2020年12月25日金曜日

映画 「真紅の盗賊」

1952年 アメリカ。





石のように広くて固そうな額。

両目は極端に離れていて、暗い影ができるほどの碧眼。


その間からスーッと伸びている大きくて長い鼻。

口は、これまた横に広がるほど、かなり大きい。


こんな独特な顔を持つ《バート・ランカスター》。


子供の頃に初めて写真で見た、こんなランカスターの顔は、ハッキリいって超怖かった。


顔のインパクトが凄すぎて、写真だけでも、こちら側に迫ってくるような妙な圧迫感を感じた覚えがある。


(こんな顔の人が向こうでは人気あるのか…)


イケメンとも思えず、ただ怖い顔のランカスターには、なんだか近よりがたい気がして、たまに映画雑誌に載っていても、なるべくスルーする事にした。(なんせ子供なもので)



バート・ランカスターの映画を初めて観たのは二十歳の頃だったか……。


レンタルビデオ全盛の時代に、なにかの間違いで、ランカスターの『泳ぐ人』を借りてしまったのだ。


予備知識もなく観た『泳ぐ人』は、ハッキリいって「???」とクエスチョン・マークが並ぶくらい訳がわからなかった。


なんせ、海パン一丁のランカスターが、あちこちにあるプールというプールを泳ぎ渡るという、珍妙な映画である。


「これ、面白いか?…」ってな感じで「バート・ランカスターはもういいや……」とあっさり退散したのだった。(なんせ、二十歳なもので。訳のわからないモノは、即スルーする)



そして、時が流れて数十年……


50代になって、久しぶりに観たランカスターの映画が《真紅の盗賊》なのである。




18世紀初頭、スペインでは現総督と、そのやり方に抵抗する共和派の反乱軍との闘いで、まさに一触即発状態だった。


そして、反乱軍のリーダー《エル・リブレ》には多額の賞金が政府によってかけられている。



そんな折、《真紅の盗賊》こと『バロー』(バート・ランカスター)は、仲間の海賊たちと協力して、航海中のスペイン船を襲った。


だが、襲った船には銃や弾薬ばかりで金目当てのモノすらない。


他の海賊たちからはブーイングの嵐。(ブーブー)


なんとか部下たちを鎮めようと、船長バローは考えた。


「そうだ!反乱軍たちに銃や弾薬を売りつければいい!ついでにエル・リブレを捕まえて引き渡せば賞金がもらえるはずだ!!ウッシッシ……」(そうそう上手くいくのかねぇ~)


海賊船とスペイン船を交換して、リブレがいるという《コブラ島》を目指した海賊一行。


コブラ島では反乱軍たちに警戒して、港では、衛兵たちが厳戒体制で待ち構えている。


「オマエらはここで待機していてくれ!俺はオホーを連れて二人でリブレを見つけてくるから。」


沖合いにスペイン船を停めると、口のきけない手下『オホー』(ニック・クラヴァット)だけをつれて小舟に乗り込むバロー。


二人を乗せた船は、静かに静かに、見つからないように、コブラ島へと進んでいくのであった……。




こんな冒頭で始まる『真紅の盗賊』。


一応、簡単に書いてみたけど……ここまでが、すごく単調。


途中でやめようかな~とも思ったくらいで「やっぱりランカスターの映画とはソリが合わないかも……」なんて考えもチラホラ。


それでも、辛抱して観続けていると、バローとオホーがコブラ島についてから、映画は様相をガラリと変える。


まるで急にエンジンがかかったように、俄然面白くなりはじめるのだ。




バローとオホーは島に上陸すると、はて?考えた。


どうやって共和党の反乱軍に近づけばいい?(なんだ、何も考えてないのかよ)


ええーい!出たとこ勝負よ!!


衛兵たちのいる前でいきなりバローは叫んだのだ!!

「俺たちは共和党だぁー!!」と。


その言葉を聞いた衛兵たちは、途端に顔色を変えて、「なぁにぃ~!!」とばかりに二人を捕らえようと、全速力で追いかけてきた。


バローもオホーも、(こっちの作戦どおり)と余裕綽々。


とうとう衛兵たちによって防波堤まで追いつめられた二人。


どうするか?と思っていたら、


なんと!!真下の砂浜(ゆうに高さは3m以上はあるだろうか)に、ポーン!とバック転。

そのまま着地すると、平気で走り去る二人。(もちろん、スタントマンではなく本人たち。時代ゆえCGなどない)


今度は街中に逃げてきた二人は衛兵の集団たちと、グルグル周りながら追いかけっこ。


スコップを見つけば衛兵たちに砂をかけて、階段まで上がってきた衛兵たちには、「えい!やぁー!」とばかりに槍を向けて、衛兵の集団をなぎ倒す。


街の店先の屋根のテントは、まるで二人には遊びのトランポリン。


ピョンピョン跳ね回り、追ってきた衛兵がいれば、剣でビリビリと屋根を切り裂いて、哀れ、衛兵たちは地面へと真っ逆さま。



もう、ビルとビルに掛けられた洗濯物を干しているロープなんて、二人には格好の遊び道具だ。

あっちのビルへ、こっちのビルへと、ロープウェイの如く、自由自在に移動する。



そして、今度は、ビルに突き出た鉄棒(多分、旗をかけるモノじゃないか)に、飛び上がる『バロー』(バート・ランカスター)。


それにぶらさがり、華麗に回転すると、手を離して、さらに真上にある鉄棒を「ガシッ!」と、つかんだ。


そのまま、またもや、勢いをつけて、ぐるりと回転。

そして、その鉄棒の上に、ピタッ!と立ったのだ。(やってることは、もはや体操の段違い平行棒と一緒である。)


『オホー』(ニック・クラヴァット)もバローの後を追うように、それに悠々と付いてくる。



そんな二人の所へ屋上から、スルスルと下りてきたロープ。


二人がロープを楽々昇っていくと、騒ぎを聞きつけた反乱軍たちが、二人を助けにやってきたのだった。


反乱軍たちのアジトまでたどり着くと、匿(かくま)われた二人。


やっと衛兵たちをやり過ごした二人は、反乱軍に合流する事が出来たのだった………。



ここまで書いてみて、観ていない人にも上手く伝わっただろうか?



本当に何者なのだ?!《バート・ランカスター》、君は!!(笑)



とても既存の俳優たちが持っているような身体能力なんかじゃない!


そんなモノなんかを遥かに凌駕している運動神経である。(オリンピックに出れば確実にメダルが取れるはず)


このオホー役のニック・クラヴァットにしても、並の運動神経じゃないのは確かだ。(もう、どっちも「化け物か!」ってくらい凄すぎる)



多少調べてみると、バート・ランカスターは元サーカスの花形だったみたいで、アクロバットなんてのはお手のものなのだ。


ニック・クラヴァットはその時の相棒なのである。(なるほど、それでこの運動神経……それにしても、もう見事としか言いようがない)




映画は、この後も、もちろん続いていき、リブレの娘コンスエロに恋してしまったバローの葛藤や、手下の裏切りなど……次から次へとストーリーは進んでいく。



それでも、活劇重視のこの映画は、決して深刻なムードにはならない。


「皆でこの映画を成功させるんだー!」みたいな、その時代の大きな熱気みたいなモノに満ち溢れているのだ。


これだけの人数を集めて、次から次へと繰り出す大迫力な活劇に、ただ圧倒されて、いつしか冒頭に感じた単調さなんかも、すっかり忘れてしまった。


もう、それくらい夢中になっていく自分に驚いてしまう。(それにしても、当時としてどれだけ巨額な制作費がかかっているんだろう?   知ると恐ろしい気もするが……)



なんせ帆船は破壊されるわ、城壁は大砲や爆薬で木っ端微塵にするわ。


そのうえ熱気球は出てくるわ、潜水艇は出てくるわ、の、まるでヤリタイ放題なんですもん。




監督は『らせん階段』や『幻の女』などフィルム・ノワールで成らしたロバート・シオドマク。(こんな監督が、なぜ海賊映画を?と思って、観た理由がそれだったのだが……)



映画も中盤をすぎれば、バート・ランカスターとニック・クラヴァットに、もはや目は釘付け。(バート・ランカスターも格好よく見えてくるし、頼もしい相棒ニック・クラヴァットのひょうきんさも大好きになってしまった)



ラスト、船上での対決シーンは、一歩間違えれば本当に命をおとすかも…と思わせるほど、これまた凄い迫力だぞ~。



本当に人は見かけによらない。


私の中では、一気に株が急上昇したランカスターである。



こんなモノを観てしまった日には、あの『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジョニー・デップなんて、ただのコスプレ好きの木偶(でく)の坊にしか見えてこない。


バート・ランカスターに酔いしれて……星☆☆☆☆ってところにしときましょうかね。


長々、お粗末さまでした。


2020年12月14日月曜日

映画 「もしもお許し願えれば女について話しましょう」

1964年 イタリア。




長~いタイトル。


『イタリア式コメディー』と唱われた9本のオムニバス映画である。



あんまり、オムニバス形式の映画って得意じゃないんだけど、とりあえず観てみると……たわいのない、「え~、馬鹿話を一席…」っていうような、オシャレ風味の艶笑コント集でした。


主演は、このblogでも挙げた『にがい米』、『アンナ』の両方で、ゲスなクズ男ばかりを演じていたヴィットリオ・ガスマン


9本全てに、配役を変えて主演しております。


俳優のスタートが、クズ野郎ばかりだったヴィットリオ・ガスマンも、(10年以上俳優稼業を続けていれば、こうやって主演がまわってくるのか~ ……)と、それはそれで何か感慨深いモノがある。


「努力は報われるんだ。良かったなぁ~ガスマン!!」なんて言えば、


「やめてくれよー!」って恥ずかしそうな本人の返事が返ってきそうだが (笑)。




それにしても、《街娼》(夜の街角に立って男相手に売春する)や、《パンパン》(街娼の別意)など、今では使われなくなった、きわどい言葉が、この映画ではバンバン出てくる。


60年代に入っても、この時代、手っとり早くお金を稼ぐ商売として街娼は当たり前のように存在しているのだ。


それを生業(なりわい)にする女性も、買う男性客たちも、アッケラカンとしていて、全然悪びれてなさそうなのに、あらためて驚く。



普通の主婦だってお小遣い稼ぎに街娼をするし、結婚式前の女性も平気で別の男とベットを共にする。


金持ちマダムは、道端を行き来する小汚ない屑鉄屋の男を呼び寄せて、これまた強引に誘う。(どんだけユルユルな貞操観念なの?)





中には、シルヴァ・コシナ演じる身持ちの固い女性もいるにはいるのだが。(「こんな場所じゃ、イヤよ、イヤよ!」とあくまでも雰囲気重視)


でも、恋人のヴィットリオ・ガスマンも「まぁ、いいや」ってな軽い感じで、まるで固執しない。


車に恋人を待たせておくと、代わりに入っていったホテルのメイドと一発キメて、それでスッキリする!(おいおい (笑) )



男も女がいれば普通のこと。高い壁なんてありゃしないのだ。



こんな自由気ままなS●Xライフを笑いとばす映画なんだけど、今現代の日本には、この映画って受け入れられるのかなぁ~。


昔むかしの映画の話として、どうぞ『お許し願えれば……』


星☆☆☆。

※それにしても、この時代のヴィットリオ・ガスマン、誰かに似ているなぁ~と思っていたら、そうだ!若い時の ロバート・デ・ニーロ に似てるんだ!


ねぇ、そう思いませんか?皆さま!



2020年12月12日土曜日

映画 「SF/ボディ・スナッチャー」

1978年 アメリカ。





全然関係ない話を少~し。


これ、自分だけが思っている事なのだけど……昔から、この方々の判別が、時々できなくなる。


そのくらい、この3人はそっくりだと、ずっと思っている。



『サスペリア(1977年)』のジェシカ・ハーパー。



『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のリー・トンプソン。



そして、この映画『SF/ボディ・スナッチャー』に出演しているブルック・アダムス。



みんながみんな、同じに見えてしまって、時々「誰が、誰だったっけ?」ってな具合である (笑)。

これ、案外、私と同じように思っている人もいるんじゃないかな?




(まぁ、アホ話はこのくらいにしてと……)映画の話に戻ろう。



この映画の原作は、1955年にジャック・フィニィという作家によって書かれた『盗まれた街』。


小説自体は、なんてことない出来なのだが、この『宇宙からの生命体に、人間が身体を乗っ取られる』ってシチュエーションが、アメリカ人には大ウケするらしい。



今までに4度も映画化されていて、最初の映画化が、何と!あの巨匠ドン・シーゲル監督。


『ダーティハリー』や男臭いアクション映画を得意とするドン・シーゲル監督が「SFモノ?」なんて、ミスマッチにも思えるのだが、案外本人もノリノリで好きなのかもしれない。


このリメイクされた2作目にも、監督は違えどチョイ役の演者として友情出演しているしね。(タクシー運転手役。イーストウッドの『恐怖のメロディー』もだったが、頼まれると俳優もしてくれるドン・シーゲル)



そして、4度映画化されていて、一番評判がいいのが、この2度目。


全作を観ていないので、なんともいえないが、この2度目はサターン賞を受賞している。(現代においてアカデミー賞が低落した今、サターン賞だけは信頼できる賞である)



こんな前知識を頭の隅に入れて、さて観たわけなのだが……色々と「?、?、?」なんて思いながら、ツッコミを入れたくなるSFでございました。




ある惑星から浮かびあがり、飛ばされた泡の気体?の大群が宇宙空間をさ迷いながら、地球へ飛来する。(もう、この時点でこのSFはオカシイ。宇宙空間なんて-270℃の世界ですよ (笑)  泡や気体なんてキンキンに凍り付いてしまうはず。)



それらは、雨と一緒に地上へ降り注ぎ、植物に根付いた泡は、奇妙な毒々しい赤い花を咲かせた。


「まぁ、綺麗…」


それを見つけて、ひと千切りして、家に持ち帰り、花瓶に挿したのは、衛生局で働く『エリザベス』(ブルック・アダムス)。

恋人のジェフリーは、テレビの試合観戦に夢中だ(アメフト?)。


(フフッ、お気楽な人……まぁ、そこが好きなんだけどね……)


二人は毒々しい花を生けた花瓶を寝室に置いて、その夜は就寝した。



だが、朝、エリザベスが起きると恋人のジェフリーの様子がどうもおかしい。



普段はだらしないジェフリーがスーツを着ていて、話しかけても無表情。

寝室に置いた花瓶は割れていて、粉々になった破片が散乱している。いつの間にか、あの花は無くなっていた。



それからジェフリーは、エリザベスの知らない人物たちと次々会うために出かけていく。それを尾行するエリザベス。


(あんな人知らないし、こんな人たち知らないわ……いったい急にどうしたの?!ジェフリー!!)


不安を感じたエリザベスは、同じように衛生局で働く衛生調査官『マシュー』(ドナルド・サザーランド)に相談する。(クルクル・パーマで口髭姿のサザーランドが、全く衛生局員には見えないけどね (笑) )



だが、街中では、ジェフリーだけでなく、不可思議な行動をとる無表情な人間たちが、次々と増えているのであった……。




こんな感じではじまる『SF/ボディ・スナッチャー』。



一応、タイトルに《SF》なんて唱っているけど、ジャンル的にもSFホラーなのか?これ?!(前回にも書いたが、ホラーなら科学的な深い意味なんてのも無視、無視! とにかく怖がらせたモノ勝ちなんだから。)


でも、この映画は全くSFホラーには、なっていないんだけどね。(笑)




もう、お察しのように、エリザベスの恋人ジェフリーは、謎の生物に乗っ取られているわけなのだが、この生物ってのがだいぶ変わっている。



本人が寝ている間に、何を養分にしてるのか全く分からないが、薄い繭状なモノに包まれながら、一晩で急成長して、近くの人間ソックリに擬態するのである。(擬態が完成した後、オリジナルの本人は殺されるのかな?それとも吸い上げられてコピーの養分になるのか?そこのところが、やや分かりにくいが……)


でも、この擬態人間たち、無害っちゃ無害。


特に地球侵略の為に盛大な破壊行為をするわけでもないしね。


たま~に、犬と一緒に寝ていた本人がいると、とんでもない生物に変化してしまう例もあるが。(気持ち悪い人面犬など)


主人公のドナルド・サザーランドとブルック・アダムスが手に手をとって奮走する中、着実に増えていく擬態人間たち。


そんな途中で、レナード・ニモイ(Mr.スポック)やら、ジェフ・ゴールドブラム(ザ・フライ)などの、濃い面子も登場する。


ドナルド・サザーランド一人だけでも濃い顔なのに、画面には濃い顔、濃い顔がいっぱい出てくる。(Oh!)


そんな人物たちが、「アアアアアーーーーッ!」なんて叫びながら、力いっぱい顔芸を繰り広げるのだから、怖さよりも「ウププッ!」なんて吹き出すのを我慢しながら観るような、笑い溢れるSFホラー・コメディーに、結果仕上がっているのだ。



これは、リメイク監督したフィリップ・カウフマンの最初から意図したものだったのだろうか……ならば大成功だったかも。(サターン賞まで受賞して)


大体、この原作からしても真面目な雰囲気などまるでない、与太話なのだ。


本気で怖がらせようってのも無理な話で、ならば表向きはSFホラーでも、裏テーマを《馬鹿話》として笑いに持ってきて大正解である。(これに続く3作目、4作目のリメイクは知らないが、このあたり分かっていてリメイクしているかなぁ~? たぶん分かってねぇ~だろうなぁ~)



午後のひとときに、ところどころツッコミながら皆とワイワイ観る映画。


これはこれで、そんな役割を充分に果たしている映画なのだ。

これも今後、私好みの1本になりそうである。

星☆☆☆。


2020年12月9日水曜日

映画 「赤い影」

1973年 イギリス、イタリア合作。




イギリス郊外の深い森に囲まれた一軒家。


昨日の降り続けた雨が、庭の芝をまだ濡らしている。



雨上がりの庭では、幼い娘の『クリスティン』が真っ赤なレインコートを着て、庭を散策中。


それより少し歳上のお兄ちゃん『ジョニー』は、自転車を乗り回している。



家の中では、父親の『ジョン・バクスター』(ドナルド・サザーランド)が、机に向かい、何枚もの教会のネガプリントに目をとおす作業。

教会修復の仕事が近づいているのだ。


妻の『ローラ』(ジュリー・クリスティ)も、そんなジョンのそばで、ゆっくりとくつろいでいた。


そんな時、突然、ジョンに何やら、不思議な悪寒のようなものがはしった。



言い知れぬ感覚に、ジョンはいきなり家を飛び出すと一目散に走り出していた。(妻のローラは「何事?」とビックリ)


そして、庭のそばの沼に、そのまま飛び込んだジョン。


沼の中から引き上げられたのは、娘のクリスティンだった。


すでに息をしていない、沼に落ちて溺れたのだ。


死んだ娘を抱えながらジョンは絶叫、そして嗚咽した。



―  それから半年後。


傷心のジョンとローラの夫婦は、教会修復の為に、イタリアは水の都、ベニスを訪れていた。(息子はロンドンの学校に預けて)


昔ながらの荘厳な建物が並ぶベニスの街並み。


水に沈んだベニスでは、どこに行き来するにも舟かモーターボートを利用する。


夫婦は舟を降り、石階段を上がると、暖をとるために近くのレストランに入っていった。


「寒いな……」ジョンが、そう言い隙間の開いた窓を閉めると、反動で玄関が開き、後ろに座っている老姉妹の一人の目にゴミが入ったようだった。


「痛い!」


老姉妹は立ち上がると、ヨタヨタともう一人が手をひいて、トイレの化粧室へと向かった。

手をひいている方は、あきらかに盲目らしいのだ。


「お手伝いしますわ」見かねたローラは、立ち上がり、二人を先導していった。


トイレで目のゴミをとってやると、老姉妹の姉ウェンディは「ありがとう」と言った。



だが、そばにいる盲目の妹ヘザーはローラの方を向きながら、不可思議な表情を浮かべている。


そして、突然、こう言い出したのだ。


「……そばにいるわよ、あなたと旦那さんのそばに。今でも娘さんがいるわ………」


「えっ?何ですって?!」


驚くローラに、姉のウェンディが代わりに答えた。


「ごめんなさい、妹は霊感があるのよ」


「女の子が笑っているわ、『もう悲しまなくていいのよ』って、あなたに向かって言っているわ」


ヘザーの言葉に、ローラは蒼白になった。


(もしかして……死んだクリスティンが、私のそばにいるの?!)



「馬鹿馬鹿しい!」

トイレから戻って、夫のジョンにこの話をすると、案の定、ジョンは冷笑。馬鹿にして取り合う気もないらしい。



(でも……)


ジョンが教会の修復作業をしている間、ローラは、暇をみつけては老姉妹に会いに行った。


どんどん心酔していくローラ。


そして、霊感の強い妹ヘザーは、念押しのように、続けてこう言うのだ。


「今、このベニスでは不気味な事件が起きている。早く、このベニスから立ち去りなさい!!危険が迫っているわ。あなたより旦那さんが危ないのよ。霊感の強い旦那さんの方が………危険が及ばぬうちに早く!!」



そんな夫妻に追い打ちをかけるように、ロンドンから電話が。


「息子さんが、避難訓練中、消火器が頭に当たって怪我をしました」電話は息子ジョニーを預かっている学校の校長からだった。


次の日、ローラは慌てて一番の便でロンドンへと戻っていった。




だが、ジョンは、ロンドンへ戻ったはずのローラの姿を町中で目撃する。


船に乗っているローラの姿、………あの老姉妹と一緒じゃないか!!


(あの胡散臭い老姉妹に騙されて、きっと、ローラは連れ去られたのだ!)


ジョンは早速、警察署に行って捜索願いを出した。


そして、自身も無我夢中で、ローラを探してまわる。



どこにつながっているのか分からないような石階段や橋にかこまれたベニスは、まるで迷路のように複雑怪奇だ。



ジョンが必死に探してまわりながらも、あちらこちらでは、水辺から警察によって舟に引き揚げられる遺体の姿が見える。


誰が、どんな目的で殺してまわるのか?


町中では不気味な連続殺人事件が横行しているのだった………。



たまたま、この映画を観たタイミングがよかったのか。


素直に面白いと思ってしまった。

でも、本当に若い時に観なくてよかったかも。


この映画を観るには、この意味の分からなさを許せるだけの感性が必要なのかもしれない。


原題も゛Don't Look Now゛(今は見るな!)だしね。



とにかく、監督のニコラス・ローグが行う演出方法が独特なので、理路整然とした物語に慣れ親しんでる人には、やや取っつきにくいかもしれない。



ドナルド・サザーランドやジュリー・クリスティのSEX場面なんかも、まさにそんな感じ。



この二人、映画の中で、5分の長い間ベッドシーンを繰り広げているのだが、二人で悶えまくりのカットがあるかと思えば、事が済んで身支度をする二人の場面を交互に差し込んでくるという、なぜか?凝った演出方法をとっている。



そのまま素直に撮ればいいのに、「何じゃこりゃ?」のイライラするカット割りで、観ているこっちは熱量も冷めてしまうという、まれなSEXシーンに仕上がっているのである。



雰囲気をあくまでも重視したいのか……それとも映画の技巧を色々試したいのか?(やれやれ)


それにばかり夢中になっているニコラス・ローグ監督なのである。


その為か、この映画でも説明できないような言葉足らずの場面に出くわす事が数多い。(ゆえに映画の冒頭を、少しでも分かりやすいように長々と書いてみたのだが)


それでも、この映画では、暗く不気味な雰囲気のベニスの街並みに、この意味の分からなさもマッチしていて、ホラーサスペンスとしては、なんとか着地している気がする。



でも、ジャンルがホラーだからこそ!である。


ホラーに意味なんて誰も求めてないのだから。(怖がらせたモノ勝ち)




※《注意》ここから、多少ネタバレになるので知りたくない方は、ここでおやめください。





簡単に言うなら、これは《自分が霊能力者として自覚していない男の悲劇》なのだ。


主人公ジョンは、間違いなく霊感や不思議な能力を持っている男である。


冒頭でも書いたように、娘の死をすぐさま察知したりするのは、まさしくそうなのだ。



そして、そんなジョンが迷宮のようなベニスをさ迷ううちに、見かける赤いレインコートの後ろ姿。


追いかけて……追いかけて(本当に死んだ娘のクリスティンなのか?)と思った矢先、振り向いたのは……





ドドォーン!!


醜悪な化け物の殺人者!!(本当にいきなりである。誰なんだ?お前は!(笑) )



いきなり斬りつけられるジョン。



何度も、何度も斬りつけられながら死に際には、まるで綺麗な万華鏡のような景色が目の前に広がる。



(あ~そうか……あの時、見たと思ったローラと老姉妹が舟に乗っていた光景は、自分の葬式だったのか……自分の棺を舟に乗せて佇むローラと、それを慰める老姉妹だったのだ!)


自分の死の光景を、先もって見たんだと自覚してジョンを死んでいくのだった。





この、最後に突然現れる化け物のビジュアルは、夢に出てきそうなくらい醜悪で破壊的である。


このインパクトだけで、それまでの、この映画の言葉足らずな部分や、変な凝った演出方法の不満も、全て吹き飛んでしまうほどだ。

それでも………



なんで死んだクリスティンと同じ、赤いレインコートを着てるのか?(殺人鬼でしょ?逆に目立つのに)


なんでジョンが突然殺されるのか?



はてさて、そもそも、お前はいったい《何者》なのだ?!(笑)




一切説明なし。



でも、ホラーだから怖がらせたモノ勝ち。

ホラーに意味なんて必要ないのだ。



これで強引に最後まで推しきった映画……あなたは許せますか?


私は少しだけ許せる度量をみせて、星☆☆☆とさせていただきます。


許せないなら、゛Don't Look Now゛(今は見るな!)ですよ (笑) 。


2020年12月6日日曜日

映画 「帰らざる河 」

1954年 アメリカ。



ゴールドラッシュに賑わう西部開拓時代。


人々は、金鉱を求めてひと財産儲けようと目の色を変えている時……、一人の男が山奥に農場を買い、自分で家を建てていた。



男の名は『マット・コールダー』(ロバート・ミッチャム)。


親友を救うために悪党を射殺してしまったマットは、長年服役していて出所すると、こうして自分の力で、やっと生活の基盤を立て直したのだ。(さすがミッチャム。《バッド・ボーイ》ここにあり!である)


だが、その間に妻は亡くなり、産まれた息子も行方不明。


北西部の町にいる情報をつかんだマットは、息子マークを探して、やっと見つけ出した。


「あなたがお父さん……?」9歳のマークは初めてみる父親の姿に半信半疑。


「ああ、そうだ」マットは母親の写真をポケットから取り出して見せた。


マークも信用してニッコリ(この子役の子、本当可愛い)


「ちょっと待ってて!ぼくお別れを言ってくるよ」


さびれた酒場の歌手ケイに、何かと世話してもらっていたマーク少年は、ケイの楽屋に行くと事情を話した。(本当に良い子。グレもしないで (笑) )


一緒についてきたマットもお礼を言う。

「息子が世話になったな」と。


そんな『ケイ』(マリリン・モンロー)はマットをジロッ!と睨み付けると、「酷い男ね!長い間、息子をほったらかしなんて」と、だけ呟いた。


なんにせよ、息子を無事取り戻したマットは、山奥にある川のそばの山小屋で、新生活を始め出した。


しばらくは日々を楽しむ親子だったが、それから数日後……

急流に押されて、川上の方から大きな筏(いかだ)が流されてきた。


「見てよ!パパ!!誰か乗っていて叫んでるよ!!」


マークの言葉に、マットは直ぐ様ロープを取り出すと、筏に向けて、それを放り投げた。

ロープは筏に届き、相手も上手く結びつけたようだ。


懸命に引っ張るマット……近づいてくる筏には、何と!あの酒場の歌手ケイが男と乗っている。



「助かったぜ!」男……『ハリー』(ロリー・カルホーン)が礼を言った。


「無茶だ、あんな筏で川下りなんて!いったいどこへ行こうっていうんだ?」


マットの問いかけに、ハリーはペラペラと喋り出した。

ギャンブルで大儲けした金を持って、カウンシル・シティーまで行って、金鉱の登記をすると言う。


「金鉱の権利は手に入れたんだ。でもすぐに行かないと登記に間に合わないんだ!」


(金鉱で大儲け……こいつも皆と同じか……)


見るからにゴロツキのハリー、この一緒にいる女はさしずめ、その情婦ってところだろう。


息子のマークは、久しぶりに会えたケイとの再会に喜んでいるが、マットはこの二人を助けた事を、すぐに後悔した。

そして案の定、ハリーはマットの隙を狙って頭を殴り気絶させると、山小屋の銃と馬を奪ったのだ。


「酷いわ!助けてもらったのに!」ケイの訴えにもハリーは知らん顔…悪びれた風でもない。

でも、こんな男をケイは心底愛しているのだ……でも……


「カウンシル・シティーには一人で行ってちょうだい。その方が早く着くわ。それに怪我人を放っておけないわよ」


ケイの提案に、ハリーは「それもそうだな」とあっさり納得すると、馬にまたがりスタコラ行ってしまった。



しばらくして目を覚ましたマット。

目の前には心配そうに見つめるケイとマークの姿がある……でも、(あの野郎~)とマットは怒りに燃えている。


そんなのも束の間、川の向こうの断崖には、何人ものインディアンたちが馬に乗っていて、こちらに向けて駆けてくるではないか!


銃が盗られて、無防備の山小屋に気づいて、すぐに攻撃してきたのだ。(もう、どんな危険な場所に山小屋を建てたの?マットも (笑) )



マットは、流されてきた筏にケイとマークを乗せると、わずかな手荷物をのせて、すぐに筏を出発させた。


数秒後には、インディアンの団体が来て、焼き払われる山小屋の火の手が見える。


それを川に流される筏の上から見るマークは、とても悲しそう。


「大丈夫だ!また建ててやるから」と慰めるマットだが、(それもこれもアイツが……)とハリーへの怒りが、またもや込み上げてくる。


その顔をケイは横目で見ながらも不安そうな表情だ。



3人を乗せた筏は、川を下りながら『カウンシル・シティー』を目指す……インディアンの襲撃をかわしながら、獣に襲われながら、危険な旅が、今、はじまったのだった………。



ロバート・ミッチャムマリリン・モンローの危険な川下りアドベンチャー映画である。



よもや、こんな映画だったとは……観た後で思う、「先入観って恐ろしい……」と。


マリリンがお色気たっぷりで、いつものように歌ったり、軽い恋愛をするメロドラマ映画と、はなから決めつけていた自分は、頭を「ガーン!」とハンマーで殴られた気分だ。(何事も決めつけはよくないですね)



もちろん、マリリン・モンローが出るゆえ、歌うシーンは何曲か与えられている。(一応お約束なんで)


オットー・プレミンジャー監督は、それをお義理のようにしてさっさと済ませる。


映画の冒頭と最後に、マリリンには何曲か歌わせると、「これで務めは果たしたぞ!」と言わんばかりである。



そして、肝心の、激流の川下りシーンなのだが、筏と川の合成がちょっとお粗末。(DVDは現在の技術で修復されているのだが、それが尚更、合成を丸わかりにする結果になっている。)


まぁ、時代が時代なんだし、しょうがないかといえばしょうがないんだけどね。



それにしても、やっぱりここでも、さすがマリリン・モンローである。



川下りでいくら水を被っても、どんなに汚れるような旅を続けていても、全くメイクが崩れない (笑) 。


弓なり眉毛もアイラインも、付けまつげも、赤いルージュも、チークも、そのまんま。


「多少汚れてきたかな?メイクも崩れたかな?」と期待していても、次の場面になれば完璧なメイクをしたマリリンが、そこにいるのである。(濡れた髪の毛も次の瞬間には、もう乾いている。あら不思議!)


最後まで、「これはホラーなのか?」と思うくらい怪現象の連続なのである。(笑)


そして、そんな不思議美女『ケイ』(マリリン・モンロー)と親子で筏に乗って旅を続けるマット(ロバート・ミッチャム)は、段々とケイに惹かれていく。


長い間、刑務所暮らしで、女っ気がなかったせいもあるだろうが、ミッチャム様のマリリンを見る目は、もう、いつ爆発してもおかしくないくらいギンギラ、ムラムラ状態😤


「あなた良い人ね」なんて言われた日には、

もう、辛抱たまらん!😚

とマリリンを抱き寄せて強引に押し倒す。


「何するのよ?!」とふりほどいても、それを離さないで、さらに強引にのしかかってくるミッチャム様は、もはや野獣である。


蹴られても蹴られても、マリリンを羽交い締めにするミッチャム様。


山の中で転がりまくる二人。


(もう、これから何を見せられるの?……💧)と思っていたら、遠くで息子マークの叫び声。


本当の野獣が襲ってきたのだった。


それに「ハッ!」と気づいて、理性を取り戻した『マット』(ミッチャム)。


やっと幼いマークの元へ走っていく二人なのだった。(子供が近くにいて、よ~やるよ。そして土の上で散々転がり続けたのに、次のシーンでは全く汚れていないマリリンの姿が!(笑) )




こんな親子と不思議美女の珍道中、なんとか最後は収まるところに収まり、ハッピーエンドを迎えるんだけど……それにしてもねぇ~。



オットー・プレミンジャー監督はどんな想いで、この映画の撮影を行っていたんだろう、とつくづく思ってしまう。



あの完璧主義のプレミンジャーなのに……。



マリリンはマリリンで、「あたしは《マリリン・モンロー》なんだから!」を固持して、最後まで綺麗なマリリン。


ミッチャムはミッチャムで、「俺は、『バッド・ボーイ』のイメージで…」なのだから、間に入る監督の気苦労は相当なものだったと、勝手に推測してしまう。


有名女優俳優を起用しても、そのリクエストに応えなければいけない監督も大変だ。



そんな感想をいだいた、摩訶不思議映画なのでございました。


長々、お粗末さま。星☆☆☆。