2023年12月19日火曜日

創作 「映画 キャリー(1976)」のその後を勝手に想像しちゃおう!その名も【キャリー 怒りの逆襲】

 




キャリー・ホワイト』は、生きていた!


馬鹿にしていたクラスメートたちを超能力で血祭りにして、校舎ごと燃やしてしまったキャリー。


帰宅後、狂信的な毒親マーガレットに背中を刺されて、瀕死の状態だったものの、マーガレットを《磔の刑》で倒した後、渾身のテレキネシス能力で自身の傷の出血をふさいで、からくも生き延びていたのだった。



だが、もうアメリカには住めない。


(超能力を開放させて、あれだけの人々を業火で焼き殺してしまったんですもんね …… )←(事が終わってしまえば、やや冷静さを取り戻すキャリー)


しばらく隠遁生活を送っていたキャリーだが、ある朗報が舞い込んでくる。


日本で【きゃりー・ぱみゅぱみゅ】なるタレントが人気らしいのだ。

(私も日本に行けば優しくしてもらえるかも …… だって同じ【キャリー】って名前だし)


日本語を一生懸命習得し、日本に渡ったキャリーは、こうして第2の人生を歩みだした。


そうして時は過ぎて、日本では元号も変わった頃 ……

キャリーは、ある日本の政治団体のパーティーに呼ばれるまでになっていたのだった。(←どんな職業についたのか …… そこは御想像にお任せしとく)


元来お人好しなキャリーは、高額な数万円もするパーティー券を無理矢理買わされた。


大勢が集まる会場に来てみると、偉ぶっている政治家ばかり。

テーブルに並べられているのは、人数分にも足りないお粗末な料理と、その品数。


ガッカリするキャリー。


(何にも食うような料理ないやんけ!)

それもそのはず、このパーティー券は、派閥からの指示で、多くの政治家たちが大量に売りさばき、料理代などケチって浮かせては、多くの売り上げを派閥に譲渡する。


収支報告書には、なるべく少ない金額で明記したり、しなかったり。


そうして、その見返りとして、貢献してくれた政治家たちへキックバック。

自分たちの懐を潤すような裏金作りの温床になっていたのだった!


「許せないわ …… 」(腹も減ってるのに(笑))


キャリーの怒りに再び火がついた!


こうして、自党をはじめ、悪徳政治家たちのパーティー会場は、次々と業火の炎🔥🔥🔥で火の海となってゆき ……




年末に書いてみた、アホのような創作話。


だが、現在、怒りまくりの日本国民は、こんな話でも、喜び、賛同してくれるんじゃないだろうか。(だって、今や内閣支持率が1割くらいだし)


それにしても、次から次に、よくも、まぁ出てくるわ!

この年末になっても、胸くそ悪い《自党問題》が。


不倫や脱税から始まって、副大臣たち3人が辞任。


各派閥、パーティー券の【裏金問題】。(現在、地検が捜査中)


オマケに《政治団体への寄付ならば、非課税(税金かからない)の対象になる!》を逆手にとっての、政治家たちの親や子ども、配偶者などへの億単位の金の流れ。(特に、政治家でもない安倍恵さんを、自党支部の代表に据え置いての、【2億円以上】の寄付献金は酷すぎる。しかも非課税で。)←コレもいずれ地検に捜査してほしいわ。


最近では、企業のお偉方や医会などが、

「法人税を上げてもらわない代わりに、寄付という名の《ワイロ》を送っていた!」なんて証拠も出てきたとか …… (それでいて「近々消費税を上げるつもりだ」なんて、どの口が言うのか?)


こういうのを国会で野党が追求しても、

「ワタクシからはお答えできません。ただいま派閥の方で精査中でございまして …… 」の逃げの一手ばかり。(下を向いて原稿を読み上げるだけの、M野氏は特に酷かった)


《増税クソメネ》なんて渾名までつけられた、K田氏に至っては、

「あ〜、うう~、これからはワタクシが《火の玉》となって、自党の信頼回復に務めて …… 」

なんていう、もはや訳の分からない会見までしてる。(←当然ネット民からは「【火だるま】やんけ!」っていう的確なツッコミも)



それにしても、この人の目 ……



どこの異世界に住んでいて、何を見つめているのやら。

日本中のバッシングも、この御方には、まるで自分への励ましや、叱咤激励に聴こえているようだ。(だからこそ、こんな状況でも【どこ吹く風】でいられるのかも。相当にヤバい奴!)



もう、お分かりになると思うが、最近のこんな現状が、とうとう、私にこんなアホな話を書かせてしまったのである。



とにかく、

今年の《膿(うみ)》は今年の内に出し切る!

そうして、それに関わった者たちは全員逮捕。


晴れやかな気持ちで新年を迎えたいものである。


あ、その前にクリスマスがあるか。


メリー・クリスマス&ファイヤァーー🔥と叫んでおいて、この文章を締めくくっておく。(自分でもナンノコッチャ訳わからんけど(笑))


おしまい。



2023年12月10日日曜日

映画 「クジョー」

 1983年  アメリカ。





少し前、新型コロナが世界中で大流行した時、「コロナの発信源は、いったいどこなんだ?!」で、皆が血眼になって騒ぎだしたのを、誰もが覚えていると思う。


そうして浮かび上がってきたのが中国は《武漢》という都市。

この地域で普通に食されている「《コウモリ🦇》が原因なんじゃないのか!」というニュースが、瞬く間に世界中を駆け巡ったのだ。


…… あんまり驚かなかった。


昔から、広い中国では普通のように野生動物が食(しょく)されていたのは有名な話。

その辺りにいる犬だって、猫だって、鳩だって、彼らにとっては立派な食料源。(それ故、野良猫や野良犬も、一切見かけないとまで言われているが)


それでも、どんな病原菌を抱えているか分からない、あの《コウモリ》まで、やっぱり食べたり、スープにして飲んでいたとは …… (恐るべしである)



そうして、メディアでこの話が流れた時、この映画を途端に思い出した。

スティーブン・キング原作の映画『クジョー』を。



森の中で野生のウサギを追いかけて遊んでいた大型セントバーナード犬『クジョー』は、

【 コウモリ 】に鼻を噛まれてしまう。



クジョーは途端に【 狂犬病 】になってしまうのだ!


こんな大型犬が、狂犬病になってしまえば、その後は《地獄絵図》の始まり、始まりである。


完全に気がおかしくなったクジョーは、手始めに、車の整備工場をしている自分の飼い主・『ジョー』(エド・ローター)を咬み殺す。


毎度お馴染み、色々な映画に登場するエド・ローターさん。この人、映画の中で何回死んでるねん?(笑))


たまたま山奥の整備工場に来ていた母子・ドナとタッドは、クジョーに襲われそうになるも、すんでのところで動かない車の中に避難する。


そんな車に、血だらけになりながらも顔面から何度も体当たりを繰り返すクジョー。



車も動かせない、誰にも助けも呼べない(まぁ、携帯やスマホも無かった時代なんで)、表に出ていく事も許されない。


獰猛になったクジョーは、車の周りを常にうろついていて、隙あらば咬み殺そうと待ち構えているのだ。


完全に外界から遮断された母子は、暑い車の中で、何日も耐え忍ぶことになる。


一方、妻や息子と連絡がとれなくなった夫は保安官に連絡して、一応、保安官が探しに来てくれるものの、クジョーに簡単に駆除(くじょ)された。(駄洒落か?(笑))


そのうち幼い息子タッドが脱水症状をおこして、もはや危険な状態。


母親ドナは意を決して、獰猛なクジョーと対決しようと、車から出ていくのだが ……




確か、こんなお話だったはず。(記憶を探り探り書いてるので、あまり自信がないが)


ある日、横綱級にドデカい犬が牙をむき出しにして襲いかかってくる。


単純といえば単純な話だが、こんなワン・アイデアだけで小説に仕上げてしまうスティーブン・キングには、本当に頭が下がる。(コウモリというものが、どれだけ危険な毒性をはらんでいるのか …… 今にして思えば先見の妙があったのかも)


元来、犬が苦手な自分には、生理的な恐怖だけで戦慄がはしり、この映画はかなり印象深く残っているのだ。


たまに、自分の近所でも、熊のようなサイズの大型犬を散歩させてる飼い主を見かけるが、私は、映画『クジョー』を思い出して、それらとは、かなり広い距離をおくことにしている。


飼い主からしたら、

「可愛いし、何が怖いんだ?」って気持ちだろうが、言葉が全く通じないような野生動物を飼う事の恐怖や、周囲を傷つけてしまうような危険性を、彼らはそこまで想像していない気がする。


「飼っていれば自然と動物の気持ちが分かるようになってくる」なんて言う人もいるが、本当のところ、どうなんだろう。(なんせ動物を飼ったことがないので)


人間側の勝手な思い込みなんじゃないのだろうか?


今まで懐いていた動物も、ある日、何かの影響で、気持ちがガラリと変わるかもしれませんよ。

こんな『クジョー』のようにね。



そうして、《アチラさん》では、こんな風になった犬でも、やっぱり食べちゃうのかしら?



今回、この文章はだいぶ敵をつくったかも。


人間も怖ければ、野生動物も怖い。

世の中、怖いモノで一杯である。(星☆☆☆)



※(オマケ)今回、この『クジョー』の事を書こうとして、たまたま、この画像に出くわした。


それがコレ




ガァァーーーーン!!


何これ?

ダメじゃん!(昔、感じた、あの恐怖をど~してくれるのぉーー?!)


ホラー映画のメイキングほど、一気にシラケさせるものはない。

一応、《苦情(クジョー)》を入れとく。(最後まで駄洒落かよ!(笑))

2023年12月9日土曜日

映画 「ファミリー・プロット」

 1976年  アメリカ。





ある夜、霊媒師・『ブランチ』(バーバラ・ハリス)は、恋人でタクシー運転手・『ジョージ』(ブルース・ダーン)の情報を元に、孤独で金持ちなレインバート婦人相手にインチキな霊媒していた。


完全にブランチを信用した老婦人は、水を得た魚のように、今の悩みを打ち明けはじめる。


「実は《甥っ子》を探してほしいのよ! 死んだ妹が昔、私生児として産んだ子よ。」


大昔、名家レインバート家では私生児など《一族の恥》。

子供は早々に養子にだされ、生きていれば、もう中年男の姿なのだという。


老い先短い自分に残された身内といえば、考えても、もう、あの《甥っ子》しかいない。

その甥を見つけて自分の財産を相続してもらいたい!というのが、目下、婦人の願いなのだ。


「それに見つけてくれたら、お礼として報奨金 一万ドル を払うわ!」の話が飛び出すと、たちまちブランチの瞳が輝いた✨。



この話を家に持ち帰ると、恋人のジョージもウハウハ♥。

タクシーの仕事そっちのけで、【素人探偵ヨロシク!】、《甥っ子探し》に乗り出してゆく ……



でも、良い《甥っ子》なら、いいけど、世の中そんなに上手くいくのかな~?



コイツが二人が探すことになった肝心の《甥っ子》、エドワード・シューブリッジ=またの名を『アーサー・アダムソン』(ウイリアム・ディヴェイン)である。(思いっきり歯をむき出しにして、まぁ〜、ひと目見ても悪そうな顔)


自身が17歳の時に養父母は、とっくに火事🔥で亡くなっていた。(コイツが殺したんじゃないのか?)


そうして、しばらくすると、エドワードは『アーサー・アダムソン』を名乗りはじめ、宝石商を営みはじめる。(ご丁寧に養父母の墓の隣に、自分の嘘の墓まで建てる念の入れよう)


だが、元々が悪党のエドワードに真っ当な暮らしは無理!


情婦の『フラン』(カレン・ブラック)と組んで司祭を誘拐。

身代金代わりに高価な宝石を要求するという、トンデモない《裏稼業》を生業(なりわい)にしていたのだった。




そうとは知らないブランチとジョージは、

「《甥っ子》を見つけ出せば本人も得するし、自分たちだって報奨金の一万ドルが手に入る!」と、完全に一挙両得、親切家気取りの気持ちである。


そうして、とうとうジョージは『エドワード・シューブリッジ』の名前と墓地を探し出した。



(亡くなっていたのか …… これで一万ドルも水の泡。パァーか …… )と落胆しかけたジョージだが、ある異変に気付く。


(いや!待てよ!この墓はシューブリッジ夫妻の墓に比べて …… )


同じ1950年に建てられたにしては、エドワードの方の墓は、やけに 新しい のだ!


疑念を抱いたジョージは、エドワードの死亡保証人が、雑貨屋を営んでいる『マロニー』(エド・ローター)という男になっていることを突き止めると、即座に訪ねていくのだが ………





アルフレッド・ヒッチコック監督、最後の映画。(後、1980年没になる)

そうしてヒッチコック映画には珍しく美男美女は全く登場しない!(特にカレン・ブラックの起用には「???」)



だが、この映画の構成は中々良い。


2組のカップルの思惑や行動を交互に描きながらも、それが交差する時、どんな反応を引き起こすのか?


一種の《科学的反応》な面白さがあるのだ。



その間にはさまれて、『マロニー』(エド・ローター)の姿がチラホラ。

右往左往している。(私がこれまで取り上げてきた映画に、(なぜか?)不定期に登場する、謎の【禿げたオッサン】(笑))


「アイツらをぶっ殺してやる!」


いちいちアダムソンの前で、ナイフを取り出しては凄んでみせるマロニー。

実は、このマロニーもアダムソンと一緒に、養父母を火事🔥に見せかけて殺した共犯者なのでした。(やっぱり!保険金目当てか?)


叩けば、いくらでも埃が出てくる悪党たちには、もはや、人の善意なんてのは全て真逆の悪意に見えてしまうのだ。

突然現れた、ジョージとブランチに、危機感さえ覚える悪党たち。


「エドワードの情報を教えてやる!」

わざわざ山奥の喫茶店にブランチとジョージを誘い出したマロニー。


二人が喫茶店で待ってる間に、チョイチョイと車に小細工する。(全く、あの飛び出しナイフは何だったのか?妙に小者感丸出しのマロニーさん)


そうして、待てど暮らせどやって来ないマロニーにシビレをきらせて、二人が車に乗り込むと ……


ゲゲッ!この車、ブレーキが効かないぞ!(お決まりといえば、お決まりの展開が待っていたのだった)




ここで、ヒッチ先生のいつもの悪い癖が出て ……


このシーンは《大失敗》する。


全くハラハラしないのだ。


なぜなら、このジョージが運転するシーンが素人から見ても、ヘタクソな合成ってのが、丸わかり過ぎるから!】 なのである。


ヒッチコック映画は、今まで、いつもスタジオ内に豪華なセットを組んで撮影してきた。

ヒッチコックが《アウトドア嫌い》の《インドア派》なのは有名な話である。


そんな《インドア派》のヒッチコックが撮る《車で走っているシーン》は、昔ながらの古いやり方である。


スタジオ内、停めた車に男女を乗せて、撮影カメラは常に男女の様子が分かるよう、真正面に固定。

車の後部座席に映り込む背景には、大きなスクリーンに別撮りしていた景色を映写してみせる。


これならスタジオ内でも車を走らせてるようなシーンが撮影できるし、これはサイレント時代から続いている古い手法の一つなのである。



モノクロ映画やテクニカラーの時代は、その手法でも良かったかもしれない。(他の監督たちだって、皆んなこぞってやっていたし)


だが、70年代にもなれば、撮影方法も変わり、初めからカラー・フィルムで撮影出来るようになってくる。


迫力あるカー・チェイスなんてのは、1968年に公開されたスティーブ・マックイーンの『ブリット』を観客たちは、既に観てしまっているのだ。


『007シリーズ』でも、ショーン・コネリー時代は、その手法を取り入れていても、ロジャー・ムーア時代には、たとえ《合成》でも走らせる車のアングルを変えてみたり、色合いや照明で、なるべく違和感がないような工夫がほどこされている。


だが、この【フィルム撮影】では、もうダメなのだ。


完全に(あら)》が見えすぎてしまっている。(車の中で必死に運転する『ジョージ』(ブルース・ダーン)のネクタイを引っ張りながら、叫んだり暴れたりする『ブランチ』(バーバラ・ハリス)が、まるっきりの馬鹿女に見えた)


だって観客には1976年時点でも、「コレ合成でしょ!」ってなのが、バレバレなんですもん。


(↑これはさすがに野外撮影である)



この後、なんとか無事に脱出したジョージとブランチを、今度は轢き殺そうとやってくるマロニーの車は、自損事故で谷底へ真っ逆さま。


大炎上してアホな最期をとげる。(やっぱり死んでしまうエド・ローター(笑))



それにしても、何でこんなシーンを、わざわざ取り入れたのだろう、ヒッチコックは?!


「俺は昔からこんなシーンが得意なんだぞ!」と思ってたのなら、もはや勘違い。

時代の流れに取り残されてしまっている。


70年代は、《生のアクション》こそ、重宝された時代だったのだ。(コンピューターやCGなんてのは、これより、まだまだ、ずっと先の話である)


このシーンが映し出された時、(まだ、こんな古いやり方をやってるのか …… ヒッチコックも …… )と、ガッカリした思い出がある。


ヒッチコックも柄じゃないカー・アクションなんてのに、この時、手を出すべきじゃなかったのだ。


つくづく残念なシーンである。



……… と、ここまで思うのも、この映画『ファミリー・プロット』はクライマックスに向けて、ここから俄然良くなっていくからなのだ。


ジョージの留守中、ブランチは、あの悪党アダムソンとフランの家に、単身乗り込んでいく!


ハラハラ、ドキドキの対決。

そうしてギリギリのところでの勝利。


最後には今までの伏線がキチンと回収されてゆく。


《なぜ?ブランチが霊媒師だったのか?》《盗んだ宝石をどこに隠しているのか?》が長々とした説明ではなく、ちゃんと絵面だけで納得させてくれるのだから、この点は流石の一言である。


(あのカーチェイスでの馬鹿女っぷりは何だったの?)と思うくらい、ブランチの株は、ここで一気に上昇して終わるのだ。


当時の批評家たちも自分と同じ考えだったと思う。


一口に《駄作》とも切り捨てられないし《傑作》とも言えない。

皆が平均点を与えている。


私の評価も星☆☆☆。

オバチャン顔のバーバラ・ハリスのウインク😉に根負けして、70点くらいで終わりにしたいと思う。


※それにしても、この映画で初めて知ったエド・ローターを、その後、何度も他の映画で見かけることになろうとは ……


この【禿げたオッサン】には、何やら因縁めいたものを感じる今日この頃なのである(笑)。


2023年11月23日木曜日

映画 「ねじ式」

 1998年  日本。





売れない漫画家ツベ(浅野忠信)は、海で《メメクラゲ》に左腕を噛まれてしまった。

右手で出血を押さえながら、医者を探して、知らない街中を彷徨い続ける ……


歩けど歩けど、まともな医者は見つからない。


そうして、代わりに出会うのは、チンプンカンプンな返答をする変人たちばかり。


現実なのか、夢なのか。

ツベはドンドン不条理な世界へと迷い込んでいく ……




その大昔、《貸し本》時代があった。

なんせ子供の小遣いが10円、20円くらいの頃、漫画なんてのは庶民には買えないほど、とても高価なモノだったのだ。


子供たちは少ない小遣いを手に持って、「お菓子を買おうか」、それとも「貸本屋に行って漫画を借りて読もうか」…… 大いに悩んだりする。


借りた漫画を友だち同士で、まわし読みしたりもする。


万事がそんな風なので、書店で漫画を買えるのは一部の金持ちの子だけ。


漫画が売れなければ、当の漫画家に入ってくる原稿料なんてのは微々たるモノ。

《漫画家》なんてのは儲からない職業の一つだったのだ。


私の子供時代、日本はちょうど高度成長期に入っていった。


貸し本漫画家出身だった松本零士水木しげるたちも徐々に作品が売れだし、景気が良くなると個人でも簡単に漫画本が手に入るという、俗に言うバブル時代がやってくる。


《漫画家》という職業が蔑(さげす)まされたのは遠い昔。

今や《漫画家》は(とても儲かる)憧れの職業となっていくのだった。


……… ただ、そんな中で、

この映画の原作者・つげ義春の漫画だけは、さっぱり売れない!


いつまで経っても貧乏暮らし。


それでもコツコツと描き続けていた、つげ義春の短編漫画も単行本としてまとめられると、やっと陽の目を見て、一般人の我々にも、いくつか目にする機会がやってきたのだった。


ある日、学生の私は小学館漫画文庫として出ていた『ねじ式』と『紅い花』を買って読んでみた。(なんせ文庫なんで、他の漫画本より格段に安かった)


初めて読んだ感想 ……

確かに画力は飛び抜けて上手い。(多分、アシスタントを雇う金銭的余裕すらなかったと思う。緻密に描かれた背景なども全て本人の自作)


でも内容の方は、一言で言うと、アングラ的。(特に『ねじ式』や『やなぎ屋主人』、『ゲンセンカン主人』など …… )


とにかく、

ドンヨリした空や海、寂れた温泉旅館や長屋を舞台にしては、毎回、退廃的な主人公(作者?)が、自分でも着地点すら分からないまま、ただ、彷徨い続けるようなお話ばかりである。



(なんだか、自分が時折みるような《悪夢》にも似ている …… )


人が持つ《不安感》を漫画にしたモノ。

つげ義春の漫画に、そんな感想を抱いた自分だった。


この時代、うまく《高度経済成長》行きのバスに乗れなくて、取り残された人々もいただろう。


そんな人々は、つげ義春の漫画に共感して、一部のマニアからは《マイナー漫画界のカリスマ》という称号を与えられる。(本人は全然嬉しくないだろうけど(笑))



(でも、決してメジャーには行けないだろうな …… )

このまま、自分のような変わり者が知っているだけのマイナー漫画家で終わるのかも …… 


だが、そうはならなかった!


1991年に俳優の竹中直人が監督・主演した『無能の人』が公開されると、その原作者である、つげ義春の名前もスポットを浴びて、たちまち世間一般に知れ渡る。


売れない漫画家が、河川敷で拾ってきた石を売るという、やっぱり地味〜話である。


映画は、そのシュールな内容から多少話題になり、ヴェネチア国際映画祭やらブルーリボン賞などで、なんらかの受賞をしていた記憶がある。(でも興行成績は良かったのか?)


つげ義春の原作や他の作品も装丁を変えて、続々と書店に並びはじめた。(出版社も「ここぞ!」とばかりの商売根性だ)


バブルがはじけて、人々が迫りくる不景気の大波に不安を感じていた頃、つげ義春の漫画は、この時代に案外マッチしていたのだろう。

たちまちメジャー漫画家の仲間入りである。



そうして、1998年には、代表作『ねじ式』が浅野忠信主演で映画化された。


もちろん、この映画の原作となる『ねじ式』も10数ページほどの短編なので映画の尺には当然足りない。

つげ義春の他の短編漫画をつなぎ合わせては、だいぶ肉付けされている。


それにしても売れない漫画家ツベ(浅野忠信)と、自堕落な夫を支える妻・くに子(藤谷美紀)の絵面は、パッと見、美男美女のカップル。



とても不条理な世界に入っていく住人には思えないのだけどね。


ただ、この映画、わずか85分くらいの長さでも、原作を読んでない人には、相当辛い時間。

「なんのこっちゃ分かりません!」、「つまらない!」で、途中で投げ出す人も大勢いるはずだ。


やはり、つげ義春の原作自体がマニアックなのだ。最初から万人受けするわけがない。

私の評価は星☆☆☆なんだけど、あまり一般的にはオススメはできないかも。



それでも、今回、この映画を取り上げたのは、ここ最近、自分に突然ふりかかってきたショックな出来事で、かなり精神的ダメージを受けた為。


この映画の主人公・ツベのように、現実の辛さから逃げ出し、いっそ不条理の世界に身を投じられれば、「どんなに楽だろう …… 」という気持ちと、「今はツラくても一日一日を、なんとか踏ん張らなければ!」という気持ち。


この二つが、毎日、不安定なシーソーのように交互に、どちらか一方に傾いたり揺らいだりしているのだ。


この映画は、今の自分にとって、一種の《戒(いまし)め》なのである。


それにしても、その後、漫画雑誌は次々と廃刊になり、漫画や小説も全く売れなくなった。


レンタルコミック?(大昔の貸し本と同じじゃないか)

BOOK OFF?(古本屋よりも酷い安値の叩き売り)

電子書籍?(漫画家たちにとっては、もはや微々たる印税しか入ってこないでしょうよ)


イヤな時代になったものだ。