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2023年7月9日日曜日

ぶらり旅 「《007は2度死ぬ》のロケ地・南さつま市 坊津町秋目に行ってみた!」

 




けっこう、日本中でも有名な場所なんだけど、今の今まで行った事がなくて …… 

まぁ、死ぬまでには、一度は行ってみたい場所でありました。


007シリーズ第5作目の舞台に選ばれたのが《日本》。


007は2度死ぬ』の邦題で公開されたのが1967年。(自分が生まれる一年前だから、もはや半世紀以上が過ぎたのだ)


映画の内容はお世辞にも「傑作!」とは言えない、 トンデモ映画である。


なんせ毛むくじゃらで濃い顔のショーン・コネリーが、漁村で働く《日本人》になりすますのだ。

しかも偽装結婚までしてしまうという。(この理由が今だによ~分からんけど(笑))


↑(ショーン・コネリー(左)とボンドガール若林映子(あきこ)さん(右))


この映画に出てくる、漁村の舞台になったのが、現在の《鹿児島県 南さつま市 坊津町秋目》という場所である。(映画の方では、神戸と上海の間にある架空の島という設定らしい)


で、今回行くルートは指宿市~枕崎市~ …… と九州は最南端、県道226号線を走る事にした。

↑(真下の赤く塗りつぶしたのが226号線ね。そのまま《秋目漁港》辺りを目指して海岸沿いを上がって行く)


でも、枕崎市に来た時、またもや《や〜な予感》がアタマをよぎった。

取りあえず、枕崎で車に給油をして、コンビニでトイレを済ませて、飲み物を買っておいた。


悪い予感は大当たり。


南さつま市に入ってからは行けども行けども、右手には深い緑の山々、左手にはナイフ岩が刺さっているような海ばかりの景色である。(しかも途中、226号線が狭くなる部分もアリ)


道路端にはコンビニはおろか、自販機すらも見当たらない。(ガソリン・スタンドなんてあるわけもないのだ)

道路だけが延々続いていて、人っ子一人すら見当たらない。

民家すらも見えてこない。


たまに家を見つけても、こんな有り様である。(酷いな、コリャ)


(こんな酷いルートを通って、外国人たちがわざわざ観光にやって来るのか? …… )


そんな事を思いながら、我慢して車を走らせる事、数十分 ……


いきなり、コレ が現れた!(ヤバい!気づかずに通り過ぎるとこだった)



分かりづらいだろうが、記念碑の中央上には、当時の007プロデューサー、アルバート・R・ブロッコリのサイン。

左下がショーン・コネリー、その右が丹波哲郎さんのサインである。




かつての撮影時の漁港の風景、そうして漁港の上空を飛んでいるオートジャイロのシーンである。



この記念碑は1990年に秋目の青年たちのつくる会《清風会》によって建立されたそうな。

下の英文はブロッコリ氏の英文証明である。


《清風会》、今じゃ、そんな若者たちがどれだけ残っているのやら …… 


記念碑のあるココから漁港を見れば、家みたいなモノが1、2件見えるだけだ。(秋目峠といわれる山道も深い樹木に覆われて見えやしない)


多分、山を背にした後ろ側には、かつて家々がズラリと並んでいただろうに、すっかり緑に覆われてしまっている。(そんなジャングルのような茂みの中に、家などは残っているのだろうか?)


近くまで行くと、男二人が草刈機で道端の草を刈っていた。(ここへ来てやっと人間発見である(笑))


でも、漁港が動いている様子は全くない。


まぁ、船が何隻か停まってるんで、人はいるんだろうけど(赤矢印が、さっきの記念碑があった場所である)


でも、「見るべきものは、もう見た!」って感じ。(相変わらず自販機すらも無し)


このまま226号線を上昇して帰る事に決めた私。


しばらく走ると美術館なるモノが、ポツンとあっただけ。(なんでこんな所に、突然《美術館》が?)

そこからは明けても暮れても、ずっと樹木と海ばかりの景色である。


グルリと周りきって《片浦漁港》に差し掛かった時、226号線が右手に折れるような場所があった。

そこまでくればバス停があり、人家や施設などの建物がちょこちょこ見え始めてくる。


そうして、226号線の道路がいきなり広くなりニュー・ルートとして改装されはじめていた。


(オッ!コレはもしかして …… )


海から高い位置に 大陸橋 も建設中で、トンネル工事までも、着々と進行中である。(後、もう少しで完成ってとこ)


もしや、コレは観光客を呼び込む為の一大道路工事やってるのじゃないのか?!


だとすると、記念碑だけでなく、そのうち007記念館なんてのも作られたりして ……(夢みたいな願望)


記念館には、オートジャイロの原寸大模型や、当時の坊津町秋目のミニチュア版を作って展示しても良し。


撮影時の写真を特大パネル画にして飾ってもいい。(後、ショーン・コネリーの原寸マネキン・フィギュアがあれば言う事なしかも)


勝手に夢は膨らむばかりである。


そうなれば外国からもジャンジャン観光客がやって来て、この寂れた漁港が、一転、新名所として大変貌するやもしれない。


こんな夢みたいな事を考えながら、南さつま市を後にした私なのでした。


※それにしても、片浦漁港から周りこんだ海沿いにも、島なのかナイフ岩なのか分からないようなモノが、あちこちで突起して見えている。


この地形、上空から見れば、さぞや異質で変わって見えるだろうよ。


プロデューサー、アルバート・R・ブロッコリさんも、ココをロケ地に選ぶはずだわ。

2019年10月18日金曜日

映画 「SOS北極…赤いテント」

1969年 ソビエト(ロシア)・イタリア合作。



『ピーター・フィンチ』は不遇の俳優である。






いきなり現れたこの名前に「誰?それ?」と思う人もいるかもしれない。





多分、現代では、その名を知る人さえも多くはないはずだ。


かくいう自分も名前だけは、頭の片隅にあっても出演作品といえば、遠い大昔に、オードリー・ヘプバーン主演の『尼僧物語』で見かけたくらいの記憶しかない。



この映画を、今回観るまでは、とんと忘れていたくらいだ。


日本では、その存在さえも無視されている気がする。



あの名優ローレンス・オリヴィエに、その演技力の才能を見いだされるも、ずっと芽が出ずに、果てはローレンスの妻のヴィヴィアン・リーと(一時の気の迷いなのか?)火遊びで不倫関係。(あらら……)


そういえば、どことなく顔立ちは、若い頃のローレンス・オリヴィエに似てなくもない。


整ったイギリス人でハンサムな顔立ちをしている。(ゆえにヴィヴィアン・リーもよろめいたのか?)


英国アカデミー賞では、何度も主演男優賞をとっているのに、その作品は興行的には、成功したとはいえず主演した『失われた地平線』は大赤字、大惨敗。


それでも後年、1976年の『ネットワーク』での熱演が認められて、やっと、アメリカのアカデミー賞にノミネートされるも、呆気なく亡くなってしまう。



ピーター・フィンチの死後に、アカデミー賞主演男優賞を贈られたらしいが、………それでも、死後の受賞とは、このうえなくツイてない人生。





そんなピーター・フィンチが出ている『SOS北極…赤いテント』を観た。





幻の作品と呼ばれていて、近年DVD化されたのだが、DVDではタイトルが『SOS北極 レッド・テント』に変えられている。



オマケに、公開された当時は国際版の120分ぐらいのもので、音楽も、あのエンニオ・モリコーネ(『ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽を手がけた)だったのだが、DVDは、ロシア版の150分で左右がちょんぎられている4:3のスタンダード・サイズ。


音楽までもロシア用に変えられている。(国際版も観てみたいものだが……)




で、DVDパッケージを見れば、


レ・レ・レ……??


主演がショーン・コネリーになっていますぞ!?


その下に、美人女優クラウディア・カルディナーレ。


そして、3番手にやっとピーター・フィンチの名前が挙がっている。



でも映画を観れば、主演はピーター・フィンチ演じるノビレ将軍なのは、明らかなのに………。(ショーン・コネリーなんて映画が始まって1時間くらいしないと出てこないのにねぇ~)



まぁ、しょうがないか………。



1969年といえば、ショーン・コネリーの絶頂期。


1967年の『007は2度死ぬ』と1971年の『007 ダイヤモンドは永遠に』に、ちょうど挟まれている、この映画も、名前もあまり知られていないピーター・フィンチよりは、メジャーなショーン・コネリーを前に打ち出した方が、観客も呼び込めるというものだ。



そんな興行会社の思惑が、ありありと分かるようなパッケージである。



で、前置きをグダグダ書いていたが、映画は実話を下敷きにしていて、それなりに良くできてる。(でも、DVDのユラユラ揺れるような映りには、イライラさせられるが。これどうにかならなかったのか?)







1926年、最初の飛行船による横断を成功させた『ノビレ』(ピーター・フィンチ)。


そして、次なる2号目『イタリア号』と名付けられた飛行船が、将軍となったノビレと16名の乗組員を乗せて、北極点を向けて出発する。


が、案の定、飛行船は遭難し、何人かの乗組員たちは亡くなり、生き残った数名が目印になる『赤いテント』を張って救助を待つ、っていうのが大体のあらすじ。(助けに船で救助に向かうのが、『アムンゼン』(ショーン・コネリー)なのだが、ミイラ取りがミイラになってしまい、あんまり活躍しない。だからショーン・コネリー目当ての人はガックリするかも)




映画の導入部が凝っていて、いきなり、その事件から40年後の世界。




無事に生還できたノビレが、年老いた姿で、自宅のベットに横たわっている。



「裁判……裁判」と、何やら、寝床に入っていても、ノビレの耳にだけ不安をかきたてるような声が、どこからか聴こえてきて、なかなか寝付けない。



仕方なくベットから這い起きて、バルコニーが見えるリビングにやって来ると、そこには昔、あの事件で亡くなった人物たちが、その当時の姿のままで突然現れた。(幽霊?)



そして、クラウディア・カルディナーレの姿も。(とっくに死んでるの?)



そんな幽霊に怯える事なく、ピーター・フィンチ扮するノビレは、着替えをするために奥の部屋にさっさと引っ込んでいった。



そうして、奥から戻ってくると……。



な、なんと!



ノビレ自身も、当時の姿のように若返り、軍服に身を包んで現れたのであった!(ビックリ!)


こうして、時は、一気にさかのぼって、1928年の世界になるのだが……、このあたりの導入部にスル~と入っていく様子に感心しきり。



こうして映画は、リビングで死者たちに囲まれた、ノビレの証言を元に、裁判でもするかのように、当時の状況をはさみながら、進んでいくのである。




面白かった!


でも、このカメラの揺れる画質の悪さとスタンダード・サイズは何とかならなかったものか。


話は傑作なのに、視聴するにはかなりの忍耐が必要かも。



シネスコ・サイズで画質の良いBlu-rayを期待しつつ、星☆☆☆☆である。

ピーター・フィンチは、なかなかの名優ですよ。


2019年6月23日日曜日

映画 「007 ダイヤモンドは永遠に」

1971年 イギリス。







ガイ・ハミルトン監督の『レモ / 第1の挑戦』を書いて、ショーン・コネリーの事を書いたら、次は、当然、「007」だろう。




傑作と呼ばれてる『ロシアより愛をこめて』?

第1作目の『ドクターノオ』?

それとも『ゴールドフィンガー』?



あんまり、それらには食指は動かず …… 



ショーン・コネリーの007ものでは、この『ダイヤモンドは永遠に』が一番好きかもしれない。




いったんボンド役を降りたショーン・コネリーが復帰。



前作のジョージ・レーゼンビーがコケてしまい、再度白羽の矢が立った。


破格のギャラを受け取ってボンドに返り咲き大成功を収める。




再び、007人気を復活させたのだった。
(このジョージ・レーゼンビー、スタッフ受けも最悪だったらしい。撮影中も散々、威張り散らしていて……、そのわりには、興行成績もダメダメ。案の定、映画界から消え去っていった。)


戻ってきたボンドは、もちろん敵に対しての非情さは、以前と変わらないのだが。



ん?どこか前と違ってみえるぞ!






日本やカイロに飛び、『ジェームス・ボンド』(ショーン・コネリー)は、やっと宿敵『プロフェルド』(チャールズ・グレイ)の居所をつきとめた。


プロフェルドは、自身の影武者を作り上げるために、秘密の手術室で製造中。


そこには、何故か?泥の沼や、グツグツと煮たたる沼なんてのもある。(ほんとに何故?こんな変な場所で、わざわざ整形するんだろう。今、考えてもおかしい)



そこに潜入したボンド。


泥の沼からピストルで狙う敵には、さらに泥を流して、簡単に溺れ死にさせる。(泥の中に隠れて待ち伏せしてるなんて、アンポンタンな敵である)



そこへ、

「待ってたよ、ボンド君」

二人の部下を従えて、プロフェルドが、颯爽と登場。



部下は、ピストルでボンドに照準を合わせている。(さっさと撃てばいいのに、何故かノンビリしている部下たち)


ボンドは仕方なく両手を上げて、やれやれ、のポーズ。


プロフェルドの部下が、ボンドから武器を取り上げようと、懐を探ると、

「ギャアァーッ!」の悲鳴。

鋭利な刃のついたネズミ取りに、手を挟まれてのたうち回りだした。


その隙に、ボンドは手術台のメスを手に取ると、手裏剣の如く「えい!、やぁ!」と、次々投げて、相手を絶命させる。



そして、残ったプロフェルドを、手術台にグルグル巻きに縛り上げると、ベットごと、グツグツと煮たっている沼へ、容赦なく投げ込んだのだった。


「地獄の釜へ、ようこそ!」


ボンドの決めセリフと共に、憐れプロフェルドは、沼深く沈んでいったのだった……。







と、ここまでが、最初のオープニング。



この後、シャーリー・バッシーの高らかな声で、主題歌が流れるのだが、こうやって文章におこしても、今更ながら、「ぷっ!」と吹き出しそうになるくらい変な映画である。



でも、このバカバカしい珍妙さこそが、007映画なのだ。




ショーン・コネリーも第1作目から、それは充分に分かって演じていた。



でも、まだ、まだ、無名の新人。



文句なんか言えるはずもない。
(やりたくなくても、やらねばなるまい!)



海から出てくる陳腐な模型、火を吹く怪物に、(バカバカしいと思いながらも)逃げまどいながら演じた『ドクターノオ』。



(もう、これで終わりだろうよ ……)とも思っていても、映画は予期せぬヒットになって続編が続けざまに作られていく。



2作目、3作目、4作目、5作目、と続いていき ……



(俺はいつまで、こんなアホなシリーズ続けているんだ…)と、やりきれない日々。




それは、映画を観ている我々にも、充分すぎるほど伝わってきた。




特に日本で撮影した『007は2度死ぬ』なんてのは、馬鹿馬鹿しさの極致だったろう。


漁師の格好をさせられたり、無理矢理、日本人に変装なんてのをさせられたり。(我々、日本人が観ても、この映画の出来は??とアタマをひねりたくなる。でも舞台が日本なんで贔屓目に見てしまうけど)





そして、間をおいての復帰。



『ダイヤモンドは永遠に』


でも、「ショーン・コネリーが、いつもより楽しそうだぞ!」って思ったのが、この映画の印象だったのだ。



高額なギャラでふっ切れたのか、このバカバカしさを、いつもよりも、ノリノリで楽しんでいるようにも見える。



ボンドガールのティファニー役、ジル・セント・ジョンは、これまでのボンドガールと違い、コケテッシュで小悪魔的。



セクシーだけど、でも何だか、ドジで可愛いげのある女優さんだ。



いつも非情さを売りにしているボンドとティファニーには、それまで演じていた相手役のボンドガールたちとは、あきらかに違って見えて、二人の間は壁1枚が取っ払われているようにも見える。



撮影でも、案外、この二人ウマがあっていたんじゃなかろうか。(プライベートでも付き合っていた噂もある)




映画の後半、全ての敵を倒し、豪華客船の中、夜空を見上げながら、ティファニーが言う。


「ジェームス、あのダイヤ、何とか取り戻せないものかしら?」


ボンドはティファニーを抱き寄せて、二人ニッコリ。

笑いながら星を見つめる二人の姿で、映画は幕となる。



こんな幸せそうなボンドの顔を見たことなかった。





有終の美を飾った、ショーン・コネリー版ボンド映画としては、この映画は自分の中では、やはり特別な位置つけなのである。


星☆☆☆☆。





それにしても、やっと、007シリーズから、解放されたコネリー。



でも、まだ、彼は、この時知らなかったのだ………



それより、さらにヘンテコな映画、『未来惑星ザルドス』に、数年後、巡り会う運命を(笑)。




※詳しくはブログ内『未来惑星ザルドス』参照くださいませ。

2019年6月20日木曜日

映画 「未来惑星ザルドス」

1974年 イギリス。






2293年の、遠い未来。





今日も巨大な石像が、暗雲がながれる上空を、どこからともなく飛んでやってきた。


そして、それは大地にドスン!と音をたてて着地する。



目をカッと見開き、口を大きく開いた不気味な石像。(巨大なダルマみたいな顔)


『エクスターミネーター』と呼ばれる集団たちは、奴隷から収穫した農作物を持ち寄って、石像をぐるりと囲むように待ちかまえていた。


すると、石像は、いきなり口から大量の武器を吐き出した。


何千何万の数のピストルやライフルが、石像から雨が降るように吐き出される。


エクスターミネーターたちの仕事は、農作物の収穫だけでなく、反抗する奴隷たちの抹殺もあるのだ。




「皆よ、受けとるがいい!これを使って、増えすぎた『獣人』(奴隷)たちを殺すのだ!」




石像の名は『ザルドス』。


ザルドス!ザルドス!

歓喜の声をあげて叫ぶエクスターミネーターたち。





エクスターミネーターたちは、武器と引き換えに、ザルドスの口の中に大量の穀物や農作物を投げ入れた。


その時、一人の男が、こっそりと石像の中に紛れ込んで侵入した。


男の名は、『ゼッド』(ショーン・コネリー)。

ゼッドを乗せた石像ザルドスは、再び高く浮上すると、どこかへ向かいだした。



(いったいどこへ行くんだろう …… )



ゼッドは、しばらくして穀物から這い出ると、石像の中を探検し始めた。



その時、石像の物陰から一人の男が現れた。


反射的に手に持っていた銃で撃ち抜くゼッド。



男は胸を抑えながら、

「なぜ……私を撃った?、お前はきっと後悔するぞ…… 」と息絶え絶えに呟く。

そして、石像の口から男は、ゆっくりと下界に向けて落ちていった。



戸惑うゼッド。

ゼッドを乗せた石像は、雲をぬけると、緑豊かな楽園に降り立った。


そこは不老不死の楽園『ボルテックス』……





冒頭、こんな出だしを書けば、この後、さぞやハラハラする冒険や戦いが待っていると思うだろうが、期待なさるな。


全くそうはならない、これはトンデモなくシュールな映画なのである。



監督は『脱出』などで知られるジョン・プアマン


この映画は、SF映画にも関わらず、わずか100万ドルの低予算で作られた。


そして、主演のショーン・コネリーのギャラが20万ドル。

これは100万ドルとは別に、ブアマン監督が自費で捻出したそうな。



そこまでして、この映画に命をかけていたのかねぇ~、プアマン監督。



ちょうど、007シリーズが終わり、この時期ショーン・コネリーもよっぽど仕事がなくて暇だったんだろうか………(何でもいいから仕事をくれぇ~!ギブ・ミー、仕事!って気分だったのか)





そうでなければ、こんなヘンテコな格好をさせられる映画なんて、20万ドルでも出るはずがない。



このショーン・コネリー扮するゼッドの格好が、なんてったってスゴイのだ。



着ているものといえば、素っ裸に赤いフンドシ一丁。


ゆえに、あのボーボーと栄えている草むらのような胸毛やヘソ毛が、始終あらわになっているのだ。



それに黒いSM嬢のようなロングブーツ。


口髭は、馬の蹄鉄のような形にきりそえられている。

とどめは、長いおさげ髪のかつら。



恥も何もかもかなぐり捨てて、仮装もここまでやりきれば、もう立派なもんである。



このお姿で、映画の冒頭から最後まで、あっちブラブラ、こっちブラブラしているショーン・コネリー。






こんな格好の男が、平和な国『ボルテックス』に降りたったから、さぁ、大変!


お前はいったい何者なの?どこから来たの?!

すぐに不審者扱いされて捕らえられてしまう。(そりゃ、そうだろ!)



『ボルテックス』に住むエターナル人には、一種の超能力が備わっているのだろうか……

こんなゴツいショーン・コネリーを簡単に眠らしてしまったり、テレパシーで他の者たちと会話したりもする。




変な部屋に連れてこられて、そんな場所に寝かされているゼッド(コネリー)



「この男の記憶を探ってみましょう」


エターナル人『メイ』という女性は、ゼッドに呼び掛けながら、過去の記憶を呼び戻させる。


すると周りのスクリーンに、ゼッドのこれまでの闘う姿が映像として映し出された。



「こんなのは、どうでもいいのよ!お前がどうやって、ここに来たのかを知りたいのよ!」

だが、肝心の映像は映し出されない。



そこへ、「殺してしまいましょう」と言いながら別の女性がやってきた。


ヒラヒラ、透け透け衣装を着た『コンスエラ』(シャーロット・ランプリング)という女性である。(こんなヘンテコ映画に、またもやフランスの名女優ランプリングまでもが……(゚д゚) …)


「ダメよ」とメイ。

「じゃ、投票で決めましょうよ」

テレパシーで、他のエターナル人に交信しながら、奇妙な多数決をとりはじめる二人。


すると、多数決の結果、なんとかゼッドの命は3週間だけ延長される事になった。





そして、今度はなぜか?

ドスケベな女たちに囲まれながら、ゼッドの 興奮度チェックが始まる。(コレに何の意味があるのか?)



スクリーンに男根の形が映し出され、男性が勃起するメカニズムが詳しく解説される。

それを熱心に恍惚とした表情で聴き入る女性たち。(痴女?(笑))



「この男の興奮具合を検証したいわ」とメイ。


次から次に、スクリーンに全裸の女性の姿が映し出される。



それに無反応で、まるで知らん顔のゼッド。


「おかしいわね、全然興奮しないわね」とメイ。(いったい、なんやねん。この実験 (笑) )



そこへ再び、先程のコンスエラが現れた。


「あら、この男、あなたに対して興奮しだしたわよ」と、ゼッドの変化する下半身を見つめながら、メイが喜びだした。



困惑顔で、その場をそそくさと立ち去っていくコンスエラなのであった ………




本当に、こうして書き出しながらもヘンテコリンな映画である。



SFというジャンルを借りてきて、変態映画を作りたかったのかしら?プアマン監督は!?




あまりにもシュールさに、公開当時、観客たちも何がやりたいのか全く意味が理解できず、皆が首をかしげたという。



この後も、このボルテックスのヘンテコな習慣や決まり事などに、まるで『不思議の国のアリス』の世界に迷いこんだような気分にさせられてしまう。



ただ、この映画では、アリスが毛むくじゃらの中年ショーン・コネリーなのだけど。(笑)





そんな映画『ザルドス』であるが、DVDではプアマン監督の詳しい解説つきである。


いちいち、馬鹿みたいな場面を丁寧に解説してくれるプアマン監督。(懸命に話せば話すほど、ドツボにハマっていくような気もするがなぁ~)



イギリス人は、たま~に、こんな訳の分からない映画を撮るものである。




とにかく胸毛ボーボー、ヘソ毛ボーボーのショーン・コネリーの頑張りだけに星☆☆である。


※(プアマン監督の一生懸命な解説を聞いても、この印象しか残らない映画なので、観る方は、どうぞ、お覚悟くださいませ)


にしても、本当にスゲー格好だな~、オイ!




2018年12月18日火曜日

映画 「オリエント急行殺人事件(1974)」

1974年 イギリス。






1930年 ニューヨークで、大富豪アームストロング大佐の一人娘デイジーが誘拐された。



事件は連日マスコミで報道され、センセーションをおこした。


身代金は20万ドルで夫妻は当然払うのだが、デイジーは数日後、無惨に殺されて遺体で発見される。



妊娠中の妻アームストロング夫人はショックのあまり死産し、自らも亡くなってしまった。


そうして、誘拐犯として疑われたメイドのポーレットも自殺してしまう。

悲劇の連鎖は続いて、絶望したアームストロング大佐も自ら命を絶ってしまった。



犯人は見つからず……時は過ぎた。




―――  そして、5年後の1935年、冬。


名探偵『エルキュール・ポワロ』(アルバート・フィニー)は、トルコ、イスタンブール駅にいた。


ポマードでピッタリ撫で付けた髪にボウラーハット(正装用の帽子)をかぶり、ピンと伸びた口髭、上質なコートやマフラーなどで、その身をくるんでいる。


完全防備の装いをしながらも凍てつく寒さがこたえるのか、ガタガタ震えながら駅のホームに立っていた。



事件の依頼を受けて、急遽、ロンドンに戻る為に、アジアとヨーロッパをつなぐ大陸横断列車《オリエント急行》に乗るためだった。



だが、この日は真冬の悪天候にもかかわらず、満席。



次々と乗車していく人々を尻目に、ポワロの我慢も限界まできていた。。



列車のそばでは、車掌のピエール(ジャン=ピエール・カッセル)と友人で列車会社の重役ビアンキ(マーティン・バルサム)が揉めている。


「あいにく、一等寝台車は満席でございまして……」


「ポワロさんには、最高の席じゃなきゃダメなんだ!万一の為に、予備の客室を確保してるだろう?」


「それが、予備もふさがってまして……」


(もう、いいかげんにしてくれ!!)


「ラチェットさんの秘書のマックイーンさんの寝台の2階が空いているはずだ!、そこでいい!」


ビアンキが強気で押しきると、車掌のピエールも「……分かりました」と渋々承知した。



やっと安堵してポワロが乗り込むと、列車は暗い雪景色の中を、モクモクと白い煙を吐きながら滑るように走り出したのだった。






翌朝、食堂車の席に二人の男が真向かいで座っている。


一人は深い皺が刻まれた顔に神経質でピリピリした瞳、口を開いたその声も尊大で威圧的であった。


「どうした?顔色が悪いな!」『ラチェット』(リチャード・ウィドマーク)が、問いかける。


「2階に寝ていたベルギー人のイビキがうるさくて…」答える秘書の『マックイーン』(アンソニー・パーキンス)は、どこか落ち着かない様子だ。


「それに、またこんなものが…」マックイーンが手紙のようなものを渡すと、ラチェットの顔色が突然変わった。



そんな食堂車にポワロが入ってきた。


「じゃ、今のうちに寝ておくんだな」

ラチェットは、ポワロに目を向けると、マックイーンを、邪険に追い払う仕草をした。



慌ててマックイーンは出ていった。



食堂車で近くの座席にすわったポワロに、ラチェットが話しかけた。



「あんたに仕事を依頼したい!」

高圧的な物言いに内心カチンときながらも「どういった御用件でしょうか?」と訪ねるポワロ。


「私には敵がいるのだ!調べてほしい!それに金ならいくらでも払ってやる!」


「失礼ですが敵はお一人でしょうか?」

ポワロはそう言うと続けて「お断りします」とキッパリといい放った。




ラチェットは、それでも納得する事もなく言い続けていたがポワロは頑として頭をふらない。


諦めたラチェットはポワロに苦々しい目を向けると食堂車から出ていった。




その後、ビアンキの粋な計らいで一等寝台車に空きをつくってもらったポワロは、そちらに移った。


(やっと今晩はグッスリ休める……)

安堵するポワロ。



だが、その夜が、異常な惨劇の幕開けになろうとは…………名探偵と言われるポワロさえも予見できなかったのだった。






監督はシドニー・ルメット


アガサ・クリスティーのポワロものとしては、初めて成功してヒットした映画だった。




以前にも、映画『情婦』で書いたことがあるが、長編小説を映画化する作業は、とても困難で難しいのだ。



それが探偵小説なら、まともに映像化しようとするなら、10時間をゆうに越えてしまう。


2時間に納めるようするには、要らないシーンを、削って、削っての作業の繰り返しなのだ。




登場人物さえも、削られることすらあるし、話の流れすら変わってしまうことも多々ある。(映画、「八つ墓村」などなど……)




結果、出来上がった作品は、しまいには、全然別物になってしまい、原作ファンからは、

「こんなのは、全然●●じゃない!」とブーイングの嵐を受けてお叱りをうける→そして失敗作の烙印を押されてしまうのだ。




そんなクリスティーの長編小説が原作の映画では、これ以前に作られたものでは、ことごとく失敗している。(※『情婦』は短編小説である。 何を考えているのか、マーガレット・ラザフォード扮するミス・マープルは、映画の中でツイストを踊ったりするらしい。 これをクリスティーや原作のフアンたちが、どういう思いで観たのか想像される)





探偵小説の骨格は、ほぼ決まっている。



《1》、過去に因縁がある登場人物たちが、1ヵ所に集められる。(屋敷や船、列車など様々)

《2》、殺人事件が起こる。

《3》、探偵が現れて、尋問や調査をする。

《4》、手掛かりから探偵が推理する。

《5》、登場人物たちが、皆、集められて謎解きがされる。






大体、この骨格で探偵小説は成り立っているのだが、映像化するのに難しいのが、《3》と《4》である。





《3》の、名探偵が一人一人、容疑者に尋問するくだりは、映像化すれば、観ている者には、長々と退屈な場面に映ってしまうのだ。


《4》などの、手掛かりをもとに、名探偵が推理する場面など、頭を切り開いて脳の映像を見せるわけにもいかないし(当たり前だ)映像化は、ほぼ不可能に近い。



この難点を、監督のシドニー・ルメットは、どうクリアしたか?






《3》、決して退屈にならないように「有名な俳優たちのオールスター・キャスト」にしたのだ。



それまでは、考えられなかった有名な俳優人たちの集合。

ショーン・コネリー、

ヴァネッサ・レッドグレイヴ、

ジャクリーン・ビセット、

マイケル・ヨーク、

リチャード・ウィドマーク、

アンソニー・パーキンス、

ジョン・ギールグッド、

ローレン・バコール、

イングリッド・バーグマン……などなど。


次から次への、有名なスターたちの登場は、それだけでワクワクさせてくれて飽きさせない。






《4》、手掛かりをもとに推理する。    は、《5》の謎解きをする。  と合わせて、うまく見せることに成功している。




ポワロが、集められた容疑者たち相手に、謎解きを披露する場面では、その前に行った容疑者たちの尋問のシーンを、さりげなくはさみ、矛盾や問題点をポワロに言わせて、こういう風に推理する事に至ったというように説得力を持たせているのだ。(さすが、シドニー・ルメット監督!)






そして、ポワロ役のアルバート・フィニーも頑張っている。


177cmのフィニーは、原作のポワロに少しでも近づけるように、肩入れパッドやら腹周りにも色々な詰め物をして望んでいる。


口のなかにも綿を詰め込んで、首もすくめて、ものすごい努力でポワロになりきっている。

当時の実物のフィニーを観れば、その変わりように、ビックリすると思うのだ。






映画は、これらの工夫や努力で、原作フアンや原作者のクリスティーを初めて充分に納得させて、映画フアンにも受け入れられて大ヒットしたのだ。


この映画が、この後、次々作られるクリスティー映画や推理映画のお手本になった事は言うまでもないだろう。




だが、これを越える作品が今までに現れたかは、いささか疑問なのである。
(例に挙げるなら、特にひどい2017年版か…語る価値もさえもない!)

星☆☆☆☆☆です。


2018年10月6日土曜日

映画 「薔薇の名前」

1986年 フランス、イタリア、西ドイツ合作映画。






14世紀の北イタリア。




修道士『ウィリアム』(ショーン・コネリー)と若い修道士見習い『アドソ』(クリスチャン・スレーター)は、自分たちが属するフランシスコ会からの任務により、長い長い旅をしていた。




寒い荒涼とした大地に、見えてくるのは、まるで要塞のように、大きくそびえ立つ修道院。





二人が目指す場所は、まさに、そこだった。




修道院長『アッボーネ』は、あたたかく二人を招き入れた。

やっと、暖のとれる部屋に通されて、しばしウィリアムもアドソも、ほっと一息。




そんな時、ウィリアムがポツリと呟いた。



「最近、どなたか亡くなられたのでは?」


アッボーネ院長は、「どうしてそんな事を言うのです?」と一瞬うろたえた。


すると、ウィリアムは、来る途中の不自然な庭の土の盛り上がり方などから、最近、ここの修道士が、亡くなった事を、ずばり言い当ててしまう。



「さすがです、ウィリアム修道士」


元異端審問官としてすぐれた経験と判断力をもつウィリアムには、こんな推理はわけもない事なのである。



アッボーネは、ウィリアムの観察力に感心し、全てを打ち明ける事にした。



「ウィリアム修道士、窓のない図書室から、なぜ?若い修道士が飛び降りて死ぬ事ができたのか? その謎をあなたに解明してほしいのです」と。



???

なんて不可解な謎……


俄然、興味をもったウイリアム修道士は、弟子のアドソを助手に探偵業にのりだした。


だが、それは、この修道院が、今までひた隠しに隠してきた、更なる大きな秘密を暴き、恐ろしい事件へとつながる幕開けでもあったのだった……







ウンベルト・エーコの原作は、発表当時、世界中でセンセーションを巻きおこした。


この原作本、日本でも出版されて(読んでみようか……)と思ったが書店に並べてある上下巻の小説は、とにかく分厚くて、(やっぱ無理~)と尻込みして、そそくさ退散した思い出がある。


なんせ舞台が中世、凡人の自分にはハードルが高過ぎると一瞬で思ってしまったのだ。



だが、これが映画になった。

映像化は不可能だといわれていた、この分厚い小説が。



とりあえず、恐る恐る映画を観てみると、なるほど……凡人の自分でも分かりやすく作られている。


万人に理解出来るように、中世の修道院の暮らしや習慣を丁寧に教えてくれているのだ。



映画はヒットして絶賛され、最高のエンターテイメントとして迎えられた。




それにしても、この映画、キャスト選びからして凄い面々が揃っている。




007でさんざん女性を虜にしてきたショーン・コネリーが灰色の僧衣をきて、全く女性経験のない知的な修道士だって(笑)。


クリスチャン・スレーターは、この時まだ、10代だったんじゃなかろうか…可哀想にオカッパあたまに、河童の皿のように髪を剃られてる。(『トンスラ』というらしい)


でも、この二人は、まだいい方なのだ。





他の修道士たちは、ゲテモノ顔というか、キワモノ顔のオンパレード。





スキンヘッドのおデブさん修道士は、毎夜、素っ裸で自分をムチ打つという変態マゾヒスト。(殺され方も酷い、血の樽に逆さづけ)


その後、死んだこの人の遺体を修道士ウィリアムが検視するのだが、この遺体が、まるで《調理する前のブタさん》にしか見えない。(グロテスク過ぎる)




ロン・パールマンは、拷問されながら、「オゥー、オゥー!」叫んでばかりいる。(もう、よくこんな顔の人を探してきたよ)


修道士どころか、もはや人間に見えない。(野獣だよ、これじゃ)



盲目の師『ホルへ』と呼ばれる気難しい老人は、赤い涙袋に白い眼球?、白く伸びた眉毛で、夢に出てきそうなくらいの、こちらもお化け顔。


宗教観の違いには誰それかまわず噛みついてくる、とても、めんどくさいジイサマである。





あと『アマデウス』でサリエリを演じた、F・マーリー・エイブラハムも出てたっけ(もともと顔が濃い)。


異端審問官(裁判官)の役で、たいした捜査もしないで、場違いな犯人を、でっちあげて、さっさと死刑を命じてしまう。(なんせ14世紀だもんね)





まぁ~こんな感じで、映画の画面がすごい顔でいっぱいいっぱい。




お堅い修道院の壮大なドラマを期待して、観た方々は、180度違うギャップにビックリしてしまうかも。




その一方で、修道院の複雑な迷路や、隠し部屋、発禁本、毒殺、炎の中の脱出など、ミステリー要素も盛り沢山詰まっている。




で、気がついた。



こりゃ、まるで『シャーロックホームズの冒険』じゃないのか?



ウィリアムとアドソの役割は、ホームズとワトソン。



中世の時代を借りてきて、原作者ウンベルト・エーコが書きたかったのは、ただ、ホームズのような冒険物語だったのだ。



映画は、それを充分理解して、万人に分かりやすく作られている。



それにしても、なんて、お金のかかった贅沢な『冒険』なのだろう。




ただ素直に、この映画では、ウィリアムとアドソの、摩訶不思議な冒険を楽しむべきである。



お堅そうな先入観を捨てて、ご覧あれ。

星☆☆☆☆☆。(面白いよ。でも出演者たちの吐く息を見ても分かるように、皆が凍えそうなくらいに寒そうだ)