2019年1月6日日曜日

映画 「わが青春のマリアンヌ」

1955年 フランス。






陽光さす森の中を、うっすらと霧が漂い、白く照らす。



鹿たちは、森の中を自由に跳ね回っているが、時折、立ち止まっては、何かの声に耳を傾けているようだ。



その森の中に寄宿学校があった。



小さい小学生くらいの子から~上は18歳まで。

授業も一日2~3時間(羨ましい)。





大人は、おだやかで呑気な教授と云われる先生や、人の良い世話係の老人がいるだけ。

学生たちを縛りつけるものはない、余りある時間を、時はゆっくり流れている。




最上級生の『マンフレート』は、2匹の犬を連れて森を散歩していた。


遠くには、不良のジャンと仲間たちが、湖のボート小屋へ走っていく様子が見えてくる。


どうも、対岸に見える霧に覆われた古城に探検に行くようだった。(不良と言うよりヤンチャなガキ大将と子分たちって感じか)




マンフレートが森を、ひとまわりして、学校に帰ってくると、玄関に車が止まり、一人の少年が降りてきた。


ドアからは、女の人の手が差し出されて、少年に別れを告げると、そのまま車は走り去っていく。




少年の名は『ヴィンセント』(ピエール・ヴァネック)、遠いアルゼンチンからやって来た転校生だった。



マンフレートが連れていた2匹の犬たちは、あっという間にヴィンセントになついてしまった。


最年少のフェリックス(7歳くらい)も初対面なのに、ヴィンセントを見てニコニコしている。



(不思議な雰囲気の少年だ……)



学校を案内してあげながら、そんなマンフレートも、すぐに打ち解けてしまう。


アルゼンチンの田舎では、何万頭の馬の群れに囲まれて暮らしていたというヴィンセント。


だが、父親が亡くなり、母親は彼をこの寄宿学校に預けるためにやってきたのだ。




ヴィンセントも知的なマンフレートを気に入ったようだった。




そして部屋も、「マンフレートと同室がいい」と言うのだが、あいにく別々。


ヴィンセントは、不良のジャンと同室となったのだった。






同室のジャンは、窓から双眼鏡で湖の奥にある古城を熱心に見ていた。


部屋で荷物の荷ほどきをするヴィンセントを、ジャンは怪訝に見ていたが、アルゼンチンでの暮らしを聞くうちに、俄然興味が湧いてきたようだ。



「よし!こいつを仲間に入れよう」仲間に相談したジャンは、ヴィンセントを連れて、明日、古城に行く約束をしたのだった。






そして、その夜、食事の時間に一人の女の子が、またもや寄宿学校に連れてこられた。


「私の親戚の娘さんでリーゼだ、仲良くするように」教授が紹介する。


リーゼ「………」(陰気な女の子の登場は男ばかりの寄宿生でさえ盛り上がらない)




食事の後、演奏会が始まった。

マンフレートがピアノを弾いた後、ヴィンセントが、手慣れた様子でギターを弾きながら、美しく響く声で歌いだした。


その姿に、あの陰気なリーゼはウットリして、一目惚れしたようだった。





次の日、ヴィンセントはジャンたちに誘われて、湖のボートに乗って古城を目指した。



誰も行ったことのないミステリアスな古城探検は、それだけで、皆をワクワクさせている。




ボートには、ヴィンセントのアイディアで鳥籠にいれた鳩をつんでいた。


「もし、古城に誰かがいれば鳩が騒ぐはずだ」


とヴィンセントは、言うのだった。




そして、夕刻間近……。


古城からボートで帰ってきたのはジャンと仲間たちだけだった。



ヴィンセントの姿はない。






やがて、夕食の時間にもヴィンセントは現れなかった。



心配するマンフレート……。


(どうしたんだ?何があったんだ、ヴィンセント?………)





そして、夜半、森に包まれた寄宿学校を、大嵐が襲った。



雨が叩きつけるように降り、風が勢いよく木々を倒していく。


そこにずぶ濡れで、ヴィンセントが、やっと帰ってきたのだった。






だが、次の日からヴィンセントの様子がどうもおかしい。

女物のレースのハンカチを握りしめては、ボーッとした表情を浮かべている。


そんなヴィンセントを、からかうジャンたち。




ジャンたちが行ってしまうとマンフレートはヴィンセントを問いただした。



「いったいどうしたんだ?昨日なにがあったんだ?」


「僕は会ったんだ!、確かにいたんだ……マリアンヌ、マリアンヌに!」



ヴィンセントは、マンフレートに、昨日の出来事を、ポツリ、ポツリと語りだすのだった…………。




やっと観ることが叶った、『わが青春のマリアンヌ』である。



監督は、ジュリアン・デュヴィヴィエ


デュヴィヴィエの作品は、大昔に『自殺への契約書』を観たことがある。(VHS時代に)



戦前から、次々と入ってきたデュヴィヴィエ作品は、当時の日本人を熱狂させた。

情緒的、詩的……そんなモノを映画から感じさせてくれたという。(もう大絶賛である)



デュヴィヴィエ作品の中でも、この『マリアンヌ』は、特に別格扱い。


折に触れて噂は聞いていても、幻といわれるほど、長い間観ることが叶わなかった映画なのだ。



そんな、『マリアンヌ』を愛してやまない代表格が、漫画家の松本零士氏。(あちこちで、熱く語っているのを見た事があります)


『マリアンヌ』を観た後では、確実に『銀河鉄道999』は、その影響を受けているのは、丸わかりである。



そして、他の様々なクリエーターやアーティストたちにも、その影響の波紋は広がっている。




アルフィーの名曲『メリーアン』さえもが、この『わが青春のマリアンヌ』の事を歌っているのだ。




♪夜露に濡れる 森を抜けて

♪白いバルコニー あなたをみた

♪すがるような瞳と 風に揺れる長い髪

♪ときめく出逢いに胸は 張り裂けそう

♪メリーアン メリーアン メリーアン

♪won't you stay for me





これは、ヴィンセントが恋したマリアンヌを歌った曲なのである。



こんな情報を事前に知ってしまうと、この『わが青春のマリアンヌ』、期待値も上がるのは当然。


珍しくワクワクしながら、観賞したのでした。





そうして、初めて観たマリアンヌ役のマリアンヌ・ホルト


噂どおり、神秘的で綺麗な人でした。


まるで、この世の人じゃないような雰囲気に包まれている。(勿論、デュヴィヴィエ監督の演出なんだろうけど)





この歳になって、デュヴィヴィエの映画を観てみると、若い時に観た印象とでは、まるっきり違って見える。


画面の隅々までが、計算されたように美しく撮られていることに、あらためてビックリする。



森に射し込む光や動物たち、風に揺れる枝や草花……

それらは、まるで、動く絵画のように美しいのだ。



あれから何十年も経ち、やっと、この情感や表現を楽しむことができるくらいに、自分自身も、少しは成長できたのかな?



マリアンヌの美しさもだが、この作品自体にも、もちろん一目惚れしてしまった自分なのである。




それにしても、初恋は、やっぱり実らないモノなのかねぇ~。(初恋の人とゴールインなんて稀だし)


実らないからこそ、初恋は苦い味だけを残して、美しい思い出に変わっていくものなのか……(なんてね)




なんだか色々な事が頭をかけめぐる。




そんな風に、いつになく、ついつい真面目に語ってしまいたくなるような『マリアンヌ』なのでございました。

星☆☆☆☆☆。


※尚、この『わが青春マリアンヌ』には、マリアンヌ以外の配役を変えたドイツ版も存在するらしい。(日本では未発売だが)

いつか、発売されて観る機会があれば、フランス版と見比べてみるのも面白いと思います。

2019年1月5日土曜日

映画 「真昼の決闘」

1952年 アメリカ。





10時35分、丘の上に人相の悪そうな3人のガンマンたちが集まってきた。



3人は、集まると、ハドリーヴィルの町中を進んでいく。

その姿をみつけて、ざわつく町の人々。



ある者は、仕事を放り出して家に逃げ込み、道を通りすぎる老婆は、胸で十字をきる。

床屋は窓越しに、見える3人に震えあがる。



3人は、町外れの駅に向かった。

今日、3人の仲間で、一番の悪党であるフランクが釈放されて、正午の列車でやって来るのだ。



(見ていろよ……兄貴のフランクが戻ってきたら、町中で大暴れしてやる!)

フランクの弟、ベン・ミラーはニヤリと笑った。





ちょうどその頃、町の保安官『ウィル・ケーン』(ゲーリー・クーパー)は『エイミー・ファウラー』(グレース・ケリー)と、皆に祝福されて結婚式をあげていた。


保安官の任務も今日で終わり。いずれは、別の保安官がやって来てお役御免だ。




そこへ駅舎が駆け込んできた。



「フランク・ミラーが釈放されたぞ!」



その言葉にざわつく人々。


「それだけじゃないんだ!駅にフランクの弟のベン・ミラーと仲間たちがいるんだ! フランクが乗る列車が、12時に着くのを待っているんだ!」

駅舎は震えあがっている。




5年前にウィル・ケーンが逮捕した極悪人フランク・ミラー。

そのフランクが、なぜ釈放されたのだ?

当然、死刑になるはずだったのに………。




そして、帰ってきたフランクは、きっとウィルに復讐するつもりだろう。



「君たち二人は早く町を出るんだ!」

町の連中は、ウィルの身を案じて、結婚したばかりのエイミーと一緒に、追いたてるようにして、馬車で送り出した。




でも………。

(本当に、これでいいんだろうか)

ウィルは馬車を引き返した。




そして保安官事務所に帰ってくる。


「どうしたのよ?」エイミーは気が気じゃない。

「この町の人々を見殺しにできない」

納得できないエイミーは、懸命に説得するが、ウィルは頑として首を振らない。





たまらず、エイミーは、事務所を飛び出した。



(きっと、町の仲間たちが力を貸してくれて、皆で力を合わせれば、無法者たちを追い払える………)


ウィルは、そう思いこんでいるのだが……事は簡単には進まなかった。

極悪人を乗せた列車の到着まで、後、数分………。






監督はフレッド・ジンネマン。



劇中で流れる「ハイヌーン(原題)のテーマ」は心地よく響く。

アカデミー歌曲賞を受賞した。





そして、主演のゲーリー・クーパー(この時51歳)も見事、この作品で、2度目のアカデミー賞主演男優賞に輝いた。




ゲーリー・クーパー  ……身長は190cmの長身で若い頃(映画モロッコなど)は、超ハンサムだった。


さすがに50を過ぎて、少し枯れているが、眼光は鋭く渋みを増している。


ゲーリー・クーパーが演じたウィル・ケーンは、多少は頑固だが、情けなさもあり、時折《弱気》もみえるような中年の保安官だ。

そんなウィルの『弱気がみえる』のが、次のシーンである。





助っ人を当てにして戻ってきたウィルの願いは簡単に打ち砕かれた。

やはり世間は甘くなかった。




みんなが、みんな、「俺たちは関係ない!」を決めこんで知らぬ顔なのだ。


それほど、悪漢フランクの脅威は凄まじかったのだ。




判事は早々に町を逃げ出した。(バイバイ~後、ヨロシク!)

保安官助手にも。

知り合いを頼っていけば居留守扱い。(誰も居ませんよ~)




教会にまで乗りこんでいって、助っ人を募るが、集まった人たちは文句タラタラ。


あーだ、こーだ、逃げ口上ばかりである。






結局、誰一人味方を探せなかったのだったウィル。(やっぱりね、でもこのウィルも、いい歳をして考えが浅いというか)




ひとり淋しく、保安官事務所に帰ってきたウィルは遺書なんてのを書きはじめた。(あらら……そこまで?)



大の大人なのに、皆に見棄てられて、もう、今にも泣きそうである。(え~っ?泣くの?泣くの?クーパーが?でも、ウルウルしてます)



でも、でも、

「行かなければ!」


男の意地と、ありったけのかき集めた勇気で、人っ子ひとり居ない町中に出ていくウィル。


そこには、フランクを交えた悪党たち4人の姿が。


ボロボロになりながらの撃ち合い!



なんとか一人倒し、二人倒し……。

馬屋での銃撃戦の後、肩を撃たれて、絶体絶命のウィル。




そこへ助けに戻ってきたエイミー。
(見捨てられるものですか!)





そうして、あと一人、フランク・ミラーだけが残った。


フランクは隙をついてエイミーを人質にとる。


「出てこい!ウィル・ケーン!」

殺されると分かっていながらも、フランクの前に現れたウィル。


その時エイミーは、フランクの腕を咄嗟の機転で振りほどいた。


ウィルの銃は、その機を逃さずフランクを一発で仕留めたのだった!(カッコイイ!!)






極悪人たちが、全員倒されると、隠れていた人々が通りに出てきた。



「やったな、ウィル!」

「さすがだな、保安官!」

そんな群衆に厳しい目を向けるウィル。(こいつら、今頃ノコノコ出てきやがって……)



エイミーを抱えると、胸の保安官バッジを投げ捨てる。

そうして二人は、馬車に乗り込むと町を去って行くのだった……。(こんな町に2度と戻ってくるかー!)



で、映画は終わるのである。






この《弱気》をみせるシーンが、それまでの完全無欠のヒーロー像とは違って、どこにでもいる等身大のオジサンとして映り、我々、庶民にも親しみやすく感じたのだった。



アカデミー賞も納得の演技である。





それにしても、この最後のシーンに似た映画を思い出さないかな?


そう、『ダーティハリー』…。

ハリーが、最後、スコルピオン仕留めて、警察バッジを捨てるのは、この映画のオマージュである。


このように、この映画は、後年、様々な映画や俳優たちに、影響を与えたのだった。(特にクリント・イーストウッド)



そして、他にも探してみれば、似ている映画が見つかるかもしれない。


星☆☆☆☆☆です。

2019年1月3日木曜日

映画 「グランド・ブタペスト・ホテル」

2014年 アメリカ。






1985年…

一人の作家が書斎にいる。我々に過去の出来事を語りだす。(この部分必要か?)



1968年…

若き日の作家(ジュード・ロウ)は、作家熱(いわゆるスランプ)を煩い、この、「グランド・ブタペスト・ホテル」に静養にきていた。

山の頂上に建つこのホテルまでは、斜面を上がる特製エレベーターやロープウェイを利用していく。


その豪華なホテルも、かつての栄華は過ぎ去り、チラホラ数名の客とホテルマンがいるだけだった。



浴槽は、巨大な一人用のバスタブが、いくつも並べられている。

作家が浴槽につかっていると、隣の男が話しかけてきた。


名は『ゼロ・ムスタファ』(F・マーリー・エイブラハム)、このホテルのオーナーだ。



閑散としたホテルでは、特に面白いこともなく、互いに暇をもて余している。

二人は、ディナーの約束をした。


そして、ディナーが済むとムスタファは、昔、このホテルが栄えていた時の思い出話を、作家相手に語りだすのだった。




1932年…

グランド・ブタペスト・ホテルが、一番栄えていた時期。


ホテルは、様々な金持ちの旅行客で溢れ、活気があり、一流ホテルとして名を連ねていた。



そのホテルの象徴といえるのが、コンシェルジュの『グスタヴ・H』(レイフ・ファインズ)だ。



金持ちの老婦人には、特別?なサービスを施す。(てっとりばやくいえば老婦人相手のスケコマシ)

グスタヴのお蔭で、いつでもホテルは、大盛況なのだった。



そこへ、若い『ゼロ・ムスタファ』(トニー・レヴォロリ)がホテルのベルボーイとして、雇われた。



だが、グスタヴの知らないところで、勝手に雇われたゼロは、目をつけられ、面接を受け、ホテルマンとしての心構えを、徹底的に叩き込まれるのであった。





監督は、ウェス・アンダーソン。



あらすじは、こんな感じじゃなかったかな?、というのも、何度観てもこの映画のあらすじを忘れてしまうのだ。



もう最低でも4~5回は観ていると思うのだが、この映画の事を書こうと思うと、すっかり抜け落ちて忘れてしまっている。


記憶に残るのは精巧なミニチュアのホテルの外観と、有名な役者が何人か出ていたっけ……くらいの、いつもうら覚えの状態である。(これを書くために直前に観た)



ウェス・アンダーソンの作品はこれ以外にも何本か観ているのだが、どれもこんな感じ。



「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」、「ムーンライズ・キングダム」も観てるのだが全然内容を忘れてしまっている。(ムーンライズ・キングダムなんてひどいもんだ、男の子と女の子が駆け落ちするくらいしか覚えてない)




何故なのか?


今回、意識して観ながら、ようやくその理由も分かった気がする。



この監督、本国アメリカでは過大に評価されてアカデミー賞やゴールデン・グローヴ賞、批評家賞などを総なめにしている。



有名な俳優たちも、こぞって作品に出たがる。





でも、この監督の作品には、まったく「エモーション」を感じないのだ。



エモーションとは、心身を揺さぶるような強い感情、感激、感動、情緒である。


その「エモーション」の欠落が、印象を薄くして内容が記憶に残らないのだ。



そして、それには、この人独特のカメラワークが関わってくる。



どの画面を観ても全て必ず真正面撮影。

外観を撮るときも、人物を撮るときも、ほとんど動かないカメラ。(多少ズームがあったりするが)



決して人物を俯瞰で撮ったり、下から見上げたりしないのだ。


それと合わせて、登場人物たちに状況説明をさせるナレーションで物語を進めていくやり方。



口の悪い人から言わせればウェス・アンダーソンの映画は、お金のかかった大人の為の「紙芝居」という人もいる。




言い得て妙でなんか納得してしまった。




「紙芝居」まさに、そうだ。


2時間ずっと、こんな画面構成とナレーションの調子で終わる。



終わると、どこが盛り上げどころだったのかも分からない有り様。



そして時間がたつと完全に忘れてしまうのは無理もない話だ。



観る人に嫌な感じを与えないが、その代わりに無害で印象に残らない。



これからも、こんな作品を作り続けていくつもりなのだろうか。



そして、このウェス・アンダーソンの作品に好んで出る俳優たちは、演技の充実感を味わえるのだろうか……と疑問に思えたのである。



星☆☆。


多分、一年後は、この映画の内容を完全に忘れていると思います。

2019年1月1日火曜日

映画 「霧の旗」(山口百恵版)

1977年 日本。






――  北九州の片田舎。


『柳田正夫』(関口宏)と妹の『桐子(きりこ)』(山口百恵)は、幼い時に両親を亡くし、たった二人で支えあい生きてきた。



兄の正夫は、小学校の教師をしていたのだが、ある日修学旅行の積立金を全額落とし無くしてしまう。(なんてドジな)


仕方なく、高利貸しの老婆に高額な利息で借金をしてしまう正夫。(なんせ、キャッシングもクレジットもない時代なので)




だが、その老婆が殺されてしまった。


たまたま、「借金の返済を待ってくれ!」と直談判に行った正夫は、殺された老婆に遭遇してしまう。


そうして、(魔がさしてしまい)自分の借用書だけを持ち帰ってしまった正夫。




だが、これを怪しんだ警察は、正夫を、桐子の目の敵で逮捕した。



「待ってください!、兄は無実です!」

連行していくパトカーを追いかけながら、桐子は叫ぶ。(借用書を盗んだのに? (笑) )




その後、留置所に面会に行くと、

「待っていて!お兄ちゃんは絶対に私が助けるから!」と励ます桐子。




国選弁護人は頼りにならない。

有名な弁護士に頼もう。そうだ!東京の弁護士がいい!


桐子は夜行列車に乗りこみ、ひとり東京を目指した。





―― そして東京。



敏腕弁護士と名高い『大塚欽三』(三國連太郎)の事務所に乗り込んで行く桐子。


そこには、雑誌記者の『阿倍啓一』(三浦友和)が、たまたま取材で来ていた。



(あんな若い子が、こんな所に?……)




だが、はるばる訪ねていった大塚弁護士の態度は案の定、《無慈悲》なものだった。


貧乏な桐子が高額な弁護料を払えないと分かると、態度を変えて、冷酷に(とっとと)追い返したのだ。




桐子が肩をおとしながら事務所を出ていくのを、なぜか?阿倍は追いかけた。



(だが、この子になんて言葉をかけたらいい?………)


追いついても上手い言葉ひとつ思いつかないでモジモジしている阿倍に、桐子は、


「きっと、兄は死刑になります。でも見殺しにしたのは大塚弁護士だわ!」と言ってのけた。




激しい憎悪で立ち去っていく桐子に阿倍は言葉を無くした。



その後、桐子のあの表情が忘れられない阿倍は、柳田正夫の事件が気になり、こっそり調べてみると………



柳田正夫は第一審で死刑の判決をうけたのだった。



そして、刑が執行される前に、哀れ正夫は獄中で死んでしまう。



(あの子は、今、どうしているだろうか……たった一人で……)


阿倍は、遠い北九州にいる桐子に思いをはせた。(惚れたな? (笑) )





――――  それから数カ月後。



阿倍は、たまたま夜の銀座のクラブに来ていた。



そこには、あの桐子の姿が!


だが、いまや別人のように変わり果てて、ホステスとして接待している桐子に、阿倍は愕然とするのだった……





原作は、松本清張


以前、『疑惑』をとりあげたが、本当に松本清張の作品は傑作ぞろいだ。

何を読んでも、時代が変わっても風化することなく面白い。



こんなに頻繁に映像化されて、好まれる小説家もいないんじゃなかろうか。




そして、この『霧の旗』も他の作品同様、何度も映像化されている。

1965年、倍賞千恵子主演、山田洋次監督版が、傑作といわれ有名らしいが、自分は未見である。(いつか観てみたいが)




私が観たのはこの1977年版。


そう、私が、ただ、山口百恵の大フアンだったからに他ならない!!




この時、山口百恵、若干18歳。

それにしてもスーパーアイドルに、ホステス役なんて、会社(ホリプロ)もよく許したよ (笑) 。





こんな桐子が地道にホステスを続けていると、ある時、思わぬチャンスがおとずれるのだ。



桐子の客だった男が殺されて、その殺害現場のマンションに、偶然やって来たレストラン経営者の『径子(みちこ)』(小山明子)という女性。


そこへ遅れて、『桐子』(百恵ちゃん)も目撃者として現れて……


死体の側に立っている径子は、桐子相手に、急にアタフタする。


「私は無実なのよ!私が、ここに来た時は死んでいたんだから……お願い!証人になってちょうだい!!」



こんな径子の死にものぐるいの訴えに同情するかと思いきや……

この径子が大塚弁護士の愛人だと知ると、途端に態度を豹変させる桐子。




やがて逮捕された径子の供述で、警察が桐子の所へやって来て尋問すると、


「何の事でしょうか?私、そんな女性に会った事もありませんし、そんな場所に行った覚えもありません」



どこまでも知らぬ顔。

クールな表情を崩さない桐子なのである。(すっとぼけ)



こんな桐子の豹変に慌てふためく留置所の径子と、大塚弁護士😰




これは神様が私にくれたチャンス!


全ては『大塚弁護士』(三國連太郎)を、徹底的に苦しめる為なのだ。



私が兄を亡くした苦しみを味わったように、今度は大塚弁護士が苦しむ番なのよ!



あまりの冷酷さに、『阿部』(三浦友和)が「もう、許してやれよ!」と何度も言っても、一切聞く耳なし。





この怨み、はらさでおくものですか~!🔥



無表情を装っていても桐子の腹の中ではメラメラと復讐の炎が燃えているのだ。(怖っ!)



情にも流されず、妥協もしない桐子の復讐は、こうして淡々と静かに行われていく………





この非情な桐子役、周りはイメージを考慮して反対したそうだが(でしょうね)

「どうしてもやりたい!」と百恵自身が周囲を説得したという。



10代の娘が、すごい覚悟である!


この時代のアイドルと呼ばれていた人達は、10代でも、皆もう立派な大人なのだ。



今の歌手や俳優が、ただ「歌が好きだから」とか「有名になりたいから」、「華やかな芸能界に憧れて」、「街でスカウトされて」とかの理由じゃないのだ。



百恵に限らず、当時の歌手や俳優たちは、「親」や「兄弟」を養う為に芸能界に入ってきているのだ。



10代でも、

「自分が稼いで有名にならなければ家族を養っていけない!」

そんな悲愴な覚悟で芸能界に入ってきているのだ。



そんな覚悟が大きいほど、特別なオーラをまとう事ができるのかもしれない。





作曲家やプロデューサー、脚本家たちの目は、それを決して見逃さない。


有名になっていくのも当たり前なのだ。




100人いても1000人いても、その中で誰もが、その人だけに注目してしまうのが、本物のスター。



どんなに化粧しても、整形してもダメ。

ダンスや歌がうまくても絶対にまとえない、大スターだけが持っている輝き=覚悟。



この映画『霧の旗』でも、百恵の瞳の奥に、ユラユラ揺れる炎のような覚悟を、充分に堪能できると思うのであ〜る。

星☆☆☆☆。