2020年5月4日月曜日

映画 「アイドルを探せ」

1963年 フランス。






有名女優『ミレーヌ・ドモンジョ』(実名)に電報が届いた。



「まぁ、大統領からの招待よ!」

喜ぶミレーヌは、使用人たち相手にシャンパンをあけて乾杯!


そんな浮かれ気分の中、メイドの『ジゼル』(ベルデ・グランバル)は、奥で壁のタイル張りをしている職人『リシャール』(フランク・フェルナンデル)が気になってしょうがない。



「彼にもシャンパンを持っていってあげなさい」


優しい女主人ミレーヌの言葉に、ジゼルは、喜び勇んでとんでいった。




「彼女、彼に惚れてるのよ……」

ミレーヌはお見通しとばかりに、他の者たちに、コソッと耳打ちした。




賢明に働くリシャールは、病気の母親の為に仕送りをしていると言う。


(何て優しいのかしら………)




だが、こんなリシャールの言葉は、真っ赤な嘘。


ミレーヌの所有する5000万フラン相当のハートのダイヤを、虎視眈々と狙っていたのだ。



それも、モデルで、恋人の『コリーヌ』(ダニー・サヴァル)に贈るためである。


そうして、タイル張りをしながら、ダイヤのありかを知ると、まんまとダイヤを盗み出したのだった。


しかし……



「ヤバイ!」

警察に追われて逃走中、楽器店にもぐりこんだリシャールは、盗んだダイヤをギターに隠した。



何とか難を逃れた感じで、ホッ!と一息。




アパートに帰りついたリシャールは、その事をコリーヌに話すと、


「わかったわ!じゃ私が、そのギターを買ってくればいいだけの話じゃない。そうすれば5000万フランのダイヤが私のモノに…ウシシ……」


コリーヌは、すぐに楽器店に駆けつけると、「●●のギターを売ってちょうだい!」と店主に注文した。


だが、………「あいにく、その手のギターは5本ありまして、全てが売れてしまいました」



ガーン!!


そんな~あたしのダイヤが~!!





ちょうど、その頃……リシャールのアパートには、あのジゼルが訪ねて来ていた。


「あなたがダイヤを盗んだのね?!何もかもお見通しよ!」


ミレーヌもジゼルも、犯人はリシャールだと、とっくに気づいていたのだ。



「馬鹿な事をした………」

リシャールに気があるジゼルは、それ以上責める事も出来ない。


ミレーヌも寛大で、「きっと魔がさしたのよ……」と許してくれた。




そうして、「こうなったら、大統領と会う約束の日までに、ダイヤを取り戻さなければ!」とあっさり改心。




リシャールとジゼルがアパートを出ようとすると、そこへ落ち込んで帰ってきたコリーヌと鉢合わせする。


「誰よ?この女?!」


「ダイヤを見つけてちゃんと返すのよ!」


「何ですって?!この裏切り者!!」コリーヌは寝返ったリシャールにカンカンだ。




二人が出ていくと、コリーヌは同じモデル仲間『ヴォニー』に連絡した。



「こっちが先に5本のギターを売った相手を探すのよ!協力してくれるわね?!いいわよね?!」


有無を云わせぬ迫力のコリーヌに、友人ヴォニーもタジタジ。(欲に目がくらんだとは、このことだ)



こうして、有名スターに売られた、ギター探しの旅がはじまる。


はて、さて、いったい、どのギターにダイヤはあるのか?




タイトルと、シルヴィー・ヴァルタンが出演しているとだけ知っていた『アイドルを探せ』。



観たい、観たいなぁ~と思っていて、この度、やっと観る事が叶いました。




長々と前置きのあらすじを書いたのは、多分、自分のようにタイトルは知っていても、話の内容までは知らない人がいるんじゃないか、と思ったため。(なんせ50年以上も前ですもん)




それにしても、よくも、まぁ、こんな映画を作り上げたものである。




当時のフランスの有名歌手たちが、勢揃い。


しかも、ポップス、ロック、シャンソンと、色々なジャンルの歌手たちが歌ってくれてるのだから、ストーリーよりも、その音楽を楽しむべき映画なのですよ、これは!





リシャールとジゼルが探す、一本目のギターは、『シルヴィー・ヴァルタン』の元へ。





★シルヴィー・ヴァルタン……


無知な私も知ってる、フランスのアイドル的存在で、今や大御所の大スター。




タイトルになっている『アイドルを探せ』を歌い上げるヴァルタンは、超可愛い。(まだ、この時10代)



前歯がスキッ歯なのだが、それも特徴的。



この曲には、映画を観た事もない自分までも、聴き覚えがあるので、さぞや大ヒットしたのだろう。(調べてみると、当時、日本でも100万枚以上売り上げたらしい!ゲゲッ!)



この映画の後も、ヴァルタンは大活躍。


大ヒット曲『あなたのとりこ』は、近年、日本でも、ドラマ『ウォーター・ボーイズ』の主題歌にもなってますし、皆さん聴いた事があるはずです。(カラッ!とした夏にピッタリの名曲)



日本人はシルヴィー・ヴァルタンが大好き。

ヴァルタンも日本が好きで、何度も来日してくれている。



もう、好きすぎて、なんてったって、あのウルトラマンに出てくる『バルタン星人』は、シルヴィー・ヴァルタンから命名したんですもん。



2013年に来日した時は、バルタン星人と共演したりしてくれているシルヴィー・ヴァルタン。(失礼な日本人が、どうもスミマセン)


こんなヴァルタンが私も大好きである。




他にも、


「僕の心を信じて」 /EDDiE MiTCHELL(エディ・ミッチェル)


「どうにもならない」 /SOPHiE(ソフィー)


「大したことじゃないさ」 /LES SURFS(レ・サーフス)


~もしも君が愛してくれたなら~ /JEAN=JACQUES DEBOUT(ジャン=ジャック・デブー)


「僕が捕まえた天使」 /FRANK ALLAMO(フランク・アラモ)


「御用心なさい」 / NANCY HOLLOWAY(ナンシー・ホロウェイ)


「幸せを探せ」 /JOHNNY HALLYDAY(ジョニー・アリディ………シルヴィー・ヴァルタンの元ダンナ様)





などなど……60年代のポップスがいっぱい。




そして、トリを飾るのが、あの『シャルル・アズナブール』である。(5本目のギターを買った有名人)






★シャルル・アズナブール………


フランスのシャンソン歌手として有名な人で、このシルヴィー・ヴァルタンが劇中で歌っている『アイドルを探せ』の作詞も手がけている多才な方。


ここでは、最後のトリとして、『想い出の瞳』 を朗々と、貫禄で歌い上げているアズナブール。



この人の曲では、『忘れじの面影』が超有名。(絶対、誰でも聴いた事があるはずです!)




歌手と一緒に俳優業も、これまた有名で、

フランソワ・トリュフォーの『ピアニストを撃て』や、ジュリアン・デュヴィヴィェの『フランス式十戒』にも出演している。




日本にも、何度も来日してくれていて、2018年には、日本政府から、春の叙勲で旭日小綬章なんてものまで、受章されている。


シャルル・アズナブールも日本人から愛された方でした。(残念ながら、この受章の半年後、お亡くなりになってしまったが。享年94歳)


そして、そして、あの、『機動戦士ガンダム』の『シャア・アズナブル』は、このシャルル・アズナブールから、インスパイアされて、つけられた名前なのである。(ちょっとしたトリビア)




この映画が公開された当時(日本では1964年)、どれだけの、日本のクリエーターたちが、影響を受けたのか計り知れない。(吉田まゆみの漫画で『アイドルを探せ』ってのもあるし)


日本人にとっては、まさに、エポック的な作品だったんじゃないだろうか?




観れて幸せ、聴けて幸せである。

今宵は名曲に酔いしれて。

星☆☆☆☆☆。

2020年5月3日日曜日

映画 「ロープ」

1948年 アメリカ。






アルフレッド・ヒッチコックの初めてのカラー映画であり………失敗作。




ごめんなさい、ハッキリ言っておくけど、この映画は失敗作だ。




ヒッチコックが好きな人も、何とか、この映画を、少しでもフォローしたりしている批評を、時々みかける事があるが、あんまり慰めにもなっていない気がする。




映画のカット割りを止めて、今まで誰もやった事のない、「完全にワン・カットで映画を撮ってみよう!」と、実験したかっただけ。


それに固執したばかりに、この映画は失敗したのだった。(アラアラ、やっちまったなぁ~ヒッチコックも)




映画の神様も、時に迷走してしまう。




映画の長さは、正味80分くらいなのだし、それくらい我慢すれば、観れない事もないのだけど………それでも観続けるには、相当疲れるし、忍耐が必要だ。




カット割りが全く無くて、ワン・カットの長まわしの映画が、こんなに辛いとは……何でだろ?



若い時に、さっぱり、分からなかった理由が、最近になって徐々に分かってきたので、自分なりの、その《理由》を書いてみようと思う。








カット割りがない映画を、小説や文章に置き換えてみればいい。



カット割りがない映画は、文章を改行もしないで、余白もなく、延々、箇条書きにしているようなものだ。



小説でも、ブログでも、隅から隅まで、ビッシリと、埋め尽くされいるのを見れば、誰だって、一目でパス。


「ゲゲッ!」なんて、思いがするはずである。





これは人の《 脳 》に関係しているんじゃないのか?




文章でも、映像でも、それを見ようとする時、私たちの《 脳 》は、無意識に、それを記憶しながら、整理しようとする。



《 脳 》の中にある、いくつもの《 箱 》である。



映画を観る時、1回のカット割りで切られた場面を、ひとつの脳の《 箱 》につめると、また別の《 箱 》に、記憶としてつめていく。




二時間の映画を観終われば、脳の中には、キチンと、いくつもの記憶の《 箱 》が積み重ねられて、均等に整理されているのだ。




そうして、時間が経つと、その《 箱 》は、空気が抜けたように圧縮されて、《 思い出 》へと変わっていくのである。(そうしないと、脳みそはパンパンに膨れ上がり、破裂してしまう)





これは、小説を読む時でも同じである。




改行や、次に読み進む間の余白は、目で、それを追いながらも、それを利用しては、脳の中でキチンと整理されているのだ。




今さらながら、人間の《 脳 》は、良く出来てると、ほとほと感心してしまう。





で、ここまで読んでくだされば、後は、お察しがつくと思う。



カット割りがない、ワン・カットの、この『ロープ』が、何でこんなに観るのに疲れるのか。





カット割りが無いと、目から入ってくる情報を、上手く線引きする事が難しいのだ。



そうして、それを処理し、記憶の《 箱 》に整理する事が、より難しくなってくる。





そうなると、脳の中の、ひとつの《 箱 》に、詰め込むかぎり詰め込むしかない。


80分間、全神経を画面に集中させて。





もう、観終わるとグッタリ。



場面を追い続ける目も、瞬きを許さないので、脳と一緒で、もう、クタクタ。


ゆえに、「疲れる~」のである。



映画は、理由なき殺人を犯した『ブランドン』(ジョン・ドール)と『フィリップ』(ファーリー・グレンジャー)が、遺体をしまいこんだ箱に、テーブル・クロスを敷いて、グラスを並べて、大胆にも、客人たちを招いて、盛大にパーティーをするという、とんでもない内容。





「自分たちは優れた人間で、単に劣った人間を始末しただけ。完全犯罪も優れた人間なら簡単にできる!それを証明する為に、ただ殺してみただけ」という、これまた、とんでもない殺人理由である。(これ、驚くなかれ!実話ですって)






それを暴くのが、この奇妙なパーティーに招かれた大学教授の『ルパート』(ジェームズ・スチュワート)。



名探偵のごとく、二人の完全犯罪を暴いていくのである。





内容的には、充分面白いんだけどねぇ~ ……………。(でも、この『ワン・カット』手法がねぇ~、つくづく残念)



この映画、オススメした方がいいのかな?



私が、ここにツラツラ書いてみた事が、観た人には、必ず分かってもらえると思う。(既に観ている人は同意してくれるんじゃないかな?)



やっぱり、観てない人は観た方がいいかも。


何事も経験という事で。


何かの話の種にもなるしね。

2020年5月1日金曜日

よもやま話 「赤狩りの時代」





《『赤狩り』によって選ばれたブラック・リスト『ハリウッドテン』として投獄間近の人々とその家族の抗議》




ちょっとだけマジ~メな話を始めたいと思う。



『十戒』を監督したセシル・B・デミルや、その前後にあった時代背景について、少しだけ掘り下げてマジメに書いてみたいのだ。(興味ある方はお付き合いくださいませ)





戦後のアメリカでは、とんでもない弾圧が、当たり前のように行われていた。



ソ連や中国のような共産主義に傾倒している者を、除外、排除しようとする運動が盛んに行われていたのである。




これが、いわゆる赤狩りと呼ばれるモノである。



とにかく『共産主義』者は、憎むべき者たち。




そんな考えがアメリカ全土を駆けめぐり、共産主義に傾倒していた人物たちが次々と罰せられたり、迫害されたのだ。





そもそも『共産主義』とは、何かという話になってくるのだが、共産主義とは社会主義以上の平等を目指した主義の事で、「人間は皆、平等」を掲げて唱えているのだ。




一見、良い主義にも思えるが、これがトンデモない。




皆が平等であるために、個人の財産も、国が管理し保有する。


つまりは、一生懸命働いて対価を得た人も、怠けて仕事しない人も、皆一緒。


国が個人の財産を取り上げて、「公平になるように!」なんて考えで、全く一緒の扱いにしてしまうのが共産主義なのである。




平等を唱っていても、こんな不平等さを結果的に生んでしまうのが『共産主義』。




資本主義で生活してきた我々、日本人には、まるで考えられない主義である。



我々、日本人は、働いたら働いた分だけの対価を、個人がちゃんと受け取り、税金を納めても、個人として資産をたくわえる事ができる。


「働かない者、食うべからず」は、まさに資本主義の考え方である。




その財産を、ある日、国が「皆が平等である為に、全て国が保有する」と言って、取りあげたらどうだろう?



たまったもんじゃありませんがな。






そして、こんな共産主義の思想など、もちろんアメリカも受け入れられるわけがない。



なんたって《 アメリカン・ドリーム 》の、お国柄ですもん。




ただ、戦後の混乱の中、アメリカ人たちも、ちと冷静さを欠いていたのだ。



身近な隣人が「平等」を唱えれば、「アイツは共産主義だ!」と決めつける。




これは次第にエスカレートしていき、大勢の人たちが、共産主義者探しに、血眼になりはじめたのだ。




中には証拠もないのに、それらしき疑いだけで罰せられたりする始末。(もう法もなにもあったもんじゃないです)




まさにヒステリー状態。



こんなのが、《赤狩り》の始まりなのである。





そして、この『赤狩り』は、次第に、映画界までも脅かしはじめてくる。



それらしき思想が、見栄隠れするような映画を、監督したり、脚本を書いたりする者などがいれば、「共産主義者!」と決めつけて、その者をなじる、責める!、罵倒する!、迫害する!



《赤狩り》の被害にあって、仕事を失った者や逮捕された者、アメリカを去っていった者は、この時期だけで数知れず。



チャップリンが、赤狩りの被害で、アメリカを去り、スイスに移住したのは有名な話である。

《晩年をスイスで家族と過ごすチャップリン(右端)》




そして、こんな《赤狩り》に誰よりも力を入れていたのが、映画監督でもあるセシル・B・デミルなのだ。



撮影中でも、何でも「それらしき人物がいたら、すぐに教えてくれ!」と周囲を巻き込み、ブラック・リストの作成に血眼になっていたのである。(本当にイヤ~な野郎である)

《セシル・B・デミル》




全米監督協会の評議委員だったデミルは、その立場を利用して、映画界の《赤狩り》に一生懸命になっていたのだ。



それに眉をひそめて反目していたのが、当時、会長を勤めていた、私の好きな監督、ジョセフ・L・マンキーウィッツ(『イヴの総て』、『探偵スルース』など)である。

《ジョセフ・L・マンキーウィッツ》





マンキーウィッツは、デミルにとっては目の上のタンコブ。



なんとしても、トップの座から引きずり降ろしたい存在だった。




マンキーウィッツが旅行に行くと、デミルは「この期に!」とばかりに、会長不信任案を提出。


「われこそは映画界の会長にふさわしい!映画界の規律はわれによって守られるモノなのだ!」


なんて、傲慢(ごうまん)で自分勝手な考え。


一気に、マンキーウィッツを会長から引きずり降ろそうと画策し、行動に移したのだった。




そうして、デミル派、マンキーウィッツ派と別れて、緊急総会の日がやってくる。


「どちらが全米監督協会の会長にふさわしいか?」


まさに一騎討ちの対決である。





そんな緊張感流れる会議の中、ひとりの男が立ち上がり、口を開いた。



あの、西部劇の監督で有名なジョン・フォード(『駅馬車』など)である。

《ジョン・フォード監督》




「私の名前はジョン・フォード、ウェスタンを撮っている者です。アメリカの観客全員が、デミルをどれほど深く愛しているかはよく存じている。」と、まずは皮肉に富んだ挨拶。




そして、デミルを凝視しながら、

「だがデミルの発言と今夜の振舞いは気に入らない。私としてはマンキーウィッツに信任の一票を投じたい。そして早く家に帰って眠ろうじゃないか。みんな明日には撮影を控えているんだろう?」と、名指しでデミルを非難したのだった。




普段、寡黙なフォードの、この一言は大きく影響した。




マンキーウィッツの会長留任が採決されて、デミルの提案は、たちまち却下。



結果的に、デミルは協会評議員の地位を追われる立場となったのである。(Wikipedia参照)





カッコいいねぇ~!


流石だねぇ~!、男だねぇ~!




このエピソードだけでも、ジョン・フォード監督に、シビレまくりである。(胸がスーッとする)



こんな男気溢れるフォードの言葉に、反対する者など、いるはずがない。




それに比べて、かたや、小物感アリアリのデミル。



自分だったら、とてもじゃないが恥ずかしくて下を向いたまま、顔を上げられやしない。(哀れデミル)




そうして、その後、数年が経ち、デミルは最後の監督作品として映画『十戒』を撮りあげる。




あの出来事から、デミルも少しは反省したのかしら?



この『十戒』では、ヘブライ人たちを、散々、奴隷扱いにして虐げていたエジプト人がいるのだが………そんな様子を監督しながら、何を考えていたのだろうか…。




かつて、《赤狩り》で、自分が追いつめていた人達への贖罪の気持ちが、少しでも浮かんできただろうか?



傲慢(傲慢)な暴君である『ラメス二世』(ユル・ブリンナー)を自分自身に重ねたりしたのかな?(深読みしすぎか?)





もはや、知るすべもないのだが………。



でも、こんなデミルは嫌いでも、作品に罪はない。




罪を憎んで、作品を憎まず。



『十戒』は、こうして何十年経った今も、主演のチャールトン・ヘストンと共に、燦々と輝いているのである。

長々、お粗末さま!これにて!

映画 「十戒」

1956年 アメリカ。






遥か昔、太古のエジプト。



占い師が、突如、「今度、産まれてくるヘブライ人の中に救世主がいる!」と大予言した。




この時代のヘブライ人といえば、自由なんかまるでなく、奴隷として、エジプト人に尽くすのが当たり前。



そんなヘブライ人の救世主など、断固として許せるわけがない。



ファラオ王(ラメス一世)は、「今度、産まれてくるヘブライ人の長子を一人残らず、全て殺してしまえ!!」と無理難題な命令を下す。(残酷~)




そして、産まれた赤子のヘブライ人。


「どうか、この子をお救いください」

産まれた我が子を泣く泣く、籠に入れてナイル川に流した母親。



籠はドンブラコ、ドンブラコと流れていき…………偶然、一人の女性に拾われた。



拾ったのは、なんと!エジプトの王女ベシア。


「この子は神さまからの授かり物だわ!私の息子として育てましょう!」


子供は『モーセ』と名付けられた。




ヘブライ人なのに、何の因果か?エジプトの王子として、立派な青年として育てられた『モーセ』(チャールトン・ヘストン)。



武運に長けるモーセは、ベシアの夫で、先代のラメス一世の息子でもある、『セティ一世』も大のお気に入り。(何と、この時代、セティ一世とベシアは兄妹なのに結婚して、子供をもうけているのだ。近親相姦も当たり前。)




セティ一世とベシアには、実子として、『ラメス二世』(ユル・ブリンナー)と『ネフレテリ』(アン・バクスター)がいたのだが、妹ネフレテリも、モーセにメロメロの様子だ。



「私の心は生涯あなたのモノです……」

こんなモーセの甘い囁きは、ネフレテリを夢中にさせている。


だが、この状況に、ひとりだけ面白くない人物がいる。




お察しのとおり、『ラメス二世』(ユル・ブリンナー)である。



「父も母も、そして妹までも…………皆がモーセ!モーセ!モーセ!アイツさえいなければ、俺がネフレテリと結婚して王になれるのに…………」(だから、それ、近親相姦ですって!)




ラメス二世の憎悪は静かにくすぶっている。




それでも恋も皆の信望もあるモーセは、絶好調。



だが、そんな『モーセ』の運命は、ある日を境にガラリと変わってしまう…………。



この映画、長い間、「十戒」を「じゅっかい」だと思って読んでいたら、とんだ勘違い。



最近になって「じっかい」だったんと知った始末である。(今更ど~でもいい事なんだけど)



ここでいう『ヘブライ人』というのも、今回調べてみると、『ユダヤ人』ないし『イスラエル人』の事らしい。



もちろん、この『十戒』の方が、年代的に先なのだが、同じようにユダヤ人迫害のテーマを扱っている『ベン・ハー』とも似ていて、この両作品は異母兄弟のように思っている。(監督は違えど、主演は同じチャールトン・ヘストンですもんね)





で、ここから先の展開なんだけど、勘のいい人なら、薄々感ずいていると思うが…………『モーセ』(チャールトン・ヘストン)の素性がバレてしまう。




「お前は、本当はヘブライ人じゃないのか?!」



ラメス二世にバレて、真っ逆さまに(落ちて、デザイアー♪じゃない!(笑))、奴隷として鎖につながれてしまうモーセ。



やっぱり、チャールトン・ヘストンは、こうなってしまう運命なのか……。(トホホ)



もう、この絵面だけを見れば、『十戒』なのか、『ベン・ハー』なのか『猿の惑星』なのか区別がつかないくらいである。



毎回、裸に腰布1枚で鎖に繋がれるチャールトン・ヘストン。もう、この時から様になってます。




我が子同然に、可愛がって育てたセティ一世は、ものすごく落胆していて刑罰さえも決められない。



「こいつを放り出せ!!」


わずかな食料と水の施しを与えられて、モーセは炎天下の砂漠へと放り出された。




でも、やはり主人公!



こんなところで、くたばるはずもありません。


捨てる神あれば拾う神あり。



羊飼いの女性たちに助けられて、その内のひとりと結婚。





その後は、シナイの山で、不思議な神の声を聴くモーセ。



「お前の使命は、エジプトにいるヘブライ人たちを助けだすことだぁぁーー!」(幻聴?ノイローゼ?(笑))


その声と一緒に、不思議な力を授けられたモーセは、もう、まるで万能な『魔法使い』。




『魔法使いモーセ』の誕生である。




この後は、皆がご存じな、有名なシーン……………あの海が真っ二つに割れて、その間を進んで歩くヘブライたちを救うモーセと、なっていくのです。(何でもアリやんけ)



このシーンのド迫力。




CGなどなかった時代に、当時の人たちは、ぶったまげた事でしょうよ。



昔、天童よしみの『珍島物語』がヒットした頃、この曲が流れると、なぜか?この映画『十戒』を思いだしていた。



海が割れるのよぉ~♪


道ができるのよぉ~♪



まさに『十戒』の事を歌った曲じゃないかな?




決して中森明菜の『十戒 1984』ではございませんのであしからず。(笑)


こんな『十戒』、けっこう見ごたえありですぞ。

星☆☆☆☆。