2019年6月30日日曜日

映画 「007 ムーンレイカー」

1979年 イギリス。






ロジャー・ムーア=007の勢いは止まらない。



もう、オープニングから凄い。


自家用ジェットから、美女とイチャイチャしているボンドは、敵と共に、パラシュートなしで、高度何万メートルの上空に投げ出される。


空を泳ぐように追いついたボンドは、敵からパラシュートを奪い取り、何とか装着。(命がけのスタントである。CGなどない、実写の、このド迫力を観よ!)


その時、遥か上空のジェット機から、ニタリ顔で現れた『ジョーズ』。(出たぁー!!)


ダイブして、ボンドに追いつくと、上空で組んずほぐれずの闘い。


『ジョーズ』はボンドの足を掴み、捉えた。

口が大きく開き、鋼鉄の義歯を覗かせる。




その瞬間、ボンドのパラシュートが開いた。

ボンドは、間一髪、難を逃れ、『ジョーズ』の真上に浮かび上がった。



(よし!俺もパラシュートを開こう!)


『ジョーズ』が脇の紐を引っ張ると、「ブチッ!」(ゲゲェーッ!!)パラシュートは開かず、紐が千切れとんだ。


何とか鳥のように飛べないものかと、両腕をバタバタ、羽根のように振っている『ジョーズ』。(そりゃ、いくらなんでも無理だろ!)


『ジョーズ』はサーカスのテント小屋に、まっ逆さまに落ちていくのだった……。(でも、ジョーズは死なない。いつだって不死身の『ジョーズ』なのだから)





ここまでが、サービス満点のオープニング。


まったく本筋には関係がないのに、ここまで派手なオープニングを、やってくれる映画も珍しい。(これこそが007の魅力なのだ!)






今回の敵はサー・ドラックス(マイケル・ロンズデール)。


スペースシャトル『ムーンレイカー』を奪い、ドラックスが選んだ美男美女たちを乗せて、極秘に開発していた宇宙ステーションに逃げ込む。


そして、地球に残された人類を、全て抹殺する為に、大量の殺人ガスを撒き散らすという壮大な計画である。


この絵空事とも思える話は、数年後には、笑い話ではすまなくなる。

我々、日本人はオウムの地下鉄サリン事件を体験しているからだ。


ドラックスの思想、

「良い『種』だけを残して、増えすぎた人類を抹殺する」

なんてのは、あの教団の教祖の考え方に、あまりにも似すぎていて、今となっては、うすら寒ささえ感じてしまう。



そんなドラックスの配下として働いていた『ジョーズ』(リチャード・キール)。


今回、金髪おさげで眼鏡をかけたドリーという女性と、いい感じに恋におちた『ジョーズ』は、取りあえずは、宇宙ステーションに来ていたが、

ボンドの言葉、

「もちろん、それに該当しない『醜い者』は抹殺されるんだろう?」

という、ドラックスに投げかけられた言葉で、

「ハッ!」と気づくのだ。




自分と愛するドリーは、抹殺されるかもしれない………。




そんな事はさせてなるものか!!




『ジョーズ』の反乱がはじまった!


ボンドに味方して暴れまくり、そして見事、ボンドはドラックスを撃退し、宇宙に葬り去る。



そしてジョーズとドリーも無事に救助されたのだった。



悪役から改心し、最後まで死ぬ事もなく、ついに恋人を手に入れた『ジョーズ』。



後にも先にも、007の長い歴史の中で、こんな厚待遇で終わった悪役もいないだろう。


こんな『ジョーズ』の活躍に、007は興業収入もうなぎ登りになり、見事、1979年度、本国1位に返り咲いたのでありました。


星☆☆☆☆。

あ~そうそう、ボンドガールの事を書くの忘れていた。


このボンドガールで、CIAのスパイ、グッドヘッドを演じたロイス・チャイルズであるが、自分としては、あまり好みではない。



前年に、アガサ・クリスティーの『ナイル殺人事件』で演じた、鼻持ちならない傲慢な財産家、リネットのイメージが、あまりにも強くて、ちょっとボンドガールとしては、どうなのかなぁ~と思ってしまったのだ。

(このリネットが、誰彼ケンカをふっかける嫌われ者の役だったので)




ボンドガールを演じたタイミングが、少々悪かったとしか言い様がない。


おそまつ。(実は仲良しのお二人)

2019年6月28日金曜日

映画 「007 私を愛したスパイ」

1977年 イギリス。






前作の『黄金銃を持つ男』の不振に、アメリカの映画配給会社で大株主のUA(ユナイテッド・アーテスツ)は、

ロジャー・ムーアをすぐに降ろせ!」

と要求してきた。




プロデューサー、ブロッコリは頭を抱えた。



問題はそれだけじゃない。

それまで、一緒に共同プロデューサーとしてやってきたサルツマンが、勝手に持ち株をUAに売って、離脱してしまったのだ。


今や、巨大な株主となったUAの力は絶大だ。

必死に説得し、交渉を続けたブロッコリ。



次は「もう、失敗はできない!」とギリギリのところまで追いつめられていたのだ。



脚本を練りに練って、配役や演出、美術、アクションなどなど……細かいところまで徹底的に気を配った。



それに費やした期間3年……。




そうして、やっと完成した『私を愛したスパイ』なのである。(当然、小説とは全く違う内容となっております、ハイ!)






消えたイギリスとソ連の原子力潜水艦の行方を追うため、それぞれの国のスパイ、『007=ジェームス・ボンド』と『トリプルX=女スパイ、アマソワ少佐』が派遣された。



はじめは、一歩も譲らず、お互いに出し抜こうと競い会う二人。


だが、今回に限り、イギリスとソ連は、ともに協力しましょうって事になる。


(まぁ、国の命令とあれば従うしかないか~)


ボンドとアマソワは共同戦線をはりながら、共通の敵ストロンバーグに向かっていく事になる。


敵の襲撃に次々と遭う二人。


そんな中、徐々に、二人は惹かれあっていく。


だが、しばらくすると、アマソワの恋人だったスパイを殺したのが、ボンドだったという事実を知ってしまった。


怨みと任務、そして意識しはじめたジェームスへの想いで、葛藤するアマソワ。


「だが、取りあえずは任務が先だ!」

プロのスパイとしての意地がアマソワをつき動かした。


そして、

「この任務が終わったら、貴方を殺すわ……」

ジェームス・ボンドに、真っ向から宣戦布告するアマソワなのだった……。





って、こんな感じで進んでいく映画のストーリー。(でも、常に復讐心でメラメラって感じにはならないので、どうぞご安心を)




この映画は大ヒットした!




大ヒットして、前回の2倍以上の興業収入をたたき出して、あれだけうるさかったUAの口を黙らせたのだ。(やったぜ!)




ロジャー・ムーアのボンドも、敵だろうと密告者だろうと、あくまでも女性には優しくエスコート。


隙あらば一線までも、交えてしまう女好きのボンド。


そして戦いや逃走中でも、敵には会釈すらして、笑みを浮かべる余裕のボンド。



この映画で、決定的にロジャー・ムーアの演じるボンドの方向性が決まった気がするのである。




他の出演者たちも超魅力的だ。


順を追って紹介していきたいと思う。






●トリプルX=アマソワ少佐……バーバラ・バック



全身からお色気が、溢れかえっているような女優。

大きな瞳と厚い唇、それに抜群のスタイル。


こんなに、全身から色気を発散させている人も珍しい。




この人が笑うと、尚更、イヤらしさが全開!

(カモ~ン、いらっしゃい坊や……)なんて幻聴まで聞こえてくるようだ。(自分だけか?)


セクシー女優も真っ青、すすんで白旗をあげるだろう。



エレガントなドレスや潜入服。


シャワーシーンなどなど…。

とにかくサービス満点。



この人が、元ビートルズのリンゴ・スターの奥さまになろうとは、この時は誰も予想だにしなかった。





●ストロンバーグ……クルト・ユルゲンス


『眼には眼を』で紹介したユルゲンスが、ここでは、巨大な海底要塞を操る、冷酷なストロンバーグを演じている。


『眼には眼を』でも老けているなぁ~と感じたが、ここでは更に白髪化し、前頭部も、かなり後退した姿に。



ただ、揉み上げだけは、最後の意地とばかりに伸ばしている。(勝新太郎のように)


要塞のあちこちに仕掛けたボタンを押して、表情も変えずに地獄へと誘う姿は、圧巻である。






●ジョーズ……リチャード・キール



そして、そして、この『ジョーズ』である!!




この映画での一番のインパクトは、この『ジョーズ』に他ならない!




こんな人物を、どうやって探しだしたんだろう?



2m18cmの超巨大な生物。(『生物』って表現が一番かも)


この巨体に、何でも噛み砕く鋭利な《鋼鉄の義歯》を装備していて、化け物なみの腕力と不死身の生命力で、ジェームス・ボンドに襲いかかる。




セリフは一切なし。(それが、また不気味さを増す)



でも雇い主のストロンバーグには、とっても従順。

従順すぎるジョーズは、何度でもボンドとアマソワを狙ってくる。



ボンドとアマソワが逃走するため、車に乗り込むと、追いついたジョーズは、あっという間に車を止めて車の天井を突き破ってニッコリ。(ゲゲェー!)


そして紙でも裂くように、車の外装をベリベリ剥いでいく。


車をバックさせて、ジョーズごと壁に激突させて、何とか逃げ去る二人。




でも『ジョーズ』は死なない。ピンピンしている。

(Oh!ジョーズよ!)




今度は、列車の旅をしているアマソワとボンドを襲う。


ボンドを、軽々、片手で持ち上げて、列車の天井に押し付けるジョーズ。(ジョーズに不可能はない)

ボンドの首にまわした手は、まるでボンドの顔すら包めるくらいの大きさなのだ。


何とか近くの電気スタンドを、ジョーズの口に突っ込み、ビリビリさせて、難を逃れたボンド。


ボンドの蹴りで、列車の窓から投げ出され、線路脇から転がり落ちるジョーズ。




でも『ジョーズ』は死なない。埃を払ってピンピンしている。

(Oh!No!ジョーズよ!)





こんなのが、何度か繰り返され、最後、海底要塞の沈没と共にジョーズも死んだかにみえた。



でも海面に浮上してきた『ジョーズ』は、またもや生きている。

ピンピンしている。



あ、『ジョーズ』が泳ぎだしたぞ!

『ジョーズ』よ、君はどこへ向かうのだ?!



あ~そうか、次の映画、『ムーンレイカー』に旅立つのですね。



サヨナラ、『ジョーズ』よ、また会う日まで、サヨ~ナラ~!




だいぶ、おふざけが過ぎたかな?


映画はもちろん、星☆☆☆☆☆です。


※読んでみると、『ジョーズ』に割く内容の大きい事。ボンドの潜水カーも魅力なのに、やはり自分の中では、『ジョーズ』なのだ。許してくだされ。

2019年6月27日木曜日

映画 「007 黄金銃を持つ男」

1974年 イギリス。






『死ぬのは奴らだ』が1973年に、公開されて、もう翌年には、このロジャー・ムーアとしては2作目『黄金銃を持つ男』が、すぐさま公開された。


映画会社の戦略もあったのだろうか…… 一刻も早く、なんとしても、ボンド=ロジャー・ムーアのイメージを世間に植えつけたかったのだろう。






ところで、この『黄金銃を持つ男』は、原作者イアン・フレミングにとっては最後の作品。


007ものとしては、最終作なのである。


小説の007シリーズは、そもそも公開された映画の順番とは、まったく違い、読んでみると、その内容の違いには、驚かされるはずだ。




小説は『カジノ・ロワイヤル』から始まっている。


そして、
『死ぬのは奴らだ』と続き、………最終作前が『007は2度死ぬ』ときて、『黄金銃を持つ男』で終わる。


原作では、『007は2度死ぬ』では、ラスト、ボンドは生死不明で終わり、最終作『黄金銃を持つ男』で、ソ連に洗脳されて再び現れる。

そして、逆に、敵としてMの命を狙い、襲いかかってくるのである。



もちろん、映画では、そんな事はないのだが、もしも可能なら、原作のままを順番だてて映像化されたものも観てみたい気がする。




さて、このロジャー・ムーアの2作目だが、それなりに面白いのだが、少しばかり気に入らないところもある。



それはボンドガールの取り扱い方だ。



この映画では、二人のボンドガールが出てくる。



敵スカラマンガの愛人『アンドレア』役のモード・アダムスと、MI6のエージェントで『グッドナイト』役のブリット・エクランドだ。



この映画では、ショーン・コネリーのように非情さ回帰を狙ったのかもしれない。



だが、敵の愛人とはいえ、白状させるために美人のモード・アダムスの腕をねじあげたりするロジャー・ムーアを観てると、あまりにも非力の女性に対して残酷そうな行為をしているように思えてしまった。



ましてや、モード・アダムスの役自体が、そこまでされるほどの悪女には思えなかったからである。



そして、哀れ、映画の中盤で、アンドレア役のモード・アダムスは、口封じの為に、座席に座ったまま毒針で殺されてしまう。(ほんとうに可哀想)



多分、当時、観ている観客たちの誰もが、自分と同じイヤ〜な気持ちになったのではないだろうか。






美人のモード・アダムスには、世間の同情が集まった。


そうして異例の処置として、再び『オクトパシー』で《ボンドガール》を務める事となる。(後にも先にも、こんなのはこの人だけである)




ロジャーにも、当然世間の非難が集まったのだろう。


これ以降、ボンドが女性に手をあげる事はなくなる。(監督や演出もあるだろうが、フェミニストのロジャー・ムーアも演じていて、本心は嫌だったろうと思う)


こうして、映画の中盤で、美人のアンドレアが殺された。






でも、この映画には、もうひとりのボンドガール、『グッドナイト』がいるのだが ……





この『グッドナイト』が全くの使えない無能ぶり(おバカさん?)




次から次に、ボンドの足を引っ張る、引っ張る。


ドジを通り越して、本当にイライラさせられた。


これでMI6のエージェントなのだから、MI6も、(どんだけぇ~!)人材不足なんだ。



案の定、世間には無視されて名前すら覚えられず、今では、ボンドガールとしては黒歴史扱いの『グッドナイト』なのである。(原作では有能な片腕ともいうべき秘書なのにね)





これらが原因なのか、映画は興業収入で前作を大きく下回ってしまった。(あ~あ、やっちまったなぁ~、それでも4位だけど。)




折角、この映画、敵役が良いのに。



黄金銃を持つ『スカラマンガ』(名優クリストファー・リー)は、渋くてカッコイイです。(乳首が多くある設定いる?)



宿敵ボンドとの対決は、まるで西部劇の決闘のようで見応えあり!である。




そんなスカラマンガの側で、加勢なのか、邪魔してるのか?分からない小人の召使い『ニック・ナック』(エルヴェ・ヴィルシェーズ)も、なかなか良い味出してるのにね。(ちょこまかと)






ゆえに、ところどころ残念な結果を残した『黄金銃を持つ男』なのでありました。

星☆☆。

2019年6月26日水曜日

映画 「007 死ぬのは奴らだ」

1973年 イギリス。






困った……。


ロジャー・ムーアの007の事を書こうかと考えていたのだが、いったいどれを選べばよいのか……。





ロジャー・ムーアは全7作で007を演じている。(現在でも最多)


なぜか、ロジャー・ムーアの007には、自分のお気に入りの作品が多いのである。



世代的に、ほとんどタイムリーに観ていたせいもあるだろうが、007といえば、自分の中では、『ロジャー・ムーア』なのだ。(異論のある人は多いだろうな~、大方がショーン・コネリーだったり、若い人ならダニエル・クレイグだろうから……)





原作者のイアン・フレミングも最初からロジャー・ムーアの007を熱望していたらしい。


だが、それは叶わず、結局ショーン・コネリーが演じる事になってしまいヒットしてしまう。



当時、ロジャーが演じていた、テレビシリーズ『セイント天国野郎』や『ダンディー2華麗なる冒険』の兼ね合いもあったらしいが。



ショーン・コネリーの『ダイヤモンドは永遠に』が終わると、数年越しのオファーを受けて、ようやく念願のボンド役がまわってきたのだった。




そして第1作『死ぬのは奴らだ』は順調な滑り出しで成功する。





ポール・マッカートニー&ウイングスの主題歌は、今、聴いても斬新だし名曲!




ボンドガールの女占い師役、ジェーン・シーモアも超美しい。(まるで妖精のような艶のある髪、ヒラヒラとした長い白のロングドレス姿は、悪党に囚われたお姫様である)



それに、ロジャー・ムーア、やはり画面映えするほど、格好いいのだ。




青い瞳と金髪のジェームス・ボンド。


熊のように毛むくじゃらなショーン・コネリーとは、真逆の色男である(笑)。



そして、何と、ロジャー・ムーアの方がショーン・コネリーより実年齢が年上なのである。(どうみても、当時、鬘のショーン・コネリーの方がオッサンに見える)



人を喰ったようなイギリス人らしいユーモアや上品さは、ロジャー・ムーアが生まれもったものなのだろう。


非情さを売り物にしてきたショーン・コネリーのボンドとは違い、アクションやセリフを言っていても、どことなく余裕が伺える。




どんなに苦境にあっても、戦いはスマートに。


本人は「アクションは苦手だ」と公言していて大勢のスタントマンの力を借りたかもしれないが、このスタイル、私は好きだなぁ~。




悪党ドクター・カナンガの下で、タロットカードを使い、未来を予知する『ソリテア』(ジェーン・シーモア)は、占い中、たまたま恋人のカードを引いてしまい動揺する。



「自分が誰かと恋に堕ちてしまう……」


そして、それは、ソリテアの『力』の消滅を意味する。



でも、それをカナンガに知られてはいけない。


「どうしたんだ?」不審顔のカナンガが訊ねる。


「なんでもありませんわ」

知られれば、自分は抹殺されてしまう。






そんなソリテアの部屋に、夜半こっそり現れた『ジェームス・ボンド』(ロジャー・ムーア)。



ボンドがソリテアのカードを引くと、またもや現れ出る『恋人』のカード。




「二人が恋に堕ちる……これは逃れられない運命…」


ソリテアを抱き寄せて、そっと口づけすると、後ろにまわしたボンドの手からは、パラパラと大量の同じ『恋人』のカードが落とされたのだった……





ん~さすが、ジゴロ顔負けボンドの落としテクニック。


憎いねぇ~こんちくしょう!





やっぱり、どれかひとつとは選べそうにない。



ロジャー・ムーアの007に限り、順を追って、のんびりと書いていくことにしようか……。


第1作目「死ぬのは奴らだ」星☆☆☆☆。

2019年6月25日火曜日

アニメ 「海底超特急マリンエクスプレス」

1979年8月。 (24時間テレビより〜)









1978年、 24時間テレビでは、2時間の枠をとって特別にアニメがスタートする事になった。



その2時間枠を、「誰の作品にしようか〜?」読売テレビは悩みに悩んだ。




だが、やっぱり、ここは最初ということで『漫画の神様、手塚治虫』じゃないか?と誰かの声があがった。


「よし!いいじゃないか!それでいこう!」




だが、ここからが、壮絶な地獄の始まりである事を、この時、誰も想像していなかったのである………。(まるで恐怖の物語の幕開けだ)





手塚治虫のテンションは、上がりにあがった!


虫プロが、莫大な赤字を抱えて倒産してからは、アニメの世界からは、長い間離れていたからだ。


その間は、ひたすら借金を返すために漫画を書く日々。



「あ~アニメが作りたい!」と思っていた手塚治虫にとっては渡りに舟の話だったのだ。




普通なら、原作やストーリーなどの大まかな骨格、キャラクター・デザインくらいは原作者でも手を出したがるが、何でもかんでも自分で徹底的にやりたがるのが手塚治虫。




脚本はもとより、自分で絵コンテまでをきりだした。(絵コンテとは、1つの枠の中で、人物や背景、構図、動き、セリフなどを表す絵で、2時間ものなら、それは何百、何千の数になるのだ)



それを全て手塚治虫が一人でやる。



他にも漫画の連載をいくつも抱えているのにだ。



絵コンテが出来ないと、セル画(透明なものに線画して、裏から彩色した絵。これが2時間ものなら何万枚もの数になる)が作れない。



そして、それに合わせた背景の絵も作れない。(これも膨大な数になる)



そして、そして、それらが出来ないと、フィルム撮影が出来ない。(昔は、セル画と背景を重ねて、1枚1枚撮影していた。これも膨大な数と時間がかかる作業)



そして、最後に、アフレコ(作られたフィルムに声をあてる)や効果音も入れられないのだ。




大概、昔のアニメは、この順番で制作されていた、と思う。






こだわりの手塚治虫は、漫画連載をしながら、絵コンテを書いては、納得がいかないと書き直したり、はじめからやり直したりしてグズグズしていた。(それを楽しんでいる風でもある)



そのうちに納期が迫ってくる。


焦るアニメーターやスタッフたち。



ぎりぎりまで絵コンテを書いている手塚治虫のために、アニメーターやスタッフたちは、殺人的なスケジュールとなっていったのだった。



家にも帰れなければ、寝る間もない。

次々、失神して倒れるスタッフたち。



でも手塚治虫は倒れない!

自身も何日も寝ていないのにだ。




そんな殺人的なスケジュールの中で、やっと24時間テレビのアニメ第1作『バンダーブック』は完成した。



視聴率は20%を越えて、読売テレビのお偉方は大成功にホクホク顔。



「よし!来年もこれでいこうじゃないか!」

読売テレビの上層部は、簡単に決定した。




「冗談じゃない!あんな目に合うのは、2度とごめんだ!」

スタッフたちは、一目散に逃げ出したのだった。





だが、またもやアニメーターやスタッフたちが集められてくる。





そして、翌年、この第2作目、『海底超特急マリンエクスプレス』が作られる事になったのだった。



そして、それは更なる地獄の幕開けとなる。




例によって絵コンテを書いている手塚治虫。

そして、ぎりぎりまで絵コンテを書いている手塚治虫。




ついに、当日、放映が始まった。



それでも絵コンテを書いている手塚治虫???(放送が始まっていて、まだ、絵コンテを書いているって事は、まだ、その分のセル画も撮影もアフレコも終わっていないって事である。ヒェーッ!)



フィルムは、1巻~10巻まであるのだが(1巻が10分くらい)、その10巻の分の絵コンテを放映が始まっているのに、まだ書いているのだ。(もう、どういう事?考えられない!)




追いつめられたスタッフたち。


「もう、こうなったら自分たちで何とかするしかない!」

スタッフたちは、勝手に動き始めたのだった。




脚本だけを読んで、

「たぶん背景はこんな感じだろう!」

「出来上がってくる人物はこんな感じだろう!」と、描きはじめたのだ。



1枚1枚、手塚治虫が絵コンテを渡す。

「当たってた!」

「ハズレた!書き直しだ!」

「早く撮影に持っていってくれ!」



現場では、罵声や怒声が飛び交い絶叫。

あちこち走り回り、てんてこ舞いの大騒ぎ!



現場は、まさに地獄絵図と化した。



こんな殺人的なスケジュールをこなし『海底超特急マリンエクスプレス』は、なんとか放映を終えたのだった。





こんな制作背景があったことを、自分は、数十年たってから知ったのだが………驚き、戦慄した。



信じられない!



よくも、まぁ、無事に放送されたものだ。



考えられない。(もしも放送事故になっていたら、ただじゃすまなかったはずだ)



でも、この地獄のアニメシリーズは、その後も何年か続いていったのである。(スタッフの方々、本当にご苦労様でした)




それにつけても、恐ろしいのは、この状況下でも平然としている手塚治虫よ。


やっぱり天才だったのかな。




漫画『エースをねらえ!』で、岡ひろみにお蝶夫人が語りかける場面のセリフが、ついつい思い出されてしまう。




「天才とは《無心》なのです!」と。



そして、お蝶夫人はこうも自虐的に言う。

「わたくしはダメでした……」とも。




外野の声も聞こえない、邪念にも振り回されない、何も迷わない……


ただ《無心》になって死ぬ間際まで描き続けた手塚治虫は、やっぱり真の天才だったのかもね。(それに振り回される周囲は、たまったもんじゃないけど)





たま~に、この手塚治虫のキャラクターが、オールスターで登場する『マリンエクスプレス』も、ときどき観たくなる私なのである。



星☆☆☆☆




※広瀬すずの朝ドラを、当時のアニメーターたちは、どういう思いで見ているのだろうか……



「あんなのは大ウソよ!」

「あんなオシャレしたり、家に帰る暇なんかあるもんか!」


そんなブーイングが、自分には聞こえてきそうである。

2019年6月23日日曜日

映画 「007 ダイヤモンドは永遠に」

1971年 イギリス。







ガイ・ハミルトン監督の『レモ / 第1の挑戦』を書いて、ショーン・コネリーの事を書いたら、次は、当然、「007」だろう。




傑作と呼ばれてる『ロシアより愛をこめて』?

第1作目の『ドクターノオ』?

それとも『ゴールドフィンガー』?



あんまり、それらには食指は動かず …… 



ショーン・コネリーの007ものでは、この『ダイヤモンドは永遠に』が一番好きかもしれない。




いったんボンド役を降りたショーン・コネリーが復帰。



前作のジョージ・レーゼンビーがコケてしまい、再度白羽の矢が立った。


破格のギャラを受け取ってボンドに返り咲き大成功を収める。




再び、007人気を復活させたのだった。
(このジョージ・レーゼンビー、スタッフ受けも最悪だったらしい。撮影中も散々、威張り散らしていて……、そのわりには、興行成績もダメダメ。案の定、映画界から消え去っていった。)


戻ってきたボンドは、もちろん敵に対しての非情さは、以前と変わらないのだが。



ん?どこか前と違ってみえるぞ!






日本やカイロに飛び、『ジェームス・ボンド』(ショーン・コネリー)は、やっと宿敵『プロフェルド』(チャールズ・グレイ)の居所をつきとめた。


プロフェルドは、自身の影武者を作り上げるために、秘密の手術室で製造中。


そこには、何故か?泥の沼や、グツグツと煮たたる沼なんてのもある。(ほんとに何故?こんな変な場所で、わざわざ整形するんだろう。今、考えてもおかしい)



そこに潜入したボンド。


泥の沼からピストルで狙う敵には、さらに泥を流して、簡単に溺れ死にさせる。(泥の中に隠れて待ち伏せしてるなんて、アンポンタンな敵である)



そこへ、

「待ってたよ、ボンド君」

二人の部下を従えて、プロフェルドが、颯爽と登場。



部下は、ピストルでボンドに照準を合わせている。(さっさと撃てばいいのに、何故かノンビリしている部下たち)


ボンドは仕方なく両手を上げて、やれやれ、のポーズ。


プロフェルドの部下が、ボンドから武器を取り上げようと、懐を探ると、

「ギャアァーッ!」の悲鳴。

鋭利な刃のついたネズミ取りに、手を挟まれてのたうち回りだした。


その隙に、ボンドは手術台のメスを手に取ると、手裏剣の如く「えい!、やぁ!」と、次々投げて、相手を絶命させる。



そして、残ったプロフェルドを、手術台にグルグル巻きに縛り上げると、ベットごと、グツグツと煮たっている沼へ、容赦なく投げ込んだのだった。


「地獄の釜へ、ようこそ!」


ボンドの決めセリフと共に、憐れプロフェルドは、沼深く沈んでいったのだった……。







と、ここまでが、最初のオープニング。



この後、シャーリー・バッシーの高らかな声で、主題歌が流れるのだが、こうやって文章におこしても、今更ながら、「ぷっ!」と吹き出しそうになるくらい変な映画である。



でも、このバカバカしい珍妙さこそが、007映画なのだ。




ショーン・コネリーも第1作目から、それは充分に分かって演じていた。



でも、まだ、まだ、無名の新人。



文句なんか言えるはずもない。
(やりたくなくても、やらねばなるまい!)



海から出てくる陳腐な模型、火を吹く怪物に、(バカバカしいと思いながらも)逃げまどいながら演じた『ドクターノオ』。



(もう、これで終わりだろうよ ……)とも思っていても、映画は予期せぬヒットになって続編が続けざまに作られていく。



2作目、3作目、4作目、5作目、と続いていき ……



(俺はいつまで、こんなアホなシリーズ続けているんだ…)と、やりきれない日々。




それは、映画を観ている我々にも、充分すぎるほど伝わってきた。




特に日本で撮影した『007は2度死ぬ』なんてのは、馬鹿馬鹿しさの極致だったろう。


漁師の格好をさせられたり、無理矢理、日本人に変装なんてのをさせられたり。(我々、日本人が観ても、この映画の出来は??とアタマをひねりたくなる。でも舞台が日本なんで贔屓目に見てしまうけど)





そして、間をおいての復帰。



『ダイヤモンドは永遠に』


でも、「ショーン・コネリーが、いつもより楽しそうだぞ!」って思ったのが、この映画の印象だったのだ。



高額なギャラでふっ切れたのか、このバカバカしさを、いつもよりも、ノリノリで楽しんでいるようにも見える。



ボンドガールのティファニー役、ジル・セント・ジョンは、これまでのボンドガールと違い、コケテッシュで小悪魔的。



セクシーだけど、でも何だか、ドジで可愛いげのある女優さんだ。



いつも非情さを売りにしているボンドとティファニーには、それまで演じていた相手役のボンドガールたちとは、あきらかに違って見えて、二人の間は壁1枚が取っ払われているようにも見える。



撮影でも、案外、この二人ウマがあっていたんじゃなかろうか。(プライベートでも付き合っていた噂もある)




映画の後半、全ての敵を倒し、豪華客船の中、夜空を見上げながら、ティファニーが言う。


「ジェームス、あのダイヤ、何とか取り戻せないものかしら?」


ボンドはティファニーを抱き寄せて、二人ニッコリ。

笑いながら星を見つめる二人の姿で、映画は幕となる。



こんな幸せそうなボンドの顔を見たことなかった。





有終の美を飾った、ショーン・コネリー版ボンド映画としては、この映画は自分の中では、やはり特別な位置つけなのである。


星☆☆☆☆。





それにしても、やっと、007シリーズから、解放されたコネリー。



でも、まだ、彼は、この時知らなかったのだ………



それより、さらにヘンテコな映画、『未来惑星ザルドス』に、数年後、巡り会う運命を(笑)。




※詳しくはブログ内『未来惑星ザルドス』参照くださいませ。

2019年6月22日土曜日

映画 「第十七捕虜収容所」

1953年 アメリカ。



1944年、 ドイツで捕虜として捕らえられた600人以上の外国人たち。


それらの人々は、いくつも並ぶ、簡素な小屋の兵舎に分けられ、数十人ごとに収容されていた。


そして、ここ第十七捕虜収容所、第4兵舎にも………。





三段ベットが、ギュウギュウに敷き詰められた兵舎。

夜半、皆が一斉に目を開き、パッと起き出した。



窓ガラスには、外に明かりがもれないようカーテンで閉じられている。

外をのぞくと、ドイツ兵たちが、交代で、棟の上から、眩しいサーチライトを照らして、見張りを続けている。


そんな厳重な包囲の中、今夜、二人の捕虜が脱走しようとしていた。

「俺たちはいくぜ!」

二人のアメリカ人の捕虜は、床下の板を開けると、何ヵ月もかけて、地中に掘ったトンネルに入り込んだ。

「頑張れよ!」

「成功を祈るぜ!」

皆の声援をうけて、二人は揚々と脱走していった。



だが、しばらくすると、外で響き渡る銃声の嵐。叫び声。

「脱走は失敗したのか?!」

「何故なんだ?!」

兵舎の中の捕虜たちは、外の鳴りやんだ銃声の静けさで、それを確信し、それぞれの思いを抱えながら、床についたのだった………。




次の日、にこやかな顔で、兵舎を見廻りにやってきたドイツ人、『シュルツ軍曹』(シグ・ルーマン)。

「みんな、昨日はグッスリ眠れたかね?、だいぶ騒がしい夜だったがね」


笑顔で言うシュルツに、皆が仏頂面をしている。


「あいつらも、良い奴らだったのに、本当に残念だよ」

寝ている捕虜たちを点呼の為に起こしてまわりながら、シュルツは、おどけたポーズをしてみせた。


「心にもないことを…」

「くたばっちまえ!」


罵声が飛び交うが、シュルツはどこ吹く風だ。



髭面の呑気者『アニマル』(ロバート・ストラウス)は、まだ、グースカ寝ている。


「起きろよアニマル、点呼だぞ!」ひょうきん者の『ハリー』(ハーヴェイ・レンベック)が起こすが、目を開ける様子もない。


ハリーが耳元で囁く……「アニマル様…朝食はスクランブル・エッグ?、それともベーコン?ホットケーキ?」


「また、俺をからかいやがって!」アニマルが飛び起きた。




点呼の為に、大勢の捕虜たちが庭に並べさせられた。


そこへ、ツカツカとやってくる、ここの最高責任者、『シェルバッハ』(オットー・プレミンジャー)。

「今日はクリスマスだが、第4兵舎はストーブの撤去、そして諸君らには、トンネルの埋め立て作業をして頂く!よろしいかな?!」


返事をする者は誰もいなかった。






「いったい何故、地下トンネルの事までバレているんだ?」

朝食時間、皆が疑心暗鬼になって騒いでいる。


「誰かスパイがいるんじゃないのか?」


気の荒い『デューク』(ネヴィル・ブランド)、保安部の『プライス』(ピーター・グレイヴス)の視線が、自然に、ある男に注がれている。



その視線の先には、ストーブの上に、フライパンを乗せて、悠々自適に目玉焼きを焼いている『セフトン』(ウイリアム・ホールデン)がいた。


それをヨダレを垂らしそうになりながら、物欲しそうに見ているアニマルとハリー。


「匂いだけでも嗅がせてくれ!」

「この卵の殻、もらっていいか?」(哀れなアニマルとハリーよ……)



賭け事で勝った品物を、ドイツ人相手に、物々交換したりして、手広く商売をしているセフトン。

影で色々な物を手に入れているセフトンは、仲間内では異様な存在だった。


「相手は敵なんだぞ!恥はないのか?!」なんて言う輩にもセフトンは、キッパリ言う。




「敵だろうが何だろうが、俺はしっかり儲けさせてもらうぜ。商売は商売! こんな所で生き抜くには《 ここ 》が必要よ!」と、頭を指差した。



セフトンがパクつく様子を、皆がイライラしながら見ている。



(もしかして、………こいつがスパイなのか?)


誰も彼もが、そんな疑いの眼差しで、セフトンを見つめるのであった………。






これまた、名匠ビリー・ワイルダー監督の傑作である。(ほんとにワイルダー作品に駄作なし)




この映画では、主人公セフトン(ウイリアム・ホールデン)が疑われるが、



本当の「スパイは誰なのか?」と、

はたして「脱走はうまくいくのか?」の謎とスリルが、並行して描かれていく。



それも、さすがなのだが、この映画に出てくる登場人物たちの魅力的な事よ。




抜け目のない主人公セフトンは、もちろんの事、コメディリリーフのアニマルとハリーの面白さ。


「おい、ロシア女が収容されたぜ!」

「見てみろ、たまんねぇ~!」(『アニマル』っていう名前のとおり性欲と食欲の権化である)


「アニマル、殺されるぞ!」とハリーが止めても、

「おらぁ、死んでもいい!たまんねぇ~!」とアニマル。


この二人の丁々発止のやり取りが、最高におかしくて、面白いのだ。




捕虜収容所の生活を、ただ暗く描かずに、明るく笑いにするなんて、これもビリー・ワイルダーの素晴らしい才能である。





他の出演者も豪華。


『悲しみよこんにちは』、『バニー・レイクは行方不明』などの監督オットー・プレミンジャーが、この作品の為に俳優として出ているなんて、今となっては超貴重。


後年、『スパイ大作戦』のジム・フェルプス役で成功する、若き日の白髪じゃないピーター・グレイヴスも、また珍しい。



そして、ヤッパリ、主役のウイリアム・ホールデンが格好良いねぇ~。


見事、この作品でアカデミー主演男優賞を獲得したのだった。(笑顔でオスカー像を受けとるホールデンの顔ったら、超嬉しそうである)



出演者、ストーリー、演出、どれをとっても最高!


ビリー・ワイルダーの作品にケチをつけたり、文句などを言えようか。


笑わせて、ハラハラさせて……。

満点星☆☆☆☆☆である。



2019年6月20日木曜日

映画 「未来惑星ザルドス」

1974年 イギリス。






2293年の、遠い未来。





今日も巨大な石像が、暗雲がながれる上空を、どこからともなく飛んでやってきた。


そして、それは大地にドスン!と音をたてて着地する。



目をカッと見開き、口を大きく開いた不気味な石像。(巨大なダルマみたいな顔)


『エクスターミネーター』と呼ばれる集団たちは、奴隷から収穫した農作物を持ち寄って、石像をぐるりと囲むように待ちかまえていた。


すると、石像は、いきなり口から大量の武器を吐き出した。


何千何万の数のピストルやライフルが、石像から雨が降るように吐き出される。


エクスターミネーターたちの仕事は、農作物の収穫だけでなく、反抗する奴隷たちの抹殺もあるのだ。




「皆よ、受けとるがいい!これを使って、増えすぎた『獣人』(奴隷)たちを殺すのだ!」




石像の名は『ザルドス』。


ザルドス!ザルドス!

歓喜の声をあげて叫ぶエクスターミネーターたち。





エクスターミネーターたちは、武器と引き換えに、ザルドスの口の中に大量の穀物や農作物を投げ入れた。


その時、一人の男が、こっそりと石像の中に紛れ込んで侵入した。


男の名は、『ゼッド』(ショーン・コネリー)。

ゼッドを乗せた石像ザルドスは、再び高く浮上すると、どこかへ向かいだした。



(いったいどこへ行くんだろう …… )



ゼッドは、しばらくして穀物から這い出ると、石像の中を探検し始めた。



その時、石像の物陰から一人の男が現れた。


反射的に手に持っていた銃で撃ち抜くゼッド。



男は胸を抑えながら、

「なぜ……私を撃った?、お前はきっと後悔するぞ…… 」と息絶え絶えに呟く。

そして、石像の口から男は、ゆっくりと下界に向けて落ちていった。



戸惑うゼッド。

ゼッドを乗せた石像は、雲をぬけると、緑豊かな楽園に降り立った。


そこは不老不死の楽園『ボルテックス』……





冒頭、こんな出だしを書けば、この後、さぞやハラハラする冒険や戦いが待っていると思うだろうが、期待なさるな。


全くそうはならない、これはトンデモなくシュールな映画なのである。



監督は『脱出』などで知られるジョン・プアマン


この映画は、SF映画にも関わらず、わずか100万ドルの低予算で作られた。


そして、主演のショーン・コネリーのギャラが20万ドル。

これは100万ドルとは別に、ブアマン監督が自費で捻出したそうな。



そこまでして、この映画に命をかけていたのかねぇ~、プアマン監督。



ちょうど、007シリーズが終わり、この時期ショーン・コネリーもよっぽど仕事がなくて暇だったんだろうか………(何でもいいから仕事をくれぇ~!ギブ・ミー、仕事!って気分だったのか)





そうでなければ、こんなヘンテコな格好をさせられる映画なんて、20万ドルでも出るはずがない。



このショーン・コネリー扮するゼッドの格好が、なんてったってスゴイのだ。



着ているものといえば、素っ裸に赤いフンドシ一丁。


ゆえに、あのボーボーと栄えている草むらのような胸毛やヘソ毛が、始終あらわになっているのだ。



それに黒いSM嬢のようなロングブーツ。


口髭は、馬の蹄鉄のような形にきりそえられている。

とどめは、長いおさげ髪のかつら。



恥も何もかもかなぐり捨てて、仮装もここまでやりきれば、もう立派なもんである。



このお姿で、映画の冒頭から最後まで、あっちブラブラ、こっちブラブラしているショーン・コネリー。






こんな格好の男が、平和な国『ボルテックス』に降りたったから、さぁ、大変!


お前はいったい何者なの?どこから来たの?!

すぐに不審者扱いされて捕らえられてしまう。(そりゃ、そうだろ!)



『ボルテックス』に住むエターナル人には、一種の超能力が備わっているのだろうか……

こんなゴツいショーン・コネリーを簡単に眠らしてしまったり、テレパシーで他の者たちと会話したりもする。




変な部屋に連れてこられて、そんな場所に寝かされているゼッド(コネリー)



「この男の記憶を探ってみましょう」


エターナル人『メイ』という女性は、ゼッドに呼び掛けながら、過去の記憶を呼び戻させる。


すると周りのスクリーンに、ゼッドのこれまでの闘う姿が映像として映し出された。



「こんなのは、どうでもいいのよ!お前がどうやって、ここに来たのかを知りたいのよ!」

だが、肝心の映像は映し出されない。



そこへ、「殺してしまいましょう」と言いながら別の女性がやってきた。


ヒラヒラ、透け透け衣装を着た『コンスエラ』(シャーロット・ランプリング)という女性である。(こんなヘンテコ映画に、またもやフランスの名女優ランプリングまでもが……(゚д゚) …)


「ダメよ」とメイ。

「じゃ、投票で決めましょうよ」

テレパシーで、他のエターナル人に交信しながら、奇妙な多数決をとりはじめる二人。


すると、多数決の結果、なんとかゼッドの命は3週間だけ延長される事になった。





そして、今度はなぜか?

ドスケベな女たちに囲まれながら、ゼッドの 興奮度チェックが始まる。(コレに何の意味があるのか?)



スクリーンに男根の形が映し出され、男性が勃起するメカニズムが詳しく解説される。

それを熱心に恍惚とした表情で聴き入る女性たち。(痴女?(笑))



「この男の興奮具合を検証したいわ」とメイ。


次から次に、スクリーンに全裸の女性の姿が映し出される。



それに無反応で、まるで知らん顔のゼッド。


「おかしいわね、全然興奮しないわね」とメイ。(いったい、なんやねん。この実験 (笑) )



そこへ再び、先程のコンスエラが現れた。


「あら、この男、あなたに対して興奮しだしたわよ」と、ゼッドの変化する下半身を見つめながら、メイが喜びだした。



困惑顔で、その場をそそくさと立ち去っていくコンスエラなのであった ………




本当に、こうして書き出しながらもヘンテコリンな映画である。



SFというジャンルを借りてきて、変態映画を作りたかったのかしら?プアマン監督は!?




あまりにもシュールさに、公開当時、観客たちも何がやりたいのか全く意味が理解できず、皆が首をかしげたという。



この後も、このボルテックスのヘンテコな習慣や決まり事などに、まるで『不思議の国のアリス』の世界に迷いこんだような気分にさせられてしまう。



ただ、この映画では、アリスが毛むくじゃらの中年ショーン・コネリーなのだけど。(笑)





そんな映画『ザルドス』であるが、DVDではプアマン監督の詳しい解説つきである。


いちいち、馬鹿みたいな場面を丁寧に解説してくれるプアマン監督。(懸命に話せば話すほど、ドツボにハマっていくような気もするがなぁ~)



イギリス人は、たま~に、こんな訳の分からない映画を撮るものである。




とにかく胸毛ボーボー、ヘソ毛ボーボーのショーン・コネリーの頑張りだけに星☆☆である。


※(プアマン監督の一生懸命な解説を聞いても、この印象しか残らない映画なので、観る方は、どうぞ、お覚悟くださいませ)


にしても、本当にスゲー格好だな~、オイ!




2019年6月18日火曜日

映画 「マンディンゴ」

1975年 アメリカ。








その昔、『ルーツ』というドラマがあったのを知っているだろうか?



奴隷制度の時代に産まれた、黒人クンタ・キンテの波瀾万丈の物語。


イギリス人に誘拐され、奴隷として別の名前を与えられ虐げられながらも、決して誇りを忘れず、その不屈の精神は代替わりしても、子孫たちへ脈々と続いていく ……



本国アメリカで放送されるやいなや、衝撃的な内容は、たちまちセンセーションを巻き起こした。


そうして世界中で放送されると、どの国でも高視聴率をたたきだす。



かくいう自分も、このドラマは、リアルタイムで観ていた世代であり、あまりの白人たちの横暴さに、目をそむけたくなるくらいだった。


脱走を繰り返したクンタ・キンテが、これ以上、逃げ出さないように足の指を切断されるシーンなどは、テレビを観ていて「ギャアァーッ!!」っと叫ぶほどだった。(画面を通じても、痛さが伝わってくるとは、この事か …… )



この『ルーツ』が1977年の放送。




それより前に、この映画は『マンディンゴ』は、とっくに公開されている。





同じように黒人奴隷の問題を扱っていても、こちらは、もう『ルーツ』なんて比べ物にならないくらい酷い有り様である。



この映画に、ただ唖然とさせられる!😱






19世紀、ルイジアナ州にある広大な土地を所有する当主『マクスウェル』(ジェームズ・メイソン)。


マクスウェルは、その土地で黒人たちを奴隷として使って農園を営んでいた。


綿や農作物の為に、懸命に働く黒人たち。


男も女も黒人ならば白人様には絶対服従なのは当たり前。


使う方も使われる方も、それに疑念すら持たないのである。



だが、黒人たちの御奉仕は、これだけで終わらない。



夜になれば女たちは、マクスウェルのひとり息子である『ハモンド』(ペリー・キング)の 性処理係 を毎晩つとめなければならないのだ。


その為、お屋敷には、14歳以上で黒人の処女などは全くいなかったのだった。




こう書くと、女たちには、さぞや地獄の日々に思えるだろうが、このハモンドは見た目、超ハンサムさん



白人男に奉仕するのでも、黒人女たちはあまり抵抗なく身を捧げていたのである。


「あ~ん、ハモンド様、アハァ~ン♥️」(ようやるわ。それにしても毎晩女たちを満足させるハモンド様は絶倫王)




だがハモンドの性根は、やはり冷徹な父親マクスウェルの血を引いていて腐りきってる。


黒人など、同じ《人間》とは微塵も思っていないのだ。(ただの性欲の捌け口くらいの鬼畜感覚である)



もし仮に、女たちが妊娠してしまい、ハモンドの子供が産まれても、即座に売りに出される。



黒人ならば買ったり、売ったりすればいいだけなのだ。

そう、この屋敷は《 奴隷売買牧場 》でもあったのである。





ある日、黒人男『メム』が、こっそり本を読んでいた。


深夜、父親の寝室に入ってくるなり告げ口するハモンド。(本当にイヤな奴)


「パパ、あいつ、隠れて字を読んでいたよ!黒人のくせに字が読めるんだ!!」



それに父親マクスウェルが即反応する。

「な~にぃ~!」(ここはクールポコ調で)


「黒人ごときが生意気な!昔は目玉をくりぬいてやったくらいだが ……折檻してやるんだ! そうだ、尻叩きがいい!怪我をすると作業ができなくなるからな …… そのかわり、尻には唐辛子とレモン、それに塩をたっぷり刷り込んでやれ!ヒィー!ヒィー!言わせてやるんだ!!」(ジェームズ・メイソンよ、トホホ …… (笑))


「わかったよ、パパ」(この父親にして、この息子あり)



次の日、馬小屋で全裸にさせられたメム。


黒い素肌に縄が食い込むくらい、ギュウギュウに縛り上げられると、逆さ釣りにされて引き上げられた。


「ご主人様、お許しください!」

「いいか?黒人が、もう本なんて読むんじゃないぞ!」


別の黒人奴隷に命じて、角材で尻叩きをさせるハモンド。


「打て!!」

「バチーンッ!」の音とともに、何度も「ギャアァーッ!」の悲鳴。 


今日も黒人奴隷たちの涙が流されてゆく ……





こんなのは、この映画に限っては、まだ序の口。


この後も、こんなクズ・エピソードはジャンジャンと出てきます。




ある日、奴隷市場で《マンディンゴ》と呼ばれる筋骨粒々の体格の黒人『ミード』(ケン・ノートン)を競り落としたハモンド。


ハモンドは、黒人同士の拳闘をさせる為にミードを買ったのだ。



ミードはご主人様ハモンドの期待に応えて、どんな試合でも相手を打ち負かしてゆく。(負けた方の黒人は縛り首なのだ。もう黒人同士の殴り合いでも、命がけである)



そんなミードの勇姿を観て、我が手柄のように悦に入っているハモンド。


喜び喝采する白人たち。(書き出しながら、ドンドン胸糞が悪くなってきた)




↑(お〜、このババァ、勝手にドコ握っとんねん!(笑))




父親マクスウェルが突然こんなことを言い出した。

「わしは生きているうちに孫がみたいんじゃーーー!」

(ハモンドには、既に黒人女たちに産ませた子が何人もいるのにね)




「やれやれ …… 」と思いながらも、ハモンドは父親の夢を叶えてやる為、白人女性『ブランチ』(スーザン・ジョージ)と、あっさり結婚した。



でも、このブランチが《処女でない》事が分かると、途端にハモンドは手のひら返し。


猛烈に腹を立てて、放ったらかしにし始めたのだ。(本当に最低な奴である)



その代わりとして、自分の性欲の捌け口を、またもや黒人女『エレン』へ向けていくハモンド。(相手にされない妻ブランチはイライラを募らせてゆく)



そうして、とうとうエレンがハモンドの子供を身籠ってしまった。



これまで本妻のプライドを傷つけられてきたブランチの怒りが、ここへきて大爆発!(キィーッ!!)



「死ねぇ!この売女!!」

むごたらしくエレンを鞭打って流産させてしまうのだ。(このブランチも大概スゴい性格だ)




ブランチの怒りは、こんなものでは収まらず、ハモンドにも復讐を開始する。


今度は黒人奴隷ミードを誘惑して、一線を越えてしまうのだ。(女だって男並みに性欲はあるし)



でも、それがハモンドにバレてしまい、もはやドロ沼のクライマックス。


俺の奴隷の分際で、俺の妻に手を出しやがってぇ~!



ミードが白人妻ブランチを拒めるはずもないし、ミードは全然悪くない。


なのに、この理不尽な怒りの矛先は、黒人というだけで一斉にミードに向けられるのだ。




ハモンドは、ミードを殺そうと追いかけ回す。(かつて、ここまで傲慢な主人公がいただろうか)

(「どのツラ下げてそんなセリフが吐けるんだー!」と全世界でハモンドの今までの所業にツッコミたくなる)




セックスと人種差別が入り交じって、まさに魑魅魍魎の地獄絵図。



当然のように映画はトンデモない結末をむかえる。(↓コレは、もはや人間の所業じゃないだろ。ヒィーーーーッ!😵‍💫





こんなトンデモ映画であるが、公開された1975年当時は予想外に大ヒットしたのだという。



でも、ヒットとは真逆で、悪評、酷評の嵐。(そりゃそうだろうよ)



主な感想はやっぱりこんな感じ。

クズ映画」、「子供に見せられない最低映画」、「下品などなど ……



クェンティン・タランティーノなどの著名人も「史上最悪の映画」として太鼓判?を推してくれております。



まるで否定出来ないわ〜



かくいう自分も、見終わった後、一瞬、クラクラするくらいであった。(これでも日本発売のDVDでは、SEXシーンと暴力シーンをだいぶ配慮してカットしているのだという。ノーカット版は、どれだけエグいのやら)



まぁ、とにかく史上稀な問題作なのは間違いない。



それにしても、ペリー・キングジェームズ・メイソンは、この映画に出演して、その後、大丈夫だったのかしらん?



フィクションの境界線をこえて、全黒人たちの猛烈な怒りが彼らに向けられたのなら、命がけの出演だったんじゃなかったのか。



単に暴言や、石を投げられただけじゃ済まなかったかもしれない。(当時は殺害予告もあったかも)



この映画に出て、誰か得した者はいたのかねぇ〜?



と、問いかけておいて、私は、ここらで(スタコラ)逃げておきます(笑)




2019年6月16日日曜日

映画 「絶壁の彼方に」

1950年 イギリス。







ボスニア・ヘルツェゴヴィナ』という国をご存じかな?


東ヨーロッパはバルカン半島の北に位置する国で、1992年にユーゴスラビアから独立。


三角形の形の国土が特徴的な小国である。




なぜ、冒頭に、いきなり、こんな話を始めたかというと、この映画に『ボスニア国』なる国が出てくる為である。




この『ボスニア・ヘルツェゴビナ』と『ボスニア国』、この2つは 一切関係ない



この映画が作られた時(1950年)には、もちろん、『ボスニア・ヘルツェゴビナ』という国も、まだ存在していない。



この映画の、

ボスニア国』、まったくの架空の国なのである。



その『ボスニア国』で、大勢のボスニア人たちが、喋り倒すボスニア語も、一から全て作り出した創作の言語というのだから、もう驚くしかない。


シドニー・ギリアット監督……恐ろしいほど、凝り性なのである。






『ボスニア国』では、大勢の群衆たちが大広場に集まり沸き立っていた。


海外からもリポーターが来ていて実況中継している。


独裁者として、今まで思うように権力を振るってきた『ニバ将軍』が、選挙演説しようとしているのだ。




バルコニーに、颯爽と姿を現したニバ将軍。

それを囲うように集まった群衆たちからは、大歓声が沸き上がった。(イヤな国だ)




一方同じ頃、イギリスでは、アメリカ人外科医『ジョン・マルロー』(ダグラス・フェアバンクス・Jr)が、1通の手紙を受け取っていた。




(いったい誰からだろう……)

心当たりのない手紙には、あのボスニア国『ニバ将軍』の切手が貼られている。




開封してみた手紙には、マルローの、これまでの業績を称えて、ボスニア国にて金杯授与を行いたいという申し出だった。



そして、マルローの手術法『内脈膨張症治療』を「大変素晴らしい!」と絶賛し、誉めちぎっていた。(「まぁ、悪い気はしないなぁ~」と少し照れ気味のマルロー)




しばらくすると、今度は、マルローの元に、ボスニア国の公使が、直々訪ねてきた。


「お願いします、マルロー博士。是非に我が国ボスニアで公開手術を行っていただきませんか?」


いきなりの提案に驚くマルローだったが、公使は「できたら1週間後にでも……」と、さらに熱心に急かしてくる。


とうとう根負けしたマルローは、『ボスニア国』を訪れる事にした。





そして、遠い異国の地ボスニアにて、手術の日。


マルローが手術をするのは、老人の患者だった。


政府関係者や大勢の人々に見守られ、メスを握るマルロー。

手術は無事に成功した。




でも何かがおかしい。


「おい!その患者の顔をめくってくれ!」

マルローの指示により、気が進まない看護師は患者の顔にかけられていた布をめくった。


そこに現れた顔は、老人とはまったく別の人間、あのニュースで騒がれている『ニバ将軍』の顔だったのだ。



「どういう事なんだ?!まるで話が違うじゃないか!!」

大声で叫ぶマルロー。




その時、誰かがマルローの頭をぶん殴った。

マルローは気絶して意識を失った……。





次に目を覚ましたマルローは部屋の一室で椅子に座らされていた。


後頭部を押さえながら、うっすら目を開くと、目の前には、この国で大臣も兼任している『ガルコン大佐』(ジャック・ホーキンス)が目の前にいた。


「お許しください。先生には将軍が完治するまで、この国にいていただきます」




メディアや大衆の前で演説をしていたのは、そっくりな《影武者》だったのだ!


本物ニバ将軍の容態はドンドンと悪化していき、まさに死の間際。


ニバ将軍に心酔していたガルコン大佐は(なんとかせねば …… )と考えだした。



国民には事実を隠しておいて、陰でこっそりと手術を行う。




この為に、マルローは呼び寄せられたのである。





ガルコンの口調は穏やかだったが、それは有無を言わせぬ命令のようにも聞こえた。



「冗談じゃない!すぐに帰らせてもらう!」

だが、マルローが部屋のドアを開くと、ドアの外では軍服を着た兵士たちが待ち構えている。



「お分かりでしょう、先生には当分ここに居ていただきます」


ガルコン大佐は、落ちついた口調で言うと部屋から出ていった。




万事休す!八方塞がり!


自分は独裁者の罠にハマり、監禁させられたのだ。



逃げ出す術すらもない。


マルローは諦めて、ニバ将軍の術後を見守る事にした。





数日が過ぎ、ニバ将軍の状態も安定している。


だが突然、ニバ将軍の状態が急変した。



「酸素マスクを早く!」

現場は騒然として、出来うる限りの処置にあたった。



だが、その甲斐もなく、ニバ将軍は、あっさりと亡くなってしまった。



別の合併症をおこしていたのである。



「こんな……この後、いったいどうすれば……」茫然としているガルコン大佐。

ニバ将軍に、身も心も心酔していたガルコンは、しばし脱け殻のように死体を見ていた。




そして、ハタッ、と気づいた。

マルローの姿がない!


マルローは皆が気をとられているうちに、

「この隙に……」とばかりに、とっくに逃げ出していたのだ。(スタコラ)



そして世話係のアンドレが運転する車に、一目散に乗り込むマルロー。


「すぐに車を出してくれ!!」

マルローを乗せた車は、屋敷の庭を全速力で出ていった。




それを、急いで追いかけるガルコン大佐。



車は、海の見える岸壁の急カーブを猛スピードで走り抜けていく。


「もっと早く!もっと急いで!!」

叫ぶマルロー。


(捕まったら自分は、まちがいなく処刑される……何としてもこの国を出なくては………)




こうして異国の地『ボスニア』で右往左往。


たった一人、孤立無援なマルローの逃亡劇が始まったのである…………






この映画も、シドニー・ギリアット監督の名作として、名前だけは知っていました。


今回、こうして観ることが可能になったわけだが………




ヤッパリ期待を裏切らないくらい面白かったです。(脚本から始めたギリアット監督だからこそ、筋立てがうまいのだ。)



マルローの逃亡も、車からバスに乗り換えて、床屋→劇場とあらゆる場面に移っていく。



やがて、味方として劇場のミュージック・ホールの歌い手『リザ』(グリニス・ジョンズ)を、自分の逃亡の道づれに巻き込んでしまうマルロー。



「お願いだ!同じ米国人として助けてくれ!!」

と、リザの控え室にひょっこり現れて、必死に頼みこむ。



「私は関係ないのよ、出ていってちょうだい!」とリザが言うのだが(当たり前だ)、それを、「まぁ、まぁ……」と強引に逃亡に引っ張っていく『マルロー』(ダグラス・フェアバンクス・jr.)の伊達男っぷりよ。



リザも、ハンサムなマルローにブツブツ言いながらも、ついつい、ほだされて付いていってしまう。



この二人の珍道中は、やがて、ロープウェイで山に登っていき、そこから国境越えの為の険しい断崖絶壁の山越えとなっていくのである。


二人は無事に脱出できるのか!





ダグラス・フェアバンクス・jr.』……父親のダグラス・フェアバンクスも俳優で、同じ名前。


今まで、どっちがどっちか、混同していたが、今回やっと判別できるようになりました。



中々、シャープな顔つきをしていて、jr.の方が、父親よりも超二枚目でハンサムさんである。



戦前から、活躍していたダグラス・フェアバンクス・jr.だったが、実質、この『絶壁の彼方に』が、どうも俳優としては最後の作品だったらしい。(この後は裏方として映画製作に関わっていく)



リザ役の女優グリニス・ジョンズは、どこか、映画『道』に出ていたジュリエッタ・マシーナに顔立ちが似ていて、美人というより可愛い系。(ちょっと声がアニメ声なのが残念)




映画は、まるで、数年後にヒッチコックが撮った『北北西に進路をとれ』を先取りしているようなくらい、全編にハラハラドキドキ感が満ち溢れている。




まだ、こんな映画が残っていたとは……



星は☆☆☆☆☆である。(面白いよ)


※そして、架空の国の設定も、この映画が先駆けだろう。



安易に、悪役として、ナチスやヒトラーを出せばいいと考えている、どこかの映画人たちは、このギリアット監督の創作力、見習ってもらいたいものである。