14世紀の北イタリア。
寒い荒涼とした大地に、見えてくるのは、まるで要塞のように、大きくそびえ立つ修道院。
二人が目指す場所は、まさに、そこだった。
修道院長『アッボーネ』は、あたたかく二人を招き入れた。
やっと、暖のとれる部屋に通されて、しばしウィリアムもアドソも、ほっと一息。
そんな時、ウィリアムがポツリと呟いた。
「最近、どなたか亡くなられたのでは?」
アッボーネ院長は、「どうしてそんな事を言うのです?」と一瞬うろたえた。
すると、ウィリアムは、来る途中の不自然な庭の土の盛り上がり方などから、最近、ここの修道士が、亡くなった事を、ずばり言い当ててしまう。
「さすがです、ウィリアム修道士」
元異端審問官としてすぐれた経験と判断力をもつウィリアムには、こんな推理はわけもない事なのである。
アッボーネは、ウィリアムの観察力に感心し、全てを打ち明ける事にした。
「ウィリアム修道士、窓のない図書室から、なぜ?若い修道士が飛び降りて死ぬ事ができたのか? その謎をあなたに解明してほしいのです」と。
???
なんて不可解な謎……
俄然、興味をもったウイリアム修道士は、弟子のアドソを助手に探偵業にのりだした。
だが、それは、この修道院が、今までひた隠しに隠してきた、更なる大きな秘密を暴き、恐ろしい事件へとつながる幕開けでもあったのだった……
ウンベルト・エーコの原作は、発表当時、世界中でセンセーションを巻きおこした。
この原作本、日本でも出版されて(読んでみようか……)と思ったが書店に並べてある上下巻の小説は、とにかく分厚くて、(やっぱ無理~)と尻込みして、そそくさ退散した思い出がある。
なんせ舞台が中世、凡人の自分にはハードルが高過ぎると一瞬で思ってしまったのだ。
だが、これが映画になった。
映像化は不可能だといわれていた、この分厚い小説が。
とりあえず、恐る恐る映画を観てみると、なるほど……凡人の自分でも分かりやすく作られている。
万人に理解出来るように、中世の修道院の暮らしや習慣を丁寧に教えてくれているのだ。
映画はヒットして絶賛され、最高のエンターテイメントとして迎えられた。
それにしても、この映画、キャスト選びからして凄い面々が揃っている。
007でさんざん女性を虜にしてきたショーン・コネリーが灰色の僧衣をきて、全く女性経験のない知的な修道士だって(笑)。
でも、この二人は、まだいい方なのだ。
他の修道士たちは、ゲテモノ顔というか、キワモノ顔のオンパレード。
その後、死んだこの人の遺体を修道士ウィリアムが検視するのだが、この遺体が、まるで《調理する前のブタさん》にしか見えない。(グロテスク過ぎる)
修道士どころか、もはや人間に見えない。(野獣だよ、これじゃ)
宗教観の違いには誰それかまわず噛みついてくる、とても、めんどくさいジイサマである。
異端審問官(裁判官)の役で、たいした捜査もしないで、場違いな犯人を、でっちあげて、さっさと死刑を命じてしまう。(なんせ14世紀だもんね)
まぁ~こんな感じで、映画の画面がすごい顔でいっぱいいっぱい。
お堅い修道院の壮大なドラマを期待して、観た方々は、180度違うギャップにビックリしてしまうかも。
その一方で、修道院の複雑な迷路や、隠し部屋、発禁本、毒殺、炎の中の脱出など、ミステリー要素も盛り沢山詰まっている。
で、気がついた。
こりゃ、まるで『シャーロックホームズの冒険』じゃないのか?
ウィリアムとアドソの役割は、ホームズとワトソン。
中世の時代を借りてきて、原作者ウンベルト・エーコが書きたかったのは、ただ、ホームズのような冒険物語だったのだ。
映画は、それを充分理解して、万人に分かりやすく作られている。
それにしても、なんて、お金のかかった贅沢な『冒険』なのだろう。
ただ素直に、この映画では、ウィリアムとアドソの、摩訶不思議な冒険を楽しむべきである。
お堅そうな先入観を捨てて、ご覧あれ。
星☆☆☆☆☆。(面白いよ。でも出演者たちの吐く息を見ても分かるように、皆が凍えそうなくらいに寒そうだ)