2025年12月4日木曜日

ドラマ 「とし子さん」

 1966年4月〜10月。(全13話)





名優・樹木希林が、最初、『悠木千帆』という芸名だったのを知っている人って、今どれくらい残っているのかしらん?(もちろん、どちらも芸名である。本名は内田啓子(けいこ)。内田裕也と結婚して、最後の最後まで離婚に応じなかったんですもんね)


本人、『内田啓子』の名前には強いこだわりがあっても、『悠木千帆』の名には、ひと欠片の愛情もなかったみたい。


あっさり、テレビ番組で『悠木千帆』の芸名をオークションに出し、高値がつくと、ソレを売ってしまったのだった!(本人いわく「売るモノが何もなかった」からなのだそうで)


周りはあたふた大慌てでも、本人はケロリとした様子。


私の記憶が確かなら『寺内貫太郎一家』の頃までは悠木千帆を名乗っていて、郷ひろみ共演の『ムー』では樹木希林になってたはず。(その間に芸名を変えたってことか)


お化けのロック』や『林檎殺人事件』を大ヒットさせて郷ひろみと歌番組に出たり、『樹木希林』なんて司会者に紹介されても、うちの親なんか「変な芸名をつけやがって …… 」と、最初のうちは全然馴染めない様子だった。(私は途中から慣れたけどね)



そんな樹木希林が、悠木千帆だった頃、初主演をしたというのが伝説のドラマ『とし子さん』である。(YouTubeで配信。最近初めて知った)


このドラマ、1966年(昭和41年)に放送されたそうだが、もちろん1968年生まれの自分は生まれてないので知りませんでした。(この頃のドラマが令和の世に残っているのも驚きだが …… なんでも、この『とし子さん』、当時としては珍しく映画と同じフィルム撮影だったのだ。それで辛うじて残存していたそうな)


ドラマ自体は全13話と短いのにもかかわらず、半年もかけて放送されたのは、《隔週》放送だった為。

つまり一回放送されたら、次の週はお休みというノンビリペースである。(昔の視聴者は随分気長だったみたい)



『野山とし子』(悠木千帆)は、大学の助教授となった夫『野山広一郎』(滝田裕介)、幼い小学生の息子二人、それに加えて広一郎の妹である女子大生『恵子』(嘉手納(かてな)清美)という大所帯で、狭い長屋暮らしをしていた。のだが ……

夫への来客が増えるにつれて狭い長屋での暮らしも段々窮屈になってきた。


ならば、「この際、都心に近い一軒家に引っ越そうじゃないか!(借家)」という事で、一家はそろって引っ越しすることとなったのだ。


新しい引っ越し先には、ちょっと口うるさいが根は優しい大家『大村ソメ』(北林谷栄)が何かと世話をしてくれてる。




こうして、新しい土地で新生活を始めた野山一家だったが、来客たちが訪ねてきても、東北訛りのズーズー弁、田舎まるだしの『とし子』を誰一人として《大学助教授夫人》とは思わない。

いつもいつも《女中》と間違われる日々の始まりでもあったのだった ………




こんなのが、ドラマ『とし子さん』の基本設定。


当日、内田裕也と再婚する前、岸田森さんと結婚していても(1964年〜68年)、まだまだ若い23歳の悠木千帆(樹木希林)。

もちろん現実世界では子供も産んでないのに、このドラマでは26歳の設定で二人の小学生がいる役とは ………


昔から進んで老け役をしていた彼女も、初主演作には歓喜しただろうか?

それとも子持ち役にガッカリした?


なんにせよ、ドラマの中だけでも、優しい夫に溺愛される《とし子さん》に、視聴する側も優しい気持ちになってしまうのである。(後の、破天荒な内田裕也との修羅場生活を知っている者としてはね(笑))