2022年12月23日金曜日

映画 「火の鳥2772」

 1980年  日本。





1970年代終わりから〜80年代初頭にかけては、アニメ映画の超大作が目白押し。


それまで日本のアニメ映画といえば、東映の独壇場だった。

アニメ映画なんてのは、《東映まんがまつり》が主流で、せいぜい長くて1時間くらいの上映。


それが1977年に『宇宙戦艦ヤマト』が(テレビシリーズを再編集したとはいえ)2時間超えで劇場公開されると、たちまち話題になり大ヒット!

2時間超えの長編アニメ映画なんて、当時では異例中の異例だったし、「コレが当たる!」なんて誰もが思わなかったのだ。



もっとも、その前に、我らが手塚治虫が先陣きって設立した《虫プロダクション》では長編アニメ映画を、とっくの昔に完成させているが ……


だが、それはあまりにも一般的なモノとはかけ離れていて、《大人の為のエロティック・アニメーション》と銘打ったモノ。(『千夜一夜物語(1969)』、『クレオパトラ(1971)』などなど …… )


当時、多少の話題にはなっても、こんなのをテレビでは放映できないし、作れば作るほど《大赤字》を叩き出してしまうという悪循環。

結果、とうとう虫プロは莫大な負債を抱えて倒産してしまう。


『アニメの長編映画には莫大な費用がかかり、それが《当たる》か《ハズレる》かは、まるで大博打を打つようなモノだ!』


虫プロの作った長編アニメは業界にこんな教訓を残して消えたのだった。



だが、『ヤマト』の大ヒットは、それまでの、そんな業界常識に一種の風穴を空ける。


宇宙戦艦ヤマト』の後には、それに続けとばかりに劇場版『ルパン三世(ルパンVS複製人間)』や第二弾『カリオストロの城』なんかも作られている。(『カリオストロの城』は当時、信じられないことに大コケしたらしいが)


そうして、とうとう長編アニメ映画の金字塔と言われる『銀河鉄道999(1979)』が公開されると、またもや話題になり大ヒットする!(ゴダイゴの歌う主題歌も大、大、大ヒット!)


世は、まさに松本零士ブーム!

その同年には、竹宮恵子の長編劇場用アニメ『地球(テラ)へ … 』なんかも公開されている。


この後には角川映画まで長編アニメ映画に参入してきたりして。、(『幻魔大戦』など …… )


この時期、《アニメーション》が市民権を持ち始め、子供向けから〜大人でも楽しめる娯楽へ成長していった、ちょうど転換期だったのだ。



こんな状況下で、あの御方がイライラしないはずがないではないか。


人一倍、対抗心が強い御方。

我らが手塚治虫氏である。



いつでも、どこでも、メディアでは穏やかな笑顔だった手塚治虫。


でも、この人の内面は、いつだって同業者を妬むようなドロドロした嫉妬心でいっぱいだったのだ。(人は見た目だけじゃ分からないものだ。大人になってから、それを知る)


有名な逸話なら数々ある。


漫画家福井英一氏(代表作『イガグリくん』)の緻密な絵柄や人気に嫉妬した有名な《イガグリくん事件》。(もう昼ドラのようなドロドロの愛憎劇である。興味ある方は調べてみて)


水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪人気ブームに嫉妬して、「自分も妖怪モノを描いてやるわい!」と誕生した『どろろ』。


永井豪のお色気漫画『ハレンチ学園』にも、またもや嫉妬心メラメラ。

それに対抗して、やっぱり描いてしまう『やけっぱちのマリア』。(このタイトルが手塚治虫の当時の気持ちなんだろうか(笑))


白土三平の作品『カムイ伝』を掲載したいばかりに『ガロ』という特殊な雑誌が創刊されると、それに対抗するように手塚治虫は、即座に『COM』を創刊する。(この雑誌で看板漫画として『火の鳥』の連載がはじまるのだ)


だが、この『COM』、雑誌の顔になるはずの『火の鳥』よりも、石ノ森章太郎が連載していた『ジュン』の方に人気が集まってしまう。(アララ~)


そうすると、陰で石ノ森章太郎のフアンに、

作品の悪口を書いた手紙を送りつける という、トンデモない暴挙にでる手塚治虫。(嫉妬が怨みに変わるとはこの事だ)


後日、石ノ森章太郎に平謝りして、

「なんであんな事をしたのか分からない。自分でも自分の性格が嫌になる … 」と一旦反省する手塚治虫なのだけど …… 結局この性格、死ぬまで治る事はなかったのでした。(笑)


なぜなら、《嫉妬心》や《ライバル心》、《対抗心》が、手塚治虫の創作の全ての原動力だったのだから。(こんなの治るはずもございません)


まぁ、それゆえに、コレだけの膨大な数の作品を残せたと言えるのだけど ……



そんな漫画の神様・手塚治虫にも長編アニメ映画の企画が、ようやっと舞い込んでくる。(本人、諸手を挙げて「ヤッター!」と叫びたかっただろうよ(笑))


手塚治虫は 燃えた!

心底、燃えて「この映画に全勢力を注ごう!」と決めた。


普通なら『火の鳥』の映画化でも、『黎明編』やら『未来編』など、幾多も描かれた原作の中から選ぶものを、映画は、この為の描き下ろした完全オリジナル・ストーリー。


原案、脚本、構成はもとより、総監督まで手塚治虫が全てにおいて関わっている。(例によって、よ~やるよ(笑))



こんな手塚治虫が心血注いで完成させた『火の鳥2772』。


だが、当時、中学生の自分が観た時はあまりにも不気味物語に思えたものだった。


宇宙パイロット『ゴドー』と、そのお世話係兼、育児ロボットである『オルガ』以外は、ほぼ良い感じの登場人物は出てこない。(後は、腹にイチもつ抱えているような人物ばかり)


それに加えて、登場人物たちの大勢が亡くなるという悲惨さ。


オマケに宇宙空間で、次々とその姿を変えて襲ってくる『火の鳥』には、うっすら寒気すら覚える始末だった。(ある時は巨大な怪鳥に変化したり、一瞬で化け物のような顔にもなる)


「生命の大切さ、神秘さ」をテーマに掲げながらも、描き方が相当 エグ過ぎた 『火の鳥』。


むしろ、今なら《R指定》でもよさそうな『火の鳥2772』は、そのエグさで大衆には中々受け入れられず、大ヒットには至らなかったのだった。(残念)



こんな手塚治虫の『火の鳥2772』を数十年ぶりに観てみた。(中年になって観ると、けっこう面白い)


そうして気づいた事もある。


主人公『ゴドー』が、初めて出会った人間の美女『レナ』にひと目惚れして二人が恋に落ちる時、ただの育児ロボットだった『オルガ』の中に、息苦しいまでの特別な《感情》が産まれるのだ。


それが嫉妬心


この《嫉妬心》を媒体にして、《悲しみ》や《怒り》、《喜び》など複雑な感情を学んでいくオルガ。


まるで人間的に成長する為には、この《嫉妬心》が必要不可欠だとでも言いたそうである。(この辺りの解釈、だいぶ手塚先生の自己肯定が入っている気がするなぁ~(笑))


でも分かる気がする。

なんせ、前述にも書いているとおり、同業者相手に嫉妬しまくりの人生だったんですもんね。



モノ作りの人たちって、やっぱりこういう考え方の人が多いのかな。


宮崎駿も最近活躍している若手クリエイターたちに触発されて《引退撤回》し、新作を作り上げたというし。(2023年公開)


やっぱり、そこにあるのは「あんな若手(今なら新海誠かな?)の作るアニメに負けてたまるか!」の《嫉妬心》や《対抗心》なのかもしれない。


こんな想いを燃料に変えて、自分の気概を燃え立たせる。


相手の実力を認めて「良い作品を作るなぁ~」の感心や憧れだけじゃダメなのかもね。


《憧れ》てるだけじゃ、目指す相手を乗り越えて、それ以上の上質な作品を作れないのだから。


そんな宮崎駿も昔、何かのインタビュー記事で手塚治虫の事をボロクソ言っていたのを、ふと思い出した。(今考えると、あれは《嫉妬》していたのかな?)


なんにせよ、これは相当疲れる生き方。

ノホホ〜ンと世渡りしてきた自分には、とても真似できそうもないわ(笑)。


こんな事を、ツラツラと考えさせた久しぶりの『火の鳥2772』なのでございました。

星☆☆☆。


2022年12月17日土曜日

映画 「快盗ルビイ」

 1988年  日本。




※はじめに …… タイトル『快盗ルビイ』の《》の文字は、けっして《怪盗(かいとう)》ではない。


《愉快》、《痛快》の《(かい)》の文字が使われていて、《快盗》と読ませているので、くれぐれもお間違いなく。(けっこう勘違いしてる人が多いので)



数十年ぶりに観た、小泉今日子真田広之のロマンティック・コメディー映画。

今観ても中々オシャレであり、心地よい気持ちにさせてくれるような、至福の一本でございました。


なので、ここに取り上げて、思った事をまたツラツラと書いてみますね。(こんな映画を昔のように、年末年始の深夜映画でやりゃいいのにね)



★原作はアメリカの推理作家ヘンリー・スレッサー


推理作家でも主に短編の方が得意だったみたいで、かの有名なヒッチコック劇場にも作品をいくつか提供していたとか。

ヘンリー・スレッサーが書いた原作『快盗ルビィ・マーチンスン』は短い短編を集めた連作短篇集である。


特に名前のない “ぼく” の視点から、従兄弟である犯罪者ルビィ・マーチンスンの計画や実行、事の顛末を愉快に描いている。(最後はことごとく犯罪計画は失敗するというドジっ子)


原作では、この『ルビィ・マーチンスン』は《》(オッサン)である。


この事実を知ってしまい、書店に並んでいる文庫本にも、なかなか、当時は食指が動かなかった。(原作は面白いのかしらん?)



★脚本、監督はオールマイティーになんでもこなす和田誠さん


和田誠さんは、脚本、映画監督だけじゃなく、執筆やイラストレーター、作詞家、映画評論家として幅広く多岐に活躍されたお方である。(2019年没)


今なら、トンデモ(?)料理研究家・平野レミの旦那さまって言った方が、若い人には分かりやすいかもしれない。


《↑平野レミ


この平野レミが突然テレビに現れだした時、アホな私は、この人をしばらくの間、水森亜土と思ってた。

「最近の水森亜土はイラストだけじゃなく料理もするようになったのか …… 」と勝手に勘違いしていたものだった。(笑)


独特なハッチャケ具合や奇抜なキャラクターが妙に重なって見えたのかもしれない。


この人の作る料理 ……

野菜や具材をテキトーに切ったり千切ったりして、鍋やフライパン(レミパン)にジャンジャン放り込むのがほとんど。


「こうすれば簡単でしょ!」とか「いいの!いいの!こうすれば短時間で作れちゃうからね!」っていつも言っている。


結果、出来た料理を食べるタレントたちは

「美味しい!」と絶賛しているが、時にはあきらかに失敗作のようなモノもあったりして ……(笑)


でも、平野レミは決してメゲない


平野レミを見てると、

「なるようになるさ!」や「明日があるさ!」、「コレがダメなら、次からはこの手でいけばいいじゃない!」なんてポジティブなワードが、ズラズラと浮かんでくる。


根っからの根明(ねあか)人間。(ある意味羨ましい)


多分、和田誠さんも、『快盗ルビィ・マーチンスン』の主人公を女性に改変して、加藤留美ルビィ)を創造しようとした時、奥方・平野レミの事を思い浮かべたはずだ。


そのくらい主人公・ルビィ平野レミの性格は似かよっている部分があると、今回映画を観直して、直感した。


●初対面の相手でも、まるで警戒心なんて無し。(林徹真田広之)を引っ越してきた自分の部屋に、すぐ引きこんじゃう)


●突飛な発想(犯罪計画もさることながら、言う事全てが突飛である)


●メゲない!くじけない!明日があるさ!(計画が失敗しても、即座に「次はこうしましょ!」と言って、違う計画を話す《変わり身の早さ》)


ねっ、この加藤留美の性格、平野レミさんに似ていませんかね?(ただ、小泉今日子はソレを過剰にならないように、なるべく普通の口調で演じていますが)



★ヒロイン・小泉今日子



やっぱり、この時の小泉今日子は別格なくらい可愛らしい。


80年代は、2大巨頭・松田聖子中森明菜がいて、フアン同志で


「オレは聖子ちゃん派だ!」とか

「明菜の歌唱力の方がスゴいよ!」

と、バチバチやりあっていた時 ……… 

そのどちらにも属さないフアンは小泉今日子を選んでいて、常に3番手にいた気がする。


今でこそ、ニックネームなんてのは当たり前でも《キョンキョン》なんて呼称で呼ばれはじめたのは、この人が最初だったかも。(けっして聖子にも明菜にも、こんなニックネームはつかなかった。この後に中山美穂を《ミポリン》、南野陽子を《ナンノ》なんて呼ばれ方が続いたが)


バッサリ刈り上げたショート・カットにすると《キョンキョン・カット》なんて言われて、たちまち巷で大流行した。(誰でも似合うとは思わない)


元気な歌は、明るく元気よく!

でも、身近にいたら「即、友だちになれそう!」な親しみやすさもある。


だから、キョンキョンのファッションは、よく一般人に真似されていたし、一時はCMにもバンバン起用されていた。


そんなのが《キョンキョン》なんてニックネームをつけられた理由だったのかもしれない。



そんなキョンキョンのお芝居はというと …… 正直よく分からない。


簡単に切り捨てて下手とも言えないし、特別に上手いとも思えない。


ごくごく《普通》なのだ。

普通の口調で話していて、普通にソコに存在しているって感じ。


でも、この《普通らしさ》が、この広い芸能界では希少に見えて、ドラマでも映画でも起用されやすいのかな。



★アクションとイケメン顔を封印して


ダサダサの寝癖頭や厚底メガネ

だらしなく緩みきった口元

常にオドオドしていて、背を丸めて歩く姿 ……


こ、これが真田広之なのか?!


当時は、この真田広之の演技に戦慄した。


それまでの真田広之の映画を観てきた人に、この変わり様は、ある意味衝撃的だったはずだ。


古巣のジャパン・アクション・クラブ(J・A・C)から独立しても(普通なら数年干されるだろうが)、映画界は真田広之を、やっぱり見放さなかった。


和田誠さんの映画では『麻雀放浪記』に起用されて、その後に『快盗ルビィ』と連続登板である。



この映画『快盗ルビィ』が成功するかは、ほぼ真田広之にかかっていると言ってよい。


物語は、ダサダサ男『林徹』(真田広之)の目線で常に進んでいくのだ。




『ルビィ』(小泉今日子)の突飛な犯罪に振り回されながらも、徐々に惹かれていくような様子をコミカルに、可笑しみを交えながら演じなければいけないという、難しい役。


なまじ運動神経が良くて、素がイケメンの彼が、それを全て封印して演じるのは、とても大変だったろうと思う。(イケメンにはイケメンの悩みがあるのね〜)


とにかく、これは充分に成功してるし、当時も面白かったが今回もイヤミなく観れた。


観ていない若い人にも、オシャレな小泉今日子真田広之の名演技は超オススメである。(キョンキョンって、昔はこんなに可愛いかったんだぞー!(笑))


長々、書いたが星☆☆☆☆。


二人が歌い踊る♪『たとえばフォーエバー』に耳を傾け、主題歌♪『快盗ルビィ』で終わる年末も、また乙で良いモノかもしれない。

2022年12月12日月曜日

映画 「恐怖の足跡」

 1962年  アメリカ。




『メアリー・ヘンリー』(キャンディス・ヒリゴス)は、女友だち二人と気の進まないドライブ中だった。


そこへ、

「良い車だな、競争しようぜ!」

若い男たちの車がそばへ来て、煽(あお)ってきた。


「いいわよ、私のドライブ・テクニックを見せつけてやるわ!」



(よせばいいのに …… )メアリーが思っていても、2台の車は猛スピードを出して、追いつ追われつの攻防戦がはじまった。


やがて、巨大な沼地に架かっている大橋へとやってくると ……


ゲゲッ!女たちの乗っていた車は(哀れ)橋から真っ逆さまに転落してしまったのだ!(ヘタクソが)


競争していた男たちは(ビックリ!冷や汗💦)慌てて車を止めて降りてきた。

しばらくすると野次馬たちが橋の上に集まり、警察も駆けつけてくる。


車が沈んだ辺りを皆が見つめながら、

「あれじゃ~助かりっこないさ …… 」と嘆いていると、岸辺にフラフラした様子の、あのメアリー・ヘンリーが一人だけ現れたのだ!


まさに《奇跡の人》、メアリー・ヘンリー!

群衆に取り囲まれて、メアリーは救助された。



そうして、数日が経ち ………


今だに、あの沼地では警察たちが車を探している。

残りの遺体がまだ見つかっていないのだ。


メアリーは隣町に引っ越す事にしていた。

教会でのオルガン奏者の仕事も、とっくに見つけている。(しっかりしてるわ)


「新天地で再出発よ!」

元来、《お一人様が好き》で、たいして仲の良くなかった友だちが死んでも、あまりショックではなさそうなメアリーである。


そんなメアリーが隣町に向かって車を走らせていると、日が暮れて、どんどん夕刻が迫ってきた。


そうして何気に隣を見ると ……



走っている車の窓ガラスに、見知らぬゾンビ男の顔が映ってるー!!(ヒィーッ!!)


慌てて急ブレーキを踏んで、恐る恐るもう一度見渡すと、その顔は一瞬で消えていた。


(気のせい?私の見間違い?!)


なんとか気を取り直して、目的のアパートにたどり着いたメアリー。

管理人のオバサンに住む部屋を案内されて、ホッ!と、ひと息。


オルガン奏者として、翌日から新しい教会で、心機一転働きはじめるのだが ………


やっぱり、それを邪魔するように、時折見えてくる、あの不気味なゾンビ男の




(他の人には見えないのに …… なぜ?私にだけあんなモノが見えるの?!)



やがて、メアリーはどんどん神経をすり減らしていくのだが ………





こんな導入部で始まる『恐怖の足跡』。

念願叶って、今回、ようやっと観ることができました。



この『恐怖の足跡』は、映画評論家である町山智浩さんの著書『トラウマ映画館』の中で紹介されていた珠玉の一本である。


原案、製作、監督、出演(ゾンビ男)を、ハーク・ハーヴェイって人が、全部一人でこなしている。(低予算ゆえ)


こんなのが知れ渡り、今や「伝説のカルト映画」とまで言われはじめた。(認知度も急上昇だ)




そうして、この映画を語る時に、必ず持ち出されているのが、M・ナイト・シャマラン監督が撮りあげた映画『シックス・センス』。





「『シックス・センス』なんて『恐怖の足跡』のパクリだ!」なんて、酷い事を言う輩(やから)さえポツポツ現れ始めたのだ。



ここまでの酷い言われようは何だろう?


でも、勘の良い人なら、すぐに《ラストのオチ(どんでん返し)に関係してる》と、察しがつくはず。



私も今回、この『恐怖の足跡』をちゃんと観て(あ〜、そういう意味ねぇ〜 …… )と多少は理解したものの、でも、だいぶ中身は違っているような ……





※《ここで、珍しくネタバレ》(知りたくない人は、ここでスルーしてください)





(※注意)《メアリー・ヘンリーは既に死んでいるのだ。それも車が落下した時、女友だちと一緒に》


映画を最後まで観れば分かると思うが、恐ろしいのはゾンビたちでなくメアリー・ヘンリーの方なのだ。


自分が《死んでいる》という実感が全くなく、幽体だけが、こともあろうに、なんと!《実体化》してしまっているのである。(ゲゲッ!そんな事があるのか?)



ここがブルース・ウィリスが演じた『シックス・センス』とは大いに違うところ。(幽体だけのブルース・ウィリスは、霊感のある子供・ハーレイ・ジョエル・オスメントとしか会話が出来ないのだ)



一方、この映画の主人公メアリー・ヘンリーは、なんでもごされだ。


実体化しているから、特に霊感がないような一般人たちにも見えているし、触れることもできる。

会話なんてのも普通にできちゃう。



車だってスイスイ運転してしまう。(ある意味、万能な幽霊)



アパートの管理人のオバサンにしても、

隣室の住人にしても、

新しい勤め先である教会の牧師さんにしても、

皆がメアリー・ヘンリーの存在を認めて、普通に会話しているのだ。(考えてみると恐ろしいことだ)




再三、映画の中で、メアリー・ヘンリーの性格的なことについて語っている場面に遭遇する。

「君は意志が強いんだな」

第三者がメアリーをことごとく、こんな風に語っている。



死んだ実感もないことに加えて、《意志の強さ》が、こんな奇跡をおこしたのなら、それはそれで希少な存在なのかもしれない、メアリー・ヘンリーって人は。




ただ、それを許さないのが魔界のゾンビ幽霊たち。



メアリーのこんな奇跡は、この世とあの世の摂理に反していて、絶対に許されることじゃない のだ。



ゾンビ男が時折メアリーの前に現れるのは、

「ワタシの姿が見えるって事は、お前は既に死んでいるんだよ …… 」と気づかせる為。(ある意味、お節介なゾンビたち)



それが徐々に功を奏したのか、

ゾンビ男が現れる度にメアリーの存在意義はユラユラ揺らいでしまい、メアリーの姿も声も一般人には見えなくなるし、届かなくなってしまう。



とうとう、ゾンビ男は仲間の幽霊たちを引きつれてきて、メアリーを追いかけ回しては、強引に《あの世》へと連れていってしまう。(トドメ)



だが、砂浜には最後まで逃げ惑ったメアリーの足跡がくっきりと残っているのだった。



確かに、メアリーは隣町で数日間暮らしていたのだ。


それは管理人のオバサンや隣人の男、牧師や医者たちも、ちゃんと覚えている。



ただ、メアリーの遺体が見つかった後、恐怖したのは町民たちの方だ。


「私らは数日間、幽霊をアパートに入れたり、幽霊とお喋りしていたのか …… ゾワワッ〜!



映画の中で語られなくても、後日談を想像すれば、きっとこんな感じだったろうと思う。




1度目の視聴では、主人公のメアリーの気持ちに同化して、追いかけてくる気味の悪いゾンビたちに恐怖する。

2度目、3度目の視聴では見方も様変わりして、こんな感想になったりもする。


と、いうことは、この映画は《トラウマ映画館》の中でも、やっぱり傑作の部類に入るんじゃないのかな?



星☆☆☆☆。

※ 後、『シックス・センス』も充分に面白いと思いますよ。(フォローしとく)



2022年12月4日日曜日

ドラマ 「プロハンター」

 1981年 4月〜9月(全25話)





横浜にある古ぼけた中層ビル。


1階では『三枝ユミ』(名取裕子)が喫茶店兼フラワー・ショップを営み、その2階に《M&R探偵事務所》は存在する。


《M》は『水原淳』(藤竜也)の《M》。

《R》は『竜崎駿介』(草刈正雄)の《R》。



愛犬家(?)の二人は、今日も二人のパトロンである『橘礼子』(小川真由美)が持ち込んできた難事件、珍事件に命知らずで勇猛果敢に挑んでいく ………



お話を要約すると毎回こんな感じか。


つい最近、始まった『プロハンター』を懐かしく観て、ひとり楽しんでいる。



やっぱり、この時代のドラマは格別面白いや。



探偵が普通に銃をぶっ放したり、足首に隠したナイフを投げたり。


敵と殴り、殴られの攻防戦。

町中を迫力あるカーチェイスで駆け巡ったりもするし、車はメチャクチャ壊れる。


時には車ごと海に落ちたりもするし、爆破なんてのも、もちろん有り。


とにかく1時間のドラマの中で「コレでもか!」っていうくらい、贅沢で飽きさせない仕掛けがジャンジャン織り込まれているのだ。



エッ?


《探偵が銃をぶっ放す》なんて、現実では有り得ない?

《町中を車でカーチェイス》なんて危険きわまりないし危ないだろう?!



そんなのは重々承知。

でも、コレはあくまでも《フィクション》。


お芝居の中の《有り得ない話》と割り切って楽しもうじゃございませんか?(こんなのを素直に楽しめない輩は、クソ面白くない現代ドラマで満足してればよろし)



それにしても、この草刈正雄足の長さは何なんなのだぁー!(笑)(同性ながら、かなりコンプレックスを感じてしまうなぁ~)


元々、アメリカ人の父親とのハーフとして生まれた草刈正雄はスタイル抜群。

モデルからスタートして芸能界入りしている。


顔もイケメンの部類に入るのか、当時としては物珍しくて、《イケメン》=《草刈正雄》って代名詞になっていたほどだった。(世の女性たちは「キャ~!キャ~!」)


ただ、若い頃のバタ臭い顔は、あんまり好みじゃない。(演技やセリフまわしもやっとこさ。この時はあんまり上手くないかも)


本人もあんまり自分の顔を気に入っていなかったらしく、どちらかというと勝野洋のような日本人顔に憧れていたそうな。(キャシー中島の旦那さんね)


この人は歳を取るごとに、顔も演技も段々と良くなっていったような気がする。(イケオジになった今の方が私は好きである)



一方、藤竜也は、この時からダダ漏れるほどの男の色気を放っていて、同性から見ても、ひときわ「カッコイイなぁ~!」と思ってしまう。(なんなんじゃ、この人は!)



つい最近、斉藤由貴南野陽子浅香唯が出揃って《スケバン刑事》や《80年代のヒット・ソング》を語り合うバラエティーを観た。



その時、南野陽子が何かの話の流れから、

藤竜也さん、カッコイイと思ってましたと言ったら最後、斉藤由貴がすぐに食いついてきて、話にノッてきた。


私もカッコイイと思ってます。カッコイイ〜ですよねぇ~♥️なんて言いながら、目の色を変える斉藤由貴。


二人は男の趣味が合致したのか、キャッ、キャッ!(浅香唯は二人と趣味が合わないのか、一人黙っていた(笑))


こんな風に大半の女性たちは、藤竜也にメロメロになってしまうのだ。



男でも、稀に魔性のフェロモンをふりまき続けている人がいるが、藤竜也がまさにソレ!

同性としては羨ましい限りである。(こんな風に生まれたかったよ(笑))



こんな草刈正雄藤竜也を手玉にとって、愛嬌を振りまきながら、安い報酬料で散々こき使う『橘礼子』(小川真由美)は、まるでヤッターマンのドロンジョ様のよう。(絶対!ドロンジョ様のモデルって小川真由美さんでしょ?←(昔から勝手にそう思ってます))




「今回の報酬よ」

と言いながら、にっこり笑って、雀の涙程度の札束が入った封筒を差し出す礼子。


(あんだけ死にものくるいの想いをしたのに~ …… )と思ってても悪態や文句も言わない二人は、黙って報酬を受け取る。(トホホ …… )


礼子のアッケラカンとした笑顔には、どうあがいても勝てない事を知っているのだ。(小川真由美さんこそ、最大級の魔性なのかもね(笑))



ドラマは、元怪盗で身軽な柴田恭兵がたまに助っ人で現れたり、横浜署の刑事・宍戸錠小林稔侍が呼ばれもしないのに絡んでくる。(少々ウザいけど、そこはご愛嬌)


毎回変わるゲスト俳優さんも楽しみの一つである。(「あっ!こんな人が出てたんだ!」って見つけるのも、また楽しい)



一話完結ゆえ、どっから観始めても分かりやすいし、きっと面白いはず。(EDで流れる、クリエーションが歌う『ロンリー・ハート』も隠れた名曲である♪)


オススメしとく💣

星☆☆☆☆。