2020年9月3日木曜日

映画 「ダーティハリー」②

《①の続き》





無関係の人を無差別に殺してまわって、平気そうに笑っている犯人。

こんなのがニュースで流れてきた日には、「許せん!」と思うのが人の常。




そして、そんな輩が裁判で死刑にもならずに、数年の服役になろうものなら、「何でこんなのが軽い刑なのか?!さっさと死刑にすればいいのに!!」と普通の人なら、必ずそう思うはず。



毎度、司法の甘さにウンザリして、他人事ながら、流れてくるニュースに怒りを抑えられない人もいるのでは?



大多数の人が、自分を含めてそう思っている事と思う。


こんなのは、今も昔も変わらない。




そんな時に、脳裏をよぎるのが、この『ダーティハリー』の犯人役『スコルピオ』。



残忍で、卑劣で、極悪なのをひと塊にしたようなのが、この『スコルピオ』なのだ。




『スコルピオ』を観る時、同情なんてひと欠片も持たないだろうし、これこそ生粋の《悪》。


そのくらいハリーのキャラクターと同等に『スコルピオ』の存在は、強烈なインパクトで世界中に認識されてしまったのだ。





無関係の人を狙撃して殺戮を繰り返すスコルピオ。

無能な市相手に金も要求したりする。




ハリーが何とか逮捕するも、警告や令状もなかったとして釈放、放免。(何でやねん!)




今度は、そんなハリーへの恨みから、ハリーをおとしめる為に、モグリの医者に頼みこんで、

「頼む!俺をボッコボコにしてくれ!!」と自分の顔面が変形するまで殴らせる。(ゾゾッ~)



そして、「ハリー・キャラハン刑事に暴行されたんだ!」と嘘の訴えまでするのだ。





普通そこまでするか?!



加害者をあくまでも守ろうとする法律……それを徹底的に利用して「フフフッ」とほくそ笑む『スコルピオ』。


そんな『スコルピオ』に観客たちは、血の気がひき、恐怖した。





それでも懲りない『スコルピオ』は、今度はスクールバス・ジャックをして、子供を人質にとる。(よ~やるよ。少しはおとなしくできないのかね)




だが、間一髪、そこをハリーにおさえられる。



最後は、見事ハリーの怒りの銃口が火をふいて、THE END。


映画は幕となるのである…………。








こんな形で大成功した『ダーティハリー』。


①でも書いたが、クリント・イーストウッドは飛躍をとげて、監督のドン・シーゲルもチャンスをつかむ。





だが、一人……その成功とは真逆に、ドン底に叩き込まれた人物がいた。



そう………『スコルピオ』を演じたアンドリュー・ロビンソンである。




「さっさと死んじまえぇー!この殺人鬼!!」

映画が公開されるや否や、自宅にはこんな電話がひっきりなしに、かかってきはじめた。




外に出れば、皆が隠れて妙な目で見ながら、コソコソ話。



オーディションにいけば、「スイマセン、今回は残念ながら……」と追い返される。(もう、散々である)




もちろん、役は役。

アンドリュー・ロビンソンは、まともな人間で、決して極悪人ではないのに、もはや映画の中だけの人物とは見られないほど、普通の人たちの理性をかき乱し、狂わせてしまったのだ。



そのくらい『スコルピオ』の役は、身近な恐怖の存在として成り立ってしまったのである。





これを「役者冥利につきる」なんて、考えに至るまでには、相当な歳月がかかったはずだ。(お気の毒なロビンソン)





なんだか、映画のヒットも良いことばかりではなさそうである。



それだけ、この映画が、強い印象をあたえたという証拠でもあるんだけどね。





スコルピオの影が濃ければ濃いほど、ハリーの活躍は、やはりカッコいいし、胸がすく気持ちになる。


こんな映画は滅多にお目にかかれないし、今後も映画史に刻まれるヒーロー、悪役として残っていくはず。





これは文句なしに星☆☆☆☆☆といえるんじゃないかな。


長々と書いた『ダーティハリー』談でございました。(やっぱり、なんだかんだ言っても俳優イーストウッドが好きなのかもね、ワタクシ(笑))

映画 「ダーティハリー 」①

1971年 アメリカ。





誰もやりたがらない汚れ仕事を押し付けられる……つけられたあだ名、それが、『ダーティハリー』だ。


スミス&ウェッソンM29(でっかくて重い銃)片手に、容赦なく悪を撃つ。

その破壊力は凄まじく、当たれば、一発で、どんな強敵でも仕留められるほど。




こんなインパクトで、もう何十年経っても、クリント・イーストウッドといえば、『ダーティハリー』が代表作だというのは、もはや万人が知るところである。


だが、最初から、事はすんなり決まっていたわけではない。




フランク・シナトラに断られ、ジョン・ウェインだの、スティーヴ・マックイーンだのに嫌がられる。


そして、今度は、巡りめぐってポール・ニューマンに依頼が回ってくる。



当然、ポール・ニューマンも断るのだが、ニューマンは、「クリント・イーストウッドはどうかな?」と逆にワーナーに推薦してきたのだ。(やっとここで)




そして、やっと、やっと、クリント・イーストウッドに話が持ちかけられてくる。(そのくらい俳優の中でも、まだまだイーストウッドのランク付けは下の方だったのだ)




だが、簡単にここで「O.K!」を出さなかったイーストウッド。


「引き受けてもいいが………ひとつ条件がある………」


その条件とは………

「監督をドン・シーゲルにしてくれるなら、引き受けてもいい!」(このあたり、世話になったドン・シーゲルに仁義を通すところなど、イーストウッドも、うん!感心する)




かくして、異例ともいうべき措置がとられ、ドン・シーゲルは監督に抜擢された。


《クリント・イーストウッドとドン・シーゲル監督》



なんせ、ドン・シーゲルは、ユニバーサルと契約していたので、この映画の為だけに、ワーナーに貸し出すという異例な措置なのだ。



こんな条件が通ったのも、ワーナー側としても、

「こんなに誰からも嫌われる役、早く映画にして、とっとと終わらせてしまいたい!」

なんて思惑が、あったからこそだろう。(ここに至るまでに散々断られてるしね)




『ダーティハリー』が人がやりたがらない汚れ仕事を押し付けられるなら、クリント・イーストウッドとドン・シーゲルも同じで、誰もやりたがらない映画を押し付けられた感じ。


このあたり、現実と映画がリンクしてるように思えて、面白い気がする。




こんな感じで、最初から全く期待されていなかった『ダーティハリー』。



だが、そんなものは見事に裏切られる。




公開されるや否や、映画は大、大、大ヒット!したのである。


ワーナー側は、驚いて(ビックリ!)大歓喜!!

イーストウッドは、一夜にして瞬く間にA級俳優に。

そして、ドン・シーゲルも監督としての株は一気に上昇したのだった。




なんせ、監督のドン・シーゲル、どんな風に撮ればイーストウッドが、カッコよく引き立つか、全て知り尽くしているお方なのだから。





冒頭の、本筋にはまるで関係ない、銀行強盗の襲撃シーンから、この映画は、カッコよさ満点である。



銀行強盗をした犯人たちが、待機させていた車に乗ってトンズラしようとする時、そこへ偶然居合わせた、『ハリー・キャラハン刑事』(クリント・イーストウッド)。


颯爽と抜いたスミス&ウェッソンM29からは、何発ものマグナム弾が発射される。



車は横転し、命からがら這い出てきた犯人に銃口を突きつけながら、ハリーが言う台詞が、またカッコいい。




「考えてるな?俺がもう6発撃ったか、まだ5発か………。


実を言うと、こちらもつい夢中になって忘れちまったんだ。




でもコイツは《マグナム44》っていって、世界一強力な拳銃なんだ。

お前さんの ドタマなんて一発で吹っ飛ぶぜ。




楽にあの世まで行けるんだ。運が良ければな。


...さあ、どうする?






こんな脅し文句を聞いて、犯人がピクリとも動けるわけがない。


案の定、犯人はハリーに屈伏してお縄となるのである。





この本筋に関係ないシーン、必要か?と疑問に思う人もいるだろうが、これはヤッパリ必要なシーン。




これは主人公『ハリー・キャラハン』という男がどんな人物なのかを、我々観客に教えてくれている、親切丁寧な《自己紹介》シーンなのだ。


このシーンで、我々は、《主人公がこの男であり、刑事で、強力な銃を武器に持っている》のを知る事になる。


性格は、やや無鉄砲、そして向こう見ず。

でも、目の前の犯罪は、決して見過ごせない正義感に溢れている。

そして、犯人には屈伏せず威圧的な駆け引きも出来る………そんな情報を、このシーンだけで、全て知る事ができるのだ。




こんなインパクトのある、そしてカッコいい《自己紹介》も、そうそうあるまい。



野暮な監督なら、あっさり主人公に名乗らせて、さっさと本編にいくところを、名匠ドン・シーゲルは、このあたりをじっくりと描いている。



イーストウッドが慕い尊敬するのも分かる気がする。




こんな『ハリー』の紹介が終わったら、もはや掴みはO.K!



観客たちは、ハリーの気持ちになって、本編『スコルピオ(さそり)』との対決に心躍らせていくのだが………。



今回はここまで。

長くなりそうなので、②へ続くとする。(ここまでで充分長いんだけどね(笑))

2020年9月2日水曜日

映画 「華やかな魔女たち」

1967年 イタリア。





全5話のオムニバス映画。


ごく最近、ここに取り上げた『にがい米』のシルヴァーナ・マンガーノ様が全ての話で主演なされているという。



………なされているという、なんて書き方、変に思うだろう。




そう、私、この映画、全く観たことないです。(だってビデオにもDVDにもBlu-rayにもなってないんですもん、今だに)



でも、「何となく観たいなぁ~」と思って、とりあえずは、ここに挙げてみた次第。(なぜか? ここに書いてみて願いが叶ったモノもあるので)




そして、色々調べてみると、この映画、何気に有名どころの監督を集めている。



第1話『疲れきった魔女』監督ルキノ・ヴィスコンティ(『ベニスに死す』など超有名)


第2話『市民気質』 監督マウロ・ボロニーニ


第3話『月から見た地球』 監督ピエル・パオロ・パゾリーニ(『ソドムの市』)


第4話『シシリア娘』 監督フランコ・ロッシ


第5話『またもやいつもの通りの夜』 監督ヴィットリオ・デ・シーカ(『ひまわり』など超有名)




2話と4話の監督は全く知らないが、後の3人はいずれも、イタリア映画界を牽引した巨匠たちばかりで、無知な自分でも知ってるほどである。




そして、この第5話には、なんと!先程書いたばかりの『クリント・イーストウッド』が出演しているのである。



当時、アメリカでは、まだまだ芽が出なくて、イタリアに渡り『夕陽のガンマン』などで頑張っていた頃のイーストウッド。(「俺はこんなにカッコイイのに何故だぁぁ~?!」なんて悔しい想いが、後に大爆発するのだが……)




しかも、イーストウッドの役が、上司にペコペコする眼鏡をかけたサラリーマン役。



家に帰れば、クッタクタに疲れて眠ってばかりのイーストウッド。

そんな夫に、妻のシルヴァーナ・マンガーノが欲求不満でイライラするってお話らしい。(コメディー?)




なんか、後のイーストウッドのイメージとは、真逆な感じで面白そうなのである。


それにしても、セクシー・ダイナマイトの代表格、シルヴァーナ様を妻にしながらも、寝てばかりなんて許せん!イーストウッド(笑)。


今回は観ていないので、評価はご勘弁を。

いつか、ディスク化される事を願って。

映画 「恐怖のメロディ」

1971年 アメリカ。






「《ミスティ》をかけてちょうだい……」


ラジオの人気DJ『デイブ』(クリント・イーストウッド)の元に、またもやかかくってくる電話。


何度も、何度も、飽きもせずに同じ曲のリクエスト。


だが、デイブは嫌がりもせずにかけてやった。(朝まで5時間の生番組、時間はたっぷりあるしね)




仕事が終わって馴染みのbarにくると、マスター(何と!ドン・シーゲル監督が友情出演)が、気持ちよくむかえてくれた。



離れたところに、ちょこんと座っている女が一人。

「へ~、なかなか美人じゃないか」

「ありゃ、ダメだね。誰が声をかけても空振りさ」


どうにか『イブリン』(ジェシカ・ウォルター)の気を引こうとするデイブ。


だが、意外にも、イブリンはあっさりデイブの誘いにのってきた。




家まで送っていくと、その場のノリでベッドインした二人。


イブリンこそが、デイブのラジオに『ミスティ』をリクエストしている本人だったのだ。


(偶然か?……まぁ、お互い大人なんだし、一夜限りの後腐れない関係だと割りきって………)


こんなデイブの想いとは逆に、イブリンは火がついたように次の日もやって来た。



何とか、夜イブリンを送り出すデイブだが、二人の話し声に近所のオッサンが、「うるさいぞ!」と文句を言うと、イブリンの顔つきが途端に豹変。



車のクラクションを鳴らして、激しい口調で、
「くたばっちまえ!!」の悪態で罵りはじめた。


デイブは呆気に取られる。

だが、こんなのはまだ、まだ序の口。


すっかりデイブにのぼせたイブリンの暴走は、次の日から、どんどん過熱していくのだった…………。





まだ、《ストーカー》なんて言葉すらなかった時代。



クリント・イーストウッドが監督として最初に選んだのが、この『恐怖のメロディ』だった。


原題は、そのまんま、《 Play Misty for Me 》(『ミスティ』をかけて)だ。



中々、この曲良いので、この爆裂ストーカー女『イブリン』も、音楽の趣味だけは良いっところかな。



どんどんヒート・アップして刃物を振り回す『イブリン』(ジェシカ・ウォルター)も怖いことは怖いが、…………私、この映画をたまに観かえす度に、若き日のイーストウッドの気持ちに心をはせてしまう。




前にも書いたが、イーストウッドは究極のナルシスト。


もちろんカッコイイんだけど……他人が思う以上に、こんな人たちは自己評価の方が格段に高いのだ。(まぁ、俳優って職業は大概、そうだろうと思うけど。)



こんなイーストウッドの性格なので、とうとう「監督をやりたい!」と言い出しても、旧知の友ドン・シーゲルは格別驚きはしなかったと思う。


(やっぱり、そうきたか……)なんて思いながら、「よし!監督登録しようじゃないか!俺も協力しよう!」と男気溢れるドン・シーゲルは1つ返事。



本当にイーストウッドが、息子のように、可愛くて可愛くてしょうがなかったのだ。

そして、イーストウッドも、自分を理解してくれているドン・シーゲルを実の父親のように慕い続ける。




そして、選んだ監督一作目『恐怖のメロディ』。




「よし!みんな、この俺のカッコよさを存分に見てくれ!!」とばかりに、監督ばかりか、主演にまで乗り出したイーストウッド。



もう、冒頭からノリノリである。



海辺の別荘にダンディーに佇む『デイブ』(クリント・イーストウッド)の姿。

オープンカーで、風にふかれながら、海辺の道を疾走する『デイブ』。



そんな姿を撮しながら、(なぁ、俺ってカッコイイだろう?)なんていう、イーストウッドの心の声が聴こえてきそうである。




極悪ストーカー女『イブリン』(ジェシカ・ウォルター)は、登場する度に背筋が寒くなる。





それと対比的に、昔の彼女『トビー』(ドナ・ミルズ)は、優しくて思いやりに溢れている。


やがて、再会したデイブは、イブリンの嫉妬をあおりながらも、トビーとイチャイチャ。(何気に、このドナ・ミルズって女優さん、後に知り合うソンドラ・ロックに似ている気もするが………イーストウッドの好きなタイプなのかな?)




「よし!こうなったら、デイブとトビーが愛しあうシーンが必要だ!」



森で、崖下の滝が流れる水辺で、はじまっちゃう、二人のシーン。



周りからは、「こんなの本当に必要か?」と言われたらしいが、「構うもんか!」と、あくまでも強気のイーストウッド。




こんなモテモテの役、それを自分が出演して、監督して、撮影したフィルムに目をとおしながら編集にも立ちあうのでしょ。


ちょっとドン引き過ぎるくらいナルシストだと思いません?(笑)




それでも、この『恐怖のメロディ』は低予算ながら、高収益を叩きだし、監督イーストウッドとしては、幸先のいいスタートとなる。



イーストウッドも、他人の自分から見ても、もちろんカッコイイと思うんだけど、この人の場合、それがあまりにもあからさまなアピールとしてみえるというか………。




ゆえに、イーストウッドの監督と主演を兼任する映画を……なんか、いつも、ちょっと斜めに観てしまう自分。(主演だけなら、特に気にもならないんだけどね)




そんなナルシストなイーストウッドの監督人生は、これよりはじまったばかり。




ドン・シーゲルが、barのマスター役で、笑って接客しているのを見ると、「こんな奴ほど可愛くて……どうか、可愛がってくださいね。皆さん」と、精一杯フォローしているように見えてならない(笑)。

星☆☆☆。