1978年、 24時間テレビでは、2時間の枠をとって特別にアニメがスタートする事になった。
その2時間枠を、「誰の作品にしようか〜?」読売テレビは悩みに悩んだ。
だが、やっぱり、ここは最初ということで『漫画の神様、手塚治虫』じゃないか?と誰かの声があがった。
「よし!いいじゃないか!それでいこう!」
だが、ここからが、壮絶な地獄の始まりである事を、この時、誰も想像していなかったのである………。(まるで恐怖の物語の幕開けだ)
手塚治虫のテンションは、上がりにあがった!
虫プロが、莫大な赤字を抱えて倒産してからは、アニメの世界からは、長い間離れていたからだ。
その間は、ひたすら借金を返すために漫画を書く日々。
「あ~アニメが作りたい!」と思っていた手塚治虫にとっては渡りに舟の話だったのだ。
普通なら、原作やストーリーなどの大まかな骨格、キャラクター・デザインくらいは原作者でも手を出したがるが、何でもかんでも自分で徹底的にやりたがるのが手塚治虫。
脚本はもとより、自分で絵コンテまでをきりだした。(絵コンテとは、1つの枠の中で、人物や背景、構図、動き、セリフなどを表す絵で、2時間ものなら、それは何百、何千の数になるのだ)
それを全て手塚治虫が一人でやる。
他にも漫画の連載をいくつも抱えているのにだ。
絵コンテが出来ないと、セル画(透明なものに線画して、裏から彩色した絵。これが2時間ものなら何万枚もの数になる)が作れない。
そして、それに合わせた背景の絵も作れない。(これも膨大な数になる)
そして、そして、それらが出来ないと、フィルム撮影が出来ない。(昔は、セル画と背景を重ねて、1枚1枚撮影していた。これも膨大な数と時間がかかる作業)
そして、最後に、アフレコ(作られたフィルムに声をあてる)や効果音も入れられないのだ。
大概、昔のアニメは、この順番で制作されていた、と思う。
こだわりの手塚治虫は、漫画連載をしながら、絵コンテを書いては、納得がいかないと書き直したり、はじめからやり直したりしてグズグズしていた。(それを楽しんでいる風でもある)
そのうちに納期が迫ってくる。
焦るアニメーターやスタッフたち。
ぎりぎりまで絵コンテを書いている手塚治虫のために、アニメーターやスタッフたちは、殺人的なスケジュールとなっていったのだった。
家にも帰れなければ、寝る間もない。
次々、失神して倒れるスタッフたち。
でも手塚治虫は倒れない!
自身も何日も寝ていないのにだ。
そんな殺人的なスケジュールの中で、やっと24時間テレビのアニメ第1作『バンダーブック』は完成した。
視聴率は20%を越えて、読売テレビのお偉方は大成功にホクホク顔。
「よし!来年もこれでいこうじゃないか!」
読売テレビの上層部は、簡単に決定した。
「冗談じゃない!あんな目に合うのは、2度とごめんだ!」
スタッフたちは、一目散に逃げ出したのだった。
だが、またもやアニメーターやスタッフたちが集められてくる。
そして、翌年、この第2作目、『海底超特急マリンエクスプレス』が作られる事になったのだった。
そして、それは更なる地獄の幕開けとなる。
例によって絵コンテを書いている手塚治虫。
そして、ぎりぎりまで絵コンテを書いている手塚治虫。
ついに、当日、放映が始まった。
それでも絵コンテを書いている手塚治虫???(放送が始まっていて、まだ、絵コンテを書いているって事は、まだ、その分のセル画も撮影もアフレコも終わっていないって事である。ヒェーッ!)
フィルムは、1巻~10巻まであるのだが(1巻が10分くらい)、その10巻の分の絵コンテを放映が始まっているのに、まだ書いているのだ。(もう、どういう事?考えられない!)
追いつめられたスタッフたち。
「もう、こうなったら自分たちで何とかするしかない!」
スタッフたちは、勝手に動き始めたのだった。
脚本だけを読んで、
「たぶん背景はこんな感じだろう!」
「出来上がってくる人物はこんな感じだろう!」と、描きはじめたのだ。
1枚1枚、手塚治虫が絵コンテを渡す。
「当たってた!」
「ハズレた!書き直しだ!」
「早く撮影に持っていってくれ!」
現場では、罵声や怒声が飛び交い絶叫。
あちこち走り回り、てんてこ舞いの大騒ぎ!
現場は、まさに地獄絵図と化した。
こんな殺人的なスケジュールをこなし『海底超特急マリンエクスプレス』は、なんとか放映を終えたのだった。
こんな制作背景があったことを、自分は、数十年たってから知ったのだが………驚き、戦慄した。
信じられない!
よくも、まぁ、無事に放送されたものだ。
考えられない。(もしも放送事故になっていたら、ただじゃすまなかったはずだ)
でも、この地獄のアニメシリーズは、その後も何年か続いていったのである。(スタッフの方々、本当にご苦労様でした)
それにつけても、恐ろしいのは、この状況下でも平然としている手塚治虫よ。
それにつけても、恐ろしいのは、この状況下でも平然としている手塚治虫よ。
やっぱり天才だったのかな。
漫画『エースをねらえ!』で、岡ひろみにお蝶夫人が語りかける場面のセリフが、ついつい思い出されてしまう。
「天才とは《無心》なのです!」と。
そして、お蝶夫人はこうも自虐的に言う。
「わたくしはダメでした……」とも。
外野の声も聞こえない、邪念にも振り回されない、何も迷わない……
ただ《無心》になって死ぬ間際まで描き続けた手塚治虫は、やっぱり真の天才だったのかもね。(それに振り回される周囲は、たまったもんじゃないけど)
たま~に、この手塚治虫のキャラクターが、オールスターで登場する『マリンエクスプレス』も、ときどき観たくなる私なのである。
星☆☆☆☆
※広瀬すずの朝ドラを、当時のアニメーターたちは、どういう思いで見ているのだろうか……
「あんなのは大ウソよ!」
「あんなオシャレしたり、家に帰る暇なんかあるもんか!」
そんなブーイングが、自分には聞こえてきそうである。