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2021年8月1日日曜日

映画 「上海特急」

1932年 アメリカ。




内戦が続く混乱の時代……


中国は北京から~上海までの長い距離を走る《上海特急》が今、出発しようとしている。



そんな《上海特急》の一等車両には、それぞれの事情を抱えた乗客たちが乗り込んできた。


上海で下宿屋を営んでいる年老いた『ハガティ夫人』は、一緒に連れて来た愛犬がバレやしないかとヒヤヒヤしている。(結局バレて愛犬は貨物車に連れていかれるが…)



杖をついているドイツ人『エリック・バウム』は、座席にいても、とにかくイライラしていて落ち着かない様子だ。

他の者が客車の窓を開けようものなら、「風を入れて、私を殺す気か?!」と大騒ぎする。



「この列車は、多分予定通りには上海に着かないね。なぁ、賭けるか?」なんて言う、なんでも賭け事にしてしまう呑気なオッサンは『サム・ソールト』。



フランス語しか話せない『レナール少佐』は周りの言葉が分からないので、ただ戸惑うばかり。(歳をとって除隊したのに、見栄で軍服を着てる)



白人と中国人の混血である『ヘンリー・チャン』氏は、その見た目から、一見何を考えているのか分からない。



イギリス軍の軍医であり、外科手術の名医でもある『ハーヴェイ』(クライヴ・ブルック)は、中々の色男。

目的は、上海で依頼されている政府高官の脳外科手術を行う為である。



そんな列車に、いかにも目立つ、二人の女性客の姿もある。

中国人の高級娼婦『フイ・フェイ』、もう一人は、《上海リリー》と渾名されている美女である。



「あんな女たちがいるなんて、なんて客車だ!」

お堅い牧師の『カーマイケル』は、二人を見ながら侮蔑の言葉をはく。



特に《上海リリー》(マレーネ・デートリッヒ)は、その美貌で男たちを手玉にしてきた悪名高き女性なのだ。


だが、そのリリーを見て、ハーヴェイ医師の顔色が一瞬で変わった。


「マデリン……マデリンだ」

5年前、付き合っていた愛しいマデリンだったのだ。



二人は愛し合う仲だったが、ほんの行き違いから別れてしまい、それ以来音信不通。

ハーヴェイは仕事に打ち込んで、マデリンを忘れよう、忘れようと努力してきたのだ。


そのマデリンが《上海リリー》として、今、目の前にいる。


「お久し振りね、先生…」

落ちついた表情で、煙草の煙りを燻(くゆ)らせながら、マデリンの瞳がハーヴェイを見つめる。


もはや、過ぎ去った日々……だが、目ざといマデリンは、ハーヴェイの時計に気がついた。


「私がプレゼントした時計……まだ持っていてくれたのね」


そう、私は、まだマデリンの顔写真が入った、この時計を捨てられないでいる。


マデリンの自信たっぷりの顔に、ハーヴェイは少しイラついて、怒った表情になった。


《上海特急》の列車は、そんな様々な人々を乗せて、ゆっくり、ゆっくりと、長く続いて行く線路を走り出す……



映画でも、《列車もの》って呼ばれるジャンルが、大、大、大好きである。


古くは、ヒッチコックの『バルカン超特急』から、クリスティーの『オリエント急行殺人事件』、最近blogでも書いた『カサンドラ・クロス』などなど……


《列車》の旅は、それだけで自分をワクワクさせてくれて、妙に物語の世界に引き込んでしまう。


この、大昔の『上海特急』は、主演がマレーネ・デートリッヒだし、《列車もの》だし、やっぱり1度は観たかった映画だ。



………で、観たのだけど、やっぱり少々古すぎたかな?



映画は80分足らずの長さなのだが、どうにも少し間延びしすぎているように感じてしまった。(しゃ~ないか、1932年だし)



この後、列車は止まり、一人の男が逮捕されて連れていかれる。


どうも反政府の者らしいのだが。(「なぁ、俺の言ったとおり列車が遅れただろう?」なんて言う、賭け事好きのオッサンは少々ウザい)



それから、しばらくすると、またまた列車はストップさせられて、列車の周りを妙な団体が取り囲む。


「一等車にいる者たちは、全員表に出ろ!!」


みんなブツブツ言いながら、駅のそばの建物の前まで連れて来られると、一人一人が順番に呼ばれて中へ通された。



そこには、仲間に囲まれて中央に鎮座している、あの白人と中国人の混血である『チャン氏』がいたのだ。


『チャン』の正体は、なんと!反政府軍のリーダー、大ボスだったのである。


「先程、中国政府に連行されていった男は、我々の大事な同志だ。是非、返してもらわなければならない。その為、この一等車の乗客の中に、人質交換に値する者がいるかどうか、一人ずつ尋問する!」


もう、大変な事になったぞ!



下宿屋を営んでいるハガティ夫人はヒステリー気味。


ドイツの商人バウムは、裏で阿片の密輸をしている事をチャンに見破られると、焼きゴテをされてしまう。

「ギャアアァーーーッ!」(なんて残酷な)



こんなチャンが、結局、人質交換に選んだのは、ハーヴェイ医師だった。(軍の外科医なら、政府も要求をのむはずと踏んだのだ)


「あぁ~、どうすればいいの……」


《上海リリー(マデリン)》は、もう取り澄ました表情なんてできやしない。


ハーヴェイを今でも愛しているのだ!それも熱烈に。


「神様、どうかハーヴェイの命をお助けください……」と、震えながら手を合わすマデリン。


その様子を牧師のカーマイケルは、偶然見てしまう。


(わしが間違っていたかもしれん……彼女は彼をとことん愛しているのだ……)



やがて男が無事に開放されるのだが、卑怯者のチャンは、ハーヴェイを開放する気はサラサラなかったらしい。


「奴の目玉を、この焼きゴテで潰してから返してやる!」なんて言ってのける。


もう、黙ってられないマデリンは、チャンのところへ乗り込んでいって、自ら直談判。


「私があなたのモノになるから、彼を開放して!!お願いだから!!」


マデリンの懸命の叫びに、(美人の《上海リリー》が俺のモノになるなら…ウシシ……)と好色そうな笑みをたたえて、やっとハーヴェイは無事に開放された。


だが、事情を知らないハーヴェイの気持ちは……


(あんな男に寝返るなんて……なんて女なんだ!)

マデリンに失望し、軽蔑までしてしまう始末。



やれやれ、どこまでいってもスレ違いの二人……果たして二人の運命は………



こんな感じが、《上海特急》のあらすじである。


もちろん、この後、マデリンは無事に救いだされて、二人の誤解も溶けて、ハッピーエンドになるんだけどね。(あっ、言っちゃった! まぁ、いいか………古い映画だし。この後は、中国人娼婦『フイ・フェイ』と、『カーマイケル牧師』が活躍するとだけ言っておく)



それにしても、『モロッコ(1930)』、『上海特急(1932)』と観てきて思ったことだが、この両方を監督したジョセフ・フォン・スタンバーグ、「だいぶマレーネ・デートリッヒに助けられているなぁ~」ってのが率直な感想である。


二人はゴールデン・コンビと呼ばれていたらしい。


他にも『嘆きの天使』、『間諜X27』なんて映画もコンビで撮っている。


だが、とうとうスタンバーグの奧さまの嫉妬(キィーッ!)で、このコンビが離別してしまうと、たちまちスタンバーグの映画は精彩を欠いて、まっ逆さまに転落していったそうな。



………でも、分かるような気がする。


綺麗な絵面は撮れても、初めに書いたように、あまりテンポがよろしくないので。(現代の我々から見れば、展開が余りにもノンビリに見える)


この人の映画自体、どれもこれも、だいぶマレーネ・デートリッヒの演技や個性に寄り掛かかりすぎてるような気がするのだ。(そこへいくと、同じような30年代の映画でも、ヒッチコックの映画は、今観てもテンポが良くて飽きさせないのだから凄い!)



それでも、マレーネ・デートリッヒの《クールさ》から一転、《激しい情愛》は見応えあり。


この映画も、そんな振り幅の広い演技力に支えられている。


それに個性的な出演者たちをプラスして、ギリギリ星☆☆☆☆。


この映画から、そろそろ1世紀近く。

映画の作り手も、観る側も少しは進歩してるのかな?


※それにしても、ハガティ夫人以外は、皆、ちと煙草の吸いすぎじゃないか? 


列車の煙といい、煙草の煙といい、実に煙い映画である。( 笑 )


2019年11月6日水曜日

映画 「モロッコ」

1930年 アメリカ。






外人部隊にいる『トム・ブラウン』(ゲーリー・クーパー)は、戦争より、色事師向きである。


その長身とハンサムな顔で、隙さえあれば(休憩時間の合間でも)街の女たちに色目をつかっていた。(女たちも悪い気はしないらしい)


上官に、

「どこを見ている?!ブラウン!」

と、叱咤されても全然ケロリとしている。



灼熱のモロッコは暑く、ブラウンのいる部隊は、しばらくここに駐在するようだ。



そんな時、モロッコの港に船が着いた。



一人の女が甲板で物憂げな表情をしている。


美しいその女性に、同じ船に乗り合わせた一人の紳士風の男、『べシェール』(アドルフ・マンジュー)は、声をかけずにはいられなかった。


「失礼ですが、お一人ですか?マダム」

名刺を差し出すべシェール。



「モロッコは、初めてでしょう、何かお困り事があればいつでも…」



その女『アミー』(マレーネ・デートリッヒ)は、

「ご親切に」

と言って名刺を受け取ったが、しばらくすると名刺を何度も破り、手のひらにのせた残骸を、指でチョン!と弾いてみせた。



紙切れは、ヒラヒラ海に落ちてゆく。


そんな扱いをうけてもべシェールは、アミーの事が気になってしょうがない。(美人は得だ)



船長にアミーの事を聞くと、「きっと舞台女優か、歌手でしょうよ」と答えた。


「我々は、この港で降りる客を『自殺志願者の客』と呼んでますよ。旅立ったら決して戻ってこない……」


船長の言葉にべシェールは黙りこんだ。




― そして、夜のモロッコの街。


劇場も兼ねている酒場には、金持ちから、外人部隊、流れ者たちがひしめきあっていた。



先程のべシェールも知り合いの金持ちとテーブルについている。


そして、トム・ブラウンは舞台前の席でふんぞりかえっていた。


そこへ、トムにメロメロのブスな女が、やって来た。


「ごめんなさいね、待った?」

ブスな女は、ハァハァ息を吐くと、「色々、あたしにも都合があるんだからね」と、取りあえず言い訳した。(ブスのくせに(笑))


トムが振り向きもせず、
「座れよ」というと、舞台の幕があがり、演奏が始まった。



舞台中央では、座長が前口上の挨拶をしている。

「紳士淑女の皆さま、今宵はアミー・ジョリー嬢の初舞台でございます。いつものようにむかえてくださいませ!」


座長が言い終わると誰かが、

「ここでは、初舞台では野次をとばすんだぜ」
と呟いた。


その言葉はまわり中に伝染したのか、出る前から野次の嵐。



そこへ、アミーが現れた。シルクハットに燕尾服を着て、煙草を吹かして……。



美しいその姿に、真正面にいたトムは言葉がでない。



ブスな女は、

「なんなのさ!気取りやがって!さっさと帰れ!引っ込みなさいよ!」

と野次をとばしている。



アミーは、そんな言葉も聞こえていないのか、一点を見つめながら動じる様子もない。



「うるさい!黙れ!静かにしろ!」


トムはいつの間にか、ブスな女や外野たちを黙らせる為に、自ら立ち上がっていた。


そして、野次が静まりかけた頃、アミーが歌いだした。


観客たちも静まりかえっている。劇場いっぱいに広がるアミーの美声。



さっきの野次は、たちまち歓声に変わり、大喝采の拍手が劇場いっぱいに響きわたった。


「ちょっとあんた!どこがいいのよ、あんな女の!聞いてるの?!」


ブスな女の声も顔も、一瞬でトムの頭から消し飛んだ。



目の前のアミー、美しいアミー。


色事師のトムが恋に落ちた瞬間だった……。




日本初のトーキー映画が、この『モロッコ』なのは有名な話だ。



それまでサイレント映画が主流の世の中、映画の横では、弁士が映画の説明や流れを紹介しながら、映画を観ていた時代。



そこへ字幕スーパー付きの『モロッコ』が現れた。


たちまち弁士は職を失った。


気の毒な話だが、これ以降、この横の字幕スーパーが、今、現在我々が観ている映画の基本型を作ったのだと考えると、この『モロッコ』は、日本人にとって記念的作品になると思うのだ。



そんな『モロッコ』は当時、爆発的にヒットした。


マレーネ・デートリッヒの美しさや歌声に惚れたのはトムだけではない。


マレーネは、この映画で世界中を虜にしてしまった。



トム役のゲーリー・クーパーは、この時、まだ無名で自ら売り込んで、この映画に出演した。


ゆえに映画ポスターにゲーリー・クーパーがいないのを見た熱狂的な女性フアンたちが大騒ぎしだした。


「なんでポスターにゲーリー・クーパーが載ってないのよ!!」


映画会社は、急きょ大慌てでポスターを作り直したという。


本当にそれもわかるくらい、89年前の、このゲーリー・クーパーの超ハンサムな事。



それにマレーネ・デートリッヒ(この時29歳)

いったいどんな人生経験してきたの?ってくらい世の中を知り尽くしたような目をしている。


その退廃的な雰囲気は、昨日今日で、どうにか、まとえるものじゃない。




この時代、男も女も本当に成熟した感性を持った大人なのだ。


こんな人たちを前に、チンケな自分が何を言える事があるだろうか。

星☆☆☆☆です。

2019年6月8日土曜日

映画 「舞台恐怖症」

1950年 イギリス。






どんな巨匠にも失敗作というものはある。



アメリカに渡り、『レベッカ』で成功した後も、数年間、口うるさいプロデューサー、セルズニックに耐えに耐えた日々。


その契約が終わったヒッチコックは、久しぶりに故郷イギリスに帰ってきた。


そして、イギリスに帰ってくると、この『舞台恐怖症』を撮りあげたのである。

でも………。



後年、本人も「あれは失敗作だった」と認めているし、自分もそう思う。





若い青年『ジョナサン』(リチャード・トッド)は、女友達で舞台女優の卵、『イブ』(ジェーン・ワイマン)の元へやってきた。


「警察に追われているんだ、匿ってくれ!」と。


イブはジョナサンを自分の車に乗せながら、「何があったか教えてちょうだい」と言うと、ジョナサンは語りだした。

実は………。




※有名女優『シャーロット』(マレーネ・デートリッヒ)がジョナサンのアパートを訪ねてきた。


荒い息で、「あぁ、ジョナサン、私、主人を殺してしまったの!」と玄関先で叫ぶシャーロット。


コートの前を広げると、白いドレスは血だらけ。


仰天したジョナサンは、シャーロットを部屋にひきいれた。


シャーロットが言うには、ちょっとした口論の末に、誤って殺してしまったと言うのだった。

「慌てて出てきてしまって……、こんな格好で……お願い!ジョナサン!私の家に行って代わりのドレスを持ってきてちょうだい!」

「ぼくがかい?」

「頼れるのは貴方だけなのよ!お願い!」


美人のシャーロットの懇願に、ジョナサンは断れず、屋敷にドレスを取りに行った。


強盗に襲われたようにして、窓ガラスを割り、オフィスを荒らしてまでして、状況証拠まで工作するジョナサン。


その時、「キャアアアー!」の叫び声。


ジョナサンはドレスを手に取ると一目散に逃げ出した。


「その叫び声は、きっとメイドのメリーだわ」

ジョナサンが持ってきたドレスを、手早く着ながらシャーロットが言う。


「顔を見られた?」

「分からない……とにかく君は早く劇場へ行ってくれ!、血のついたドレスは、ぼくが処分するから」


「ありがとう、ジョナサン!」シャーロットはそう言うと出ていった。


だが、警察の行動は早かった。


警察は犯人をジョナサンと決めて、追いかけてきた。


逃げ場を失ったジョナサン。


ジョナサンは昔からの女友達イブに救いを求めたのだった。※




「そうだったの……」ジョナサンの告白に何ともいえない顔で、ハンドルを握るイブ。


ジョナサンにとっては、只の女友達でも、イブにとってジョナサンはかけがえのない愛する人なのだ。


「これからどうすればいい?」イブが言うと、

「イブのお父さんのボート小屋にしばらく匿ってくれないか?」とジョナサン。(虫のいい男)




夜半、ボート小屋にたどり着いた二人。


風変わりなイブの父親(アラステア・シム)は、嫌な顔もせず、二人を暖かく向かい入れた。


疲れてグッスリ眠り込むジョナサンのそばで、イブはここまでの全ての出来事を、父親に打ち明けるのだった。


「お願い!助けてお父さん!彼を愛しているのよ!」

イブの嘆願に、父親は困惑した顔をするのだったが………。







おもいきってネタバレしてしまおう。(自分にしては珍しい)



このジョナサンの最初の独白(※→※)全て《 嘘 》である。



嘘のつくり話を、延々、我々は映像として見せられているのだ。



これは、あまりにも、観客に対しても、ミステリーとしても、フェアなやり方ではないんじゃないか?!(サスペンスの巨匠が、こんなヘマをやらかすなんて、どうかしてたのか?この時期のヒッチコック)


ジョナサンの語り口だけで、それを説明するなら、まだ分かるが、このマレーネ・デートリッヒまで、担ぎ出した映像が、全て《 嘘 》なのは、ひどすぎる。


この場面が全て《 嘘 》ならば、映像からしか知り得ない観客は、何を頼りに、この映画を信用すればいいというのだろう。

あきらかに《 大失敗 》である。





この映画を、昔、最後まで観た時、

「なんじゃこりゃー!」

と、巨人の星の、星一徹じゃないが、ちゃぶ台をひっくり返したくなったぐらいだ。(たぶん大多数の人がそう思うはずだ)


大スター、マレーネ・デートリッヒの出演を獲得し、それだけで浮かれてしまったのだろうか。(当然、舞台女優としてマレーネは、得意の歌声も披露している)


そのくらい、いつものように美しいマレーネ・デートリッヒ。


でも残念ながら、それをビリー・ワイルダーが撮った傑作『情婦』のように、うまくいかせなかったヒッチコック恩大。


つくづく残念である。




1度、歯車が狂うと、それは出演者にまで派生するのか……。




主演のイブ役、ジェーン・ワイマンは散々だった。


脇役とはいえ、マレーネの美しさを間近に見て、打ちのめされ、嫉妬し、泣きあかした。


「あんな綺麗な人に勝てるはずがない……あんな人の隣では、私なんて、あまりにも地味で目立たない女だわ……」


比べる事もないと思うのだが、ジェーン・ワイマンは、泣いてばかりいたそうな。(そこまで自分を卑下しなくてもいいのに……でも、同じ女性にそこまで思わせるマレーネ・デートリッヒの存在って………どれだけ、当時、大スターだったのか分かるエピソードである)



『青の恐怖』に出ていたアラステア・シムが、ジェーン・ワイマンの父親役として、映画の中でも庇い、慰めているが、何だか映画と、現実がオーバーラップして見えてしまうのである。



ヒッチコックの数多い作品として、この映画も、当然のようにDVD化されて、観ることができる。


でも、たまに観ても、つくづく残念な溜め息がもれるのだ。


星☆

※ブログ内参照……ビリー・ワイルダー「情婦」、ヒッチコック「レベッカ」

2018年11月27日火曜日

映画 「情婦」

1957年 アメリカ。






原作はアガサ・クリスティーの『検察側の証人』。


そして、監督はビリー・ワイルダー



『サンセット大通り』、

『第17捕虜収容所』、

オードリー・ヘプバーンと組んだ『麗しのサブリナ』、『昼下がりの情事』、

マリリン・モンローの『七年目の浮気』、『お熱いのがお好き』、

『アパートの鍵貸します』などなど………


いずれもワイルダー監督の残した作品は、名作、傑作の粒ぞろい。

まさに巨匠といってもいい監督さんなのである。




で、この巨匠が撮った、この『情婦』であるが、これまた大傑作なのだ。(ビリー・ワイルダーの映画にハズレなしと言いきってしまおう。)



この映画以前にもクリスティーの原作は、いくつも映画化されているのだが、ほとんどが失敗作だった。(ポワロものは、原作とかけ離れた人物造形だったり、ミスマープルもしかり…)



原作者のクリスティーも映画化には、ガッカリさせられてばかりで、この頃には乗り気も薄れていた。(後年、オリエント急行殺人事件が大ヒットするが、1974年なのでまだまだ先の話なので)



そして、やっと、巨匠によって作られた、この映画の成功でクリスティーの溜飲も下がるのである。






有名弁護士『ウィルフレッド卿』(チャールズ・ロートン)は、長い病院暮らしから、やっと開放された。


だが、喜ぶ気持ちとは逆に、憂鬱な面持ちで、久しぶりの我が家へと向かう車へ乗車していた。



おしゃべりで口うるさい看護師の『プリムソル』(エルザ・ランチェスター)がついてきたのだ。


「お酒もタバコもダメですよ!退院しても安静第一なんですから!!」

家に帰りついてからも、やれ、お昼寝の時間だ!、なんだ!と口うるさいプリムソル看護師。



ステッキの杖に隠しもっていた葉巻3本も簡単に、見つけられて取り上げられてしまった。(やれやれ…)



ウィルフレッド卿は、英国でも高名な弁護士だったが、当分、ろくな仕事もさせてもらえない。(「裁判が長期になればお身体にさわります」と執事も看護師も心配して猛反対するのだ。)



こんな窮屈さに辟易していたところへ、昔なじみの事務弁護士『メイヒュー』が訪ねてきた。


若い男を伴って。



「ぜひ、力を貸してくれないか?」

連れてきた青年は、名を『レナード・ボール』(タイロン・パワー)といい、もっかエミリー・フィンチ事件で逮捕されそうだというのだ。



エミリー・フィンチは、孤独な富豪の未亡人で、神経質な家政婦と暮らしていた。


ある日、帽子屋で、エミリーに似合う帽子を選んでやったことがきっかけで、レナードは、偶然知り合ったと言う。


そして、次は映画館で偶然出会い、意気投合した二人、

レナードは、エミリーの屋敷に、度々招待されるようになったのだった。



発明家のレナードは、玉子の泡立て機を、屋敷で実演してエミリーに買ってもらったりもしていたらしい。(全然売れそうにないが)


だが、ある夜、家政婦が帰ってくると、屋敷の中でエミリーが殺されていた。



最期に生きているエミリーに会った人物はレナードだけで、警察も疑っているというのだ。



「アリバイはあるのかね?」ウィルフレッド卿は、レナードから、1本もらった葉巻を吸いながら質問した。(オイオイ!)



「きっと妻のクリスティーンが証言してくれます!」

殺害時刻の夜9時半には、ちゃんと家に帰宅していたし、それを妻が証言してくれるはずと、レナードは答えた。



年老いて孤独なエミリー夫人には、同情していたが、愛しているのは妻のクリスティーンだけだと…。




だが、エミリーは遺言状で全財産をレナードに遺していた事がわかると事態は一変。


「僕はそんな事は知らない!、信じてください!!」


空しい訴えをよそに、警察がやってくるとレナードはウィルフレッド卿の目の前で連行されていった。




あとに残されたメイヒューとウィルフレッド卿は、応接室で考え込んでいる……。


(あの善人そうなレナードは犯人だろうか………だが、この今のワシには弁護なんてする力さえない…………)


思案中のウィルフレッド卿。


「レナードの妻、ボール夫人には、この事をどう伝えてよいのやら…」

メイヒューも考え込んでいる。



そこへ、


「その心配はございませんわ」

一人のスラリとした女性が、玄関の戸口に立っていて二人に挨拶したのだった。



女性の名は、レナードの妻『クリスティーン』(マレーネ・デートリッヒ)。


「主人はやっぱり逮捕されましたのね」

動揺もせず、冷静に他人事のように淡々と話すクリスティーンに、メイヒューもウィルフレッド卿も逆にドギマギしてしまった。



「奥さん、このイギリスでは献身的な妻の証言は、裁判でも、あまり信憑性もなく、懐疑的にとられるのはご存じですかな? レナード君のアリバイを証言するのもあなたの言葉だけでは……」



「私、妻じゃございませんの」

言い捨てるクリスティーンに、「えっ?!」と呆気に取られる二人。



戦時中、東ドイツで既に結婚していたが、レナードと英国に来るために、すでに結婚していた事を、レナードには黙っていた。

こんな風にクリスティーンは、いけしゃあしゃあと、二人に話し出したのだ。



「それでは二重結婚だ!!」


「なんとでも!でも裁判では、レナードのいうように、うまく証言してみせますわ。一応イギリスに連れてきてくれた恩もありますしね」


冷淡なクリスティーンに言葉も失う二人。



クリスティーンが帰っていくと、ウィルフレッド卿は、なにかをじっと考えていたが、やっと決心したらしい様子だった。


「よし!レナード・ボールの弁護を引き受けよう!」


ウィルフレッド卿の決断は、執事や看護師のプリムソルを怒らせ、呆れさせ、慌てさせたが、もう誰も止める事ができない。



こうしてレナードを救う為、裁判の幕は上がったのだった …………






ここから先は、法廷で、いよいよ裁判が始まるのだが、これ以上は書かないでおきます。




この映画には、映画史上、まれにみる素晴らしい《大どんでん返し》が隠されているので。



クリスティーならではの仕掛けに、はじめて観られる方はビックリする事と思います。(最初、観たときはホント、「ガガーン!!」と衝撃的でした。しかも小説の上の上をいくような大どんでん返しに!)




でも映画は、どんでん返しだけでなく、脚本も演出も役者さんたちも素晴らしいです。



マレーネ・ディートリッヒもこの時50歳を越えているが、いつまでもお綺麗な事。


チャールズ・ロートンは、以前『狩人の夜』で少し触れましたが、監督もしてるし、見た目は肥ったタヌキオヤジですが、ちょっと生活はだらしないけど有能な弁護士を見せてくれます。


タイロン・パワーの誠実そうな青年が、裁判が進むにつれて状況が悪くなり、怯えて、死にもの狂いの様は、見事です。





でも、なにより、一番素晴らしいのは、やはりビリー・ワイルダー。


なにもかもが完璧、いうことなし。


やはり、巨匠と言われる人は、最初の題材選びから違うのだ。




2時間くらいの映画を撮る場合、映画の脚本は、せいぜい120ページ~150ページくらいだろうか。


長編の小説なら400ページ以上ある。


それを2時間の尺に埋めるためには、当然削る作業をしなくてはならない。(要らないエピソードや不用な登場人物などなど台詞も大幅に削られる)




それよりは、短編小説の方が映画にしやすい事を、巨匠と言われる人たちはちゃんと知っているのだ。



この『情婦』…『検察側の証人』も短編である。


原作には、口うるさい看護師のプリムソルも出ないし、執事も出てこない。


隠れて葉巻を吸うなんてエピソードもない。



短いエッジのきいた短編の大まかなあらすじは変えずに、映画ならではの肉付けをしていく、これが演出なのである。




以前、ここであげたヒッチコックの『裏窓』もウイリアム・アイリッシュの小説の短編である。


小説では、男のマッサージ師が出てくるだけで、看護師のステラも恋人のリサも出てこない。


ヒッチコックは、男のマッサージ師の役割を、ふたりに振り分けてうまく演出しているのだ。




ビリー・ワイルダーもそれを分かっている。



クリスティーの傑作、『オリエント急行殺人事件』や『アクロイド殺し』などの長編には、決して食指はのびなかったのだ。



それよりは、短編小説という材料を、自分たちの想像でふくらませて、肉をかたどり、調理し、スパイスを効かせて、うまく料理していく方がいい。



おかげで何十年たっても、美味しいし、冷めない料理(映画)が完成したのである。



映画も料理に似ているかも。

この傑作をどうぞ、堪能してほしい。



星☆☆☆☆☆。(超オススメ!である)

※あ、そうそう、ウィルフレッド卿役のチャールズ・ロートンと、プリムソル看護師役のエルザ・ランチェスター、この二人、実は夫婦である。(トリビアとして)