カード・マジックの使い手としては、一流のマジシャン、コーキー(アンソニー・ホプキンス)。
今日も、得意のマジックを、酒場の客たちの前で、披露する。
「いいですか?このカードを覚えていてください」
酒場『スターダスト』の客たちは、舞台の上の、地味なコーキーなど、誰も見ていない。
勝手にガヤガヤ、話し込んだり笑いあったりしている。
「さあ、ハートに変わりましたよ!」
客たちは、ヤッパリ誰も見てもいない。
コーキーの声は客たちの笑い声に、かき消され、のみこまれていく。
コーキーは、その様子に段々腹が立ってきた。
そして、ついに、ブチギレ!
逆上し、いつの間にか客たちに、向かって怒鳴り散らしていた。
「お前ら、分かってるのか?! 今、やってるのは誰でもできるもんじゃないんだぞ!! 最高のマジックなんだぞ!!」
「コーキー、……コーキーよ……」
ショーが散々な結果になり、帰ってきたコーキーは師匠の枕元で、全てを話すと師匠は嘆き、ため息をもらした。
そばでは、さっきの怒りが終わって、半べそのコーキーが佇んでいる。
「コーキー、お前のマジックの技術は最高なんだ! だが、工夫が足りない。工夫するのだ! コーキーよ!お客に見てもらえるように……」
師匠の助言は、コーキーに、どう響いたのか………。
頭の中で、その言葉を反芻するように、微動だにせず、コーキーは、ただ、じっと立ち尽くしていた。
ー 1年後 ー
『スターダスト』に行列が並んでいる。
やり手のマネージャー、ベン(パージェス・メレディス)は、NBCテレビのプロデューサー、トッドソンを待っていた。
しばらくして、やってきたトッドソンは、
「今時、マジックなんて……。こんなの子供番組でもウケるもんじゃないぞ」とブツクサ。
それをベンは、「まあ、まあ、…」と言いながら強引に引っ張っていった。
舞台上では、あのコーキーがいた。
いつものように、つまらないマジックをやっているのだが、客たちはなぜか真剣な面持ち。
トッドソンは、「これの何が面白いのかね……」と、ありきたりのマジックにウンザリした様子を隠そうともしない。
横では、ベンがニヤニヤしている。
その時、客席の中から、
「インチキマジックが始まるぞ!」の声がした。
コーキーは客席に下りると腹話術の人形を手に、舞台に戻ってきた。
客席からは大歓声がとどろく。
人形の名前は『ファッツ』。(もっと可愛い顔の人形はなかったのかね?、顔面が、異様にでかくて、見た目、ほんとに不気味な人形である)
毒舌な『ファッツ』と、気の弱いコーキーの掛け合い漫才が始まると、客たちは、たちまち笑い転げた。
「お前の『アレ』は、ショートピースと同じ長さだろう」
ファッツの下ネタに大爆笑する客たち。(どうも、我々日本人にはアメリカン・ジョークの面白さが伝わりにくい。こんなので簡単に笑い転げて大爆笑するアメリカ人って…いったい)
「余計な事を言わないで、さあ、カードを引いてくれよ」コーキーが、ファッツにカードをひかせた。
それが一瞬で、クローバーからハートに変わる。
ファッツが目を開き、アゴを下げて、ギャフンとした顔になると、客たちは大笑い。大喝采して拍手したのだった。
「これは売れるね」とトッドソン。
「そうだろう」とホクホク顔のベン。(そうだろか? (笑) )
ショーが終わり、コーキーの楽屋にやってきたトッドソンは絶賛。かたい握手をすると帰っていった。
マネージャーは大喜び。
「良い感触だった。お前は、これから大スターになるんだぞ!」と激励する。
嬉しいような気恥ずかしい顔をするコーキー。
この映画を遠い昔、確かVHSの時代に観ていて、なんとな~く、気色の悪い人形のインパクトで覚えていました。
もっと可愛い人形なかったの?(でも、可愛いけりゃ、可愛いで全然恐くないんだけどさ)
主演は、若き日のアンソニー・ホプキンス。(まあ、若いといっても40歳くらいだが)
この『マジック』の頃は、ガリガリに痩せていて、元々くぼんだ目元が、さらに落ち窪み、一種恐ろしい顔になっている。
この顔じゃ、アイドル的な人気を期待できそうもない。(着ている服装もチョー地味でダサいし)
でも、男の顔も変わるのだ。
年齢を重ねるごとに、《渋さ》と《貫禄》、《経験》を供えた、50代後半(『羊たちの沈黙』の頃)のアンソニー・ホプキンスは、若い時よりも、ずっといい顔をしている。
と、お顔の事はここまで。
話はガラリと変わって、映画の事をちゃんと語りたい。(おぉ?!自分にしてはマジメな展開だぞ!)
この映画、二重人格を扱ったサイコ・サスペンスである。
腹話術の『ファッツ』人形に、もうひとつの人格をのせるうちに、それを占める割合が、段々大きくなり、やがてコーキー自体の存在を支配し、おびやかすようになってくるのだ。
しかも、コーキーの抑圧された邪悪な部分が、ごっそり、『ファッツ』に乗り移るのだから、タチが悪い。
ある日、マネージャー・ベンに健康診断を勧められたコーキーは、それを嫌がって、昔住んでいた田舎に突然帰ってしまう。(本能的に何か《危険》を察知したのか?)
そこで高校生の時好きだった憧れの女性・『ペグ』(アン・マーグレット)と再会。
見事!両想いになってしまう。
だが、彼女は既に結婚している《人妻》さんである。
夫は禿げてて、うだつの上がらない『デューク』(エド・ローター)で不倫しちゃうのも充分に分かる気がするが。(でも、よりによって不倫の相手が、精神異常者? …… つくづく【男を見る目がない可哀想な女】である)
そんな場所にまで、マネージャーのベンは執拗に追いかけて来る。
「おい!邪魔なあいつを殺すんだよ!コーキー!!」
ファッツ人形の囁きがコーキーに命令する。(だが、全てが二重人格のコーキーひとりの仕業だと思うと、寒気がするくらい恐ろしい)
やがて、それは、マネージャーのベンや関係ない者、そして愛する人・ペグさえも巻き込んだ大惨事へとなってきて ………
その大昔、腹話術師は、裁判で有罪になり処刑されることもあったとか ……
この、人形に魂を移したようにして喋らせるという行為自体が、大昔の人たちには、まるで魔術や魔法に見えたのだ。
人々は、それを怖れて弾圧、迫害する。
人々は、それを怖れて弾圧、迫害する。
まぁ、訳の分からないものを毛嫌いするのは、しょうがない事なのだけども……(でも処刑もあんまりな気もする。)
それを観て楽しむ者もいれば、一方では、不気味に思って恐怖する人たちもいる。
それを観て楽しむ者もいれば、一方では、不気味に思って恐怖する人たちもいる。
同じモノを観ていても、捉え方は様々って事なのだ。
そして、人の心は複雑なモノ。
普通の人でも本音と建前を使い分けて、我々は生活している。
それを二重人格というなら、誰だってこんなコーキーのようになる可能性を秘めている。
ただ、そうならないように、身近な人物には、本音を小出し小出しに語る。
いわゆる、これは《毒出し》のようなモノで、これは人が精神の均衡を保つためには、本当に必要な作業なのだ。
たまに、ニュースで世間を騒がすような凄惨な事件の犯罪者も、こんな感じだ。
近所の聞き込みでは、元はおとなしい何を考えているのか分からないような人物。
それは、いうなれば意思表示の下手クソな人物たち。
人に悩みを打ち明けたりする事が、まるで《恥》だ!と思うくらい、そんな人たちは、プライドも超高い。
人に悩みを打ち明けたりする事が、まるで《恥》だ!と思うくらい、そんな人たちは、プライドも超高い。
そんなくだらないプライドに邪魔されて、弱気さえも見せられない。
身近で語れる人間もいなければ、毒を吐く機会もないのだ。
そして、毒を吐かなければ毒は体中に周り、貯まっていく。
精神までも侵してしまうのも当然なのである。
日常でも、言いたい放題の自分には、想像すらつかない。
小出しに毒を吐くのはヤッパリ大事な事なのである。(適度なガス抜きと一緒)
こんな事をツラツラと考えさせられた『マジック』の一編なのでございました。
こんな事をツラツラと考えさせられた『マジック』の一編なのでございました。
星☆☆☆。