2022年4月16日土曜日

映画 「ネバダ・スミス」

 1966年  アメリカ。




西部開拓時代、白人の父親とインディアンの母親の間に生まれた『マックス・サンド』(スティーブ・マックイーン)は16歳(んん?)になっていた。


ひと気の無い場所にて、読み書きも出来ず、純粋無垢に育ったマックス少年は、まるで人を疑う事すら知らない。


ある日、ならず者風の3人組が、我が家への道順を訊ねて近づいてきても、アッサリ教えてしまった。

左から、カール・マルデンマーティン・ランドーアーサー・ケネディ


だが、しばらくして自宅に帰ると、両親は無惨に殺されている。


「アイツらだ …… あの《3人組》に父さんも母さんも殺されたんだ!!」



マックスは両親の死体を家ごと焼き払うと、復讐を決意して、旅に出ることにした。


だが、マックス少年は、やはり世間知らずのボンボン。


旅の途中で出会った男たちに騙されて、少ない所持金も馬も銃も、全て盗まれてしまう。(アチャ~)


(これからどうしよう …… )と、うなだれて、広い荒野をさまようマックスは、空腹で、もうヘトヘト。


道端に銃が落ちてるのを拾うも、「なんだ、弾が入ってないや …… 」ガッカリするマックス。


そして、ヨタヨタさすらうマックスの鼻には、(クン!クン!)何やら食べ物の香りが漂ってきた。


野営をしているオッサンが道端で料理をしているのだ。



ええい、もう背に腹は代えられない!


空砲の銃を向けてマックスは、

「オイ!食べ物をよこせ!!」と強盗まがいに脅迫した …… のだが、相手は至って落ち着いた様子。


「その銃は空砲だろう」と、ひと目で相手には見抜かれてしまった。


野営をしていたオッサン、もとい『ジョナス・コード』(ブライアン・キース)は、銃商人だったのである。


その場にヘナヘナ、へたり込むマックス。


だが、ジョナスは、そんなマックスを邪険に扱うわけでもなく、親切に食べ物を差し出してくれたのだった。



こうして、ジョナスの優しさに心開いたマックスは、これまでの事情をポツリポツリと話し始める。


「お前みたいな世間知らずの小僧が …… 本当に親の仇討ちをしたいのか?!」


「ああ、オレはどんな事をしても両親の仇を取ってやる!!」


やれやれ …… 


憐れみなのか、根っからのお節介心からなのか、ジョナスは一緒に旅の野営をしながら、マックスに文字を教え始めた。


そして、銃の使い方も。(本当に親切なオッサンである)



そんなジョナスを、マックスも慕い、《師》として仰ぎはじめる。




そんな日々がしばらく続いて、とうとう別れの時。


ジョナスがマックスに最後の忠告をする。


「いいか!奴らを探そうとするなら、《酒場》か《娼館》をあたるんだ!奴らのようなクズ共は、間違っても《教会》なんかには行かない。」


「《ドブネズミ》共はどんな卑怯な手を使ってくるか分からない。その為にはお前も《ドブネズミ》になるんだ!」


こんな教えを胸に刻み込み、ジョナスと別れたマックス。


マックスの孤独な復讐の旅が、やっとはじまる ………





「全然、白人とインディアンの混血児に見えない」とか、

当時36歳のマックイーンが「16歳は、さすがに無理があるやろー!(笑)」などなど …… 


冒頭からツッコミどころ満載なのだけど、私個人としては、この『ネバダ・スミス』は、マックイーン映画でも好きな部類に入る。(コレに拒否感ある人は、やめといた方がいいかも)




スティーブ・マックイーンの《魅力》ってのを考えた時、他の人なら真っ先に何を思い浮かべるだろうか。



命知らずのカー・スタント?

派手な撃ち合い?


…… いやいや、私はそうは思わない。



この人の魅力は、まるで虚飾の無い《情けなさ》《寂しさ》《弱さ》をさらけだして、我々に見せてくれる事。



後にも先にも、この一点に尽きると思っている。



アクション・スターは数多くおれど、どこかで「俺って格好いいだろ?」ってのが見え隠れするもの。



でも、スティーブ・マックイーンに限っては、そんなモノは一切《無い》のだ。



誰もが隠しておきたいような、そんなヘタレな部分でも、まざまざと見せてくれる。(これじゃ、観客の誰もがマックイーンの《味方》になってしまうでしょうよ)



こんなのが、特に如実に出ているのが、この映画『ネバダ・スミス』なのである。




両親の仇討ちは、そう簡単には上手く行かない。


やっとこさ、一人を見つけ出して、仕留める事ができても、マックスも深手をおって大怪我をしたりして、ズタボロになる。



行く先々で困難、また困難である。(もうハラハラしどおし)




こんな危なっかしいマックスですもの。

女たちも放っておけるもんですか。(母性本能くすぐりまくり)



出会う女たちは皆、マックスを介抱してあげて、助けようとする。


そして時には、自分の命を投げ売ってでも ……





酒場のポーカー使いの男。

密林の囚人キャンプに送られた男。



一人、二人となんとか仇を討って、三人目を探そうとする時、またもや怪我をしたマックスは、ある神父に出会い、厄介になることになった。(この神父も、また良い人)



『ザッカルディ神父』(ラフ・ヴァローネ)である。(Oh!『にがい米』のヴァローネさんだ!)



血なまぐさい闘いに身を投じてきた男の、生まれて初めての教会。



そんなマックスに神父は、1冊の聖書を渡す。



ザッカルディ神父もまた、マックスと同じように悲惨な過去を持っていた為、「復讐がいかに無益なことなのか」を親身になって諭すのだが ……



それでもマックスの決意は変わらない!



だが、世話になった教会を後にしても、神父の言葉はマックスの心にとどまり続け、何度もリフレインしはじめる。




そんな中、最後の一人『トム』(カール・マルデン)にやっと辿り着くのだ。




「俺の名前は『ネバダ・スミス』だ!」

マックスが嘘の自己紹介をしても、トムは昔の事など、とうに忘れている様子である。



そんなトムの仲間になり、復讐の機会を伺い続ける『マックス=ネバダ・スミス』(マックイーン)。



マックスの最後の復讐は見事成功するのか? ………






「人生は長い旅を続けるようなもの …… 」とは誰の言ったセリフだったのか。


その中では、良い人もいれば、悪い奴に出会うことも多々ある。




スティーブ・マックイーンの生い立ちを知っている私は、この映画の筋書きと違えど、この映画『ネバダ・スミス』を観る度に、なぜか?それがマックイーン本人の生き様と妙に重なってしまうのだ。



映画は星☆☆☆☆。

マックイーンの《情けなさ》や《弱さ》を《カッコ良さ》に変換して、是非観て欲しいと思う。