2019年4月20日土曜日

映画 「眼には眼を」

1957年 フランス、イタリア合作。








様々なミステリーサスペンス映画では、常に上位にランクされるのに、なぜかずっと不遇な扱いをされていた、この『眼には眼を』。


近年やっとこさDVD化されて、約30年越しで観ることが叶いました。




主演はクルト・ユルゲンス

知ってる人は少ないかなぁ~。



ドイツの俳優さんで、ブリジット・バルドーの『素直な悪女』などにも出演している。


有名どころでは、ロジャー・ムーアの007『私を愛したスパイ』の敵役ストロンバーグを演じていたと言えば、「あ〜あの人!」って顔が浮かびやすいかな?




それにしても、この映画でのクルト・ユルゲンスは、既に、だいぶ老けて見える。(この時はまだ40代のはず)



額は広くて、後ろに撫で付けている髪は、もう若干薄いような……

眼の下の隈も、もの凄いし、法令線の皺だって……




厳しい顔つきのクルト・ユルゲンス。




ドイツに生まれたユルゲンスは新聞記者をしていたが、最初の妻に俳優を志すように勧められて転身した。


やがて舞台や映画で頭角をあらわした頃、戦争。


ドイツ人だが、ナチに反発して強制収容所送りになる。


戦後に解放されると、急いでオーストリア国籍をとり映画界に復帰。


そして、数年後、この映画の主演のチャンスが、やっとまわってきたのだ。



人生、山あり 谷あり……


そんな状況がクルト・ユルゲンスの風貌をつくりあげたと思うと、なんだか感慨深く観はじめた『眼には眼を』なのでございました。






『ヴァルテル』(クルト・ユルゲンス)は、中東の病院に勤めるフランスの医師だ。



四方を巨大な砂漠に囲まれいて、ポツポツと家がある中、そんな場所にも大勢の人々は住んでいる。


ヴァルテルの勤める病院は、医者や病院の数の少なさから、連日大忙し。




今日も帰る間際に重体の患者が運ばれてきて、なんとか処置をすると、やっと帰宅。


家は、いくつものテナントハウスが並んでいて、その一つを間借りしていた。



管理人部屋では、ちょうど祈りの時間帯なのか?管理人が絨毯をしいて、ひれ伏して祈りを捧げている。



邪魔をしないように、そっと鍵をとると、そのまま自分のハウスへ……。



シャワーを浴びてひと息。好きな音楽を聴きながら、やっと平穏な時間…………が、きたかと思いきや、それを邪魔する電話が!




電話は管理人からで、

「管理人室に男が来ていて、奥さんが具合が悪いそうで……どうしても先生に見てほしいそうなんですが…」だった。



(またか……)

至福の時間までも邪魔されて、さすがにイラっとなっているヴァルテル。



「病院には夜間勤務がいますから見てもらいなさい。病院までの道順を教えますから」


ヴァルテルはそれだけ言うと、(あ〜これでこの話は終わり!)とばかりに電話を切った。





次の日、ヴァルテルが病院に着くと、若い医師のマチックが(ドヨ〜ン)と落ち込んでいる。



昨夜、連れてこられた患者が亡くなったというのだ。



「子宮外妊娠でした……」


マチックは、医師としての自分の未熟さを責めている。


「……君のせいじゃないさ」ヴァルテルは慰めた。




ヴァルテルが霊安室に行くと、若い女性が寝かされていた。




(しょうがないじゃないか……俺の責任じゃない。たまたま運が悪かったんだ……)





その日、仕事を終えて、夜半に車で帰宅するヴァルテルは、道端に放置されている一台の車を見つけた。


(昨日、管理人室に訪ねて来た男の車じゃないか?)



無人の車には『E・ボルタク所有』の名前が刻まれている。


ヴァルテルは、それだけ見ると、自分の車に乗り込んで、さっさと帰宅した。





そうして、帰宅して、しばらくすると鳴り始める電話。


「どちら様?」

ヴァルテルが尋ねても、相手は無言で一向にしゃべらない。


(イタズラ電話か?)


その無言電話は一晩中、何度も何度もかかってきた。



「いい加減にしろ!」

しまいには怒鳴り付けるヴァルテル。


(もしかして……あの死んだ女の旦那、『ボルタク』という男の嫌がらせなのか……?)






次の朝、病院に着くと昨日道端にあった、あの車が止まっている。



『ボルタク』(フォルコ・ルリ)が病院へ遺品を受け取りにやってきたのだ。




ボルタクが車に乗り込む姿を、じっと病室の窓辺から伺っているヴァルテル。



そんなボルタクの乗り込んだ車のサイドミラーには、ヴァルテルの姿が映りこんでいた。




その異様な目線に気づいたのか……


何か言いようもない不気味さを感じたヴァルテルは、慌てて部屋のカーテンを閉めるのだった………






妻が亡くなっても、決して泣き叫んだり、騒いだりしない、この男『ボルテク』……この男の真意が、ヴァルテルだけじゃなく、観ている我々もまるでつかめない。




その分だけ、ヴァルテルの良心の呵責が伝わってくる。


そんな不気味さ漂う冒頭のプロローグなのである。






この映画は、その評判どおり傑作でございました。





この後、案の定、ボルタクがヴァルテルに復讐する展開になるのだが………急がず騒がず、淡々と………




まるで日常、どこにでも起こり得るようなアクシデントの様相で、ゆっくりと、真綿で首を絞めるように行われていく。(怖っ!)




それが、かえってヴァルテルを徐々に苛立たせて、疲れさせていく。


観ているコチラも、そんなヴァルテルの張り詰めた緊張感が伝わってくる。






しまいには、さすがに気の毒になってきて、


「ヒィーーーッ!もう、許してあげてちょうだいな!勘弁してあげてくださいな!」



と、擁護したくなってくるほど。





それでも、監督のアンドレ・カイヤットは、そんな外野の声に耳を傾ける様子はないし、手を抜かない。




妥協を許さず、『ヴァルテル』(クルト・ユルゲンス)を、精神的にも肉体的にも

「これでもか!これでもか!」

と、痛めつけて、さらに追い込んでゆくのだ。(この監督のサドっ気ときたら)





もう、ズタボロのユルゲンスが、ただただ可哀想なのでございます。




…………でも、痛めつけられながらも、段々と妙な感じの色気を振りまきはじめるユルゲンス。



コレはいったい、どういう事なんでしょ?(この人の本質がマゾなのか?)




ユルゲンスが痛めつけられるほど、なぜか?変に興奮してくるという……(変態か (笑) )




サド心を刺激されて、妙に心に残る映画なのでございました。(ユルゲンスには、本当に気の毒なんだけどね (笑) )



星☆☆☆☆。


※アンドレ・カイヤットの映画は日本では、まだまだ不遇の扱い。


これを期に、他の映画もDVD化されることを望みたい。(セバスチャン・ジャプリゾ原作の『シンデレラの罠』。これもアンドレ・カイヤットの作品だと、最近知った次第である。その昔、小説を読んだ私は、映画の方も是非観たいと願う一本なのだ。)




メーカー様、《アンドレ・カイヤット》の名前を、どうか忘れないでね。