2024年2月15日木曜日

映画 「自由学校」

 1951年  日本。





中年サラリーマン『南村五百助(みなみむら いおすけ)』(佐分利信)は、家への道すがら、誰に聞かせる風でもなくポツリとつぶやいた。

「自由 …… 自由か …… 」


海が見渡せる砂浜、松林の奥に建てられた小ぢんまりとした平屋の一軒家が《南村家》。

少々ボロい感じに見えるけど、終戦後まもない頃の家としては充分に上等だ。


妻の『駒子』(高峰三枝子)は、朝も早くから足踏みミシン(若い人は知らんだろうな~)を動かしながら、せっせと洋服の仕立ての内職に勤(いそ)しんでる。

オマケに近所の子供たちに英語まで教えている駒子は、中々の才女だ。


頭が良くて、働き者。

気が効いてて、器量良しの妻。


そんな完璧な妻・駒子が、なぜ?こんな愚鈍そうな男・五百助(いおすけ)と結婚したのか??? …… 



忙しそうに働いている駒子の横で、五百助はパジャマ姿で寝転んで、いつまでもグータラしてる。

「あなた!いったい、いつまでグータラしてるの?!もう会社に行く時間でしょ!!」

何度目かの駒子の激に、ようやっと起き上がると、五百助はポツリと「会社は辞めたんだ …… 」と呟いた。


「なんですってーー?!💢」


聞き捨てならない、その言葉に駒子が詳しく問いただすと、五百助は一週間も前に働いている通信会社をとっくに辞めて、仕事に行くふりをして毎日彷徨い歩いていたのだという。

「自由 …… 自由が欲しいんだ …… 」


(ハァ〜?何を言ってるんだ?!この男は?!こっちは朝から晩まで懸命に働いて、五百助の少ないサラリーで、何とかやり繰りしているのに …… そんな人の苦労も知らないで …… )


最初は呆れて笑っていた駒子も、段々と頭に血が昇ってきて、いつしか、こんな言葉を叫んでいた。


出てけーー!この家から出てけぇーーー!!💢」(言われて当たり前だ)


駒子の剣幕に気圧されて、スゴスゴと出ていった夫の五百助。

(なぁ~に、すぐに私に詫びを入れて帰ってくるでしょうよ …… )と、高をくくっていた駒子。



だが、夫は帰って来なかったのだ。


行く宛もなくブラブラ街を彷徨っていた五百助は、バタ屋(道幅のゴミくずや金物を拾って生活する人)の『金次』(東野英治郎)に気に入られて、意気投合。


金次が住んでいる橋の下のバラック小屋で、一緒に生活しはじめる。(まるでホームレスだ)





一方、駒子の方は、さすがに一週間も戻ってこない夫の事で、伯父の『羽根田力』(三津田健)と妻『銀子』(田村秋子)のところへ相談に行くのだが ……




その昔、映画評論家・中野翠(みどり)さんのエッセイ本を読んでいると、戦前戦後に活躍したという、松竹の映画監督【渋谷実】を紹介していた。


その中では渋谷実監督の代表作として『自由学校』や『本日休診』なんて映画を取り上げていて、中野翠女史、自らのイラストなども交えたりして大絶賛していた。


『自由学校』…… 自由な校風の学校の話なのかしらん?


まぁ、観てみると《学校》なんてのは全然関係なくて、家を追い出された世間知らずの五百助と、亭主がいなくなった駒子の、いわば大人の《社会勉強》を《学校》に見立ててるって感じなのかも。



五百助が金次と一緒に気ままなルンペン暮らしを楽しんでいる頃、妻の駒子の方も

「そっちがその気なら、こっちも好き勝手させてもらうわ!」と、やや捨て鉢な行動に出る。



でも、世の中、そう上手くはいかない。


伯父夫婦の家で知り合った『辺見』という男に言い寄られて、中々良い感じになりそうなものの、肝心の辺見の方が、土壇場で腰砕けになってしまう。(『駒子』(高峰三枝子)の方は「寝たふりしてる間に襲ってくれ」ってな具合で堂々したものだけど)



(↑辺見がモーションに失敗する度、寝たふりしながら近くのスケッチブックに《✗マーク》をつけていく、この駒子の余裕よ(笑))


オマケに伯父夫婦の家で久しぶりに再会した『堀夫人』(杉村春子)の息子『隆文』(佐田啓二)に一目惚れされて、執拗に追いかけまわされる始末。(いくら男でも「歳下過ぎる!」と駒子の方は歯牙にもかけないのだが …… )


それにしても、この『隆文』って男は、始終ナヨナヨしていて 気持ち悪すぎる!(若くして亡くなった中井貴一のお父さん。絶世の美男子と言われて、当時は大人気だったらしいが)


「ねぇ~、オバサマ。ぼくオバサマの事、好きになっちゃったんですうぅ~♥」(ずっと、こんな調子だ)


自分には、ちゃんとした許嫁がいるのに、他の女性に目移りして追いかけまわすなんて、ある意味トンデモない野郎である。


そうして、その許嫁が、これまた変わり者の、当時としてはイケイケ・ガールな『藤村ユリ』(淡島千景)。(自分の事は外人風に『ユーリ』と呼んでくれなきゃ、「ヤ〜よ!」とかほざいている)



この、ユーリはユーリで、フィアンセが年上の駒子を追いかけまわしているのに嫉妬もせず、逆に恋の応援をしたりする??


「フフッ、私はオジサマ(五百助)の方にいってみようかしら?」なんて、終いには、本気かどうか分からない言いようである。(ある意味、お似合いのチャラいカップル)


本当に皆んなが皆んなで、《自由気まま》。


だが、そんな日々も、いつか終わりがやってくるもので ………



ある日、駒子は暴漢に襲われそうになった。(旦那がいなくなって一人になった駒子に暴漢も日頃から目をつけていたのだろう)


ナヨナヨした隆文がそばにいたものの、駒子一人を放り出して、「イヤァーー!助けてぇぇーー!」と自分だけスタコラ逃げていく。(コイツ、本当にダメだ(笑))


たまたま近所の『平さん』(笠智衆)が通りかかって暴漢をフルボッコ👊💥



なんとか駒子は助かったのだが、実は、この平さんも駒子にかねてから横恋慕♥していたのだ。


駒子に突然告白するも(タイプじゃないのか?)断固  拒絶 されて、南村家で破壊活動、カッとして大暴れする!(あの!温厚そうな優しいおじいさんのイメージしかなかった笠智衆が …… ある意味、コイツが一番ヤバいかも)


命からがら近所の家に逃げおおせた駒子は、自分の家がメチャクチャに荒らされて、ガラス窓が割れる音に耳を塞ぎながら、「もう、男なんてコリゴリだ!」と思うのだった。



一方の五百助も散々で、金次の掘っ立て小屋の側に住んでいる怪しい男に上手くのせられて、あれよあれよのうちに妙な《思想家》の代表に祀り上げられてしまう。


オマケに、密売の立ち会い人にまで駆り出されてしまい、そこを張り込んでいた警察たちに一斉御用。

逮捕されて、留置所送りになってしまうのだ。


五百助の逮捕の知らせは、当然、妻・駒子の元へ。


伯父の羽根田は警察関係に古い知り合いがいて、羽根田と駒子の監視の元、【二度と《放浪生活》をさせない!】を条件に、五百助は駒子に連れられて、なんとか釈放されたのである。


自宅に帰ってきて、勝ち誇った顔の駒子。


「いいわね?分かったわね?!これだけ迷惑をかけたんですもの。これからは私には絶対服従よ!!」(ヤナ女だなぁ~)


そんな駒子に背を向けて、しょんぼりしながらも、またもや出ていこうとする五百助。


「僕には橋の下の生活がお似合いなんだ」

それを慌てて引き止めて、五百助に強烈ビンタかました駒子は、すかさず五百助にすがりついて、途端に泣きじゃくる。


待って!負けたわ!出て行かないで!お願い、家に居てーー!家に居てちょうだい!!



まるで見た事もない妻の一面に((⁠´⁠⊙⁠ω⁠⊙⁠`⁠)⁠!)呆気にとられて驚く五百助。(急に180°反転し、可愛く思えてきた高峰三枝子さんに、私自身もビックリ)


駒子の涙ながらの叫びは五百助にも届いたのか …… こうして二人は元の鞘へと落ち着いたのである。(まぁ、駒子の方も夫がいない間、色々なタイプの男を見てきて、良い勉強になったんでしょうね)


めでたしめでたし。(あっ、そうそう、隆文とユーリもよりを戻したそうな)



それにしても、戦後間もない、この頃に《自由》を求めた主題の、こんな映画が出来たのも分かる気がする。

戦時中、人々は散々《不自由》な暮らしを強いられてきたんですもん。


暮らしは、まだまだ貧しくても自由を謳歌したいよね~。


ただ!

そんな《自由》も、多少の《モラル》があってこそ。

笑いを挟みながらも、この映画は風刺を上手く取り入れて、説教くさくなく描かれていると思う。


初めて観た渋谷実監督の日本映画『自由学校』は、中々どうして、かなりの傑作だと思った。(後年を、かろうじて知っている東野英治郎笠智衆淡島千景などは、かなり真逆のイメージ配役である)


渋谷実監督、侮るべからず。


いつかディスク化される事を祈りつつ、星☆☆☆☆としておきまする。(面白かったんで、ついつい最後まで語り過ぎたわい)


オススメしとく。



2023年12月19日火曜日

創作 「映画 キャリー(1976)」のその後を勝手に想像しちゃおう!その名も【キャリー 怒りの逆襲】

 




キャリー・ホワイト』は、生きていた!


馬鹿にしていたクラスメートたちを超能力で血祭りにして、校舎ごと燃やしてしまったキャリー。


帰宅後、狂信的な毒親マーガレットに背中を刺されて、瀕死の状態だったものの、マーガレットを《磔の刑》で倒した後、渾身のテレキネシス能力で自身の傷の出血をふさいで、からくも生き延びていたのだった。



だが、もうアメリカには住めない。


(超能力を開放させて、あれだけの人々を業火で焼き殺してしまったんですもんね …… )←(事が終わってしまえば、やや冷静さを取り戻すキャリー)


しばらく隠遁生活を送っていたキャリーだが、ある朗報が舞い込んでくる。


日本で【きゃりー・ぱみゅぱみゅ】なるタレントが人気らしいのだ。

(私も日本に行けば優しくしてもらえるかも …… だって同じ【キャリー】って名前だし)


日本語を一生懸命習得し、日本に渡ったキャリーは、こうして第2の人生を歩みだした。


そうして時は過ぎて、日本では元号も変わった頃 ……

キャリーは、ある日本の政治団体のパーティーに呼ばれるまでになっていたのだった。(←どんな職業についたのか …… そこは御想像にお任せしとく)


元来お人好しなキャリーは、高額な数万円もするパーティー券を無理矢理買わされた。


大勢が集まる会場に来てみると、偉ぶっている政治家ばかり。

テーブルに並べられているのは、人数分にも足りないお粗末な料理と、その品数。


ガッカリするキャリー。


(何にも食うような料理ないやんけ!)

それもそのはず、このパーティー券は、派閥からの指示で、多くの政治家たちが大量に売りさばき、料理代などケチって浮かせては、多くの売り上げを派閥に譲渡する。


収支報告書には、なるべく少ない金額で明記したり、しなかったり。


そうして、その見返りとして、貢献してくれた政治家たちへキックバック。

自分たちの懐を潤すような裏金作りの温床になっていたのだった!


「許せないわ …… 」(腹も減ってるのに(笑))


キャリーの怒りに再び火がついた!


こうして、自党をはじめ、悪徳政治家たちのパーティー会場は、次々と業火の炎🔥🔥🔥で火の海となってゆき ……




年末に書いてみた、アホのような創作話。


だが、現在、怒りまくりの日本国民は、こんな話でも、喜び、賛同してくれるんじゃないだろうか。(だって、今や内閣支持率が1割くらいだし)


それにしても、次から次に、よくも、まぁ出てくるわ!

この年末になっても、胸くそ悪い《自党問題》が。


不倫や脱税から始まって、副大臣たち3人が辞任。


各派閥、パーティー券の【裏金問題】。(現在、地検が捜査中)


オマケに《政治団体への寄付ならば、非課税(税金かからない)の対象になる!》を逆手にとっての、政治家たちの親や子ども、配偶者などへの億単位の金の流れ。(特に、政治家でもない安倍恵さんを、自党支部の代表に据え置いての、【2億円以上】の寄付献金は酷すぎる。しかも非課税で。)←コレもいずれ地検に捜査してほしいわ。


最近では、企業のお偉方や医会などが、

「法人税を上げてもらわない代わりに、寄付という名の《ワイロ》を送っていた!」なんて証拠も出てきたとか …… (それでいて「近々消費税を上げるつもりだ」なんて、どの口が言うのか?)


こういうのを国会で野党が追求しても、

「ワタクシからはお答えできません。ただいま派閥の方で精査中でございまして …… 」の逃げの一手ばかり。(下を向いて原稿を読み上げるだけの、M野氏は特に酷かった)


《増税クソメネ》なんて渾名までつけられた、K田氏に至っては、

「あ〜、うう~、これからはワタクシが《火の玉》となって、自党の信頼回復に務めて …… 」

なんていう、もはや訳の分からない会見までしてる。(←当然ネット民からは「【火だるま】やんけ!」っていう的確なツッコミも)



それにしても、この人の目 ……



どこの異世界に住んでいて、何を見つめているのやら。

日本中のバッシングも、この御方には、まるで自分への励ましや、叱咤激励に聴こえているようだ。(だからこそ、こんな状況でも【どこ吹く風】でいられるのかも。相当にヤバい奴!)



もう、お分かりになると思うが、最近のこんな現状が、とうとう、私にこんなアホな話を書かせてしまったのである。



とにかく、

今年の《膿(うみ)》は今年の内に出し切る!

そうして、それに関わった者たちは全員逮捕。


晴れやかな気持ちで新年を迎えたいものである。


あ、その前にクリスマスがあるか。


メリー・クリスマス&ファイヤァーー🔥と叫んでおいて、この文章を締めくくっておく。(自分でもナンノコッチャ訳わからんけど(笑))


おしまい。



2023年12月10日日曜日

映画 「クジョー」

 1983年  アメリカ。





少し前、新型コロナが世界中で大流行した時、「コロナの発信源は、いったいどこなんだ?!」で、皆が血眼になって騒ぎだしたのを、誰もが覚えていると思う。


そうして浮かび上がってきたのが中国は《武漢》という都市。

この地域で普通に食されている「《コウモリ🦇》が原因なんじゃないのか!」というニュースが、瞬く間に世界中を駆け巡ったのだ。


…… あんまり驚かなかった。


昔から、広い中国では普通のように野生動物が食(しょく)されていたのは有名な話。

その辺りにいる犬だって、猫だって、鳩だって、彼らにとっては立派な食料源。(それ故、野良猫や野良犬も、一切見かけないとまで言われているが)


それでも、どんな病原菌を抱えているか分からない、あの《コウモリ》まで、やっぱり食べたり、スープにして飲んでいたとは …… (恐るべしである)



そうして、メディアでこの話が流れた時、この映画を途端に思い出した。

スティーブン・キング原作の映画『クジョー』を。



森の中で野生のウサギを追いかけて遊んでいた大型セントバーナード犬『クジョー』は、

【 コウモリ 】に鼻を噛まれてしまう。



クジョーは途端に【 狂犬病 】になってしまうのだ!


こんな大型犬が、狂犬病になってしまえば、その後は《地獄絵図》の始まり、始まりである。


完全に気がおかしくなったクジョーは、手始めに、車の整備工場をしている自分の飼い主・『ジョー』(エド・ローター)を咬み殺す。


毎度お馴染み、色々な映画に登場するエド・ローターさん。この人、映画の中で何回死んでるねん?(笑))


たまたま山奥の整備工場に来ていた母子・ドナとタッドは、クジョーに襲われそうになるも、すんでのところで動かない車の中に避難する。


そんな車に、血だらけになりながらも顔面から何度も体当たりを繰り返すクジョー。



車も動かせない、誰にも助けも呼べない(まぁ、携帯やスマホも無かった時代なんで)、表に出ていく事も許されない。


獰猛になったクジョーは、車の周りを常にうろついていて、隙あらば咬み殺そうと待ち構えているのだ。


完全に外界から遮断された母子は、暑い車の中で、何日も耐え忍ぶことになる。


一方、妻や息子と連絡がとれなくなった夫は保安官に連絡して、一応、保安官が探しに来てくれるものの、クジョーに簡単に駆除(くじょ)された。(駄洒落か?(笑))


そのうち幼い息子タッドが脱水症状をおこして、もはや危険な状態。


母親ドナは意を決して、獰猛なクジョーと対決しようと、車から出ていくのだが ……




確か、こんなお話だったはず。(記憶を探り探り書いてるので、あまり自信がないが)


ある日、横綱級にドデカい犬が牙をむき出しにして襲いかかってくる。


単純といえば単純な話だが、こんなワン・アイデアだけで小説に仕上げてしまうスティーブン・キングには、本当に頭が下がる。(コウモリというものが、どれだけ危険な毒性をはらんでいるのか …… 今にして思えば先見の妙があったのかも)


元来、犬が苦手な自分には、生理的な恐怖だけで戦慄がはしり、この映画はかなり印象深く残っているのだ。


たまに、自分の近所でも、熊のようなサイズの大型犬を散歩させてる飼い主を見かけるが、私は、映画『クジョー』を思い出して、それらとは、かなり広い距離をおくことにしている。


飼い主からしたら、

「可愛いし、何が怖いんだ?」って気持ちだろうが、言葉が全く通じないような野生動物を飼う事の恐怖や、周囲を傷つけてしまうような危険性を、彼らはそこまで想像していない気がする。


「飼っていれば自然と動物の気持ちが分かるようになってくる」なんて言う人もいるが、本当のところ、どうなんだろう。(なんせ動物を飼ったことがないので)


人間側の勝手な思い込みなんじゃないのだろうか?


今まで懐いていた動物も、ある日、何かの影響で、気持ちがガラリと変わるかもしれませんよ。

こんな『クジョー』のようにね。



そうして、《アチラさん》では、こんな風になった犬でも、やっぱり食べちゃうのかしら?



今回、この文章はだいぶ敵をつくったかも。


人間も怖ければ、野生動物も怖い。

世の中、怖いモノで一杯である。(星☆☆☆)



※(オマケ)今回、この『クジョー』の事を書こうとして、たまたま、この画像に出くわした。


それがコレ




ガァァーーーーン!!


何これ?

ダメじゃん!(昔、感じた、あの恐怖をど~してくれるのぉーー?!)


ホラー映画のメイキングほど、一気にシラケさせるものはない。

一応、《苦情(クジョー)》を入れとく。(最後まで駄洒落かよ!(笑))

2023年12月9日土曜日

映画 「ファミリー・プロット」

 1976年  アメリカ。





ある夜、霊媒師・『ブランチ』(バーバラ・ハリス)は、恋人でタクシー運転手・『ジョージ』(ブルース・ダーン)の情報を元に、孤独で金持ちなレインバート婦人相手にインチキな霊媒していた。


完全にブランチを信用した老婦人は、水を得た魚のように、今の悩みを打ち明けはじめる。


「実は《甥っ子》を探してほしいのよ! 死んだ妹が昔、私生児として産んだ子よ。」


大昔、名家レインバート家では私生児など《一族の恥》。

子供は早々に養子にだされ、生きていれば、もう中年男の姿なのだという。


老い先短い自分に残された身内といえば、考えても、もう、あの《甥っ子》しかいない。

その甥を見つけて自分の財産を相続してもらいたい!というのが、目下、婦人の願いなのだ。


「それに見つけてくれたら、お礼として報奨金 一万ドル を払うわ!」の話が飛び出すと、たちまちブランチの瞳が輝いた✨。



この話を家に持ち帰ると、恋人のジョージもウハウハ♥。

タクシーの仕事そっちのけで、【素人探偵ヨロシク!】、《甥っ子探し》に乗り出してゆく ……



でも、良い《甥っ子》なら、いいけど、世の中そんなに上手くいくのかな~?



コイツが二人が探すことになった肝心の《甥っ子》、エドワード・シューブリッジ=またの名を『アーサー・アダムソン』(ウイリアム・ディヴェイン)である。(思いっきり歯をむき出しにして、まぁ〜、ひと目見ても悪そうな顔)


自身が17歳の時に養父母は、とっくに火事🔥で亡くなっていた。(コイツが殺したんじゃないのか?)


そうして、しばらくすると、エドワードは『アーサー・アダムソン』を名乗りはじめ、宝石商を営みはじめる。(ご丁寧に養父母の墓の隣に、自分の嘘の墓まで建てる念の入れよう)


だが、元々が悪党のエドワードに真っ当な暮らしは無理!


情婦の『フラン』(カレン・ブラック)と組んで司祭を誘拐。

身代金代わりに高価な宝石を要求するという、トンデモない《裏稼業》を生業(なりわい)にしていたのだった。




そうとは知らないブランチとジョージは、

「《甥っ子》を見つけ出せば本人も得するし、自分たちだって報奨金の一万ドルが手に入る!」と、完全に一挙両得、親切家気取りの気持ちである。


そうして、とうとうジョージは『エドワード・シューブリッジ』の名前と墓地を探し出した。



(亡くなっていたのか …… これで一万ドルも水の泡。パァーか …… )と落胆しかけたジョージだが、ある異変に気付く。


(いや!待てよ!この墓はシューブリッジ夫妻の墓に比べて …… )


同じ1950年に建てられたにしては、エドワードの方の墓は、やけに 新しい のだ!


疑念を抱いたジョージは、エドワードの死亡保証人が、雑貨屋を営んでいる『マロニー』(エド・ローター)という男になっていることを突き止めると、即座に訪ねていくのだが ………





アルフレッド・ヒッチコック監督、最後の映画。(後、1980年没になる)

そうしてヒッチコック映画には珍しく美男美女は全く登場しない!(特にカレン・ブラックの起用には「???」)



だが、この映画の構成は中々良い。


2組のカップルの思惑や行動を交互に描きながらも、それが交差する時、どんな反応を引き起こすのか?


一種の《科学的反応》な面白さがあるのだ。



その間にはさまれて、『マロニー』(エド・ローター)の姿がチラホラ。

右往左往している。(私がこれまで取り上げてきた映画に、(なぜか?)不定期に登場する、謎の【禿げたオッサン】(笑))


「アイツらをぶっ殺してやる!」


いちいちアダムソンの前で、ナイフを取り出しては凄んでみせるマロニー。

実は、このマロニーもアダムソンと一緒に、養父母を火事🔥に見せかけて殺した共犯者なのでした。(やっぱり!保険金目当てか?)


叩けば、いくらでも埃が出てくる悪党たちには、もはや、人の善意なんてのは全て真逆の悪意に見えてしまうのだ。

突然現れた、ジョージとブランチに、危機感さえ覚える悪党たち。


「エドワードの情報を教えてやる!」

わざわざ山奥の喫茶店にブランチとジョージを誘い出したマロニー。


二人が喫茶店で待ってる間に、チョイチョイと車に小細工する。(全く、あの飛び出しナイフは何だったのか?妙に小者感丸出しのマロニーさん)


そうして、待てど暮らせどやって来ないマロニーにシビレをきらせて、二人が車に乗り込むと ……


ゲゲッ!この車、ブレーキが効かないぞ!(お決まりといえば、お決まりの展開が待っていたのだった)




ここで、ヒッチ先生のいつもの悪い癖が出て ……


このシーンは《大失敗》する。


全くハラハラしないのだ。


なぜなら、このジョージが運転するシーンが素人から見ても、ヘタクソな合成ってのが、丸わかり過ぎるから!】 なのである。


ヒッチコック映画は、今まで、いつもスタジオ内に豪華なセットを組んで撮影してきた。

ヒッチコックが《アウトドア嫌い》の《インドア派》なのは有名な話である。


そんな《インドア派》のヒッチコックが撮る《車で走っているシーン》は、昔ながらの古いやり方である。


スタジオ内、停めた車に男女を乗せて、撮影カメラは常に男女の様子が分かるよう、真正面に固定。

車の後部座席に映り込む背景には、大きなスクリーンに別撮りしていた景色を映写してみせる。


これならスタジオ内でも車を走らせてるようなシーンが撮影できるし、これはサイレント時代から続いている古い手法の一つなのである。



モノクロ映画やテクニカラーの時代は、その手法でも良かったかもしれない。(他の監督たちだって、皆んなこぞってやっていたし)


だが、70年代にもなれば、撮影方法も変わり、初めからカラー・フィルムで撮影出来るようになってくる。


迫力あるカー・チェイスなんてのは、1968年に公開されたスティーブ・マックイーンの『ブリット』を観客たちは、既に観てしまっているのだ。


『007シリーズ』でも、ショーン・コネリー時代は、その手法を取り入れていても、ロジャー・ムーア時代には、たとえ《合成》でも走らせる車のアングルを変えてみたり、色合いや照明で、なるべく違和感がないような工夫がほどこされている。


だが、この【フィルム撮影】では、もうダメなのだ。


完全に(あら)》が見えすぎてしまっている。(車の中で必死に運転する『ジョージ』(ブルース・ダーン)のネクタイを引っ張りながら、叫んだり暴れたりする『ブランチ』(バーバラ・ハリス)が、まるっきりの馬鹿女に見えた)


だって観客には1976年時点でも、「コレ合成でしょ!」ってなのが、バレバレなんですもん。


(↑これはさすがに野外撮影である)



この後、なんとか無事に脱出したジョージとブランチを、今度は轢き殺そうとやってくるマロニーの車は、自損事故で谷底へ真っ逆さま。


大炎上してアホな最期をとげる。(やっぱり死んでしまうエド・ローター(笑))



それにしても、何でこんなシーンを、わざわざ取り入れたのだろう、ヒッチコックは?!


「俺は昔からこんなシーンが得意なんだぞ!」と思ってたのなら、もはや勘違い。

時代の流れに取り残されてしまっている。


70年代は、《生のアクション》こそ、重宝された時代だったのだ。(コンピューターやCGなんてのは、これより、まだまだ、ずっと先の話である)


このシーンが映し出された時、(まだ、こんな古いやり方をやってるのか …… ヒッチコックも …… )と、ガッカリした思い出がある。


ヒッチコックも柄じゃないカー・アクションなんてのに、この時、手を出すべきじゃなかったのだ。


つくづく残念なシーンである。



……… と、ここまで思うのも、この映画『ファミリー・プロット』はクライマックスに向けて、ここから俄然良くなっていくからなのだ。


ジョージの留守中、ブランチは、あの悪党アダムソンとフランの家に、単身乗り込んでいく!


ハラハラ、ドキドキの対決。

そうしてギリギリのところでの勝利。


最後には今までの伏線がキチンと回収されてゆく。


《なぜ?ブランチが霊媒師だったのか?》《盗んだ宝石をどこに隠しているのか?》が長々とした説明ではなく、ちゃんと絵面だけで納得させてくれるのだから、この点は流石の一言である。


(あのカーチェイスでの馬鹿女っぷりは何だったの?)と思うくらい、ブランチの株は、ここで一気に上昇して終わるのだ。


当時の批評家たちも自分と同じ考えだったと思う。


一口に《駄作》とも切り捨てられないし《傑作》とも言えない。

皆が平均点を与えている。


私の評価も星☆☆☆。

オバチャン顔のバーバラ・ハリスのウインク😉に根負けして、70点くらいで終わりにしたいと思う。


※それにしても、この映画で初めて知ったエド・ローターを、その後、何度も他の映画で見かけることになろうとは ……


この【禿げたオッサン】には、何やら因縁めいたものを感じる今日この頃なのである(笑)。