『死ぬのは奴らだ』が1973年に、公開されて、もう翌年には、このロジャー・ムーアとしては2作目『黄金銃を持つ男』が、すぐさま公開された。
映画会社の戦略もあったのだろうか…… 一刻も早く、なんとしても、ボンド=ロジャー・ムーアのイメージを世間に植えつけたかったのだろう。
ところで、この『黄金銃を持つ男』は、原作者イアン・フレミングにとっては最後の作品。
007ものとしては、最終作なのである。
小説の007シリーズは、そもそも公開された映画の順番とは、まったく違い、読んでみると、その内容の違いには、驚かされるはずだ。
小説は『カジノ・ロワイヤル』から始まっている。
そして、
『死ぬのは奴らだ』と続き、………最終作前が『007は2度死ぬ』ときて、『黄金銃を持つ男』で終わる。
原作では、『007は2度死ぬ』では、ラスト、ボンドは生死不明で終わり、最終作『黄金銃を持つ男』で、ソ連に洗脳されて再び現れる。
そして、逆に、敵としてMの命を狙い、襲いかかってくるのである。
もちろん、映画では、そんな事はないのだが、もしも可能なら、原作のままを順番だてて映像化されたものも観てみたい気がする。
さて、このロジャー・ムーアの2作目だが、それなりに面白いのだが、少しばかり気に入らないところもある。
それはボンドガールの取り扱い方だ。
この映画では、二人のボンドガールが出てくる。
敵スカラマンガの愛人『アンドレア』役のモード・アダムスと、MI6のエージェントで『グッドナイト』役のブリット・エクランドだ。
この映画では、ショーン・コネリーのように非情さ回帰を狙ったのかもしれない。
ましてや、モード・アダムスの役自体が、そこまでされるほどの悪女には思えなかったからである。
そして、哀れ、映画の中盤で、アンドレア役のモード・アダムスは、口封じの為に、座席に座ったまま毒針で殺されてしまう。(ほんとうに可哀想)
多分、当時、観ている観客たちの誰もが、自分と同じイヤ〜な気持ちになったのではないだろうか。
美人のモード・アダムスには、世間の同情が集まった。
そうして異例の処置として、再び『オクトパシー』で《ボンドガール》を務める事となる。(後にも先にも、こんなのはこの人だけである)
ロジャーにも、当然世間の非難が集まったのだろう。
これ以降、ボンドが女性に手をあげる事はなくなる。(監督や演出もあるだろうが、フェミニストのロジャー・ムーアも演じていて、本心は嫌だったろうと思う)
こうして、映画の中盤で、美人のアンドレアが殺された。
でも、この映画には、もうひとりのボンドガール、『グッドナイト』がいるのだが ……
この『グッドナイト』が全くの使えない無能ぶり(おバカさん?)。
次から次に、ボンドの足を引っ張る、引っ張る。
ドジを通り越して、本当にイライラさせられた。
これでMI6のエージェントなのだから、MI6も、(どんだけぇ~!)人材不足なんだ。
案の定、世間には無視されて名前すら覚えられず、今では、ボンドガールとしては黒歴史扱いの『グッドナイト』なのである。(原作では有能な片腕ともいうべき秘書なのにね)
これらが原因なのか、映画は興業収入で前作を大きく下回ってしまった。(あ~あ、やっちまったなぁ~、それでも4位だけど。)
折角、この映画、敵役が良いのに。
黄金銃を持つ『スカラマンガ』(名優クリストファー・リー)は、渋くてカッコイイです。(乳首が多くある設定いる?)
宿敵ボンドとの対決は、まるで西部劇の決闘のようで見応えあり!である。
そんなスカラマンガの側で、加勢なのか、邪魔してるのか?分からない小人の召使い『ニック・ナック』(エルヴェ・ヴィルシェーズ)も、なかなか良い味出してるのにね。(ちょこまかと)
ゆえに、ところどころ残念な結果を残した『黄金銃を持つ男』なのでありました。
星☆☆。