2022年4月23日土曜日

ドラマ 「『わが子よ』シリーズ」

 1981年〜1986年。(シリーズ全6作)




写真は女優、小林千登勢さんと星谷和美さんである。(星谷和美さんを知ってる人、何人いるかなぁ~)



その昔、お昼には、専業主婦たちの為の良質な帯ドラマの時間帯が特別に設けられていた。


旦那や子供を、仕事や学校にとっとと(出ていけ(笑)!)送り出し、家事をこなした後は、ゆっくりとお昼を食べながら、午後の短い帯ドラマを観る。


そんな習慣が当たり前だった時代に、午後13時から30分間、月曜から金曜の帯で『花王 愛の劇場』は放送されていたのだ。(1969年〜2009年まで。長っ!)



その中でも、わたしが特に観ていたのは、この『わが子よ』のシリーズ。



もちろん、お昼放送の時間帯には学校に行っている自分なんか観れるはずもないのだけど、この『わが子よ』のシリーズに限っては、毎年、夏休みの7月から8月の末ギリギリまで放送されていたので、けっこう観る機会はあったのだ。



お話の骨格は全シリーズ、ほぼ決まっている。



小林千登勢さん演じる母親(離婚して一人で生計をたててる)と難病に侵された娘が、試練を乗り越えて、再生しようとする感動ドラマだ。(後、一家には祖母がいたり、幼い弟がいたりする)



全6シリーズをとおして、母親役の小林千登勢さんの登板は変わらず。


祖母役の川上夏代さんも、ほぼ同じだった気がする。


川上夏代さん。この人も有名なおばあさん女優でした》



娘役は、第1作と2作目を、あの《わらべ》やドラマ『積み木くずし』で有名な、高部知子さんが熱演。(この方、本当に演技力にかけては、当時、ズバ抜けて上手かった記憶があるので、《例の事件》がなければ、今頃、名女優になっていただろう)



3作目は全く覚えてなく、確か、4作目は娘役を若林志穂さんがやっていたはず。(この辺りの記憶は、ちとボンヤリで曖昧)


なんせ、《難病ドラマ》なので、扱う病気も特殊なモノばかり。


《骨肉腫》だったり、《腎臓病》だったりするので、演じる方も大変そうであった。




で、私の記憶がハッキリしてるのが、『 わが子よ Ⅴ 』の、小林千登勢星谷和美の母娘編なのである。



美容院を切り盛りしている『香山由紀』(小林千登勢)。(やっぱり、ここでも夫はいない)


年老いた祖母『かね子』(川上夏代)、小学生の息子。


そうして、中学三年生の娘『みずき』(星谷和美)のいる一家は、けっして裕福ではないけれど、ごくごく平凡な4人家族だ。




目下、娘のみずきは、女ながら柔道部に所属していて、猛練習に明け暮れる日々。


そんなみずきが、ある日練習していると、突然《右脚》に、今まで感じた事のないような激痛がはしる。




「痛い!痛い!痛ーい!!」

柔道部の顧問の先生や母親の由紀にともなわれ、即、病院に駆け込んで精密検査をしてみると …… 検査の結果はなんと!10万人に1人と言われるような難病、《 骨肉腫 だったのである。


母親・由紀は大ショック!(((;ꏿ_ꏿ;)))(愕然!)


「あの …… 娘は治るんでしょうか?!だって、あの子まだ中学生で …… 脚を切断するなんて …… そんな、とても残酷なこと …… 」


主治医も、なんとか脚の温存を試みようと、頭を悩ませて、「《人工骨》を埋め込む手術をやってみましょう!」と提案する。


(これで、なんとか良くなってくれれば …… )


そんな藁にもすがる思いの由紀の願いも届かず …… 手術の結果はあまり芳しくなかった。


このままでは、命の危険さえ伴わないのだ。



医者は苦渋の決断で、今度は《右脚の切断手術》を提案した。



こんな提案に、若いみずきが簡単に納得するわけもなく ……


「イヤよ!イヤ!脚を切るなんて絶対にイヤー!脚を切るくらいなら、このまま死んだ方がマシよ!」と、ただ泣きじゃくる日々。


そんな娘の不幸に、オロオロして苦しみ、一緒に涙を流す『由紀』(小林千登勢)。(本当に壮絶なドラマである)


だが、時間はあまり残されていない。

このままでは命の危険さえあるのだ。


周囲の説得や、涙ながらに懇願する由紀に、娘のみずきも、とうとう折れて手術は開始された。




そうして、麻酔から覚醒めたみずきは、ベットに横たわりながら、目線の遠い先にある、無くなった《右脚》の方を見て愕然とする。


(もう、何もかも終わり …… これなら死んだ方がマシだった)と ……。


心は失った右脚と一緒に、どこか遠くへいってしまったようだった。




そして夜間、手術が終わったみずきに、母親の由紀が付き添っていると、突然、みずきが苦しみだした。


「痛い!右脚が痛い!!」叫び続けるみずき。


「痛い!」って …… もう切断して無いはずの右脚なのに、コレはどういう事なのか?!



オロオロした由紀は、早速主治医に訊ねると、

「おそらく、《 幻肢痛(げんしつう) 》でしょう」と、今まで聞いたこともない答えがかえってきた。


「《幻肢痛》…… なんですか?それ?!」

「右脚が無くなっても、頭の中では、まだ右脚があるような感覚が、まだ残っているのです。《幻》の右脚の痛みと言っていいでしょうか …… 」

「そんな …… 」


再び、病室に戻ると、額には汗をかきながら苦しみ続ける娘の寝顔。


そんな娘みずきを涙ながらに見つめながら、母親・由紀は一晩中、無いはずの右脚をさすり続けてやるのであった ………




もう、涙!涙!涙 !(╥﹏╥) !(ウルウル)


こうして書きながら思い出しても、涙なくしては観られないようなドラマである。




もちろん、この後、みずきは周囲の人々の励ましや助けをかりて立ち直り、義足をつけて、障害者ランナーとして立派に歩みだすのだけど ……



このみづき役の星谷和美さんが可愛らしくて、可哀想で、夏休み中、私なんか夢中でかじりついて観ておりました。


この星谷和美さん、てっきり、この当時の自分と同じ年齢だとばかり思っていたのだが、なんとこの時は、もう19歳になっていたという。(19歳で15歳の中学生役がまわってくるとは。でも違和感なく観てたけど)


それにしても、CGすら無い当時、片脚を切断した役を演じる為に、終始右脚を後ろに折り曲げて縛りながらの長期撮影は、相当大変だったろう。


他の演者たち、高部知子さんや、若林志穂さん、それに星谷和美さんにしても、若手でも、このドラマに限っては、充分な演技力と気迫がなければ成し遂げられないほどの難役。


演技派たちの登竜門的なドラマだったのかもしれない。(その後、皆が引退してしまったのは残念だが)




そうそう、このドラマの主題歌を、あの荻野目ちゃんが歌っているのも見逃せない。



主題歌『心のままに 〜I’m just lady〜』は、隠れた名曲である。


♪ just lady、so lady、強く生きて

♪ 辛い思いに負けないで

♪ just lady、so lady、くじけないわ

マイ・ ハート、泣かないで〜


次作『ダンシング・ヒーロー』で大ブレイクする荻野目ちゃんの、夜明け前の曲は、しっとりと心に染み入るように、このドラマの内容とリンクして聴かせてくれる。(是非とも知らない人は聴いてほしい)



時折、この曲を聴いたりすると、あの頃の『わが子よ』のドラマに結びつけて、途端に記憶の扉が開かれてゆく。

すると、こんな風にドラマの内容を鮮明に思い出してしまう私。



曲もドラマも、良質だからこその《不思議》?なのかもしれない。

星☆☆☆☆。


※このドラマ、どっかで再放送してくれないかなぁ~(それにしても、あちこちで画像を探したけど見つからないや。覚えてる人も段々少なくなってきた?)


昭和は遠くなりにけり(笑)


2022年4月20日水曜日

映画 「ローマの休日」

 1953年  アメリカ。






あまりにも有名なオードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』。



この映画を観たのは、あらかた、オードリーの他の映画を観てから、だいぶ経った頃だった。


なんせ、意識しなくても、あちこちで『ローマの休日』のオードリーが日常的に目に飛び込んでくる状況なのだ。



もう、観る前から、すっかり観たような気分にさせられていたのである(笑)。




それにしても、日本人の《オードリー好き》には、あらためてビックリさせられる。



1953年に本国で公開されて、翌年に日本で上映されると、日本では瞬く間に《オードリー旋風》が吹き荒れる。



男の自分でも、オードリーは「可愛いなぁ~」とは思うけど、女性の方がはるかに熱狂的!



『ローマの休日』を観た後は、世の女性たちが、一目散に美容室へと駆け込んだそうな。


「お願い!ヘプバーン・カットにしてぇー!!」


巷中(ちまたじゅう)に溢れかえるヘプバーン・カットの女性たち。(だったそうですよ、当時は)




そうして、こんな勢いは髪型だけにとどまらない。


もう、《美の基準》全てが、オードリー《一色》になってしまったのである。




眉の描き方から、アイラインのひき方まで …… メイクのお手本は、全てオードリー。


洋服の着こなし方なども、もちろんである。



鏡を見ては、「オードリーのようにシャープな顎をしていればねぇ〜 …… 」と溜め息をつき、

自分の体型をオードリーと比べては「あぁ、オードリーのようにスラーッとした体型になりたいなぁ~」と憧れる。



身長170cmで体重50キロのオードリーは、ちと痩せすぎのような気もするが、《美の基準》が《ソレ》だという風に完全にインプットされてしまった女性たちは、母親になっても変わらず。


生まれた娘も、孫も、そのまた孫の代まで、ずっと現代に至るまで、その基準は脈々と続いているのだ。





だが、こうなったのも無理はない。



60年代〜70年代の少女漫画家が描いているヒロインの顔は、誰も彼もが、オードリーの面影を残したヒロイン像を描いているし。(描いてる漫画家も《オードリー好き》なんだろう)



映画雑誌などでは、定期的にオードリーが表紙を飾り、特集ページが何度も組み込まれたりする。(しかも何十年間も)


そんなのを毎号毎号、買い求めては皆が読んでたんですもんね。(そりゃ、イメージは刷り込まれるわ)




日本に《ジェラート》のアイスクリームが売り出されれば、たちまち、この『ローマの休日』のオードリーがCMに駆り出されたりする。(ベスパのスクーターも同じ)




バブルの頃なんて、誰が考え出したのか
…… 《オードリーと行こう!イタリア・ローマのツアー》なんて企画の旅行プランもあったりしたもんだ。(オードリーは行かねぇっつーの!(笑))



そうして、またもや最近でも、明石家さんまとの合成CMが流れていたりする。




日本では、この70年間、『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンの姿が、途切れる事が、全く無いのだ!!



そう思うと、この、たった一本の映画がもたらした経済効果は、もはや天文学的数字。


大袈裟に言うなら、《宇宙規模》といっても良いのかもしれない。(ヒェ~!スゲ~や(*_*))





こんな『ローマの休日』を20年前くらいに、ちゃんと観てみた。


観た感想は、……… まぁ普通。(星☆☆☆)


オードリー・ヘプバーンは当然可愛いし、お話自体は楽しいんだけど、案外「普通かなぁ~」と感じてしまった。(こんな風に書くと、オードリー・フアンから、トンデモないお叱りをうけるだろうが)



これだけメディア効果や宣伝がなければ、また違った感想だったかもしれないが。(とにかく冒頭にも書いたように、既に観たような気分が災いしたとしか言いようがない)



ただ、オードリーグレゴリー・ペックが、街中を楽しくベスパで乗り回すシーンには、「オオッ!」と唸ってしまった。



ノー・ヘルメットで二人乗り!(今なら、即、御用!(違反キップ)(笑))


おおらかな良き時代に、「羨ましいなあ~」なんて、多少の憧れもあったりして ……



まぁ、日本人なら、一度は、ちゃんと観るべし …… なのかな?(オススメしとく)


2022年4月16日土曜日

映画 「ネバダ・スミス」

 1966年  アメリカ。




西部開拓時代、白人の父親とインディアンの母親の間に生まれた『マックス・サンド』(スティーブ・マックイーン)は16歳(んん?)になっていた。


ひと気の無い場所にて、読み書きも出来ず、純粋無垢に育ったマックス少年は、まるで人を疑う事すら知らない。


ある日、ならず者風の3人組が、我が家への道順を訊ねて近づいてきても、アッサリ教えてしまった。

左から、カール・マルデンマーティン・ランドーアーサー・ケネディ


だが、しばらくして自宅に帰ると、両親は無惨に殺されている。


「アイツらだ …… あの《3人組》に父さんも母さんも殺されたんだ!!」



マックスは両親の死体を家ごと焼き払うと、復讐を決意して、旅に出ることにした。


だが、マックス少年は、やはり世間知らずのボンボン。


旅の途中で出会った男たちに騙されて、少ない所持金も馬も銃も、全て盗まれてしまう。(アチャ~)


(これからどうしよう …… )と、うなだれて、広い荒野をさまようマックスは、空腹で、もうヘトヘト。


道端に銃が落ちてるのを拾うも、「なんだ、弾が入ってないや …… 」ガッカリするマックス。


そして、ヨタヨタさすらうマックスの鼻には、(クン!クン!)何やら食べ物の香りが漂ってきた。


野営をしているオッサンが道端で料理をしているのだ。



ええい、もう背に腹は代えられない!


空砲の銃を向けてマックスは、

「オイ!食べ物をよこせ!!」と強盗まがいに脅迫した …… のだが、相手は至って落ち着いた様子。


「その銃は空砲だろう」と、ひと目で相手には見抜かれてしまった。


野営をしていたオッサン、もとい『ジョナス・コード』(ブライアン・キース)は、銃商人だったのである。


その場にヘナヘナ、へたり込むマックス。


だが、ジョナスは、そんなマックスを邪険に扱うわけでもなく、親切に食べ物を差し出してくれたのだった。



こうして、ジョナスの優しさに心開いたマックスは、これまでの事情をポツリポツリと話し始める。


「お前みたいな世間知らずの小僧が …… 本当に親の仇討ちをしたいのか?!」


「ああ、オレはどんな事をしても両親の仇を取ってやる!!」


やれやれ …… 


憐れみなのか、根っからのお節介心からなのか、ジョナスは一緒に旅の野営をしながら、マックスに文字を教え始めた。


そして、銃の使い方も。(本当に親切なオッサンである)



そんなジョナスを、マックスも慕い、《師》として仰ぎはじめる。




そんな日々がしばらく続いて、とうとう別れの時。


ジョナスがマックスに最後の忠告をする。


「いいか!奴らを探そうとするなら、《酒場》か《娼館》をあたるんだ!奴らのようなクズ共は、間違っても《教会》なんかには行かない。」


「《ドブネズミ》共はどんな卑怯な手を使ってくるか分からない。その為にはお前も《ドブネズミ》になるんだ!」


こんな教えを胸に刻み込み、ジョナスと別れたマックス。


マックスの孤独な復讐の旅が、やっとはじまる ………





「全然、白人とインディアンの混血児に見えない」とか、

当時36歳のマックイーンが「16歳は、さすがに無理があるやろー!(笑)」などなど …… 


冒頭からツッコミどころ満載なのだけど、私個人としては、この『ネバダ・スミス』は、マックイーン映画でも好きな部類に入る。(コレに拒否感ある人は、やめといた方がいいかも)




スティーブ・マックイーンの《魅力》ってのを考えた時、他の人なら真っ先に何を思い浮かべるだろうか。



命知らずのカー・スタント?

派手な撃ち合い?


…… いやいや、私はそうは思わない。



この人の魅力は、まるで虚飾の無い《情けなさ》《寂しさ》《弱さ》をさらけだして、我々に見せてくれる事。



後にも先にも、この一点に尽きると思っている。



アクション・スターは数多くおれど、どこかで「俺って格好いいだろ?」ってのが見え隠れするもの。



でも、スティーブ・マックイーンに限っては、そんなモノは一切《無い》のだ。



誰もが隠しておきたいような、そんなヘタレな部分でも、まざまざと見せてくれる。(これじゃ、観客の誰もがマックイーンの《味方》になってしまうでしょうよ)



こんなのが、特に如実に出ているのが、この映画『ネバダ・スミス』なのである。




両親の仇討ちは、そう簡単には上手く行かない。


やっとこさ、一人を見つけ出して、仕留める事ができても、マックスも深手をおって大怪我をしたりして、ズタボロになる。



行く先々で困難、また困難である。(もうハラハラしどおし)




こんな危なっかしいマックスですもの。

女たちも放っておけるもんですか。(母性本能くすぐりまくり)



出会う女たちは皆、マックスを介抱してあげて、助けようとする。


そして時には、自分の命を投げ売ってでも ……





酒場のポーカー使いの男。

密林の囚人キャンプに送られた男。



一人、二人となんとか仇を討って、三人目を探そうとする時、またもや怪我をしたマックスは、ある神父に出会い、厄介になることになった。(この神父も、また良い人)



『ザッカルディ神父』(ラフ・ヴァローネ)である。(Oh!『にがい米』のヴァローネさんだ!)



血なまぐさい闘いに身を投じてきた男の、生まれて初めての教会。



そんなマックスに神父は、1冊の聖書を渡す。



ザッカルディ神父もまた、マックスと同じように悲惨な過去を持っていた為、「復讐がいかに無益なことなのか」を親身になって諭すのだが ……



それでもマックスの決意は変わらない!



だが、世話になった教会を後にしても、神父の言葉はマックスの心にとどまり続け、何度もリフレインしはじめる。




そんな中、最後の一人『トム』(カール・マルデン)にやっと辿り着くのだ。




「俺の名前は『ネバダ・スミス』だ!」

マックスが嘘の自己紹介をしても、トムは昔の事など、とうに忘れている様子である。



そんなトムの仲間になり、復讐の機会を伺い続ける『マックス=ネバダ・スミス』(マックイーン)。



マックスの最後の復讐は見事成功するのか? ………






「人生は長い旅を続けるようなもの …… 」とは誰の言ったセリフだったのか。


その中では、良い人もいれば、悪い奴に出会うことも多々ある。




スティーブ・マックイーンの生い立ちを知っている私は、この映画の筋書きと違えど、この映画『ネバダ・スミス』を観る度に、なぜか?それがマックイーン本人の生き様と妙に重なってしまうのだ。



映画は星☆☆☆☆。

マックイーンの《情けなさ》や《弱さ》を《カッコ良さ》に変換して、是非観て欲しいと思う。

2022年4月13日水曜日

人物 「半田健人」

 活動期間2002年より〜




こういう、ストレートなイケメンって人を、このblogで取り上げるのは初めてかも。


この人、半田健人さんが、その昔、『仮面ライダー555(ファイズ)』で、世に出てきた時、ひと目で私、こう思ってしまった。


「なんだか俳優の『保阪尚希』さんの若い頃にソックリだなぁ~」と。


こう思ってる方、けっこういたみたいで、『仮面ライダー …… 』も、ところどころで、


「『保阪尚希』が変身して闘ってる!」

なんて不思議な感覚で、私なんか観ておりました(笑)。



でも、外見が似ていても、中身までソックリとは限らない。


人は、やはりそれぞれ違うし、考え方も年と共に変わっていくのだ。



半田健人さんは、この外見とはうらはらに、独自のマニアック路線を追求し始める。


1984年生まれで、ギリギリ昭和生まれにも関わらず、この人が《昭和歌謡》を愛してやまないのは、昔から有名な話だったけど。



今、現在では、こんな姿に変貌しているとは …… 



ジャジャアァーーーン!





もう、コレ、保阪尚希なんてもんからは遠く離れて、完全に 野口五郎 になってるじゃございませんか!(笑)



70年代に流行っていた当時の髪型や、その時代のスーツ姿なんてのを、この2020年代になって久しぶりに見たよ。


オマケに、阿久悠や都倉俊一を尊敬し、60年代から70年代の歌謡曲を熱く語っていた青年は、とうとう、曲作りにまで着手していた。



作詞、作曲、編曲、演奏、歌 …… 全て、オール仕事、半田健人


しかも、曲調は、その当時の昭和歌謡のムード、ムンムンである。(《昭和歌謡好き》でも、これほどとは)


それを野口五郎テイストの、この姿で、ライブまで開いて熱唱してる。(You Tubeご覧あれ。まんま野口五郎)


自作曲『都会』、『バス停にて』、『白い風景』を朗々と歌いあげている半田健人。(この、それぞれの曲も、当時の野口五郎が歌ってもおかしくないような曲ばかり。ここまで、よ~やるよ)



かと思えば、昭和の戦隊ヒーロー・モノをオマージュしたような、シュールドラマ『超絶戦士サプライザー』を数話アップ!(ここでもop から出演、ナレーションに至るまで、オール仕事を嬉々としてこなす半田健人)



いくつか観てみた。


でも、「このテイストを分かる人が、何人いるのかねぇ~?」ってのが正直な感想だ。(全く変身しないし、半田健人が、あちこちの街中を彷徨うだけ。そこにナレーションが被さってる)


「昭和の名残りある街並みや建物を楽しめ!」って事なのかしらん?(それにしても内容がシュール過ぎる)



他にも、《高層ビル》やら《鉄道》のウンチクを語りながら、間口の広いジャンルで、あちこちにYou Tubeを立ち上げている。


彼にとってYou Tubeは、自分が楽しむ為の《オモチャ箱》みたいなモノなのかしらん?


あまり再生数か伸びなくても、「そんなの全く気にしない!」って感じである。(間口は広くても、このマニアックな内容じゃ、ちと厳しそうかも(笑))



それでも、6月4日生まれの双子座は、唯我独尊で、我が道を突き進む。


充分にイケメン俳優として演っていけそうなのにねぇ~(そっち方面には、とんと食指が動かないらしい)



同じ双子座生まれとして、いちおう応援。

オススメしときますね。(私はついつい観ちゃうけどね)



※あっ!そうそう ……… 番外編としては、『たたかえ!悪魔のカニミソ盆踊り』って珍曲もある。(もちろん、作詞/作曲/編曲/演奏/歌 オール半田健人


カニの格好で、「♪あ〜くま、あくまのカニミソ盆踊りぃ~」って歌うだけの曲。


本当に、この先どうなっていきたいのか、この人 ……


やっぱ双子座って、自分を含めて、本当に変わり者(マニアック)が多いわ(笑)



2022年4月11日月曜日

人物 「『大島ゆかり』またの名は『大島由加利(香港名)』、『シンシア・ラスター(フィリピン名)』」

 活動期間1982年より〜





この人の事を知ってる人が、今、日本にどれだけいるのか ……

その方々は、かなりの通なマニアックだといえよう。




だから、テレビ朝日の『激レアさんを連れてきた』なんて番組で、取り上げられた時、このお顔にすぐさま「ピーン!」ときたワタクシめは、かなりのマニアックを自称する。(エヘン!)




日本で有名なのは、1984年、特撮ヒーロー『超電子バイオマン』の敵役で女幹部の『ファラキャット』役。(知ってるかなぁ~? コレも相当マニアックだけど)



どぎついアイ・メイクをほどこして、常に顔出しの彼女だけは、ずっと、この姿のままで闘い続ける。



正義の味方『バイオマン』の5人たちは、変身後、スーツ・アクターたちに、まるっとお任せなのにだ。


飛ぶ!バック転!大車輪!宙返り!キック!パンチ!(その華麗なキレのある連続技よ)




次に彼女を見かけたのは、あの南野陽子の『スケバン刑事 Ⅱ 』だった。



第1回放送で、冒頭、いきなり最初に登場するのだ。


ヌンチャクを振り回しながら、暗闇司令の部下たちを5人倒すも、不意をつかれて(アッサリ)負ける。(ありゃりゃ)


「ヤメてくれ〜!殺さないでくれ〜!」



暗闇司令が「これ以上見るに耐えん!」と言い捨てて、この後、南野陽子が土佐から連れて来られるんだけど。(まぁ、お約束だからしょうがない)



……… でも、暗闇司令(長門裕之)の目は、この時、節穴だったのかも。



彼女は、この後、《女ドラゴン》の異名で、アジア圏では超有名なアクション・スターとなっていくのだから ……(日本じゃ、その噂さえ、当時は流れてこなかったけど)




元々、空手と体操をやっていて、身体能力に自信があった彼女は、ある時、運命的な映画と出会う。


それがジャッキー・チェン主演の『ヤング・マスター 師弟出馬(1981)』。



「コレよ!コレだわ!コレこそが私が目指す道なんだわ!!」


この衝撃的な映画との出会いが、少女の眠れる情熱に火をつけた。



早速、あの『J・A・C(ジャパン・アクション・クラブ)』へ。(この飛び抜けた身体能力ですもん。即、採用である!)



あれよ、あれよと言う間に、『バイオマン』で頭角をあらわすも、日本では《アクション・モノ》自体が、やや下火の時代。



チョイ役しかまわってこない日々を悶々と過ごしてゆく。(『J・A・C』に所属していても、《アクション》自体を撮る場が少ないのだ)



「ならば、本場の《香港》へ行くしかない!」(決断早っ!)


熱い想いをしたためた手紙を、映画プロデューサーに送りつけた。


「どうしても、本場の香港でアクションを演りたいんです!!」


こんな情熱が認められて、彼女はユン・ピョウサモ・ハン・キンポーが出演する映画『冒険活劇 上海エキスプレス(1986)』に特別出演する事が決定した。




そうして、オサラバ日本。

いざ、《香港》へ!!





…… その後の足取りを、全く知らなかった私。



だけど、ここまででも彼女『大島ゆかり』さんのバイタリティーには驚愕!(゚д゚)!脱帽してしまう。



言葉も通じない、まだ見知らぬ異国の土地へ、若い女性が、たった一人で行くのだから。


「なんとかなるでしょ。『無問題!(モウ マンタイ)』」(問題無い!)


《アクションが大好きだから》…… ただ、それだけの理由で。



こういう、臆病な自分とは真逆の資質を持つ人物には無条件で降伏、尊敬してしまう。(まいりました)




その後、彼女『大島由加利』(香港では漢字に変えた)は才能を認められて、香港に留まり、ジャッキー・チェンの事務所に所属。(えっ、マジ?)



80本以上の映画に出演しながら、香港の大スターとなっていく。(この話題、当時の日本には全く伝わってこなかった。コレを今知ると当時の日本って、「《鎖国》だったんじゃない?」と思ったりして)




本場の香港で、毎日のように映画を撮影しながら、相当数をこなしていくと、どうなってゆくのか …… 



彼女のアクションは、日本の頃とは段違いに上達していく。



もう、キレッ、キレ!になっていくのだ。(《角度》、《速さ》が、以前と全く違う。)




まるで、ダイヤの原石が磨かれて、さらに輝きを増したようである。(ネットでチラリと観たが、本当に凄いよ!この動き!!)




そうして香港が中国へ返還されると、1997年、彼女の舞台はフィリピンへ。



今度は『シンシア・ラスター』になって大暴れ。

もちろん、ここでも、たちまち大スターである☆。



マレーシアやタイでも、その名は知れ渡り大スターとなってゆく彼女を、アメリカ映画界も放っておくはずがない。



とうとう、あの巨匠オリバー・ストーン監督が、直々に会いに来て、

「是非、私の映画に出てくれないか?」とオファーされるのだ。



だが、ここで彼女の返事は、初めて「NO!」



自分の肉体的な限界を感じていたのかもしれない。


その証拠に、彼女はその直後、撮影中に大怪我をして、日本へと帰ってくる。(可哀想に)




現在は怪我も治癒して、日本で後進を育てる為に、アクション指導に専念しているとか。(やっぱり《アクション》が根っから好きなのねぇ~)




そんな彼女の香港時代の映画を観てみたいものだが、………全く、日本には入ってこない。



何でやねん?



アニメとCGアクションにしか、日本人が興味を示さないから?なのか?!



いや、いや …… 今こそ、その状況に辟易して、飽きている人も大勢いるはず。



《生身のアクション》が風穴を開ける時が、すぐそばまで来ているのだ!



そんな気がする。(正直、私が一番ソレを希望してる)



志穂美悦子の系譜を継ぐ者、『大島ゆかり』の映画を拝ませてくれたまえ〜!


目一杯、絶叫しとく。


《おしまい》


2022年4月7日木曜日

映画 「サロゲート」

 2009年  アメリカ。






やや、寂しげな《頭》🌪️




短い《鼻》が中央にちょこんと鎮座している




《鼻の下》から《薄い口元》までは、長〜い距離




でも、瞳だけは、色気あるグリーン・アイズがキラキラ✨していて、今にも何かを訴えてきそう



アララ …… 誰かと思ったら、あっ!と言う間にブルース・ウィリスのお顔の出来上がりである!



ごめんなさい、ブルース・ウィリスのお顔で少し遊んじゃいました(笑)。



今年(2022年)に、ブルース・ウィリス引退発表をしたニュースは誰でも知るところ。


1980年にデビューしてから、約42年間か ……

今までご苦労様でございました。


映画『ダイハード』でブレイクしてから数十年。その間、主演作が途切れる事なく、よ~やったよ。(私、この肝心の『ダイハード・シリーズ』を3と4しか観てないけどさ)←いい加減!


80年代といえば、シルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーの2大巨頭が大活躍していた時期。


そこに隙間産業としてムクムク躍進してきたブルース・ウィリスを、私、はなから《アクション俳優》として全く観ていませんでした。


上記に、多少おふざけで載せた画像のように、あまりイケメンとは呼べないブルース・ウィリスなのだけど、この人のお顔は、90%以上、この《目》で救われていると思うのだ。


この人、《目》に多彩な表情が現れるし、《目》でお芝居をしている。


この《目》からは、何か特別なフェロモン・ビーム✨が出ているみたいだ。


だから、数多い主演作の中でも、この《フェロモン・ビーム》が活き活きしてるような作品はピカイチである。(それが活きていないような作品は、アクション映画といえども、ほぼ愚作と言えるかも)



こんなブルース・ウィリスの映画を久しぶりに何か挙げてみようかなぁ~、と思ってみたら、ふと、この『サロゲート』が頭の隅からポン!と出てきた。


《サロゲート》とは、《代理》の意味である。


近未来、脳波コントロールで遠隔操作できるような、人間そっくりの人型ロボット『サロゲート』が開発された。


自宅に居ながら、代わりに仕事に行ってくれる『サロゲート』はとっても便利。(いいなぁ~)


何より、外出時、不意の事故や怪我などしても『サロゲート』が壊れるだけで、操作している本人には全くの《ノー・ダメージ》というのが、人々の購買意欲を掻き立てた。


こぞって、人々は『サロゲート』を買い求め、世界中、ほぼ98%の人々が『サロゲート』愛用者となった。


「『サロゲート』は絶対に安全だ!」

誰もがそんな認識で生活してる中、事件は突然起きた。


ある夜、カップルのサロゲートが、電光がはしるような《特殊な武器》で殺されたのだ!


その武器はサロゲートを破壊しただけでなく、脳波接続していたオペレーターまでも、同時に殺してしまうような恐るべき殺傷力。


そんな事件が起きて、FBI捜査官の『トム・グリアー』(ブルース・ウィリス)と『ジェニファー』が本部に呼ばれる。


二人は早速、極秘に捜査を進めていくのだが ……


『トム・グリアー』(ブルース・ウィリス)は、奥さんの『マギー』に勧められて、嫌々サロゲートを使っているらしいんだけど ……


本当に嫌々なのか?



姿形が若いトム・グリアーのサロゲートには、

立派なサラサラのブロンド・ヘアーが、ちゃんと、あ〜るじゃございませんか?!(笑)(やっぱ気にしてたのか?ブルース・ウィリス!(大爆笑))

サロゲートの普及している世界は、《見栄っ張り》の世界。


誰だって現実の自分よりは、ロボットとはいえ、イケメンや美女に見られたいのだ。



この後は、ご想像どおり、『トム』(ブルース)が真犯人を探して、サロゲートを駆使したアクションが展開されていくんだけど ……



でも、こんな事件を置いといて、この着想は、2020年代、我々が直面している現実世界では、何よりも欲するモノなのかも。


《サロゲート》があれば、コロナが蔓延してても、自由に外を出歩けるしね


でも、一体の《サロゲート》のお値段って、幾らくらいなんだろ?

数千万円?数億円?


やっぱ、一般庶民に手頃に買えるお値段じゃないとねぇ~(そのうちネット通販でお安く販売されないかしらん?(笑))


多少、運動不足になりそうだが、根がグ〜タラな私は、《サロゲート》の普及大歓迎!


推奨したいと思う。お偉い様、検討くだされ。(無理だろな)

映画は星☆☆☆。


あっ、そうそう、ブルース・ウィリス、高価な《サロゲート》を購入するに至っても、あまり《この部分》は、お気になさらなかったようで。


また、余計なひと言を ……(笑)

お粗末さま!(そそくさ💨)