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2025年4月29日火曜日

アニメ 「るんは風の中」

 1989年 ビデオ発売。





1979年に、『月刊少年ジャンプ』に掲載された手塚治虫の読み切り短編漫画である。

この作品、手塚治虫自身も中々のお気に入りで、後年アニメ化では監督も兼任していた。

私自身も初めて観たが、けっこう気に入っている作品。

やっぱり大人になったら《手塚作品》なのかもね。



中学生の『豊田明』(とよだ アキラ)は、仕事で忙しい父親との二人暮らし。(母親は、とうに亡くなっている)

学校では教師やクラスメートにも馴染めず、孤立気味。


そんな砂を噛むような毎日の中、ある日、アキラはガード下のコンクリート壁に貼られているポスターに強く惹きつけられてしまう。


ポスターのモデルになっている写真の彼女に一瞬で 恋してしまった!♥️のだ。


オマケに、アキラにはポスターの彼女が話しかけてくる声が自然に《聴こえてくる》のである。

隙をみて、ポスターを剥がすと、とうとう自宅に持ち帰ってしまうアキラ。


勝手に名前も分からない彼女に『るん』と名付けて、『るん』との生活を楽しむアキラなのだが ……




《聴こえもしない声が勝手に頭の中に入ってくる》…… 

コレと似たような経験をした事がある自分には、この主人公『アキラ』の事を「気がおかしくなった?」とか「ノイローゼ?」なんて、安易に馬鹿に出来ない理由がある。


昨年、奮起して【《小説》なるモノを一度書いてみよう!】と思いたち、書き出したものの、途中から物語の登場人物たちが、自分の頭の中で勝手に喋りだしたり、動き始めたり ……


終いには横になっても、それらの声が反芻するように頭の中で鳴り響いてしまい、全然眠らせてくれない日々が続いたのだった。


とにかく頭の中から、これらの声を上手く制御して外に出さなければ(小説として完成させなければ)、消え去ってくれないのである。


こんな状況で、最初考えていた結末とはだいぶ変わってしまい、それでも、なんとか完成させると、終わった後は、性も根も尽きたような燃え殻状態になってしまったのでした。


凡人の私でさえ、こんな風になってしまったのだから、いくつも連載などを抱えて多忙だった手塚治虫の頭の中なんて、いったいどうなっていたのだろうか。(あちこちで沢山のキャラクターの声が「ワー!ワー!」言ってたに違いない)


強い意志で制御(コントロール)できなければ、小説でも漫画でも、作品なんて綺麗に完結する事なんて、どだい無理な話なのだ。(膨大な数の手塚作品でも未完に終わった話もあるし、創作に関わる人は絶対にこんな経験をしているはずだ)



後半、アキラは自分の部屋で、とうとう《自殺》しようとする。


クラスメートに『るん』の事でからかわれたり(片時も離れたくなくて学校にポスターを持っていくアキラ。そんなアキラをからかいポスターは盗まれて、トイレに貼られていたりする。そうして殴る蹴るの大喧嘩)、教師から連絡をうけた父親にさえ、奇怪な行動を怒鳴られる始末。


(もう、生きていたくない …… )


自分の部屋でロープを引っ掛けて、首吊り自殺をしようとするアキラを、ポスターの中の『るん』が懸命に引き留める。


やめてーー!アキラさん、私が好きじゃなかったの?探すのよ!私の写真のモデルになった本当の人物を!!


この『るん』の一言で、すんでのところで自殺を思い留まったアキラ。(この『るん』の呼びかけも、アキラ自身が「本当は生きたい!」という、もう一方の心の声なので、ちょっと複雑である)


こうして、気持ちを切り替えて、あのポスターを作った出版社を必死で探しだし、写真を撮った『三輪南平』の自宅までを突き止めるアキラ。


そうして、アキラは無事に『るん』のモデルとなった実在の女の子と出会えることができるのか ……


ラストは、ちょいとしたドンデン返しがあり、ハッピーエンドなのだけど、やや寂しさが残る終わり方。


『るん』のポスターは、「これにてお役御免!」とばかりに、風に飛ばされてユ〜ラユラと、どこか遠くへといってしまう🌪️。(な〜るほど、これでタイトルが《るんは風の中》なのね)


これも隠れた手塚治虫の名編じゃないのかな。

星☆☆☆☆。



それにしても、全然『少年ジャンプ』らしくない良い話だなぁ~(笑)


2023年8月3日木曜日

アニメ 「100万年地球の旅 バンダーブック」

 1978年8月。(24時間テレビより〜)





大人になると定期的に観たくなるのが、昔の手塚治虫アニメ。


近年でも手塚治虫の原作はちょくちょくアニメ化されているのだが、ん〜、どうにも食指が動かない。

やっぱ手塚治虫が直接関わっていて、手塚治虫の絵柄じゃなけりゃ、私には無理なのかも。


今回久しぶりに、配信でやってた『100万年地球の旅 バンダーブック』を観た。



地球でも高名な科学者・クドー博士と妻が乗っていた宇宙船が爆破テロ💥にあった。


夫妻は「この子の命だけは …… 」と産まれたばかりの赤ん坊を泣く泣く脱出ポッドに入れて、宇宙空間へと解き放った。(その直後、宇宙船大爆発!)


脱出ポッドは、すぐさま近くの安全な星を見つけ出して(?)、その星へ無事到着する。


その星は《ゾービ星》。


ゾービ星は幸運にも大気や海などもあって、地球と、ほぼそっくりな環境だ。

動物や人間の姿も、まんま地球と同じ生物たちが住んでいる。


ただ、モラルだけは発達してるのか …… ムダな殺生を一切しない のが、この星の《ルール》。


狩りをしても、動物の《尻尾》だけを狙って食(しょく)し、後は野に返してやる。


そんなゾービ星の王妃に、幸運にも拾われた赤ん坊は、《バンダー》の名前を与えられてすくすくと育てられた。


やがて17年の歳月が経ち、立派な青年になったバンダー。

義妹のミムルは兄弟でありながら、そんなバンダーに熱い視線をおくる。


平和だったゾービ星 …… 


だが、ある日、宇宙ギャングの船がやって来て、人々は騒然となり逃げ惑う事になる。


バンダーだけは一人残って、ギャングの親玉《ブラックジャック》と闘うのだが ……




お話は一言でいうと荒唐無稽なSFモノ。(惑星間移動、タイムマシン、科学的なモノは完全に無視して、やりたい放題にやっております(笑))


やはり当時あまりにも忙しすぎた手塚治虫。

脚本、ストーリー展開にもだいぶ《アラ》が見えてしまう。


だが、この『バンダーブック』はとても面白いし、自分には愛おしい作品。


今回久しぶりに観て気づいた事もある。

この『バンダーブック』、映画『火の鳥2772』と、似ている部分がとても多いのだ。


両者を比べて、自分が気づいた類似点をいくつかココに書いておこうと思う。



★主人公は何の特殊能力も持たない正義感だけのヒーロー。そしてちょっぴり浮気性。


『火の鳥2772』の宇宙パイロット・ゴトーにしても、このバンダーにしても、ごく普通〜の地球人。なんの超能力も与えられていない。

一応、光線銃や剣を使うものの、戦うのは生身である。


そうして《浮気性》ってのは、本命のヒロインがいて、一方では良い顔をしながらも、別の美人にヨヨヨ … といっちゃうとこ。(ダメじゃん(笑))


バンダーにはゾービ星の義妹ミムル(もちろん血はつながっていない)がいるのに、シリウス星のマリーナ姫(美人)に出会ってしまって、ついフラフラ~♥


ゴトーは、オルガ(美人でもロボット)に愛されながらも、上流階級の娘・レナ(美人)に、これまたフラフラ~♥


★ヒロインは超万能。愛する男の為なら何にでも変身します!でも、恋敵には嫉妬もしちゃいます。


元々ゾービ星人は誰でも《変身能力》を持っている。

胸や腕に《変身バッジ》なるものを装着すると、自分の思い描く姿に変身できるのだ。(バンダーが《変身バッジ》をつけてもゾービ星人じゃないので無理)


バンダーを愛するミムルは、ピンクのウサギ・《ムズ》の姿を借りてどこまでもついてくる。(可愛い〜♪😍)


時には、馬やプロペラ、バンダーを覆うマントにまで変身したりも出来るので、バンダーはムズに頼りっぱなし。(ムズの正体がミムルだとは最後まで気づかない鈍感なバンダー)


『火の鳥2772』のオルガも変身ロボットなので、飛行機でも水上バイクでも何でもごされだ。


そうして、ミムルにしても、オルガにしても、上記に書いた恋敵に《やきもち》をやいたり、《嫉妬》したりするのは、ごもっとも。


★当時、大人気のブラックジャックが助演する。



『バンダーブック』では宇宙ギャングのボス役。

『火の鳥2772』では囚人を強制的に働かせる労働キャンプの所長役。


一見、「悪そうな人なんだけど、本当は良い人」ってのがブラックジャックに、いつも与えられる役柄だ。

そうして最後は主人公を案じながらも、非業の死 を遂げるパターン。(たまには生かしてやれよ(笑))



この『バンダーブック』は、『ブラックジャック』が、アニメに初登場した作品でもあるのだ。(その後、『マリンエクスプレス』など他の作品にもチョイチョイ借り出されるブラックジャック)


手塚治虫の死後、出崎統杉野昭夫コンビで、アニメ化されたり、息子の手塚真によってテレビアニメ化されたものもあるが、やっぱり本家の描くブラックジャックには、ちと敵わないかも。


このニヒルな面構え … やっぱカッコイイですわ。(できるなら、生前に手塚治虫の作画で『ブラックジャック』をアニメ化してもらいたかった)



★人間の愚かさで地球は一旦、終末を迎える。でも、ふたたび再生する。

『バンダーブック』や『火の鳥2772』だけじゃない、手塚作品が掲げる大きな主題。


「そうだよな~、人間がしっかりしなくちゃダメなんだよな~」と、手塚アニメで育った世代には、キチンと心にすり込まれているような …(気がする)




『バンダーブック』と『火の鳥2772』を比べてみての考察は、ざっとこんなところかな。


この後、1980年に『火の鳥2772』の映画が作られるのだが、多分、『バンダーブック』で消化不良だった部分が、手塚の脳裏にはあったはずなのだ。(それなら似ているのも納得か)


それが意識的なのか無意識的なのかは分からないが …… 『火の鳥2772』は『バンダーブック』のリメイク?みたいな気がする。



漫画でも、納得するまで何度でも描き直しをしていた手塚治虫。


漫画の神様は決して妥協しないのである!(でも、出来上がった『火の鳥2772』は相当グロいけどね(笑))



2022年12月23日金曜日

映画 「火の鳥2772」

 1980年  日本。





1970年代終わりから〜80年代初頭にかけては、アニメ映画の超大作が目白押し。


それまで日本のアニメ映画といえば、東映の独壇場だった。

アニメ映画なんてのは、《東映まんがまつり》が主流で、せいぜい長くて1時間くらいの上映。


それが1977年に『宇宙戦艦ヤマト』が(テレビシリーズを再編集したとはいえ)2時間超えで劇場公開されると、たちまち話題になり大ヒット!

2時間超えの長編アニメ映画なんて、当時では異例中の異例だったし、「コレが当たる!」なんて誰もが思わなかったのだ。



もっとも、その前に、我らが手塚治虫が先陣きって設立した《虫プロダクション》では長編アニメ映画を、とっくの昔に完成させているが ……


だが、それはあまりにも一般的なモノとはかけ離れていて、《大人の為のエロティック・アニメーション》と銘打ったモノ。(『千夜一夜物語(1969)』、『クレオパトラ(1971)』などなど …… )


当時、多少の話題にはなっても、こんなのをテレビでは放映できないし、作れば作るほど《大赤字》を叩き出してしまうという悪循環。

結果、とうとう虫プロは莫大な負債を抱えて倒産してしまう。


『アニメの長編映画には莫大な費用がかかり、それが《当たる》か《ハズレる》かは、まるで大博打を打つようなモノだ!』


虫プロの作った長編アニメは業界にこんな教訓を残して消えたのだった。



だが、『ヤマト』の大ヒットは、それまでの、そんな業界常識に一種の風穴を空ける。


宇宙戦艦ヤマト』の後には、それに続けとばかりに劇場版『ルパン三世(ルパンVS複製人間)』や第二弾『カリオストロの城』なんかも作られている。(『カリオストロの城』は当時、信じられないことに大コケしたらしいが)


そうして、とうとう長編アニメ映画の金字塔と言われる『銀河鉄道999(1979)』が公開されると、またもや話題になり大ヒットする!(ゴダイゴの歌う主題歌も大、大、大ヒット!)


世は、まさに松本零士ブーム!

その同年には、竹宮恵子の長編劇場用アニメ『地球(テラ)へ … 』なんかも公開されている。


この後には角川映画まで長編アニメ映画に参入してきたりして。、(『幻魔大戦』など …… )


この時期、《アニメーション》が市民権を持ち始め、子供向けから〜大人でも楽しめる娯楽へ成長していった、ちょうど転換期だったのだ。



こんな状況下で、あの御方がイライラしないはずがないではないか。


人一倍、対抗心が強い御方。

我らが手塚治虫氏である。



いつでも、どこでも、メディアでは穏やかな笑顔だった手塚治虫。


でも、この人の内面は、いつだって同業者を妬むようなドロドロした嫉妬心でいっぱいだったのだ。(人は見た目だけじゃ分からないものだ。大人になってから、それを知る)


有名な逸話なら数々ある。


漫画家福井英一氏(代表作『イガグリくん』)の緻密な絵柄や人気に嫉妬した有名な《イガグリくん事件》。(もう昼ドラのようなドロドロの愛憎劇である。興味ある方は調べてみて)


水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪人気ブームに嫉妬して、「自分も妖怪モノを描いてやるわい!」と誕生した『どろろ』。


永井豪のお色気漫画『ハレンチ学園』にも、またもや嫉妬心メラメラ。

それに対抗して、やっぱり描いてしまう『やけっぱちのマリア』。(このタイトルが手塚治虫の当時の気持ちなんだろうか(笑))


白土三平の作品『カムイ伝』を掲載したいばかりに『ガロ』という特殊な雑誌が創刊されると、それに対抗するように手塚治虫は、即座に『COM』を創刊する。(この雑誌で看板漫画として『火の鳥』の連載がはじまるのだ)


だが、この『COM』、雑誌の顔になるはずの『火の鳥』よりも、石ノ森章太郎が連載していた『ジュン』の方に人気が集まってしまう。(アララ~)


そうすると、陰で石ノ森章太郎のフアンに、

作品の悪口を書いた手紙を送りつける という、トンデモない暴挙にでる手塚治虫。(嫉妬が怨みに変わるとはこの事だ)


後日、石ノ森章太郎に平謝りして、

「なんであんな事をしたのか分からない。自分でも自分の性格が嫌になる … 」と一旦反省する手塚治虫なのだけど …… 結局この性格、死ぬまで治る事はなかったのでした。(笑)


なぜなら、《嫉妬心》や《ライバル心》、《対抗心》が、手塚治虫の創作の全ての原動力だったのだから。(こんなの治るはずもございません)


まぁ、それゆえに、コレだけの膨大な数の作品を残せたと言えるのだけど ……



そんな漫画の神様・手塚治虫にも長編アニメ映画の企画が、ようやっと舞い込んでくる。(本人、諸手を挙げて「ヤッター!」と叫びたかっただろうよ(笑))


手塚治虫は 燃えた!

心底、燃えて「この映画に全勢力を注ごう!」と決めた。


普通なら『火の鳥』の映画化でも、『黎明編』やら『未来編』など、幾多も描かれた原作の中から選ぶものを、映画は、この為の描き下ろした完全オリジナル・ストーリー。


原案、脚本、構成はもとより、総監督まで手塚治虫が全てにおいて関わっている。(例によって、よ~やるよ(笑))



こんな手塚治虫が心血注いで完成させた『火の鳥2772』。


だが、当時、中学生の自分が観た時はあまりにも不気味物語に思えたものだった。


宇宙パイロット『ゴドー』と、そのお世話係兼、育児ロボットである『オルガ』以外は、ほぼ良い感じの登場人物は出てこない。(後は、腹にイチもつ抱えているような人物ばかり)


それに加えて、登場人物たちの大勢が亡くなるという悲惨さ。


オマケに宇宙空間で、次々とその姿を変えて襲ってくる『火の鳥』には、うっすら寒気すら覚える始末だった。(ある時は巨大な怪鳥に変化したり、一瞬で化け物のような顔にもなる)


「生命の大切さ、神秘さ」をテーマに掲げながらも、描き方が相当 エグ過ぎた 『火の鳥』。


むしろ、今なら《R指定》でもよさそうな『火の鳥2772』は、そのエグさで大衆には中々受け入れられず、大ヒットには至らなかったのだった。(残念)



こんな手塚治虫の『火の鳥2772』を数十年ぶりに観てみた。(中年になって観ると、けっこう面白い)


そうして気づいた事もある。


主人公『ゴドー』が、初めて出会った人間の美女『レナ』にひと目惚れして二人が恋に落ちる時、ただの育児ロボットだった『オルガ』の中に、息苦しいまでの特別な《感情》が産まれるのだ。


それが嫉妬心


この《嫉妬心》を媒体にして、《悲しみ》や《怒り》、《喜び》など複雑な感情を学んでいくオルガ。


まるで人間的に成長する為には、この《嫉妬心》が必要不可欠だとでも言いたそうである。(この辺りの解釈、だいぶ手塚先生の自己肯定が入っている気がするなぁ~(笑))


でも分かる気がする。

なんせ、前述にも書いているとおり、同業者相手に嫉妬しまくりの人生だったんですもんね。



モノ作りの人たちって、やっぱりこういう考え方の人が多いのかな。


宮崎駿も最近活躍している若手クリエイターたちに触発されて《引退撤回》し、新作を作り上げたというし。(2023年公開)


やっぱり、そこにあるのは「あんな若手(今なら新海誠かな?)の作るアニメに負けてたまるか!」の《嫉妬心》や《対抗心》なのかもしれない。


こんな想いを燃料に変えて、自分の気概を燃え立たせる。


相手の実力を認めて「良い作品を作るなぁ~」の感心や憧れだけじゃダメなのかもね。


《憧れ》てるだけじゃ、目指す相手を乗り越えて、それ以上の上質な作品を作れないのだから。


そんな宮崎駿も昔、何かのインタビュー記事で手塚治虫の事をボロクソ言っていたのを、ふと思い出した。(今考えると、あれは《嫉妬》していたのかな?)


なんにせよ、これは相当疲れる生き方。

ノホホ〜ンと世渡りしてきた自分には、とても真似できそうもないわ(笑)。


こんな事を、ツラツラと考えさせた久しぶりの『火の鳥2772』なのでございました。

星☆☆☆。


2019年6月25日火曜日

アニメ 「海底超特急マリンエクスプレス」

1979年8月。 (24時間テレビより〜)









1978年、 24時間テレビでは、2時間の枠をとって特別にアニメがスタートする事になった。



その2時間枠を、「誰の作品にしようか〜?」読売テレビは悩みに悩んだ。




だが、やっぱり、ここは最初ということで『漫画の神様、手塚治虫』じゃないか?と誰かの声があがった。


「よし!いいじゃないか!それでいこう!」




だが、ここからが、壮絶な地獄の始まりである事を、この時、誰も想像していなかったのである………。(まるで恐怖の物語の幕開けだ)





手塚治虫のテンションは、上がりにあがった!


虫プロが、莫大な赤字を抱えて倒産してからは、アニメの世界からは、長い間離れていたからだ。


その間は、ひたすら借金を返すために漫画を書く日々。



「あ~アニメが作りたい!」と思っていた手塚治虫にとっては渡りに舟の話だったのだ。




普通なら、原作やストーリーなどの大まかな骨格、キャラクター・デザインくらいは原作者でも手を出したがるが、何でもかんでも自分で徹底的にやりたがるのが手塚治虫。




脚本はもとより、自分で絵コンテまでをきりだした。(絵コンテとは、1つの枠の中で、人物や背景、構図、動き、セリフなどを表す絵で、2時間ものなら、それは何百、何千の数になるのだ)



それを全て手塚治虫が一人でやる。



他にも漫画の連載をいくつも抱えているのにだ。



絵コンテが出来ないと、セル画(透明なものに線画して、裏から彩色した絵。これが2時間ものなら何万枚もの数になる)が作れない。



そして、それに合わせた背景の絵も作れない。(これも膨大な数になる)



そして、そして、それらが出来ないと、フィルム撮影が出来ない。(昔は、セル画と背景を重ねて、1枚1枚撮影していた。これも膨大な数と時間がかかる作業)



そして、最後に、アフレコ(作られたフィルムに声をあてる)や効果音も入れられないのだ。




大概、昔のアニメは、この順番で制作されていた、と思う。






こだわりの手塚治虫は、漫画連載をしながら、絵コンテを書いては、納得がいかないと書き直したり、はじめからやり直したりしてグズグズしていた。(それを楽しんでいる風でもある)



そのうちに納期が迫ってくる。


焦るアニメーターやスタッフたち。



ぎりぎりまで絵コンテを書いている手塚治虫のために、アニメーターやスタッフたちは、殺人的なスケジュールとなっていったのだった。



家にも帰れなければ、寝る間もない。

次々、失神して倒れるスタッフたち。



でも手塚治虫は倒れない!

自身も何日も寝ていないのにだ。




そんな殺人的なスケジュールの中で、やっと24時間テレビのアニメ第1作『バンダーブック』は完成した。



視聴率は20%を越えて、読売テレビのお偉方は大成功にホクホク顔。



「よし!来年もこれでいこうじゃないか!」

読売テレビの上層部は、簡単に決定した。




「冗談じゃない!あんな目に合うのは、2度とごめんだ!」

スタッフたちは、一目散に逃げ出したのだった。





だが、またもやアニメーターやスタッフたちが集められてくる。





そして、翌年、この第2作目、『海底超特急マリンエクスプレス』が作られる事になったのだった。



そして、それは更なる地獄の幕開けとなる。




例によって絵コンテを書いている手塚治虫。

そして、ぎりぎりまで絵コンテを書いている手塚治虫。




ついに、当日、放映が始まった。



それでも絵コンテを書いている手塚治虫???(放送が始まっていて、まだ、絵コンテを書いているって事は、まだ、その分のセル画も撮影もアフレコも終わっていないって事である。ヒェーッ!)



フィルムは、1巻~10巻まであるのだが(1巻が10分くらい)、その10巻の分の絵コンテを放映が始まっているのに、まだ書いているのだ。(もう、どういう事?考えられない!)




追いつめられたスタッフたち。


「もう、こうなったら自分たちで何とかするしかない!」

スタッフたちは、勝手に動き始めたのだった。




脚本だけを読んで、

「たぶん背景はこんな感じだろう!」

「出来上がってくる人物はこんな感じだろう!」と、描きはじめたのだ。



1枚1枚、手塚治虫が絵コンテを渡す。

「当たってた!」

「ハズレた!書き直しだ!」

「早く撮影に持っていってくれ!」



現場では、罵声や怒声が飛び交い絶叫。

あちこち走り回り、てんてこ舞いの大騒ぎ!



現場は、まさに地獄絵図と化した。



こんな殺人的なスケジュールをこなし『海底超特急マリンエクスプレス』は、なんとか放映を終えたのだった。





こんな制作背景があったことを、自分は、数十年たってから知ったのだが………驚き、戦慄した。



信じられない!



よくも、まぁ、無事に放送されたものだ。



考えられない。(もしも放送事故になっていたら、ただじゃすまなかったはずだ)



でも、この地獄のアニメシリーズは、その後も何年か続いていったのである。(スタッフの方々、本当にご苦労様でした)




それにつけても、恐ろしいのは、この状況下でも平然としている手塚治虫よ。


やっぱり天才だったのかな。




漫画『エースをねらえ!』で、岡ひろみにお蝶夫人が語りかける場面のセリフが、ついつい思い出されてしまう。




「天才とは《無心》なのです!」と。



そして、お蝶夫人はこうも自虐的に言う。

「わたくしはダメでした……」とも。




外野の声も聞こえない、邪念にも振り回されない、何も迷わない……


ただ《無心》になって死ぬ間際まで描き続けた手塚治虫は、やっぱり真の天才だったのかもね。(それに振り回される周囲は、たまったもんじゃないけど)





たま~に、この手塚治虫のキャラクターが、オールスターで登場する『マリンエクスプレス』も、ときどき観たくなる私なのである。



星☆☆☆☆




※広瀬すずの朝ドラを、当時のアニメーターたちは、どういう思いで見ているのだろうか……



「あんなのは大ウソよ!」

「あんなオシャレしたり、家に帰る暇なんかあるもんか!」


そんなブーイングが、自分には聞こえてきそうである。

2019年4月15日月曜日

ドラマ 「加山雄三のブラックジャック」

1981年1月~4月。







今まで、真面目なブログだと思ってた方は、突然、こんなのが出てきて「えっ?」と思ったんじゃないだろうか。


でも、その昔、なぜか、観ていて凄い印象に残っていたのですよ。




なんだか、夜遅い時間に放映されていて、親とたまたま一緒に観ていた記憶がある。




もちろん、漫画のブラックジャックは、読んでいたが、ブラウン菅の奥から突然始まった、このドラマには、当時戦慄し、度肝を抜かれた。




OP、派手な音楽にのって、どぎついメイクをした踊り子のオネエさんたちが現れたと思ったら、前衛的な踊り。(まるで安いストリップ・ショー)



そして、その奥、ドライアイスの霧に包まれたブラックジャックがボンヤリと現れる。(「えっ?誰?」と一瞬思うくらい、ブラックジャックに扮した加山雄三



長いマントの後ろ姿。

斜に構えた傷痕の顔をチラリと見せて、


「この世に果たしてロマンはあるか?人生を彩る愛はあるのか?」


と問いかける。(??)



そして、マントをひるがえすと、タイトルが、ジャージャーン!と我々に迫ってくる。



加山雄三のブラックジャック



もう、これだけで掴みはO.K.!



子供心に、「なんだかトンデモないものが始まった!……そして、見てはいけないものを見てしまった!」と少年だった自分は目が釘づけになってしまった。




このブラックジャック、脚本家がジェームス三木だけあって、原作を大胆に(好き放題に)アレンジしている。




昼間は画廊を営む、平凡な板東次郎なる人物。

だが、夜になればブラックジャックに変身する。



なんていうぐあいに、複雑な二重生活をしているのだ。




原作ではピノコとの、たった二人暮らしの生活なのだが、その二重生活の設定ゆえに、自然に他の人物たちとの関わりも増えてくる。




昼間の画廊では、秘書のケイコ(秋吉久美子)を雇い、板東が留守や長期の出張の時(ブラックジャックになってる時)は、暇な画廊の接客、電話番をさせている。


「もぉー!社長ったら、いつもいつも肝心の時にいなくなるんだから!」とケイコは毎度ぶつくさ。(そりゃ、そうだろ。依頼人の手術をしてるんだから)



そんな画廊を、ちょくちょく訪ねて、ひまつぶしに遊びに来る警察庁の倉持警部(藤岡琢也)。


「ちょいとお邪魔するよ~」と言っては、板東の知り合いの特権で、ただのコーヒー飲みたさにやって来る。





ブラックジャック逮捕に燃えながらも、いつも尾行を撒かれたりしては、ケイコ相手に、こちらも愚痴をぶつくさ。(藤岡琢也の風貌からなのか、一目で漫画の中の手塚治虫のキャラクター『ヒゲオヤジ』を想像してしまった)





そして、もうひとつの生活、ブラックジャックの時には、山奥に建つ屋敷に暮らし、ピノコは勿論だが、二人の同居人が存在する。



子供の頃から知るという執事の爺や、遠藤(松村達雄)と助手のケン。



まぁ、この二人、手術の手伝いもするが、画廊に行っている間のピノコの世話係といったところか。(松村達雄の時折出るべらんめぇ調は、ここでも健在)




この改変、原作愛読者からは悪評だったらしいが、自分は特に気にしなかった。


漫画やアニメでは、違和感なくても、このブラックジャックの風貌は、実写になればメチャクチャ違和感だらけだからだ。



半分白髪で、顔には皮膚の色の違う肌、そして縫いあとの傷。

黒マントを羽織った姿は、どうみても異様である。



こんなのが、いきなり、都会や町中の雑踏に現れれば、大騒ぎになるに違いないし、どうみても不審者にしか見えないはずなのだ。


実写で、この姿で、そこら辺を歩き回れば、「あの~ちょっとよろしいでしょうか?」と警察につかまり、頻繁に職務質問されるに決まっている。


だからこそ、こんな仮の姿もアリかも、と納得してしまった。(他の実写もちょこちょこ観たことがあるが、こんな姿の人間、ハロウィンの日でもない限り、「ギョ!」として、とても素通りできるはずがない)




こんな改変して悪評だったブラックジャックだが、原作の有名エピソードを印象つけながら、無理なく消化していると思う。





全13話と短いが、自分が印象に残った回は、第4話「えらばれたマスク」、第10話「灰色の館」、第11話「鬼子母神の息子」、最終話「終電車」だろうか……。




「えらばれたマスク」には、今では、あんな風になってしまった坂上忍がブラックジャックの幼少期を演じている。(今じゃ憎たらしい坂上忍も、この時は別人みたいに可愛らしい)



「灰色の館」なんて、ジャネット八田が、火だるま🔥で焼かれるシーンがあり、今でも恐ろしいトラウマもの。(これ原作も相当に怖い話で読みながらブルブル震えた記憶がある。よく実写化したよ)





「鬼子母神の息子」の松尾嘉代の迫力ある演技と整形後の醜い姿はインパクト大。(これも稀にみる残酷なお話で、捻りのきいたオチに感心した)





「終電車」では、江波杏子のクールで非情なブラッククイーン役も良かった。(ブラッククイーンには、なんとなく優しいブラックジャック)





EDは、これまた、赤や黄色、白、緑とペンキが流れ落ちるインパクト画像に、ヒカシューの『ガラスのダンス』がかかる。(名曲!)





近年のDVD化は素直にありがたい。(第8話だけが大人の諸々の事情により欠番だが)




オドロオドロしいこの独特な雰囲気は、今のテレビではもう観れないし、出せることはないだろう。



興味ある方、怖いもの見たさの方は、どうぞ御覧あれ!


星☆☆☆☆。