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2025年5月19日月曜日

人物 「BaBe(ベイブ)近藤智子&二階堂ゆかり」

 活動期間1987年〜1990年。



《↑ 近藤智子(左)二階堂ゆかり(右)》



ここ最近、遠出をするようになって(ぶらり旅)、よく車中で聴いているのが、大昔、流行った《BaBe(ベイブ)》の曲だ。(昔、同名で『ベイブ』って豚🐷の映画もあったが)


BaBe》は、親しみをこめて恋人に呼びかけるような愛称。『うぶで可愛いい僕の恋人』みたいな意味だそうな。(やっぱり《豚》関係なかった(笑))


当時もリアルタイムで観ていたし、聴いていたはずなのに、あまりにも他のアイドルたちの勢いが凄すぎて、この《BaBe》に至っては、自分自身、だいぶおざなりになっていた感じがする。(だって同じ時代に数々のスーパー・アイドルたちが存在していたんですもんね)


でも、こういうデュオやグループなどを売り出すのは、昔から、とても難しいことなのだ。(単体歌手と比べて)


単体歌手なら自分の名前だけを世間に覚えてもらえれば済むことだが、デュオやグループなら《グループ名》と同時に《個人名》を覚えてもらわなければならない。


手っ取り早いのが、短い《ニックネーム》をつけてお互いに呼び合い、それで、まずは世間に認知してもらうことだ。


そうして自己紹介が一番大事!


古くは「ランです、スーです、ミキです。3人合わせて《キャンディーズ》です」とか、

ミーです、ケイです、2人合わせて《ピンク・レディー》です」など ……


ニックネームは短いほどよろしい。


のっちです、あーちゃんです、かしゆかです、3人合わせて《Perfume(パフューム)》です」(ほれみろ。現代でもこの手法は活きているのだ!)


《モーニング娘。》の和田マネージャーは、コレを充分に分かっていて徹底させた人だ。(コンサートでも「一人一人が、絶対に印象に残るような挨拶をするんだ!」とダメ出しにつぐダメ出し)


それで、短いニックネームを必ず覚えてもらうこと。本名などは、後からフアンに調べてもらえれば、それでよろしい。(この考え方に私も大賛成である)


そうして、肝心の《BaBe》なのだけど ……



Michael Fortunati(マイケル・フォーチュナティ)のカヴァー曲『Give Me Up』で、華麗にデビュー。


さすがに、この曲は世界的にも有名だったし、斉藤由貴主演のドラマ『あまえないでヨ!』の主題歌タイアップもありヒットする。


でも、このジャケット写真は、新人のデビュー・シングルとしては ダメダメ!である。


どんなに《ダサい》と言われようとも、新人なんてのは、まず『顔を売ってナンボ!』。横顔のジャケ写なんて有り得ないのだ。


(こんな下手くそなプロデュースをするなんて、どこの会社だ?)と思っていたら、二人が所属していたのは《エスワン・カンパニー》。


南野陽子と同じで、あの!作曲家 都倉俊一が起こした会社なのでした。(エスワンの《エス》は俊一の《》の頭文字をとって《S》。《ワン》は《》からきていて《エスワン》と読ませている)



だが、この《エスワン・カンパニー》、今でも伝説になってるくらい悪名高い会社なのである。(詳しく知りたい方はネットで調べてくださいね)


南野陽子なんて、音楽の企画会議には自ら乗り込んで意見をぶちまけていたそうな。(そうしないと、スケジュール管理から販売に至るまで無茶苦茶な事になるので。でも、それが後に《生意気だ!》なんて、陰口を叩かれる原因になるんだけど …  )


それでもBaBeの二人は同じジャズダンス・スクールに通っていたし(ダンスの下地は充分)、幸い楽曲にも恵まれていた。オマケに歌唱力も抜群。


ただ、会社のプロデュースがねぇ~ … (最悪)



2曲目の『I Don't Know!』もドラマのタイアップもあり、大ヒット。(フジテレビの『アナウンサーぷっつん物語』のED曲)


こうして、テレビに出る機会は徐々に増えていく。(でも給料が安すぎて、アルバイトも掛け持ちしなけりゃ生活できなかったとか … って、どんだけブラックやねん!って話)


そのうち、世間的にニックネームを持たない二人には、変なあだ名がつけられてしまい、それが勝手に一人歩きしてしまう。(私なんて、つい最近まで本名も知らなかった)


誰がいつ、こう言い出したのか ……


近藤智子の方は『富田靖子のNG』。

二階堂ゆかりなんて、濃い顔立ちと肌の黒さだけで、当時プロ野球で活躍していた、あの黒人選手『クロマティ』である。(可哀想に、相手《男》よ!(笑))


他の有名人の個性を押し付けられるなんてのは最悪な展開だ。(これがデュオで、フアンからニックネームで呼ばれない者の悲劇である)


こうした状況になりつつも、二人は笑顔で「歌とダンスだけは一生懸命やろうね!」なんて支えあっていたのだろうか。


それでも、しだいに色モノ路線に変わっていく『BaBe』の周囲。


この事務所がやった事なんて二人の年齢詐称くらいである。(2歳のサバ読みとか)


ドラマ『花のあすか組』の主題歌、『Get a Chance!』のPVなんて、(何を考えているのか?)牧場にある牛舎🐄で撮影されている。(オマケにバックダンサーの中には、あのラッキー池田までいたりするのだから完全にお笑い路線だ)


《ミュージック・ステーション》に出れば、巨大迷路の中で走らせながら歌わせられたりするし。(まるで《ひょうきんベストテン》?)


普通に歌えば、こんなにカッコいい二人なのにね …… 




(なんで?こんな事させられるの?!あたしたちは、ただ真面目に歌いたいだけなのに …… )


ドンドン噛み合わなくなってくる事務所との関係。


その後、二階堂ゆかりの結婚、出産でデュオは解散。近藤智子もその後、ひっそりと引退してしまった。

《エスワン・カンパニー》という会社もBaBeの引退や南野陽子が独立した後、即、倒産してしまう。(当たり前だっつーの)


出したシングル曲は、わずか8枚。アルバムに至っては4枚ほどである。



でも、この数曲が令和の時代に改めて聴くと、どれもこれも奇跡的に名曲ばかりなのだ。


私のお気に入りは、先に紹介した『Get a Chance !』、それに『She has a dream』、『ひとりぼっちのWarriors』など……

どれも繰り返し聴いている。


復活を望む声は多いようだが、多分、今後も無いだろうなぁ~(頑なに二人はメディアへの出演を拒否してるし、それくらい《芸能界》に対して嫌悪感があるのかもね)


芸能界は毎日が熾烈な闘い!

人の良さと実力だけではどうにもならない世界。

ある程度、自分の我を押し通すような気概も必要って事なのかな。


《おしまい》


2023年1月12日木曜日

人物 「M I Q(ミク)」

 活動期間(1982年より〜)





以前の芸名は『M I O(ミオ)』だった。

2001年に現在の『M I Qミク)』に改名している。


見た目似ているからといって、間違っても藤山直美さんや、山村紅葉さんじゃないので、そこんとこヨロシク。(笑)



M I Qさんは、その道では名の知れたソウル・シンガーだ。

そうして、有名なアニメ・ソングをいくつか歌っている。



有名どころでは80年代のロボットアニメ、『聖戦士ダンバイン』や『重戦機エルガイム』のオープニング&エンディング曲。(その前の『ザブングル』の挿入歌がデビュー曲だ)


特に代表曲といえば『ダンバイン』のOP、『ダンバイン、とぶ』だろうか。



♪オーラバトラー、ダンバイン!オーラシューター、ダンバイン!アタック!アタック!アターック!俺は戦士ぃぃー!!


女性の歌う歌詞に『』って …… (笑)

当時は、パワフルに歌いあげる『M I Q(当時 M I O)』さんに、歌詞さながら、周りを覆うような圧倒的な巨大オーラを感じたものだった。



だが時代はまだ80年代 …… 


アニメ・シンガーは、他のジャンルを歌う歌手たちよりも、かなり見下げられていた時代である。(令和の今でも、その名残りはある)


アニメ『キャッツアイ』の主題歌を歌う事になった杏里も、当時は「アニメ主題歌なんて歌いたくないー!」だったらしいから。(本人の意向とはなしに、コレが蓋をあけてみれば大ヒットしてメジャーの仲間入りするのだから、世の中分からん)


映画『マクロス』の主題歌『愛・覚えていますか』を歌った飯島真理にしても、しかりである。


まぁ、コレは特例中の特例であって、確かな歌唱力と楽曲に恵まれても、歌う場さえ満足に与えられない …… そんなアニメ・シンガーが山の数ほど沢山いるのだ。


昭和が終わって、平成が過ぎてもアニメ・シンガーが主導権を握るなんて世は中々やってこない。(ほんの数曲に光があたったくらいだ)


日本には、こんなに多くの名シンガーがいるのにね ……


ただ、令和になる少し前から、個人でも持てるようになった《You Tube》が出来て、発信の場が広がったのは、とても良かった事かも。


このM I Qさんも、もちろんYou Tubeチャンネルを持ってらっしゃる。


そうして、たまたま、このチャンネルを最近見つけて驚いた(⁠´⁠⊙⁠ω⁠⊙⁠`⁠)⁠!ことがあった。



皆さんは 前野曜子 さんという歌手をご存知だろうか?



前野曜子さんは《ペドロ&カプリシャス》の元メンバーで初代ボーカリスト。

その昔、『別れの朝』を大ヒットさせた有名な御方である。


ペドロ&カプリシャスはメンバー・チェンジを次々繰り返してきたグループだ。

その後に、二代目ボーカリストとして、あの有名な高橋真梨子さんが参入する。(『ジョニーへの伝言』、『五番街のマリーへ』は超有名)



そうして、脱退した前野曜子さんの代表曲といえばコレ!


アニメ好きの方には、コレを出せばピーーン!とくるはず。


アニメ『スペース・コブラ(1982〜1983年)』の主題歌『コブラ』とエンディング曲『シークレット・デザイアー』を歌っているのが前野曜子さんなのだ。


《↑前野曜子さん》


この主題歌も名曲中の名曲で、一度聴いたら、決して忘れる事ができない。覚えている人はかなり大勢いるはずである。


だが、この曲が出た後、前野曜子さんは突然の入院生活。

長い闘病のすえに、1988年にお亡くなりになってしまったのだった。(享年40歳)


アニメ画面のオープニングではなく、キチンと彼女がステージ上で歌う姿を見たかったが、その夢はついと消えた。



それが、この令和になって再び甦る!



この M I Q さんが、見事な歌唱力で、この《コブラ》を歌いあげて、まるで前野曜子さん本人が、歌っているかのような《コブラ》を再現させてみせたのだ!



嘘だと思うなら観てご覧なされ。


このM I Qさんの歌声で、あの当時の《スペース・コブラ》の映像がリンクして浮かんでくるようである。


彼女は言う。

「前野曜子さんの後を引き継いで、私がカヴァーさせて頂きます」と。


ちゃんと敬意をはらって、リスペクトしているM I Qさん。


もう、ジャンジャン歌ってちょうだいな!

チョー絶品でございます。



それにしても、こういう確かな歌唱力のある人を なぜ?天下のNKは放っておくのかねぇ~(アホ揃いなのか?(笑))


M I Qさんにしてもだが、

日本には、ささきいさおだって、堀江美都子だって、串田アキラだって有名な歌手がまだまだいるじゃないのさ。(水木一郎さんだけは、生前にに出してやりゃよかったのに)


こういう希少な人たちの価値も分かろうとしないで、邪険にあつかってりゃ、視聴率も年々ガタ落ちに下がっていくのは当たり前。(そもそも、年末にケン玉を観たい人が存在するのか?(笑))



2023年の初頭に助言しとく!


これらの歌手で紅の大半を埋めれば視聴率アップは間違いなし!


たぶん皆が喜んでくれて、出し惜しみなく受信料を払ってくれると思いますよ、NKさん。



今回は、コレが一番言いたくて書いてみた次第である。(あ〜、スッキリ)



今宵、彼女の、魂揺さぶる熱唱にふるえて眠れ!(な〜んてね)


おしまい

2022年11月11日金曜日

人物 「Arika」

 生年月日?年齢?活動期間(?〜現在に至る)






ここ最近、全く映画やドラマを観れてない。(要するにプライベートがゴタゴタ続きなのだ)


そんな時に、短い時間でもサクサクと観れるのが便利なYou Tube。(たった数分のモノもあるしね)


そうして、たまたま偶然に見つけたのが、この人のYou Tubeチャンネル。




Arikaのアニメソングちゃんねる


私が最初に観たのは、アニメ『星の王子さま プチ☆プランス』(このアニメ自体、マイナー過ぎて、もはや現代でも知ってる人は少ないんじゃないのかな?)のオープニングを歌う彼女。




(わざわざ、こんな可愛らしい仮装をして歌うのか ……)



何の気無しに再生してみると、ひと声、彼女が発しただけでビックリ(⁠´⁠⊙⁠ω⁠⊙⁠`⁠)⁠!

驚愕してしまった。



これは、まさに《天使の声》じゃございませんかーー!!




それまで、自分の身体に溜まっていた毒素という毒素が、みるみるうちに浄化されて、まるで綺麗サッパリ洗い流されていくよう。


広く伸びる高音域の声は、閉塞感でキリキリ舞いしている今の世の中に、《光》の波動を撃ち込んで大きな風穴を開けるようである。(大袈裟な表現)



絶賛!称賛!


もう、完全に惚れてもうたぁ〜💘なのだ。(オッサンはもうメロメロ)




見た目若そうな彼女は、まだ二十代?なんだろうか?





13歳で歌の道に進もうと決めたArikaさん。(やっぱり!只の歌の上手い素人じゃなかった!)



色々な肩書きを持ってた。



★旅するシンガーソングライター(もう1つのチャンネルではオリジナル曲も歌ってますよ)


★イラストレーター


★チェコ親善アンバサダー(その活動もYou Tubeでチラホラ目にする事ができる)


★映画アプリfilmarksサポーター(ん?よく分からない?)


★タロット占い師(???)



まぁ、こんな感じで、お若いのに色んな事に手を広げてチャレンジしているのだ。(こ、これが若さか …… (笑))





それに加えて、二年前からコツコツと始まった、この『Arikaのアニメソングちゃんねる』。


これが目下、着実に上昇気流に乗って、ぷちブレイク中。(登録者も1・4万人を超えた(2022年11月現在))




そっから次々と聴いていくオッサンは、もう毎日が夢中である。




そうして、特に私が気にいったモノはこのあたりか。






★『どろろ』オープニング …… 

ワタクシ生誕一歳時のアニメで、もちろん本放送を覚えていない。(当たり前だ)



後年、偶然にも全話視聴する事が叶ったが、これは数多い手塚治虫作品の中でも、1位、2位を争うほどの傑作である。(漫画もアニメも面白いよ)


アニメ版『どろろ』には、当時のモノクロの妖しさもあって、しばらくハマっていたものだが …… この奇妙奇天烈な歌詞(♪ホゲホゲタラタラ …… )のオープニングを現代に蘇らせてくれるとは!(またまたビックリである)






★『まんが日本昔ばなし』のエンディング曲『にんげんっていいな』……


もう、彼女がひと声発しただけで、あの当時の土曜の夜にタイム・スリップでもしたような気分にさせてくれる。


アッパレ!としか言えないような見事な歌いっぷり。(わたくしと同じ世代の方は、きっと彼女の歌を聴いて、今宵はむせび泣くはずである)




そうして、特に特に気に入ったのはコチラ。






★『エースをねらえ!』のオープニング……

アニメソング界の大御所・大杉久美子さんの名曲中の名曲である。


しかし、この曲、けっこう難易度の高い曲で、誰もが気軽に歌えるような歌じゃない。(大体が途中から崩れる人がほとんどだ)




でも、これをArikaさんが歌えば ……


歌い出しの「♪コートでは~ …… 」の所で、既に聴衆の心をグッと掴んで離さない。(この時点で100点満点)



その後も、それをずっとキープし続けていき …… 高音の美声は、(主人公・岡ひろみのように)さらなる高みを目指してヒート・アップしていく。



終わりのサビ「♪エース、エース、エース!、エースをねらえぇぇーーー!」の頃には、もうぶっちぎりの頂点超えだ。(1億点を差し上げたいくらいだ)



歌い終わった頃には、なにやら不思議な感動が広がってゆく。

https://youtu.be/A16rTKOkptU



令和の時代に、こんな歌姫が突然現れるとは。



今後、少しでも彼女のチャンネルが伸びますように。


陰ながら応援しておりま〜す♪


あ〜、若いって素晴らしい~♪(なんのこっちゃ(笑))

2022年10月19日水曜日

人物 「ロー・ウェイ」

 1918年〜1996年(没)





今さらながら、ジャッキー・チェンの『スネーキーモンキー 蛇拳』や『ドランクモンキー 酔拳』に、ドハマりしている私は、それらについて、ちょっとだけ調べたくなってしまった。



そうしたら、この人の名前にぶち当たってしまう。


ロー・ウェイ監督 …… 

知ってる人は知っている、中国や香港では有名なお方。


自分で立ち上げたプロダクションを持っていて、あの、ブルース・リーの『ドラゴン危機一発』や『ドラゴン怒りの鉄拳』を監督して、大ヒットさせた人である。



このロー・ウェイ監督の事が、どこを探して見ても 悪評だらけ なのだ


とにかく、あちこちでクソミソ言われている。(笑)



ロー・ウェイ監督ブルース・リー


『ドラゴン危機一発』と『ドラゴン怒りの鉄拳』は、なるほど …… 世界的に大ヒットした。


だが、ブルース・リーは最後まで、このロー・ウェイ監督とは険悪ムードだったらしい。(ブルース・リーの方が一方的に嫌っていたそうな)


その後、残念にも、若くして亡くなってしまったブルース・リー


それでも、このロー・ウェイ監督、ひるむ事なく、こんな風に豪語しております。



ブルース・リーは、ワシが育ててスターにしてやったんだ! こうなったら第ニのブルース・リーを見つけて、また大スターにしてやる!!と …… (どっからそんな自信が …… )



そんなこんなで、遠いオーストラリアから連れて来られた若いジャッキー・チェン


「コイツを《第ニのブルース・リー》にするんだ!」


ロー・ウェイのプロダクションで、ロー・ウェイによって作られた映画は、まんま、ブルース・リー映画の続編となるような感じの『レッド・ドラゴン 新・怒りの鉄拳』なのでした。(イヤ〜な予感 … )




………… ハイ!案の定、コケてしまいました。(笑)


その後も、ロー・ウェイ監督によって作られたジャッキー映画は、いくつもいくつも、コケて、コケて、コケまくり


しまいには、赤字続きで、プロダクションは経営状態も相当苦しくなってくる。(あらら)


こんなロー・ウェイ監督、反省するどころか、

アイツは、全く使いものにならないダメな奴だ!

と、まるで映画がヒットしないのは、ジャッキーのせいかのように、言いまくっていたそうな。(なんかブルース・リーが毛嫌いするのも段々と分かってきた(笑))



そんなロー・ウェイ監督の下で我慢してきたジャッキーに、ある日、救いの手が差し伸べられる。


「おたくの《ジャッキー・チェン》という俳優を貸してもらえないだろうか? 是非ともジャッキー主演で撮りたい映画があるんだ!」


ジャッキーにこんな誘いが、別のプロダクションから舞い込んできたのだ。



つまり、俳優を別のプロダクションに《貸し出す》→《レンタルする》のである。


条件としては、《映画を年内(1978年)に二本撮らせてくれないか?》と《貸し出し料は六万ドルで》だったが、ロー・ウェイ監督としては(ラッキー!)ってなもんで、渡りに舟。


もうこの頃には、すっかりジャッキーへの期待も、興味も薄れてきていた時だったのだ。


(あんな奴を使っても、ろくな映画にならないだろうさ …… むしろ、こっちは厄介払いも出来るし、金まで入ってくるんだから一挙両得じゃないか …… これで清々する!)てな感じで即、OK!


こうして(ダチョウ倶楽部のギャグじゃないけど「どうぞ!、どうぞ!」てな具合で)、若きユエン・ウーピン監督の元に預けられたジャッキー・チェン



写真はユエン・ウーピン監督に指導をうけるジャッキー・チェンと、ユエンの父親であるユエン・シャオティエンの撮影風景である》



ユエン・ウーピン監督は、武術の達人ユエン・シャオティエンが父親なので、もちろん、自身も幼い頃から武術の心得があった人。


「こうした方がいい!」なんてやり方を、決してゴリ押しばかりにならず、ジャッキーと上手く話し合いながら、現場の撮影を進めていく。


こうして撮影された『スネーキーモンキー 蛇拳』は、ジャッキーの魅力を存分に引き出して、瞬く間に 大ヒットした!





これに焦ったのが、ロー・ウェイ監督。

「そんな馬鹿な …… 」



本来なら、この後すぐにでもユエン・ウーピンが監督する『ドランクモンキー 酔拳』の撮影に取り掛かったはずだが、それに「待った!」をかけたのが、あろうことが、このロー・ウェイ監督だったのだ。




ジャッキーはうちの専属俳優なんだ!うちとの契約があるし、うちの映画を先に撮らせてもらうよ!(「どの口が言ってるんだか!」って話)




スネーキーモンキー 蛇拳』のヒットで、ジャッキーが、いきなり惜しくなってきたロー・ウェイは、「わしも《ジャッキー主演で大ヒット映画》を作ってやるわい!」と急に息巻いてきたのだ。(それも二本も)




こうして1978年には『スネーキーモンキー 蛇拳』の後に、ロー・ウェイが監督する『拳精』、『龍拳』だのが作られるのだが、ジャッキーの精神と肉体はこの時、もう限界でボロボロ状態。(年に4本のアクション映画なんて …… 殺人的過ぎる!)




こんな状況下で、やっとこさ、あの傑作『ドランクモンキー 酔拳』は作られたそうな。(しかも公開前、ギリギリに完成したという)




そこまでして、ユエン・ウーピンの映画に、なんとしても出たかったジャッキー・チェン


「あの時、本当に苦しかった …… でも、あれを頑張れたからこそ、大抵の事は何でも乗り越えられるような、今の自分がいるんだよ」


やっと、過去をこんな風に回想できるようになったジャッキー。(あんた、よ〜やったよ!偉いよ!褒めてあげたいよ)



こんなジャッキーの頑張りに応えて、またもや『ドランクモンキー 酔拳』は『蛇拳』以上に世界中で 大、大、大ヒットした!



あ、そうそう …… 一方で、 ロー・ウェイが、ゴリ押しで監督した『拳精』と『龍拳』は興行的にも大惨敗している。(ダメだ、コイツ(笑))



時代を先読みして映画を撮りあげるセンスが全く無いのか、はたまた人を見ぬく目が無いのか ……



その後、ジャッキーは契約がきれると、ロー・ウェイの元から離れていった。(それも簡単ではなかったようだが …… ようするにジャッキーからも嫌われていたのだ)




ロー・ウェイのその後なんてのは、もう語りたくもない話だが ……



スターを育てられないまま、鳴かず飛ばずの映画を作り続けて、1996年にその生涯の幕をとじる。(あぁ合掌)




今さらだが、こんな裏話を知ってしまうと、『スネーキーモンキー 蛇拳』と『ドランクモンキー 酔拳』の2作には、特別な愛情が芽生えてくるようだ。




ブルース・リージャッキー・チェンの2大スターに偶然関わり、そして両者ともに嫌われた男・ロー・ウェイ


運命とは、なんと皮肉なものよのぉ~。



2022年10月3日月曜日

人物 「ジャッキーちゃん」

 2011年より〜  ものまねタレントとして活動中。




今、少しずつ世間に認知されてきて、水平(?)ブレイク中の『ジャッキーちゃん』さん。(知ってる?)


ひと目見て、誰でも分かるようにジャッキー・チェンのそっくりさんである。(こういう人は『ものまね』の枠に入れても良いのかなぁ~)


本名は『栄島智』(えいしま さとし)さんと言って、俳優を志して上京したらしいのだが …… 生まれつきのジャッキー顔が災いして、全く売れない年月。(可哀想に)


心機一転、2011年から開き直って、ジャッキー・チェンのそっくりさんとして活動をはじめた。


同じような髪形、格好、仕草、喋り方を研究すると、もう簡単にジャッキーになってしまったジャッキーちゃん


そんなジャッキーちゃんが地道に活動していると、2017年、とうとう本物の《ジャッキー・チェン》に出会う機会がやってきた。


さぁ、どうなる?ジャッキーちゃん

ジャッキーちゃんの運命やいかに ……?!




ここで、ムダ話を少し ……


「もしも、貴方とそっくりな人が、ある日、突然、目の前に現れたとしたら、貴方ならどんな反応をしますか?!


なんでいきなり、こんな事を書くかというと、この反応が本当に人それぞれ違ってるのだ。


怒り狂うか、喜ぶか、それとも苦笑いをして、その場をやり過ごすか ……



私は、blogのタイトルを見ても分かるように、昔から《双子》なんかに妙な憧れがある。


もしも自分にそっくりな人がいるなら、

「一度は会ってみたい!」と思うのだが …… 


それでも、いざ、そんな場面に遭遇した時は、やっぱり分からないかも。(多分、実際はオタオタしてしまうんだろう)



まぁ、一般人の自分には、そんなチャンスは中々巡ってこないだろうが、テレビや映画に出ている芸能人たちとくれば、また話は違ってくる。


そういう機会は度々やってくるのだ。


全く素顔が似ていないのに、化粧と扮装でオーバーにデフォルメされた《ものまね芸》には、多少笑う余裕もあるだろう。


でも、本人が青ざめるくらいの《そっくりさん》となれば、「とても平静ではいられない!」なんて、輩も出てくる。


中には営業妨害だ!と激怒して、ものまね芸人相手に裁判までおこした者までいる。(思い浮かぶ人いるでしょ?)


と、思えばこれからも頑張ってね!なんて優しい言葉をかけてくれる者もいたりする。(ものまねする方は、もう天を仰ぐほどの気持ちだろうよ)


かと思えば、自分は、ものまねされたり、そっくりさんが現れるほど一流になったんだ!と悦に入ったりする者まで中にはいるのだ。


反応は千差万別。

はてさて、ジャッキー・チェンの場合は ……




ぼくの若い頃に似てるねぇ~


喜んでくれた!

もう、大感激のジャッキーちゃん


オマケに握手をしてくれたり、一緒に歓談してくれたり。


やっぱり本当のスターは器が違うわ。

広い度量で、こんな一介の芸人にも優しく接してくれる。


元々が、ジャッキー・チェンが好きで、ものまねしていたジャッキーちゃんの《好き》は、この時、メーターを振り切るほどの MAX 状態。(そりゃ嬉しいよね~)


この瞬間から、ジャッキーちゃんのものまねの意識もガラリと変わる。


自分は、もっと、もっと、ジャッキーの素晴らしさを世間に伝えていかなければ …… 


こんな変な使命感まで、きっと生まれたに違いない。



その証拠に、その後、ジャッキーちゃんはYou Tubeチャンネルまで起ち上げてしまう。


たまたま、それを観てしまった私は、その《ジャッキー愛》の熱量にビックリ!(⁠*⁠﹏⁠*⁠;⁠)驚かされてしまった。


ジャッキーの《あるあるコント》は、もちろんの事、今までのジャッキー映画の紹介、徹底解説。(あまりにも片言日本語でマネをしていた為、最近では、逆に日本語がヘタクソになってきたジャッキーちゃん(笑))


オマケに中国語まで習いはじめたジャッキーちゃん。(そ、そこまでイクのか?!)


こんなジャッキーちゃんの《ジャッキー愛》に感染してしまった私も、とうとう数十年ぶりにジャッキー映画を観るハメになってしまう。(それが前回の『スネーキーモンキー 蛇拳』だ)



なんだかジャッキーちゃんに、まんまとノセられた気もするが、私のような、にわかフアンでも観る気にさせられてるんですもの。


充分、ジャッキーの宣伝部長、広報部長として成功しているのかもね。


ガンバレ!ジャッキーちゃん


たとえ水平ブレイク中でも。(再生数、もっと伸びてほしいなぁ~)


陰ながら応援しときます。


2022年7月13日水曜日

人物 「ヨハネス・ケプラー」

 (1571〜1630年  ドイツ)





大昔の人なんで、もちろん写真など存在するはずもなく ……

こんな肖像画だけで「たぶん、似ているんだろう」と現代の我々は納得するしかない。



ヨハネス・ケプラーは、中世に存在した天文学者だ。


現代においても、望遠鏡なんかにケプラーの名前が使われているので、さぞや有名な人なのだろう。


実をいうと、天文学なんて分野、チンプンカンプンなのだが、ごく最近《ケプラー》の名前を、あちこちで目にして、少〜しだけ興味を持ったのだ。



そのきっかけが、《ケプラー1649c》という太陽系外惑星の事だった。



2020年に宇宙望遠鏡《ケプラー》によって発見されたばかりの、この未知の惑星にも、やっぱり当然のごとく《ケプラー》の名前がつけられている。(NASAって本当にケプラー好きだ(笑))



この《ケプラー1649c》と名付けられた惑星は、天文学に疎いような素人の自分でも分かるくらい、世紀の大発見なのだ。



なぜなら、ほぼ、地球に『そっくり』だからなのである!



こうして並べて比べてみても、ほぼ大きさは地球と一緒。(ケプラーの方が、1・06倍大きいが、あんまり変わらない)


表面温度が マイナス39℃ で、やや寒いが、人が決して住めないような環境じゃない。(北極、南極じゃマイナス40℃を上回るしね)


表面が岩石に覆われていて、もしかして《水》も存在するかもしれぬ。(まだ分かんないけど)



これまで地球型の惑星を色々探してきて、この《ケプラー1649c》が、一番地球の環境に近いと思われているのだ。(本当に、これから詳しく調べてみないと分かんないけど、科学者たちは、期待を持たせるような事を、あちこちで言っている)



素人考えなら、いずれは「人類が《移住》できるかもしれない!」なんて、安易なSF映画のような希望を持ってしまうところなのだが ……… 

現実は超厳しい〜。



なにしろ、地球からケプラーまでの距離ときたら、恐ろしいくらいの遠さ。



距離にすると、ざっと 300光年 離れているだ!(ゲゲッ)



この「光年」ってのがクセモノで、「年」なんていうと時間を想像してしまうが、「光年」は、立派な《距離の単位》なのである。


光が進む速さが毎秒約30万km。

地球の一周が約4万kmなので、光は1秒間に地球を7周半する。


1光年」とは、光が1年間に進む距離の事なので、kmに換算して計算すると、「1光年」とは、「約9兆5000億km」になるのだ。(「9兆 …… 」って、この時点で、もう想像が追いつかないです)



「1光年」でも、人類にはトンデモなく果てしない距離 ………



その証拠に1977年に飛び立った無人宇宙探査機ボイジャーは、45年(2022年まで)かかって、やっと233億kmまで進んだとこ。


《パラボラアンテナのようなボイジャー機》


とても、とても1光年には届かない有り様だ。



それが《300光年》なら、たどり着ける距離じゃない事は、素人の自分でも分かり過ぎるくらい分かる。(あ〜ぁ、ガックリ)



これがアニメや映画の世界なら、高速ワープを繰り返して、銀河の果てまで簡単にひとっ飛び!なんてことが可能なんだけどね ……(そんなのが、今の科学力で作られる日がやって来るのかねぇ~)



仮に、仮に、(絶対不可能だと思うけど)作られたとしても、やっぱりNASAは、そんな宇宙船にも《ケプラー》って名付けるのかしらん?(なんだか付けそうな雰囲気だ(笑))


亡くなってから400年近く、ヨハネス・ケプラーさんも、よもや、ここまで自分の名前が使われるとは思わなかったに違いない。


この肖像画も、ジッと見ていると、心なしか唇の両端が上がっていて、喜んでいるようにも見えて ……(ゾゾッ!)




生きてりゃ、自分の名前の使用料として、天文学的なお値段を請求してくるのかしらん?(天文学者ゆえに(笑))


いかん、またもやアホの戯れ言(ざれごと)が。


これにて、失礼しとく。(そそくさ …… )

2022年4月13日水曜日

人物 「半田健人」

 活動期間2002年より〜




こういう、ストレートなイケメンって人を、このblogで取り上げるのは初めてかも。


この人、半田健人さんが、その昔、『仮面ライダー555(ファイズ)』で、世に出てきた時、ひと目で私、こう思ってしまった。


「なんだか俳優の『保阪尚希』さんの若い頃にソックリだなぁ~」と。


こう思ってる方、けっこういたみたいで、『仮面ライダー …… 』も、ところどころで、


「『保阪尚希』が変身して闘ってる!」

なんて不思議な感覚で、私なんか観ておりました(笑)。



でも、外見が似ていても、中身までソックリとは限らない。


人は、やはりそれぞれ違うし、考え方も年と共に変わっていくのだ。



半田健人さんは、この外見とはうらはらに、独自のマニアック路線を追求し始める。


1984年生まれで、ギリギリ昭和生まれにも関わらず、この人が《昭和歌謡》を愛してやまないのは、昔から有名な話だったけど。



今、現在では、こんな姿に変貌しているとは …… 



ジャジャアァーーーン!





もう、コレ、保阪尚希なんてもんからは遠く離れて、完全に 野口五郎 になってるじゃございませんか!(笑)



70年代に流行っていた当時の髪型や、その時代のスーツ姿なんてのを、この2020年代になって久しぶりに見たよ。


オマケに、阿久悠や都倉俊一を尊敬し、60年代から70年代の歌謡曲を熱く語っていた青年は、とうとう、曲作りにまで着手していた。



作詞、作曲、編曲、演奏、歌 …… 全て、オール仕事、半田健人


しかも、曲調は、その当時の昭和歌謡のムード、ムンムンである。(《昭和歌謡好き》でも、これほどとは)


それを野口五郎テイストの、この姿で、ライブまで開いて熱唱してる。(You Tubeご覧あれ。まんま野口五郎)


自作曲『都会』、『バス停にて』、『白い風景』を朗々と歌いあげている半田健人。(この、それぞれの曲も、当時の野口五郎が歌ってもおかしくないような曲ばかり。ここまで、よ~やるよ)



かと思えば、昭和の戦隊ヒーロー・モノをオマージュしたような、シュールドラマ『超絶戦士サプライザー』を数話アップ!(ここでもop から出演、ナレーションに至るまで、オール仕事を嬉々としてこなす半田健人)



いくつか観てみた。


でも、「このテイストを分かる人が、何人いるのかねぇ~?」ってのが正直な感想だ。(全く変身しないし、半田健人が、あちこちの街中を彷徨うだけ。そこにナレーションが被さってる)


「昭和の名残りある街並みや建物を楽しめ!」って事なのかしらん?(それにしても内容がシュール過ぎる)



他にも、《高層ビル》やら《鉄道》のウンチクを語りながら、間口の広いジャンルで、あちこちにYou Tubeを立ち上げている。


彼にとってYou Tubeは、自分が楽しむ為の《オモチャ箱》みたいなモノなのかしらん?


あまり再生数か伸びなくても、「そんなの全く気にしない!」って感じである。(間口は広くても、このマニアックな内容じゃ、ちと厳しそうかも(笑))



それでも、6月4日生まれの双子座は、唯我独尊で、我が道を突き進む。


充分にイケメン俳優として演っていけそうなのにねぇ~(そっち方面には、とんと食指が動かないらしい)



同じ双子座生まれとして、いちおう応援。

オススメしときますね。(私はついつい観ちゃうけどね)



※あっ!そうそう ……… 番外編としては、『たたかえ!悪魔のカニミソ盆踊り』って珍曲もある。(もちろん、作詞/作曲/編曲/演奏/歌 オール半田健人


カニの格好で、「♪あ〜くま、あくまのカニミソ盆踊りぃ~」って歌うだけの曲。


本当に、この先どうなっていきたいのか、この人 ……


やっぱ双子座って、自分を含めて、本当に変わり者(マニアック)が多いわ(笑)



2022年4月11日月曜日

人物 「『大島ゆかり』またの名は『大島由加利(香港名)』、『シンシア・ラスター(フィリピン名)』」

 活動期間1982年より〜





この人の事を知ってる人が、今、日本にどれだけいるのか ……

その方々は、かなりの通なマニアックだといえよう。




だから、テレビ朝日の『激レアさんを連れてきた』なんて番組で、取り上げられた時、このお顔にすぐさま「ピーン!」ときたワタクシめは、かなりのマニアックを自称する。(エヘン!)




日本で有名なのは、1984年、特撮ヒーロー『超電子バイオマン』の敵役で女幹部の『ファラキャット』役。(知ってるかなぁ~? コレも相当マニアックだけど)



どぎついアイ・メイクをほどこして、常に顔出しの彼女だけは、ずっと、この姿のままで闘い続ける。



正義の味方『バイオマン』の5人たちは、変身後、スーツ・アクターたちに、まるっとお任せなのにだ。


飛ぶ!バック転!大車輪!宙返り!キック!パンチ!(その華麗なキレのある連続技よ)




次に彼女を見かけたのは、あの南野陽子の『スケバン刑事 Ⅱ 』だった。



第1回放送で、冒頭、いきなり最初に登場するのだ。


ヌンチャクを振り回しながら、暗闇司令の部下たちを5人倒すも、不意をつかれて(アッサリ)負ける。(ありゃりゃ)


「ヤメてくれ〜!殺さないでくれ〜!」



暗闇司令が「これ以上見るに耐えん!」と言い捨てて、この後、南野陽子が土佐から連れて来られるんだけど。(まぁ、お約束だからしょうがない)



……… でも、暗闇司令(長門裕之)の目は、この時、節穴だったのかも。



彼女は、この後、《女ドラゴン》の異名で、アジア圏では超有名なアクション・スターとなっていくのだから ……(日本じゃ、その噂さえ、当時は流れてこなかったけど)




元々、空手と体操をやっていて、身体能力に自信があった彼女は、ある時、運命的な映画と出会う。


それがジャッキー・チェン主演の『ヤング・マスター 師弟出馬(1981)』。



「コレよ!コレだわ!コレこそが私が目指す道なんだわ!!」


この衝撃的な映画との出会いが、少女の眠れる情熱に火をつけた。



早速、あの『J・A・C(ジャパン・アクション・クラブ)』へ。(この飛び抜けた身体能力ですもん。即、採用である!)



あれよ、あれよと言う間に、『バイオマン』で頭角をあらわすも、日本では《アクション・モノ》自体が、やや下火の時代。



チョイ役しかまわってこない日々を悶々と過ごしてゆく。(『J・A・C』に所属していても、《アクション》自体を撮る場が少ないのだ)



「ならば、本場の《香港》へ行くしかない!」(決断早っ!)


熱い想いをしたためた手紙を、映画プロデューサーに送りつけた。


「どうしても、本場の香港でアクションを演りたいんです!!」


こんな情熱が認められて、彼女はユン・ピョウサモ・ハン・キンポーが出演する映画『冒険活劇 上海エキスプレス(1986)』に特別出演する事が決定した。




そうして、オサラバ日本。

いざ、《香港》へ!!





…… その後の足取りを、全く知らなかった私。



だけど、ここまででも彼女『大島ゆかり』さんのバイタリティーには驚愕!(゚д゚)!脱帽してしまう。



言葉も通じない、まだ見知らぬ異国の土地へ、若い女性が、たった一人で行くのだから。


「なんとかなるでしょ。『無問題!(モウ マンタイ)』」(問題無い!)


《アクションが大好きだから》…… ただ、それだけの理由で。



こういう、臆病な自分とは真逆の資質を持つ人物には無条件で降伏、尊敬してしまう。(まいりました)




その後、彼女『大島由加利』(香港では漢字に変えた)は才能を認められて、香港に留まり、ジャッキー・チェンの事務所に所属。(えっ、マジ?)



80本以上の映画に出演しながら、香港の大スターとなっていく。(この話題、当時の日本には全く伝わってこなかった。コレを今知ると当時の日本って、「《鎖国》だったんじゃない?」と思ったりして)




本場の香港で、毎日のように映画を撮影しながら、相当数をこなしていくと、どうなってゆくのか …… 



彼女のアクションは、日本の頃とは段違いに上達していく。



もう、キレッ、キレ!になっていくのだ。(《角度》、《速さ》が、以前と全く違う。)




まるで、ダイヤの原石が磨かれて、さらに輝きを増したようである。(ネットでチラリと観たが、本当に凄いよ!この動き!!)




そうして香港が中国へ返還されると、1997年、彼女の舞台はフィリピンへ。



今度は『シンシア・ラスター』になって大暴れ。

もちろん、ここでも、たちまち大スターである☆。



マレーシアやタイでも、その名は知れ渡り大スターとなってゆく彼女を、アメリカ映画界も放っておくはずがない。



とうとう、あの巨匠オリバー・ストーン監督が、直々に会いに来て、

「是非、私の映画に出てくれないか?」とオファーされるのだ。



だが、ここで彼女の返事は、初めて「NO!」



自分の肉体的な限界を感じていたのかもしれない。


その証拠に、彼女はその直後、撮影中に大怪我をして、日本へと帰ってくる。(可哀想に)




現在は怪我も治癒して、日本で後進を育てる為に、アクション指導に専念しているとか。(やっぱり《アクション》が根っから好きなのねぇ~)




そんな彼女の香港時代の映画を観てみたいものだが、………全く、日本には入ってこない。



何でやねん?



アニメとCGアクションにしか、日本人が興味を示さないから?なのか?!



いや、いや …… 今こそ、その状況に辟易して、飽きている人も大勢いるはず。



《生身のアクション》が風穴を開ける時が、すぐそばまで来ているのだ!



そんな気がする。(正直、私が一番ソレを希望してる)



志穂美悦子の系譜を継ぐ者、『大島ゆかり』の映画を拝ませてくれたまえ〜!


目一杯、絶叫しとく。


《おしまい》


2022年2月5日土曜日

人物 「戸川純」

 1961年〜





このblog、ここ最近、主題である映画の事からドンドンそれつつある。


そろそろ、この辺りで軌道修正しなければヤバいなぁ~、と考えていた矢先、またもや双子座の移り気な性格が災いして、アララ …… 今度はそっちに行く?


今は、コレにドハマリしてる。



それが戸川純。(なぜ?今更?why?)



昨年、野坂昭如の事を書くためにチョロっと調べていると、野坂昭如の曲『ヴァージン・ブルース』を、あの戸川純もカヴァーしていた記事にぶち当たる。


『戸川純』…… 数十年ぶりに思い出させて、目にした名前。


わたし、正直、当時はこの戸川純が 大の苦手 だった。



トイレ🚽のCMで、戸川純が出てくれば「ゲッ!、また出てる!」と思ったし、『笑っていいとも』なんかに出てくれば、チャンネルを切り替えたくなるほどだった。



うつむき加減でへの字口。


目線は、右へ左へ、行ったり来たりする。


両肩を上げていて、どこまでも挙動不審。

トイレでも我慢してるような、終始落ち着きの無さ。


話をしだせば、ダラダラと要領を得なくて、中々結論には達しない。



子供の頃のイジメが原因で、こんな風になったらしいが、それでも、これが《芸風》でなく《素》ならば、「こういう人をテレビに出しても大丈夫なのか?」と思ったくらいだった。


80年代に突然、姿をあらわした奇怪な戸川純。

その時、自分は中高生だったが、あきらかに嫌悪していた。



それも、今考えるとしょうがない事かも。


コレを理解しろと言われても中高生には、よ~分からん世界観だし、80年代といえばアイドル豊作の時期。


見渡せば、あちこちに可愛い子たちがウジャウジャといるのだ


何も無理して、キテレツな戸川純にハマる必要もない。(ある意味、健全な中高生だったのかもしれない)



こんな戸川純も、妹さん(戸川京子さん)の自殺や自身の自殺未遂騒動で、ある時からパッタリとメディアの前から姿を消した。


平成の時代なんて、その姿形さえ見かけなくなってしまい、もはや忘れ去られた存在になりかけた頃 ……



なんと!この令和の時代になって再び、若い人たちに戸川純が ウケている!というのだ。



いや、若い人たちだけじゃなく、世界中でTikTokでバズってるらしいのだ。(このTikTokというモノがオッサンの自分には、よ~分からんのだが …… 要するに原曲のフレーズを抜き出して、アレンジ?したようなモノじゃないの?)



とにかく大流行りの元になった『好き好き大好き』を聴いてみる。(こんな曲があったことも当時は知らんかった)



見事に ハマりました!


「あばらが音をたてて折れるほど……」

「愛してるって言わなきゃ殺す!💢


ものスゲ~、暴力的で直情的な歌詞。

でも、メロディーに合わせて何度か聴いてみれば、しだいにクセになってくる。



トンボの羽を背負って、破天荒に歌い上げる『玉姫様』。(「神秘〜神秘、神秘の現象〜」)


昭和の疎開児童のように薄汚れた格好で歌う『ヴァージン・ブルース』も聴いてみた。


益々、ハマってきた。

自分の趣向が若い頃とだいぶ変わってきたのか、それとも今、精神的に病んでいるのか(笑)


子供の頃、苦手だった食べ物を、やっと大人になって克服できたような気がする。



もちろん、彼女がテレビから離れても、ずっと追いかけていた古くからのフアンはいるはずだ。(にわかフアンの私は気になる)



そんなコアなフアンたちをネットで覗いてみると …… 


非凡な才能の戸川純を褒める代わりに、


椎名林檎なんて戸川純を凡人にしたような存在」とか、

「あの後、出てきたYOUなんて戸川純のマネでしょ」と、まるで容赦ない。(ゾゾッ)



考えてみれば、野沢直子のハッチャケた歌や篠原ともえのクルクルミラクルにしても、その礎(いしずえ)を築いたのは、戸川純だったのかもしれない。


元祖キテレツ女王は、今尚、コアなフアンたちに支えられていた。(あの鳥井みゆきも戸川純の大フアンだとか。何となく納得)



で、当の戸川純はというと、現在では60の坂を越えても、それなりに細々と活動しております。



You Tubeでは、『戸川純の人生相談』なるタイトルで毎回動画を挙げているとか。(You Tubeとかアングラ的で、この人にはピッタリの場所かもね)



人生相談ねぇ〜 ……… 私、コレをまだ観ていないのだ。


歌はハマってみても、そこまで踏み込む勇気はないし、かといって、こんな戸川純に「誰が何を相談するんだろ?」って怖いものみたさもあるのだけど …… (でも、そもそも、この人に相談しても解決になるのか?)


それまで観てしまうと、深い沼地から抜け出せなくなるようで、ちょいと怖い。


(今のところは、にわかフアンでいいかも … )

と、土壇場ギリギリで理性のブレーキがかかる私なのでございました(笑)