《『赤狩り』によって選ばれたブラック・リスト『ハリウッドテン』として投獄間近の人々とその家族の抗議》
ちょっとだけマジ~メな話を始めたいと思う。
『十戒』を監督したセシル・B・デミルや、その前後にあった時代背景について、少しだけ掘り下げてマジメに書いてみたいのだ。(興味ある方はお付き合いくださいませ)
戦後のアメリカでは、とんでもない弾圧が、当たり前のように行われていた。
ソ連や中国のような共産主義に傾倒している者を、除外、排除しようとする運動が盛んに行われていたのである。
これが、いわゆる《赤狩り》と呼ばれるモノである。
とにかく『共産主義』者は、憎むべき者たち。
そんな考えがアメリカ全土を駆けめぐり、共産主義に傾倒していた人物たちが次々と罰せられたり、迫害されたのだ。
そもそも『共産主義』とは、何かという話になってくるのだが、共産主義とは社会主義以上の平等を目指した主義の事で、「人間は皆、平等」を掲げて唱えているのだ。
一見、良い主義にも思えるが、これがトンデモない。
皆が平等であるために、個人の財産も、国が管理し保有する。
つまりは、一生懸命働いて対価を得た人も、怠けて仕事しない人も、皆一緒。
国が個人の財産を取り上げて、「公平になるように!」なんて考えで、全く一緒の扱いにしてしまうのが共産主義なのである。
平等を唱っていても、こんな不平等さを結果的に生んでしまうのが『共産主義』。
資本主義で生活してきた我々、日本人には、まるで考えられない主義である。
我々、日本人は、働いたら働いた分だけの対価を、個人がちゃんと受け取り、税金を納めても、個人として資産をたくわえる事ができる。
「働かない者、食うべからず」は、まさに資本主義の考え方である。
その財産を、ある日、国が「皆が平等である為に、全て国が保有する」と言って、取りあげたらどうだろう?
たまったもんじゃありませんがな。
そして、こんな共産主義の思想など、もちろんアメリカも受け入れられるわけがない。
なんたって《 アメリカン・ドリーム 》の、お国柄ですもん。
ただ、戦後の混乱の中、アメリカ人たちも、ちと冷静さを欠いていたのだ。
身近な隣人が「平等」を唱えれば、「アイツは共産主義だ!」と決めつける。
これは次第にエスカレートしていき、大勢の人たちが、共産主義者探しに、血眼になりはじめたのだ。
中には証拠もないのに、それらしき疑いだけで罰せられたりする始末。(もう法もなにもあったもんじゃないです)
まさにヒステリー状態。
こんなのが、《赤狩り》の始まりなのである。
そして、この『赤狩り』は、次第に、映画界までも脅かしはじめてくる。
それらしき思想が、見栄隠れするような映画を、監督したり、脚本を書いたりする者などがいれば、「共産主義者!」と決めつけて、その者をなじる、責める!、罵倒する!、迫害する!
《赤狩り》の被害にあって、仕事を失った者や逮捕された者、アメリカを去っていった者は、この時期だけで数知れず。
チャップリンが、赤狩りの被害で、アメリカを去り、スイスに移住したのは有名な話である。
《晩年をスイスで家族と過ごすチャップリン(右端)》
そして、こんな《赤狩り》に誰よりも力を入れていたのが、映画監督でもあるセシル・B・デミルなのだ。
撮影中でも、何でも「それらしき人物がいたら、すぐに教えてくれ!」と周囲を巻き込み、ブラック・リストの作成に血眼になっていたのである。(本当にイヤ~な野郎である)
《セシル・B・デミル》
全米監督協会の評議委員だったデミルは、その立場を利用して、映画界の《赤狩り》に一生懸命になっていたのだ。
それに眉をひそめて反目していたのが、当時、会長を勤めていた、私の好きな監督、ジョセフ・L・マンキーウィッツ(『イヴの総て』、『探偵スルース』など)である。
《ジョセフ・L・マンキーウィッツ》
マンキーウィッツは、デミルにとっては目の上のタンコブ。
なんとしても、トップの座から引きずり降ろしたい存在だった。
マンキーウィッツが旅行に行くと、デミルは「この期に!」とばかりに、会長不信任案を提出。
「われこそは映画界の会長にふさわしい!映画界の規律はわれによって守られるモノなのだ!」
なんて、傲慢(ごうまん)で自分勝手な考え。
一気に、マンキーウィッツを会長から引きずり降ろそうと画策し、行動に移したのだった。
そうして、デミル派、マンキーウィッツ派と別れて、緊急総会の日がやってくる。
「どちらが全米監督協会の会長にふさわしいか?」
まさに一騎討ちの対決である。
そんな緊張感流れる会議の中、ひとりの男が立ち上がり、口を開いた。
あの、西部劇の監督で有名なジョン・フォード(『駅馬車』など)である。
《ジョン・フォード監督》
「私の名前はジョン・フォード、ウェスタンを撮っている者です。アメリカの観客全員が、デミルをどれほど深く愛しているかはよく存じている。」と、まずは皮肉に富んだ挨拶。
そして、デミルを凝視しながら、
「だがデミルの発言と今夜の振舞いは気に入らない。私としてはマンキーウィッツに信任の一票を投じたい。そして早く家に帰って眠ろうじゃないか。みんな明日には撮影を控えているんだろう?」と、名指しでデミルを非難したのだった。
普段、寡黙なフォードの、この一言は大きく影響した。
マンキーウィッツの会長留任が採決されて、デミルの提案は、たちまち却下。
マンキーウィッツの会長留任が採決されて、デミルの提案は、たちまち却下。
結果的に、デミルは協会評議員の地位を追われる立場となったのである。(Wikipedia参照)
カッコいいねぇ~!
流石だねぇ~!、男だねぇ~!
このエピソードだけでも、ジョン・フォード監督に、シビレまくりである。(胸がスーッとする)
こんな男気溢れるフォードの言葉に、反対する者など、いるはずがない。
それに比べて、かたや、小物感アリアリのデミル。
自分だったら、とてもじゃないが恥ずかしくて下を向いたまま、顔を上げられやしない。(哀れデミル)
そうして、その後、数年が経ち、デミルは最後の監督作品として映画『十戒』を撮りあげる。
あの出来事から、デミルも少しは反省したのかしら?
この『十戒』では、ヘブライ人たちを、散々、奴隷扱いにして虐げていたエジプト人がいるのだが………そんな様子を監督しながら、何を考えていたのだろうか…。
かつて、《赤狩り》で、自分が追いつめていた人達への贖罪の気持ちが、少しでも浮かんできただろうか?
傲慢(傲慢)な暴君である『ラメス二世』(ユル・ブリンナー)を自分自身に重ねたりしたのかな?(深読みしすぎか?)
もはや、知るすべもないのだが………。
でも、こんなデミルは嫌いでも、作品に罪はない。
罪を憎んで、作品を憎まず。
『十戒』は、こうして何十年経った今も、主演のチャールトン・ヘストンと共に、燦々と輝いているのである。
長々、お粗末さま!これにて!