2020年11月9日月曜日

映画 「コブラ」

1986年 アメリカ。





マリオン・コブレッティー》……通称、コブラ


ロス市警ではゾンビ班なる部署に配属されている。(なんちゅー、ネーミングセンスの班なんじゃ!)

手に負えないような、凶悪な異常者を相手にするのが、このゾンビ班である。


レイバンのサングラスをかけて、口には爪楊枝?マッチ?何か知らんが、をたくわえている。(お前は木枯らし紋次郎か? (笑) )


愛車は、1950年型のマーキュリー・クーペ。



今日も、「スーパーマーケットで異常者が銃を乱射している!」なんて事件の通報が入ると、コブラは早速、愛車のクーペで駆けつけた。


騒然とした現場では、警察がスーパーを取り囲んでいる。


「状況は?」とコブラが訊くと、一足先に来ていた相棒の『ゴンザレス警部補』(レニ・サントーニ)が飄々(ひょうひょう)として近づき、「やばい」とだけ呟いた。



それだけ聞けば充分とばかり、コブラはスーパーの中へ堂々と、単身入っていく。



既に殺されている買い物客たちの死体をよけながら、奥へと進んでいくと、あきらかに異常そうな男が、若い女を人質にして騒いでいた。



「何だ?!テメェは!!それ以上近づくんじゃねぇー!このスーパーがどうなってもいいのか?!」

「別に……俺はここで買い物しない」


コブラは袖口に隠したナイフを手に、ストン!と落とすと、それを掴み、犯人めがけて投げた。


「ギャアァー!!」ナイフは犯人の懐に見事に刺さる。


そして、間髪入れずにコブラの愛銃《コルト・ゴールドカップ・ナショナルマッチ》(名前の長~い銃)からは、連続して3発の弾丸が発射された。



犯人絶命、これにて事件は解決!


外に出て、騒ぐマスコミたちの群をぬけると、苦虫を噛み潰したような《モンテ警部補》(アンドリュー・ロビンソン)の憎々しい顔。


「こんな、お前のやり方を、俺は絶対に認めないぞ!」(多分、コブラが大嫌いなんだろう)


こんなモンテ警部補の言葉にも、シレ~として、「知ったことか!」のコブラ。


異常者たちが出れば、必ず俺の出番がくるのだ。


頼りになる男、悪を許さない非情な男……それが《コブラ》なのである。



そして、ロスの街では、またもや別の、無差別殺人が横行していたのだった。


コブラの出番である!




久しぶりに観た『コブラ』、やっぱり面白かった。


話がサクサク進んで、中だるみもなく、次から次へと怒濤のアクションの連続に興奮しっぱなし。


それもそのはず、何と!この『コブラ』、上映時間が90分もないのだ。(およそ88分)


この時間で、これだけ濃縮されたアクションを楽しめるんだから、ちょっとした暇な時間には、もってこいである。



このコブラには、一応、原作らしきモノがある。



女流ミステリー作家、ポーラ・ゴズリングが書いた『逃げるアヒル』が原作なのだが、ほぼ原作無視。(いいのかなぁ~?)


《殺人犯を偶然、目撃してしまった女性が、命を狙われながら、ボディーガードの刑事と逃避行しながら闘う》


ただ、この一点だけを借りてきて、登場人物の名前も、背景もすべて変えられているので、完全に別物になっております。(※いくら、当時新進の女流作家でも、このあまりの改変には腹がたったのかなぁ~? この後、同じ原作で、ウイリアム・ボールドウィンを主演にして『フェア・ゲーム』というタイトルで映画になっている。)



で、殺人集団《ナイト・スラッシャー》の顔を目撃してしまったのが、たまたま車で帰宅途中だった、運の悪い女性『イングリット・ヌードセン』(ブリジット・ニールセン)。


それから、いく先々で殺人集団に命を狙われるイングリットは、「キャアァー!!キャアァー!!」と泣き叫ぶが……ごめんなさい。全然、か弱そうに見えない(笑)。


なんせ、演じているのが、身長が185cmもある大柄なブリジット・ニールセンですもん。(警護するスタローンは身長178cm)


この『コブラ』、面白いんだけど、ただ1つの失敗は、この《ブリジット・ニールセンの起用だった》と、あらためて思ってしまった。



でも、しょうがないっていえば、しょうがないんだけど……。



なんせ、スタローンとブリジットは当時、ラブラブ夫婦。


映画『ロッキー4』で知り合い、結婚して、そのままの流れで、この『コブラ』に出演してるのだから。(でも、翌年の1987年には離婚している二人。スタローンも、やっと正気を取り戻したようだ (笑) )


つくづく、ヒロインが、「このブリジット・ニールセンじゃなかったらねぇ~ ……」なんて思わずにはいられない。




スタローンが、この映画で目指したのは、クリント・イーストウッドの『ダーティ・ハリー』のような孤高の刑事が活躍するアクションである。


80年代になっても、まだまだ刑事といえば、『ダーティ・ハリー』と言われるほど、そのインパクトは、かなり強烈だったようで、あらゆる後続の刑事モノ映画は、ダーティ・ハリーをお手本に、インスパイアされて作られていたようだった。



ロッキー、ランボーと、ヒット・シリーズを打ち立てたスタローンも、


「俺も、今度は、《ダーティ・ハリー》のような刑事モノので、ひと山、当てたる!!」の思惑があったと思う。



相棒役に、『ダーティ・ハリー』の相棒チコ役だった、レニ・サントーニが起用されていたり、

嫌味な刑事役に、同じように、『ダーティ・ハリー』の凶悪犯だったスコルピオ役のアンドリュー・ロビンソンが、いたりと、素人でも分かりやすいくらい、この映画『コブラ』には、『ダーティ・ハリー』の影が、アチコチに見え隠れする。



ただ、この起用、アンドリュー・ロビンソンにとっては、嬉しい救済になったようである。



『ダーティ・ハリー』の極悪なスコルピオを演じてから、そのインパクトゆえ、来る役、来る役が同じような犯罪者役ばかりで、嫌気がさした彼はとうとう、芝居から距離をとって、5年間、故郷に引っ込んで田舎暮らしをしていたのだ。


その間は、大工仕事をしたり、演劇を教えたり……完全に映画から離れていたアンドリュー・ロビンソン。



この『コブラ』は、そんな彼が、再び、再起するきっかけを与えてくれた映画なのである。

映画のラスト、殺人集団ナイト・スラッシャーたちを絶滅させ、イングリットを救いだしたコブラ(スタローン)は、嫌味なモンテ警部補(アンドリュー・ロビンソン)に、一発パンチをおみまいする。


今にして思えば、このラスト、「よく、映画界に戻ってきてくれた…」なんていう、ある意味、スタローンなりの激励のパンチだったのかもしれない。


そんな気がしてならないのだが……(考えすぎか?)



カーアクション、手榴弾の爆破、バイクが、そこらじゅうにぶっ飛び、火炎をあげる!




これもスタローンの佳作として、星☆☆☆☆であ~る。(面白いよ)


2020年11月5日木曜日

映画 「ボーン・イエスタディ (1950)」

1950年 アメリカ。





第23回アカデミー賞(1950年度の作品が対象)は、沸きに沸いた。


以前、ここにも書いたが、この年は今、現在でも名作として語り継がれている、この2作品が誕生したからだ。


舞台女優たちの裏側を描いた、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の『イヴの総て』。

《『イヴの総て』…左からアン・バクスター、売れる前の端役マリリン・モンロー、ベティ・デイヴィス》




老いた映画女優の狂気を描いた、ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』。

《『サンセット大通り』…中央、グロリア・スワンソン》



この2作品は、70年経った今でも、ビデオからDVD、Blu-rayと、時代に合わせてメディアを変えながらも、観た人々の心をとらえ魅了し、新たなフアンを獲得している。


かくいう自分も、もちろん、この映画が公開された時代には、まだこの世にいるはずもなく………ず~と後になって、たまたま拝見してフアンになった内の一人でございます。(※それぞれ両作品、このblogに既に書いておりますのでお暇な方はど~ぞ)



アカデミー賞作品賞と監督賞には、『イヴの総て』、ジョセフ・L・マンキーウィッツが受賞した。(『サンセット大通り』には残念だが、まぁ納得かも)



さぁ、そして主演女優賞の発表である!



主演女優賞にノミネートされてるのは、いずれも強豪ぞろい。


『イヴの総て』からは、小憎らしいイヴを演じたアン・バクスター。


大女優でありながら新人イヴに翻弄されるマーゴを演じたベティ・デイヴィス。


『サンセット大通り』からは、かつてサイレント映画のスターだったが、次第に狂っていくノーマを演じたグロリア・スワンソン。


『女囚の掟』からはエリノア・パーカー。(『サウンド・オブ・ミュージック』に出ていた綺麗な女優さん。ここでは女囚役の為に、当時では衝撃的な丸坊主姿になっているという。これもヤサグレ女囚モノの元祖的な映画で、いずれは観たい映画である。)



「さぁ、今年度のアカデミー主演女優賞は………」


   さぁ、誰がとるか、誰がとるか………


「ボーン・イエスタデイのュディ・ホリデイさんです!!」



………………………………… 誰?それ?



全く知らない映画と女優、知らぬが恥だと思い、今回初めて、この映画を観てみる。(多少の情報も頭に入れて)



クズ鉄業で成功した『ハリー・ブロック』(ブロデリック・クロフォード)は、元女優で愛人の『ビリー』(ジュディ・ホリデイ)をともなってワシントンにやって来た。


ワシントンでも最高級のホテルに滞在しながら、事業を拡大する為、議員をまるめこみ、(違法でもしったことか!!)のハリーは、部下を顎でこき使い、必要な書類には頭の弱いビリーを騙して強引にサインをさせる。


「ねぇ、これ何の書類?……」なんてビリーが聞くものなら、


「うるさい!だまってサインすればいいんだ!!」の一点張り。


ビリーの馬鹿さを利用して、それまでは上手くいっていたハリー。



だが、議員と会談した時、あまりのビリーの教養のなさに今度は逆に呆れる始末。



(なんとかせねば……)


そこで多少の教養を、と取材に来た『ポール・ラベル』(ウイリアム・ホールデン)に彼女の教育を依頼するのだが……それは思わぬ副産物をよんでしまう。


ビリーは教養を身に付けていくにしたがって自我に目覚めはじめ、ハリーの不正に気づきはじめるのだ。


そして、ポールはポールで、そんな変わっていくビリーにどんどん惹かれていき……。





こんな感じの『ボーン・イエスタディ』なんだけど……ごめんなさい、ハッキリ言ってあんまり面白くなかった。



元々は舞台でヒットしたコメディーらしいのだが、どこで笑えばいいのやら、クスリとも笑えなかった。


とにかく、一番の原因が、この映画のハリー役のブロデリック・クロフォードで、イヤな野郎すぎて、終始ムカついてしまった。


この人、フェリーニの『崖』でも詐欺師の悪役だが、この映画ではそれを越えるぐらい虫酸が走る役。

とにかく最初から最後まで、誰彼に、わめき散らして、怒鳴りっぱなし。(ゆえに出番があれば、あるほど、どんどん嫌いになっていく)


「自分が正しい!」を叫びながら、ワンワン吠えて、誰彼に高圧的に噛みついて、まるで、どっかの大統領みたい。(あ~、うるさい!)


で、これに笑えるか?

全然笑えないし、私は好きじゃない。




かたや、主演女優賞を受賞したジュディ・ホリデイの演技。



耳をつんざくようなキンキン声で、英語なのに、まぁ耳障りなこと。


馬鹿丸だしの教養のないビリーを演じる為に、わざとそんな風に喋ってるんだろうと思い、(次第に教養が身につけば、この喋り方も変わるんだろう……)と我慢していたが、全くそんな事にならなかった。(最後までキンキン声)



怒鳴り声とキンキン声の応酬に、ウイリアム・ホールデンや他の出演者たちは、普通の演技をしながらも、「シラ~」としているように見えてしまった。



日本では、この映画、結局公開されなかったらしいが、何となく納得!


これを「面白い!」と思える感性は、我々日本人にはないと思うからだ。(公開してもヒットしただろうか?)



それにしても、これが、ベティ・デイヴィスやグロリア・スワンソンを抑えてのアカデミー主演女優賞ねぇ~


ん~同意できない。(オマケにゴールデングローブ賞の主演女優賞もとっている。ゲゲッ!( ゚ロ゚)!!)


でも、アメリカでは、この映画が評価が高くて、アメリカ喜劇映画ベスト100の24位で上位につけている。



本当にアメリカ人、これを観て大笑いするの? 拍手喝采なの?

わけわからん。


ウイリアム・ホールデンの珍しい眼鏡姿は似合っていたが、相手役がこれじゃ、ちと可哀想に思えてしまった。(ジュディ・ホリデイも黙っていれば美人なのに、喋りだせば林家パー子 )



今回は星での評価は保留。


海の向こう……これが越えられない感性の違いなら、久々にそれを見たような気がした映画でありました。

2020年11月1日日曜日

映画 「アンナ (1951)」

1951年 イタリア、フランス合作。




『シスター・アンナ』(シルヴァーナ・マンガーノ)は、大病院で患者たちの為に看護師として懸命に働いていた。(※イタリアでは、修道院でお祈りを捧げるだけじゃなく、実際にこんな病院で、プロの看護師なみの役割を果たすシスターたちがいる事に、まず驚く(*゚Д゚*))


子供から年寄りまで、笑顔で接するアンナに、ドクターや他の看護師たちの信頼も厚い。



一刻も早く、本物のシスターになれるように、本部への修道誓願を希望するアンナ。(なんだ、まだシスター見習いか)


だが、修道院長からは厳しい言葉が、チクリとアンナの心を突き刺す。


「あなたの行動は、まだ、どこか世俗的すぎる。人間愛が、あまりにも強すぎるのよ。試練だと思って、当分はこの病院で患者の為に尽くしなさい!」


「分かりました…」

ガックリ気味のアンナである。



そんなアンナが病室を巡回していると、けたたましい救急車のサイレンの音が……。


(こんな夜半に急患……?)


血だらけで担架で運ばれてきたのは、車を猛スピードでとばしてきて、相手にぶつかって大怪我という、とんでもない(マヌケ)男。


(どれ、どんな様子か……)とアンナが顔を覗いてみると……


「アンドレア!!」


そう、昔、アンナが愛していた『アンドレア』(ラフ・ヴァローネ)なのだった。(なんか、この場面で竹内まりやの曲が、自然に頭に流れてしまう私 (笑) )



アンドレアの緊急手術が始まると、アンナは手術室の側で祈った。


「神様、アンドレアをお救いください!……」と。


そして、祈りながらも、アンナの意識は、数ヵ月前の苦い過去を回想していくのであった……(ポワ、ポワ、ポワァ~ン?ってな感じ)




以前、ここで挙げた『にがい米』で、すっかりシルヴァーナ・マンガーノ様の虜になってしまった私。


シルヴァーナ様の出演した映画を探してみると、日本で観れるような映画が、あまりDVD化されてないのだ。(頼みますよ、メーカー様!)


比較的、『にがい米』に近い年代の、この『アンナ』を観る事が、やっと出来た次第である。


で、観ていると、シルヴァーナ様はいきなりシスター姿。


充分、美しい尼僧姿のシルヴァーナ様なんだけど……地味過ぎて、ちとガックリ。


と、思っていたら、アンナの過去の回想シーンに場面が切り替わると、(デター!!)狂ったように歌い踊るシルヴァーナ様の姿が!!



腰を自在にひねり、華麗なステップをふみながら、歌い踊る『アンナ』(シルヴァーナ・マンガーノ)は、ナイトクラブの歌手兼ダンサー。


観客たちは見惚れていて、拍手喝采だ。(だろうな~)



そんなアンナに、これまたベタ惚れの、田舎に広大な住宅を構える金持ち紳士『アンドレア』(ラフ・ヴァローネ)は、「結婚しよう!結婚しよう!」と毎夜アンナを口説いていた。


「無理よ…」


アンナのツレない言葉にもアンドレアの気持ちは変わらず。


ナイトクラブからアンナの家までの送迎を、ひたすら続けるアンドレアなのである。(なんて健気な)




だが、アンドレアに送ってもらってアパートのベッドに入ると、アンナの何かが疼きはじめる。


フラフラ~と夜のアパートを抜け出すと、どこかに向かい出すアンナ。


合鍵で、ある部屋のドアを開けると、そこにはシャワーを浴びている一人の男の姿が。


そう、それは同じナイトクラブで働くウェイターの『ヴィットリオ』(ヴィットリオ・ガスマン)。




アンナはアンドレアに口説かれながらも、ヴィットリオとも関係を続けていたのだ!



気持ちはアンドレアに傾いても、身体はヴィットリオに溺れているアンナなのである。(なんかレディース・コミックの世界、そのまんま (笑) )



こんな事が、毎夜毎夜、繰り返されて、さすがに自分自身に嫌気がさしてくるアンナ。


そして、とうとう決心する。


「アンドレアと結婚して、田舎に行くんだ!そして真人間になろう!」


ヴィットリオのアパートの合鍵を道路の排水溝に捨てると、アンナはアンドレアの故郷に向かった。



そして、明日は結婚式という時、窓から外を見ると、あのヴィットリオがやってきたのだ!(ゲゲッ!)


「なんでやって来たのよ?!」


「田舎で結婚だって?お前は俺が忘れられないはずだ!!思い出させてやる!!」


「やめてー!!」

近くの暗い石堂?で、アンナを押し倒すヴィットリオは、まるで獣。(「イヤよ!イヤよ!も好きのうちさ!」を地でいくようなヴィットリオさん)



そこへ通りかかったのは、あのアンドレア。



アンドレアとヴィットリオは激しい殴り合いになる。


「やめてー!!やめてー!!」(ここでも、なぜか?竹内まりやの曲が頭に浮かんでくる私。♪けんかをやめて~二人をとめて~♪)



ヴィットリオが取り出した銃の弾がアンナの肩をかすめる。



それを取り上げようとするアンドレアは揉み合いになるうちに、ついに……バキューン!!



銃口がヴィットリオの腹を向いた瞬間、それが発射されてしまったのだ。



腹から血を流して絶命するヴィットリオ。(アラアラ…)



呆然自失になっているアンドレアをおいて、アンナはフラフラと外に出て歩きだした。



(何もかも自分が蒔いたタネ……すべて私が悪いんだ………)



あてどもなく、さ迷い歩くアンナは、いつの間にか行き倒れて、親切な人に介抱されて、今いる病院に連れてこられたのだった。



そうして、傷が治ると、シスターへの道へ。

今に至るアンナなのである。



だが、運命は皮肉にも、またもやアンナをアンドレアと引き合わせた。


手術がすみ、傷が癒えてくるとアンドレアは再度求婚してくる。


「もう一度やり直したい!アンナ、結婚してくれ!!」


はてさて、アンナは尼僧の立場でどうするのか………




ここまで長々と書いたのは、ちゃんと理由がある。



この映画『アンナ』と『にがい米』を両方観た自分。


監督は違えど、どちらも、出演者はシルヴァーナ・マンガーノ、ラフ・ヴァローネ、ヴィットリオ・ガスマンが揃っている。(『にがい米』のドリス・ダウンリングがいないだけだ)


そして、『にがい米』、『アンナ』で演じている、それぞれの役の性格が、とても似かよっている事に、自分同様、両方を観ている人は、とっくに気づいたはずである。



シルヴァーナは踊りが好きで、後先をまるで考えていない、ただ欲望の為に突き進んでしまうような性格。


ラフ・ヴァローネは誠実で無骨な男。


ヴィットリオ・ガスマンは、女を虜にはしても、根っからのゲスなクズ男。(銃で死んでしまうのも、まるで一緒だ)



もう、役の名前と、話が違うだけで、同じ役者が同じキャラクターで、それぞれに存在しているのである。



なんだか不思議な感じ……


ジョジョのように、まるで世界が一巡して、同じ人間が、同じように再び出会ってしまったような……そんな錯覚さえ覚えてしまう。



あるいは、『にがい米』と、この『アンナ』は、同じような時間で、ソックリな人間たちが、決して交わる事のない、並行しているような世界を一緒に進んでいるのか?……そんな、まるでSFモドキの発想にまで、とんでしまうのだ。


もちろん、『にがい米』と『アンナ』では結末は違う。


『にがい米』では、ヴィットリオ・ガスマンに、たぶらかされて、騙されて、ガスマンを撃ち殺してしまい、自らも自害してしまうシルヴァーナ。


『アンナ』のシルヴァーナは生き残る。



それにしても……



分かれ道が二通りあるなら、右に進んで、死んでしまったのが『にがい米』のシルヴァーナ。


左に進んで、生き残ったのが、この『アンナ』のシルヴァーナ?(どっちでも死んでしまうヴィットリオ・ガスマンは憐れだが (笑) )



この、まるで《双子》のような対比の2本の映画、自分のように両方を観る事を、是非オススメしたいと思うのである。


とりあえず、『アンナ』、星☆☆☆☆。



それと、シルヴァーナ様の適職は、尼僧よりも、やっぱりダンサーだと思いますよ♪

2020年10月28日水曜日

ドラマ 「父母の誤算」

1981年。




まぁ、画像を探したけど適当なモノが見つからないわ。


そのくらい、もはや覚えている人も少ないのかな?

写真は最近の利重剛さんである。




このドラマ、金曜の夜10時くらいにやってたっけ。


私、当時、中学1年だったけど、このドラマを何となく観ておりました。(「中1が遅くまで起きてないで、さっさと寝ろよ!」とは言われない。うちは放任主義)




脚本は小山内美江子で、あの『金八先生』で有名な方。


近年、この小山内美江子を、ある番組で観る機会があったんだけど、本人も中々強烈だった。


数十年ぶりに、金八先生に出演していた上戸彩が会いに行って、「先生、お久しぶりです」と挨拶するも、

「誰だ?!お前!!」のドスのきいた迫力の一言。(終始、上戸彩がヘイコラ気を使っていて、「エラソ~な、イヤな感じの婆さんだなぁ~」に見えてしまった。)


まぁ、逆に、このくらいアクが強い性格だからこそ、あの脚本が書けるんだろうけど。




このドラマ、脚本が小山内美江子でもあり、その息子である利重剛が俳優デビューをした作品でもある。


とにかく、この利重剛が演じた『高井洋二』という役柄が、とんでもなくイヤ~な野郎。


こうして何十年経った今でも、その印象が、あまりにも強くて、ずっと尾を引いているくらいなのだ。


テレビでたまに利重剛を見かける事があっても、自分にとっては、いつまでも(あのイヤ~な感じの『高井』)なのである。(本人は良い人柄なんでしょうけど。ゴメンナサイ)




『高井洋二』という高校生は、不良は不良なんだけど、見た目がツッパリの格好をするわけでもなく、ガムシャラに暴れまわる不良とはわけが違う。


知能犯、確信犯の不良なのである。



大人の前では平身低頭、気弱な仮面をかぶって欺き、裏では態度を豹変させる不良生徒。

大病院のエリート一家に生まれた高井は、上手に仮面を使い分けて生きてきたのだ。



そんな高井が、東京から静岡の高校に編入してくると、途端に嵐が起きる。


転校初日からタバコを吸っているのを咎められるも、「ボクは吸ってません!」、「ボクは不良たちに使いパシリをされただけなんだ!」の気弱そうな顔で弁明。


だが、裏にまわれば「馬鹿な教師たちが……」と、ほくそ笑むのだ。(気持ち悪いし、まぁ、憎たらしい)



大人を完全にナメきってる高井。



だが、校長の『中林繁雄』(露口茂)だけは、そんな高井に欺かれることなく、歪みきって腐りきった高井を「何とかしてやらなければ……」と考える。(長年、『太陽にほえろ!』で悪党たちを相手にしてきた山さんですもん。こんな小悪に騙されるもんですか)



「必ず教育は人を救うんだ!」を理念としている中林繁雄に迷いはない。



ついには、高井や他の問題児たちを、住み込みで自分の家に置いて、学校に通わせながら面倒をみようと言いはじめたのだ。


そんな繁雄の提案に、妻の『せつ子』(長山藍子)は、最初こそ、「あたしは反対です」の一点ばり。


「うちには年頃の娘がいるんですよ!そんな人たちをうちに入れるなんて……問題が起きたらどうするんです?!」(長山藍子なんで、ユックリ、やんわり、しとやかな口調を崩さない。決してヒステリックに激昂なんてしません(笑))


そんなせつ子だったが、夫の繁雄の熱意に、次第に根負けして、不良たちを住み込みさせる事を、やっとこさ同意する。



だが、せつ子の予感は当たり……高井や不良たちは次から次へと問題を起こして……。


校長、中林繁雄の熱意は彼ら、不良たちを更正させられるのか………?





………っていうのが、大まかなドラマのストーリーである。


こんな書き方をすると、「どうせ熱血教師と不良のドラマなんだろ?」と思う人もいるだろうが、このドラマに限っては、少し毛色が違っていたような気がする。



なんせ、主人公の『中林繁雄』(露口茂)が会議好き。


なにか、事があれば、家族を集めて家族会議をする。そして問題の対処法を皆で考えるという特殊な家庭だった。(山さんったら……)



しかも不良たちにも手を挙げずに、コンコンと、まるで刑事の取り調べのように、自分のやった事を反省させ、さとすように、あの独特なしゃがれ声で説得するのである。(もう、山さんったら……(笑))



でも、こんなんで不良たちが改心するのかねぇ~、と思っていたら案の定、高井や不良たちは隠れて、タバコをプカプカ。



そんな時、とうとう、妻の『せつ子』(長山藍子)が動き出す。




「みんなー!ご飯よ!!降りてきて!!」


せつ子の声に、2階にいる高井や不良たちが1階の茶の間に降りてくると、せつ子が夕飯を並べている。



側に置かれた炊飯器からは異様な匂いが漏れている。


「うっ、何ですか?この匂い……」


せつ子が炊飯ジャーの蓋を開けると、異様にムワァ~と広がる匂いと共に、とんでもないモノが目に入ってきた。



大量のタバコと一緒に炊かれた米……通称《バコご飯》である!!(ゲゲッー!)





高井たちが驚愕している中、せつ子はニッコリ笑いながら、その《タバコご飯》を一人一人のお茶碗によそいはじめた。


「みんな、タバコ大好きよね?イッパイ炊いたんだから沢山食べて、おかわりしてね!」


せつ子の態度はどこまでも、にこやかで飄々としている。



そのせつ子の様子に、さすがの高井や不良たちもガタガタ震えだし、とうとう土下座して謝ったのだった。


「スミマセン!奥さん、スミマセン!!」と。



そんなせつ子はユックリ振り向くと、「タ・バ・コ・やめてもらえるわね?」と、一言。



やんわり、しっとり、おだやかに……『せつ子』(長山藍子)の口調は変わらないけど、それがかえって不良たちには不気味な怖さとして見えた瞬間だったのである。





こんなの食卓に出された日にゃ、そりゃ禁煙もできるでしょうよ (笑)。


この伝説の《バコご飯》、『高井』(利重剛)の気持ち悪さ、長山藍子の肝のすわった怖さ………これも何年経っても、忘れられないトラウマドラマである。


DVD化は、やはりされていないが、どこかで観る機会があるなら、もう一度観てみたいものだ。


錆び付いた記憶の欠片として、ここに記しておきたいと思う。

星☆☆☆。


※昔は、こんな長山藍子とか、独特な口調の人が、けっこういたよなぁ~。


そんな女優さんを、最近見かけなくなった今、ちと不満をもて余す、今日この頃なのである。