1960年 フランス、イタリア合作。
そのむか~し、赤川次郎の小説に凝っていた時期があって、手当たり次第に読んだ小説の中に、連作短編集である『血とバラ』もあった。
《懐かしの名画ミステリー》と銘打っていて、表題タイトルの『血とバラ』の他にも『忘れじの面影』、『自由を我等に』、『花嫁の父』、『冬のライオン』なんてのもあったっけ。
いずれも、古きよき時代につけられたセンスの良い邦題の映画で、その邦題にインスピレーションうけて全く別の物語を書きあげる、という赤川次郎らしい独特の着眼点で書かれた短編集である。(こういう小説の書き方もあるのか…、と当時感心した覚えがある。)
この《懐かしの……》のシリーズは好評だったのか、その後も『悪魔のような女』、『埋もれた青春』と続いていき短編集が続々と発売された。
「この短編集に入れられているタイトル、元になった映画を探して観てみるのもいいかも……」なんて、当時思ったりもしていたくらいだ。
でも、いまだに、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『悪魔のような女』しか観れてないのだけどね。
今回の『血とバラ』は、たまたま見つけた動画で決して画質も良いモノではないのだが、それでも何十年越しの願いが叶ったんだし、「まぁ、これでもいいか……」なんて言いながら観た次第。(できたらDVDかBlu-rayで観たいけど。でも販売されておりません)
監督はロジェ・ヴァディム。
スケコマシ(失礼!(笑) )、名うてのプレイボーイとして有名。
ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェーン・フォンダと、取っ替え引っ替え浮き名を流してきた監督さんである。
この『血とバラ』の主演アネット・ヴァディムは、バルドーと別れて間髪入れずに再婚した2度目の妻。(でも、たった2年で離婚しちゃうけど)
アネット・ヴァディムを見たのは、この映画が初めてだけど、やっぱり、どこかバルドーやカトリーヌ・ドヌーブ、ジェーン・フォンダたちと見た目も似かよっている。
金髪で長い髪、肉感的なプロポーション……
生涯、結婚離婚を繰り返したヴァディムだけど、どうも好きになるタイプは同じだったらしい。(なら、離婚しなくてもよさそうなのにね)
この『血とバラ』には、原案があって、1872年にアイルランド小説家ジョセフ・シェリダン・レ・ファニュによって書かれた女吸血鬼『カーミラ』が原案になっている。
この小説、ブラム・ストーカーが書いた有名な『吸血鬼ドラキュラ』よりも古くて、(『ドラキュラ』は1897年)、いわば吸血鬼小説の元祖的な作品なのである。
小説の方は、19歳の主人公ローラの回想形式で、自分が出会った吸血鬼少女『カーミラ』(カルミラと書かれた小説もあり)の事を語っているのだけど
この冒頭の雰囲気、どこかで………
そう、漫画『ガラスの仮面』で北島マヤのライバル、姫川亜弓が劇中劇でやっているのを、すでに読んでいたのだ、私。(詳しくはガラスの仮面単行本16、17巻を参照くださいませ)
映画の方は、この物語を下地にして、現代(当時の1960年)にあわせて作られている。
1765年、イタリア貴族カーンシュタイン家には吸血鬼の噂がたっていた。
農民たちはカーンシュタイン家の墓地に眠る先祖の墓を掘り起こし、胸に杭を打ち込み焼き捨てるという、とんでもない暴挙にではじめたのだ。
ただ、当時の当主ルードヴィッヒは、結婚式当日に亡くなっていた『ミラルカ』という女性の遺体だけを、どこかに隠していた為、ミラルカの遺体だけは難をのがれて無事だったという。
それから時は流れて、1960年。
今のカーンシュタイン城の当主『レオポルド』(メル・ファーラー)は、美しい女性『ジョージア』との結婚式をひかえていて、客人たちを集めて婚約パーティーを開こうとしていた。
「盛大に花火を打ち上げよう!」
そんなレオポルドの計画に、花火職人はある提案をする。
「城の向こうに見える、あの《塔》の辺りから花火を打ち上げて、美しい光りのシャワーをお見せしますよ!」と。
その言葉に、古くからこの土地に住んでいる住人や召し使いたちは咄嗟に顔色を変えた。
そんな様子に、婚約者『ジョージア』やジョージアの父親は困惑顔。
場の雰囲気を凍りつかせた花火職人も「???」顔で、急にオドオドしはじめた。
そこへ、レオポルドのいとこ『カルミーラ』(アネット・ヴァディム)が客室に現れて、さきほどの古くから伝わる《吸血鬼伝説》を話し始めたのである。
「 ……… ミラルカの遺体は、それ以来見つかっていないのよ………そのミラルカが書かれたのが、この壁にかけられているのがミラルカの肖像画よ …… 」
カルミーラが指差した壁の肖像画には、白いドレスを着て手には枯れた赤いバラを持ったミラルカなる人物が描かれている。
それは側に立って説明しているカルミーラに瓜二つなのだった。
「まぁ、怖いわ!」
レオポルドに駆け寄るジョージアに、カルミーラの表情が一瞬曇った。
(私の愛するレオポルドが……こんな女と結婚なんて………)←怖がらせて《結婚》を諦めさせる気だったのに(あらあら)カルミーラの行動は裏目に出る。
こんなカルミーラの想いをよそに、準備はドンドン進められていき町の人々を大勢集めて、盛大なパーティーは始まった。
夜空に次々上がる盛大な花火に人々は歓喜している。
だが、それが突然爆発すると(失敗か?)、塔の近くあたりで、モクモクと煙りが上がりはじめた。
「大変だ!」
皆が大騒ぎしている中、カルミーラが、こそっと白いドレス姿で現れる。
そんなカルミーラに不思議な声が聞こえてきて、そっと囁く……
「こっちへいらっしゃい …… カルミーラ …… そう、こっちへ ……… 」
夜半、火事騒ぎが落ちつき皆が寝静まった頃、カルミーラは夢遊病のようにフラフラ起き上がった。
そうして何かに導かれるように城をそっと脱け出した。
しばらく歩いていくと、昨日の夜、花火が爆発した塔の場所へとたどり着く。
崩れ落ちた塔には地下に通じている穴が見える。その石畳の階段を降りていくカルミーラ。
暗い地下の底には、一つの棺が置いてあった。
その棺にカルミーラが手を触れると、棺は自動的に「キギィーッ」と軋む音をたてながら開いていき………
これ以上はあらすじを書くのは止めておこう。(ネットで誰でも観れるし、野暮というものだろう)
エレガントな雰囲気が全編を漂っている、一風変わった吸血鬼映画である。
何となく少女漫画的でいて、ヴァディム監督にしては物悲しそうな悲劇を綺麗にまとめているといった感じかな。
実験的な映像は、まるで万華鏡の中にいるような夢の世界。(フワフワ、ユラユラ)
怖さは全くないのだけど、コレはコレで《一見の価値あり》なのかもしれない。
ただ、ヴァディムと離婚した後、このアネット・ヴァディムが消えた理由も、この映画を観て何となく分かったような気がする。
ブリジッド・バルドーのように狂った狂気や小生意気さも少し足りないし、ジェーン・フォンダのように、からっとしたユーモアもなければ明るいお色気も足りない。
顔が綺麗でプロポーションが良くても、なんか、ずば抜けて「これ!」っといえるような個性が不足している気がするのだ。
これだけは本人の性格によるところが大きいと思うけど……
それにしても難しい~。(性格が真面目すぎても女優として輝けないのなら、役者とは、つくづく因果な商売だ)
こんなアネットに《女優としての価値》を見いだせずに、ヴァディムは見切りをつけて、さっさと離婚したんだろうか?
だとしたら、ヴァディムにとっての結婚って、ただ、女優を縛りつけておくための《専属契約》だけなのか?って話になってくるのだが……
そう考えると、このロジェ・ヴァディムって男も無責任。
プレイボーイを気取っていても、女を簡単にポイ捨てするような最低男に見えてしまう。 (じゃ、《スケコマシ》でも充分か)
そんな気持ちで観てみると、映画のラスト、カルミーラの死は別の意味に思えて、私には妙にもの悲しく見えてしまうのである。
星☆☆☆。