最近の60代は、まぁ、元気だ。
いつまでも若い容姿にはビックリするし、還暦グラビアなんてのを平気でやってのけるんですもん。
60を越えた宮崎美子や藤あや子が、ビキニ姿でグラビアを飾るなんて、トンデモなく凄い時代が、やって来たもんである。
昭和なんて、60歳といえば立派な高齢者。
見た目的にも、《おじいさん》や《おばあさん》で充分に通ったのだから。
そんな昭和の60歳は、今のように
「テレビや映画に出たい!モデルになりたい!」なんて言うような輩なんてのは、一人もいない。
それどころか、それらは逆に、
「恥さらしな!」
なんて見方で、蔑(さげす)まされるモノだったのだ。(本当に人の意識も、今と真逆になったよ)
あくまでも道徳的。
だからテレビでも、映画でも、圧倒的に《年寄り》不足の状況なのである。
だから、特殊な演劇界では、こんな《異常なこと》が、悪気なく、平気な事として行われていく。
「お前は、あんまり美人じゃないなぁ~、よし! お前は、これから《老け役》で頑張るんだな!」
こんな無遠慮な言葉が、数十年前までは普通の状況として、まかり通っていたのだから ……
美人には、《お嬢様役》や《ヒロイン役》。
容姿が劣る人間には、《イジメ役》や《老け役》が、ごく当たり前のように振り分けられてしまう。
それも、実年齢が60前後ならまだしも、30代や40代の女性に、平気で《老け役》を振るのだから始末に負えない。(コレ、今じゃ、間違いなくパワハラか差別要件に値するだろうよ)
嫌な顔や不満顔をすれば、簡単にその役さえも降ろされてしまう。
「あ〜、あんた、もう来なくていいから …… 」と。
かの森光子も、そんな不遇な扱いにずっと耐え忍んできた人。
『 あいつより 上手いはずだが なぜ売れぬ 』
森光子が不遇時代に《自虐句》として詠んだ、この句は有名だ。
菊田一夫に見出され、舞台『放浪記』に主役として選ばれたのが、森光子が40歳の時。
でも、森光子はまだ救われた方かも。
中には、一生を《脇役》、《老け役》で終わった人だっているのだから。
それで、すぐさま思い出すのが、初井言榮(はつい ことえ)さんである。
私が子供の頃から、《意地悪なお姑さん役》や《おばあさん役》のイメージしかない初井言榮さん。
初井言榮さんは、1929年生まれ。(1990年に わずか61歳でお亡くなりなった)
上記に挙げた画像は、山口百恵の主演映画『絶唱(1975)』の一場面。
まだ、この頃、 46歳 なのに、この老けっぷりときたら …… 超絶!(驚く (ꏿ﹏ꏿ;) )
初井言榮さんといえば、『ヤヌスの鏡(1985)』の意地悪な婆さま役が、パッ!と思い出されるだろうが、この時でも、まだまだ 56歳。
実年齢を知ると、とても「オバアちゃま」なんて言える《お歳》じゃないのだ。
同年、1985年公開の『寅さん』では、さらにモノ凄いお姿。
重ねて言うが、コレが 56歳 に見えますか?!
今考えると、恐ろしい覚悟と演技力である。
…… でも、苦しまなかっただろうか。
女性なら誰だって「若く見られたい!」、「綺麗に見られたい!」ってのが普通の感情のはず。
その感情を押し殺して、徹底的に『おばあさん女優』を演っていく事に、何のためらいも無かっただろうか。
…… 多分、相当苦しんだはずである。
テレビドラマ『肝っ玉母さん』で有名になった京塚昌子さんなんてのが、その代表例。
この時、まだ 38歳 だったのに、二人の子持ち役で、孫までいるような『おばあさん役』。
6歳下の山口崇(やまぐち たかし)からは、役柄とはいえ「母さん!」と呼ばれ、近所の院長先生である松村達雄からは「おい!バアさん!」と、無遠慮に呼ばれ続けるのだ。
ドラマは大ヒットしても、家に帰れば泣きながら、一晩で、いくつもの酒瓶を空けていったという。(こんなの「呑まなきゃ、やってられるかー!」が本音だったのだ)
芝居の世界では《おばあさん》でも、現実世界では、まだまだ若い自分。
その埋められないギャップに苦しみ、もがき、毎夜、のたうち回るのだ。
まさに血反吐(ちへど)を吐くようなおもいで芝居を続けたのだろう、と推察する。
そうして、こんなのは日本だけじゃない。
アメリカでも、昔は当たり前のように《おばあさん女優》が成り立っていた時代もあったのだ。
それがヒッチコックの『裏窓』などで有名なセルマ・リッター。
まわってくる役柄といえば、いつも老年の、女中か、女優の付き人、出張看護師などの端役ばかりである。
映画『裏窓』の中で、脚を骨折したジェームズ・スチュワートに、マッサージしながらお説教するセルマ・リッター。
「今すぐ結婚なさい!『リサ』(グレース・ケリー)は美人で、あんたは健全な若者なんだから。これ、ステラおばさんからの立派な忠告よ!」
というセリフがあるが、オイ!オイ!
セルマ・リッターは1902年生まれで、ジェームズ・スチュワートは1908年生まれだぞ。
たった6歳違いなのに、ジェームズ・スチュワートを《若者》呼ばわりで、自分自身は《オバサン》かよ!(今観ると、スゲ~!セリフだ)
こんな不条理な事が平然とまかり通っていた時代。
その不条理さに、女たちは耐えて、涙にくれながら、《演じる》事を全うした時代もあったのだ。
たとえ、《おばあさん女優》と呼ばれても ……
さすがに、この2020年代に、そんな扱いで涙にくれるような女優はいないだろうと思う。
それでも、これらの女優たちが決死の覚悟で演じきった役が、今の時代でも、妙に惹きつけられるのはどういう事だろうか?
それらの名演は、時代が過ぎても、いつまでも我々の心に深く残っておりまする。
もっと評価されてもいいのかも、《おばあさん女優》たち。
長々、お粗末さま。
※そうそう、なんの因果なのか、『裏窓』でのセルマ・リッターの日本語吹き替えは、初井言榮さんでございました。