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2020年2月2日日曜日

映画 「スリ(掏摸)」

1959年 フランス。




『ミシェル』(マルタン・ラサール)は寂れた狭いアパートを寝床に、一人暮らしをしている地味な青年。


いまだ定職にもつかずに、ブラブラしている。


(だが、自分は普通の人間とは違うはず……きっと、何か特別な才能があるはずなんだ……)


こんな風に自身に思い込ませようとしても、現実は上手くいくわけもなく……勝手にお金が転がりこんでくるわけではない。(当たり前だ)



そんな折、なんとなく競馬場をうろつくミシェルの目の前に、肘にハンドバッグを提げた、ひとりの夫人の姿が見えた。


ハンドバッグの口からは、大量に束ねた札束が「こんにちは!」とばかりに覗いている。



ミシェルの目は、そのハンドバッグに釘つけになり、もう反らす事すら、できない。

そ~と、人混みに紛れて夫人に近づいていくミシェル。


(上手くやれるか?、それとも、やれないか?……)


少しの勇気が後押しして、ミシェルの細く長い指は、ハンドバッグに上手くすべりこみ、札束を掴んでみせた。


そして、それを自分の懐に、そっとしまいこむ。


(やったー!やったぞー!)

成功の嬉しさを表情にださないように、ミシェルは道端を歩き出した。




その後ろを二人の男たちが歩幅をつめながら近づいていく。

ミシェルは逮捕された。(あらら…)




だが、証拠不十分で釈放。

デスクに座る目の前の警部(ペルグリ)は、不信感を隠しながらも、渋々、ミシェルにその札束を返した。



(それ見たことか、何の証拠もないんだ……)


警察署を出たミシェルの足は、そのまま、いつしか近所に住んでいる母親のアパートに向かっていた。



螺旋階段を上がっていくと、ひとりの女性の姿が。


「あなた息子さん?私は下の階に住んでいるのよ」

そう言った娘『ジャンヌ』(マリカ・グリーン)は、一人でアパートにいる、病気で具合の悪いミシェルの母親が、何かと気がかりらしい。(こんな美人が!なんて親切なんだ!)


ちょくちょく様子を見に来ては、献身的に世話をしてくれているようだった。


「これを母に……」

先程、盗んだ金の札束を何枚か差し出すと、ミシェルは、ジャンヌの掌に押し付けて帰っていった。



自分のアパートに帰りつくと、初めてのスリ(掏摸)の成功に酔いしれるミシェル。


(多少のスリルはあっても、これは一部の人間だけが出来るような特権みたいなものだ……。)


ミシェルは、後ろめたい『スリの仕事』に、勝手に、変な講釈をつけて、それを自身に信じこませようとする。


危険な『スリ』の魔力………それに、どんどん深入りして、ハマっていくミシェルなのだった………。




やっと観たロベール・ブレッソン監督の『スリ』。



以前紹介した、『抵抗』に完全に《どハマリ》して、だいぶ遅れたものだが、この歳で、すっかりブレッソン信者になってしまった自分である。


『抵抗』ほどではないにしても、この『スリ』も中々、どうして見応えあり。




ミシェルが、『スリ』のテクニックをどんどん磨いて、上達していく様は、まるでスポ根のようである。


盗んだ財布を、折った新聞紙の間に隠したり。

盗む相手の上着の内ポケット隠してある財布を、指で挟んで、上着の中にストン!と落として、下で素早くキャッチするシーンなど、やってる事は『スリ』なんだけど、もはや芸術的というのか、感心して見てしまった。



でも、ヤッパリ、『スリ』は罰せられなければならないほど、許されない犯罪なのでございます。



母親は寝床に隠していたヘソクリを盗まれて、1度は警察に届けるも、「もしや……自分の息子が……」と思い、訴えを取り下げる。


そんな母親の気持ちを知る、心優しい警部は、ミシェルに遠回しに忠告するのだが、すっかり有頂天になって、天狗になっているミシェルは聞く耳なんてもたない。


親友も就職を進めるも、これまた聞く耳なし。


心優しいジャンヌまでも、ミシェルを心配しているのに。




本当に、このミシェルの周囲は良い人達ばかりじゃないか?



こんな恵まれた環境の中で、主役のミシェル本人だけがクズ野郎。(だけど、何でこいつが皆に好かれるの?)



そんなミシェルの犯罪を映画は、淡々と描いてみせる。

冷たく、突き放すように、憐れみさえ与えない、それを記録のようにして映すだけのカメラ。


これが、ロベール・ブレッソン流の演出。



でも、今回のこの『スリ』は、多少、自分の好みじゃないかもしれない。(特に主役のこいつ、マルタン・ラサールの顔が)



たった今、観たばかりの感想は、取り合えず、星☆☆☆とさせてもらいます。


※でも、この『スリ』の感想も、時間が経つと、またもや変化するかもしれない。


時が経つと、心におとされた小さな火種が、突然、くすぶりはじめ、膨れ上がり燃え上がり始める。


そんな体験をさせてくれるのが、ブレッソン映画なのだ。(既に、映画『抵抗』で体験済み)


その時は、ここに書き記した感想とは、真逆の、180度違う感想を書くやもしれないのでヨロシク。

お粗末でした!

2020年1月11日土曜日

映画 「抵抗」(2度目のレビュー)

1956年 フランス。







抵抗』2度目のレビュー …………

自分としては異例中の異例だが、もう1度ここに書き記しておきたい。


というのも、普通の脱獄映画だと思って、先日、この映画『抵抗』を観て、サラサラとココに取り上げて書いてみた自分なのだけど ………

なぜか?この映画に限っては、今までの映画とは、少しばかり様子が違うような気がしてきたからなのだ。



日が経てば、また、すぐに観たくなってしまうのである。



気がつけば、すっかり『抵抗』にハマっていて暇さえあれば、繰り返し、繰り返しDVDを観ている日々。



これはいったいどうしたものなのか?



何でこの作品に限ってこんなに強く惹かれるんだろう ……



1度観ても、また、すぐに観たくなるような、そんな中毒性のあるような作品。

そんな作品に、この歳で出会って、これまた夢中になるというのも珍しいこと。



監督のロベール・ブレッソンの世界は、他の映画と、どう違うのか?




そんな考えを巡らせながら、繰り返し観ているうちに、ある事に気がついた。




『抵抗』の主人公『フォンティーヌ』は、ほぼ口を開かないのだ!




そのかわり、《 心の声 》(フォンティーヌの、その時々の心情・ナレーション)が、画面に被さりながら話は進められていく。


こんな手法を、この映画は存分に好んで取り入れているのだ。




これは、まるで日本なら《少女漫画》などが昔から好んで使う手法である。



ふきだし(セリフ)以外のところで、主人公たちが、自分たちの心情を吐露する場面を色々な少女漫画で見かけた人たちもいると思う。




こんなのは少年漫画には、あまり使われない表現方法。


この独自の手法を発展させることによって、少女漫画は、少年漫画や青年漫画とは違って、より深く精神世界へと踏み込んでいったのだ。




この方法は、否が応でも観ている人たちを、主人公に感情移入させて引き込んでいく。



なぜなら、他に現れる登場人物たちが、決して知ることのない主人公の心の声を、観ている我々(自分)だけが知る事になるからなのである。




それを、こんな大昔から既に完成させていた監督のロベール・ブレッソンは、この分野の元祖、パイオニアといってもいいくらいだ。




脱獄の機会を伺いながら、フォンティーヌの無表情の顔を映しては、


(手間取った …… 看守の見廻りの音を怖れたからだった ……… )


なんていうような心のナレーションが、いちいち被さって入るものだから、観ている我々もフォンティーヌと一緒に、ピン!と張りつめた緊張感を味わいながら、脱獄に挑戦しているような気分になってくる。



いつしか、このスリリングな体験を主人公を通して自分もしているような錯覚さえおこしてしまうほどだ。



こんな手法は、いやはや、なんとも ……

盛り上がらないはずがない。




俄然、こうなると『ロベール・ブレッソン』に関して調べたくなるのが自分の性分。




やはり、他の映画監督たちとは、だいぶ変わった趣向や考えの方の持ち主だったようである。


  《↑ロベール・ブレッソン監督》



ロベール・ブレッソンは、既存の玄人俳優たちを嫌がったようだ。


変わりに使われるのは、演技経験なんて全くした事のない素人たち。(まぁ、その素人たちもブレッソン映画出演以降、映画界にとどまった者が何人かいたらしいが)



そんな素人たちにさえ、「無理に演技しないでくれ!ただ、そうやって、そこに存在してくれればいい!」だったらしい。



《 俳優が演技しない? 》とは何なのか?



この『抵抗』でもフランソワ・ルテリエは、うつむき加減で左右に目線を走らせるだけ。



映画は、その場面場面を切り取って我々に見せている。


ブレッソンが目指したものは、過剰な演出を徹底的に省いた《 リアリズム 》。


ごく普通の人間が、普通でない状況に置かれた時に、「どう考えて、どう行動するのか?そして、どんな反応をするのか?」………映画はその場面を単純に繋ぎ合わせたモノだと考えたのだ。


ブレッソンは素人の俳優たちを『モデル』と呼び、自らの映画作品たちを『シネマトグラフ』と呼んだ。


極限まで要らないモノを徹底的に削ぎおとして、俳優たちにも内面を演じさせず、ただ、その様式だけを我々に見せる。

それは時として、観ている者たちに強い印象を残し、無限な想像をさせるのである。




今、自分の手元にはブレッソンの別の映画『スリ』があって、それを観てから、すぐにblogに挙げてもいいのだが簡単には進められそうもない。


しばらくは、この『抵抗』の印象が強くて、他の映画に寄り道したりして、この『抵抗』の印象が薄くなるのを待たなければ、どうにもいかない次第である。



こんな経験も、また嬉しく、珍しいものなのである。



2020年1月4日土曜日

映画 「抵抗」

1956年 フランス。







正確には『抵抗(レジスタンス)~ある死刑囚の手記より~』。(以前は、『抵抗  死刑囚は逃げた』)



でも、ずばり【 抵抗 】のタイトルでいいんじゃないの?



その昔、フランス映画の脱獄もので、【 穴 】(1960年)を観たことがある。

途中まで感心して観ながらも、最後の最後にガッカリしてしまった。(観ていない人には何の事か分からないだろうが……)




ようするに、※《 注意 、ネタバレ 》





脱獄に成功しないのだ。


脱獄モノの醍醐味は、「脱獄に成功する!」のが前提だと思いこんでる自分には、「何じゃコリャ!観ていた時間を返せー!」てな具合で、若気の至りとはいえ(プンプン!)憤慨した記憶がある。


で、この【 穴 】という映画と、【 抵抗 】という映画が、同じフランス映画で、モノクロで、同じ脱獄モノなので、最近まで記憶の中でゴッチャになっていた次第。



観てもいないのに、パッケージを観ては、「あ~、あの昔観た、脱獄に失敗する映画でしょ」なんて、勝手に決めつけて勘違いしてました。(何ていい加減なんだ)




もちろん、こちらは別物で、監督は『ロベール・ブレッソン』という人。(映画『スリ』も有名)



主演はフランソワ・ルテリエ



このルテリエ演じる『フォンティーヌ中尉』が、いきなり護送される場面から映画は始まる。


フォンテーヌは、隙をついて車から逃げ出すものの、すぐに捕まってボッコボコ。(血だらけで悲惨なものだ)




連れてこられたのは、戦時中、ドイツ軍の占領下におかれていた、フランスにあるリヨンの収容所。

手錠をはめられたまま、血だらけで独房に放り込まれるフォンティーヌ。




一見、優男のような風貌のフォンティーヌ、でも中身は、

絶対に生きて、ココを出ていくんだ!!というハングリー精神に燃えている。



高い壁の鉄格子から顔を出すと、定期的に庭を散歩している囚人連中がいる。




その連中に連絡をとるために、鉄格子から紐をたらし、外の母親に伝言を頼むフォンティーヌ。


独房の隣には誰かがいるみたいだ。


壁を叩くと、向こうからも「コンコン!」と返事が返ってくる。


いつしか、その音をモールス信号のように解読して、会話が出きるようになってくるフォンテーヌ。



( …… 手錠の外し方は、ピンを鍵穴のバネに当たるように外すんだ …… )


壁の向こうの人物の暗号を解読して、言うとおりにやってみると、手錠は簡単に外れた。


手首をさすりながら、フォンティーヌの目は、更に自信の光が輝いてる。


(絶対にここを脱出してやる!)と …………… 。






全編、糸がピン!とはったような緊張感。



スプーンを研いだり(脱獄にはお約束ね)、枕を裂いて長いロープをつくったり、脱獄の過程も面白い。



そんなある日、フォンティーヌの、死刑執行日が決まった。

それと同時に、同じ独房に送られてくる少年ジョスト。



こんな厄介な状況になってフォンティーヌは悩む。


(こいつを殺して、とっとと一人で出ていくか?いや、こいつを仲間に引き入れて一緒に脱獄した方がよいのか?!……… )





主演のフランソワ・ルテリエは、ほぼ素人で、いきなり、この映画の主演を任されて、映画出演はこれっきりだった。



映画に出るよりも、作る方の過程に興味を持ったようで、助監督を得て、映画監督となる。
(『さよならエマニエル夫人』なんてのを監督してます)



そして、その息子も映画監督。


ルイ・ルテリエである。



誰かって?



あの大ヒットした『トランスポーター』や『トランスポーター2』、『インクレディブル・ハルク』、『タイタンの戦い』の有名な監督ですよ。



蛙の子は蛙なんだなぁ~と変なところで納得。




この映画、もちろん星☆☆☆☆☆である。

と、言う事は分かりますよね?



脱獄の醍醐味について、前述で、十二分に語っているので、察しがいい方は察してくれると思います。




※それにしても、当時の囚人生活はチョー過酷。



蓋のないバケツに排泄して、よく朝、中庭の広場に捨てたり。(ん〜、不衛生)

殴られて血だらけの洋服は、ずっと染みだらけでそのまんまだ。(着替えすら与えられない)



そりゃ、フォンテーヌじゃなくても脱獄したくなるはずだわ(笑)