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2026年3月7日土曜日

ライブ「太田裕美の《HIROMIC WORLD》」

 1984年12月24日。




私が子供の頃、太田裕美といえば、《清楚》、《可憐》、《透き通った声》、大ヒット曲《木綿のハンカチーフ》くらいのイメージしかなかった。

時折、巷(ちまた)で流れてくる曲に耳を傾ける事があれば、(やっぱり歌が上手いなぁ〜)とか(名曲だなぁ〜)くらいの感想である。


でも、当時、私はそこまでの熱狂的な太田裕美フアンではなかった。(なんせ70年代といえばアイドル黄金期!)

飛び抜けたアイドルたちが続々デビューしてたし、わざわざそっち方面に目を向けなくてもよかったのだ。


自分が、ちゃんと太田裕美の曲を聴き出したのは、だいぶ遅れて30代くらいの時だったかも。


雨だれ』でデビューして、『木綿のハンカチーフ』はもとより、『赤いハイヒール』、『九月の雨』、『さらばシベリア鉄道』などけっこうヒット曲ある太田裕美。


その中でも異色な作りになっているのが、やっぱり『木綿のハンカチーフ』と『赤いハイヒール』である。



「♪恋人よ〜《ぼく》は旅立つ〜♪」のフレーズで有名な『木綿のハンカチーフ』は最初《男性歌詞》で始まる。

それが後半は一転、「♪いいえ、あなた〜《わたし》は欲しいモノはないのよ〜♪」で《女性歌詞》へとチェンジするのだ。


赤いハイヒール』はその逆。

「♪ねぇ〜、友達なら〜聞いてくださるぅ〜♪」と《女性歌詞》で始まる部分はあくまでも陰鬱で暗〜い感じ。


それが後半《男性歌詞》に変わると、途端にノーテンキ。

「♪そばかすお嬢さん、ふるさと訛りが〜、それから君を無口にしたねぇ~♪」という風に、明るい感じになったりする。(歌詞の中の《彼氏》が何も考えてなくて軽薄そうだけど(笑))


こういう一曲の中で《男性歌詞》と《女性歌詞》をいったりきたりする歌も珍しいし、当時は斬新な試みだった。(作詞∶松本隆、作曲∶筒美京平のゴールデンコンビ)



そんな恵まれた芸能生活を送っていた太田裕美だったが、1982年に突然《休業》宣言をする!


実際、順調そうに見えていた歌手活動も本人にしてみれば相当鬱屈した想いを抱えていたそうなのだ。(まぁ、なんの曲をリリースしても大ヒット曲『木綿のハンカチーフ』ばかり歌わされるんじゃ〜ねぇ~。そりゃ嫌気もさすわ)


そうしてアメリカはNYに修業留学。(この時代、誰もが「《アメリカ》に行けば何とかなるさ!」って考えの芸能人が多かった)


《↑当時、レッスン中の太田裕美》


そうして8ヶ月のレッスン期間を終えて帰国すると、早速ニューアルバムやシングルをリリース。

表題でもある《HIROMIC WORLD》なるコンサートに繋がるわけなのだが、最近こんなライブが大昔あったことを、初めて知った次第である。


で、観てみた感想は ……… 


開口一番、「誰だ?コイツ?!」だった(笑)。



セットリストはこんな感じ。


1∶雨だれ

2∶青い実の瞳

3∶赤いハイヒール

〜MC〜

4∶木綿のハンカチーフ

5∶ささら

6∶九月の雨

7∶さらばシベリア鉄道

〜MC〜

8∶雨の音が聞こえる

9∶満月の夜 君んちへ行ったよ

10∶葉桜のハイウェイ

〜MC〜

11∶移り気なマイ・ボーイ

12∶袋小路

13∶ひとりごとブランコ


往年のヒット曲以外(2・5・8・9・10・11・13)の作詞は全て《山元みき子》なる謎の人物。(後の詩人で作家となる銀色夏生の本名である)

そうして、それに合わせて太田裕美も作曲に挑戦している。(2・5・9・13)←(まぁ、元々ピアノも弾けるしね。)


太田裕美が目指した新ジャンルは、この時代に流行りかけていた《テクノ・ポップ》の世界。


それに合わせて、髪の毛をバッサリと短く切り(長いエクステをつけているが)、ちょっと濃いめの化粧をして、原色の奇抜な衣装を着ては、激しく踊りまくっている。



見かけだけは、すっかり別人になって現れた太田裕美。


…… でも、それでも歌い出せば、やっぱり、いつもの太田裕美なんだよなぁ〜。


歌い方に関しては、どうしても既存の枠をはみ出す事が出来ない太田裕美は、やっぱり優等生なのかも。

優等生が無理して、不良ぶっては「元気にはしゃいでいる!」って感じに見えてしまった。


そんな私の感想と同じように、この時期の太田裕美に関しては、往年のフアンたちさえ《ご乱心時期》や《黒歴史》なんて呼んでいるそうな。(だろうな)



本人は後年、回想で「《黒歴史》と呼ばれようが、あの時期があったからこそ、今も歌っていられる」なんて言っているとか、いないとか …… 


それでも、この路線変更は、やはり失敗だったかも。


この《HIROMIC WORLD》を観た限りでは、太田裕美の声とポップ演奏が、あまりにも ミス・マッチ 過ぎる。


ボーカルが演奏に《負けている》のだ。(太田裕美の声質は伸びやかでも、かなり細すぎていてドラム音にさえ勝てていない気がする)


とにもかくにも、このライブの後、結婚して長い休業生活に入り、1996年に再び世に現れると、完全に元の太田裕美に戻っておりましたとさ。




飛び抜けた大ヒット曲がある事はラッキーでも、それは表裏一体。

裏に回れば色々な呪縛や苦悩があるのだなぁ〜、と考えさせられたライブなのでございました。

おしまい。

2026年2月7日土曜日

ライブ 「工藤静香の《静香のコンサート’89 秋スペシャル》」

 1989年11月5日。





工藤静香』という歌手を、昔、ちょっとだけ好きな時期があった。曲も好んで聴いていた。


だが、近年のビジュアルを見てしまうとその変わりように愕然(がくぜん)としてしまう。


色々なカラーリングのしすぎで長く伸ばした髪は、もはやバッサバサで艶もない感じ。


目は《斜視》がだいぶ進行しているのか、正直どこを見ているのか分からない。(テリー伊藤みたいに治療すればいいのに)


まぁ、これ以上は言うまい。世間もその変化に気がついているはずだから。


ただ、擁護(ようご)するなら、《歌の上手さ》だけは変わらないかも。

若い時のような激しい踊りを辞めてからは特にそう思う。


それでも代表曲、『MUGO・ん … 色っぽい』やら『嵐の素顔』くらいは、昔のように、ちゃんとした振り付けで観たいものだ。(ダラケた踊りほどみっともないものはないのだから)


この《静香のコンサート’89 秋スペシャル》は、まだ私が好意的に観て、応援していた頃のライブである。



セットリストはこんな感じ。


1∶哀しみのエトランゼ

2∶禁断のテレパシー

3∶嵐の夜のセレナーデ

4∶恋一夜


〜 メドレー 〜

Honey、パッセージ、夏がくれたミラクル、永遠の防波堤、メビウスの恋人、立つ鳥跡を濁さず、嵐の素顔


5∶丘の上の小さな太陽

6∶美粧の森

7∶カレリア

8∶Again

9∶抱いてくれたらいいのに

10∶黄砂に吹かれて

11∶天使みたいに踊らせて

12∶秋子

13∶FU-JI-TSU



初期のアルバム曲や《うしろ髪ひかれ隊》時代の曲を取り込んでいる特殊なライブである。


これらの曲の中では『哀しみのエトランゼ』、『嵐の夜のセレナーデ』、『秋子』などが好き。


うしろ髪ひかれ隊の曲も好きなのだが、このメドレー・コーナーだけは毎回全て口パクである。


まぁ、こんだけ激しく踊っているんだからしょうがないんだけど。(工藤静香のライブの場合、数年間は恒例として《口パク・ダンスメドレー・コーナー》が続けられていく)




それでも、この頃までの工藤静香は(多少ケバくても)まだ好意的に観ていた時期だったかもしれない。


この後、この人の本質が徐々に明らかになっていくと、私のように離れていくフアンなどもいたりして、世間の評価は真っ二つに分かれていく。


80年代アイドルたちも90年代が近づくと、自ら作詞を次々とやりはじめた。ご多分に漏れ、工藤静香だって作詞をはじめる。


でも、ペンネーム『愛絵理(あえり)』って何?(静香が産まれた時、親が候補として考えていた、もう一つの名前なんだとか。本当かねぇ~ …… )


歌に携わる者として、ここまでなら分かるが工藤静香の暴走はここで終わらない。


《独学》で油絵を始めると毎年毎年、二科展に応募して連続入選。


《↑毎回、絵のモチーフになるのは自分自身?(どんだけ自分大好きなのか …… )しかも、いつも幻想化したような、それでいて奥行きの無い平面な絵面である》


誰か本職の先生に師事して油絵の基本から習おうとかいう気はサラサラないらしいし、風景画みたいなモノも描く気もない様子である。(こんなわけの分からない絵を高額で買って、家のどこに飾りたいと思うのか?)



オマケに、

「家庭の事だって一生懸命やってます!」的なアピールで、たまに自分で作った創作料理をネットに挙げていたりもする。(心無いネット民からは盛り付けが汚く見えて《汚料理》なんて呼ばれてもいた)


そして、そんな料理を二人の娘たちが大絶賛する!

「マミー(静香)の作る料理はとっても美味しいんだから!!」(いい歳をした娘らが、自分の両親を《マミー》とか《トト》って …… )


ごく最近の出来事では、なにかの番組で工藤静香が英語を流暢にペラペラと話していた。他の出演者たちもビックリしている。

謙遜するかと思いきや、そこは天下の静香様。


「だって家で英語が喋れないの私だけだったんですよ〜、悔しいじゃないですか?一生懸命勉強しましたよぉ~!」


こんなのを熱烈なフアンから見れば「流石!なんでもできる静香様!木村ファミリーの方々様!」と思うんだろうか ……

私なんかは、もうお腹いっぱい。胸焼けがしそうである。


だが、とうの昔に私は気づいていた。


芸能人だからしょうがないのかもしれないけど、この人の場合、「私って、こんな事もできるし、あんな事もできますよ!」っていうアピール、つまり他の人と比べても承認欲求の度合いが特に強すぎるのだ。


でも、どうしてこうなってしまったのか …… と考える時、この人のソロデビューまでの経緯を振り返れば、その理由も納得するかも。



最初にデビューした3人組グループ『セブンティーン・クラブ』は、まるでさっぱり売れなかった。

オマケにセンターでもなかった工藤静香は2曲出した時点でグループを脱退する。(グループは消滅する)



そうして、『おニャン子クラブ』のオーディションに、また一から参加。

見事合格するも、その他大勢のド素人と一緒にバックコーラスからスタート。(一度デビューしてるんだから、これは相当屈辱的だったはず)


しばらくすると、ようやっとチャンスが回ってきて、おニャン子クラブから3人組グループを選出した『うしろ髪ひかれ隊』として再デビュー。



だが、ここでも工藤静香は最初、 センターではなかったのだ。(事務所が一番に推していたのは生稲晃子(いくいな あきこ)である)


ただ、センターに選ばれたのにも関わらず 生稲晃子は、恐ろしく《 歌 》がヘタクソだった!(笑)


もう一人の斉藤満喜子の方は、まぁまぁの歌唱力だったが、ビジュアルが ……(いくら太眉が流行っていた時代とはいえ、毛虫眉毛じゃ …… 無理でしょ(笑))


『うしろ髪ひかれ隊』は、2曲目から大胆に方向転換となり、生稲晃子のソロパートはほぼ無くなる。センターには工藤静香が大抜擢された。


そうして、長年の念願だったソロデビュー作『禁断のテレパシー』につながるのである。



こうして今更、振り返ってみると、けっこう苦労人の工藤静香。

だからこそ、「一度つかんだチャンスは絶対に逃さない!」の決意で、あの頃、猛烈に踊りまくっていたのかしらん?(ここから現在までに続く、死に物狂いの自己アピールは、とうに始まっていたのかもしれない)


このデビュー曲『禁断のテレパシー』が1987年8月発売なのに対して、このライブは1989年。


たった2年の間で、このケバい変わり様よ。


それにしても、あの頃を思い出してみると、街の繁華街に繰り出せば、キャバ嬢でもホステスでも(ニューハーフでも)皆んなが皆んな、工藤静香の髪形やファッションを真似していたっけ。


南野陽子中山美穂になれなくても、目指すのが工藤静香なら簡単になりやすかったのかもね。


あ、そうそう、KABA.ちゃんが、何度も整形手術を繰り返して、最近、工藤静香に寄せてきたみたい。


やっぱ、そっち方面の方々には、工藤静香って今でも憧れるカリスマ的存在なんでしょうねぇ~。

《おしまい》



2026年1月25日日曜日

ライブ 「南野陽子の《思いのままに 〜YOKO MINAMINO YOKO SUMMER CONCERT’89》」

 1989年11月22日。




セットリストはこんな感じ。



1∶トラブル・メーカー

2∶マニキュアがかわく間に

3∶それは夏の午後

4∶秋からも、そばにいて

5∶メリー・クリスマス

6∶知ってると思ってた

7∶愛してる

〜MC〜

〜シングル・メドレー〜

 恥ずかしすぎて、さよならのめまい、悲しみモニュメント、風のマドリガル、接近(アプローチ)、楽園のDoor、話しかけたかった、パンドラの恋人、秋のIndication、はいからさんが通る、吐息でネット

〜MC〜

8∶あなたを愛したい

9∶涙はどこへいったの

10∶瞳のなかの未来

11∶マイ・ファニー・IVY

12∶月夜のくしゃみ

〜MC〜

13∶思いのままに(アンコール)


ヒット曲をメドレーにして脇に追いやり、ほぼ、オリジナル・アルバム『GAUCHE(ゴーシュ)』からの選曲を中心とした、当時としては珍しいライブビデオである。(※1、2、3、6、7、9、12、13は『GAUCHE』より〜)



南野陽子の「あぁ〜《楽園のDoor》は良いなぁ〜」とか「《はいからさんが通る》の曲は好きだったなぁ〜」なんていう、にわかフアンは、やや置いてけぼりかも。(一応、メドレーで歌ってはいるものの、あっさりした仕上がり)


だから、このライブは、それまで発売してきたオリジナル・アルバムを多少は聴き込んでいるマニアックな人の為の上級編ライブなのである。



正直、これらの曲、全てが気に入っているわけではないけど、ここでは抜粋して、私個人の好き嫌い、または主観的な感想でいくつか書いてみようと思う。



1∶トラブル・メーカー


ナンノ初作詞に挑戦!そうしてこの曲はシングル化されていて、当時もそこそこヒットしていた。


(「一人でリゾート地に旅行してみたいなぁ〜 …… 」なんて考えを、当時の《所属事務所》に言ってみたら …… 反対される?賛成してくれる?)なんて、諸々の想像を膨らませながら本人作詞してみたんだとか。(作詞では結局、《所属事務所》を、まだ居ぬ《彼氏》に見立てている)


ただ、自分自身を《ワガママ》だとか《トラブル・メーカー》なんて言いきっちゃうのは、だいぶ気弱過ぎるナンノ。(ちょうどこの頃、マスコミの《ナンノ・バッシング》が始まっていた時期で本人も多少気にしていたのかもね)



3∶それは夏の午後


このライブにて私、イチオシの一曲である。


一年ぶりに偶然見かけた《元恋人》…… 相手も自分の存在に気づくのだが、次の瞬間に向ける眼差しは《憎しみ》のそれ。(何があった?!)

昔の恋人同士の二人は、互いに言葉も交わさず、それぞれの想いを秘めたまま再び別れていく ……


作詞は、ヒットメーカーの 小倉めぐみ さん。(残念ながら2021年、わずか61歳でお亡くなりになっていました)


この『それは夏の午後』という曲は、ナンノ本人もだいぶ気に入っているのか、近年、歌の活動を再び始めてからも、チョイチョイ歌っているようである。


それに今回調べてみると、ナンノに提供した小倉めぐみさん作詞の曲が、数多く存在する事にも驚いた。(あの曲もこの曲も …… )


ここに、その全リストを書きとめておく。


小倉めぐみ作詞曲

シングル曲 …… 楽園のDoorはいからさんが通る秋からも、そばにいて


アルバム曲 …… 昼休みの憂鬱、リバイバル・シネマに気をつけて、思い出を思い出さないように、ひとつ前の赤い糸、ひとりっきりの夏はそれは夏の午後、眠り姫の不幸、さよならにマティーニは禁物、マイ・ハート・バラード、神様がいない月、八重歯のサンタクロース、白夜のひまわり ………… 以上である。(ちなみにアルバム曲内の太字は、私個人の超オススメ曲!)



8∶あなたを愛したい


映画『菩提樹リンデンバウム』の主題歌で田口俊さんが作詞している。(田口さんもパンドラの恋人吐息でネット …… 他にもアルバムなど数々の曲をナンノに提供している)

前年度アルバム(1988年)『GLOBAL』制作に際して作られ、先行シングルになったのだとか。


ただ、この楽曲、当時、(ナンノの歌唱力ではちとハードル高いし、難しいんじゃ〜ねぇの〜?)と思っていた。

と、いうのも、この『あなたを愛したい』って歌詞がワンフレーズごと、伸ばして歌うものを特に多用している為である。


「♪あなたの夢でふと目覚めた夜明けぇーーー」

「♪ねぇ、あなたを愛したいぃぃ誰よりも愛されたいぃーー」

「♪もう、平気よ、ありがとうぅーーーー」(あらら …… )


歌唱力に自信がある歌手ならいざ知らず、ともすれば平淡にも聴こえる、このメロディーラインは、かなりの高難度。(同じ意味でアンコールの13∶思いのままにも難しそうな曲である)


↑(それでも『思いのままに』ではピアノの弾き語りにまで初挑戦しているナンノ)


若い頃の勇猛果敢な挑戦だと思って、大目に観てあげてね。



9∶涙はどこへいったの

10∶瞳のなかの未来



当時はそこまで好きじゃなかった2曲。


でも、今になって何度も繰り返し聴き込んでいくと、段々とスルメみたいに味がしてくるというか …… (不思議と癖になりそう)


『瞳のなかの未来』は『トラブルメーカー』のカップリング曲であり、手塚治虫のアニメ『青いブリンク』の主題歌。(けっこうノリの良い曲)





11∶マイ・ファニー・IVY(アイビー)



なんだか、突如、宝塚歌劇かミュージカルの世界に迷い込んだ感じである。

幅広い正面階段を黒いロングドレスで駆けおりてくるナンノ嬢。その周りを取り囲みながら優雅に踊るダンサーたち。


歌詞は、ダンスパーティーで知り合った地味なアイビー・ルックの青年に、ともに踊りながら惹かれていく様子が描かれている。






何なんでしょうねぇ~、稀に光輝くこのゴージャス感は!!(このライブではここが一番の盛り上がりどころかも)

作曲家∶萩田光雄氏も、この『マイ・ファニー・IVY』には特別思い入れがあるんだとか。



デビューして4年目のライブは、ナンノのやりたい事、挑戦したい事がぎっしりつまっている宝石箱のようなライブ。


でも、近年の復活劇を予見させるような、そんな仕上がりになってません?


ナンノフアンなら一見の価値あり!のライブビデオ紹介なのでございました。(じゃ、これにて)




2025年4月3日木曜日

ライブ 「岩崎宏美の《PYRAMID》」

 1986年、10月。




この岩崎宏美さんのバックに映っているのは、正真正銘、本物のエジプトにあるという《ピラミッド》&《スフィンクス》。


1986年といえば日本はバブル絶頂期。

岩崎宏美さんは当時、外務省からの特命で親善大使となり、エジプトを訪れた。

そうして、日本人としては初のエジプト野外コンサートを行っている。


こんな砂漠に、ステージを組み立て、大勢の人が座れるような会場を作り、音楽機材を運び入れてライブを行ったんだから、いかに当時、日本の経済力が凄かったのか、今更ながらに驚嘆してしまう。(機材の電気や照明でも巨大なバッテリーが必要だったはずだ)




DVD収録曲は、こんな感じ。(30周年の記念boxに、このエジプト・ツアーが収められている)


1∶オープニング
2∶OVERTURE
3∶ロマンス
4∶カサノバL
5∶姫ごころ
6∶INSTRUMENTAL
7∶夢狩人
8∶夜のてのひら
9∶好きにならずにいられない
10∶MAIS EL RIM
11∶決心
12∶星に願いを
13∶未来
14∶聖母たちのララバイ


これで約1時間弱のライブである。(これが完全版かどうかは分からないけど …… )

このライブに至っては、『ロマンス』、『好きにならずにいられない』、『聖母たちのララバイ』しか、私は知らない。(すみません、不勉強で)


だけども、どの曲も抜群の安定感で聴かせてくれている。




そうして、やっぱり、圧巻なのがラストを飾る名曲『聖母たちのララバイ』。


日本語が分からないエジプト人たちも、《なにか》を感じ取ってくれてるのか …… ステージ上の岩崎宏美に釘付け。誰も騒ぎたてる者はいやしない。(本当に歌の力って凄い!)






……… でも、こんなライブが出来たのも岩崎宏美が最初で最後なのかもしれない。


エジプトといえば昼間は灼熱の暑さでも、夜は凍えるような寒さとなる。そのくらい寒暖差が激しい土地なのだ。


何かの記事で読んだのだが、岩崎宏美さんも、このライブの前日までは体調を崩されて大変だったとか。(なのに当日は奇跡の出来ばえ



オマケに治安の問題も大いにある。


それから11年後の1997年、エジプトではルクソールにおいて無差別テロ事件が発生しているのだ。


イスラム原理主義の過激派テロリストたちが、約200人の観光客たちに向けて 銃を乱射!

62人がお亡くなりになり、その中の10人が日本人観光客だったという …… (恐ろしい〜)


その後も2010年、2019年と度々ある爆弾テロ事件。


聖母たちのララバイ』の中で、「♪こ〜のまちは戦場だから〜、男はみんな傷を負った戦士 … 」なんて歌詞があるが、まさか本当の《戦場》になるとはね。(もちろん、この《まち》とは《都会》のこと。懸命に働くサラリーマンなどを総称して歌っている)


決して戦争をしている戦士を慰める歌ではないのだ。(当たり前だっつーの)



日本人にとっては憧れの国、エジプト。


でも、やっぱりエジプトって国は《遠くにありて、想うモノ》で、ちょうどよいのかもしれませんね。(お粗末さま)





2025年3月27日木曜日

ライブ 「安室奈美恵の《BEST FICTION TOUR 2008〜2009》」

 2009年。




私は特別、安室奈美恵のフアンじゃないのだけど、この『BEST FICTION』に関してはCDもライブDVDも珍しく買っていた。

なぜなら、小室哲哉の楽曲が全て除外されていたからだ。


元々、小室哲哉が苦手であり、90年代はメディアでも街中でも、小室哲哉の作った曲が、歌い手を変えては毎日流れているという異常な有り様だった。


中には良い曲もあるのだが、一人の人間が作る曲だもの、似てしまうのは当たり前。

TMネットワーク(TMN)、globetrfdos篠原涼子華原朋美 …… 他にも単発を含めれば色々あるのだろうが、ほぼ、こんなラインナップ。


これが連日連夜、神経のように繰り返し放送されていたのだから、ウンザリするな!ってのが無理な話だろう。


そんな小室ブーム夜明け前、安室奈美恵もスーパー・モンキーズ(現∶MAX)を引っ提げてデビューする。当時、マハラジャやパラパラブームなども手伝って、5曲目の『TRY ME〜私を信じて〜』で、念願のブレイク。

やがて安室奈美恵の一枚看板になり、『Body Feels EXIT』から小室プロデュースに変わると次々ヒットを連発していったのは、皆様ご承知のとおりである。



でも、この小室哲哉が作る楽曲を歌いこなすのは、普通の歌手でも相当難しいんだよなぁ~。


華原朋美なんて、どこまでも高い↗キーを求められてぶっ倒れそうになるし、渡辺美里も若い時には、軽々『My Revolution』を歌っていたものの、後年ではサビの「♪走り出せる〜」の前に半拍空けて、そこで息継ぎしないと、もはや歌えなくなっている。

中森明菜の『愛撫』においては当時も、「♪Touch me、Touch me、 Touch me  through the night〜」と、連続で続く、このサビ部分は、特に苦しそうで、本人も肩でゼーゼー息をしていたっけ。(小室哲哉の曲なんて、最初から止めときゃいいのに)


歌い手の事を考えないで作るのが小室流なのだ。


そんな小室哲哉の難曲を、安室奈美恵はパーフェクトに歌いながらも、激しく踊り続ける。(それも何曲も何曲も連続で …… )


Chase the chance』や『You’re my sunshine』なんて、どんだけ激しいんだか。(どこで息継ぎしてるの?)


こんな曲を50歳や60歳まで延々と歌い続けられるわけがない。


そんなこんなで ……(その間、本人に数々起こったトラブルには触れないでおこう)

2度目の絶頂期を迎えるのが、この『BEST FICTION』というライブなのである。(もちろん、小室哲哉の曲は全く組み込まれていない)


あれだけ難易度の高い曲を今まで歌いこなしてきた安室奈美恵ですもん。

このライブでは、時折、笑顔さえ見せるほど、余裕灼灼(よゆうしゃくしゃく)である。


ライブでも1番を飾るのが『Do Me More』。(PVでは『不思議の国のアリス』のように幻想的だ)


GIRL TALK』では、踊りながらも昔みたいに声を張り上げることもなく、サラッ〜と歌っている。


NEW LOOK』では、ドデカいハイヒールをステージ場に持ち込んで、その中に階段を作って歌っておりました。




Dr.』も本当にカッコいい曲。


最初、普通の精神科医に相談してる歌かと思いきや、この歌詞での《Dr.》って、ギリシャ神話に出てくる神・クロノス(時間を操れる)のことなのでした。

メロディーラインが急に行進曲みたいにガラリと変わるのも面白い。


映画『フラッシュ・ダンス』の主題歌『WHAT A FEELING』は、大胆なアレンジ・カヴァー。(ほぼ別モノと言ってもよいかも。「♪WHAT A FEELING〜」って歌うところしか、もはや原型が残っていない)


どれもこれも見どころ満載。

一曲一曲が全力投球である。(しかもトーク一切無し)


この『BEST・FICTION』のライブは必聴である。(観たことが無い人は是非ご覧あれ)



そうして、そんなライブを続けていた安室奈美恵も40歳になると、ピタリと引退した。(2018年)


人によっては年齢と共に、振り付けを簡略化したり、キーを下げたり、テンポを緩やかにして乗り切る者もいるのにだ。(誰とは言わない)


それが出来ないほど、安室奈美恵という人は根っから、生真面目な性格だったのだろう。


引退後の情報は一切聞こえてこないが、山口百恵のように《キルト制作》など、別の生きがいを見つけていればよいのだが ……


このブログを書きながら、そんな要らぬお節介を考えてしまうオッサンなのでした。(長い間お疲れっす!)




2025年3月25日火曜日

ライブ 「山口百恵の《伝説から神話へ - BUDOKAN … AT - LAST - 》」

 1980年11月。




決して、上の写真は『カトリーナ陽子』ではございません(笑)。(この令和に百恵ちゃんのものまねタレントが現れるなんてね)


正真正銘、山口百恵の引退コンサートの様子である。


山口百恵といえば70年代に活躍したスーパー・アイドル。80年に入ると結婚して、とっとと引退してしまったのは日本人なら誰でも知るところ。


もちろん、芸能生活はわずか7年間でも、その間に何度かコンサートを行っているはずなのだが、山口百恵のコンサート・ライブを観ることができるのは、この《伝説から神話へ》の武道館引退コンサートだけ。


なぜなら、山口百恵の活躍時期が《70年代》だったからなのだ。


70年代といえば、まだ日本ではビデオなどが、大変 高価✨ な時代。


ビデオ・デッキも相当なお金持ちしか所有できないくらいの超高級品だった。(1964年にソニーによって開発された《CV2000》というビデオ・デッキが当時の価格で198,000円。この頃の大卒初任給が、わずか20,000円くらいの時代にですぞ!)


《↑CV2000のビデオ・デッキ》



だから、テレビ局にしても、ドラマなんか一回放送してしまえば、その上に何度も重ね撮りしてしまい、以前のモノは残っていないモノが、ほとんどなのだ。(そのくらいビデオ・テープも超高額だったのである)


近年、山口百恵の《夜のヒットスタジオ》DVDなんかも発売されたりもしたが、コレも完全版ではない。


百恵ちゃんのデビューは1973年の『としごろ』だったのだが、テレビ局にさえ、その頃の映像は、もはや残っていないのだ。(《夜ヒット》には1975年以降、9曲目の『夏ひらく青春』からの映像が収められている)

沢田研二にしても、西城秀樹にしても、また、しかりである。(1975年以降で収録されている)


だからこそ、この引退ライブの映像が、とても希少なモノなのだと分かってもらえると思う。


そうして、百恵ちゃんが引退し、80年代の半ばになった頃、やっと一般家庭にもビデオ・デッキが普及しはじめた。(うちにもビデオ・デッキがやってきた)


近所にはレンタルビデオ店が並びはじめ、そこには山口百恵の引退コンサート《伝説から神話へ …… 》のビデオが置かれているのを見つけたのだった。(昔は音楽ビデオのレンタルも平気で並んでいた。今じゃ版権や著作権でうるさいだろうけど)


ラインナップはこんな感じ。


1∶This Is My Trial(私の試練)

2∶夢先案内人

3∶横須賀ストーリー

4∶(メドレー)ひと夏の経験〜冬の色〜青い果実

5∶いい日旅立ち

6∶曼珠沙華

7∶秋桜

8∶不死鳥伝説

9∶歌い継がれてゆく歌のように

10∶さよならの向う側

11∶This Is My Trial(instrumental)


全部で、たった11曲。

これを見て、(おっかしいなぁ~、引退コンサートにしてはあまりにも短すぎるし、『プレイバック Part 2』や『ロックンロール・ウィドウ』など他のヒット曲も歌わなかったんだろうか …… )と思っていたものだが、同じVHSビデオでも《ロング・ヴァージョン》なるモノが1983年に発売されて、既に存在していたのでした。


こちらは上記のモノに6曲が足されて全17曲である。(これで約120分近く)



そうして、DVDの時代になってくると、またまた《完全リミックス版》なるモノが発売される始末。(さらに数曲が足されて楽曲は23曲(数曲のメドレーは、まとめて【1】とカウントする)+特典Single Discography)


このDVDは買い求めて、何度も観て楽しんでいたものだが、しばらくすると、またもや驚愕の事実を知ってしまう。


謝肉祭という曲が一つだけ抜け落ちていたのである!(どこが?《完全版》なんじゃー?!💢)


なんでも『謝肉祭』の中で歌われている「♪ジプシー、ジプシー♪」というワードが《差別用語になっている!》とかどうとか …… (今じゃ《ジプシー》の事を《ロマ》というのが正しいんだとか)


……… でもねぇ~、それを言うなら中森明菜が平気で歌っている『ジプシー・クイーン』なんて曲はどうなんだ!って話よ!(もろ、タイトルも《ジプシー》じゃん!)


こんな声が届いたのか、どうなのか、2006年発売の《Momoe Live Premium》で、ようやっと、『謝肉祭』も収録されて、本当の完全版になる。(なんだかここまでくると、何度も《完全版詐欺》にあってるような気もしてくるが …… )


そうして、音声や色彩まで補正が加わった現在のBlu-rayの形に落ち着くのである。(これで150分近くである)



さすがにぶっ通しで観ると「2時間半は長いなぁ〜」と思うし、「衣装チェンジ少な!」(4回しか着替えてない)とも思うけど、百恵ちゃんの歌唱はブレる事もないし、最後まで全く衰えない。


むしろ「本当に同じ人間か?」と思われるほど驚異的な体力である。


合間合間のトークもお客さんたちを飽きさせないように楽しませて笑わせて …… 

これが当時、若干20歳の女の子だったのだから、今更ながらに恐れ入る。


やはり、山口百恵という人は《別格》なのだ。


そうして、これは私が昔から勝手に思っている事だが、成人式にはどんな祝辞の言葉よりも、このライブビデオを是非見せるべきだと思う。


少しでも、しっかりした大人になれるように ……

山口百恵に近づけるように … ね



※《蛇足》

最初に書いた『カトリーナ陽子』さんについてだが、化粧や仕草は似せられても歌唱の方は、まだまだ。(なんせ、あの低音は女性には難しい)


それに、百恵ちゃんは、一人称の《ワタシ》と《アタシ》を上手に使い分けて歌っている。


ワタシに該当するのが、『いい日旅立ち』や『秋桜』など。


激しい曲では、いつもアタシと歌ったりしている。


「♪交差点では隣りの車がミラー擦(こす)ったと~。怒鳴っているから、アタシもついつい大声になるぅ~」(プレイバック Part 2


「♪心の貧しい女だわ~、あ〜あ〜アタシ」(愛の嵐


「♪いい加減にして!アタシ、あなたのママじゃ〜ない」(ロックンロール・ウィドウ


顔は無表情を装(よそお)ってても、腹から自然に沸き立つような感情の声を響かせる。


これができれば完璧である!(笑)

完全なる百恵への道のりは、まだまだ遠い ……(おしまい)


2025年3月23日日曜日

ライブ 「森高千里の《古今東西〜鬼が出るか蛇が出るかツアー》」

 1991年。





歌って、踊って、次から次に衣装チェンジを繰り返して …… 


最初から最後までエンジン全開。

一言で言えば、もう がむしゃらな感じのライブである。


久しぶりに森高千里の《古今東西〜鬼が出るか蛇が出るかツアー〜》のライブを観返してみて、少し元気をもらえた気がする。(私事だが最近色々あったので …… ゴニョゴニョ …… )


このライブ時には、後のヒット曲となる『私がオバサンになっても』や『渡良瀬橋』、『気分爽快』、『二人は恋人』などは、まだ世に出てはいないのだが、それでもこの《古今東西ライブ》は至極の出来。

今から森高千里のパフォーマンスを楽しみたいという人には、このライブDVD or Blu-rayを是非オススメする。


でも …… 

こんな森高千里でも最初から順風満帆だったわけではない。



1987年に、風見しんご主演の映画『あいつに恋して』のヒロイン役と主題歌『NEW SEASON』でデビューしたという森高千里

映画はあまりヒットせず、デビュー曲もさっぱりだった。

2曲目、3曲目も、また、しかりである。


ミーハー』という曲で、やっと作詞に挑戦するも、急性胃腸炎で入院。原因は過度の《ストレス》だった。

(若い娘が《ストレス》なんて?)と思う人もいるだろうが、やっぱり、この広い芸能界売れた者、勝ち!なのだ。


(何で?私って売れないんだろう …… 歌がヘタクソだから?それとも音痴だから?)


悶々と悩んだ日々の積み重ねが《ストレス》という形で現れたのかもしれない。(この経験が次作『ザ・ストレス』で突破口を開く事になるけど)



ここでハッキリ言っておくが、森高が《音痴》とか《歌がヘタクソ》とは、私自身、全く思っていない!(ここは特に強調しとく)


本人が自虐的な歌詞で、「♪わるいけど私は歌がヘタよ〜♪」なんて歌ったりしてるが。(『非実力派宣言』より〜)


ただ、(鼻にかかったような)《独特な声》なのだ。


それでも、自分の心の内を歌詞にして歌ってしまうことは、コレはコレで健全なストレス解消のやり方なのかも。


「♪わるいけど私は歌がヘタよ〜。でも、やるしかないの〜、ゴメン!我慢してね!」(非実力派宣言)なんて歌詞は、同時に自分のハードルを充分に下げてくれている。


本人もこれ以降、肩の力を抜いて芸能界で生きやすくなったんじゃないのかな?


南沙織の『17才』をカバァーしてヒットさせると、やっと、ここにきて《森高スタイル》が定着する。(あの定番のミニ・スカート姿も)


そうして、ここから森高の快進撃がはじまるのだ!



この《古今東西ライブ》では、初っ端から江戸の町娘姿で『鬼たいじ』を歌い、間奏の途中で脅威の早着替え。

ステージの端から端をハイヒール(ピンヒールなのか?)で踊りながら駆けずり回っている。


メドレーでは、(何枚重ね着をしてるんだ?この人?! …… )と思わせるくらいステージ上で、次から次に脱いでゆき、新しい衣装が現れる森高千里。(人間マトリョーシカかよ!(笑))


その勢いは終盤の『勉強の歌』や『この街』(私のイチオシ)までノン・ストップ。

全く衰える様子もない。



まるで、

(このライブが終わったら、ぶっ倒れようがどうなろうが、いっこうに構わない!!)というような覚悟が ……


後年、本人もこのライブビデオを観かえしてみて、「私、こんなに最初から最後まで踊りまくって、ずっと笑っていたんだ …… 」とビックリしていたそうな。


アンコールの『』をしっとり聴かせて終わりかと思いきや …… またもや出てきた森高千里。

ダブル・アンコールで熱唱するのは『見て』。


「♪ちゃんとワタシ見て!まだまだダメよぉ〜、まちがいだらけね!観察足りないから〜♪ …… 」


私を「見て!」「見て!」と命の叫びのように連呼する森高。


あれからも、ちゃんと《見て》ましたよ、ワタクシ。


間違いなく、この《古今東西〜鬼が出るか蛇が出るかツアー〜》は、森高千里のターニングポイントとなる、伝説的ライブなのである。(元気が出るぞ~)