2019年4月10日水曜日

映画 「三十九夜」

1935年 イギリス。






濡れ衣をきせられ、《間違えられた男》が、無実を証明するために奔走する。


これ以降、何度もこのテーマに挑戦してお家芸とまでなる、ヒッチコック映画では初期の作品。


ゆえに、今観れば、とんでもスパイに、とんでも警察、とツッコミどころ満載のオンパレードなのである。





ロンドンのミュージックホールでは、高らかに演奏がはじまり、大勢の観客が見守る中、舞台上には、ミスター・メモリーが颯爽と現れた。


「どんな事でも記憶しているミスター・メモリーに、どうぞ皆様、質問してください!なんでも完璧に答えます!」


客席から様々な質問が飛び交い、それがおこった年数や出来事を、次々に正確に答えるメモリー氏。


客席からは拍手喝采。


そんな余興を外交官の『リチャード・ハネイ』(ロバート・ドーナット)も楽しんでいた。


だが、そこに突然、響き渡る銃声!


観客たちは、たちまちパニックになり悲鳴や怒声が鳴り響く。

一斉に出口を求めて大勢の人々が押し寄せる。

その混乱の中、ハネイは一人の女性と一緒になった。


「お願い!私をあなたと一緒に連れていって!」



不審に思いながらもハネイは仮住まいのアパートに連れて行った。


「私はアナベラ・スミス。あの銃声は私が、わざと撃ったのよ」

女はイギリスのスパイと名乗った。(突然スパイが現れて、一般人にスパイと正体を明かしてもいいのかな?)



アナベラは、敵の組織が、イギリスの機密を極秘に盗みだし、どうにかして国外に持ち出そうとしている情報をつかんでいた。



だが、敵となる人物が、あの劇場にいて見付かり、命の危険を感じて、騒ぎをおこし、それに乗じて脱出しようとしたらしい。


《39階段》といわれている国家機密。(原題が39階段なんだから、『三十九夜』って邦題は、そもそもおかしいのだ)


それが国外に持ち出されれば、国家的危機となりかねないのだ。


そして、アナベラは敵のエージェントたちに、常につけ狙われていると言う。(女1人にこんな重要で危険な任務をさせるとは。なんて人材不足のイギリス政府なのだ)



こんな夢物語をいきなり聞かされて、ハネイは馬鹿らしく思った。


「馬鹿らしいと思うなら外を見てみなさい、通りに男がいるはずよ」


ハネイが外を見ると、確かに男が二人いてこちらを伺っている。


「振り切れなかったのね……いいわ、あなたも危険に巻き込まれる恐れがある。これから私が言うことをよく聞いてちょうだい!」


敵は警察さえも騙し、頭もきれる。

敵の組織のトップを名乗るのは、名前を幾つも持つ冷酷非情な男だ。


「どこにでもいるような風貌なの。只、1つだけ他の人と違う特徴があるわ」

「何だそれは?」

「右手の小指の先がないのよ」

アナベラは明日、スコットランドで、ある男と会う約束があるらしい、次の手がかりの為に。


(本当の話なんだろうか…スパイやら機密情報やら………彼女が話すのは、全てが何やら現実離れしているお伽噺話のように聞こえる)


居間に彼女を泊めると、ハネイはベッドにもぐり込んだ。





次の日、背中を刺されたアナベラが倒れこんできた。


虫の息で、「早く……逃げて……次はあなたの番よ……」と言うと絶命した。(同じアパートにいたハネイは、まったく無傷で殺されていない。なんでじゃ?敵は馬鹿なのか?よっぽど間抜けなのか?)



ハネイはアナベラが残した地図を見た。

スコットランドで落ち合う場所の目印がしてある。(この地図も、敵は奪わないでアナベラだけ殺して立ち去るとは……敵はよっぽどの阿呆だ)


ハネイはアナベラの代わりに、スコットランドの場所に向かうことにした。


アパートにアナベラの死体はそのままにして。(おい、おい!)



案の定、ハネイはアパートを出て、ものの数分も経たないうちに、すぐに殺人犯として指名手配となった。(状況証拠だけで、すぐに全国に指名手配になるとは…どんな警察?!)



列車に乗り込んだハネイを、すぐに追いかけてきて同じ列車に乗り込む警察。(どんな捜査をすれば、こんなに素早いのか……)



走る列車内を捜索する警察たち。

ハネイは後方から列車を調べまわっている警察の気配を気にしながら、車両を進んでいく。


そして、咄嗟に、独り座っている女性のコンパートメントに入り込んだ。



「何なの?あなた?、いきなり入ってきて?!」

女性『パメラ』(キャロル・ロンバート)は突然の来訪者に驚いた。



その時、通路に警察の気配を感じたハネイは、咄嗟の行動で、パメラに抱きつくと、いきなりキスしてきた。


パメラは振りほどこうにも、強い力で、ハネイに押し倒されて、口も塞がれていて身動きができない。(これ、もう猥褻罪じゃん!)


コンパートメントのガラスには、キスしているカップルのごとく映り、それを覗きこんだ警察は、ニヤニヤしながら次の車両に行ってしまった。


「すまなかった、許してくれ。無実の罪で警察に追われているんだ」(いや、だから、お前、もう猥褻罪だって (笑) )


ハネイの釈明など聞く耳もつものか、怒りと憎しみにたぎらせたパメラの目が睨み付ける。(そりゃ、そうだろうよ)


そんな険悪な雰囲気の中、警察が再び戻ってきた。

警察はパメラに質問した。

「お嬢さん、不審な男を見かけませんでしたか?」

「見たわ、この男よ」パメラは、ためらいもなく隣のハネイを指さした。



ハネイの行動は素早かった。


掴みかかる警察をはねのけると、列車の窓から身を乗り出した。走る列車の外に出ると、壁伝いに隣の客車へと移りこんだ。慌ててドジな警察が追いかける。



警察は列車を止めた。だが、あちこち捜せど、ハネイの姿はどこにもいない。


ハネイは列車が止まった橋の柱の陰に隠れていた。


しばらくすると列車は動きだし、ドジな警察を乗せると、そのまま行ってしまった。


追っ手の警察を撒いたハネイは、目的地のスコットランドの目印の場所『アル・ナ・シェラ』へ向けて再び歩き出す………。





ごらんのように、「これでもか!これでもか!」の観ながらもツッコミを入れたくなるシーンの連続。



さすがに84年前だし無理もないか。



これ以降、このジャンルを撮り続けたヒッチコック恩大も、なんとか不自然さを打開しようと思うのだが………。


工夫して、多少は良くはなっていくものの、やはりヒッチコックがスパイものを撮ると、警察も敵もおマヌケさんになってしまう。(まぁ、それゆえ、頭カラッポにして安心して観れるのだが)



それでも、美男ロバート・ドーナットと美女キャロル・ロンバート、この二人が手錠に繋がれて逃亡する場面なんかは中々面白い。


「なんでこんな事を?!私は無関係ないのよ!」

「ハネイが逃げられないようにです。しばらく我慢してください!」と言って、ハネイとパメラを手錠で繋いでしまう、とんでもない警察。(民間人に、なんて無体なことを。マヌケを通り越して、もはや大馬鹿な警察である)



手錠に繋がられているゆえ、逃げようにも逃げられない『パメラ』(キャロル・ロンバート)。


そんなパメラを引っ張って、警察の隙をみて、逃亡の道連れにしてしまう『ハネイ』(ロバート・ドーナット)は、超強引な男である。



そんな二人が逃亡の末に、安宿に泊まる事になれば、始終くっついたまんまなので(手錠を隠して)、安宿の主人と女将は、「まぁ、なんて愛しあっている二人なのかしら~」と勘違いするのが、超可笑しい。


「ええ、ぼくら片時も離れたくないくらい愛しあっているんですよ」(調子をあわせて演技するハネイ)


そんなハネイに、(コイツ……)と、真横で苦虫をつぶしたような顔をするパメラ嬢。



知らない男に強引に唇を奪われたり、手錠に繋がれたり、パメラ嬢にしたら、まるで今日という日は、「なんて日だ!」って感じだろうか(笑)。



それでも、カッコ良い男、綺麗な女……こんな二人が、手錠に繋がられたままで安宿の部屋へチェックインなんてシチュエーションは、なんか妙にソワソワさせて、萌えてしまう場面である。(ちょっと古い映画でもドキドキもの)



小難しい映画を観るのに疲れた時には、こんな古き時代の映画もいいものですよ。


有り得ない展開に、いちいち「ナンやねん、これ!」と茶化しながら、ご覧あれ。



星☆☆☆。

※でも、原題の39階段の《階段》が、邦題では、なぜ?《夜》に変えられたんだろう? 映画内で頻繁に、国家機密名「《39階段》が…」の言葉が出てくるのに。


「39回、夜を繰り返すってこと?……つまり39日間逃亡の旅を続ける?」


映画の中では、ほんの数日の出来事のように思えるが、どうなんだろう?(これも、サッパリ意味分からん、トンチンカンな邦題である)

2019年4月6日土曜日

映画 「回転」

1961年 イギリス。







真面目過ぎるデボラ・カー ……私、この女優がちょっと苦手だ。



昔、『悲しみよこんにちは』を観た。



この映画では、主人公セシルの父と恋におちる、生真面目過ぎるような中年女性の役。



そのお陰で、遊び人の父親はすっかり調教されてしまい、面白味のないクソ真面目人間になってしまい、娘のセシルにも自分ルールをグイグイと押しつけてくる。



「自分は正しい! 自分のいう通りにすれば絶対に幸せになれる!」


こんなのが、あまりにも映画からもビンビン伝わってきて、一瞬で「イヤな女だなぁ~」って感じてしまった。



それ以来、


デボラ・カー》=《我が強くて、押しつけがましい女

ってのが定着した感じになってしまった。





この映画『回転』でも、その印象は変わらず。



それどころか、この映画では、その強引さが、さらにヒート・アップして頂点にまで達している。





独身で大富豪『ブライ卿』(マイケル・レッドグレーヴ)は、ロンドンに住んでいるが、突然、二人の遺児を引き取らなければならなくなった。


前任の家庭教師が亡くなり、後任として、子供の面倒をみる為に、家庭教師『ギデンス』(デボラ・カー)が雇われる。



「私は子供が苦手だ。私を煩わせないようにしてくれたまえ!」

ブライ卿は念押しとばかりに、ギデンスに言い含めた。(ん?、どっかで聞いたような話だ)



ギデンスが、田舎の屋敷に着くと、幼い『フローラ』と人の良い家政婦頭の『グロース夫人』が出迎えてくれた。



おしゃまなフローラはギデンスを慕い、すぐになつくようになった。(この場面もどこかで、観たような……)




もう一人の遺児マイルスは、寄宿学校に行っている。



何もかもが素晴らしい屋敷での生活。

だが、この屋敷には、隠された秘密があったのだった……。





…………と、いうのが、この映画の出だしだが、以前、紹介した映画『ジェーン・エア』をすぐさま思い出してしまった。



まるでそっくり。



シャーロット・ブロンテが書いた『ジェーン・エア』が発刊されたのが1847年。


ヘンリー・ジェームズが書いた、この映画の原作『ねじの回転』が1898年。



だいぶ、ジェーン・エアに影響受けているのが、一目で分かる。


『ジェーン・エア』では、若くて美しいジョーン・フォンティンが、同じように、家庭教師の職を得て、広大な屋敷で遭遇する怪しい人影、そして隠された秘密に翻弄される。


だが、次々降りかかる災難や困難に、健気に耐えながら、雇い主のオーソン・ウェルズの愛を育み、幸せをつかむまでのお話だった。





これと似た状況で、デボラ・カーが、その世界観の役に入ればどうなるのか。


お話は、とんでもなくドロドロとした異様な展開を迎える。





幼いマイルスが寄宿学校を退学させられ、屋敷に戻ってくると、屋敷や庭などの、あちこちで見知らぬ幽霊》が出没するのだ。



それを目撃したギデンスは、ひとり「ギャアーーッ!」恐怖する。




黒い髪の冷たい顔をした男と、一人は女性の幽霊。




家政婦頭のグロース夫人に相談すると、

「もう、昔のことですから……」と、何かを知ってるのか、はぐらかされる。



だが、『ギデンス』(デボラ・カー)が、それに納得して引き下がるはずもない。


相手が、根負けして、全てを白状するまで、何度でも詰問しまくるのだ。(これだけでも我の強さが分かるでしょ?)



仕方なくグロース夫人は(やれやれ……)全てをポツリポツリ話し出した。(勝てるはずもないのだ、この強引さに)





昔、この屋敷は留守がちのブライ卿に変わって従者の『クイント』なる男が支配していた。


前任の女家庭教師『ジュセル』は、たちまちクイントの虜になり、幼いマイルス少年もクイントを崇拝していたほど、クイントは妙な魅力があったという。



だが、そのクイントが、ある日酔っぱらって階段から落ちて死んでしまう。


悲嘆した女性ジュセルも後を追うように亡くなっていたのだ。




ギデンスが見たのは、その亡くなったクイントとジュセル、二人の幽霊だったのだ。






それからも、あちこちに出没する幽霊たち。

でも、この幽霊の姿をギデンス以外、誰も見ていないのだ。




ギデンスの形相も、どんどんと恐ろしいモノに変わってくる。




ある日、池の側でフローラと一緒にいる時、またしてもジュセルの幽霊を目にしたギデンスは、

「フローラ、あなたにも見えるでしょ!?」と幼いフローラを揺さぶって同意を求める。




「あ、あたしは見えない!」

恐ろしいギデンスに怯えながら、幼いフローラは答えるのだが、


「嘘よ!なんで嘘を言うの?あなたにも見えてるはずよ!あのジュセルの姿が!!」

と、まるで鬼の形相で詰め寄る。



とうとうフローラは泣き出し、叫びだした。


「あなたなんて大嫌い!誰かたすけて!!」


慌ててかけつけたグロース夫人が、フローラを連れていく。



グロース夫人も、ギデンスを奇妙な目で見ながら、その場を後にした。




結局、次の日、錯乱して精神を病んだフローラは、あっけなく病院送りとなる。




後には、屋敷に残されたマイルス少年ただ一人。


今度はギデンス、このマイルス少年を追いかけまわし、詰問責めにする。



その形相は、まるで悪鬼のごとき。(本当に怖いデボラ・カー)



「本当のことを言ってちょうだい!マイルス、誰があなたたちを操っているのか?!」


とうとう、追い詰められたマイルスは、ショック死する。





そして映画は終わるのだが……


なんとも後味の悪い……何だ?コレ?



結局、幽霊は別に危害を与えてる訳じゃないし、何も悪いことはしていないのに。




怖いのは現実世界のギデンス。



他人を、自分の考えで追いつめて、挙げ句の果てに、幼い子供を病院送りにしたり、殺してしまう『ギデンス』(デボラ・カー)の方が、よっぽど恐ろしい存在だ。




それにしても、ギデンスにしか見えない幽霊は、本当に存在しているのか?


この、あいまいなラストで、映画『回転』では、様々な意見や憶測が飛び交って、度々論争になっている。



「結婚もしていない、オールド・ミスのギデンスが、更年期になりかけていて、見えてしまった幻」だという人もいるが、自分は、そうは思わない。(こんな片寄ったヒドイ意見もあったりする。未婚の女性みんな敵にまわすぞ!(笑) )



それじゃ、ギデンスが会った事もないクイントやジュセルの人相を言い当てて、他人のグロース夫人に説明する場面、これにどう理由をつけます?



納得できるのは、やっぱり、これしかない。



そう、ズバリ!


 幽霊はいるのです!そしてギデンスには、それがハッキリと見えているのです!




 
ただ、この物語は、生真面目過ぎて融通が全く利かない、しかも我の強い、ギデンスが、《ソレ》を見てしまったから、ダメなのだ。



「こんな性格の人が幽霊なんかを見ちゃうと、大騒ぎして周囲に迷惑をかけちゃいますよ!こうなっちゃいますよ」



こう言いたいだけなんじゃないのかな?このお話は。


自分は、こんな風に解釈した。





それにしても、いくら映画の中とはいえ、こういう役柄がまわってくるなんて、周りの人々も、デボラ・カーをそんな風に見ていたのかねぇ〜。




最初にこの人を見たときから、綺麗なんだけど、何だか人を威圧するような雰囲気を感じていた自分の勘は、案外当たっていたのかも。




やはり、デボラ・カーを見ると、その昔、ページをめくるたびに「ギャー!」と叫んでいた楳図かずおの漫画を思い出してしまう。



幽霊よりも、押しの強いデボラ・カーが怖いという、トンデモナイ映画でございました。


星☆☆☆。


※《補足》利己的なブライ卿役のマイケル・レッドグレーヴ


年と共に、だいぶ真ん丸になっていて、最初気づきませんでした。


2019年4月4日木曜日

映画 「羊たちの沈黙」

1991年 アメリカ。







「バッファロー・ビル」とアダ名される人の皮をはぐ猟奇犯罪者がいる。



次々と事件が起きる中、手がかりすらない状況に、警察官関係者やFBIも頭を痛めていた。



そんな時、FBIアカデミーの訓練生クラリス・スターリング(ジョディ・フォスター)はBSU(行動科学科)のクロフォード主任捜査官(スコット・グレン)から、突然呼び出される。


「君に、ある男の助言を聞いてきてもらいたい」



その男とは、稀代の凶悪殺人犯と同時に、精神分析医と名高い『ハンニバル・レクター』。


レクターの分析力は、すぐれており、殺人犯といえど、バッファロー・ビルを逮捕するための、何か有力な助言が引き出せると、クロフォードは考えているらしい。



人一倍、上昇志向の強いクラリスに異論はなかった。


早速、クラリスは、レクターに謁見するために、収監されているというボルティモアの精神病院に向かった。



そこは病院とは名ばかり。

頑丈な建物は、人を寄せ付けない要塞のようなおもむきだ。


暗い通路を進むと、強固な防弾ガラスから光が漏れている。



そこに『レクター』(アンソニー・ホプキンス)がいた。



凶悪な殺人犯とは思えない風貌。

だが、厚いガラス越しからも漂ってくる、人を圧するような異様なオーラ。



クラリスは、慎重に歩を進め目の前のレクターに近づいていった…………。






トマス・ハリスの小説を映画化した、この映画は、当時、興業的にも賞取りレースでも大成功をおさめた。


アカデミー賞でも5部門を制覇。

作品賞、監督賞、脚本賞。

そして主演女優賞には、『告発の行方』に続いて2度目の受賞、ジョディ・フォスター。



主演男優賞には、アンソニー・ホプキンスが輝いた。




子役から実力をつけてきたジョディ・フォスターとは違い、ホプキンスは、50歳をなかば近くになってからの初受賞。

それでも、まだ、この時代は、アカデミー賞も、興業収益、世間の知名度、作品の人気度などが、きちんと認められていて、皆が納得の受賞だったと思う。



これ以降、どんどん選考基準が、???と首をひねりたくなるくらい、段々おかしくなっていくアカデミー賞を見ていれば、賞の権威もこのあたりくらいまでじゃなかろうか。





と、愚痴はこのへんまで。


今回は、いつもと趣向を変えて、アンソニー・ホプキンスのことについて、重点的に語りたいと思う。





アンソニー・ホプキンスは舞台俳優として、スタートした。


それから、しばらくして映画にも進出し、『冬のライオン』や、『エレファントマン』などの脇役。



たまに主役で『マジック』などにも出ていた。



それらは、いずれも強い印象を残したが、大ヒットまではいかなかった。


それでも、ホプキンスの演技の根源は舞台にあるので舞台と映画をコンスタントに両立していった。





ここで、話は変わるが演技者には、2つの種類があるのをご存じだろうか。




1つは、アンソニー・ホプキンスのように、昔からの伝統的な演技法が確立されたイギリス出身、舞台からスタートした俳優たち。

これらの俳優たちは、演技の基礎から始め、基本の発声法、仕草、パントマイムなど、あらゆる高度な演技の技術をみがいていく。


この中にはローレンス・オリヴィエなども含まれる。






もう1つは、アメリカはアクターズ・スタジオ出身の俳優たち。

これらの俳優たちは、《メソッド演技法》なるものを使って演技する。




メソッド演技法》とは、何か?




その役が、現実でも、より自然に見えるように、徹底的にリサーチし、疑似体験を通して役に近づく演技法なのだ。


ハリウッドではマーロン・ブランドが、その先駆けとなり、役によってボソボソ喋ったり、『ゴッド・ファーザー』では姿を変えるために、髪の毛を抜いて薄くしたり、口に綿を入れたりもした。


日本では三國連太郎が、若いときに、見た目が年寄りに見えるように、全部歯を抜いたりもしている。


役によっては体重を激減させたり、増やしたりもする。(『マシニスト』のクリスチャン・ベールや日本では鈴木亮平といったところか)




ロバート・デニーロも、この手の俳優である。

『タクシー・ドライバー』では実際に3週間くらいタクシーの運転手をしたりもしている。




この《メソッド演技法》は、見た目的にも、その特殊さがウケて、ハリウッドでブームになり、誰も彼もがアクターズ・スタジオの門を叩いた。



あのジェームス・ディーンやマリリン・モンローさえも。


(自分たちも俳優として、1段も2段もステップ・アップできるかも……)


そんな風に思わせて、皆が惹き付けられたのである。





だが、この《メソッド演技法》は、諸刃の刃。



使い方を間違えれば、役者の命さえ奪いかねない。


役作りの為に、外見や内面まで深く掘り下げるため、神経症、アルコール依存性、薬物中毒などに陥りやすいのだ。



モンローは、情緒不安定になり、短命に亡くなった。


『バットマン』のジョーカーを演じたヒース・ロジャーは不眠症で睡眠薬が手放せなくなり、副作用により、これまた公開を待たずに亡くなる。





漫画の世界では、『ガラスの仮面』なんてのが有名だろうか。



役にのめりこみ、その役をつかむためにはと、どんな事でもする北島マヤ。

『奇跡の人』ではヘレンの役をつかむために、目を見えないように包帯で結び、耳栓をして3重苦のヘレンになりきろうとする。

『狼少女ジェーン』では、ジェーンのように、山籠りまでする。



これらは、マヤが自分で思い付いた演技方法だが、これこそが《メソッド演技法》である。


確かに役の気持ちをつかむまでのプロセスは、観ている側としては楽しいんだけどね。




だが、恩師の月影千草は、そんなマヤに警鐘の言葉を投げかける。


「役、そのものに成りきるのは、一見、素晴らしいことに見えるが、その為に内に意識が向かいすぎて、周りが見えなくなるおそれがある」と。



原作者の美内すずえは、自分のキャラクターに、こう言わせているが、当の原作者も、この《メソッド演技法》に狂わされていく。



漫画の中で、マヤに、次はどんな《メソッド演技法》をさせたらいいのか、悩み苦しむうちに漫画は休載になり、次第に話も破綻していった。(多分完結は無理だろう)





そして、《メソッド演技法》を真っ向から馬鹿にしているのが、他ならぬアンソニー・ホプキンスなのである。




「馬鹿馬鹿しい!演技というのは所詮、絵空事。全ての要素は、シナリオの中にあるのだ!」というのが、ホプキンスの見解。



日々の演技の為の鍛練によって培われてきたモノこそが大事であり、観る者を信じこませる、そして、説得させるセリフや動作こそが一番だと考えているのだ。



まず、自分自身の内面がどうとかよりも、常にそれを受け取って観る側、自分主体よりも観客主体の考え方なのである。



マーロン・ブランドーのように、自分に酔いしれて、ボソボソしゃべるなんて、とても考えられない。


観客が聞き取れにくいセリフをつぶやいてどうする?


ただの独りよがりだ。


観てもらう人たちがいるからこそ、演者として、俳優という仕事は成り立っているのだから。




そんな考え方のアンソニー・ホプキンスなのである。




だからホプキンスは、台本のセリフを一字一句、徹底的に自分の頭の中に叩き込む。


そして、セリフの世界を最大限に想像し、ふくらませ、向かい合う相手に合わせながら、演技プランを練っていく。




舞台俳優として生きてきたホプキンス。

舞台では絶対にやり直しはきかない。



映画では、何度もリテイクや取り直しが出来ても舞台は真剣勝負、一発勝負なのだ。




「脚本を理解していない俳優とは、一緒に仕事は出来ない!」



撮影所のあちこちに、セリフのカンペを貼り付けて、それを読みながら演技するなんて、演技者としての風上にもおけないのだ。(マーロン・ブランド「ドキッ!」 (笑) )



アンソニー・ホプキンス、81歳にて現役続行中。まだまだ元気。




メソッド演技に頼らず、その信念で、当分は我々を楽しませてくれるに違いない。



だいぶ、映画の内容からは、脱線して長々書いてみたが、映画はもちろん星☆☆☆☆☆とさせて頂きます。

2019年4月2日火曜日

映画 「バルカン超特急」

1938年 イギリス。







ヨーロッパのパンドリカ(架空の国)は、雪山に囲まれた場所にある。


そこへ列車が入ってきたが、突然の雪崩で明日まで出発できなくなった。




近くのホテルには、一晩の宿を求めて、大勢の客が押し寄せてくる。



「部屋を一つ頼む!」


イギリス人の男2人組『チャータース』(ベイジル・ラドフォード)と『カルディコット』(ノーントン・ウェイン)は、フロントに掛け合うのだが、


「スミマセン、あいにくと、どこも満杯でして……」と言われて、やっと通されたのは狭いメイド部屋。(トホホ…)



そこへ、メイドが入ってきて、二人の前で知らぬ顔して、いきなり服を脱ぎ始めたのだから、二人はビックリしてドギマギ。


言葉の通じないメイドは着替えがすむと、アッケラカンと笑いながら出ていった。



残された二人は狭いベッドでポカ~ン。





一方、金持ちの女性『アイリス』(マーガレット・ロックウッド)は、最上級の広い部屋で、親友二人と優雅なひとときを過ごしている。



「アイリス、本当に結婚するの?」親友の一人が訊ねた。



「やりたいことは全てやりつくしたもの!後は結婚だけよ」アイリスはケロリとした様子で答えた。




若くて、美人で、金持ちのアイリス。

何不自由ない暮らしをしてきて、今は少々退屈ぎみ。




(これが独身最後の旅。イギリスに帰れば結婚して、また、ワクワクするような新しい生活が待っているわ)



金持ちのアイリスの結婚する理由なんてのは、こんなものである。(ちょっとワガママお嬢様過ぎるぞ (笑) )




友人たちが帰っていくと、広い部屋に一人きりになったアイリス。


「それにしても上の階がうるさいわね」




アイリスの真上、2階の部屋では音楽家の『ギルバート』(マイケル・レッドグレーヴ)が『農民の歌』なるものを大音量で演奏中。



食堂から帰ってきた老婦人『ミス・フロイ』(メイ・ウィッティ)は自分の部屋の窓際で、外で歌っている男の美声に聞き惚れていたが、ギルバートのドタバタするような民族舞踊の音に、イライラして、たまらずに廊下に出てきた。



そこへ、同じように出てきたアイリスと鉢合わせする。


「うるさいわね」

「ええ、ほんとうに」

ギルバートの騒音に意気投合した二人は、明日の列車で、一緒に落ち合う約束をした。




「わたしが追い出してやるわ!」アイリスはミス・フロイに、キッパリ言うと、自分の部屋から支配人を呼び出した。


「これで、2階の男をさっさと追い出して!」と財布の中から、大量の札束をとりだして見せびらかす。



目の色が変わった支配人は「おまかせを!」と言うと、素早く出ていった。




途端に音は鳴り止んだ。


(ホッ!これで静かになった。やっと眠れるわ)

安心して床に就いたアイリス。




だが、それも束の間、2階のギルバートが自分の荷物を持って、アイリスの部屋にズカズカと乗り込んできたのだ。



「ちょいとお邪魔するよ」

「何なの?あなた、今すぐ出ていって!!」

アイリスは驚いて叫ぶが、ギルバートは平然としていて、自分の荷物をほどきはじめた。



「部屋を追い出されたんで、一晩お世話になるよ」


「どういうつもりなの?」


「嫌なら君が廊下で寝てくれてもいいんだよ」


「大声で叫ぶわよ!」


「構わないさ、周りには君に誘われたって言うから」ギルバートはそう言うと、歌いながら、隣のバスルームに入っていった。



(こんな図々しい男、見たことない!)


頭にきたアイリスだったが、この男に、何を言っても通用しない。



観念してフロントに電話する。

「あの…支配人、気が変わったの。2階の部屋の人を戻してあげて………」



それを隣で聞いていたギルバートは直ぐ様、バスルームから出てきた。



「あ~、ところで俺の荷物、上に運ばせといてくれよ!」ギルバートは調子よく言うと、そのまま手ぶらで出ていった。


「何て男なの!!もう、最低!!」悪態をつくアイリス。



パンドリカの最後の夜は、こんな風に過ぎていったのだった…………。






こんな風にノホホ~ンとした調子で始まる『バルカン超特急』。


サスペンスの巨匠ヒッチコックが、イギリス時代に撮りあげた、この映画は、序盤なんとも緩やかな空気が漂う。


架空の国《パンドリカ》から~《イギリス》へ帰る前の一夜、その出来事を面白おかしく、充分に時間をかけて描いている。



でも、この場面は、観ている我々に《どんな登場人物たちがいるのか》を、事前に分かりやすく教えてくれる、ヒッチ先生最大の配慮なのだ。



決して無駄なシーンなんかじゃない。


このお陰で、この後、狭い列車の中で、誰が誰なのかを、キチンと見分けやすくなるのだから。





この映画の原作はエセル・リナ・ホワイトの『貴婦人消失』。



そう、消える!のだ。

タイトルのように跡形もなく、走る列車の中で『ミス・フロイ』と名乗る婦人が。





次の日、アイリスは、ホテルを出る前に、頭に花瓶が落ちてきて(危ねぇ~)ミス・フロイに介抱されながら、何とかイギリス行きの列車に乗り込むのだが、しばらくすると(バッタリ)気を失ってしまう。




やっと目が覚めたときには、走る列車の中。

目の前には知らない乗客たちばかり。



「あの~ミス・フロイを知りませんか?年配の婦人なんですが……一緒にこの列車に乗ったんですが……」アイリスが訊ねるが、


「知りませんよ」

「あなたは、最初から一人でしたよ」

「夢でもみたんじゃない?」

「そんな人は、最初から、この列車には乗ってませんよ」

と言われる始末。



能面のような乗客たちの言葉に、アイリスは一人、パニックになる。



昨日、メイド部屋に押し込まれたイギリス人の二人組も、面倒なことに関わりたくないので、知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。


不倫旅行のアベックたちも同じだ。




車内を探しまわるアイリスは、

(自分は頭を打ったショックでどうにかなってしまったんだろうか?、本当にフロイは存在しないのかも………)

なんて思いながら、段々と疑心暗鬼に。




だが、そんな中でひとりだけ、アイリスの言葉に耳をかたむける人物がいた。



昨日の最悪な変わり者の男『ギルバート』である。


「『ミス・フロイ』なる人物は必ずいる!一緒に探そう!」とまで言ってくれたのだ。(昨日は、あれだけ感じが悪かったのに、よりによってこの男が!)




かくして、ギルバートとアイリスは、素人探偵よろしく、列車内を捜索するのだが……





この後は、走る列車内でギルバートとアイリスは、ミス・フロイを、あちこち探し回りながら右往左往。(それでも、チョイチョイ《笑い》を入れ込んでいくヒッチコック監督は、サービス満点!)




やっと拉致されて隠されていた『ミス・フロイ』を救いだすも、車内に潜んでいた敵国の悪党たちとの対決、壮大なスパイ合戦へとなだれ込んでいく。(ゲゲッ!こんな話だったの!(゜〇゜;))




そうして列車はストップして、最後は、他の乗客たちを巻き込んでの、敵との激しい銃撃戦。(列車の窓ガラスは、流れ弾で「バリン!バリン!」割れて、もうメチャクチャ)




命がけで列車を再び走らせようと懸命になるギルバートとアイリス、その騒動に巻き込まれた乗客たち。




はたして、皆は無事に祖国イギリスへ帰れるのか……。





80年以上前の映画でも侮れない。



ハラハラさせて、ドキドキさせて、しかも笑いも散りばめられていて……



これは、極上のエンターテイメント映画であり、一級品の傑作なのだ。


自信を持ってオススメしておく。(超面白いよ)

星☆☆☆☆☆。


《補足》尚、イギリス人のおかしな二人組(ノーントン・ウェイン & ベイジル・ラドフォード)は同じような乗客の役で、キャロル・リード監督の『ミュンヘンへの夜行列車』にも出演しているらしい。



そして、アイリス役の女優マーガレット・ロックウッドも、その映画のヒロイン役で出ているという。(この人、大好きである♥)




監督はちがえど、『バルカン超特急』の姉妹編ともいえる『ミュンヘンへの夜行列車』。


そちらも機会があれば見比べてみるのも面白いかもしれない。