1954年 イタリア。
監督はフェデリコ・フェリーニ。
20代の頃、ある雑誌を作っていたが、その中のコラム記事みたいなコーナーがあり、ある日、この『道』の映画紹介があった。
そして、自分にまわってきた仕事は『道』のある場面のシーンをイラストにおこすことだった。
当時は全く知らないような観た事もない映画。
下調べする時間もなく、なんとか、かんとか、ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナを描いた記憶がある。
丸顔に丸々した目、前髪パッツンの金髪のショートカット(サイドはクルンと跳ねた髪)その特徴的な雰囲気は印象に残った。
写真を見ながら描いたのだが、なんだか笑いながらも、どこか泣きそうな寂しそうな…
それから、4~5年経った頃だろうか…『道』のDVDを観る機会が訪れた。
胸をかきむしられるような痛み……
『ザンパノ』(アンソニー・クイン)は、粗野で暴力的。考えるより手が先にでるようなの粗暴な男だ。
バイクに荷馬車を繋げて、町から町への旅芸人。
相方のローザが亡くなり、その姉の『ジェルソミーナ』(ジュリエッタ・マシーナ)を母親から金で買う事に決めたザンパノ。
生まれつき知能が遅れているジェルソミーナは、嫌な顔をする様子もない。
母親は「これでしばらくは生活に困らない」なんて言いながら、人減らしと大金で喜んでいる。
ジェルソミーナも泣き笑いしながら、
「立派な芸人になる!」
と言って、故郷に別れを告げた。
ザンパノの芸は、体に巻きつけた鎖を引きちぎる芸。(地味な芸)
それだけでは、客を呼べないと、ジェルソミーナに、ラッパや太鼓を叩く練習をさせる。
失敗すればザンパノの鞭が容赦なくとんでくる。
二人は、そんな芸をしながら、あちこちと旅をしていく。
次第にジェルソミーナは、この旅の生活を楽しみはじめ、こんなザンパノでも頼りにするようになっていく。
だが、ザンパノは、まるで変わらない。
酒に溺れたり、行きずりの女を抱くためには、ジェルソミーナを荷馬車から置き去りにしたりもするのだ。
それでも、笑顔でついていくジェルソミーナ。
だが、横暴なザンパノは、ある日、同じような芸人『イル・マット』(リチャード・ベースハート)を、カッとなって殴り殺してしまう。
そして、ジェルソミーナを連れて、一目散に逃げだしたのだ。
ジェルソミーナは、その件がよっぽどショックだったのか、以来、気がおかしくなってしまう。
どこまでも身勝手なザンパノは、そんなジェルソミーナを心配するどころか、段々とお荷物に思いはじめ、ある夜に、置き去りにして、とっとと逃げ去ってしまった。
寝ているジェルソミーナの側にラッパだけを置いて………
やがて月日は流れて、再び、町にやってきたザンパノ。
ふと、耳を澄ますと、どこかで聞き覚えの曲がながれている。
洗濯物を干している女が歌っているのだ。
「いったいその曲をどうして……」
「ずっと昔、頭のイカれた女の芸人が毎日演奏してたのさ。ラッパで吹いていたっけ……しばらくして死んだけどね」
黙りこむザンパノ。
その夜、町の海にやって来たザンパノ。
波が打ち寄せる砂浜に、ガクリと膝をつく。
そして、砂を握りしめると、ザンパノは言いしれぬ後悔で、一人嗚咽の涙を流すのであった……
失った時間も人も2度と取り戻せない。
亡くしてみて、はじめて分かる自分の後悔。
ザンパノほどでなくても、誰の心にも、遠い昔に、1つや2つのシコリのような過去があるのではないだろうか……。
最後のシーン、アンソニー・クインが砂浜で泣くシーンなんて、もう何がなんだか、涙なしには観られないくらいだ。
従順で明るいジェルソミーナ、笑いながらも、どこか寂しそうなジェルソミーナ……2度と戻らない日々。
たまに観ても、無性に心をかきむしられる。
名作というのは、年数が経っても、何度見ても、それにたえられるのだ。
それを証明するような、これは極上の1本なのである。
それを証明するような、これは極上の1本なのである。
文句なし!星☆☆☆☆☆です。