2020年5月29日金曜日

映画 「ポセイドン・アドベンチャー」

1972年 アメリカ。






当時、あの『ゴッド・ファーザー』と並んで大ヒットした作品。


破格の製作費を上回って、莫大な興行収入を得るほどの大ヒット。




淀川長治さん(日曜洋画劇場)、水野晴郎さん(金曜ロードショー)、荻昌明さん(月曜ロードショー)など映画評論家たちは、こぞって、この映画を大絶賛。


自分達の番組で、代わりばんこに、常に放送していたくらいだった。(そのくらい、当時は、二時間映画の枠は多かったのです)



特に、淀川先生の溺愛ぶりはスゴくて、

「私は、この映画に出会う為に、産まれてきた!」なんて言っていたくらい。(まぁ、何事にも大ゲサなのが映画評論家なんですけどね)




《パニック映画》なんて呼称は、この映画から、始まったんじゃなかったかな。




で、……………こんな大ヒット作には必ずといっていいほど、付いてくるのが続編、そしてリメイク。


『ポセイドン・アドベンチャー2(1979)』

『ポセイドン(2006)』、

全部、見事にコケました。(他にもテレビドラマで3時間のモノもあるらしいが……)




《パニック映画》というのを、予期せぬ未曾有の災害が襲って、「ワァー!ワァー!」人々が騒ぎながら、逃げまくるだけのモノだと勘違いしているから、こうなるのである。



「大迫力の災害シーンを上手く描けば、ヒットは間違いなし!」

なんて思い込んでいる映画関係者たちは、大勢いるはず。




そんな人々は、少しばかり映画を読み解く力や分析力が甘いんじゃないかな?



でも、それだけじゃないのが、この傑作『ポセイドン・アドベンチャー(1972)』なのです。





豪華客船《ポセイドン号》は、大晦日の明け方、荒れ狂う波の中を何とか、やり過ごしながら突き進んでいた。


『ハリソン船長』(レスリー・ニールセン)は、最初から、この《ポセイドン号》の航海には、一抹の不安を抱いていたのだが、その予見が、見事に当たった感じだ。



船の重心が高すぎるのだ。



船の重心が高ければ、安定させるために、バラスト(底荷)をして、船底を重くしなければならないのに、それもしていない。


大波がくれば、一発で転覆する恐れもある。



スピードを出すことも、もはや危険だったのだが…………


「何をモタモタしているんだ?さっさと全速前進しろ!もう、3日も到着が遅れているんだぞ!!お前をクビにしてもいいんだぞ!!」


船主代理人の男が、船長の横で、ギャン!ギャン!わめき散らしている。



(この……ド素人が………どうなっても知らんぞ)


「全速前進!!」船長は、ヤケクソ気味に船員たちにむかって命令した。






そんな豪華客船《ポセイドン号》には、様々な乗客たちがいる。



過激な説教を持論にしている『スコット牧師』(ジーン・ハックマン)は、アフリカの未開地に左遷されて、そこへ向かう為に乗り込んでいる。


「神に祈るだけで寒さがしのげるか?!寒さをしのぐなら、『燃やせるモノは何でも燃やせ!』それが私の持論だ!!」(いいのか?こんな過激な思想の牧師って?)





幼い弟『ロビン』(エリック・シーア)は、姉の『スーザン』(パメラ・スー・マーティン)と共に、両親の元へ帰省するために乗りこんでいた。


ロビン少年は、もっか、この《ポセイドン号》の構造や機能に夢中になっている。



「この船のエンジン馬力はすごいんだよ!機関室だって凄い設計なんだから!!」




両親からきた電報を読みながら、スーザンは知らぬ顔。


(全く……変わり者の弟なんだから……何がそんなに面白いのかしら?………)






老年のローゼン夫婦は、イスラエルの孫に会うために乗船中。


「もう、どんなに大きくなってるかしら?2歳になってるはずよ。楽しみだわ」

太った妻『ベル・ローゼン』(シェリー・ウィンタース)は、お昼の甲板で編み物をしながら、まだ見ぬ孫に、想像を膨らませてウキウキ。



その横では、夫の『マニー・ローゼン』(ジャック・アルバートソン)は、「わしは、モーセが十戒を受けたという山のツアーに行きたいんだがね……」なんて、ひとり言をブツブツ。



夫妻の目の前を、雑貨屋を営んでいる『マーチン』(レッド・バトンズ)が運動不足にならないよう、ジョギングして通りすぎた。


「あの人、イイ感じよねぇ~独り者なのかしらねぇ~?」(出たー!バァ様のお節介)






大晦日を祝う為の大広間では、それぞれテーブルが並べられて、ボーイたちが、その支度にバタバタしていた。


その中でボーイの一人、『エイカーズ』(ロディ・マクドウォール)は、手を休めて、ステージ上でリハーサルをしているバンドの女性ボーカルの姿にウットリ。



「おい!何をボーッとしてる?」



仲間のボーイに急かされてもエイカーズは、美人歌手『ノニー』(キャロル・リンレイ)の歌声に聞き惚れている。


「いいねぇ~、良い歌だねぇ~………」


大晦日のパーティーまで、後、数分………。







「おい!早く出てこい!何をそんなに手間取ってるんだ!?パーティーが始まるんだぞ!!」


『マイク』(アーネスト・ボーグナイン)は、自室の化粧室に閉じ籠って、出てこない妻『リンダ』(ステラ・スティーヴンス)を心配して、大声をあげていた。



マイクは元刑事で、リンダは元娼婦。

二人は異色の組み合わせの夫婦だった。



「うるさいわね!いい加減にしてよ!!」

リンダは出てくると、浮かない顔をしている。


「いったいどうしたんだ?」



リンダはポツリと呟いた。

「いるのよ………この船の中に……昔、私の客だった男が………だから、パーティーに出たくないのよ」



「それが何だ!昔の事だろう。気にしなければいいさ!!」



「何よ、それ!あんたったら私を6回も逮捕したくせに!!」



「あんな商売を辞めさせたかったからだ!文句あるか!」


言葉は荒くても、リンダにベタ惚れのマイクである。(この顔で、純粋なオッサンを演じさせたらボーグナインは、さすがに上手いなぁ~)

そんなマイクの一途さに打たれて、リンダも堅気になる決心をしたのだ。




「分かったわよ、パーティーに行きましょう」


何が起きても動じそうもないマイクの愛情が通じたのか、リンダの気持ちも軽くなったようだ。



そうして、大晦日のパーティーがはじまる………。





こんな個性豊かな面々たちが、この後、大方の予想通り、大災害に出合うのである。




《ポセイドン号》は、地震の津波で、大波をくらい、転覆。



船は、まっ逆さまにひっくり返って、船底が持ち上がった状態になる。



「キャーーーー!!」、

「ワァーーーーー!!」


テーブルが、椅子が、ひっくり返って、人間たちが逆さまになった船の中で、なぎ倒されていく。




大勢の人々が亡くなっていくのだが、そんな中で、冒頭に書いた登場人物たちの個性が激しくぶつかり合う、人間ドラマが繰り広げられていくのである。




そう、『パニック映画』とは、『集団人間ドラマ』なのだ。



災害も、迫力ある津波も、その背景の、ほんの一部でしかないのだ。





パニック状態の中、スコット牧師は皆のリーダー格となって叫びだす。

「船が沈む前に、船底に向かって、皆で上がっていくんだ!」



それに反対する者たち。

「馬鹿な!無謀だ!!助けが来るまで、動かないで待った方がいい!!」



反対する者、賛成する者に別れて、意見は真っ二つ。



冒頭に書いた登場人物たちは、スコット牧師に賛成して、船底に上がる為に無我夢中になって、死に物狂いで進んでいく。




そして、後に残った者たちは、案の定、海水にのまれて死んでいく。



選択肢を間違ったばかりに………。




極限状態では、ナビも、全く役に立たない。




人生の選択肢は、「右に行くのか?」、「左に行くのか?」、いつも分かれ道に立たされていて、二つにひとつ。

それを選んで進んでいくのは、自分の考え、ひとつなのである。




失敗するかもしれない……あの時、違う道を進んでいたなら、今の自分の境遇は、ガラリと違うものになっていたんじゃないか………そんな後悔に想いをはせる人もいるはずだ。




この『ポセイドン・アドベンチャー』は、それを、我々にまざまざと観せて、考えさせるのである。




稀代の映画評論家たちが、こぞって褒めたたえるのも、分かる気がする。


個性豊かな人間たちが、上手く描かれているか、どうか………それが重要なキー・ポイントであり、一番大事な事。



そして、『パニック映画』に至っては、それが普通の映画と違って、大人数となるのだから、脚本家や監督たちは、よくよく考えてから、手を出してくださいね。


迂闊に手を出してしまうと、その人の才能や力の差が歴然と分かってしまうので(笑)。




それくらい、敷居の高~い、難しいジャンルだと思って頂きたい。




それらを、全てクリアして、成功している、この『ポセイドン・アドベンチャー』は、まさに金字塔。

星☆☆☆☆☆であ~る。



※全5種の日本語吹き替えが入ったBlu-rayが発売されております。

色々、聴き比べて観てみたいものですね~♪

2020年5月23日土曜日

映画 「マーティ」

1955年 アメリカ。






ニューヨークの下町、ブロンクスの精肉店で、今日も、せっせと真面目に働く『マーティ』(アーネスト・ボーグナイン)は34歳の独身男。



たくさんいた弟妹たちは、結婚して、出ていき、今は母親との二人暮らしだ。



「で、あんたはいつ結婚するんだい?マーティ!」


「弟たちは皆、結婚してるのに……」



肉を買いにくる、客の婆さんたちに笑顔で愛想よく振る舞うマーティだったが、ババァ達の一言一言は、マーティの心をえぐる、えぐる。(冒頭、このマーティの表情を観ているだけで(涙))




(分かってるさ……俺はブ男で醜いって事も……)




仕事が終わって、週末の夜、そんな仲間達が溜まり場のバーに集まると、「今夜どこに繰り出す?」かの相談で、ガヤガヤ。



親友の『アンジー』(ジョー・マンテル)も、「今夜、どうする?マーティ」と聞いてきた。(アンジーも、全くモテない)



マーティは黙ってビールを飲んでいる。



もう、ほとほと、懲りていたのだ……どこに出かけて行っても女達には相手にされないし。




アンジーや同じようにモテない仲間達との話も、堂々巡り。



暗~い週末の夜は更けていく……。





一方、その頃、マーティの実家では、マーティの母親『テレサ』が、訪ねてきた甥夫婦の相談にのっていた。



「伯母さま、聞いてください!もう酷いんです!!お義母さまったら!!」



テレサの実の妹で、甥夫婦の母親『カテリーナ』………。


夫婦は、そのカテリーナと一緒に同居していたのだが、嫁『バージニア』は、よくある嫁姑問題に、四六時中悩まされていた。(アメリカにもあるのねぇ~嫁姑問題って……)




産まれたばかりの赤ん坊の育て方から、作る料理まで、何から何まで、いちいち干渉してきては、嫌味を連発するカテリーナに、嫁のバージニアは、もはや限界点。



ヒステリックに涙するばかりだった。



甥の『トーマス』も、その板挟みで、ホトホト疲れきっていた。




「伯母さま、お願いがあるんです!この家はマーティと伯母さまの二人暮らしでしょう? お義母さんをこちらで引き取って頂けませんか?! もう、限界なんです!!」




バージニアの提案に、甥のトーマスも(もはや、これまで……)とばかりに黙っている。


甥夫婦は、とうとう、こんな提案をテレサに突きつけてきたのだった。



(昔から口やかましいカテリーナ……姉の私にもだったしね………二人とも可哀想に……… )



心底、甥夫婦に同情したテレサは、

「いいわよ、ここに連れて来なさい。新婚夫婦にもプライベートは必要よ」と承知してくれた。




途端に、晴れやかになるバージニアとトーマス。


「ありがとうございます!!ありがとうございます!!」

二人はルンルン気分。(どんだけクソババァなんだろ(笑))



「ところで、トーマス。こっちも相談があるんだけど………どこかにマーティに合うような良い人いないかしら?」







「カテリーナ叔母さんがここに来るの?」


帰宅したマーティに、テレサは説明したが、マーティは別に嫌な顔もしなかったし、「いいよ」と承諾してくれた。(テレサは「ホッ!」)



安心したテレサは、今度はマーティの恋人探しに話題を変えていく。


「トーマスが言っていたわ。ダンス・ホールに出かけるのよ!!そうしたら《 マブイ 》? そんな女性たちが、沢山いるんですって!お前にも良い相手が、きっと見つかるわよ、マーティ!!」



マーティの顔色が、どんどん暗く淀んでいく。


そして大爆発。



「いい加減にしてくれ!僕はデブで醜いんだから!!」


「まぁ、マーティ……」

母親テレサの涙ぐむ姿に、マーティも、おし黙ってしまった。



食卓に流れるイヤ~な空気。



(しょうがない……出かけてみるか………でも、きっと誰にも相手にされないに決まってる…………)



期待なんかしないで、渋々、マーティはダンス・ホールにやって来たが、案の定、やっぱり壁の花。



皆が嬉しそうに踊る姿を、何となく遠目に見ているだけだった。



そんなマーティに一人の男が声をかけてきた。



「お前、一人か?」


突然、声をかけられてマーティはビックリ。



男は連れの女性がいたのだが、ダンス・ホールで知り合いの《イケてる》女性を見つけたので、そっちに乗りかえたいらしい。(何て奴!)


「なぁ、5ドル払うからさ、あのイモっぽい女の相手をしてやってくれよ? 無理矢理押し付けられて困ってるんだからさ、こっちも!」(最低!)



こんな提案にマーティが、のるはずもなく、断ると、男は、また別の男を捕まえては、同じような提案をしていた。



マーティが見ていると、その女性は、相手の男の行動にたまらなくなり、ホールの外のベランダに走っていった。



残された男は、「やれやれ……」の顔。



マーティは気になり、その女性を追いかけてベランダにやって来た。




「あの………大丈夫?……ですか?」



その女性、『クララ』(ベッツィ・ブレア)は、マーティの声に振り向くと、目に涙を、うっすら浮かべて、マーティの懐に飛び込んできた。




泣きじゃくるクララの背中を、優しくポンポンするマーティ。




モテない男『マーティ』と冴えない女『クララ』……二人の出逢いは、こんな風に始まったのだった…………。







名脇役アーネスト・ボーグナインが、珍しく主演をつとめた映画である。




この『マーティ』は、当時、アカデミー賞を総なめした。



作品賞、監督賞、脚本賞はもとより、アーネスト・ボーグナインも主演男優賞を獲得している。


そして、カンヌ国際映画祭においても、最高賞であるパルム・ドールも受賞。



アカデミー作品賞とカンヌの最高賞を同時に受賞した作品は『失われた週末』(1945年)と『パラサイト 半地下の家族』(2019年)、そして、この『マーティ』だけなのだ。






そのくらい、もの凄い快挙を成し遂げた『マーティ』を今回、初めて観たのだけれど………もう、涙、涙、でございました。😭




本当にモテない男の悲哀というか、辛さ、それにマーティの純な気持ちが、充分に伝わってきて、この映画は涙なしには、観れません。



イタリア系アメリカ人のマーティは、6人兄弟の長男で、弟や妹たちを育てるため、亡くなった父親の代わりになるために、大学進学を諦めて、精肉店で、一生懸命、働きながら、一家を養ってきたのだ。



苦労して、弟妹たちを育てて、結婚まで送り出して、母親の世話までしているマーティ。





こんなマーティが幸せにならなくてどうするの?






せっかく、クララと知り合って、周りも喜んで祝福してやればいいのに、この周囲の人たちときたら………。






「あの人、私嫌いよ。35~40歳くらいに見えるわ。29歳?きっと嘘をついてるのよ!」




母親テレサは、妹、カテリーナの入れ知恵で、

「息子なんて結婚したら、嫁さんの言いなり。私みたいに邪険に追い出されるのさ」なんて、言葉を信じちゃったもんだから、それまでは、マーティの恋人探しに躍起になっていたのに、途端に手のひら返し。




せっかくマーティがクララと知り合ったのに、こんな難癖をつけはじめる。(本当に、こんなクソババァ、無理に引き取らなきゃいいのに)





マーティの親友たちも、マーティに先を越されるんじゃないかと思いはじめて、クララの事をボロクソにこき下ろす。


「あのイモっぽい女………」


「もっと良い女がいるぜ、マーティ!」とか。(こんな陰口を言われているクララも可哀想に)




本当に『渡る世間は鬼ばかり』である。





こんな周囲の声に、クララとの約束をすっぽかしてしまったマーティ。



でも、考えるのはクララの事ばかり。




また、ある夜も、仲間達が「なぁ、今夜どこに行く?」なんて相談しあう中で、マーティは、ジッ、と目をつぶって考えている。




そして、目を開くと、


「いい加減にしろ!どいつも、こいつも!淋しくて惨めな奴らめ!!僕はこんなのに付き合ってられない!!」と、とうとう爆発!



「マーティ、どこに行くんだ!」公衆電話に走っていくマーティを、親友アンジーが追いかけて行く。


「皆が彼女を嫌う!彼女はイモ!僕は醜い! でも僕は彼女といて楽しかったんだ!! 彼女に電話する! 彼女をデートに誘う! 結婚するかもしれない! ほっといてくれ!!」(よくぞ、言ったよ!マーティ!!)




マーティの電話を、今か、今かと待っていたクララも、すぐに電話に出た。



あ~良かったねぇ~、マーティ。



電話をかけるマーティのそばでは、アンジーが、シュンとしてうなだれた顔。(親友なら喜んでやれよ!コラ!!)




ここで、最初の冒頭で、精肉店の客達に、散々言われていたセリフを、マーティがアンジーにぶつける。


「お前も33歳だろ?しっかりしろ!情けないぞ!」と。




それまで、周囲の言葉に、耐えに耐えていたマーティの大逆転。


マーティの、こんな痛快な言葉で映画は終わる。






この映画に出るまでは、ずっと端役や悪役に甘んじていたアーネスト・ボーグナインは、これで、一挙に名声を手に入れた。



アカデミー賞のトロフィーを、美人女優グレース・ケリー(後のモナコ王妃)から手渡されるボーグナインの嬉しそうな顔よ。




それ以後、中々、主演には恵まれなかったが、死ぬまで名バイブレーヤーとして活躍したボーグナイン。



これは名優ボーグナインが残した、確かな爪痕として、もっと評価されてもいい映画なんじゃないかと思うのだが。


超オススメ!

星☆☆☆☆☆。

2020年5月20日水曜日

映画 「トランス」

2013年 イギリス。





絵画競売人の『サイモン』(ジェームズ・マカヴォイ)は、ギャンブル依存症。



その為、膨れ上がった借金を肩代わりしてくれた、ギャングのリーダー『フランク』(ヴァンサン・カッセル)の計画に加担する事になる。




それは、オークション会場からの、絵画《 魔女たちの飛翔 》の強奪計画だ。



ガスを充満させ、会場が大騒ぎになり、パニックの中、見事、サイモンとの連携プレイで、絵画を強奪すると、フランクは、ホクホク顔で仲間のいるアジトに戻った。




そして、期待して包みを開くと……



…………ガックリ。



額縁だけやんけ~!何じゃコリャ~!!


舐めとんのかぁ~、あのヤローが裏切りやがったのかぁぁぁぁ~!!




サイモンは案の定、ボッコボコに殴られて、病院送り。


やっと退院すると、(ヤッパリね)フランク達の制裁が待っていた。


「俺の絵をどこに隠したんだ!!言え!!」


「覚えてないんだ!本当だよ!あんたに殴られて、その時の記憶がないんだ!!」



どんなに拷問されても、指の爪を剥がされても(ヒィーッ!痛そう)、口を割らないサイモンに、さすがのフランクも、


(本当に記憶喪失………?)と、信じはじめる。


でも、どうやって奴の記憶を取り戻せばいい?……



催眠術?そうだ!《 催眠療法 》だ!!


「おい!この中からどれでもいい、お前が選べ!!」

スマホ画面に、ズラズラと出てくる催眠療法師のリストから、サイモンは何となく、一人の女性を指差した。


「この人がいい………」



次の日から、選ばれた催眠療法師『エリザベス』(ロザリオ・ドーソン)との、マンツーマンのカウンセリングがはじまった。


もちろん、サイモンには、隠しマイクがつけられていて、フランクと他の3人の仲間達は、離れた場所で盗聴しながら、耳をタコにして、待ち構えている。



「さぁ、リラックスしてね……」



エリザベスは、そう言うと、自身が語りかける、あらかじめ録音していた声を流すと、サイモンに、『何も喋らないで!』というカードを目の前に差し出した。


『盗聴されてるのね?』というカードを見せて、サイモンには頷く合図だけをさせる。



そして、サイモンの胸ポケットにある隠しマイクを見つけると、それに向かって、おもいっきり、「ワァー!!」と叫んだ。




聴いていたサイモンたちは、耳がキーーーーンッ!!



「ぎゃあああぁぁーーー!!」の、けたたましい叫び声をあげる。





「あんた、いったいどういうつもりなんだ!?」


もはや、隠れてコソコソする必要もなくなったフランクは、エリザベスの前に現れた。


もう、とっくに、フランク達がギャングの一味で、記憶喪失のサイモンを使って、何かを探りだそうとしている事はお見通しなのだ。



そんなフランクに全く動じるような様子もないエリザベスは、「フフン」と笑みを浮かべて、

「私をあなた達の仲間に入れてよ」と逆に提案してきた。


「何を言ってるんだ?!」


「私が必要なはずよ、サイモンの記憶を取り戻す為にはね」


「ムムッ……」確かにフランク達だけでは、どうしようもないのだが、この女の、人をクッたような態度には、ムカッ腹が立つ。



こらえて……こらえて……



「いいだろう、分かったよ」と、渋々仲間に入れたフランク。




こうして、エリザベスの治療が再び始まる。



イラつくフランク……


(まるで、この女に、いいように主導権を握られたも同然だ………)


だが、イラつく気持ちとは、真逆の感情が芽生えはじめ、この不思議な女性、エリザベスに、フランクはどんどん惹かれてゆく………。




絵画を絡めた男女のサスペンス・スリラーである。



何だか、この映画、けっこうあちこちで、あんまり評判は良くないのですが、私は楽しめました。



マイナーな映画ゆえ、またもや、長々と冒頭のあらすじを書いてみたけど…………、懐かしい顔が出てるじゃないですか。




ジェームズ・マカヴォイを久しぶりに観たような気がする。(少しヤッパリ歳をとったかな? 顔も前よりふっくらしてるような)





ヴァンサン・カッセルが出演している映画を取り上げるのも、このblogじゃ初めてかもしれない。


言わずとしれた、いまや有名な2世俳優。



父親は、あの『オリエント急行殺人事件』の車掌ピエールや、『料理長殿、ご用心』の鳩料理人ルイでお馴染みの、『ジャン・ピエール=カッセル』。


後々になって、こんな話を知る事になるのだが、私、最初、このヴァンサン・カッセルの顔を、初めて見たとき、(ゴメンナサイ!ハッキリ言うと)気持ち悪かった。


「何だか、カマキリみたいな顔だなぁ~」ってのが素直な印象。


でも、見慣れてくると、不思議なもので、最近では、逆にカッコよくも思えてくる。


今や、歳をとって、溢れ漏れる男の色気みたいなモノが、今やムンムン。





そして、ロザリオ・ドーソン…


この映画で初めて見た女優さんだけど、この人、何人(なにじん)なんだろ?って思うくらい変わったお顔。



デカイ目、デカイ鼻、デカイ口、しっかりした顎。



調べてみると、《プエルトリコ人とキューバ人の混血である母親と、ネイティブ・アメリカ、アイルランド人の混血である父親のもとに生まれる》とある。



色々なお国の血が入ってるのも納得だ。




こんなロザリオ・ドーソンであるが、この映画の後、監督のダニー・ボイルとデキちゃったり、なんかする。



『監督』と『女優』………よくある話なんだけどね。



やっぱり、下世話な話、ダニー・ボイル監督も、カメラのフィルター越しに、女優ロザリオを見つめていると、なんだか特別な感情が生まれてくるのかな?


この女優に「触りたい!」、「引き寄せたい!」って思い始めるのかもねぇ~。





と、下世話な話は、このくらいにして。(エッ?いいのか?いきなり真面目!)




この映画で取り上げられる絵画も、なかなか魅力的でした。

《ゴヤ作『魔女たちの飛翔』》




話の中心になる、ゴヤの『魔女たちの飛翔』もいいけれど、映画の冒頭に出てくるレンブラントの『ガラリアの海の嵐』の素晴らしさに、見た瞬間、心奪われてしまった。


《レンブラント作『ガラリアの海の嵐』》




「なんて躍動感があって、荒々しくて、壮大で、素晴らしい絵なんだろう!」と。


こんな絵画なら、自分も欲しいし、一日中、見ていても見飽きる事もないだろうなぁ~。



映画が終わっても、冒頭の『ガラリアの海の嵐』が、もう1度見たくなってしまって、また再生してしまったくらいである。(1990年に盗まれて、いまだ行方不明。高額な3億ドルの値がつく盗難絵画である。誰だ~? 盗んだのは~?!)



レンブラントなら『夜警』が有名だが、この『ガラリアの海の嵐』は、なぜか、私を、強く惹き付けてしまった。


本当に素晴らしい絵画です。



映画は、星☆☆☆。

絵画もたまには、良いモノですね。


※《後記》ちなみに、この映画とは、全く関係ないが、とんでもないモノを見つけてしまった。



こちらが、画家ミレーが描いた『オフィーリア』の肖像画。


《ミレー作 『オフィーリア』》




そして、こちらが、それに扮している《樹木希林》である。



最後まで、お騒がせなバアさまだ(笑)。

お粗末!



2020年5月17日日曜日

映画 「市民ケーン」

1941年 アメリカ。




稀代の大金持ちで、世間を騒がし続けた新聞王、『チャールズ・フォスター・ケーン』(オーソン・ウェルズ)が年老いて亡くなった。




謎の言葉《 バラのつぼみ 》という、一言を残して………。




ケーンが亡くなったニュース映画(この頃、テレビなんてない時代。ニュースは映画で流しておりました)の、出来上がったラッシュを観ながら、プロデューサーの『ロールストン』は不満顔。


「これじゃ、人間『ケーン』が、全く描かれていないじゃないか?!ケーンが残した最後の言葉《 バラのつぼみ 》の秘密を探るんだ!!」



ニュース記者『トンプソン』は、命じられてとんでいく。


《 バラのつぼみ 》とは何なのか?!





アメリカ人が、映画ベストテンなんて、ランキングをすると、必ず、1位になるのが、この映画。




アメリカ人は、この『市民ケーン』を、猛烈に溺愛している。



有名俳優たちはもとより、名監督たちも、これを、今でも大絶賛して、必ず1位に押しているほど。


「『市民ケーン』は、映画史に残る偉大な大傑作だよ!」は、スピルバーグのコメント。




もう、過剰なほどの持ち上げ方だ。



で、この『市民ケーン』が絶賛される理由が、以下のとおり。


①物語はケーンの死から、はじまり、ケーンの関係者の証言をもとに、様々な視点からの回想を織り込んでいる。


②主人公の生涯を浮かび上がらせるという構成。


③俳優の演技を生かすために、ショットを少なくした長回し(ワンシーン・ワンショット)の多用。


④パンフォーカス(画面の前方から後方まで、全てにピントを合わせて、奥行きの深い構図を作り出す撮影手法)の使用。


⑤極端なクローズアップ、広角レンズの使用。


⑥ローアングルの多用(穴の開いた床にカメラを構えて撮影された)



⑦そして、弱冠25歳のオーソン・ウェルズが、主演だけではなく、監督、脚本、製作を、全て担っている事。




これらは、当時としては驚きであり、画期的だったのだ。


このオーソン・ウェルズの初挑戦を称える者は、今のアメリカでは数多く存在する。


今じゃ、名作中の名作として、アメリカ人の誰もが認知している作品なのだ。




でも、でも、………




何事にも、初めてというのは目をつけられやすいもので………、


当時、この『市民ケーン』は、ボロカスに叩かれた。



この映画の製作時に、本当に実在していた新聞王『ハースト』は、自分の事を勝手に映画の題材にされてしまったとして、カンカンに激怒する。


「何なんだ!?あんな映画を、断りもなく勝手に作りやがって!!」


もう、猛烈な激しい怒り。


《新聞王ウイリアム・ランドルフ・ハースト》




上映を妨害するために、徹底的に妨害工作をはじめたのだ。


富と権力を持ち合わせたハーストは、自分のハースト系列の新聞を使って、手始めに映画の酷評をしまくる(ネチネチと……)。



抱えているコラムニストたちにも「最低な伝記映画」と言わせてしまう。


映画館やRKO(かつて存在した、メジャーな映画配給会社)にも圧力をかける、などなど………




すると、とうとう、上映を拒否する映画館までも続出しはじめた。


おかげで、オーソン・ウェルズの初監督作品『市民ケーン』は、大損害。大赤字を叩き出したのである。



何が、ハーストをこんなに怒らせたのか?



それは『市民ケーン』の中の主人公『ケーン』の描き方だ。



富と権力を手に入れても、たったひと欠片の《 愛情 》さえも得られなかった『ケーン』………。

母親は幼いケーンの為なのだと、後見人をたてて、ニューヨークの寄宿学校へ送る。

新聞社で成功し、大統領の姪の妻、『エミリー』と結婚。


そうして知事にまでなろうとした矢先、愛人『スーザン』の事をすっぱぬかれて、落選。

エミリーもケーンに愛想をつかして、去ってゆく。



2度目の妻、スーザンには大劇場まで与えて、無理強いして、女優をやらせようとするも酷評だらけ。(女優なんかやりたくないのだ、本当は)



「もう嫌よ!女優なんて!」


「何を言ってるんだ、スーザン!演技を続けるんだ!」ケーンは、こんな調子で、どこまでもゴリ押し。



耐えかねたスーザンは、とうとう自殺未遂をおこして、ケーンの元を去ってゆく。


また、ひとりぼっちのケーン。



富と権力があっても、たったひとつの《 愛情 》さえも得られなかったケーンは、こうして孤独に亡くなるのだった…………。




こんな新聞王ケーンに、モデルになったハーストには、

「ハハハッ!誰からも愛されない男!」なんていう、世間が小馬鹿にして、笑っているような幻聴が聞こえたのかもしれない。



(許せん!………あの若造(まぁ、25歳だしね)、『オーソン・ウェルズ』め………)




《1937年 20代のオーソン・ウェルズ》




ハーストの怨みは凄まじく、これが後々、続いていくオーソン・ウェルズの、暗雲たちこめる映画人生のはじまりだったのである…………。(怖いねぇ~、恐ろしいねぇ~)





こんな裏事情を、充分、知った上で、今から20年前に、この『市民ケーン』を観た自分。




観た感想…………



ごくごく普通のドラマでした。



何なら、あんまり「少しだけ面白くない」に入れてもいいかも。


現代のハリウッドの映画人たちが、当時としては、画期的なカメラワークを称賛しているけど、お話自体は凡庸って言ってもいいくらいでした。




観た後で、「これがアメリカ映画のベスト・ワンなの?」と疑ったくらい。



ある男の人生ドラマとしても、メロドラマとして観ても、特に何て事はない、まるで「心、揺さぶられない」のだ。(『バラのつぼみ』の謎も大した事ない。ガックリ。)


前述に書いた、この映画の背景が、あまりにも、この映画を過大に持ち上げすぎてる気もする。




当時、この作品は、アカデミー賞で最多ノミネートされても、結局、脚本賞だけの受賞だけだった。


脚本賞?ちょっと違う気がする。


アカデミー賞の撮影賞なら分からないでもないけど。




ハーストが「ギャン!ギャン!」騒いで妨害しなくても、作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞が取れなくても、なんか妙に納得してしまった。(この年のアカデミー賞作品賞は、ジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』。数年前に観ても、こっちの方が、断然面白かった記憶がある)



過剰な背景に持ち上げられてしまった映画。



傑作というよりも、問題作かな?(とりあえずは、オーソン・ウェルズの大親友でもあるジョセフ・コットンのデビュー作でもあるし)


私の評価は、普通の星☆☆☆。


これから初めて観る方は、「アメリカ映画のベスト・ワン」なんて冠を気にせず、まっ皿な気持ちで観てほしい。
 

2020年5月12日火曜日

映画 「永遠に美しく……」

1992年 アメリカ。





原題は『Death Becomes Her』(彼女には《死》がお似合い)。



監督は、またもやロバート・ゼメキス。(スイマセン!またか、と思う人もいるでしょうが、もう今月はロバート・ゼメキス月間と思って諦めて。)





「イヤだ!また、こんなところに皺(しわ)が………」



舞台を終えて、控え室の鏡を見ながら、『マデリーン・アシュトン』(メリル・ストリープ)は、溜め息をついた。



目元のたるみや、おでこの皺を押さえながら、(少しでも、どうにかならないものか…)と、指で上げたり、引っ張ったりしてみるが、現実は甘くない。


老いが迫ってきている………。




そんなマデリーンの控え室にノックの音。


昔からの知り合い、『ヘレン・シャープ』(ゴールデン・ホーン)が、婚約者で有名な整形外科医『アーネスト・メルヴィル』(ブルース・ウィリス)を伴って、やって来たのだ。



「まぁ、マデリーン久しぶり!あなた素敵だったわ!」


「ヘレン、あなたも元気そうね!」


笑顔でハグしあう二人だが、笑顔の裏では……



『相変わらずケバいだけの、下品な女………』(ヘレンの心の声)


『地味なくせに、婚約者なんて連れてきて、なにさ!』(マデリーンの心の声)



………なのである。




そんな二人の横で、連れてこられたアーネストは、初めて見るスター、マデリーンの姿にウットリ。


「本当に素敵でした!ブラボー!」大絶賛のアーネスト。


そんな嬉々としている様子のアーネストを動揺しながら、見つめるヘレン。



(まさか………この人も……?)



今まで何度も、マデリーンに彼氏を奪われてきたヘレンの、これは最後の《賭け》だったのだ。


彼なら、マデリーン・テストに合格して、私だけを見つめてくれると……。



だが、そんな淡い期待は見事に裏切られて、案の定、婚約破棄。


その後、マデリーンとアーネストは華やかな結婚式をあげるのだった。






…………そして、数年後。


マデリーンとアーネストが住む邸宅に、ある1通の招待状が届く。


「フン!出版記念パーティーの誘い? ヘレンから?! 何々……『永遠に若く』ですって!!あのデブ、ちょっとは痩せたのかしら。」


ヘレンが、その後、生活も荒れ果てて、巨漢デブになっていた事をマデリーンも、風のたよりで知っていた。




だが、マデリーンにしても、年齢には勝てず、すでに中年の境を越えている。



アーネストには、とっくに整形外科医の仕事を辞めさせて、死体の復元術の仕事をやらせていた。(その方が儲かるから)


その金を湯水のように使っては、無駄なあがきで、高級エステに通う日々。


二人の仲も、とうに冷えかかっていたのだ。



だが、ヘレンの誘いを無視なんて出来やしない。


「今でも綺麗な私を見せつけてやるんだから!そして、アーネストとも上手くいってるようにみせつけてやる!!」と、鼻息荒く、乗り気のしないアーネストを引っ張って、いざ、パーティー会場へ。



だが、パーティーの席上に居たのは………



今や、見間違えるほど、痩せて、若返って、美しくなったヘレンの姿。



(ヒィーッ!!ウソでしょーーーっ!!)



「まぁ、あなたもお元気そうで、マデリーン」


呆気に取られるマデリーンに、ヘレンは笑顔でハグしてきた。



(な、何なの?!この若さ………それにひきかえ私の姿は…………)




マデリーンは、いつの間にか、パーティーを抜け出すと、嵐の中、車を走らせていた。


昼間、エステで渡された名刺の場所へと。



(私の方が美しいのよ!どんな方法を使ってもいい!! 負けてたまるもんですか!!)



泣きながら、゛溺れる者は藁をも掴む゛、そんな半端、ヤケクソな気持ちで向かったのは、壮大にそびえ立つ豪邸。



現れでたのは、謎の若い女主人『リスル』(イザベラ・ロッセリーニ)だった。



「お待ちしておりましたわ、メルヴィル夫人」


リスルは、そう言うと、マデリーンの目の前に、奇妙な形の瓶を置いた。



妖しい光を放つ『秘薬』のガラス瓶は、不思議なバランスで、何とか、倒れずに立っている………。



「これで若さが……???」


半信半疑ながらも、マデリーンはゆっくりと、その瓶を手に取ると、口元に持っていくのだった…………。



大ヒット作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の後に、今や、名声を手に入れたロバート・ゼメキス監督が、「次に撮る映画は何だろう?」と皆が期待していた。



それが、女同志の、美しさを競いあう、余にも醜い争いとは……。




でも、今や、現実の方が、それに勝るとも不気味なご時世。



何千、何億と金をかけては、整形を繰り返したり、果ては、「これが数億円かけて整形した仕上がりなの?」と、疑いたくなるモノまである始末。



アゴの骨を極端に削って、鋭角に尖らした姿に、本人はウットリしても、第3者が見れば………「何これ?!」ってな感じで、一瞬で目を背けたくなる。


唇を、オバQみたいにするのも「何がセクシーなの?」ってな具合。




これらを命名して、最近では、『醜形(しゅうけい)恐怖症』というらしい。




自分の身体や美醜に、極度にこだわり続ける症状で、実際よりも常に低いイメージの自分自身があるんだとか。


その根底にあるマイナス・イメージは、いくら整形を繰り返しても、満足感を得ることはないのである。




こんな奇病が大流行の現代においては、この映画の二人なんて、逆に「まだマシかも……」と思えてくる。



追い求めるのは、普通の若さと美しさですもんね。(まぁ、その後の展開が、トンデモないドギツイ展開なんだけどさ(笑))




この映画(1992年)の時、

メリル・ストリープ……43歳(1949年生まれ)

ゴールデン・ホーン……47歳(1945年生まれ)

ブルース・ウィリス……37歳(1955年生まれ)



ブルース・ウィリスだけが、ちょいとばかり頭皮が、寂しい気がするだけで(笑)、女二人は充分、お若いと思いますよ。





そして、こちらが御3人達の近影。


メリル・ストリープが一番若いかな。(71歳)





ゴールデン・ホーンは、年齢的に一番上だから、しょうがないけど肌がね……。(75歳)





ブルース……もう、諦めた頭皮以外は、肌ツヤいいですよ(笑)。(65歳)




もちろん、ハリウッド俳優らしく、それなりにメンテナンスをされてるんでしょうけど、それもホドホドにね。



『永遠に美しく……』なんて姿だけじゃないって事が、この映画の教訓なのだから。

星☆☆☆☆。