2022年10月2日日曜日

映画 「スネーキーモンキー 蛇拳」

 1978年  香港。




ジャッキー・チェン初期の傑作『スネーキーモンキー 蛇拳』を久しぶりに観た。

もちろん、石丸博也の吹き替えでだ。


スッゴク面白かった!


面白かったけど、昔、子供の頃に観ていた時は、妙な思いで観ていたのを、同時に思い出してしまった。


テレビで放送されてた、この『スネーキーモンキー 蛇拳』。



ジャッキー・チェンの踊りのようなカンフー・アクションに感心しながらも、同時に、

「《香港》って、まだ、こんなに《貧しい》のか …… 」

と、子供心に思ったものだった。(失礼!)



この映画の公開年、1978年ともなれば日本は充分に近代化されていた。


道路はちゃんと舗装されていて、たくさんの車が走り、ビルやスーパー・マーケットも並んでいた。(地方でも)


もちろん各家庭には家電製品も揃っていた。


戦後の不便な生活はどこへやら …… 10歳より前の、自分の幼少の記憶をさかのぼってみても、そんな《貧しさ》の欠片なんて、微塵も思い出せない。


そんな日常が当たり前だった小学生には『スネーキーモンキー 蛇拳』の世界は、殊更、

貧乏くさく見えていたのだった。(重ね重ね超失礼!)



一応、ちょっとした村には、石畳で石造りの家々があっても、内部はかなりお粗末。


くすんだ壁に囲まれた部屋。

そこには、いかにも手作りの木製棚があり、あんまり綺麗じゃない皿やら瓶なんてのが無造作に飾られている。(花さえ生けてない、この殺風景さよ)


お茶ひとつ飲む器にしても(えっ?コレで?)ってな感じに見えてしまい、何となく不衛生っぽい。



道場で、孤児として居候するジャッキーに与えられた部屋なんか、更にお粗末の極みである。



壁もボロボロで、そこら中に木切れなんかが転がっている。


そんな場所にゴザを敷いて寝ているジャッキー。


まるで「廃墟か!」って感じだ。(病気になりそうだ)


そんな場所には猫も蛇も出入り自由である。(ヤダ!こんな部屋!(笑))


こんな寂れた村でも、まだ美女やらイケメンが出てくればマシなのだが、美女どころか女は、近所の オバサン がチョコっと顔を出すくらい。


道場いる男の門下生たちは、 皆が ブサイク ぞろいだ。(変なところにデカいホクロがあったり、鼻が横に広がっていたり、山羊髭をはやしていたり …… よくこんな連中を大勢揃えたよ)



着ている洋服も、皆がオシャレとは程遠い、簡素な格好をしている。



そうして、トドメはこの人!


蛇拳使いで、ジャッキーの師匠になるこの人を初めて見た時はビックリした。


ユエン・シャオティエンは、なるほど、年齢を感じさせないくらい、とても素晴らしい身体能力を見せてくれる。(早い!強い!身軽!)


ソレはソレで素晴らしいのだが、そんなのを置いといても、やっぱり第一印象は、正直言って《コレ》だった。



きたなしい〜爺さん(重ね重ね本当に失礼!でも小学生からは、こういう風に見えたんですもん)


伸ばし放題の髪の毛や髭。

髪の毛は、まるで シダ箒(ほうき)か?!ってな具合だ(笑)。(床屋すら無いのか?ココには!)


シダ箒》


穴が空いていて、足指がのぞくようなボロ靴。

妙に不潔そうな赤鼻。


貧乏》、《ホームレス》etc …… ここにも書けないようなワードの数々が、頭の隅を駆けめぐる。




一番小綺麗でマシだと思えるような格好をしていたのが、この人だったかも。


敵役のウォン・チェンリー


それでも、この人も長い髪を三編みにして、ブーメランのような口髭という、珍妙なビジュアルである。(まるで『ドラゴンボール』に出てくる桃白白(タオ・パイパイ)みたいだ)




結局、ボロをまとっていても、マトモそうなのはジャッキー・チェンだけか。(ジャッキーの顔も決してイケメンとは言えないのだが、こうも周りが酷ければねぇ〜 …… )



とにかく、道場で虐げられながら育ってきたジャッキーが、師匠となるユエンと出会い、厳しい修行を得て強くなっていく過程は、やっぱり今観ても胸が熱くなるし、痛快だ。


最大の敵ウォン・チェンリーとの(本気)対決も圧巻である。(歯まで折れたジャッキー)


映画は大ヒットして、ジャッキー・チェンの名前はこの1作で一躍メジャーに躍り出る。(監督はユエン・ウーピンユエン・シャオティエンさんの息子さんでございました)



でも、小学生の頃の私は、こんなに面白いにも関わらず、一方では冷めた感想を持っていたものだった。

「貧乏な村で、貧乏そうな人たちが集まって、一生懸命闘っている …… 」なんてヤツ(笑)



でも、これも今なら、ちゃんと分かっている。

単に小学生だった自分の、大きな勘違いなのだという事を。



実際の香港が、こんなド田舎であるはずがないじゃないですかー!(笑)



要は、この『スネーキーモンキー 蛇拳』が、都市部から離れているような、簡素な場所での撮影だったってことだけなのだ。


しかも、後から調べたら、大昔の清朝時代(1900年代の初頭くらい)という時代設定もあったらしいのだ。(てっきり公開年の1978年だと思って観てたわ)



《当時の香港》=《貧しい》のイメージも、今じゃ、少しは払拭(ふっしょく)できたかもしれない。(でも無理ないか …… 綺麗なモノが何も出てこなくて、この面子じゃ〜、ねぇ~?)



尚、ジャッキー映画は、今だに役名を覚えられない情けない私。


だって、なんの映画でも、ジャッキーはジャッキーなんですもん。(明るいジャッキー、愉快なジャッキー)

その点だけは、どうぞ御容赦を。



なんだか最後まで『蛇拳(じゃけん)』を『邪険(じゃけん)』に扱うようなレビューでございました(笑)


上手くオチがついたところで、この辺で。


お後がよろしいようで。

星☆☆☆☆。


2022年10月1日土曜日

ドラマ 「獣拳戦隊ゲキレンジャー」

 2007年2月〜2008年2月。




たぎれ!獣の力!!ビースト・オン!!


東映のYou Tubeで、最近配信が始まった『獣拳戦隊ゲキレンジャー』をついつい観てしまう。


放送当時もけっこう気にいって毎週観ていたものだが、ヤッパ面白いゲキレンジャー


なんせ特撮モノの《良心》といえるような坂本浩一監督が関わっているんですもんね。(私のお気に入りである『仮面ライダーW』も坂本浩一監督)


放送当時、この『ゲキレンジャー』は、視聴率的な事や玩具の売り上げで伸び悩み、苦戦したらしいが、んな事は 関係ないし、どーでもいい!


とにかく特撮ヒーロー・ドラマとしては、完成度が高いし、とても良質な作品なんですから。(絶対観るべし!)


ゲキレンジャーのモチーフはカンフー


正義の《激獣拳ビースト・アーツ》と悪の《臨獣拳アクガタ》が、毎回熱い死闘を繰り広げながら、お話は進んでいく。


もちろん、正義の《激獣拳》使いであるゲキレンジャーたちも最初っから完璧に強いわけではない。


課題として出される《修行》を、1つ1つクリアーしながら、少しずつレベルアップしていくのだ。



ここで、オッサンである私の愚痴を少しだけ …… 。


最近の特撮モノでは、この点が 特に ダメダメなのだ💢。 


いくらスポンサーが玩具を売る為とはいえ、毎度毎度、安易にレベルアップしすぎである。


ストーリー展開なんて、二の次、三の次。


最近のライダー・シリーズなんて、どんどん派手な色合いの、まるで飾りたてた孔雀のような見た目になってきた。


耳をつんざくような(キィー!キィー!)やかましいベルト。


それが敵も味方も交えて、次から次への新変身を簡単に繰り返す。


レベル・アップのカタルシスさえも全く感じない。(もはや原形を忘れてしまうほど。何度変身するんだ?オイ!(笑))



戦隊シリーズでは、新ロボットや新兵器が次から次に出まくりで、それが変に合体していくと、とてもカッコイイは言えないくらいのイビツな形になっていく。(「これじゃ、全然動けねぇ~だろ〜よ」てのもある)


もはやヒステリー状態。末期的症状である。(ダメだこりゃ!)



その点、この《ゲキレンジャー》は、そんなモノを無理なく消化できていて、とても上手い具合にやっていると思う。


子供番組や特撮モノだとしても、やっぱり《ドラマ》は《ドラマ》なのだ。


観ている大人や幼い子供たちを侮(あなど)るべからず。

今後もシリーズを続けていきたいなら、お話の方にこそ、もっと重点をおくべき事をオススメしとく。



それには、どんな新シリーズでも、第一話が、一番重要になってくる


来週も「是非観なければ!」と思わせる …… 全ては、この《第一話》の出来にかかっていると言っても過言じゃない。


そういう意味では、第一話からして、この《ゲキレンジャー》は格段に出来が良いのだ。


森林深い樹海でたった一人、虎に育てられ、獣たちと暮らしてきた野生児『ジャン』(鈴木裕樹)。


そんな場所へ、ある日、小型飛行機が墜落してくる。🛩️

なんとか脱出した激獣拳使いの『ミキ』(伊藤かずえ)。


ミキは敵の臨獣拳たちに襲われたのだ。

だが、生身のミキは臨獣拳の手下たちをバッサバッサと倒していく。


「激獣拳スゲェ〜!!」

すっかり感動したジャンは、ミキに保護されて、都会の激獣拳ビースト・アーツ本部へと連れられてくる。(樹海の中でも、助けを呼ぶ為の携帯電波は繋がったのかな?(笑))


そこには猫の顔をした激獣拳の師匠『マスター・シャーフー』(猫?)やら、同じように激獣拳を学んでいる『ラン』(福井未菜)と『レツ』(高木万平)の姿も。


ランとレツの修行を見て、天真爛漫なジャンは大ハシャギ。

「俺もやるぅ~!」と、早速乗り込んでいく。(二人はポカ〜ン顔。「なんなの?この子?!」って感じ)


そんな時、ジャンの第六感が妙な気配を察知した。(野生児ゆえか?)


「なんだコレ?ゾワゾワする …… 」

急いで現場に駆けつけるジャン、レツ、ランの3人。


街では、悪の臨獣拳の化け物たちが大暴れして、破壊の限りをつくしていた。

レツとランは、早速『ゲキブルー』と『ゲキイエロー』に変身して応戦。


ジャンは、変身も出来ずそこへ立ち尽くすだけである。


そんなジャンの目の前で敵の親玉が小さな女の子に手をかけようと近づいてゆく。


震えて泣き叫ぶ女の子。(これ、『ポニョ』の大橋のぞみちゃんじゃないですか!)


それを見て、ジャンの心に火がついた。🔥


やめろぉーー!その子から手を離せぇーー!


ジャンの怒りが頂点に達すると、巨大な虎のオーラが全身を覆うように包み込む。


『ゲキレッド』の誕生である。


その後は爆発的な『ゲキレッド=ジャン』の力が大炸裂!💥

敵は「こりゃ、もうたまらん」と突然、巨大化する。(戦隊モノの定番ね)


と、そこへ、あの師匠である猫のマスター・シャーフーが同じように巨大化して現れた。


ゲキレンジャーの3人は驚いて見上げながら、第一話は、これにて幕。


次回へと続くのである ……


まるでヒーロー・モノのお手本みたいな第一話。


主人公である『ジャン』(鈴木裕樹)に、大きくスポットが当たっているのが、充分に分かる仕上がりになっている。



物語の世界観もそこそこに、

登場人物たちの紹介をパッパ!と済ませて、

すぐにでも変身させて闘わせたい。


スポンサーも番組プロデューサーも、ガンガン!オモチャの宣伝をして売りたいだろうが、そこは、もう少しだけこらえましょうや。


間口を広く、この物語の世界観に視聴者を引き込むためには、主人公の魅力を存分に語る時間が必要なのだから。


主人公の置かれた立場、性格描写、心理描写 …… 

そんなのを充分に描く事が出来てこそ、視聴者が初めて見るような特殊な世界でも、主人公の目線で、物語を追っていく覚悟がやっと出来るのだから。


それさえ無事に終わってしまえば、もう安心。


異形のヒーローに変身しても、視聴者は主人公の気持ちで、同一にも観てもくれる。(第一話のクライマックス近くで、やっと変身して闘うジャンに、観ている側も気分は 最高潮!🔥大興奮である)


コレで掴みはOK!


第二話以降は、ブルーやイエローなど他の戦隊や仲間たちにスポットを当てて語るも良し。敵を語るも良し。

好き勝手、自由にやってくれてもいいと思う。



ただ、第一話だけは、定番と言われてもセオリー通りじゃなきゃ ダメ なのだ!


第一話で《主人公》をおざなりに扱っている作品は、戦隊モノでもライダー・モノでも、ことごとく失敗していると思う。(誰もが、いくつか思い当たる作品があるんじゃないかな?)



しかも1年間の長丁場なら尚更である。


こんな下地が出来てこそ、中盤に出てくるような追加戦士などもイキイキしてくるというもの。(「追加戦士にレギュラー陣はどんな反応をするんだろう?」と、ひときわ別の興味も湧いてくるのだ)


ゲキレンジャーの追加戦士は二人。



『ゲキバイオレット=深見ゴウ』(三浦力)は、『ゲキブルー=深見レツ』(高木万平)の行方不明だった兄貴。

戦隊モノにしては、珍しい《紫》がトレードカラーになっている。

けっこうな肉体派だ。


『ゲキチョッパー=久津ケン』(聡太郎)は、ロン毛で髭面の調子の良い男。

この戦士だけ、《白》なのか《オレンジ》なのか、色設定が曖昧である。(名前も《チョッパー》だし)


髭面の割に愛嬌がある聡太郎さんは、どの場面でも笑顔なんだけど、なぜか?いつも涙目だったような記憶が💦。(新人ゆえ、こっぴどく現場スタッフたちに怒られていたらしい。※詳しくは聡太郎さんのYou Tubeチャンネルをご覧あれ)


それでも、上記の写真を見ても分かるように5人は仲良さそうだ。



それぞれのキャラクターが立ってくると、番組も中盤以降は大盛り上がり。


謎だった伏線が回収され、ハードな展開をはさみながら、怒涛のクライマックスへと流れていく。


ゲキレンジャーはトータル的に見ても、数多い戦隊モノの中で、それが上手くいったような稀な作品じゃないだろうか。



こうして何年経っても、私のゲキレンジャーへの評価はいまだに高い。


観た事がある人は、あの当時を懐かしがって、初めて観る人は期待して ……

存分に楽しんで頂きたいと思う。


みんな、ニキニキのワキワキだぜ~!(ジャン語ならこんな感じか?(笑))


2022年9月26日月曜日

映画 「俺は善人だ」

 1935年  アメリカ。

 



エドワード・G・ロビンソン(1893〜1973年没)という俳優は、(随分、損してるなぁ~)と、勝手にそう思っている。


エドワード・G・ロビンソンが出演する映画を観たのは、今回で2度目。

ビリー・ワイルダー監督の『深夜の告白(1944)』にもロビンソンは助演として出演してました。


手足が短く、バランスの悪い体つき。

四角い顔が乗っかっているロビンソンは、お世辞にもカッコイイとは思えない。


こうして、お顔の方にクローズ・アップしてみれば尚更である。


広い額。

切れ長で細い、奥二重の《ジト〜とした目》

短い鼻。

横に伸びたデカい口は、《薄い唇》上下を覆われている。


こんな独特な顔も、慣れてくればユーモラスに見えてくるんだろうが、初対面で受ける第一印象は(ド〜ンヨリ)なんだか 暗〜い 感じだ。



こういうタイプが「俳優になろう!」としても、順風満帆じゃないのは、おおかた予想がつく。(「苦労するだろうな~」 …と思っていたら、やはり案の定でした)


若い頃は舞台やチョイ役の繰り返し。

やっと芽が出たのは、中年期に差し掛かってきてから。


犯罪王リコ(1931)』のギャング役が当たり役となる。(ギャング役と知って妙に納得)

それにしても、なんてチンチクリンなギャングなんだろか(笑)》


とにかく、これを足がかりにチャンスをつかんだロビンソンにも、ようやっと、主役の座がまわってくる。


それが、あのジョン・フォードが監督する『俺は善人だ(1935)』なのである。


しかも、西部劇や感動ドラマを得意とするジョン・フォードには珍しく、この映画は異色のコメディー・ドラマなのだ。




勤勉で真面目な『アーサー・ファーガソン・ジョーンズ』(エドワード・G・ロビンソン)。


そんなジョーンズに昇進話が出てくるのだが、同時に

「今度、社内で一番遅刻してきた者はクビにしろ!」と、社長からジョーンズの上司にお達しがくる。


「ジョーンズ君はどうしたんだ?」

「まだ来ておりません」

たまたま目覚ましが壊れて、この日は運悪く大遅刻のジョーンズ。


恐る恐る席に着くと、上司が苦虫を潰した顔でやって来る。

「あ〜、君に昇進の話が来てるが、社長からは『今日遅刻してきた者を、即刻クビにしろ!』の命令だ。クビにした者を昇進する事は出来ない。わたしゃ、いったい、どうすればいいのかね?!」


と、そこへ鼻唄を歌いながらルンルン♪

優雅にタイムカードを押して女性が現れた。


目下、朝の9時半である。(出社は8時半)

ジョーンズより更に遅れてきた『ミス・クラーク嬢』(ジーン・アーサー)は、即刻「クビ!」を言い渡される。(間一髪、助かったジョーンズ)


それでも、クラーク嬢はどこ吹く風。

まるで気にしてる様子じゃない。


「でも、今日一日は、ここにいてもいいわよね?」と言いながら、自分のデスクに着くと、ポン!と脚をくんで、勝手に新聞なんてのを読み出した。


上司は(もう、お手上げ!)の呆れ顔で離れていく。


そんなクラーク嬢、新聞のニュースを見て、後ろに座っているジョーンズを振り向くと、途端に、けたたましい声をあげた。


「この暗黒街の脱獄王の顔、あなたにそっくりじゃないのぉーー!!」


写真を見てジョーンズもビックリ。

その声につられて社内中の人々が集まってきて、テンヤワンヤの大騒ぎ。


「オーーイ、ここに《脱獄王》がいるぞー!」の冷やかしの声も。


たまたま偶然の他人のそら似。

でも、事はそれで済まなくなってきて ………




この後は、暗黒街のボスに間違われたジョーンズが警察に誤認逮捕されたりして、スッタモンダ。

当の大ボスがジョーンズの目の前に現れたりして、トンデモない展開へと流れていく。



この映画、やはりジョン・フォード監督の映画らしく、傑作だし、とても面白かった。

「ジョン・フォード映画にハズレ無し!」の信頼ゆえ、「一度は観てみようか …… 」と思った次第である。


エドワード・G・ロビンソンも二役を演じていて中々の演技力を見せてくれる。


ただ、……… 『エドワード・G・ロビンソン』が《主役》って事だけで、観る気になったか、どうかはあんまり自信がない。



確かに演技力はあると思いますよ。

長い下積みや経験は、その演技力を磨いてくれていると思うのだが、如何せん、この人、


全く、写真映えしないのだ!(可哀想に。こればっかりはどうしようもない)


映画の中の、様々な場面のスナップ写真を見ても、どれもこれも見栄えがしないロビンソン。(全体像はともかく、このジト〜とした目と真一文字に結んだ口がねぇ~)



これじゃ、ロビンソンの映画を観た事がない人には、「観てみようか …… 」なんて食指は、なかなか動きにくいかも。


こんなに演技力はあって面白いのにね ……



故に、最初に書いたように

「損してるなぁ~」の答えに、やっぱり帰っていくのである。



どんなに演技力はあっても、

《映画スター》=《写真映え》って、(やっぱり大事なんだなぁ~)と、考えさせられた一本なのでございました。(映画は星☆☆☆☆)



※それにしても、この邦題、ロビンソンの当時の意を汲んで担当者がつけたのだろうか?


《善人》役、きっと嬉しかったんだろうな。


2022年9月19日月曜日

ドラマ 「鱶女」

 1980年  8月。





このタイトルの漢字が読めます?

私は読めなかった。


調べてみると、《魚》に《養う》と書いて、《鱶》(ふかと呼ぶのだそうだ。


で、その《鱶(ふか)》だが、

「普通サイズよりも、さらに巨大な大型鮫(サメ)」の事を意味するのだそう。(なら、タイトルの方も《鮫女(サメおんな)》で充分よさそうだけど)


あ、そうそう、食べ物の《フカヒレ》ってのがあるでしょう。

あの《フカ》だと覚えておけば良いかも。


そして、このドラマのタイトルが『鱶女(ふかおんな)』で、こんなオドロオドロしい副題がついていれば、お察しのとおり。




これは、夜ごと、鱶(ふか)に変身しては、人間を襲い続ける、鱶女の復讐劇。

ホラー・サスペンス・ドラマなのである。




一年前、思わぬ自動車事故で結婚間近だった恋人『今日子』(夏樹陽子)を亡くしてしまった『津川敏夫』(大和田獏)。



それからは空虚な日々だけが流れて ……


敏夫は今日子と二人で楽しく過ごした事のある想い出の漁港に、フラリやってきた。





母親と民宿を営んでいる『静香』(香野百合子)は、そんな敏夫に再び出会えて大喜び。


ちょうど、しつこい網元に言い寄られていてウンザリしていたのだ。(顔が怖いし(笑))





そんな折も折、漁港では大勢の人たちが集まって大騒ぎ。

無人の船が見つかり、乗っていた漁師の若者カツゾウの姿が見当たらないのだ。



「こりゃ、カツゾウの奴、海におちたんか」

「きっと鱶(ふか)にやられたんだ!」



町がそんな騒ぎになってるとは、露知らず。

敏夫は、想い出の離れ小島までモーターボートを走らせた。



小島に着いて短い洞穴を抜けると、砂浜には脚を怪我した一人の女性が横たわっている。


その顔を見て敏夫は驚いた。

(今日子、今日子の顔にそっくりじゃないか!!)




海女(あま)をしているという、その女(夏樹陽子・二役)は、死んだ恋人・今日子に瓜二つ。

まるで生まれ変わりというくらい、生き写しだったのだ。



元々、死んだ今日子が美人でスタイル抜群。

それと同じなら尚更。

敏夫はひと目見て、惚れた!♥(だろうな(笑))



それからも、あの美人の海女さん会いたさに、心配する民宿の静香の腕を振り切って、海に出ていく敏夫。


それを見て、勝手に勘違いして、嫉妬の炎をメラメラと燃やす網元の男。


「あのヤロー、静香に色目を使いやがってぇ~」(あぁ、とんだ勘違い)



その間も、次々、漁師の若者が、夜の海に響く謎の女の声に誘われて、恐ろしい鱶(ふか)の餌食で殺されていく ……



こんな状況下で、村の長老(加藤嘉(かとう よし))が、とうとう黙っておられず、ポツリ、ポツリと話だした。


「二ヶ月前、お前たちは入り江に舞い込んできたオスの鱶を殺しただろう。メスの鱶は痛手を負ったが逃してしまった。そのメスの鱶が人間の女に化けて復讐にやってきたのだ!」


トンデモない話に村の若い衆は、「何を馬鹿な事を …… 」と笑っているが、半端、長老の話を信じている。


「大昔にも同じような事があった。《鱶女》がやってきて村人を襲ったんだ。暗闇の中、異様に目を光らせて …… 」



もう、網元も他の男たちも、すっかり《鱶女》の存在を信じ込んだようである。(この人が話せば、こんなヘンテコな逸話でも妙に説得力があるのだ)


「こうなりゃ、《鱶女》を探しだして、ぶっ殺してやるんだ!」


一致団結、単純な若者たちをまとめあげて、単細胞の網元は《鱶女》探しに乗り出した。


「何日か前から、別荘に泊まっている《マヤ》って女が、どうも怪しいぜ」

誰かが言い出した。


どうもカツゾウや他の若者も、死ぬ以前に、そのマヤに誘惑されていたようなのだ。


網元と若い衆は、マヤの泊まっている別荘へと繰り出すのだが ………



随分思わせぶりで、突然現れてきた美女。

でも、勘の良い人なら、

「こんな女が《鱶女》であるはずがない!」と思うはず ………


案の定、

《鱶女(ふかおんな)》= 夏樹陽子から目を逸らすための、ただのフェイクの脇役でございました。(こんなのに騙されるのはドラマの中のアホな漁師たちだけだ)



謎の方は単純だが、このドラマの楽しみ方は、夏樹陽子の美貌やプロポーションを愛でること。


若き大和田獏が、モーターボートを自在に操り、美しい海で素潜りをしたり、スキューバダイビングしたりして、夏樹陽子と「キャッ!キャッ!」と戯れる様子に見入る事である。(今じゃ考えられないほど、けっこうアクティブな大和田獏にビックリする!(⁠´⁠⊙⁠ω⁠⊙⁠`⁠)⁠!)


もちろん、実際の鱶(ふか)が現れる場面は緊迫感があってゾワゾワするが、鱶女と敏夫の道ならぬ恋が、このドラマのメインテーマだろう。



でも、この1980年に、なぜ?これが突然映像化されたのか?


1975年にはスピルバーグが監督した『ジョーズ』が公開され、ちょいとした《ジョーズ・ブーム》が、日本にも到来する。(『ジョーズ』は案の定シリーズ化され、『2』、『3』、『4』と1987年まで続いてゆく)


この時期、土曜ワイド劇場では夏になると定期的にホラー・モノを必ずやっていた。


ならば、「日本でも《サメ》を題材にしたモノが作れないだろうか?」

な〜んて事を考える輩も出てくるのは、ごく自然なこと。


そうしたら、日本にも《サメ》を扱った小説が既にありましたがな!


それが、石原慎太郎が、大昔に短編小説として書いていた『鱶女(ふかおんな)』なのでした。


石原慎太郎氏》


若い人には、気難しそうな顔で雄弁と喋り倒す東京都知事の思い出しかないだろうが、この人は元々、小説家として世に出た人である。


こんな情報も、もはや私世代がギリギリ知っているか・いないか、なのかもしれない。(映画『太陽の季節』や弟・石原裕次郎主演の『狂った果実』は、この人の小説が原作)



それでも、この『鱶女』は意外だった。


(こんなホラー・モノも書いているのか …… 石原慎太郎 …… )


てっきり、弟・裕次郎が主演した映画、アウトローの青臭い青春小説みたいのばかりだと思っていた自分は、目から鱗。


ただ、このホラー・サスペンス『鱶女』でも、青春小説の香りは少しだけ残っている。



とうとう正体がバレて、『鱶女』(夏樹陽子)を岩場に追い詰めた網元や漁師たち。

必死に逃げる『鱶女』を庇いながら、「やめろー!」と、一人声を張り上げる『敏夫』(大和田獏)。


鱶女が海にダイブすると、そこをめがけて漁師たちが、何本もの銛(もり)を打ち込んでくる。


海面に漂ってくる真っ赤な鮮血。

「きっと、あの女、死んださ …… 」


皆が散り散りに引き上げていく中、敏夫だけは信じない。


(きっと …… きっと …… 生きている …… )


次の日から、深海を潜りながら『鱶女』を探してまわる敏夫。


広い海の中を、あてもなく、泳いでいる敏夫を映して、ドラマは《END》となる ……



なんか、ロマンチックな終わり方である。


こんなドラマを観てしまうと、石原慎太郎のイメージも180度変わってしまう。


生前、あんな気難しそうに思えたけど、この人、案外ロマンチストな人だったのかも …… と。


これも昭和が残した名作と言っていいんじゃないかな?


※それにしても、やっぱり夏樹陽子さんはお美しいわぁ~(デレ〜)