらに、それを置いたのだった。


アングリした顔の憲兵たち。

ジャン・ヴァルジャンを解放すると、憲兵たちは、キツネにつままれたような顔で、立ち去っていった。



「どうして………何故なんです?」

訳の分からないジャンに司教は、

「私は、これであなたの『善意』を買ったのですよ」と言うのだった。




そして、司教館を後にしたジャン・ヴァルジャン。


後ろを振り向くと、もう、司教館は遥か彼方。

道の切り株に腰を下ろし、司教から貰った銀の燭台を、じっと見つめながら、ジャン・ヴァルジャンは思っていた。


『あの司教の善意は本物だった……』

産まれて初めて、人の善意に触れたような気がした。


その時、ジャン・ヴァルジャンの中で何かが変わった。


『真人間になろう!』

それは、そう決意した男の顔だった。







もはや、この『レ・ミゼラブル』の物語を知らないという人は、いないんじゃないか……。


そのくらい、この原作は、世界中で読まれ、慕われてきた。

次々、映画化され、舞台やミュージカルにまでなっている。



忘れた頃には、何かしらのメディアで、この『レ・ミゼラブル』のタイトルを目にしたり、耳にしたりもしている。



日本人も、この『レ・ミゼラブル』が大好き。


『ああ、無情』のタイトルに変えて、古くは1910年からはじまり、何度も、何度も映画化されたり、ドラマ化されてきた。(アン・ルイスの歌は関係ないです)


そんな数多い『レ・ミゼラブル』の中で、ジャン・ヴァルジャンといえば、自分の中では、ジャン・ギャバンなのである。


子供の頃に観た印象が強くて、この一作だけで、ジャン・ギャバンの名前を覚えていたくらいだった。


今回、ブログの為に40年以上ぶりに観たのだが、ジャン・ギャバンの存在以外は、きれいサッパリ、全部忘れていて、改めて新鮮な気持ちで観ることができました。





数年後、模造宝石の事業で成功したジャン・ヴァルジャンは、名前を変えて『マドレーヌ』と名乗り、工場長になっていた。


その善人の人柄で、皆から慕われていたマドレーヌは、町の市長にまで上り詰める。



その町に赴任してくる警部のジャベール(ベルナール・ブリエ)。

冷徹な性格で、「法が全て」というこの男は、町中で、ある売春婦を逮捕した。



売春婦の名はフォンティーヌ(ダニエル・ドロルム)。


マドレーヌ(ジャン・ギャバン)が駆けつけると、フォンティーヌは、元は、マドレーヌの工場で働いていた女工だったと言うのだった。



幼い3歳の娘コゼットを、遠い町のテナルディエ一家に預けて、女ひとりで死にものくるいで働いたフォンティーヌ。

たがテナルディエへの送金は厳しく、生活は困窮していった。

「私は生活の為に髪も売ったわ!見てよ!歯も売ったのよ!、そして最後に売るものがないと言ったら、男たちは『お前の体があるだろう?』、そう言ったのよ!」


フォンティーヌの激しい訴えに、マドレーヌは心を押し潰されそうになった。


そんな事はお構いなしに、連行していこうとするジャベール。

「待ちなさい!その人を解放しなさい!」

「だが、この女は軽犯罪ですよ」冷酷なジャベールがいい放つ。


「今は私が『市長』で、警察は市長の監視下にあるはずだが!」マドレーヌが言うと、ジャベールは渋々、フォンティーヌを解放して出ていった。


「ありがとう、市長様」

「もう、大丈夫だ。娘さんのコゼットも必ず私が連れてこよう」


だが、マドレーヌは、この時、知らない。


マドレーヌ=ジャン・ヴァルジャンにも、すぐそこまで、正体がバレる危機が迫っていた事を…………。





1957年に公開されたこの映画は、当時としては破格の制作費を投じて作られた。


しかも186分の長さ。


でも、全然退屈しない。


最後までだれる事なく、とても面白かったと思います。


つい最近あげた『殺意の瞬間』で悪女カトリーヌを演じていたダニエル・ドロルムさんが、この映画でも名演技。



この、難しい『フォンティーヌ』役を演じていたとは……。



ヴィクトル・ユーゴーの原作に一番近いのが、この1957年版だという。


舞台やミュージカルもいいけど、原作としての『レ・ミゼラブル』に触れたいのなら、この映画は、絶対オススメである。



たまには、こういった文芸映画もいいものである、うん。(心が洗濯されて、すこやかになった感じ)

名優ジャン・ギャバンを久しぶりに堪能しました。

星☆☆☆☆☆。