2019年12月13日金曜日

映画 「フローレス」

1999年 アメリカ。






マフィアの首領『ミスターZ』のところから大金を盗んだ若いチンピラの青年、『レイモンド』。


追っ手の手下に追われながらも、必死で逃げきり、恋人の娼婦『アンバー』のいるアパートまで、何とかたどり着いた。



そこは、色々な事情を抱えた多様な人々が暮らす場所。



3階には、元刑事の『ウォルト』(ロバート・デ・ニーロ)が住んでいる。


昼間は、町中で友人とスカッシュで汗を流し、夜はダンスホールでタンゴを踊る。(イキな趣味)


そんなウォルトが自分の部屋に帰って来ると、今日も斜め上の5階からは、また、《アイツら》の歌声が。



「うるせぇーぞ!窓を閉めて歌いやがれ!このオカマ野郎!!」


奇抜な格好をしたドラッグ・クイーンたちが大声でステージの練習の為に歌っているのだ。


「なにさ!そっちこそ窓を閉めなさいよ!」太ったドラッグ・クイーン、『ラスティー』(フィリップ・シーモア・ホフマン)がウォルトめがけて叫ぶ。



「黙れ!貴様もゲイもくそくらえだ!」

「そっちこそ、くそくらえよ!!」

こんな応酬が毎日続く。




そんなアパートに夜半、銃声がこだました。


ミスターZの手下たちが、とうとう、レイモンドとアンバーを探しだして、襲ってきたのだ。


「金はどこにある?!」

二人は頑として口を割らずに、手下共に殺された。



そんな銃声を聞いて、元刑事のウォルトは銃を片手に階段をのぼって駆けつけようとするのだが、………何故か?フラフラして足に力が入らずに、そのまま崩れ倒れた。


(おかしい……いったいどうしたんだ……お、俺は………)


警察が駆けつけて、レイモンドとアンバーの死体を発見すると、階段下で倒れているウォルトにも気がついた。


ウォルトは、そのまま救急車へ。



気がつくと、病院のベッドの上だった。


うっすら、目を開くと医者と刑事の姿が。


「ウォルトさん、あなたは脳卒中をおこしたんです。右半身に少しばかり麻痺が残りました」


ウォルトは絶望する。




杖をつき、言葉も上手く出てこない。


あんなに楽しかったスカッシュやタンゴも踊れない。


「う、う、う………」ウォルトは一人涙する。(可哀想なデ・ニーロに観ているこちらもウルウル)





一方、アンバーの親友ラスティーも落ち込んでいた。


殺されたアンバーの遺灰を持ち帰って、トボトボ帰宅すると、あのミスターZの手下たちが待ち構えていた。


「おい!金が見つからないぞ!お前がアンバーから預かっているんだろう?!」

「そんなもの、知らないわよ!」


手下は大事そうに持っているラスティーの箱に目をつけて、「その箱は何だ!よこせ!」と奪った。


「アンバーの遺灰よ!」

「ウェッ!気持ち悪りぃ~」

「しばらく見張っているからな!覚えていろよ!」手下は遺灰を投げ捨てて出ていった。


「あたしのケツでも見張ってなさいよ!」

ラスティーは、暗い部屋で遺灰を集めると蝋燭を立てて、アンバーを弔った。




そして、数日がたち、アパートに閉じ籠って出てこないウォルトを心配して、病院から親切な医者が訪ねてきた。


「ウォルトさん、ちゃんとリハビリすれば回復するし、気持ちも明るくなるのよ。病院に来るのが嫌ならリハビリ要員に来てもらう事も出来るんですよ」


ウォルトは無言だ。そんな声を窓からラスティーが偶然聞いていた。




こんな不具な体のウォルトだが、とにかく毎日の日常の事は自分でこなさなくてはならない。


だが、とにもかくにも、やはり上手くいかず、洗濯しようとするもランドリーの前で倒れこんでしまう。


そこへ通りかかったラスティー。

「まぁ、ウォルト大丈夫?手を貸すわ」と、ラスティーが起こそうとするも、その手を払いのける。


「フガ、フガ……、あっちに行け!、近寄るな!フガ……、オ、オカマ野郎ぉ~!」


こんな体になっても我の強いウォルトに、ラスティーも、ついにカチン!

「なにさ!触ればゲイが移るとでも思っているの?この石頭!」


やはり、会えばこの繰り返しである。




だが、次の日、ラスティーの部屋をノックするウォルトがいた。



昨日の出来事にウンザリしているラスティーは無愛想に、「何の用なの?」とつっけんどん。


「歌のレッスンをしてくれ、……フガ、フガ……か、金は払う」ウォルトの申し出にラスティーは、一瞬ポカ~ン顔。


「あんたに教えるくらいならヒトラーにフェラした方がマシよ」


ラスティーは無情にもドアを閉めたが、諦めてトボトボと、頼りない杖をついて帰っていくウォルトの後ろ姿に、なぜか後ろ髪をひかれて……


「お、お金をくれるなら明日、レッスンするわ!」と、つい声をかけてしまった。


(そうよ!ラスティー、私は『奇跡の人』のアン・バンクラフトのように、彼を救うのよ……)


そう言い聞かせるラスティー。



かくして、ドラッグ・クイーン、ラスティーを先生に、ウォルトの歌のレッスン(リハビリ)が始まるのである ………





名優ロバート・デ・ニーロと演技派フィリップ・シーモア・ホフマンの丁々発止のハート・ウォーミング・アクション・コメディーである。



介護人と患者の人種を越えた友情を描いた『最強のふたり』を以前、ここでも取り上げたが、こちらは、同じような主題でも性差別の壁。



そして、自分の感想としては、こちらの方が「断然、面白い!」と、軍配をあげたい。




デ・ニーロは流石で名演技。



ラスティーでなくても、このデニーロの演技には、観ているこちらも「助けてやりたい、何とかしてやりたい」と思ってしまう。


石頭で偏見の塊。素直じゃなくてへそ曲がり。
でも、寂しがりやなのに、それを気持ちに上手く表せない。

そんな複雑なウォルトを、上手く演じている。





そんなデ・ニーロに対するラスティー役のフィリップ・シーモア・ホフマンも負けてはいない。


普段は口八丁でも、オカマさんの悲哀が充分伝わってくる。(そして極度のお節介やき)



もう、とにかく、この二人のやり取りが楽しい。

「このオカマ野郎!」

「なにさ!威張りん棒!でくのぼう!」


レッスン中も喧嘩したり、なだめたり、また、喧嘩したりの繰り返し。



それと、消えた『金』はどこにあるのか?の謎と平行して物語は進んでいく。


残念ながら、興行的には、この映画、成功しなかったらしいが、私は俄然評価したい。



こちらを観ると、『最強のふたり』なんかよりも、ずっと楽しめるはずだ。


レンタル店の棚から偶然、見つけた1本だったが、こちらも「ビビッ!」と何かの感がはたらいた。


星☆☆☆☆である。

※映画好きには、ラスティーが、色々な場面で、独り言のようにつぶやく映画の数々に、きっとニンヤリするはずである。

2019年12月9日月曜日

映画 「第七のヴェール」

1945年 イギリス。






「外科医が手術をするときに服を脱がせるように、我々、精神分析医も、心の中に幾重にも覆われたヴェールを1枚、1枚剥ぎ取っていく事が仕事だ。そして、それは、恋人や親しい人にも決して見せた事のない『第七のヴェール』までもある。そこまでを今から剥ぎ取り、彼女の心の奥底にある秘密を調べなくてはならない。」



高名な精神分析医『ラーソン博士』(ハーバート・ロム)は、そう言うと、患者の『フランチェスカ・カニンガム』(アン・トッド)を診察台の椅子に座らせた。


ラーソン博士の指示で、フランチェスカに催眠剤を投与する看護師。


フランチェスカの目は、どこを見ているのか虚ろで、微動だにしない。


何度も何度も、医者や看護師の目を盗んで、病院を脱走しては、自殺を謀ろうとする彼女。


ピアニストの彼女が、なぜ?自殺を謀ろうとするのか……その根本となる原因を突き止めなくては。


薬が効いてきたのか……フランチェスカの瞼がユックリと閉じていく。


「フランチェスカ、過去に戻っていこう……君はまだ学生だ。そう、14歳くらいの少女だ。何が見える?」


ラーソンの問いかけに、フランチェスカの意識はさかのぼり、遠い昔を思い出していた。



厳しい全寮制の学校生活……。

母親は既に亡くなり、次に父親の死……。


そして、引き取られた屋敷で初めて会った、偏屈で変わり者の叔父、『ニコラス』(ジェームズ・メイソン)………。





精神分析を織りまぜた珍しいメロドラマ。



ジェームズ・メイソン主演で、以前、『霧の中の戦慄』を紹介したが、それも犯罪者の心理分析のようなお話だった。


この1940年代の当時って、よくよく考えてみると、こんな精神分析やら心理分析、犯罪者の心理に焦点をあてた映画が多い。


一種のブームみたいなものだったんだろうか?


何だか当時の世相(戦中、戦後)の状況が関係しているように思えてならない。



戦後、心に深い傷を追い、極端に人格さえも変わってしまった人々を、心理分析の力によって何とか救済しようとする試みが、特にあった時期だったのかも。




まぁ、何にせよ、これからも40年代の映画を振り返る時、この手の映画は、まだまだ出てくるかもしれないと思う。





で、ラーソン博士の催眠治療は、その後、どうなったかというと………、


次々と明らかになるフランチェスカの過去。


そこに現れるサディスティックで高圧的、暴君のニコラスをジェームズ・メイソンが演じているのだが……とても、とてもイヤ〜な野郎で、超ムカツク男。(メーソンの演技力なんだろうけど、最後まで好感が持てなかった)



足が悪くて杖をついているこの男。


身体的な障害だけじゃなく、ねじれた性格は、この男こそ精神分析や治療が必要なんじゃないかと思ったくらいだ。


フランチェスカの初恋相手ピーターとの間を無理矢理引き裂き、フランチェスカを叱咤しながら、強引にピアニストの特訓を強いるエゴイスト。



片時も自由さえ与えず、息のつまるような生活を無理強いするニコラス。(こんな男のそばにいたら、そりゃ逃げ出したくなるし、死にたくなるわな)



まるでフランチェスカを自分の持ち物のように扱うニコラスなのである。



やがて、画家のレイデンと知り合い、駆け落ちしようとするフランチェスカに、


「私を裏切るのか?!」

と、激怒するニコラスは、ピアノを弾いているフランチェスカの指を杖で滅多打ちにする。(ヒーッ! やる事がえげつない。)



悲鳴をあげて、逃げるフランチェスカとレイデン。


でも、逃亡中に自動車事故。(全くツイてない)



指に火傷を負ったフランチェスカは、「もう、ピアノが弾けないわぁ~!」と絶望する。





で、この映画が良いのはここまで。



後は、「何じゃこりゃ?!」の展開が続く。



ラーソン博士の懸命の力で何とか精神を回復したフランチェスカなのだが、そこに3人の男たちが集まる。


初恋相手のピーター。

駆け落ちの相手、レイデン。

そして、イヤな野郎、ニコラス。



彼女は誰を選ぶのか?




なんと!あの『ニコラス』(ジェームズ・メイソン)の胸に飛び込んでいくのである。(えっ?何で??)




あんな数々の仕打ちをされてきたのに?!どうして?なんで?!



このラストには、まるで納得できない。


なんなら「観客を舐めとんのか?!」の仕上がり具合だ。


それまでの境遇に同情していたフランチェスカだが、このラストで、一気に冷めてしまった。(全く愚かな女である)



それにしても、またもや、ジェームズ・メイソン。(非道、非情な役といえば、とことんメイソンである)




来る仕事を拒まず主義もいいけど、こんな役を好きで演じていたとしたら、そりゃ、アカデミー賞も遠のくはずだわ。




『フランチェスカ』を演じていたのが、前回の『恐怖』で継母ジェーンを演じていたアン・トッド。(この映画の時は、すでに36歳なのに、14歳から20代なかばまでを演じている)




ラストで、正気を取り戻した、このフランチェスカが、それまでの怨みつらみで、非道なニコラスを、階段上からピストルを構えて、一気に撃ち抜けば、この映画は傑作になったのに。



《私の考える映画のラスト》


「何をするん……だ、フランチェスカ……」と胸をおさえるニコラスに、

「私は正気に戻ったの。そして、これは当然の報いよ」と、カッコ良く言い放つフランチェスカ。

で、《the end》。




自分なら、こんなラストに絶対にする。


つくづく、残念なラストである。

星☆☆。

2019年12月8日日曜日

映画 「恐怖」

1961年 イギリス。






この顔………何かを見て恐怖して叫んでいるような『顔』



ふと、何かの検索をしていた時、偶然、このインパクトのある『顔』に遭遇したのだ。


調べてみると、『恐怖』という、いかにもなタイトルの映画らしいのだが、こんな映画がある事さえ自分は知らなかった。



叫んでいるのは『スーザン・ストラスバーグ』という女優さん。(この人の存在も全く知らなかった)

この叫び顔、まるで往年の楳図かずお先生が漫画の扉絵にでも描きそうな『顔』である。


ホラーなんだろうか?



何かが自分のアンテナに、ビビッ!と引っかかった。


そして、観ることができた。(知人N氏のおかげで。いつもいつもありがとう。この場を借りて)



そうして、観た感想………

こりゃ、傑作だ!!






冒頭、船頭と警察が広大な湖の真ん中まで舟を漕いでいて、何やら水の中を散策している。


そして………


「あったぞ!」

警察官は、水の中から女性の遺体を引き揚げた。




場面は変わって空港。


『ペニー』(スーザン・ストラスバーグ)は10年ぶりにフランスはリビエラに帰国した。



10年前に両親が離婚すると、ペニーの人生は、もう踏んだり蹴ったり。


母親は亡くなり、自身も9年前に落馬による事故で下半身麻痺。

ずっとイタリアで、仲の良い世話係の看護師マギーと暮らしていたが、その看護師も亡くなってしまったという。



そんなペニーに、1通の手紙が届く。



「フランスで一緒に暮らさないか?」と。

差出人は父親からで、既に再婚していた。




車椅子のペニーは、こうしてフランスに帰ってきたのだ。



空港に着いたペニーを出迎えてくれたのは、運転手の『ロバート』(ロナルド・ルイス)だった。


「父は来ないの?」

「あいにく出張中です」

力のあるロバートは、ペニーを軽々と抱き抱えると、車に乗せて、自宅の屋敷を目指した。



しばらくすると、車は、海が見える断崖のクネクネした道路を走りぬけ、その上には広大な屋敷が見えてきた。


資産家らしく、広い庭には、近くに海があるにも関わらず、プールまで備え付けられている。




ペニーを玄関で出迎えてくれたのは、初めて見る義母の『ジェーン』(アン・トッド)だった。



「ようこそ、ペニー。歓迎するわ」

ジェーンは明るくペニーを部屋に招き入れた。


「父はいないの?」

「あいにく、仕事でね。止めたんだけど」

「10年ぶりなんですもの、父の顔もうら覚えなのよ」

「安心して」ジェーンは、そう言うとペニーのベッドサイドに立て掛けてある写真を差し出した。



(これが、父……)


深い皺の刻まれた顔……太い眉には威厳と厳しさが伺われる。




その夜、ジェーンと二人で寂しい夕食を済ませると、ペニーは自分の部屋で床についた。


だが、初めて寝る部屋は居心地が悪く、外のコオロギが鳴く声もうるさく響き、中々眠りに引き込まれない。


しょうがなく起き上がって、自力で何とか車椅子に座ったペニー。



ふと、窓の外を見ると、真向かいの納屋に明かりが灯っている。


(何かしら …… 誰かいるの?)


外に出て、車椅子を滑らせながら、ペニーはプールのそばを通って、納屋まで近づいた。


納屋のドアは開いていて、中には骨董品やガラクタが散乱している。


そこには、中央に蝋燭の明かりが灯されていて、暗闇の影を不安定に揺らしている。


その真ん中に椅子があり、誰かが腰掛けているようだ。


「誰?誰かいるの?」


たまらず、ペニーが呼び掛けると、明かりは、その人物をとらえた。



そこには、

既に死んでいる父親の蒼白な顔が映し出された。




「キャアアアーーーッ!!」


ペニーは屋敷中に響くような絶叫をあげた。(この『顔』のスチール写真だったのね)




ペニーは車椅子を反転させると、急いで納屋を後にして、自分の部屋に戻ろうと、必死に車輪を漕いだ。


だが、車椅子はバランスを崩して、そのまま近くのプールにドボン!


「た、助けて ……… 」


水の中で、もがき苦しみながら、ペニーの意識はなくなっていった ………





しばらくすると、ペニーは自分のベッドの上で意識を取り戻した。


そばには、ジェーンと、すぐさま駆けつけてくれた医者の『ジェラード』(クリストファー・リー)の姿がある。



「お父様が、……… お父様が納屋で死んでいたのよ!!」


「そんな馬鹿な!出張中なのよ」唖然とするジェーンに、ペニーはなおも叫び続ける。


「君はきっと幻覚を見たんだろう、納屋には何もないし、ロバートが君をプールから引き揚げてくれたんだよ」

ジェラード医師は、いさめるようにペニーに言い聞かせるが、ペニーはまるで納得しない。



仕方なく、ペニーを納屋に連れていくと、中にはガラクタや骨董品が転がっているだけで、さっき見た父親の遺体は無くなっていた。



(ウソよ ……… 確かにこの目で見たのに …… )



「これで納得したかね?君は疲れているんだ」


スゴスゴ、自分の部屋に帰ってくると、ペニーはジェラードの処方した薬を飲んで深い眠りに落ちていった。




明くる日になると、昨日の出来事は、益々自信がなくなってくる。



(本当に幻覚を見たのかしら ……… )



不安そうなペニーの様子 ……… だが、これは、まだまだ『恐怖』への入り口に他ならないのだった …………







良くできた脚本に独特なカメラ・アングル。


主演のスーザン・ストラスバーグの可憐さ。


不気味な屋敷の雰囲気と、そこに登場する一癖も二癖もあるような人物たち。




二転三転するどんでん返し。(これが本当に凄い)



やっぱり自分の予感は当たった!

超、面白かった!!



面白かったし、久々に観た良質なサスペンス映画の傑作じゃないか、これ!



何で、この映画が、今の今まで評価されなかったのか不思議だし、謎である。



どんでん返しモノでは、あのビリー・ワイルダーの『情婦』もあるが、それにも、全くひけをとらないほど。



そのくらい見終わって感心してしまった。(ここでネタバレできないのが、ウ~ン、悔しい。とにかく初めて観る人は、超ラッキーな映画である!)




監督の『セス・ホルト』は、他にも、べティ・ディヴィス主演で『妖婆の家』(スゲェ~、タイトル)の映画も撮っているらしいが、そちらも是非観てみたいと思ったほどである。



何だか、金鉱でも堀り当てたような気分にさせられる ……… 近年観ることができた映画でも、稀な傑作である。




さぁ、本当に父親の遺体はあるのか、それとも、ただの幻覚なのか………



《誰かが嘘をついている? 》

《いったい誰を信用すればいいのか?!》



どこに行くにも車椅子のペニー。

思うようにいかない身体のペニーの気持ちになって、終始ハラハラドキドキ。




これは死ぬまでに、必ず観てほしいほどの超オススメ映画である。



文句無しの星☆☆☆☆☆。

観終わった後、あなたは、もう1度、きっと観返したくなるはずである。フッフフ……

2019年12月4日水曜日

映画 「青いドレスの女」

1995年 アメリカ。





「悪いな、『若いの』、他をあたってくれ」

「俺は『若いの』じゃない!ちゃんとした名前がある!『イージー・ローリンズ』だ!俺には仕事が必要なんだ!」



必死の訴えもむなしく、仕事を突然、首になった『イージー』(デンゼル・ワシントン)。


時は、1948年。


まだまだ人種差別がはびこる時代で、黒人がまっとうに職を得て暮らしていくには、厳しい時代。


そんな時代にイージーは、やっと庭付きの、こじんまりとした一軒屋を買ったばかり。


(家さえあれば何とかなる。そしてここは、俺の大切な『城』だ……)


だが、ローンを組んでいて、支払い日は、日に日に迫ってくる。


(明日から無職。どうすればいいんだ……イヤだ!あの家を絶対に手放したくない!)



そんなイージーが、ふてくされてやって来る所といえば、昔からの知り合いで、元ボクサー、『ジョッピー』のbar。


昼間から、求人広告を見ながらbarの窓際に陣取って、ブツブツ言っているイージー。


そこへ見知らぬ男が、フラリとやって来て、カウンター越しにジョッピーと話をしはじめた。

しばらくすると、ジョッピーが、イージーを手招きして、こちらに来い!と合図した。



(何ごと?)と思うイージー。


男は、「仕事を探してるんだって?」と聞いてきた。



男の名は『オルブライト』(トム・サイズモア)。


大富豪カーターの婚約者で失踪した女性『ダフネ』(ジェニファー・ビールス)を探しだしてほしい、と言うのだ。



探偵でも何でもないイージーは、躊躇するが、家のローンの為、(ええい!)背に腹は変えられぬ。


「分かりました」



こうして素人探偵になったイージー。


難解な調査がはじまるのだが……。






デンゼル・ワシントンが若いです。


若いし、まだまだ、この時は男前で超カッコイイ。



やっぱり、同じ黒人で、この映画に出演しているドン・チードルには、申し訳ないが、この時代のデンゼル・ワシントンは、人種関係なく惚れ惚れするくらいカッコイイのだ。


主役しか当たらない、特別なライトが、このデンゼル・ワシントンを中心に置いて、光らせてくれている。




デビューして、間もない頃、黒人俳優としての先駆者『シドニー・ポワチエ』(黒人俳優として初のアカデミー賞主演男優賞を受賞した)の教えを、しっかり胸に刻んだデンゼル・ワシントン。


「いいか?何でもかんでもやってくる役に安易にとびつくな!君のキャリアは最初の3、4本で決まる。待つ事だ。待てばその内に、君が信用できる役が、きっと向こうからやって来るはずだ」



何か、この言葉って、先輩俳優としても、同じ黒人俳優の仲間としても、スゴい親身な気持ちが、充分に伝わる言葉である。


シドニー・ポワチエは、常に変動していく映画界の荒波の中で、黒人俳優として苦労して、苦労して、長年生き残ってきた人。


そんな中で才能があっても、夢破れて消えていった俳優たちを、何人も見送ってきたのだろう。


「この若者は光る才能を持っている。決して、この俳優を潰してはいけない!ちゃんと導いてやらなければ……」

そんな若手のデンゼルを気遣うような愛情溢れるシドニー・ポワチエの教えである。




その教えを、ちゃんと守ったデンゼル・ワシントン。



着々とキャリアを積んでいき、主演映画も増えてきた頃の、この映画である。(後に、黒人としてシドニー・ポワチエに次いで二人目、デンゼル・ワシントンも見事、アカデミー賞主演男優賞を受賞する)




監督はカール・フランクリン。


デンゼルとは『タイム・リミット』という映画でもタッグを組んでいて、中々どちらも面白い映画である。


何気に良い感じの雰囲気というか空気感を生み出すのが、お上手な監督さんなのだ。


この映画、『青いドレスの女』でも、それが上手くいっていて、謎解きやストーリーはたいした事なくても、それに、だいぶ救われているような感じである。



『タイム・リミット』では灼熱の暑さや湿地帯の空気を、

この『青いドレスの女』では1940年代の住宅街や街並みに流れる渇いた空気を感じられたりするのだ。




どちらも『傑作』とはいえないけど『佳作』として、「まぁ、面白いよ」と気軽にオススメできるかも。





後、あの『フラッシュダンス』のジェニファー・ビールスを久々に観れる。


「懐かしい~」我々世代には、中々、感慨深いものである。


でも、この映画では、突然現れては、終盤また、どこかへと去っていく彼女。


現実でも、この映画以降、とんと姿を見かけなくなったが、彼女の事だから、またヒョッコリと、どこかの映画で我々の前に現れるやもしれない。

星☆☆☆。