1962年 アメリカ。
『メアリー・ヘンリー』(キャンディス・ヒリゴス)は、女友だち二人と気の進まないドライブ中だった。
そこへ、
「良い車だな、競争しようぜ!」
若い男たちの車がそばへ来て、煽(あお)ってきた。
「いいわよ、私のドライブ・テクニックを見せつけてやるわ!」
(よせばいいのに …… )メアリーが思っていても、2台の車は猛スピードを出して、追いつ追われつの攻防戦がはじまった。
やがて、巨大な沼地に架かっている大橋へとやってくると ……
ゲゲッ!女たちの乗っていた車は(哀れ)橋から真っ逆さまに転落してしまったのだ!(ヘタクソが)
競争していた男たちは(ビックリ!冷や汗💦)慌てて車を止めて降りてきた。
しばらくすると野次馬たちが橋の上に集まり、警察も駆けつけてくる。
車が沈んだ辺りを皆が見つめながら、
「あれじゃ~助かりっこないさ …… 」と嘆いていると、岸辺にフラフラした様子の、あの『メアリー・ヘンリー』が一人だけ現れたのだ!
まさに《奇跡の人》、メアリー・ヘンリー!
群衆に取り囲まれて、メアリーは救助された。
そうして、数日が経ち ………
今だに、あの沼地では警察たちが車を探している。
残りの遺体がまだ見つかっていないのだ。
メアリーは隣町に引っ越す事にしていた。
教会でのオルガン奏者の仕事も、とっくに見つけている。(しっかりしてるわ)
「新天地で再出発よ!」
元来、《お一人様が好き》で、たいして仲の良くなかった友だちが死んでも、あまりショックではなさそうなメアリーである。
そんなメアリーが隣町に向かって車を走らせていると、日が暮れて、どんどん夕刻が迫ってきた。
そうして何気に隣を見ると ……
走っている車の窓ガラスに、見知らぬゾンビ男の顔が映ってるー!!(ヒィーッ!!)
慌てて急ブレーキを踏んで、恐る恐るもう一度見渡すと、その顔は一瞬で消えていた。
(気のせい?私の見間違い?!)
なんとか気を取り直して、目的のアパートにたどり着いたメアリー。
管理人のオバサンに住む部屋を案内されて、ホッ!と、ひと息。
オルガン奏者として、翌日から新しい教会で、心機一転働きはじめるのだが ………
やっぱり、それを邪魔するように、時折見えてくる、あの不気味なゾンビ男の顔、顔、顔!
(他の人には見えないのに …… なぜ?私にだけあんなモノが見えるの?!)
やがて、メアリーはどんどん神経をすり減らしていくのだが ………
こんな導入部で始まる『恐怖の足跡』。
念願叶って、今回、ようやっと観ることができました。
この『恐怖の足跡』は、映画評論家である町山智浩さんの著書『トラウマ映画館』の中で紹介されていた珠玉の一本である。
原案、製作、監督、出演(ゾンビ男)を、ハーク・ハーヴェイって人が、全部一人でこなしている。(低予算ゆえ)
こんなのが知れ渡り、今や「伝説のカルト映画」とまで言われはじめた。(認知度も急上昇だ)
そうして、この映画を語る時に、必ず持ち出されているのが、M・ナイト・シャマラン監督が撮りあげた映画『シックス・センス』。
「『シックス・センス』なんて『恐怖の足跡』のパクリだ!」なんて、酷い事を言う輩(やから)さえポツポツ現れ始めたのだ。
ここまでの酷い言われようは何だろう?
でも、勘の良い人なら、すぐに《ラストのオチ(どんでん返し)に関係してる》と、察しがつくはず。
私も今回、この『恐怖の足跡』をちゃんと観て(あ〜、そういう意味ねぇ〜 …… )と多少は理解したものの、でも、だいぶ中身は違っているような ……
※《ここで、珍しくネタバレ》(知りたくない人は、ここでスルーしてください)
(※注意)《メアリー・ヘンリーは既に死んでいるのだ。それも車が落下した時、女友だちと一緒に》
映画を最後まで観れば分かると思うが、恐ろしいのはゾンビたちでなくメアリー・ヘンリーの方なのだ。
自分が《死んでいる》という実感が全くなく、幽体だけが、こともあろうに、なんと!《実体化》してしまっているのである。(ゲゲッ!そんな事があるのか?)
ここがブルース・ウィリスが演じた『シックス・センス』とは大いに違うところ。(幽体だけのブルース・ウィリスは、霊感のある子供・ハーレイ・ジョエル・オスメントとしか会話が出来ないのだ)
一方、この映画の主人公メアリー・ヘンリーは、なんでもごされだ。
実体化しているから、特に霊感がないような一般人たちにも見えているし、触れることもできる。
会話なんてのも普通にできちゃう。
車だってスイスイ運転してしまう。(ある意味、万能な幽霊)
アパートの管理人のオバサンにしても、
隣室の住人にしても、
新しい勤め先である教会の牧師さんにしても、
皆がメアリー・ヘンリーの存在を認めて、普通に会話しているのだ。(考えてみると恐ろしいことだ)
再三、映画の中で、メアリー・ヘンリーの性格的なことについて語っている場面に遭遇する。
「君は意志が強いんだな」
第三者がメアリーをことごとく、こんな風に語っている。
死んだ実感もないことに加えて、《意志の強さ》が、こんな奇跡をおこしたのなら、それはそれで希少な存在なのかもしれない、メアリー・ヘンリーって人は。
ただ、それを許さないのが魔界のゾンビ幽霊たち。
メアリーのこんな奇跡は、この世とあの世の摂理に反していて、絶対に許されることじゃない のだ。
ゾンビ男が時折メアリーの前に現れるのは、
「ワタシの姿が見えるって事は、お前は既に死んでいるんだよ …… 」と気づかせる為。(ある意味、お節介なゾンビたち)
それが徐々に功を奏したのか、
ゾンビ男が現れる度にメアリーの存在意義はユラユラ揺らいでしまい、メアリーの姿も声も一般人には見えなくなるし、届かなくなってしまう。
とうとう、ゾンビ男は仲間の幽霊たちを引きつれてきて、メアリーを追いかけ回しては、強引に《あの世》へと連れていってしまう。(トドメ)
だが、砂浜には最後まで逃げ惑ったメアリーの足跡がくっきりと残っているのだった。
確かに、メアリーは隣町で数日間暮らしていたのだ。
それは管理人のオバサンや隣人の男、牧師や医者たちも、ちゃんと覚えている。
ただ、メアリーの遺体が見つかった後、恐怖したのは町民たちの方だ。
「私らは数日間、幽霊をアパートに入れたり、幽霊とお喋りしていたのか …… ゾワワッ〜!」
映画の中で語られなくても、後日談を想像すれば、きっとこんな感じだったろうと思う。
1度目の視聴では、主人公のメアリーの気持ちに同化して、追いかけてくる気味の悪いゾンビたちに恐怖する。
2度目、3度目の視聴では見方も様変わりして、こんな感想になったりもする。
と、いうことは、この映画は《トラウマ映画館》の中でも、やっぱり傑作の部類に入るんじゃないのかな?
星☆☆☆☆。
※ 後、『シックス・センス』も充分に面白いと思いますよ。(フォローしとく)