2019年2月27日水曜日

映画 「この子の七つのお祝いに」

1982年 日本。






戦後、数年たった真冬の寂れたアパート。

その2階の窓から、幼いオカッパ頭の少女が、一人、通りを眺めている。(怖っ)





そこへ母親と思われる着物姿の女性が、慌てて帰宅した。



「遅くなってごめんね、麻矢。食べ物買ってきたわよ。」

母親の『真弓』(岸田今日子)が紙袋を抱えている。



「お腹空いたでしょ?、お父さんさんがいれば、麻矢にお腹一杯食べされてあげられるのにね。うちが貧乏なのもお父さんがいないからなのよ。……だってお父さん、麻矢とお母さんを捨てて、よその女の人の所へ行っちゃったんだもの……」

寂しそうにポツリと真弓が話す。(いちいち話す事かね)


それを、黙って聞く麻矢。





― 夜。

1枚の薄い布団にくるまりながら母娘は、暗がりの中で、アルバムを見ていた。


アルバムには、父親や産まれたばかりの麻矢の手形、それに3人が並んだ写真が飾られている。


「可愛いでしょ?、これが産まれたばかりの麻矢よ」


真弓は、にこやかに話すが、写真に写る父親に目線がいくと、どんどん暗い表情になっていった。


「お父さんもこの時は優しかったのに……」



次の瞬間、真弓は寝床の横に置いてあった針を取り出すと、写真の父親の顔を、これでもか!というくらい何度も突きはじめた。(ヒーッ!)



今までも何度も、そうした夜があったのだろう。

写真は既に顔の判別もできない状態だ。



「お母さんと麻矢が、こんなに辛い目にあっているのも、みんな、みんなお父さんが悪いの!、麻矢が大人になったら必ず、お父さんに復讐してね!、約束よ!」


真弓の鬼気迫る言葉に、幼い麻矢は、黙って、こくりと頷いた。





真弓はそれに安堵したのか、麻矢を寝かしつけながら子守唄を歌い出した。


「………とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここはどこの細道じゃ………」


狭い静かな四畳半に、真弓の歌が響き渡る。いつしか麻矢は眠りについた……。







監督 増村保造。

「犬神家の一族」から流れをくむ角川映画の一つとして、この映画も、当時、オドロオドロしい雰囲気をまとい、公開されたものだった。


冒頭のような岸田今日子も怖いが、次々にインパクトのあるシーンが続き、なぜか今でも印象に強く残っている。



この後なんて、急に場面が変わったかと思ったら、畑中葉子(カナダからの手紙♪・後ろから前からどうぞ♪)が、水芸のような血が噴き出して、オッパイ丸出しで、いきなり殺されるんだもの。



捜査に駆けつけた刑事(小林稔侍)たちが大勢いる中でも、ずっと死体でオッパイ丸出しの畑中葉子。(哀れ畑中葉子)


フリーのルポライター『母田《おもだ》』(杉浦直樹)は、世間を賑わしている有名な占い師『青蛾《せいが》』(辺見マリ)と、その夫で次期総裁候補といわれる『秦一毅《はたいっき》』(村井国夫)の動向を取材していた。



そして、その豪邸で働いている家政婦の『池端良子』(畑中葉子)に近づき、二人の情報を得ようとしていたのだ。


まさに、これからという時の矢先の事件だったのである。



事件に関心を持った母田は、後輩の新聞記者・『須藤』(根津甚八)と待ち合わせる。


『倉田ゆき子』(岩下志麻)の経営するbarで……。(ん?)


barで酒がはいり、二人は事件の事を、あれやこれや話し出す。ゆき子の側ではばかりもなく。(んんん??)







※多少ネタバレになるが、思いきって書いてしまう。


岩下志麻が登場した時点で、勘の良い方たちは、犯人なんじゃなかろうか?と思うので。



お察しのとおり、ゆき子(岩下志麻)が《犯人》で、冒頭に書いた麻矢の成長した姿なのである。



死んだ母親・真弓(岸田今日子)の怨念を背負い、怨みをはらす為に、麻矢は父親捜しをしていたのだ。


だが、父親の写真は冒頭でも書いたとおり、母親が針を突きさしまくって、もはや判別不可能。



父親を探す手掛かりは、残した手形だけなのである。



麻矢は成長すると手相占いの研究に明け暮れた。そして、いつしかその道のエキスパートになっていたのである。



東京に出てきた麻矢は、名前を『倉田ゆき子』に変え、表向きはbarのママ。

裏では『青蛾』の影武者として占いをして、父親の情報を得ようとしていたのだ。




そのカラクリを家政婦の『池端良子』(畑中葉子)に喋られると思い、口封じの為に殺してしまったのである。


そうとは知らない母田と須藤は、ゆき子の前でペラペラ喋りまくっているのだから、これまた迂闊。


そんなこんなで、麻矢=ゆき子=岩下志麻姐さんが、この後どうなっていくのか……





一人殺した事によって精神のストッパーが、完全に外れたゆき子は、殺人を次々と繰り返していく。


野菜の芯をくりぬく細い鋭利な『かんな棒』という特殊な武器を片手に、



「おかあーさぁーん!、おかあーさぁーん!」


と叫びながら、切りつけていくのだ。(このシーンの恐ろしい事。トラウマ確定)






何より恐ろしいのは、根津甚八が見つけ出した女学生時代の麻矢の写真だが……(ヒーッ!とても女学生に見えない岩下志麻姐さんのセーラー服姿)


これもある意味、戦慄、トラウマものなのである。(笑)





やがて事件が進むなかで、父親(芦田伸介)を捜しあてるのだが、そこには、ゆき子さえ知らなかった驚愕の事実が隠されていたのだった……。





岩下志麻姐さんや岸田今日子の破壊力溢れる演技、それに他の濃すぎるキャストたち。


近年のDVD化は素直にうれしい。


アッサリした近年の映画に飽きたら、こんなコッテリ味の映画もたまにはいいかも…。(観る方々はくれぐれもお覚悟を!)

星☆☆☆☆です。

2019年2月24日日曜日

映画 「道」

1954年 イタリア。






監督はフェデリコ・フェリーニ



20代の頃、ある雑誌を作っていたが、その中のコラム記事みたいなコーナーがあり、ある日、この『道』の映画紹介があった。


そして、自分にまわってきた仕事は『道』のある場面のシーンをイラストにおこすことだった。


当時は全く知らないような観た事もない映画。

下調べする時間もなく、なんとか、かんとか、ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナを描いた記憶がある。




丸顔に丸々した目、前髪パッツンの金髪のショートカット(サイドはクルンと跳ねた髪)その特徴的な雰囲気は印象に残った。


写真を見ながら描いたのだが、なんだか笑いながらも、どこか泣きそうな寂しそうな…


それから、4~5年経った頃だろうか…『道』のDVDを観る機会が訪れた。



胸をかきむしられるような痛み……








『ザンパノ』(アンソニー・クイン)は、粗野で暴力的。考えるより手が先にでるようなの粗暴な男だ。



バイクに荷馬車を繋げて、町から町への旅芸人。


相方のローザが亡くなり、その姉の『ジェルソミーナ』(ジュリエッタ・マシーナ)を母親から金で買う事に決めたザンパノ。



生まれつき知能が遅れているジェルソミーナは、嫌な顔をする様子もない。



母親は「これでしばらくは生活に困らない」なんて言いながら、人減らしと大金で喜んでいる。



ジェルソミーナも泣き笑いしながら、

「立派な芸人になる!」

と言って、故郷に別れを告げた。




ザンパノの芸は、体に巻きつけた鎖を引きちぎる芸。(地味な芸)


それだけでは、客を呼べないと、ジェルソミーナに、ラッパや太鼓を叩く練習をさせる。


失敗すればザンパノの鞭が容赦なくとんでくる。




二人は、そんな芸をしながら、あちこちと旅をしていく。



次第にジェルソミーナは、この旅の生活を楽しみはじめ、こんなザンパノでも頼りにするようになっていく。



だが、ザンパノは、まるで変わらない。


酒に溺れたり、行きずりの女を抱くためには、ジェルソミーナを荷馬車から置き去りにしたりもするのだ。




それでも、笑顔でついていくジェルソミーナ。


だが、横暴なザンパノは、ある日、同じような芸人『イル・マット』(リチャード・ベースハート)を、カッとなって殴り殺してしまう。



そして、ジェルソミーナを連れて、一目散に逃げだしたのだ。





ジェルソミーナは、その件がよっぽどショックだったのか、以来、気がおかしくなってしまう。



どこまでも身勝手なザンパノは、そんなジェルソミーナを心配するどころか、段々とお荷物に思いはじめ、ある夜に、置き去りにして、とっとと逃げ去ってしまった。


寝ているジェルソミーナの側にラッパだけを置いて………




やがて月日は流れて、再び、町にやってきたザンパノ。



ふと、耳を澄ますと、どこかで聞き覚えの曲がながれている。



洗濯物を干している女が歌っているのだ。


「いったいその曲をどうして……」

「ずっと昔、頭のイカれた女の芸人が毎日演奏してたのさ。ラッパで吹いていたっけ……しばらくして死んだけどね」



黙りこむザンパノ。



その夜、町の海にやって来たザンパノ。


波が打ち寄せる砂浜に、ガクリと膝をつく。



そして、砂を握りしめると、ザンパノは言いしれぬ後悔で、一人嗚咽の涙を流すのであった……






失った時間も人も2度と取り戻せない。

亡くしてみて、はじめて分かる自分の後悔。


ザンパノほどでなくても、誰の心にも、遠い昔に、1つや2つのシコリのような過去があるのではないだろうか……。



最後のシーン、アンソニー・クインが砂浜で泣くシーンなんて、もう何がなんだか、涙なしには観られないくらいだ。



従順で明るいジェルソミーナ、笑いながらも、どこか寂しそうなジェルソミーナ……2度と戻らない日々。



たまに観ても、無性に心をかきむしられる。



名作というのは、年数が経っても、何度見ても、それにたえられるのだ。



それを証明するような、これは極上の1本なのである。


文句なし!星☆☆☆☆☆です。

2019年2月22日金曜日

映画 「北北西に進路をとれ」

1959年 アメリカ。






広告代理店の社長『ロジャー・ソーンヒル』(ケーリー・グラント)は、偶然立ち寄ったホテルで、不審な2人組に銃口を突きつけられた。



「ジョージ・キャプランだな?一緒に来てもらおうか」


どうも『キャプラン』なる人物と間違われたロジャー、………それにしても、いきなり銃口を突きつけてくるとは…。




不審な二人組は、ロジャーに有無も言わせず車に押し込めると、そのまま車は、どこかへと向かって走りだした。



そして着いたのは豪華な邸宅。


邸宅の主人は『レスター・タウンゼント』(ジェームズ・メイソン)。


ドジな部下が連れてきたロジャーを疑いもせずに、はなから『キャプラン』だと決めてかかっている。



「キャプラン君、我々の計画に協力してほしいのだよ」

面識のない男から、訳の分からない提案をされても、当のロジャーには、「???」なのだ。


(もう、勝手にどうにでもしてくれ!)


ヤケクソ気味のロジャーの気持ちを、協力に否定的だと勘違いしたタウンゼントは、


「君も強情な男だね、キャプラン君」

と、言い捨てると部屋から出ていった。





タウンゼントと入れ替わりに、さっきの2人組が戻ってくる。

そして、ロジャーを押さえつけると、今度はしこたま酒を口に流し込んできた。



必死に抵抗するも、大量の酒に朦朧としてくるロジャー。



気がつくとロジャーは、泥酔しながら車を運転していたのだった。



運転する車は、断崖絶壁の道路をフラフラと進んでいく。(どうも飲酒運転による事故死を狙ったようだが、相手のやり口が、なんだか、とことんマヌケいうか……)


案の定、ロジャーは助かり警察に無事に保護された。(それ見たことか!)





次の日、母親が身元引き受け人になって罰金を払うと、なんとか釈放されたロジャー。


「畜生!昨日はあんな目に合わせやがって!文句の1つも言わなきゃ気がすまない!」



母親を伴い、昨日のタウンゼント邸やって来ると、出迎えたのはタウンゼントの妻を名乗る女性だった。


「どなた?主人は国連本部へ出掛けてますけど……」



家に入れてもらうと、昨日、棚にあった大量の酒は、全部本棚に変わっている。





狐につままれたような顔のロジャーに、一緒についてきた母親も困惑している。(この子、本当に大丈夫かしら?)




それでも、諦めきれないロジャーは、今度は、昨日、勘違いされたホテルへとやってきた。



「『ジョージ・キャプラン』だが、部屋の鍵をくれないか?」

受付の女性はロジャーを疑いもせずに、「どうぞ、キャプラン様」と鍵を渡してくれた。




(なるほど、『ジョージ・キャプラン』なる人物は、本当に実在していて部屋を借りていたようだ……)



エレベーターで上がると、キャプランなる人物が借りていた部屋へと入ってみる。


閑散とした部屋のクローゼットには、キャプランの物かと思われるスーツが掛けられている。


ズボンをあててみると、だいぶ裾が短い。



「こんなチンチクリンの小男に、自分は間違えられたのか………トホホ……」


おもわず「プッ!」と、吹き出してしまう母親。



(いったいジョージ・キャプランとは何者なのだ……?)



あきらめて、部屋を後にしたロジャーと母親は、エレベーターに乗り込んだ。



そこへ、昨日の拉致した、あの2人組が、他の客たちと一緒に乗り込んできたのだった。

他の客たちの手前、さすがの2人組も馬鹿な事ができないのか、じっとした様子である。



ロジャーは隣の母親に、ボソボソ声でそれを教えると、



「あなたがた、ほんとうに息子を殺しにきたの?」と声に出してしまう母親。


殺し屋たちが笑い出した。

他の客たちも笑い出した。



母親も笑い出した。(困った時は、「とりあえず笑って誤魔化せ!」ってのは万国共通なのか)



「この馬鹿笑いの隙に……」エレベーターの扉が開くとロジャーは飛び出した。母親には後で電話すると言い残して。



ロジャーはタクシーを拾うと、今度は『国連本部へ』と運転手に命じた。





―  そして国連本部。


その場所に、レスター・タウンゼントはいた。


だが、目の前の男は、昨日の男とは似ても似つかない男で、「誰?」ってな具合、全くの別人であった。


「あの~失礼ですが、本当にタウンゼントさんですか? 奥さんに聞いてやってきたのですが…」


「何を言ってるのかね君は? 私には妻はいないが」


「そんな……」唖然とするロジャー。



その時、物陰からタウンゼントの背中めがけて飛んできたナイフ。


タウンゼントは絶命して倒れこみ、それを支えながら、おもわずナイフを引き抜いてしまったロジャー。




異変に気がついたホールの人々が、叫び声をあげた。


「キャアアーーー!!」


ホールにいたカメラマンたちが、ナイフを手に取るロジャーに向けて、一斉にシャッターをきる。



つくづく、間の悪い男、ロジャー。(厄年なのか?)



こうして殺人の汚名をかぶり、ロジャーはその場から、スタコラサッサ。


逃亡犯となるのだが…………





《間違えられた男》が身に覚えのない罪をきせられて、逃亡しながらも自身の潔白をはらすために奔走する。



よほど、このテーマが好きなんでしょうね~

何度も何度も、この手の映画を作っています。




そして、この『北北西に進路をとれ』は、その集大成。

上映時間も2時間を越える137分という長さだ。




でも、最初に言っておくが、この映画には真面目さなんてものを求めちゃいけません。





場面展開が、とにかくクルクル変わり早いので、それを楽しむ事。


ケーリー・グラント演じるロジャーの気持ちになって、逃亡の旅を素直に楽しみましょう!




この後も、

国連本部の逃亡から→列車→トウモロコシ畑を複葉機で追われる→南ダコタ・ラピットシティの大統領の巨大な顔の彫刻………なんて感じで、次々と場面が変わっていく。



まるで、観光案内のような映画なのである。




ただ、当の主人公ケーリー・グラントは大変だったらしいが。


めまぐるしく変わる場面、もう気持ちが追い付かずに、映画中盤まで訳が分からず演じていたというのだから。(それでも、ちゃんと演じてるんだからエライよ、あんた!)





列車で出会う美女は、エヴァ・マリー・セイント


こんな汚名をきせられて、あたふたしていても、美女とは余裕で恋愛しちゃうロジャー。(現実では、こんな夢みたいな事がおきるはずもない。逃亡犯と恋愛する美女なんてね)



敵役には、名優ジェームズ・メイソンマーティン・ランドー


敵としては、だいぶ、おマヌケな悪党たち。(ヒッチコックがスパイ映画を撮ると、敵は、ど~しても《お馬鹿さん》になってしまうのは、もはや定石。ご愛敬として観てやってください)




ロジャーは危険な目にあっても死なないし、全く怪我なんてのもしない。


ちゃんと逃げ道が用意されてるし、安心して観ていられます。



冒頭に少し書いてみたモノを読んでもお分かりのように、これは、ある意味、本当にご都合主義だらけの映画なのである。




でも、それでいいのだ。


これは夢物語。

ヒッチコックが思い描く夢なのだから。




いつだってヒーローは、最後には無罪を勝ち取り、美女の愛も手に入れる。



観る側は、ただ、それを思う存分、茶化して楽しめばいいのだ。



贅沢な娯楽に徹した、現実ではありえないような物語。

私は、それなりに楽しめました。


オマケして、星☆☆☆☆。(これでも褒めてるんですよ(笑))



2019年2月20日水曜日

映画 「ダウンサイズ」

2017年 アメリカ。




ノルウェーの科学研究所では、ある博士が、偶然の実験から、あらゆる生物を《縮小させる》事に成功した。


世界は人工増加に伴い、貧困や飢餓、生態系のバランスがくずれはじめていて、まさに地球全体が、危機的な状況を迎えていたのだ。


そんな折りに、この発明は、人類を救うための手段として、まさに画期的な発明だったのだ。



「人類を救うには、この縮小化(ダウンサイズ)しかない!!」


博士自らが被験者となって、13cmの体にダウンサイズ。


それを、あらゆるメディアが公開し世界中が驚愕した。



だが、まだまだ、この時は只の面白い見世物を見るような感覚。


『ポール・サフラネック』(マット・デイモン)もテレビのニュースでは見ていても「ふ~ん」てな他人事のような感じ感じだった。


昼間は作業療法士として真面目に働いて、夜は具合の悪い母親の世話するポール。


目の前の現実的な日常で、毎日がバタバタしているポールにとっては、どこか夢物語にも見えたのだ。



― そうして、10年後。

徐々に人類は博士を見習って、ダウンサイズ化していく。


ダウンサイズすれば、俄然生活は豊かになり、資産も増えて、公共料金なども激安。


ミニチュアの家や町の中で、何不自由なく優雅に暮らせるようになってきていたのだった。


メディアでは連日に渡って、ダウンサイズ生活の利点を唱えてもいる。



そうして、10年後、あのポールの生活も少し変わっていた。


母親が亡くなって、『オードリー』(クリスティン・ウィグ)という女性と結婚したのだ。


だが、生活は、いっこうに楽にならず忙しく共働きの日々。


今日もオードリーが仕事先からクタクタになって帰ってくると、優しいポールはマッサージをしてあげている。(やっている事は10年前の国閑と、まるで変わらないのだけど)



そんな時、大学の同窓会が開かれて、出席したポールとオードリー夫妻はビックリする。



同窓生が、ダウンサイズしていたのだ。


「とにかくさ~生活は一変したよ、暮らしは楽になって毎日が快適なのさ」


身近な同窓生の言葉に、夫婦は心動かされた。

「こうなったら自分たちも…」と決心するのであるが……



この『ダウンサイズ』を2度観たが……


今から観る人に忠告!


この映画を、腹を抱えて笑うコメディだと期待している方は的ハズレ。

予告と配給元、レンタル店などでは、コメディ扱いにはなっているが、中身は、ごくマジメ~なSFを借りてきたヒューマン・ドラマなので、どうぞご注意を。





《ダウンサイズ化》するのもけっこう条件が厳しいものである。

誰も彼もが《ダウンサイズ化》できるのではないらしい。


1、怪我をして、体の中に金属やボルトが入っている人は《ダウンサイズ化》の対象外である。(金属やボルトなどは一緒に縮小できないのだ)


それをクリアできた者だけが、2、の行程に進んでいける。



2、髪を剃り、眉毛を剃り、陰毛を剃り、あらゆる毛を剃る。(縮小した時、毛にうもらない為、どうも毛だけは縮小できないらしい)


3、腸の中のものを全部だすため浣腸。(食べたモノまでは、どうも縮小できないらしいので)


4、金歯や歯の詰め物も撤去。(金歯、歯の詰め物、入れ歯は縮小できないので、外さないと縮小する段階で頭が破裂する)




そこまでして、やっとこさ、ダウンサイズになるための注射が打たれるのだ。(妻のオードリーは髪の毛と片眉を剃られた段階で、「もう無理~!」と途中で逃亡した)




土壇場、妻に裏切られて、目が覚めれば、一人だけダウンサイズ化に成功したポール。


結局離婚することになって、「この先、一人でどうすればいいんだぁ~!」と嘆くばかり。


見知らぬミニチュアの町での生活をはじめることになるのである。




そんな生活は…………

シングルマザーに振られたり、ミニチュアハウスの上の階の住人『ドゥシャン』(クリストフ・ヴァルツ)の開くパーティーに参加して、ドンチャン騒ぎに興じたりする日々。


人生なげやりの日々をおくるポールなのである。



そんなポールの目の前に、ある朝、突如、妙なベトナム女性が現れた。


彼女は『ノク・ラン』という名前で、片足が義足である通いのハウス・キーパーだったのだ。


ベトナム人の村で暮らしていたのだが、ダム建設の為に村を破壊され、反対運動に参加するも刑務所に入れられるという、悲劇的な過去をもつノク・ラン。


おまけに、本人の意志を無視して、刑としてダウンサイズ化された不憫な女性だったのだ。


その後にも、さらに不幸は続いて、段ボールに入れられて捨てられたりする。(その時に足を壊死してしまう)

その後、移民局に保護されて、やっと、この町の住人となった、今のノク・ランが、ここにいるのだった。(本当に鳥肌が立つくらい壮絶すぎる過去だ)



こんな壮絶な過去を聞いてしまって同情しない者などいるだろうか……


案の定、ポールも「彼女の為に何かできれば……」なんて、すぐに考えはじめる。


作業療法士として働いていたポールは、彼女の義足が、合ってなく調節がおかしいのを、一瞬で見抜いた。



それを医者だと勘違いしたノク・ランは大喜び。


半端強引に、

「アナタ医者アルネ、一緒に来てワタシの友達もタスケルよ!」と、ポールをどこかへと引っ張っていくのである。


こんな調子で、物語の流れは、ノク・ランに振り回されながら貧民街の人助けをするポールの奮闘記になっていくのであった………



これの、どこがコメディなのだ??



ジャンル分けの際、日本の配給元やレンタル店の責任者は、ちゃんとこの映画を観たのか?


これは、人が苦しい環境や状況でも、「どう生きていくか!」を問うドラマなのである。




それにしても主人公の、このポールって男……


母親の介護が終わったら、妻のマッサージ、その妻に逃げられたと思ったら、ノク・ランという女性に言いように振り回される。


ずっと、女性の尻に敷かれっぱなしの運命なのかもね。(ちと可哀想かも)


そんなポールを隣人のドゥシャンは、「あいつは自分の意に反する事をやりたがるんだ」と言いながらも気に入っている様子。


まぁ、こんな善意の塊のような人間は、どんな場所でも、常に必要とされている、ってことで。


小さな命でも、みんな、みんな生きているぞー!(ダウンサイズ化した人々の叫び)


映画は星☆☆☆。

映画の宣伝も内容をキチンと理解してから行うべし!である。

2019年2月17日日曜日

映画 「超能力学園 Z」

1982年 アメリカ。







エマーソン高校に通う『バーニー』(スコット・バイオ)は、見た目は普通の男の子。(いや格好いい部類に入るのか、中々のイケメン顔だし)


運動神経はないが、野球部に所属している。(でも万年補欠)



そのかわり勉強はできるので、実験室を貸しきっては妙な実験に凝る毎日。



かたや、親友の『ペイトン』(ウイリー・エイムス)は、カメラが趣味のノ〜天気な性格。



女教師のところにやって来ては、

「先生、卒業前のスナップをもう一度撮らせてください!」なんてお願いすると、


女教師も「いいわよ、二人だけでね……」なんて役得も。




チアダンス部で美人のジェーンにもモーションをかけているが、こちらは、まったく相手にされないペイトンなんだけどね。





バーニーが、今日も熱心に実験していると、野球部のコーチ、デクスターが、ぶらり入ってきた。



お目当ては、実験室に隠してあるウイスキーである。



「お前みたいな実験の虫が、なんで野球部になんて入ったのかね?」

ウイスキーを飲みながら、デクスターがノンキに話す。(これ、良いのか?)



だが、実験用のビーカーの液体に、間違って成長促進剤を、ドボドボ流し込んでしまったデクスター。(やっちまったー!)


デクスターは大慌て。

ビーカーの周りにこぼれた液体をふくと、バーニーに気づかれていないか、どうか、気にしながら、そそくさと出ていった。




それに全く気づいていないバーニーは、デクスターが出ていった後に、そのビーカーの液体をラットに飲ませて実験。



だが、しばらくするとラットの様子が、なんだか変だ。



スポイドを近づけようにも、何かの力で弾かれてしまう。



「何だ?この力は?!」

バーニーも意地になりはじめた。



その時、バーニーの腕が勢いよく(何かの力に)弾かれて、液体の入ったビーカーに当たって、割れてしまった。



床に落ちた液体はガスを発生させて、それを吸ったバーニーは、(バッタリ!)意識を失った。





何時間、意識を失っていただろうか………

目が覚めると辺りは暗くなっている。




なんとか、フラフラしながら家に帰りつくと、母親はカンカン。



「実験ばかりで、今、何時だと思ってるの?!」

おとなしい父親も出てきては「母さんの言う通りだぞ!」と二人してお説教。



気分が悪いバーニーは、(こりゃ、たまらん!)とばかりに、早々に2階の自分の部屋に逃げこんだ。



ベッドに倒れこむバーニーの側では、帰りを待ちわびていた愛犬がじっとしている。



そこへ両親が間髪いれず入ってきた。


「両手をまくってみなさい!」

「何なんだよ?!」突然言われてバーニーもたじろぐ。

「お前、《麻薬》をやってるんじゃないだろうね?、食事はとらない、帰りは遅い。私たちは心配なんだよ」



両親は腕に注射の痕がない事を確めると、とりあえずは安心して出ていったが、部屋のドアは開けっぱなし。



「あぁ~!!もう、何なんだ!うるさい!!」

バーニーがドアを見ながら念じると、ドアはひとりでにバタン!と閉まった。



(偶然?だろうか……?)





次の日、昨日のビーカーの割れた破片が散らばった実験室。


その残骸を見ながらバーニーは、(馬鹿馬鹿しい)と思いながら、目の前の箒を見つめながら『動け!』と念じてみた。



すると、箒は勝手に宙を舞い、破片を掃き始めた。


今度は塵取りだ!

塵取りもスルスルと動き始め、掃いた破片を綺麗にすくった。



塵取りは、そのまま宙を舞い、ゴミ箱まで行くと破片を、バラバラと流してくれる。



「間違いない!これはテレキネシス能力だ! 僕は超能力者になったのだ!!



自分の能力に感嘆して興奮気味のバーニー。



だが、それを見ている者がいた。


偶然に実験室の窓から …




生徒会長で、真面目な女生徒『バーナデット』(フェリス・シャクター)、それに親友のペイトンだ。


調子のいいペイトンは、(こりゃ、利用できるぞ……)とニヤリ顔。



とりあえずは、この事は3人だけの秘密という事になったのだが ………




80年代のユル~イお色気コメディ。


偶然、手に入れた超能力で、思春期の高校生の願望が大爆発! もう、やりたい放題である。



願望といったら、もちろん!《アレ》。


アメリカ版【ハレンチ学園】といったところか。




この映画も、よくテレビの洋画劇場で放映していたので、覚えているつもりだったのだが、細部をほとんど忘れていて、今回見直して、「こんなシーンあったっけ?」というのが、多々あった。


きわどいシーンもそれなりに多くて、放映倫理が厳しい現代では、今後、テレビでの放送は無理かもね。(こんな映画も放送できないんだから、ますますテレビ離れが進むわけだわ)



それでも、よくぞ、DVD化してくれたものである。





それにしても、この映画、こんなにパロディーがあったっけ?



●テレキネシスで宇宙船の模型を飛ばすシーンでは、『スター・トレック』のパロディー。(妄想だけど)


●バーニーが操る腹話術の人形は、アンソニー・ホプキンスのサイコ・スリラー映画『マジック』。


●息子の様子を不審に思った両親が、十字架を持った神父による悪魔払いをお願いするシーンなんてのは、まんま『エクソシスト』じゃないか!


後は、『アニマル・ハウス』やら『キャリー』など …… いろんな映画が混ぜこぜ。



時代がユル~イとはいえ、ちゃんと許可とってるのかなぁ~?(案外、「やったもん勝ち!」で許可とってなさそう)



校長も担任女教師とレストランのテーブル下でウハウハだし、最後はテレキネシスの暴走で、卒業ダンスパーティーは、まさに阿鼻叫喚状態。




主人公のバーニーを演じているスコット・バイオは、当時けっこう人気があったはず。(確か、日本の吹き替えは、野村義男がしてたはずだ)



テレキネシスをエッチなイタズラに利用しても、全然、お下品にならないのは、このスコット・バイオの爽やかそうな見た目が、たぶんに大きいかもしれない。




こんな映画を久しぶりに観てしまうと、

「あの頃のアメリカ映画は、なんてキラキラと輝いていて楽しいのか」とつくづく思ってしまう。


暗い学生時代を過ごした自分には、今でも憧れが詰まっているような、まぶしすぎる映画。


超能力も手に入れて、ついでに彼女も手に入れて、これ以上何が欲しいんだ~!(あ~、羨ましい~)



星☆☆☆☆であ~る。


2019年2月16日土曜日

映画 「マルサの女」

1987年 日本。







正直、伊丹十三の映画は苦手な方である。




『お葬式』『タンポポ』『あげまん』などなど …… 生涯11本(『伊丹一三名義1本』、『伊丹十三名義10本』)を残している。


ブームという事もあり、当時何本か観ているが、自分には、正直その面白さは中々分かりずらかった。



綿密な取材や下調べをして、自ら脚本を書いている伊丹十三。


演出は、決して無駄の無いシーン、細かいエピソードの積み重ね。


「どうだ!『完璧』だろう!!」

というようなものを見せられているような気がして、愚鈍な自分など後ずさりしそうな気さえしたものだ。



ただ、そんな伊丹映画の中でも、この『マルサの女』だけは好き。


《脱税》という特殊なテーマを扱っていても、それを暴き、取り締まるという普通のエンター・テイメントに仕上がっていて中々面白い。(それでも『 2 』は、ちょいと苦手)





『権藤秀樹』(山崎努)はラブホテルの経営者。


ラブホテルでは領収書を貰う客などいない、その盲点をついて存分に脱税をしている。


政界や暴力団蜷川(にながわ)組の『蜷川喜八郎』(芦田伸介)の後ろだてを得て、うまく外堀を埋めている。


囲う愛人までも利用している。(それでもたまる領収書をゴミの日に捨てさせたり、印鑑を預けたり)



「来るなら来い!税務署!」

権藤に向かってくる敵はいない ………… はずだった ……





港町税務署に勤める『板倉亮子』(宮本信子)のモットーは「決して脱税を見逃さない」である。



プロとして、税法に長けているのはもちろんだが、その対象者をあらゆる角度から観察し、それを暴き、正しい税を納めさせる。



今日もある老夫婦が営む、雑貨商店に出向いていた。


肉や果物、お菓子などが並ぶ棚をサーッと見て、

「これだけ揃っていれば、奥さん買い物しなくていいでしょう?」

と親身になりながら亮子が言う。



だが、次の瞬間、目は帳簿と見比べて厳しい眼差しに変わる亮子。



「そうね、買うのは魚と野菜、米くらいかしら」

商店の女将さんが気軽に答えた。


「それじゃ、おたく5人家族だから、お店のものを月に20万くらい食べてますか?」


「20万ってことはないけど …… そうだなぁ8万くらいかな」今度は店の主人が答えた。


「その8万は売り上げに入ってますか?」


「入ってるわけないだろう?自分の店の物を自分で食べて何が悪いのさ?」

亮子の言い方に、不安で段々イライラしてくる店の女将。




「この店は会社になってますね。会社になっている以上、お店の品物は会社の物であって社長個人の物では、ないですよね。自分の物でないのなら、お金を出して買うのが本当でしょう!」


亮子が、冷静に正論を言うと、老夫婦は、二の口も出てこず、ポカンとしている。


「まぁ、おたくは会社にして間もないので、社長に対する売掛金という事にしておきましょう。去年の5月からですから、8ヶ月×8万として64万円抜け落ちていたという事で、もう一度、税の申告をやり直してください」(ヒェーッ~)



税の申告をすれば、持っていかれる税金も当然上がる。



淡々と言う亮子に女将が、とうとう(カチン!)逆ギレした。


「あんた!血も涙もない女だね!我々貧乏人からむしりとるようなマネしやがって!、悪いことやってる奴らから取りゃいいだろうに!!」


「勿論、取りますよ!、誰ですか?!それは?!」亮子も立ち上がった。


「それを調べるのが、あんたら税務署の仕事だろ!」




こんなのは毎度の事だ。

長年打たれ強くなっている亮子にとっては、こんな罵声は『へ』でもないのだ。



そして、根っからの仕事人間・亮子は、息抜きのパチンコをしてても「この店の申告に誤りはないだろうか」と常にアンテナを巡らせている。(ある意味恐い)




雨宿りしているビルでも……

ビル、ラブホテルのビル、権藤秀樹のビル……


車を停める、ビルの駐車場の台数を数えながら、既に亮子の目は、新たな獲物を見つけたハンターのそれに変わっていた。


運命に導かれるように『板倉亮子(マルサ)』と『権藤秀樹』の対決は迫りつつある ……





1987年といえば、バブル全盛期。


億万単位の金が、自在に動いていた時代。(全然、自分には、その欠片さえも回ってこなかったが)



マンションではなく、オクションなんて建物もズラリ。地価はドンドン高騰して地上げ屋なんてものもあった。

金持ちたちが札束を放り投げながら、店を貸し切りやりたい放題。




そんな時代に、この映画は現れた。



金持ちでも普通の商店でも関係なし。


公平に税を納めさせる!

そして脱税にはプロのマルサが徹底して、その嘘を暴く。


税務署側を《正義の味方》と見れば、「ただ、痛快!」な物語なのである。(現実は真逆だけど(笑))



私のように伊丹映画が苦手な人間にも、全く伊丹映画を観たことがない人にも、好き嫌いなくスンナリ受け入れられるんじゃないかな?



それに、毎年やってくる確定申告。(めんどくさいですよね~自分も申告してますが)


税の事もちゃんと調べてみると、我々国民を苦しめるだけのものでもなく、抜け道も少しならある。(色々な控除)



ただ、自分で聞いたり、調べたりしなければ、お役所も親切には、あちらから進んで教えてはくれないけど……(それが素人のこちら側から見れば、あざとくて「イケズ〜」に映るのであるが)



とりあえず、何も知らない初心者が税の事を知る取っ掛かりとしては、この映画は最適なのかもしれない。

星☆☆☆☆にしときますね。


2019年2月14日木曜日

映画 「コピー・キャット」

1995年 アメリカ。






カリフォルニア州サンフランシスコ。



大学の講堂では、『犯罪心理学』の講義が行われていた。


壇上の中央に立って、さっきから自信満々に喋っているのは赤いスーツの女性だ。

犯罪心理学のエキスパート、『ヘレン・ハドソン博士』(シガニー・ウィーバー)である。



「さあ、男の人たち皆立って!」

ヘレンは、壇上のマイクで客席の男たちを強引に起立させた。



「その中で20歳以下と35歳以上は座ってちょうだい!」

そうして、再びヘレンの声かけに、まばらに座る男たち。




「次にアジア系とアフリカ系は座って!」

さらに座る男たち、立っている者も段々と少なくなってきたようだ。


そうして、残った男たちを見渡しながら、ヘレンは、トンデモない発言を言い切った。



「今、立っている、20〜35歳の貴方たちのような白人男性が、およそ9割の連続殺人事件の《犯人》といえるタイプなのです!」(こんなにキッパリ言い切っていいのか?)



ヘレンは、それに該当するような犯人の名前を、次々と読みあげる。



すると、その時、客席の中に《あの男》を見つけたのだ!




客席の中央で、うす笑いをしながら首を切り裂くジェスチャーをしてみせる、あの《男》の姿を。



「ダリル……」ヘレンの顔からは、たちまち自信の笑顔は消えうせた。



だが、もう一度見渡すと、その顔はいなくなっている。


(きっと … 何かの見間違えよ … )




連続殺人鬼『ダリル・リー・カラム』(ハリー・コニック・Jr.)……この異常な犯罪者を、ヘレンは心理分析の為に面談したのだ。


異常すぎるこの男の心理を、少しでも理解し、探究したいが為の行為だったのだが、それがダリルの衝動に火をつける結果になってしまった。


結果、ダリルはヘレンに関心をもち、執拗になった。そして、隙をみて脱獄したのである。


そして、その日から、ヘレンはダリルに襲われる危険性ありとして、常にボディーガードの護衛に守られていたのだった。




講義が終わるとヘレンは急にトイレに行きたくなった。(そりゃ、自然現象には逆らえませんから)


「ちょっと誰もいないか見てきます」

護衛が中に入って見渡すと、洋式トイレの閉まったドアの下の隙間に、黒いハイヒールが見えた。


「大丈夫です、女性が一人いるだけです。」

安堵してトイレに入るヘレン。護衛はトイレの外の廊下で待機中だ。



ヘレンはトイレット・ペーパーを長く引き出して破ると、中便座の上に折り曲げて、ご丁寧に敷きはじめた。(潔癖症なので)




隣のトイレでは、黒いハイヒールを脱いでいる足下が見えている。


パンティーを下ろして座ろうとしたその時、隣の壁の上から、鉄のワイヤーの輪をもったダリルの顔が、ヌーッ覗いて現れた。


「ダリル!!」


それはあっという間だった!!



ダリルはワイヤーの輪をヘレンの首にかけると、天井の水道管に通して、思いっきり引き上げた。


首を吊り上げられながら、ヘレンは、なんとか首を絞められているワイヤーを両手で、必死につかんでいる。




足下は爪先だけが、ギリギリ便座に届いているような状態だ。


ワイヤーを固定したダリルは、トイレから出てくると、イカれた表情で笑いながら吊られたヘレンを見ていた。

恐怖と吊られる息苦しさで声さえあげれないヘレン… 。



だが、そんなヘレンの声にならない声が届いたのか …… 廊下にいた護衛が中の異様な様子に、銃を構えて入ってきたのだ。


「動くな!!」

ぐるりと見渡せど、トイレには吊られたヘレンしかいない。



だが、いつの間にかダリルは音もたてずに護衛の後ろに回り込んでいた。


ナイフをもった手は、素早く護衛の喉元を切り裂いた。



そして、護衛の銃を奪うとトドメとばかりに発砲した。

倒れこんだトイレの白いタイルに、どんどん広がっていく赤い鮮血 …… 。


目の前で笑いころげるダリルを見ながら、ヘレンの意識は、だんだんと遠くなってきた。


(もう …… ダメだ ……… )


遠のく意識。

そして、暗闇がヘレンを包んでいった
…… 







―  そして、暗闇の中でヘレンはバタッ!と目覚めた。


激しい呼吸とひや汗をかきながら、自宅のベットの上で。




あの悪夢のような出来事から、既に13ヶ月たったのだった。


すんでのところで、ヘレンは助け出され、銃声を聞いた他の護衛たちにダリルは取り押さえられた。


ダリルは再び刑務所に戻されて死刑囚となったのだが、今も、まだ生きている。




だが、あの事件でうけたヘレンの後遺症は深く、パニック障害と屋外恐怖症を患っていた。


今でも、時折、夢にみる悪夢は過呼吸をおこし、薬が手放せない状態。


家からは一歩も出られずに、外界との接触はネットとテレビや新聞のみ。


大柄の助手アンディの支えで、身の回りの世話をしてもらいながら、やっと生活していたのだった。




だが、接触をたった外界では、再び異様な連続殺人事件がメディアを賑わしている。



絞殺した後、首にストッキングを蝶結びにする死体。



今日もサンフランシスコ市警の『M・J・モナハン警部』(ホリー・ハンター)が部下を引き連れて現場に向かう。


警察も手がかりすらない事件に、苦戦している様子だ。


自宅にひきこもりながらも、メディアを通して事件に関心をもったヘレンは、心理分析学者としての欲求をおさえられなくなり、ついに電話をとるのだが ………





スミマセン、観ることが困難な映画は、ついつい自分の脳内の記憶で再生しながら、書いているので長くなります。



この映画も初期にDVDが出て、それっきりパッタリ姿を見なくなったもので。



再発もなければ、レンタル店にもないし、だんだん幻の映画と化している今日この頃。



80年代猟奇ホラーがはやり、90年代のこの頃は、なぜか猟奇犯罪者のもたらす事件のサイコサスペンス映画が、次から次に作られていた。


ブラッド・ピットの『セブン』、ジョディ・フォスターの『羊たちの沈黙』などなど。


日本でも『沙粧妙子 最後の事件』なんてのもあったっけ。



異常犯罪者の意識に寄り添い想像し、分析するなんてことが、果たして健常な人間に可能なのか、どうか。

現代では、もう、あまり語られなくなってきた。




「誰も結局分からないのだ!」と悟った現代では、『あくまで犯罪者は断罪せよ!』なのだ。(当たり前だけど)




冒頭で、ヘレンがツラツラあげる犯罪者のタイプには、全然賛同できない。

近年では、年齢は関係なく事件はおこり、人種さえ意味もない事を我々は充分に知っているから。




ただ、この映画が公開された時、自分は演じる俳優たちの、アンバランスな配役に面白みを感じた。



エイリアンと闘った大柄なシガニー・ウィーバーが襲われてトラウマを抱える被害者???


小柄で低身長のホリー・ハンターが、それを解決して守る刑事???(逆ならわかるのだが)



後、ジャズピアニストで当時イケメンの代名詞だったハリー・コニックjr.に猟奇犯罪者の役をふるなんて …… 。(多分、本人には何のメリットにもならなかっただろうに)




この変わった役の印象が、強く残っていて、今でもここまで覚えているほどだ。


たまに思い出すと、もう一度観てみたいなぁと思うのだが … 。


再発は難しいのかな~。(なんせ、これだけ偏った考えの犯罪心理学じゃ〜ねぇ~)


星☆☆☆です。

2019年2月10日日曜日

映画 「超高層プロフェッショナル」

1979年 アメリカ。






ニューヨーク郊外に建設中の超高層ビル。

その鉄骨組立工事を請け負う『ルー・キャシディ』(ジョージ・ケネディ)は、違反で免停になった運転手を後部座席に乗せて、代わりにハンドルを操り、今日も現場へと向かっていた。(どんな運転手だ)



見上げるビルは、地上から、何百メートルの高さだろうか…56階建ての州一高いビル建設に、ルーの意気もあがる。



年をとったが、

「まだまだ、若い者だけに任せておけるか!」

と先陣を切って進んでいくのだ。



ヘルメットをかぶり、いざ現場に行くと、ボスとして若い荒くれ者たちのいざこざを、簡単におさめてしまうルー。



そんな時、ルーの弟『エディ』が、ノコノコとやって来た。


鉄骨の資材運搬の仕事をしているのだが、この不肖すぎる弟は、隙あらば兄のルーの会社を乗っ取ろうとしているのだ。


雑な仕事ぶりで、以前、粗悪な資材で事故をおこしたりと、ルーには頭の痛い弟である。



「あんまり邪険にすんなよ、兄貴。俺も今じゃ兄貴のパートナーみたいなもんなんだぜ」


エディが馴れ馴れしくいい放つと、

「調子にのるんじゃねぇぞ!、エディ!!」

ルーが、相手にせずに一喝して追い払った。


エディはブツクサと悪態をついている。




ルーは、工事用エレベーターで最上階まで一気に上がると、作業員たちに指示をだし、自ら鉄骨によじ登って鉄骨の溶接作業を手伝い始めた。



長い鉄骨の幅は30~40cmくらいしかない。


『納期は3週間しかない、それまでに何とか最上階まで組み上げなければ……』


ルーの作業を下で、昔馴染みで相棒のモーランが、ヒヤヒヤしながら見ている。



その時、溶接用の酸素ボンベが突然、爆発した。



爆発からの業火は、たちまち黒い煙を放ちはじめる。

突然の爆発に、鉄骨の最上で作業をしている若いトミーは、ガタガタ震えだし、身動きできない。



ルーは幅の狭い鉄骨を、なんとかつたいながら(このシーンだけで恐ろしい事)、トミーのところまでたどり着くと、

「大丈夫だ、トミー!今、助けるぞ。安心しろ!」

と慰める。


だが、ボンベの爆発は、タンクに引火し、ものすごい爆風が、ルーを鉄骨から吹き飛ばした。



高層から真っ逆さまに落下していくルー……。




それは、スローモーションのように見えたが一瞬だった。ルーは地面に叩きつけられ絶命した。



次の日、ルーの葬儀が行われた。


一人娘の『キャス』(ジェニファー・オニール)が喪主をつとめる中、叔父のエディがニヤニヤしながら、

「俺が力になってやる!」

と近づいてきた。



父の生前から聞かされていた悪評を知るキャスは、「結構よ」と撥ね付けた。


「私が父の夢を受け継ぐ…」


決心したキャスは、父の親友『モーラン』に助言を求めた。


「まず、現場監督がいる。、それにうってつけの男がいる」モーランは以前知っていた、伝説の鉄骨職人『マイク・キャット』(リー・メジャーズ)の名をあげた。



今は、引退して長距離トラックの運転をしているマイク。

キャスは、現場監督になってもらえるようマイクを説得に、みずから出向いて行くが……。





やっと観る事が叶った映画。

名前だけは知っていて、いつか観たいと思ってました。



SFでもない、ピストルをぶっぱなすアクション映画でもない、異色の映画。



この映画は、怖い怖い…。

生理的に訴える恐さだ。



自分も高所恐怖症ではないが、幅30~40cmの鉄骨の上を、サーカスの綱渡りのように、風に揺られながら、進み、作業する様子にガクガク、ブルブル鳥肌がたった。



ましてや50階に近い建物の高さのビル。


CGなどない時代の映画で、この撮影は、相当命がけだったろうと思うのだ。



カメラが、ビルの頂上から下界を映す時、クラクラとしためまいに似た感覚を、観ている我々も体感するくらいである。



俳優の方々もほんとうに凄いし、尊敬する。



主演のリー・メジャーズはTVシリーズ「600万ドルの男」で有名になり、「チャーリーズ・エンジェル」ファラ・フォーセットの元旦那さま。


この映画では、大型トラックを乗り回したり、大型ショベルを操ったり、高い鉄骨の溶接作業をしたりと、「これぞ、男の中の男」というくらい縦横無尽に大活躍する。



それに、重機を操る男って、ヤッパリ男から見ても、超格好いい~!のだ。



他の作業員役の俳優たちも格好よく見えてくる。



こんなに男たちが、痺れるくらい格好いい映画も、そうそうないと思うのだけど。



エディたちの数々の妨害や悪天候に負けず、納期に間に合わせる為、最後に徹夜で働く男たち。



最後の鉄骨をなんとか溶接し、アメリカ国旗を、頭上に掲げる作業員たちに素直に感動してしまった。



星☆☆☆☆です。


額に汗して働く男たちは素晴らしい。

2019年2月6日水曜日

映画 「白い家の少女」

1976年 カナダ、フランス、アメリカ合作。






丘の上に建つ白い家で、13歳の少女リンが、たった独り、自分の生活を守る為に、周囲の大人たちを向こうにまわして闘うサスペンス映画。




リンを演じたのが、当時、13歳~14歳くらいのジョディ・フォスターだった。


この、子供の時の顔と、『羊たちの沈黙』のジョディ・フォスターが、自分の中では、全然合致しなくて、「あ~、あれ同一人物だったんだ…」と、だいぶ経ってから知るという。(なんせ女性は変わりますからね (笑) )




この映画も、昔、日曜洋画劇場などで、よく放送されていた。


近年、その時の吹き替えが収録されたDVDが発売され、再見する事ができたのだが、リンの吹き替えをしていたのが、あの女優の、仙道敦子(せんどうのぶこ)だと知って、また驚いた。


放送当時、中学生でリンに近い歳だった自分は、大人相手に一歩もひるまず立ち向かう姿に、

「やっぱりアメリカ人は強い。幼い日本人に比べて、精神的にも大人なんだ」

と素直に感動した記憶がある。






リンの母親は、リンが幼い頃に、よその男と駆け落ちして家を出ていった。

その後、作家の父親と二人で暮らしていたが、その父親も、とうとう癌になる。



死期が近づいた父親は、ニューイングランドの閑散とした、丘の上に建つ白い家を、3年契約(前払い)で借りると、リンと共に引っ越してきた。



父親は、同年代と比べて早熟で聡明に育った娘を見て、「この子は、世間の狭苦しい型にはめては、とても生きていけない。」と思い、「自分が死んだ後、どうすればいいか……」と計画を練り始める。



リンにそれを、徹底的にレクチャーした後、いよいよ死を予感した父親は、自分の遺体が簡単に砂浜にうちあげられないよう、満ち潮を計算して海に身投げをした。




もしも母親が訪ねてきたら、「この白い粉をコーヒーに入れなさい」と言い残して…。



父親の予言どおり、しばらくすると母親がやってきた。



奔放で好き勝手してきた母親は、昔とちっとも変わってなかった。



リンは父親の遺言に従い、コーヒーに白い粉を入れて、母親にふるまった。



母親は、「アーモンドの味がする」と言うと、即、息絶えた。リンも知らなかった白い粉の正体は《青酸カリ》だったのだ。


そして遺体を地下の貯蔵室に隠すと、その上にマットを敷き、テーブルを置いて、リンの平穏な隠匿生活が始まったのだった……。





だが、これだけ念入りに練った計画だったのだが、父親の唯一の誤算は家主の素性を調べなかった事。




それくらい、この家主は酷すぎる。(もっとマシな家主の家もあっただろうに……)





●フランク・ハレット(マーティン・シーン)……家主ハレット夫人の息子。


結婚して子供がいるのに、13歳のリンに欲情して近づいてくる変態小児愛者。


残酷さも持ち合わせていて、リンのペットのハムスターを籠から取り出すと、煙草を押しつけて、なぶり殺す救いようのない根っからのイカれ野郎。





●コーラ・ハレット(アレクシス・スミス)……変態フランクの母親で、鬼のような形相をしたクソババア。


勝手にやって来て、庭の果物をもいで、どんどん籠の中に詰め込んだかと思えば、ノックもせずにズカズカ家に上がりこんできて、やりたい放題する。(こんな家ヤダ。絶対に借り手がつかないだろう)




「このテーブルは、ここなの!!」



「これは、ここから動かさないでちょうだい!!」



ちゃんと家賃を払っているのに、少しのズレも許さず、高圧的な凄い剣幕でがなりたてるクソババア。



「ここは私の家よ!」リンが叫ぶと、

「生意気な子ね!あなた学校は?!今度の教育委員会で問題にしなくてはいけないわね!」


「一体何の御用ですか?」

「あたしが、用事もなしにノコノコやってきたと思ってるの!!地下の瓶を取りにきたのよ!」



瓶が置いてある地下室の蓋に、マットとテーブルを置いてあるのを見ると、剣幕はエスカレートして、さらにヒートアップ。


「邪魔なこのテーブルをどかしなさいよ!!」




リンが黙っていると、

「何て子なんだろう!この子は!覚えておきなさい!!」ドアをバタン!と閉めて出ていった。




だが、これで終わらない。




次の日も、このクソババアは、やって来た。(呼ばれもしないのに)



初めは下手にでていたリンも、あまりの傍若無人のクソババアの振舞いに、いい加減、頭にきていた。



「ここへ私の息子が来たらしいわね!なんて言ってたの?!」


「息子さん、私の髪がキレイって褒めてくれたわ」


「他にはなんて言ってたの?!」


「警察が、『あの男に注意するように』言ってたわ」




「あの警察官はなんにも、分かってないのよ。あんたの生意気なその言い方は、何なの?!」


「息子さんが、そんなに心配なら紐でも縛って監禁しておくべきなんだわ」


バチンッ!とハレット夫人の平手打ちが、リンの顔面に炸裂する。だが、泣きもしないリンに、クソババアの頭から湯気が出る。




「出ていけー!この家から出ていけー!!」



「ここは私の家よ!」リンも負けずに応戦するが、クソババアは、馬鹿力でテーブルとマットを、勝手に持ち上げだした。


「やめてー、やめて!」リンの制止も聞かず、勝手に地下室の蓋を持ち上げて、支え棒を咬ませると、地下に入っていく。



そして、地下から、「ギャアーッ!」の金切り声の悲鳴がきこえた。


クソババアは地下で何を見たのか、慌てて階段を上がってくるが、その時、支え棒が外れて、重い蓋が頭に、ガツンと直撃。




しばらくして、リンが蓋を開けて地下を、そーっと覗いて見ると、血まみれで、カッ!と目を見開いて死んでいるクソババァの姿が、そこにはあったのだった……。






こんな家主と変態息子の家を借家だろうが、家賃が安かろうが、自分なら絶対に借りない。




それくらい、この二人のインパクトが、強すぎて、この映画といえば……クソババアと変態息子ってイメージだった。




もちろん、リンの味方の警官や、手助けをしてくれる優しいマリオもいるにはいるのだけど…。




「白い綺麗な家」には、「邪悪な黒い家主」が付きものなのか。


もし引っ越しする場合は下調べは念入りに。そしてご注意を。

星☆☆☆☆。