2019年12月21日土曜日

映画 「スペシャリスト」

1994年 アメリカ。






CIA特殊工作班として働く『レイ・クイック』(シルベスター・スタローン)と上官『ネッド・トレント』(ジェームズ・ウッズ)。


二人はコロンビアで、ある橋に爆弾をしかけた。


ターゲット抹殺の任務の為に。


そして、そこにターゲットを乗せた車が近づいていく。


だが、車の後部座席には幼い子供の姿が。


「おい!計画は中止だ!子供が乗っている!」


レイが叫ぶが、非情なネッドは、「多少の犠牲は必要さ。それにもう遅い」と、ためらいなくスイッチを押した。


橋は吹き飛ばされ、車も大破。

レイは怒り狂った。


「なぜ?殺した?!子供がいたんだぞ!」

「甘いんだよ、お前は!それに上官の俺に逆らうつもりか!」ネッドは罪の欠片さえない。


「貴様~!」二人は言い争いになり、激しい殴りあいになった。


「貴様をCIAの委員会に訴えてやる!」


レイはネッドを道連れに委員会に提訴し、二人は辞職した。




そして、………それから数年が経ち……




レイは、元CIAの技術で、フリーの爆破請負人となっていた。




『悪い奴らだけを始末する!』


そんな目標を自らに掲げているレイは、依頼があっても、簡単には引き受けない。


依頼人が、『嘘を言っていないか』、その依頼人の過去から現在までを徹底的に身元調査する。



そんなレイに連絡が入った。

「ある男たちを殺してほしいの……」


慎重なレイは、依頼人の『メイ・マンロー』(シャロン・ストーン)の電話をバスを乗り継いで、近くの公衆電話で受けた。(もちろん声の録音もしている)



近くではマイアミの夜の海風がそよいでいる。



「なぜ、その男たちを殺す必要があるんだ?」

「昔、両親を抹殺されたからよ!」


子供の頃、クローゼットに隠れていて難を逃れたメイは、両親が殺される様の一部始終を、見ていた。


残虐非道に、目の前で殺されていく父と母。

それを笑いながら見つめている男たちの顔。


時が経つほど、その苦しみはひどくなっていく。



次の日、両親の墓参りをするメイを遠くから、観察しているレイ。


(この依頼を引き受けてもいいものだろうか………)


そんなレイが躊躇していると、業を煮やしたメイは復讐の為に、自ら行動しはじめた。


マイアミで、派手にのさばるマフィアの首領『ジョー・レオン』(ロッド・スタイガー)のパーティーに潜り込む。



そこで、そのジョーの息子『トマス』(エリック・ロバーツ)に、色仕掛けで接近したのだ。(シャロン・ストーン姐さん、『ここにあり!』と、いったところか……)


トマスはメイに一目惚れで、完全に骨抜き。メロメロ状態だ。


だが、その側にはあの男がいた。


マフィアの首領『ジョー』に雇われて、いまや参謀となっている男。


レイとも因縁のある男。


あの卑劣な『ネッド・トレント』の姿が……。



『クリフハンガー』、『デモリッションマン』と完全に復活したスタローンの、この『スペシャリスト』も90年代に大ヒットした。(実はスタローンの映画でも、この3作は特別に自分のお気に入りである)



とにかく、面白い!



正義の爆破請負人(正義なのかな?)の『レイ』役は、スタローンにしては、珍しく理性的で慎重派。


爆破の専門知識や、それを自在に操る様は、知性すら感じられる。




『ネッド』役のジェームズ・ウッズの憎たらしい悪役ぶりも流石だ。


その顔を見ているだけで、「コイツゥ~!」と思わずにいられない。


眉が薄くてギョロリとした目、広い額には、縦のシワ。

歪んだ口元には、なんともいえない苦々しさがある。



シャロン・ストーンの顔をはたき、警察やマフィアにも、一切、ひるむ事なく、どこまでも威圧的。


完璧なゲス野郎を演じている。(実際のジェームズ・ウッズはIQが高く、頭が良い事で有名)





そして、そして、シャロン・ストーン姐さん。

90年代は、まさにシャロン姐さんの時代。



その豪快な脱ぎっぷりと、色香で次々とヒット作を連発していた。


『トータル・リコール』では、シュワルツェネッガーの股間を蹴り続けていた彼女が、ここでは良い女っぷり全開で、スタローン相手に魅せる、魅せる。



スタローンが有名になってからの、こんな女優相手なんて、この映画が久しぶりだったんじゃないのかな。


スタローンもシャロンも燃える!燃える!(鼻血ブー!モノ)





こんなのは、いくら、あのシュワルツェネッガーでも、絶対に出来なかった事。


シュワルツェネッガーの鍛えられた肉体は、当時、その剛健ぶりには感心しても、どこか笑いが漏れてくるような、アンバランスな印象。



スタローンの均整のとれた鍛え方と、シャロン姐さんのスタイルの良さだからこそ、画面には、美しく映えるのだ。




まぁ、シュワルツェネッガーも完璧ではないって事。


人には出来る事と出来ない事がある。



スタローンの面目躍如ってとこだろうか。

星☆☆☆☆☆であ~る。

※それにしても、時代だなぁ~。この映画で、シャロン姐さんの持つ携帯電話のデカイ事。



これが当時は画期的だったのだ。


こんなもので、時の流れをシミジミ感じてしまう今日この頃なのである。


2019年12月17日火曜日

映画 「吸血鬼ドラキュラ」

1958年 イギリス。






ハマー・フィルム・プロダクション』といえば、戦後、クラシック・ホラー映画を専門にやってきた名門中の名門。


『フランケンシュタイン』シリーズ、

『ミイラ』シリーズ。


そして、この『吸血鬼ドラキュラ』に始まる『ドラキュラ』シリーズ。


実は白状すると、この手の映画は自分にとって大の苦手なジャンルだし、観る前から相当馬鹿にしていた。


それでも、名優クリストファー・リーの出世作となる、この映画を「1度は観ておかなければ」と思った次第なのだが………






1885年、『ジョナサン・ハーカー』は司書としてドラキュラ城にやってきた。(本当の目的はドラキュラ退治。たった一人で?大丈夫なのか?)


誰も人気がないドラキュラ城に、勝手に入って、用意されている食事に手をのばすハーカー。


やがて陽が沈むと、ハーカーの目の前に、見知らぬ美女が現れた。



「助けて!私を助けてちょうだい!」


そこへ、『ドラキュラ伯爵』(クリストファー・リー)が来ると、女は血相をかえて逃げていく。



「ようこそ、ハーカー君。部屋は用意出来ているよ」

伯爵はハーカーを部屋に案内すると「ガチャリ!」、外の廊下から鍵をかけた。



やがて、数時間が経ち、またもや外から鍵を回す音。


(開いてるのか?)


ハーカーが廊下を出て階段を降りると、さっきの女が、また出てきた。


「助けて!私を助けてちょうだい!」


そう言うと、女はハーカーにしがみついてきたのだ。


だが、その口元には 吸血鬼の恐ろしい牙が!



女はハーカーの喉元に噛みついた。


「しまった!この女も、すでに吸血鬼だったのか!私もこのままでは吸血鬼にされてしまう!」(何故?助けを求めながらも吸血鬼にしてしまうんだろうね?)



ハーカーは気を失った。

女の方は伯爵が抱えて、どこかへと連れていったようだ。




そうして数時間が経ち、意識を取り戻したハーカー。


(何としても、私が完全に吸血鬼になってしまう前に、伯爵とあの女を退治しなくては ……… )



朦朧としながらも、地下室にある棺を、やっと探し当てたハーカー。


棺は二つあり、ドラキュラ伯爵と女が、それぞれに眠っている。


ハーカーはまず、女の胸元に杭を押し当てると、それをトンカチで思いっきり叩いた。


ギャアアアーー!

響き渡る断末魔の悲鳴。


女の容貌は無惨なものになり、朽ち果てて灰となり絶命した。



(次は伯爵だ!)

だが、さっきまで棺の中にいた伯爵がいない。

振り向くと、地下の階段に上に立っているドラキュラ伯爵。


伯爵の目がキラリと光ったかと思うと、地下室の灯りは一瞬で消されて、辺りは暗闇に包まれたのだった ………





それから数日が経ち、ハーカーの親友で医者の『ヴァン・ヘルシング』(ピーター・カッシング)は、親友から何の連絡も来ない事を心配して、近くの村までやってきた。



村では、家々にニンニクを吊り下げている。


ヘルシングがハーカーの事を尋ねてみても、皆が知らぬ存ぜぬ。



たった一人、ハーカーの事を知っていた女性が、ヘルシングにドラキュラ城への道のりを教えてくれた。



そうして、しばらく歩いていくと、目の間に見えてきたドラキュラ城。


ヘルシングは臆することなく門をくぐって、ズンズン先に進んでいく。(誰でも出入り自由。セキュリティはガバガバなドラキュラ城(笑))



そうして、あの地下室への階段を見つけたのだ。


地下にたどり着き、例の棺も見つけたヘルシング。そのフタを開けてみると …………


そこには吸血鬼の牙をのぞかせている親友ハーカーが安らかに眠っていたのだった ……






……… と、あらすじはここまで。





この後はお察しのとおり、

ドラキュラ伯爵とヴァン・ヘルシング医師の一騎打ちになっていくのだが、「んん?」、「う〜ん …… 」なんて、首をひねりたくなるような荒唐無稽な展開が、「これでもか!これでもか!」という具合に繰り広げられていく。



でも、全然、怖くないんだけどさ(あっ、言っちゃった!(笑))





この映画から半世紀以上が経って、もはや色々なホラー映画を観てきて、すっかり肥えた目をもつ現代の我々には、全く怖さなんて感じない。


昭和、平成が終わり、令和となった時代に、これに驚いて泣き叫ぶのは3~5歳児くらいのものだろう。



でも、当時は暗い映画館で、これに、「ギャアアアー!」だの「ワァーッ!」だの悲鳴をあげながら観ていたのだから、何て純朴な青年たちや淑女たちだったんだろう。



それだからこそ、この映画は大ヒットしたし、次々と続編が作られたのだ。(なんと9作もあるらしい)



第1作目が、この『吸血鬼ドラキュラ』。

『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960年)、

『凶人ドラキュラ』(1966年)、

『帰ってきたドラキュラ』(1968年)、



( 段々とおかしくなってきたぞ …………… )



『ドラキュラ血の味』(1969年)、

『血のエクソシズム ドラキュラの復活』(1970年)、

『ドラキュラ´72』(1972年)、

『新ドラキュラ 悪魔の儀式』(1973年)、


そして、最後、9作目は、なんと!


ドラゴン VS 7人の吸血鬼』(1974年)でトドメ。


最後の映画なんて、ドラキュラが中国に渡って、カンフー使いと闘うというのだから、もはや、完全にホラーじゃなくなってる(笑)。



主演を務めたクリストファー・リーもここまで、本当に御苦労様でした。



姿かたちの異形で怖がらせようとする恐怖って、所詮、時間の流れには勝てないのだ。


フランケンシュタインでも、ミイラでも、ドラキュラでも、エイリアンでも、フレディーでも、ジェイソンでも 怖いのは最初だけ


最初だけは驚いても、時間が経って繰り返し観ていれば、人は慣れてくる。



ホラー映画は時の流れには勝てない難しいジャンルなのだ。



どんなホラーでも、シリーズを長く続けていけばいくほど、行き着く先は《お笑い》になってしまう。



この『吸血鬼ドラキュラ』でも、ホラー映画の哀しい性(さが)を見た気がしてならないのでした。


星☆☆☆。

2019年12月15日日曜日

映画 「麗しのサブリナ」

1954年 アメリカ。






実はオードリー・ヘプバーンビリー・ワイルダーのコンビで、この『麗しのサブリナ』と『昼下りの情事』、どちらを書こうかと迷っていた。(結局、どっちもこうして書いているのだが)




自分としては、『昼下りの情事』の方が好き。



『麗しのサブリナ』は、観る前から既に有名だったし、オードリーの評判も聞いていた。
で、ある日、観たのであるが、………う~ん、あんまり大騒ぎするほどでもないかも。



確かに、オードリーは可愛いし、斬新なショート・カットやサブリナ・パンツなんてのも絵になる。


でも、物語自体は、ビリー・ワイルダーにしてはギリギリ及第点ってところかな。



大富豪ララビー家の運転手の娘『サブリナ』(オードリー・ヘプバーン)は、そのララビー家の次男『デヴィッド』(ウイリアム・ホールデン)に恋しているのだが、叶わぬ恋。


父に諭されて、パリに留学して帰国すると、洗練されて大変身。


デヴィッドは、そんなサブリナにすっかり夢中になるのだが、政略結婚が待っている。


兄の『ライナス』(ハンフリー・ボガート)は、そんな二人を引き離そうとするのだが、いつしかライナスもサブリナに夢中になってしまって………、ってのが、この映画のストーリー。




でも、昔、この映画を観た時、何だかしっくりいかない、変な雰囲気を感じた気がしてならなかった。


その時は、口では説明しにくい妙な違和感。


でも、後年、その理由も徐々に分かってきた。(やっとパズルのピースが揃ったのだ)


その理由を、ここに書きたいと思う。





実は、この長男の『ライナス』役、最初はケーリー・グラントにオファーされていた。(またもや、ケーリー・グラントである。どれだけ、当時、彼が映画関係者たちから好かれていたのか、分かるエピソードである)


でも、撮影1週間前に、グラントは急遽降板してしまう。(アララ……普通なら怨むビリー・ワイルダーだが、それでも後年、『昼下りの情事』でも熱烈なオファーをするのだから、どんだけケーリー・グラントは愛されていたのやら)



代わりに選ばれたのが、『ハンフリー・ボガート』。



それまで悪役専門にやってきた彼は、ジョン・ヒューストン監督に見出だされ、『マルタの鷹』、『黄金』、『キー・ラーゴ』、『アフリカの女王』とハードボイルドや男臭い主人公でキャリアを築いてきた。


恋愛映画『カサブランカ』なんてのもあるが、これは戦時中のドタバタの時に撮られたもので、共演のイングリッド・バーグマンは、後年まで「あれは失敗作だった」と言っていたほどである。(バーグマンの評価も後年は変わるのだが)



まぁ、そもそも恋愛映画ってのが、珍しいボガートなのだ。



そんなボガートに、オードリーの相手役『ライナス』。



ビリー・ワイルダーは、以前も、ここで書いたのだが、完璧主義者。


撮影1週間前だというのに、ボガートのキャラクターに合うように、脚本を一から書き直させたのだ。(ゲゲッ!!)



当然、撮影中に間に合うはずもなく、書いてはシーンを撮り、書いてはシーンを撮りの連続。


そんな状況下でワイルダーは、オードリーにだけ打ち明けると、オードリーはワイルダーの為に、わざと時間かせぎの為にNGを連発した。


ワイルダーは、(ありがとう!オードリー)と心の中で手を合わせた事だろう。



そんなNG連発のオードリーに、ボガートは最後まで気づく事もなく、撮り終えると、「彼女の将来の女優としてのキャリアが心配だ」と皮肉たっぷりにインタビュアーに語ったとか。(知らぬが幸せである)




こんな不協和音は、まだまだある。



ボガートはウイリアム・ホールデンと仲が悪かった。(明るい笑顔で誰からも好かれるホールデンに嫉妬していた、と言った方がいいか)


そんなホールデンとオードリーは気があっていて、休憩中も始終ベッタリ。



ワイルダーにもスタッフにも気に入られているホールデン。


そんな状況で、ひとりブスッとしているボガートは、1日の撮影が済むとさっさと帰宅する。



そんな撮影の日々で、とうとう、ボガートはワイルダーとぶつかりあった。



どんだけワイルダーの事を、ボガートは酷くなじったのか知らないが、死ぬ間際(1957年に食道癌に侵される)に、ワイルダーを呼んで、「許してくれ……」と言ったらしい。



どんな言葉でワイルダーに噛みついたのかは、分からないが、以前観た『マルタの鷹』のサム・スペードのように、怒ると早口で、機関銃のように、まくし立てるボガートが想像してならない。



こんな裏事情を知ってしまうと、自分が感じた違和感も、納得してしまう。

それに、やはり、この映画の脚本が弱いのも、これまた納得である。




それと、ボガートには悪いのだが、やはり彼はミス・キャスト。



それは《身長》の問題。



ウイリアム・ホールデン=180cm。

オードリー・ヘプバーン=170cm。(けっこう身長あるんですよ、オードリーって)



それに対して、ハンフリー・ボガートは、たった173cmなのだ。



オードリーが、ちょっとのヒールでも履けば、ボガートの身長を軽く追い抜いてしまう。


ケーリー・グラントは187cmあるし、『昼下りの情事』のゲーリー・クーパーは190cmもある。


画面に並んだ時の、オードリーとボガートを見ると、「何でこんな小男と……」と思わずにはいられない。(まぁ、173cmも普通なんだけど、当時のハリウッドでは、やや低い方)



これが違和感だったのか……。



男と女が並んで画面に映った時、女が多少、上を見上げてなければ、陶酔(恋している)って絵面にならないのだ。

特に恋愛映画では、そんな気がする。




でも、こんな自分の勝手な感想とは関係なく、この映画も名作として残ってきている。


映画とは、つくづく不思議な生き物である。

星☆☆☆。

映画 「昼下りの情事」

1957年 アメリカ。






『アリアーヌ』(オードリー・ヘプバーン)は、フランスの国立音楽院でチェロを学ぶ音楽院生。



父親『クロード・シャヴァス』は、パリで探偵事務所を構えている。

父と娘の二人暮らしで、アリアーヌの楽しみは、父親の事件ファイルをこっそり覗く事。


父親のシャヴァスには、「私の事件を見てはいかん!」ときつく言われているが、アリアーヌには、それがたまらなく刺激的。

(だって、ロマンティックなんですもん)ってな具合。




父親の依頼人『X氏』が、妻の不倫相手の調査結果を知るためにやってくると、アリアーヌは隣の部屋で興味津々、聞き耳をたてていた。



「奥さまは、スイーツの14号室で、不倫してますな。お相手はアメリカ人の大富豪フラナガン氏」

X氏はカンカンになって、ポケットから取り出したピストルに、弾をつめこみはじめた。



「アイツをぶっ殺してやる!」


鼻息荒く出ていくX氏。


それを聞いていたアリアーヌは、「大変!何とかしなくちゃ!」とホテルに急いで先回り。




フラナガン氏とX夫人に出会うと、

「急いで逃げて!旦那さんがピストルを持ってやってくるわ!」と夫人を逃がした。


代わりに、アリアーヌは黒いヴェールを被ってフラナガンの相手を演じていると、そこへX氏。


自分の妻じゃない女性、アリアーヌの姿に、「こりゃ、失礼しました」と、慌てて退散していった。




「フゥ~、君のおかげで助かったよ」


お礼を言う『フラナガン』(ゲーリー・クーパー)に、アリアーヌはうっとり。

(この人、父の隠し撮りした写真よりも、実物はもっとハンサムだわ……)


たちまち、メロメロになるアリアーヌ。(中年の色気ってやつですか)


「こうなったら、プレイボーイのフラナガンを自分に惚れさせたい!」、と願うアリアーヌは、父親の事件ファイルの色恋沙汰の知識をフル活用して、フラナガンの前で、プレイガールを演じるのだが………。






オードリー・ヘプバーンゲーリー・クーパーのロマンティック・コメディー。


監督は、もちろん、ビリー・ワイルダー



この『フラナガン』役、最初はケーリー・グラントやユル・ブリンナーに打診があったらしいが、自分としては、このゲーリー・クーパーで良かった気がする。


ケーリー・グラントが、プレイボーイの役なら、それなりに、そつなくこなしそうであるが、そこまで小娘のオードリーにのめり込む感じがしない。(まぁ、後年、『シャレード』で共演してますがね)


ユル・ブリンナー?何だか気難しそうで、全然プレイボーイってイメージじゃないのだが………ユル・ブリンナーなら、オードリーもビクビクして気後れしそう。



やっぱり、この映画には、ゲーリー・クーパーで、ちょうどいいのだ。


ゲーリー・クーパーなら、プレイボーイを演じていても、1度好きになったら、一途にまっしぐら、って感じがする。(映画『モロッコ』でも、そんな感じをうけたので)



初めは、プレイボーイ然として、恋のさや当てゲームの感覚だったフラナガンは、まんまとアリアーヌの策略にハマって、どんどん、この小娘アリアーヌにのめり込んでいく。



「その脚にはめているのは何だ?」


昼下がり、アリアーヌとピクニックをしているフラナガンは、アリアーヌの脚にキラリ!と光るアンクレットを目にしてたまげる。


「あ~、これ?スペインの闘牛士からのプレゼントかしら?」


こんな物を目にしたフラナガン氏、中年男の嫉妬がメラメラ。



全てを語らずに、秘密の香りを匂わせるアリアーヌにいつしか夢中になっていた。


(これじゃ、身がもたん!彼女はいったい、どこの誰なんだ?彼女の全てが知りたい!)



フラナガン氏が身元調査を頼んだのは、なんと、父親のシャヴァス氏。


シャヴァスは、娘の行動に唖然として、フラナガンに全てを打ち明けた。

そして、

「ここを立ち去ってください。彼女はプレイガールでも何でもない。それは私が事件で扱った知識をあなたに対して利用しただけだ。そして、彼女は本気であなたに恋している。それは生まれてはじめての『恋』なのだ。娘を傷つけないで、黙ってここを立ち去ってください。」



フラナガンは無言で同意した。


そして、別れの時。

「駅まで見送るわ」と言うアリアーヌ。


列車が動きだしても、ここを立ち去れないアリアーヌは、走りながらも、まだ懸命に嘘のプレイガールの話をする。


「私は平気よ、また忙しくなるわ。別な彼が、また誘ってくれるから」


涙目で、嘘を言いながら列車を追いかけてくるアリアーヌ。


そんなアリアーヌから、フラナガンは、片時も目が離せない。


まるで心臓をキュッ!と掴まれた感じ。


無意識に手を伸ばすと、アリアーヌを引き上げて、列車に乗せてしまったフラナガン。


「どうするつもり?」

「もう、黙ってくれ。アリアーヌ……」


列車は、幸せな二人を乗せて去っていく………。



まるで、恋愛指南の教科書のような映画である。



初めは、相手に対して、どう興味を持ってもらえるか。

それに成功したら、どれだけ興味を繋ぎ止められるように、押したり引いたりの恋愛の駆け引き。


最後は、決して押し付けでない「好き」という気持ちの表現の仕方。



これさえ、出来ればあなたも明日から、『恋愛マスター』である。(でも現実は、こんな風にオードリーのように上手くいくか分からないが……)


オードリーが、今でも愛されるのは、全ての女性の夢、「こんな風になりたい!」という夢を映画の中で叶えているから。


そして、それは何十年、時代が移り変わっても決して色褪せない事はないのである。

星☆☆☆☆である。