2019年4月28日日曜日

映画 「要塞警察」

1976年 アメリカ。





無法者たちが集まる、カリフォルニア州のアンダーソン地区。



そこでは『グリーン・サンダー』を名乗る少年ギャングたちが、虐殺を繰り返し、その中の6人が警察によって射殺されたばかりだった。



残った残党たちは、警察への憎しみをたぎらせて復讐に燃える。

互いの腕を切りつけて、ボウルにその血を集めて『血の誓い』なる儀式で結束を固めた。(まるでカルト教団)



そんなある日、警部補に昇進した黒人警官『ビショップ』(オースティン・ストーカー)に、無線連絡が入った。


それは上司のコリンズ警部からで、

「今から、《9分署》へ行ってくれたまえ!」

との命令だった。



移転が決まった《9分署》。

残務整理をするために残ったのは数名だけ。

明日には、電気も止まり、引っ越しは完全に完了する。



ビショップに与えられた最初の仕事は、その《9分署》で、ゴードン署長と入れ替わり、一晩だけの署の警備と留守番だった。



(退屈な仕事になりそうだ……)



そう思いながらもビショップは、《9分署》に向けて車を走らせた。






時を同じくして、3人の囚人が移送車に乗せられ、別の刑務所に行くために護送されていた。


囚人には、『ナポレオン』の異名をもつ冷静なウィルソン(ダーウィン・ジョストン)。(囚人なのにハンサム)



黒人のふてぶてしい『ウェルズ』。

病気がちなのか?ずっと咳が止まらない若い『コーデル』である。



そんなコーデルの具合が護送車の中で、どんどん悪くなっていく。



「おい!ここから一番近い警察署はどこなんだ?」

護送官の『ストーカー』が運転する警察官に聞いた。


「アンダーソン地区の《9分署》だと思いますが…」

「そこへ一旦行ってくれ!囚人を医者にみせる!」


ストーカーが言うと、護送車は《9分署》に向けてハンドルをきったのだった。






またまた、時を同じくして、父親と幼い娘が、車を走らせている。

親戚の家に行く途中、道が分からなくなったようだ。



近くに電話ボックスをみつけた父親は、車を停めて電話をかけはじめた。

娘は外で待っていたが、近くにアイスクリーム売りの車を見つけると、父親に小銭を貰い、よろこんで走っていく。




その時、アイスクリーム屋の主人が、近づいてきた車の男たちに、いきなり狙撃された。



殺したのは、あの『グリーン・サンダー』の残党たちである。

アイスクリームを持った幼い娘も巻き添え。


そして、車は走り去っていった。


電話が終わった父親は、アイスクリーム屋の車のそばで倒れている娘の姿を見つける。


「あ~!なんて事だ!!どうして、どうしてこんな事に……」


「く、車の中に銃があ…る…」

アイスクリーム屋はそれだけ言うと絶命した。



父親は、アイスクリーム屋の車のダッシュボードに銃を見つけると、手に取って、すぐさま車を追いかけた。


(絶対に、絶対に殺してやる…)


娘を殺された父親は鬼の形相でハンドルを握りしめ追いかけはじめた。






夕刻、《9分署》に着いたビショップ警部補。

迎えてくれたのは事務員の女性二人、『リー』(ローリー・ジマー)と『ジュリー』だった。


ジュリーは、引っ越し先の電話対応に大わらわ。


もうひとりの女性、リーは物静かで理知的な女性だ。


「ご苦労様、コーヒーでも淹れるわね、ビショップ警部補」

ビショプをねぎらいながら、優しく応対してくれた。


ビショップが来ると、《9分署》のゴードン署長は、(これでお役御免!)とばかりに、さっさと帰っていった。





それから、しばらくすると、さっきの囚人を乗せた護送車が到着する。


「おたくの留置場を使わせてくれ!囚人が急病なんだ!ここへ医者を寄越してくれ!」


突然の来訪に、戸惑うビショップだったが、取り合えず3人の囚人たちを、空の留置場に収監した。


気障なナポレオンは余裕たっぷり。


「タバコはないか?あったらくれよ?」


なんて、ふてぶてしく言うのをビショップ警部は、知らん顔で無視する。


早速、ストーカーたちは、署の受付から、電話をかけはじめていた。

ビショップ、リー、ジュリーの3人は、その成り行きをじっと見ている。






同じ夕刻、やっと殺人犯の車に追い付いた、さっきの娘を殺された父親。

アイスクリーム屋から奪った銃で、相手を見事仕留める事ができた。



(やった!やっつけたぞ!俺はやったんだ!!)



だが、その後ろには、いつの間にか、さらに大量の『グリーン・サンダー』の集団たちが近づいてきた。


多勢に無勢。

父親は、あまりのことに恐怖して、我にかえると、夕刻の暗闇の中を逃げ出した。






そうして夢中で逃げた先が、あの《9分署》。


「た……助けてくれ!」

何とか逃げ込んできた父親。


ビショップたちは、またもやの来訪者に怪訝顔である。





こんな《9分署》に集まった様々な人間たち。


辺りは、すっかり暗闇に包まれはじめる。




そして、その周囲を『グリーン・サンダー』の集団たちが取り囲みはじめた。


警察に憎しみをたぎらせて、それぞれが銃を手に取って……。





スッゴクよく出来た映画。



こんな風に、大人数(縁もゆかりもない人間たち)を一点(9分署)に集め、それぞれの性格や人間模様を見せながらも、1本のアクション映画にまとめているなんて。


全てが計算されているのか…(これを感覚的なものだけで撮れるとは、とても思えない)


頭の良い人なのだ、このジョン・カーペンターという人は!



前回紹介した『真夜中の処刑ゲーム』と同じ籠城ものだが、こちらの方が格が違うというか……登場人物たちの性格や掘りさげ方も、1も2も上である。





この後は、もちろん激しい銃撃戦。




その中で、警部補ビショップは仲間の刑事たちを全て殺されて、刑事として孤立無援になってしまう。(護送してきたストーカーも殺されてしまうので)




そんなビショップがとった行動は、囚人のナポレオンと黒人のウェルズを解放して、一緒に闘うことだった。


「助かるためなら、囚人でも誰でもいい!こっちは猫の手も借りたいくらいなんだから!」


外から蜂の巣状態で狙撃され続ける《9分署》で、ナポレオンとウェルズに銃を渡すと、共に防戦し始める。


そんなビショップを、気障なナポレオンは、


(こいつ、警察のわりには度胸が座っていやがる)と感心しきり。


いつしかビショップと気障なナポレオンの間では、警官と囚人の垣根をこえて、奇妙な友情や連帯感が生まれだすのである。




まぁ、こんなビショップとナポレオンもカッコイイのだが、もちろん女性の方も魅力的。



女性の方も負けていない。


哀れジュリーは殺されてしまうが、あの優しくて、おだやかなリーは、片手を撃たれながらも、ギャング相手に大活躍。



目をそらさずに、冷静に銃で、一人一人仕留めていく姿は、もう一流の殺し屋か、女仕事人である。(これが『真夜中の処刑ゲーム』のバーバラならヒステリーをおこし続け泣き叫ぶだけだったのに……同じ女としても、こちらも格上だ)





ジョン・カーペンターが撮った、この映画も、やはり低予算だった。


でも工夫次第で、こんなに面白くなるのは、やはり職人技。(アメリカでは、残念ながらヒットしなかったが、イギリスではカルト的な大人気だったとか)





近年、この映画もイーサン・ホーク主演で『アサルト13 要塞警察』としてリメイクされている。



それでも、素晴らしい映画になるかは、すべて監督の手腕次第。


ジョン・カーペンターの素晴らしい才能に、ホトホト感心した一編なのでありました。

星☆☆☆☆。


2019年4月26日金曜日

映画 「真夜中の処刑ゲーム」

1982年 カナダ。






その昔、日曜洋画劇場では、淀川長治先生が、興奮して、大絶賛して解説してました。



「まぁ、怖いね、怖いね。皆さん今日は怖い映画『真夜中の処刑ゲーム』をお送りしますよ。」

(何故か?2度繰り返す淀川先生の解説に視聴者は引き込まれたものである。)




「監督はポール・ドノヴァン、ポール・ドノヴァンですよ。この監督は、映画を良く勉強してるねぇ~。偉いねぇ、偉いねぇ~。」

(カナダの無名の監督なんて、誰も知らないのに、何故か引き込まれる名解説)




「男が殺人を、殺人を目撃してアパートに逃げ込むんですよ! 逃げろ!逃げろ! そこには男女5人がいました。でもギャングたちが命を狙おうとやってくる。怖いねぇ、怖いねぇ~。」

(???)



「さぁ、皆さんご覧なさい!また後でお会いしましょうね。」




全然訳の分からないまま、始まる映画。

でも淀川先生の熱意や絶賛する気持ちが、ブラウン菅から、観ているこちら側にも伝わってくるから不思議であった。






1981年、カナダでは、警察官が賃上げストライキにはいり、町という町は無法状態と化していた。



取り締まる警官がいない町では、暴走族たちが暴れまわり、店という店も閉まっている。

町中は異様な静けさで、人っ子一人歩いていない。



だが、夜のゲイバーだけは開いていて、その手の人々が集まり慰めあっていた。(こんな時は家でじっとしてなさいよ (笑) )




そこに、こん棒を握りしめた悪い輩の団体が、突然乗り込んできた。

「俺たちは自警団だ!俺たちが、今夜から法律よ!オ●マども、思い知らせてやる!!」

笑いながら、やりたい放題で暴れまわり、男たちはバーテンダーをいたぶった。




「やめてくれ!やめてくれ!」

叫ぶバーテンに容赦などせず、獣のようにいたぶり続ける男たち。(※警察がストライキ中だからといって、いきなりこんな輩が現れて、好き勝手に暴力や破壊の限りをするなんて……どれだけ治安の悪い町なんだろう…)


やがて、ピクリとも動かなくなったバーテンダー。


裏返すと背中には、割れたグラスが突き刺さり死んでいた。



「お前ら、とんでもない事をしてくれたな……」

暴れまわった男たちの後ろから、ボスらしき男が現れる。




「こうなりゃ、ここにいる全員を口封じの為に始末するしかないな」

冷静なボスのケイブは、サイレンサー式の銃をとりだし、一人一人を縛り上げ、次々と関係のない店にいる客たちを、頭にクッションを押しあてながら殺しはじめた。(なんて極端な!)



だが、その中で一人の男が、縛りをほどき、立ち上がると、夢中で店を飛び出した。




「待てー!みんな追うんだ!!」

ギャングの自警団たちは、逃げた男、ダニエルを追って暗闇の町へ出ていく。




ダニエルは逃げた。必死で無我夢中で。

どこをどう向かって走っているのか……ダニエルはあるアパートに逃げ込んだ。


「助けてくれ!殺される!助けてくれ!!」


必死の形相でドアを叩くと、中から、一人の男が引き入れてくれた。



男の名は『ホレイショ』。

そこには、彼女の『バーバラ』(禁煙中で、いつもイライラ、ヒステリー気味)。

バーバラの弟で盲目の『パトリック』(とにかく目が見えない分、耳の感覚が優れていて、遠くの声や音も察知できる)。


パトリックの友達で、これまた盲目の太った『スティーブ』。

アパートの住人で、サバイバル術に長けた『チェスター』(この人の存在が大きい)の5人がいた。



「おい!開けろ!その男は麻薬中毒患者なんだ!」

外からは、アパートのドアをドンドン叩く音が響きわたる。

「ウソだ!頼む、開けないでくれ!開ければ、みんな殺される!」

ダニエルは、ガタガタ震えている。



ホレイショは、ダニエルを信じた。


ダニエルやバーバラたちを階段の上の部屋に行かせると、ホレイショはゆっくりドアを開けた。


ドアの外では、さっきの無法者たちが、顔首そろえて、立っている。



「さあ、早く引き渡してくれ」




男の一人が中に入ろうとすると、ホレイショが、そっとライフルを向けた。


「人を甘く見るなよ、とっとと消え失せろ!」


男たちは、鼻先にあるライフルに、後ずさりすると、「あとで吠えづらかく事になるからな……礼はたっぷりするぜ!」と言いながら出ていった。




男が出ていくと、急いで鍵をかけるホレイショ。


バーバラは、2階で電話をするが、電話口からは「警察はただいまスト中で…」のアナウンスが、淡々と流れている。


「何なの?いったい、どうすればいいのよ?」

バーバラは、突然の出来事に恐怖し、ヒステリー気味だ。



ギャングたちは、銃をかまえて、アパート全体を取り囲みはじめた。



アパートに籠城したホレイショたちと、ギャングの悪党たちの、命をかけた、長い長い夜が始まったのだった………。





映画は、ほんとに俳優たちも、監督も無名で、低予算のB級的な雰囲気プンプンである。(ゲイってだけで、殺されるってのも、あんまり酷すぎる気がする)




でも、ほんとに面白い!



敵の侵入を防ぐ為、ドアに電流を流したり、スプレーで火炎放射器をつくったり、ロケット花火を作って向かいのビルの敵に放ったりと、素人ながらも、様々なアイディアを駆使して、攻防戦を繰り広げる。




現代でも、カルト的な人気は続いていて、それも頷けるのだ。


久方ぶりに観ても、あの頃の時代や記憶が、鮮明によみがえってきた。
(ただ、大騒ぎばかりして、ヒステリーばかり起こすバーバラには辟易するが……)



後、せめて、主役のホレイショだけでも有名どころの俳優さんが、演じていたならだいぶ良かったかもしれない。(少し主人公のキャラの印象弱いかな)


まぁ、淀川先生には、申し訳ないが、面白いんだけど、さすがに星☆☆☆ってところで……。






「いかがでしたか皆さん? 怖かったね、怖かったねぇ~。今日は怖くて良い映画をたっぷりご覧になりましたね? じゃ、またお会いしましょうね。 サヨナラ…サヨナラ…サヨナラ……」

(「サヨナラ」だけは3回言う、淀川長治先生の不思議。今でもこんな声が、聞こえてくるようである)

2019年4月24日水曜日

映画 「4匹の蝿」

1971年 イタリア。







ダリオ・アルジェントの《動物シリーズの三部作》の最終作。




デビュー作『歓びの毒牙』は、原題名は『水晶の羽を持つ』。


第2作目『わたしは目撃者』の原題名は、『九尾の』。


そして、この『4匹の蝿(ハエ)』で動物シリーズの三部作となるのである。



まぁ、単にタイトルに動物の名前が入っているだけで深い意味はないなのだが。(それがアルジェント映画)





人気バンドのドラマー、『ロベルト』(マイケル・ブランドン)は、最近ずっと奇妙な視線を感じていた。


町を歩いていても、車に乗っていても…

ずっと後をつけられている。




ある日、車のフロントミラーにその姿が映った。

黒いスーツ姿に黒いサングラスをかけた、中年の男の姿が。



夜半、いつものようにバンドの練習を終えたロベルト。


仲間と別れて、帰宅の暗がりの通りを歩いていると、またしても、あの男がつけている。


ロベルトが、無人の劇場に逃げ込めば、案の定、男も後をつけてやって来た。


振り向き様、ロベルトは、いきなり男に詰め寄った。男はビックリしたようだ。


「おい!どういうつもりなんだ?!毎日毎日俺をつけまわしやがって!!」

ロベルトの激しい剣幕に男は、後ずさりしながら、「何の事だ?変な言いがかりはやめてもらいたい」と言いながら逃げようとする。



それをロベルトが掴むと、男は懐から突然ナイフを取り出した。


二人は揉み合いになり、取り上げようとしたナイフは、男の胸に偶然つき刺さってしまう。


叫び声をあげながら、崩れ落ちる男。



呆然としているロベルトに、その時、まぶしいばかりのライトが照らし出された。


頭上の客席から照らし出されるライトのそばには、奇妙な仮面(忍者ハットリくん?)をつけた人物がいて、ロベルトの方を見ながらカメラのシャッターを夢中できっている。



(誰なんだ?…… )


まぶしいライトに目を細めながら、ロベルトは、それを、なんとか確認しようとするのだが …


ライトは突然消されて、劇場は再び暗闇に包まれた。


ロベルトは説明しがたい、この突然の出来事に困惑した。

そして、夢中でこの劇場から逃げるように走り出していた。




この後、妻の『ニーナ』(ミムジー・ファーマー)のいる家になんとか帰りつくロベルト。


だが、それからは無言電話や殺された男のパスポートが送りつけられてきたり、写真が送られてきたりと、次々と妙な脅迫を受け続ける。



ある夜、人の気配を感じたロベルトは、ニーナと寝ている寝室をそっと抜け出した。



(誰かがいる …… )

暗闇の中、手探りで進むロベルトの背後から、突然、首にロープがかけられた。



もがくロベルトに、「今は殺さない …… だが、いつでも殺せるんだぞ」と、あの仮面(ハットリくん)の人物が囁く。



気を失ったロベルト。しばらくして目が覚めると不審な人物は消え失せていた。


妻のニーナにも、もう黙っておけない。



事情を説明して、例の写真やパスポートを見せようとするとなくなっている。


(奴が持ち去ったのか?)

「ロベルト、私怖いわ」震えるニーナを抱きしめながら、ロベルトが次にとった行動とは ………






ここまでは、どこにでも見かけるような普通のサスペンス映画。




だが、これがダリオ・アルジェントの映画だと、全然、予想だにしないトンチンカンな展開となっていくから不思議である。(それゆえマニアックなフアンは大喜びするのだが)




ロベルトは、川辺のほったて小屋に住んでいる髭モジャの世捨て人《神様》(アダ名)に、全てを話して相談するのだ。(ドラマーとホームレス、どんな関係なの?)



《神様》いわく「私立探偵を雇え!」と、あっさり助言。



《神様》の所から帰ってくると、家のそばを男が歩いている。


郵便配達人を不審な人物と勘違いして棍棒で殴りかかるロベルト。


配達人は「ヒェー!お助けをー!」と大絶叫する。(なんじゃ、この展開は?どんどん変になっていくロベルトに、前半の恐怖さえ薄らいでゆく)





その間に殺されていく、お話にはまるで何の関係もない女性たち。(このシーン必要なのか?)






ロベルトが訪ねたのはホモの中年探偵だった。(よりによって)


「あたし、3年間、事件をまったく解決したことないのよ。でも、あたーしに任せてちょうだいね!」



ごついオッサンにウインクされるロベルト(もう、ここまでくるとコメディーとしか思えない)



こんなコメディー展開の連続の中で、妻のニーナは恐怖を感じて家を出ていく。(アホな日常なのに、これもなぜ?)



でも、ロベルトの家には、ニーナと入れ替わりに美人の従姉、黒髪の『ダリア』(フランシーヌ・ラセット)が慰めにやって来てくれた。



「まずは、お風呂に入って!、リラックスできるから」(えっ?なんで?)


ダリアに言われるままに、素っ裸で浴槽につかるロベルト。

ダリアはそんなロベルトの肩を色気ムンムンで、マッサージしていく。


そんなダリアの胸元が気になりはじめるロベルトは、人差し指が伸びていき、その先端のスイッチをチョン!


「いやん!やめてよ、ロベルト!」でもダリアは嬉しそう。(嫌よ嫌よも好きよ内)


もう一度、スイッチをチョン!と押せば、もう完全にムラムラ・スイッチは点火状態。



次の瞬間、浴槽の中で絡み合いながら、「あは~ん、うふ~ん」(犯人の事やら、殺人の事やら、もう遠い昔の出来事のようである)





映画はこの後もドンドン変な展開へとなだれ込んでいくのだが、これ以上は語るまい。(本当に初めて観た時は、あまりの予想を裏切り続ける展開に、唖然、呆然で、最後まで口あんぐり状態。観ていない人の為にも、これ以上のネタバレは止めておきましょう)




この映画をどう思うかって?



大好きですよ。



こんなヘンテコな映画、アルジェントじゃなきゃ撮れないでしょ!



サスペンス、コメディー、エロティック、変態、トンデモ科学捜査が混合していて、コレは映画史に残る傑作(いや、異色作)なんじゃないだろうか。


両手を挙げて、「恐れ入りました!」と私は降伏します。


星☆☆☆☆☆。

ヘンテコもここまで極めれば御立派なもんです。(なんて褒め方だ (笑) )

2019年4月22日月曜日

映画 「レベッカ」

1940年 アメリカ。






ヒッチコックがイギリスから渡米後、初めてアメリカで撮った映画。


原作は、ダフニ・デュ・モーリエ。


イギリス時代にデュ・モーリエの作品、埋もれた青春(映画名では『巌窟の野獣』)を撮っていたが、失敗している。



ハリウッドの名プロデューサー、セルズニックは既に、前年に大作『風と共に去りぬ』で大成功をおさめていた。


そのセルズニックに呼ばれ、あれこれ口出しされながら、耐え忍び、相当なプレッシャーを与えられていたはず。


「絶対に成功させて、いつか必ず、誰にも口出しされずに、自由に映画を撮ってやるんだ!」

そんなヒッチコックの意気込みが感じられる映画であります。






主人公【わたし】はモンテカルロに来ていた。(※主人公に名前はない。原作者は映画化に向けて『ダフネ』とつけたかったらしいが、セルズニックが却下した。演じるのはジョーン・フォンティン


両親は既に亡くなり、身寄りのない【わたし】は、生計をたてるために、裕福なイーデス・ホッパー夫人の話し相手&身の回りの世話係として雇われていた。


このモンテカルロの旅行も、もちろん、ホッパー夫人の付き添いである。




そして、つかの間の休み時間…ホッパー夫人が昼寝の間、【わたし】は、泊まっているホテルのそばを散歩しに出かけたのだった。

ホテルは海のそばにあり、近くで波の音も聞こえてくる。



しばらく歩くと、崖の上に立っている男の姿が目に入ってきた。

男は真下の海をずっと見つめている。



そして、吸い込まれるように1歩を踏み出した。

「だめよ!」

【わたし】はいつの間にか叫んでいた。



その声に男もハッ!として我に返ったようだった。

「何をしてるんだ?、」男が逆に【わたし】に問いかけてきた。

「あの、散歩を……」

「じゃ、その散歩とやらを続けたまえ!」



【わたし】は一目散にホテルへ向けて駆け出した。後ろに男の視線を感じながら…。


(何だったんだろう…あの思い詰めた表情は…)その出会いは、なぜか【わたし】に印象づけたのだった。



ホテルに帰りつくと、ホッパー夫人が、既に昼寝から起きていて、ホテルのロビーにいた。



そして、しばらくするとさっきの男がロビーに現れた。

「まぁ、あれはマキシム・ド・ウインターじゃないの?」ホッパー夫人が男を見て叫んだ。



『マキシム・ド・ウインター』 (ローレンス・オリヴィエ)……イギリスで一番の大富豪。広大な屋敷『マンダレイ』に住んでいる。1年前に妻のレベッカを亡くしたばかりで、ただいま独身である。



ホッパー夫人は、ハンサムなマキシムの登場に浮き足立つと、自ら声をかけて、自分たちのテーブルに座らせた。



そして、立て板に水のごとくホッパー夫人のお喋りは続いた。


だが、マキシムは、そんな話に興味がないのか……目の前の【わたし】をじっと見ている。



ホッパー夫人の横で【わたし】は、只、おどおどしているばかりだった。



しばらくして、マキシムが席を立ち行ってしまうと、意気揚々としたホッパー夫人が言い出した。


「彼を誰かが慰めてあげなければね。そうだわ! 私が手紙を書いて、フロント係に届けさせましょう! きっと私なら支えになれるはずよ!」

ホッパー夫人は自信満々だ。



だが、マキシムが興味をもったのは【わたし】だった。





次の日テニスに誘われた。そして次の日も、次の日も……。


ホッパー夫人に隠れて逢瀬を、繰り返しながらも【わたし】の心は弾んでいた。



ホッパー夫人には、「またテニス?ウインブルドンにでも出るつもりなの?」と、散々嫌味を言われながらも、【わたし】は、いつしかマキシムを慕いはじめていたのだ。



(ずっとこんな日が続けばいいのに……)




だが、別れは突然やって来た。

いきなりホッパー夫人が、「ニューヨークに行くわよ!」と言い出したのだ。


カジノにも飽きて、マキシムからも音沙汰なし。この地に、とうとう見切りをつけたのだ。


「さあ、早く支度しなさい!」

【わたし】は動揺した。たぶんここを去れば2度とマキシムとも会えなくなってしまう。ならば別れの挨拶だけでもしたい。



【わたし】はホッパー夫人の隙をみて、マキシムの部屋を訪ねた。


オロオロしている【わたし】は事情をなんとか説明すると、マキシムは落ちついて切り出した。


「結婚しよう」と。

【わたし】は突然の提案にビックリした。マキシムはボーイに言い付けて、ホッパー夫人を自分の部屋に呼び寄せた。



浮かれて入ってきたホッパー夫人に、マキシムが説明すると、ホッパー夫人の顔つきが、みるみると変わりはじめ、醜悪なものになっていった。



マキシムが着替えのためにいなくなると、【わたし】とホッパー夫人が取り残された。

そして、嫌味が炸裂する。


「よくも裏切ってくれたわね! 泥棒猫のようにコソコソと。『ド・ウインター夫人』ですって?!あなたが?! マンダレイのような広い大邸宅を、貴女のような育ちの人間が仕切っていけるのかしらね」


なんと言われようと言いわけはできない。黙っている【わたし】に、ホッパー夫人は、

「まぁ、せいぜい頑張って頂戴ね、『ド・ウインターの奥様』!」と言いながら立ち去っていった。




マキシムと【わたし】は、そのままモンテカルロで挙式をあげた。




そして、イギリスに帰りつくとマンダレイへと向かって車を走らせた。



走る車の中で、マンダレイが近づくにつれて、【わたし】に緊張感が迫ってくる。


(ホッパー夫人の言った通りだ……わたしにマンダレイの女主人がつとまるだろうか……)



二人が乗る車を、近づけないように雨は、どしゃ降りの様相へと変わっていった。

ずぶ濡れになりながら、それでも到着した『マンダレイ』



玄関を抜けると何百人もの使用人たちが、出迎えてくれた。

「これは一体どういう事なんだ?こんな大袈裟な…」


マキシムが執事に尋ねると、

「全てはダンヴァースの指示でございます」と答えが返ってきた。




使用人の中から、一人の女性が、前に1歩進み出た。



ダンヴァース……前妻のレベッカと一緒にやって来た使用人。レベッカが亡くなった後も、このマンダレイに残り続け、全てを取り仕切っている。

背筋はピン!と伸びきり、キチンとした身なり。一点の曇りもない佇まい。

顔は氷のように冷たい表情をしている。



「あの、何も分からない事ばかりで迷惑をかけるでしょうが…よろしくお願いします」



【わたし】がオドオドして挨拶すると、ダンヴァースは値踏みでもするように、ジロリと見回し、「よろしく」とだけ答えたのだった……。





この後は、ご想像のようにダンヴァースが、オドオドした【わたし】(ジョーン・フォンティン)をネチネチとイビリながら、前妻のレベッカの死の謎が解き明かされていくのだが………。



それにしても、ここまで書きながら思ったのだが、外国のゴシックロマンって、どう見ても、日本の嫁姑ドラマに似ている。


気の弱い主人公の女性を、中年女性たちが、ネチネチといびる様は、橋田壽賀子ドラマにソックリだ。


外国でも、こんな映画が、受けるのであれば、案外『渡る世間は鬼ばかり』も、女性たちに受け入れられるかもしれない。





またもや、妙な脱線をしたが、この『レベッカ』は成功した。


アカデミー作品賞まで受賞した。



ヒッチコック作品では唯一の受賞だが、「あれはセルズニックに与えられた賞だから」と後年、ヒッチコックは歯牙にもかけなかった。



それでもこの成功が、後に次々と発表される傑作たちの足掛かりになったのだ、と思えば感慨深い。


ジョーン・フォンティンも、それまで姉のオリヴィア・デ・ハヴィランドの影に隠れていたが、これで一挙にスターダムの階段をかけ上がる。



それにしても、このフォンティンのオドオドした演技は、ほとんど素に近い。


何しろヒッチコックの指示で、スタッフ全員に「冷たくしろ!」とのお達しがあったのだから。

それゆえ、ジョーン・フォンティンにとっては、映画も現実もつまはじきにされ、地獄だったと思えるのである。

星☆☆☆☆

2019年4月20日土曜日

映画 「眼には眼を」

1957年 フランス、イタリア合作。








様々なミステリーサスペンス映画では、常に上位にランクされるのに、なぜかずっと不遇な扱いをされていた、この『眼には眼を』。


近年やっとこさDVD化されて、約30年越しで観ることが叶いました。




主演はクルト・ユルゲンス

知ってる人は少ないかなぁ~。



ドイツの俳優さんで、ブリジット・バルドーの『素直な悪女』などにも出演している。


有名どころでは、ロジャー・ムーアの007『私を愛したスパイ』の敵役ストロンバーグを演じていたと言えば、「あ〜あの人!」って顔が浮かびやすいかな?




それにしても、この映画でのクルト・ユルゲンスは、既に、だいぶ老けて見える。(この時はまだ40代のはず)



額は広くて、後ろに撫で付けている髪は、もう若干薄いような……

眼の下の隈も、もの凄いし、法令線の皺だって……




厳しい顔つきのクルト・ユルゲンス。




ドイツに生まれたユルゲンスは新聞記者をしていたが、最初の妻に俳優を志すように勧められて転身した。


やがて舞台や映画で頭角をあらわした頃、戦争。


ドイツ人だが、ナチに反発して強制収容所送りになる。


戦後に解放されると、急いでオーストリア国籍をとり映画界に復帰。


そして、数年後、この映画の主演のチャンスが、やっとまわってきたのだ。



人生、山あり 谷あり……


そんな状況がクルト・ユルゲンスの風貌をつくりあげたと思うと、なんだか感慨深く観はじめた『眼には眼を』なのでございました。






『ヴァルテル』(クルト・ユルゲンス)は、中東の病院に勤めるフランスの医師だ。



四方を巨大な砂漠に囲まれいて、ポツポツと家がある中、そんな場所にも大勢の人々は住んでいる。


ヴァルテルの勤める病院は、医者や病院の数の少なさから、連日大忙し。




今日も帰る間際に重体の患者が運ばれてきて、なんとか処置をすると、やっと帰宅。


家は、いくつものテナントハウスが並んでいて、その一つを間借りしていた。



管理人部屋では、ちょうど祈りの時間帯なのか?管理人が絨毯をしいて、ひれ伏して祈りを捧げている。



邪魔をしないように、そっと鍵をとると、そのまま自分のハウスへ……。



シャワーを浴びてひと息。好きな音楽を聴きながら、やっと平穏な時間…………が、きたかと思いきや、それを邪魔する電話が!




電話は管理人からで、

「管理人室に男が来ていて、奥さんが具合が悪いそうで……どうしても先生に見てほしいそうなんですが…」だった。



(またか……)

至福の時間までも邪魔されて、さすがにイラっとなっているヴァルテル。



「病院には夜間勤務がいますから見てもらいなさい。病院までの道順を教えますから」


ヴァルテルはそれだけ言うと、(あ〜これでこの話は終わり!)とばかりに電話を切った。





次の日、ヴァルテルが病院に着くと、若い医師のマチックが(ドヨ〜ン)と落ち込んでいる。



昨夜、連れてこられた患者が亡くなったというのだ。



「子宮外妊娠でした……」


マチックは、医師としての自分の未熟さを責めている。


「……君のせいじゃないさ」ヴァルテルは慰めた。




ヴァルテルが霊安室に行くと、若い女性が寝かされていた。




(しょうがないじゃないか……俺の責任じゃない。たまたま運が悪かったんだ……)





その日、仕事を終えて、夜半に車で帰宅するヴァルテルは、道端に放置されている一台の車を見つけた。


(昨日、管理人室に訪ねて来た男の車じゃないか?)



無人の車には『E・ボルタク所有』の名前が刻まれている。


ヴァルテルは、それだけ見ると、自分の車に乗り込んで、さっさと帰宅した。





そうして、帰宅して、しばらくすると鳴り始める電話。


「どちら様?」

ヴァルテルが尋ねても、相手は無言で一向にしゃべらない。


(イタズラ電話か?)


その無言電話は一晩中、何度も何度もかかってきた。



「いい加減にしろ!」

しまいには怒鳴り付けるヴァルテル。


(もしかして……あの死んだ女の旦那、『ボルタク』という男の嫌がらせなのか……?)






次の朝、病院に着くと昨日道端にあった、あの車が止まっている。



『ボルタク』(フォルコ・ルリ)が病院へ遺品を受け取りにやってきたのだ。




ボルタクが車に乗り込む姿を、じっと病室の窓辺から伺っているヴァルテル。



そんなボルタクの乗り込んだ車のサイドミラーには、ヴァルテルの姿が映りこんでいた。




その異様な目線に気づいたのか……


何か言いようもない不気味さを感じたヴァルテルは、慌てて部屋のカーテンを閉めるのだった………






妻が亡くなっても、決して泣き叫んだり、騒いだりしない、この男『ボルテク』……この男の真意が、ヴァルテルだけじゃなく、観ている我々もまるでつかめない。




その分だけ、ヴァルテルの良心の呵責が伝わってくる。


そんな不気味さ漂う冒頭のプロローグなのである。






この映画は、その評判どおり傑作でございました。





この後、案の定、ボルタクがヴァルテルに復讐する展開になるのだが………急がず騒がず、淡々と………




まるで日常、どこにでも起こり得るようなアクシデントの様相で、ゆっくりと、真綿で首を絞めるように行われていく。(怖っ!)




それが、かえってヴァルテルを徐々に苛立たせて、疲れさせていく。


観ているコチラも、そんなヴァルテルの張り詰めた緊張感が伝わってくる。






しまいには、さすがに気の毒になってきて、


「ヒィーーーッ!もう、許してあげてちょうだいな!勘弁してあげてくださいな!」



と、擁護したくなってくるほど。





それでも、監督のアンドレ・カイヤットは、そんな外野の声に耳を傾ける様子はないし、手を抜かない。




妥協を許さず、『ヴァルテル』(クルト・ユルゲンス)を、精神的にも肉体的にも

「これでもか!これでもか!」

と、痛めつけて、さらに追い込んでゆくのだ。(この監督のサドっ気ときたら)





もう、ズタボロのユルゲンスが、ただただ可哀想なのでございます。




…………でも、痛めつけられながらも、段々と妙な感じの色気を振りまきはじめるユルゲンス。



コレはいったい、どういう事なんでしょ?(この人の本質がマゾなのか?)




ユルゲンスが痛めつけられるほど、なぜか?変に興奮してくるという……(変態か (笑) )




サド心を刺激されて、妙に心に残る映画なのでございました。(ユルゲンスには、本当に気の毒なんだけどね (笑) )



星☆☆☆☆。


※アンドレ・カイヤットの映画は日本では、まだまだ不遇の扱い。


これを期に、他の映画もDVD化されることを望みたい。(セバスチャン・ジャプリゾ原作の『シンデレラの罠』。これもアンドレ・カイヤットの作品だと、最近知った次第である。その昔、小説を読んだ私は、映画の方も是非観たいと願う一本なのだ。)




メーカー様、《アンドレ・カイヤット》の名前を、どうか忘れないでね。


2019年4月16日火曜日

ドラマ 「江戸川乱歩の美女シリーズ『天知茂版』」

1977年~1985年。〈全25作〉








北大路欣也版や西郷輝彦版もあるが、ピンとこない。



やはり《明智小五郎》=《天知茂なのだ。




の字の眉が二つ並び、その眉間の下に、クッキリと浮かび上がる横シワ(縦じゃない)が、この人の特徴。



そうして、鋭い三白眼が、こちら側を射ぬくように見つめてくる。


低音ボイスと相まって、知的、クールさを一層漂わせている。




昔の人って、何故?こんな雰囲気を自然に醸し出せるんだろう?




天知茂は54歳で亡くなった。



自分も50をとっくに過ぎたのに、ダンディーさや、クールさの欠片さえ身に付かないのは何故なんだ~!


育った時代の違いなのか?

それとも教養や博識の無さ?(それなら分からない事はない)


とにかく生きていらしたら、本人に会って、1度ご教授願いたかった。






話が、最初から脱線しっぱなしだが、この『江戸川乱歩の美女シリーズ』も夢中になって観てました。


天知茂の明智小五郎は勿論だが、助手の文代役のボーイッシュな五十嵐めぐみ、小林少年役の柏原貴




3人のバランスも釣り合いがとれていて、とても良かった気がする。(第1作目だけ大和田獏大が小林少年を演じている。)


この3人のトリオは好評だったんだろうか? 19作まで続いた。




その後、文代と小林少年が変わってしまったのは、ちと残念。


これ以降では、高見知佳藤吉久美子小野田真之などが演じたが、なんだか、あまりパッとしなくて薄い印象だ。(やけに、高見知佳天知茂に向かって《禁煙!》を強要してたのは覚えてるけど)






そして、忘れちゃならないのが、浪越警部役の荒井注




明智の助けを借りに探偵事務所にやって来ては、とぼけた味をみせてくれる。




荒井注 …… ドリフの全盛期を支えた人。


ドリフターズ時代の荒井注を覚えているのも、自分の世代でギリギリかもしれない。


荒井注が脱退したおかげで、志村けんがドリフに入れたわけで、それがなければこの後、どんな風にお笑いの歴史が変わっていたのやら …… 。



とにかく荒井注は面白かった!



志村けんみたいに大袈裟に振る舞わなくても、何かボソッと「何だ、バカヤロー!」と毒ついたりするだけで、場内から爆笑が起きていた。



姿、形、身ぶり、口調、もう存在自体がオカシイのだ。



こんな人物をドリフを辞めたからといってテレビ界が干すはずがない。



美女シリーズにやって来た荒井注は、ニヒルな天知茂と対比して、ヒョウヒョウとした警部を喜んで演じていた。


登場は2作目からだったが、天知茂とのコンビで25作までを最後まで好演した。






そして、そして、美女シリーズといえば、井上梅次監督を語らないわけにはいかない。



この人が、この美女シリーズのほとんどの骨格をつくったと言ってもいい。


脚本には、明智が最後に謎解きを語るだけだったのを、「それだけじゃ、ツマラナイ」と変装を解くシーンをつけ加えて考えたのは、この人なのだ。



かつらをとり、揉み上げの毛をはずし、口髭をとる。

ゴムマスクをゆっくりと剥がしていけば、そこには明智の顔が …… 。


そして、変装の衣装を、一瞬で《パッ!》と取り去る。



ジャジャアーーーン!


一同唖然の中、颯爽と『明智小五郎』(天知茂)登場!!





井上梅次監督……「どうやったら視聴者を釘付けにできるか?、楽しませる事ができるか?」そればかりを考えた人だった。



必ず、番組中盤には視聴者を飽きさせないように、お色気シーンを入れてくれる。


女優たちの入浴シーンやヌードが、話の本筋に関係ないといえばそれまでだけど、偶然チャンネルを変えた視聴者(主に男性ね)は、「おおっ!」と、一瞬で飛びつき目が離せなくなる。



男どものスケベ心を満足させといて、同時にハラハラドキドキの謎に上手く導いて行くやり方は、やはり職人中の職人技。



これぞ、名監督といえるだろう。





この美女シリーズ、どれもこれも面白いのだが、私が印象に残っているのは以下の通り。




●第2作 「浴室の美女」……『魔術師』と呼ばれる西村晃(二代目水戸黄門さま)が、いくつも並べられた仮面と一緒に壁から顔をだす姿は、超不気味。鳥肌ものである。






●第9作 「赤いさそりの美女」……興奮すると顔面に、赤いさそりの痣が浮かび上がる女の悲劇。(どんな体質なんだ)

その痣を見て逃げ出す男もいれば、自分も同じように、自ら、顔にさそりの入れ墨をいれる男もいる。(人それぞれ)




●第10作 「大時計の美女」……謎の美女、結城しのぶが、とにかくお綺麗✨。



夜ごと現れる奇怪な老婆の幽霊に、取り乱して大騒ぎするグータラ男、溝内正(水戸黄門の格さん)が超おかしい。(笑)




●第12作 「エマニエルの美女」……妖艶な夏樹陽子が、男をとっかえ、ひっかえ次から次に濃厚なベッドシーンを演じてくれる。

元フォーリーブスの若い江木俊夫との、お風呂場でのエロシーンは必見!


こんな女なれど、只のカマキリに怯えて、騒ぐ様子はちょっと滑稽。


明智を縛り上げてSMチックにいたぶるシーンもあったりして、サービス満点である。





●第17作 「天国と地獄の美女」…… 美女シリーズ最長の150分。

これはお正月特番として1月2日放送。(新年から、こんなのが放送されていたのだ。なんて良い時代だ)




叶和貴子が惜しげもなくヌードになったりして、こりゃ「新年早々、縁起の良いモノを拝ませてもらいましたー!」と大感謝。



伊東四朗が、夢のパノラマ島建設のために、そっくりな大富豪にすり変わるため、片目を失明させるシーンなどは背筋も凍るほど怖い。



おそらく、これが美女シリーズの集大成になるんじゃないだろうか。






と、まあ、こんな具合である。(他にも盛り沢山)



興味ある方は、どうぞご覧ください。




ただし中毒性あり。


1度この世界にハマったあなたは、きっと、もう逃れられないはずである。……フッ、フッ、フッ(笑)



星☆☆☆☆☆。


※昭和のエログロドラマ 、 やっぱり面白いよね。

2019年4月15日月曜日

ドラマ 「加山雄三のブラックジャック」

1981年1月~4月。







今まで、真面目なブログだと思ってた方は、突然、こんなのが出てきて「えっ?」と思ったんじゃないだろうか。


でも、その昔、なぜか、観ていて凄い印象に残っていたのですよ。




なんだか、夜遅い時間に放映されていて、親とたまたま一緒に観ていた記憶がある。




もちろん、漫画のブラックジャックは、読んでいたが、ブラウン菅の奥から突然始まった、このドラマには、当時戦慄し、度肝を抜かれた。




OP、派手な音楽にのって、どぎついメイクをした踊り子のオネエさんたちが現れたと思ったら、前衛的な踊り。(まるで安いストリップ・ショー)



そして、その奥、ドライアイスの霧に包まれたブラックジャックがボンヤリと現れる。(「えっ?誰?」と一瞬思うくらい、ブラックジャックに扮した加山雄三



長いマントの後ろ姿。

斜に構えた傷痕の顔をチラリと見せて、


「この世に果たしてロマンはあるか?人生を彩る愛はあるのか?」


と問いかける。(??)



そして、マントをひるがえすと、タイトルが、ジャージャーン!と我々に迫ってくる。



加山雄三のブラックジャック



もう、これだけで掴みはO.K.!



子供心に、「なんだかトンデモないものが始まった!……そして、見てはいけないものを見てしまった!」と少年だった自分は目が釘づけになってしまった。




このブラックジャック、脚本家がジェームス三木だけあって、原作を大胆に(好き放題に)アレンジしている。




昼間は画廊を営む、平凡な板東次郎なる人物。

だが、夜になればブラックジャックに変身する。



なんていうぐあいに、複雑な二重生活をしているのだ。




原作ではピノコとの、たった二人暮らしの生活なのだが、その二重生活の設定ゆえに、自然に他の人物たちとの関わりも増えてくる。




昼間の画廊では、秘書のケイコ(秋吉久美子)を雇い、板東が留守や長期の出張の時(ブラックジャックになってる時)は、暇な画廊の接客、電話番をさせている。


「もぉー!社長ったら、いつもいつも肝心の時にいなくなるんだから!」とケイコは毎度ぶつくさ。(そりゃ、そうだろ。依頼人の手術をしてるんだから)



そんな画廊を、ちょくちょく訪ねて、ひまつぶしに遊びに来る警察庁の倉持警部(藤岡琢也)。


「ちょいとお邪魔するよ~」と言っては、板東の知り合いの特権で、ただのコーヒー飲みたさにやって来る。





ブラックジャック逮捕に燃えながらも、いつも尾行を撒かれたりしては、ケイコ相手に、こちらも愚痴をぶつくさ。(藤岡琢也の風貌からなのか、一目で漫画の中の手塚治虫のキャラクター『ヒゲオヤジ』を想像してしまった)





そして、もうひとつの生活、ブラックジャックの時には、山奥に建つ屋敷に暮らし、ピノコは勿論だが、二人の同居人が存在する。



子供の頃から知るという執事の爺や、遠藤(松村達雄)と助手のケン。



まぁ、この二人、手術の手伝いもするが、画廊に行っている間のピノコの世話係といったところか。(松村達雄の時折出るべらんめぇ調は、ここでも健在)




この改変、原作愛読者からは悪評だったらしいが、自分は特に気にしなかった。


漫画やアニメでは、違和感なくても、このブラックジャックの風貌は、実写になればメチャクチャ違和感だらけだからだ。



半分白髪で、顔には皮膚の色の違う肌、そして縫いあとの傷。

黒マントを羽織った姿は、どうみても異様である。



こんなのが、いきなり、都会や町中の雑踏に現れれば、大騒ぎになるに違いないし、どうみても不審者にしか見えないはずなのだ。


実写で、この姿で、そこら辺を歩き回れば、「あの~ちょっとよろしいでしょうか?」と警察につかまり、頻繁に職務質問されるに決まっている。


だからこそ、こんな仮の姿もアリかも、と納得してしまった。(他の実写もちょこちょこ観たことがあるが、こんな姿の人間、ハロウィンの日でもない限り、「ギョ!」として、とても素通りできるはずがない)




こんな改変して悪評だったブラックジャックだが、原作の有名エピソードを印象つけながら、無理なく消化していると思う。





全13話と短いが、自分が印象に残った回は、第4話「えらばれたマスク」、第10話「灰色の館」、第11話「鬼子母神の息子」、最終話「終電車」だろうか……。




「えらばれたマスク」には、今では、あんな風になってしまった坂上忍がブラックジャックの幼少期を演じている。(今じゃ憎たらしい坂上忍も、この時は別人みたいに可愛らしい)



「灰色の館」なんて、ジャネット八田が、火だるま🔥で焼かれるシーンがあり、今でも恐ろしいトラウマもの。(これ原作も相当に怖い話で読みながらブルブル震えた記憶がある。よく実写化したよ)





「鬼子母神の息子」の松尾嘉代の迫力ある演技と整形後の醜い姿はインパクト大。(これも稀にみる残酷なお話で、捻りのきいたオチに感心した)





「終電車」では、江波杏子のクールで非情なブラッククイーン役も良かった。(ブラッククイーンには、なんとなく優しいブラックジャック)





EDは、これまた、赤や黄色、白、緑とペンキが流れ落ちるインパクト画像に、ヒカシューの『ガラスのダンス』がかかる。(名曲!)





近年のDVD化は素直にありがたい。(第8話だけが大人の諸々の事情により欠番だが)




オドロオドロしいこの独特な雰囲気は、今のテレビではもう観れないし、出せることはないだろう。



興味ある方、怖いもの見たさの方は、どうぞ御覧あれ!


星☆☆☆☆。

2019年4月14日日曜日

映画 「アルカディア」

2017年 アメリカ。






この映画自体、だいぶ前に観ていて、いざ、ここに書き出そうとしても、何から書いてよいのやら……映画と同じでつかみどころのない実態というか。



SFスリラーなんて単純なくくりにしてよいのか、ん~難しさを感じていて、ずっと後回しにしていた感がある。

それでも、時間が経てば経つほど、ムクムクと印象が、たまに甦ってきて、「あ~これは、ただ事ではない映画だったんだ」と思わせてくる。


そんな不思議な映画である。





10年前にカルト教団を脱け出した兄弟が、再び戻ってきた「アルカディア」で体験する、異様で不気味な非日常の物語。



ホラー的要素もたっぷりなのだが、でも、それだけならば、こんな風に余韻を残して、後々まで、惹き付けられはしないだろう。



色々考えてみた。


結局、自分を惹き付けたのは、主演のジャスティン・ベンソンとアーロン・ムーアヘッドの仲の良い兄弟関係なのだ、と思った。



弟アーロン・スミス(アーロン・ムーアヘッド)は、大人になってもどこか幼児性が抜けきれない、子供子供した大人。

子供時代を、現実から隔離されたカルト教団で過ごしていた事もあるが、買い物するためのお金で、教団から送られてきたテープを観るために、勝手にビデオカメラを買ってしまったりする。


兄の髪の毛をバリカンで切るときも、イタズラ心で、ズルンッ!と真ん中を刈り上げたりもする。




普通なら、そんな弟を怒鳴りつけるところだが……。



それでも腹をたてない兄のジャスティン・スミス(ジャスティン・ベンソン)。

弟の粗相を、「しょうがない奴だ」と、軽くサラーッと受け流し、笑うだけ。(なんて人間が、よくできているんだろう。短気な自分なら、とても我慢できないが)

清掃員をしながら、弟の面倒をみて、食費を使い果たした弟に腹もたてずに、カップ麺を、黙ってすする兄の悲哀よ。




そんな弟、里心から、「村に1度帰ってみたい!」と言い出した。

本当は気が進まない、兄のジャスティンだが、それで弟の気がすむならと、


「一晩だけだぞ」

と言い、二人は向かうことにするのだ。(なんて優しい兄貴なんだ)


車で向かいながら、ハシャギ唄う弟に、


「黙れ、お前の歌は聴きたくない」

なんて言いながらも、そんな弟の様子に兄も嬉しそうである。



村に向かう途中、道の曲がり角に、昔、子供の頃に作った記念碑があった。



記念碑の下には、母親と兄弟の似顔絵が額縁に入れられて、きちんと供えてある。


「母さん、ごめんな……あんまり来れなくて。あいつの事はちゃんと面倒みてるから……」

母親に、心配かけないように、ちゃんと報告する兄のジャスティン。(人間が出来すぎてる!)



村に着くと、温かく迎えられた兄弟は、2段ベッドのある部屋を与えられる。



夜、2段ベッドの上で、アーロンが下のジャスティンに話しかける。


「アンナは、きっと僕に気があるんだ」

「そうだな、きっとショタコンなんだろ。モノにしろよ、良い経験になる」


下でジャスティンが呟く。

「性交渉は…」

「寝ろ!」

「女との性交渉…」

「もう、寝ろ!」ジャスティン、ピシャリ!(おかしな兄弟だ)



空中から伸びているロープの綱引き?や死んだ人間が、何度も生き返りを繰り返す不思議な現象はあれど、やはり、この映画の魅力は、この兄弟につきるのだ。



ルイス・キャロルが書いた『不思議の国のアリス』に似ている。



仲の良い兄弟が、迷いこんだ『不思議な村アルカディア』。


弟想いのジャスティンは、アーロンを守りながら、無事に村を脱出できるのだろうか……。




主演の兄弟役を演じているジャスティン・ベンソンとアーロン・ムーアヘッドが、監督、脚本、撮影、制作まで行ってます。



実生活でも、本当に仲が良いのだろう。


こうして二人三脚で、これからも映画を作っていくのだろうか。



これ以前、2014年にも二人して、「モンスター 変身する美女」なんて映画を作っている。(こちらも、またマニアックそうなホラー、イカ人間のお話)


とにかく才能ある、仲の良い二人の映画は、しばらく我々を楽しませてくれるに違いない。


星☆☆☆☆