2025年3月27日木曜日

ライブ 「安室奈美恵の《BEST FICTION TOUR 2008〜2009》」

 2009年。




私は特別、安室奈美恵のフアンじゃないのだけど、この『BEST FICTION』に関してはCDもライブDVDも珍しく買っていた。

なぜなら、小室哲哉の楽曲が全て除外されていたからだ。


元々、小室哲哉が苦手であり、90年代はメディアでも街中でも、小室哲哉の作った曲が、歌い手を変えては毎日流れているという異常な有り様だった。


中には良い曲もあるのだが、一人の人間が作る曲だもの、似てしまうのは当たり前。

TMネットワーク(TMN)、globetrfdos篠原涼子華原朋美 …… 他にも単発を含めれば色々あるのだろうが、ほぼ、こんなラインナップ。


これが連日連夜、神経のように繰り返し放送されていたのだから、ウンザリするな!ってのが無理な話だろう。


そんな小室ブーム夜明け前、安室奈美恵もスーパー・モンキーズ(現∶MAX)を引っ提げてデビューする。当時、マハラジャやパラパラブームなども手伝って、5曲目の『TRY ME〜私を信じて〜』で、念願のブレイク。

やがて安室奈美恵の一枚看板になり、『Body Feels EXIT』から小室プロデュースに変わると次々ヒットを連発していったのは、皆様ご承知のとおりである。



でも、この小室哲哉が作る楽曲を歌いこなすのは、普通の歌手でも相当難しいんだよなぁ~。


華原朋美なんて、どこまでも高い↗キーを求められてぶっ倒れそうになるし、渡辺美里も若い時には、軽々『My Revolution』を歌っていたものの、後年ではサビの「♪走り出せる〜」の前に半拍空けて、そこで息継ぎしないと、もはや歌えなくなっている。

中森明菜の『愛撫』においては当時も、「♪Touch me、Touch me、 Touch me  through the night〜」と、連続で続く、このサビ部分は、特に苦しそうで、本人も肩でゼーゼー息をしていたっけ。(小室哲哉の曲なんて、最初から止めときゃいいのに)


歌い手の事を考えないで作るのが小室流なのだ。


そんな小室哲哉の難曲を、安室奈美恵はパーフェクトに歌いながらも、激しく踊り続ける。(それも何曲も何曲も連続で …… )


Chase the chance』や『You’re my sunshine』なんて、どんだけ激しいんだか。(どこで息継ぎしてるの?)


こんな曲を50歳や60歳まで延々と歌い続けられるわけがない。


そんなこんなで ……(その間、本人に数々起こったトラブルには触れないでおこう)

2度目の絶頂期を迎えるのが、この『BEST FICTION』というライブなのである。(もちろん、小室哲哉の曲は全く組み込まれていない)


あれだけ難易度の高い曲を今まで歌いこなしてきた安室奈美恵ですもん。

このライブでは、時折、笑顔さえ見せるほど、余裕灼灼(よゆうしゃくしゃく)である。


ライブでも1番を飾るのが『Do Me More』。(PVでは『不思議の国のアリス』のように幻想的だ)


GIRL TALK』では、踊りながらも昔みたいに声を張り上げることもなく、サラッ〜と歌っている。


NEW LOOK』では、ドデカいハイヒールをステージ場に持ち込んで、その中に階段を作って歌っておりました。




Dr.』も本当にカッコいい曲。


最初、普通の精神科医に相談してる歌かと思いきや、ギリシャ神話に出てくる神・クロノスに祈願するような歌なのでした。(中々奥が深い歌詞)

メロディーラインが急に行進曲みたいにガラリと変わるのも面白い。


映画『フラッシュ・ダンス』の主題歌『WHAT A FEELING』は、大胆なアレンジ・カヴァー。(ほぼ別モノと言ってもよいかも。「♪WHAT A FEELING〜」って歌うところしか、もはや原型が残っていない)


どれもこれも見どころ満載。

一曲一曲が全力投球である。(しかもトーク一切無し)


この『BEST・FICTION』のライブは必聴である。(観たことが無い人は是非ご覧あれ)



そうして、そんなライブを続けていた安室奈美恵も40歳になると、ピタリと引退した。(2018年)


人によっては年齢と共に、振り付けを簡略化したり、キーを下げたり、テンポを緩やかにして乗り切る者もいるのにだ。(誰とは言わない)


それが出来ないほど、安室奈美恵という人は根っから、生真面目な性格だったのだろう。


引退後の情報は一切聞こえてこないが、山口百恵のように《キルト制作》など、別の生きがいを見つけていればよいのだが ……


このブログを書きながら、そんな要らぬお節介を考えてしまうオッサンなのでした。(長い間お疲れっす!)




2025年3月25日火曜日

ライブ 「山口百恵の《伝説から神話へ - BUDOKAN … AT - LAST - 》」

 1980年11月。




決して、上の写真は『カトリーナ陽子』ではございません(笑)。(この令和に百恵ちゃんのものまねタレントが現れるなんてね)


正真正銘、山口百恵の引退コンサートの様子である。


山口百恵といえば70年代に活躍したスーパー・アイドル。80年に入ると結婚して、とっとと引退してしまったのは日本人なら誰でも知るところ。


もちろん、芸能生活はわずか7年間でも、その間に何度かコンサートを行っているはずなのだが、山口百恵のコンサート・ライブを観ることができるのは、この《伝説から神話へ》の武道館引退コンサートだけ。


なぜなら、山口百恵の活躍時期が《70年代》だったからなのだ。


70年代といえば、まだ日本ではビデオなどが、大変 高価✨ な時代。


ビデオ・デッキも相当なお金持ちしか所有できないくらいの超高級品だった。(1964年にソニーによって開発された《CV2000》というビデオ・デッキが当時の価格で198,000円。この頃の大卒初任給が、わずか20,000円くらいの時代にですぞ!)


《↑CV2000のビデオ・デッキ》



だから、テレビ局にしても、ドラマなんか一回放送してしまえば、その上に何度も重ね撮りしてしまい、以前のモノは残っていないモノが、ほとんどなのだ。(そのくらいビデオ・テープも超高額だったのである)


近年、山口百恵の《夜のヒットスタジオ》DVDなんかも発売されたりもしたが、コレも完全版ではない。


百恵ちゃんのデビューは1973年の『としごろ』だったのだが、テレビ局にさえ、その頃の映像は、もはや残っていないのだ。(《夜ヒット》には1975年以降、9曲目の『夏ひらく青春』からの映像が収められている)

沢田研二にしても、西城秀樹にしても、また、しかりである。(1975年以降で収録されている)


だからこそ、この引退ライブの映像が、とても希少なモノなのだと分かってもらえると思う。


そうして、百恵ちゃんが引退し、80年代の半ばになった頃、やっと一般家庭にもビデオ・デッキが普及しはじめた。(うちにもビデオ・デッキがやってきた)


近所にはレンタルビデオ店が並びはじめ、そこには山口百恵の引退コンサート《伝説から神話へ …… 》のビデオが置かれているのを見つけたのだった。(昔は音楽ビデオのレンタルも平気で並んでいた。今じゃ版権や著作権でうるさいだろうけど)


ラインナップはこんな感じ。


1∶This Is My Trial(私の試練)

2∶夢先案内人

3∶横須賀ストーリー

4∶(メドレー)ひと夏の経験〜冬の色〜青い果実

5∶いい日旅立ち

6∶曼珠沙華

7∶秋桜

8∶不死鳥伝説

9∶歌い継がれてゆく歌のように

10∶さよならの向う側

11∶This Is My Trial(instrumental)


全部で、たった11曲。

これを見て、(おっかしいなぁ~、引退コンサートにしてはあまりにも短すぎるし、『プレイバック Part 2』や『ロックンロール・ウィドウ』など他のヒット曲も歌わなかったんだろうか …… )と思っていたものだが、同じVHSビデオでも《ロング・ヴァージョン》なるモノが1983年に発売されて、既に存在していたのでした。


こちらは上記のモノに6曲が足されて全17曲である。(これで約120分近く)



そうして、DVDの時代になってくると、またまた《完全リミックス版》なるモノが発売される始末。(さらに数曲が足されて楽曲は23曲(数曲のメドレーは、まとめて【1】とカウントする)+特典Single Discography)


このDVDは買い求めて、何度も観て楽しんでいたものだが、しばらくすると、またもや驚愕の事実を知ってしまう。


謝肉祭という曲が一つだけ抜け落ちていたのである!(どこが?《完全版》なんじゃー?!💢)


なんでも『謝肉祭』の中で歌われている「♪ジプシー、ジプシー♪」というワードが《差別用語になっている!》とかどうとか …… (今じゃ《ジプシー》の事を《ロマ》というのが正しいんだとか)


……… でもねぇ~、それを言うなら中森明菜が平気で歌っている『ジプシー・クイーン』なんて曲はどうなんだ!って話よ!(もろ、タイトルも《ジプシー》じゃん!)


こんな声が届いたのか、どうなのか、2006年発売の《Momoe Live Premium》で、ようやっと、『謝肉祭』も収録されて、本当の完全版になる。(なんだかここまでくると、何度も《完全版詐欺》にあってるような気もしてくるが …… )


そうして、音声や色彩まで補正が加わった現在のBlu-rayの形に落ち着くのである。(これで150分近くである)



さすがにぶっ通しで観ると「2時間半は長いなぁ〜」と思うし、「衣装チェンジ少な!」(4回しか着替えてない)とも思うけど、百恵ちゃんの歌唱はブレる事もないし、最後まで全く衰えない。


むしろ「本当に同じ人間か?」と思われるほど驚異的な体力である。


合間合間のトークもお客さんたちを飽きさせないように楽しませて笑わせて …… 

これが当時、若干20歳の女の子だったのだから、今更ながらに恐れ入る。


やはり、山口百恵という人は《別格》なのだ。


そうして、これは私が昔から勝手に思っている事だが、成人式にはどんな祝辞の言葉よりも、このライブビデオを是非見せるべきだと思う。


少しでも、しっかりした大人になれるように ……

山口百恵に近づけるように … ね



※《蛇足》

最初に書いた『カトリーナ陽子』さんについてだが、化粧や仕草は似せられても歌唱の方は、まだまだ。(なんせ、あの低音は女性には難しい)


それに、百恵ちゃんは、一人称の《ワタシ》と《アタシ》を上手に使い分けて歌っている。


ワタシに該当するのが、『いい日旅立ち』や『秋桜』など。


激しい曲では、いつもアタシと歌ったりしている。


「♪交差点では隣りの車がミラー擦(こす)ったと~。怒鳴っているから、アタシもついつい大声になるぅ~」(プレイバック Part 2


「♪心の貧しい女だわ~、あ〜あ〜アタシ」(愛の嵐


「♪いい加減にして!アタシ、あなたのママじゃ〜ない」(ロックンロール・ウィドウ


顔は無表情を装(よそお)ってても、腹から自然に沸き立つような感情の声を響かせる。


これができれば完璧である!(笑)

完全なる百恵への道のりは、まだまだ遠い ……(おしまい)


2025年3月23日日曜日

ライブ 「森高千里の《古今東西〜鬼が出るか蛇が出るかツアー》」

 1991年。





歌って、踊って、次から次に衣装チェンジを繰り返して …… 


最初から最後までエンジン全開。

一言で言えば、もう がむしゃらな感じのライブである。


久しぶりに森高千里の《古今東西〜鬼が出るか蛇が出るかツアー〜》のライブを観返してみて、少し元気をもらえた気がする。(私事だが最近色々あったので …… ゴニョゴニョ …… )


このライブ時には、後のヒット曲となる『私がオバサンになっても』や『渡良瀬橋』、『気分爽快』、『二人は恋人』などは、まだ世に出てはいないのだが、それでもこの《古今東西ライブ》は至極の出来。

今から森高千里のパフォーマンスを楽しみたいという人には、このライブDVD or Blu-rayを是非オススメする。


でも …… 

こんな森高千里でも最初から順風満帆だったわけではない。



1987年に、風見しんご主演の映画『あいつに恋して』のヒロイン役と主題歌『NEW SEASON』でデビューしたという森高千里

映画はあまりヒットせず、デビュー曲もさっぱりだった。

2曲目、3曲目も、また、しかりである。


ミーハー』という曲で、やっと作詞に挑戦するも、急性胃腸炎で入院。原因は過度の《ストレス》だった。

(若い娘が《ストレス》なんて?)と思う人もいるだろうが、やっぱり、この広い芸能界売れた者、勝ち!なのだ。


(何で?私って売れないんだろう …… 歌がヘタクソだから?それとも音痴だから?)


悶々と悩んだ日々の積み重ねが《ストレス》という形で現れたのかもしれない。(この経験が次作『ザ・ストレス』で突破口を開く事になるけど)



ここでハッキリ言っておくが、森高が《音痴》とか《歌がヘタクソ》とは、私自身、全く思っていない!(ここは特に強調しとく)


本人が自虐的な歌詞で、「♪わるいけど私は歌がヘタよ〜♪」なんて歌ったりしてるが。(『非実力派宣言』より〜)


ただ、(鼻にかかったような)《独特な声》なのだ。


それでも、自分の心の内を歌詞にして歌ってしまうことは、コレはコレで健全なストレス解消のやり方なのかも。


「♪わるいけど私は歌がヘタよ〜。でも、やるしかないの〜、ゴメン!我慢してね!」(非実力派宣言)なんて歌詞は、同時に自分のハードルを充分に下げてくれている。


本人もこれ以降、肩の力を抜いて芸能界で生きやすくなったんじゃないのかな?


南沙織の『17才』をカバァーしてヒットさせると、やっと、ここにきて《森高スタイル》が定着する。(あの定番のミニ・スカート姿も)


そうして、ここから森高の快進撃がはじまるのだ!



この《古今東西ライブ》では、初っ端から江戸の町娘姿で『鬼たいじ』を歌い、間奏の途中で脅威の早着替え。

ステージの端から端をハイヒール(ピンヒールなのか?)で踊りながら駆けずり回っている。


メドレーでは、(何枚重ね着をしてるんだ?この人?! …… )と思わせるくらいステージ上で、次から次に脱いでゆき、新しい衣装が現れる森高千里。(人間マトリョーシカかよ!(笑))


その勢いは終盤の『勉強の歌』や『この街』(私のイチオシ)までノン・ストップ。

全く衰える様子もない。



まるで、

(このライブが終わったら、ぶっ倒れようがどうなろうが、いっこうに構わない!!)というような覚悟が ……


後年、本人もこのライブビデオを観かえしてみて、「私、こんなに最初から最後まで踊りまくって、ずっと笑っていたんだ …… 」とビックリしていたそうな。


アンコールの『』をしっとり聴かせて終わりかと思いきや …… またもや出てきた森高千里。

ダブル・アンコールで熱唱するのは『見て』。


「♪ちゃんとワタシ見て!まだまだダメよぉ〜、まちがいだらけね!観察足りないから〜♪ …… 」


私を「見て!」「見て!」と命の叫びのように連呼する森高。


あれからも、ちゃんと《見て》ましたよ、ワタクシ。


間違いなく、この《古今東西〜鬼が出るか蛇が出るかツアー〜》は、森高千里のターニングポイントとなる、伝説的ライブなのである。(元気が出るぞ~)



2025年2月10日月曜日

ライブ 「南野陽子の《NANNO 30th&31st ANNIVERSARY 》」

2017年2月発売。





ドラマでは主役を張る事も無くなってきた南野陽子(ナンノ)。


それでも《歌う》時には、やっぱりナンノが主役。イキイキと輝いている。


ここ数年、歌う姿をたまに見て、私が思うことは「若い時よりも歌が上手くなってきている!」だ。(私だけ?)


同年代デビュー組の歌には、たまにテレビで見ても、ガッカリさせられる。

歳と共に思うように声が出なくなっている人もいれば、音程がハズレまくりの人もいたりする。(中には容姿も崩れまくりの人もいたりするが(笑))


若い頃は、睡眠時間さえ満足に取れなくて、超多忙だったナンノ。

そんな激務の日々が続く中、ミシンを持参しては、合間合間に自分のステージ衣装まで縫っていたそうな。(ここまでするアイドルなんて聞いた事もない!)



そうした陰の努力もあってか、みるみるトップアイドルにまで駆け上がったナンノだったが、この人の歌に関しては、如何せん、当時、歌番組も観ながらも、かなり出来不出来があるように思っていた。


例えば、『パンドラの恋人』という曲があるのだが、歌唱で、「♪止めて!時を!プリズム色に!胸に焼き付けてえええええー!」と、こんな風に強く間延びして歌っている。


話しかけたかった』という曲に至っては「♪跳ねた髪いいいいいー!」と、万事が万事、こんな風である。


日本語の母音は「」の、この五つ。

分かりやすくローマ字にすれば「カ、キ、ク、ケ、コ」なら「ka、ki、ku、ke、ko」。

「サ、シ、ス、セ、ソ」なら「sa、si、su、se、so」となる。


この母音、「」と「」が問題であって、例えば歌う際に、これらの母音で終わるようなフレーズを、強く引っ張って歌えば、聴く人によっては、とっても耳障りな音にも感じるのだ。



秋からもそばにいて』という曲もしかり。


「♪好きよ、好きよ、離れないで、夏は遠く霞むけど。そらさないで、見つめていて。愛を深く感じたいいいいい!

《サビ》「ず〜と、ず〜と愛してるって耳のそばで囁いてええええ!」(歌番組での生歌唱は大体こんな感じだ)


個性といえば、これがナンノ特有の個性なんだろうが、時折、とても 下手くそ に聴こえたりする。(この考察、案外、的はずれではないと思う)


大抵の歌手たちは(これを本能的に分かっているのか)、この母音「イ」と「エ」で終わるようなフレーズの歌詞があるなら、長く伸ばしても、徐々にフェードアウトするような形で、上手く処理して歌っている。


「ここぞ!」という見せ場の時、声を張り上げて歌い上げるのは、やっぱり「」や「」、「」の母音で終わるようなフレーズの歌詞だけなのだ。


だから、当時は、こういった粗(あら)が目立たない曲、『接近〜アプローチ〜』や『秋のIndication』、『楽園のDoor』なんてのが好きでございました。


作詞家たちも、こんなナンノの欠点を考慮しながら作詞をしているわけでもないだろうし、多忙な本人も、当時は気づいていなかったかもしれない。


そうした状況が続く中、順調にリリースしていた歌は、やがて尻すぼみになっていき、1991年に発売された『夏のおバカさん』が、とうとう最後になってしまう。


「これからは女優、一本でやっていきます!」と高らかに宣言するナンノ。


それから数年して、《ザ・ベストテンの同窓会》特番に呼ばれて『話しかけたかった』を歌う機会が与えられると、感極まって泣いてしまうのである。



「やっぱり …… 本当は歌いたかった」と。(だろうな。歌がそんなに上手くなくても、歌番組にのぞむ気持ちは並々ならぬモノがあったし)


この本人の涙ながらの訴えが功を奏したのだろうか …… 

それからは女優業を地道に続けながらも、コンスタントに歌う機会も増えていく。


そうして、2011年発売のベスト・アルバムには、待望の新曲『最終オーダー(ラスト・オーダー)』が、作詞:南野陽子、作曲・編曲:萩田光雄で完成し、収録される。


この曲を後追いで聴いた時、私は素直に感動してしまった。


メロディー・ラインが良いのは当たり前だが(なんせ作曲が萩田光雄大先生だもの)南野陽子の歌唱が昔に比べて格段に 良くなっている!のだ。(上記に記した、あの《欠点》もだいぶ影を潜めている)


それからも静かなる快進撃は続き ……


2015年には、小説家であり作詞家でもある、なかにし礼(没2020年)のトリビュートアルバム『なかにし礼と12人の女優たち』にも参加。



かつて、なかにし礼が作詞して大ヒットした名曲の数々の中から、それぞれセレクトして、《女優たちに歌ってもらおう》ってコンセプトの企画アルバムである。(これは評判が良かったのか、最初からそのつもりだったのかは知らないが、翌年2016年にも第2弾『なかにし礼と13人の女優たち』ってアルバムも発売されている)


この両方で、南野陽子も歌唱しているのだけど、どういった経緯でこうなったのか?(それにしても、なかにし礼のこのデレっぷり様よ(笑))


2015年版では、菅原洋一さんの『知りたくないの(1965年)』、

2016年版では、いしだあゆみさんの『あなたならどうする(1970)』を、それぞれカヴァーしていた。


これも一部の関係者たちやフアンを、驚かせてザワつかせる結果となる。

「南野陽子って、こんなに歌が上手くなっているの?!」と。(ここへきて、やっと世間的に実力が少しは認知されたか)


そうして、この30周年コンサート&追加公演である31年目コンサートである。



長く続けていると、こんなご褒美ももらえたりするのだ。


このコンサートの副題は、アルバム曲にもある『シンデレラ城への長い道のり』。


本当に、本人にしても、ここまでの道のりは長かったはずだ。

年齢と共に声には《艶(つや)》がでて、歌唱は安心して聴いていられるような安定感まで備わった。


なんなら、『秋からもそばにいて』なんて曲は、昔よりもずっと良い出来栄えだ。


同世代のアイドルとして、これからも応援していきたい。

フレー!フレー!ナンノ!!である。



※《蛇足》これを書き始めた頃、またもや最新ニュースが飛び込んできた。


2025年7月、NHKホールにて、南野陽子40 周年記念コンサートが行われるのであ〜る。(我ながら先見の妙が当たりすぎて、たまに恐ろしくなる)


とうとうNHKさんも、今のナンノの実力をお認めになった(?)のかしらん?

まぁ、私のようなフアンにしたら「10年遅いんだよー!」と言ってやりたいところだけどね(笑)。