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2022年12月12日月曜日

映画 「恐怖の足跡」

 1962年  アメリカ。




『メアリー・ヘンリー』(キャンディス・ヒリゴス)は、女友だち二人と気の進まないドライブ中だった。


そこへ、

「良い車だな、競争しようぜ!」

若い男たちの車がそばへ来て、煽(あお)ってきた。


「いいわよ、私のドライブ・テクニックを見せつけてやるわ!」



(よせばいいのに …… )メアリーが思っていても、2台の車は猛スピードを出して、追いつ追われつの攻防戦がはじまった。


やがて、巨大な沼地に架かっている大橋へとやってくると ……


ゲゲッ!女たちの乗っていた車は(哀れ)橋から真っ逆さまに転落してしまったのだ!(ヘタクソが)


競争していた男たちは(ビックリ!冷や汗💦)慌てて車を止めて降りてきた。

しばらくすると野次馬たちが橋の上に集まり、警察も駆けつけてくる。


車が沈んだ辺りを皆が見つめながら、

「あれじゃ~助かりっこないさ …… 」と嘆いていると、岸辺にフラフラした様子の、あのメアリー・ヘンリーが一人だけ現れたのだ!


まさに《奇跡の人》、メアリー・ヘンリー!

群衆に取り囲まれて、メアリーは救助された。



そうして、数日が経ち ………


今だに、あの沼地では警察たちが車を探している。

残りの遺体がまだ見つかっていないのだ。


メアリーは隣町に引っ越す事にしていた。

教会でのオルガン奏者の仕事も、とっくに見つけている。(しっかりしてるわ)


「新天地で再出発よ!」

元来、《お一人様が好き》で、たいして仲の良くなかった友だちが死んでも、あまりショックではなさそうなメアリーである。


そんなメアリーが隣町に向かって車を走らせていると、日が暮れて、どんどん夕刻が迫ってきた。


そうして何気に隣を見ると ……



走っている車の窓ガラスに、見知らぬゾンビ男の顔が映ってるー!!(ヒィーッ!!)


慌てて急ブレーキを踏んで、恐る恐るもう一度見渡すと、その顔は一瞬で消えていた。


(気のせい?私の見間違い?!)


なんとか気を取り直して、目的のアパートにたどり着いたメアリー。

管理人のオバサンに住む部屋を案内されて、ホッ!と、ひと息。


オルガン奏者として、翌日から新しい教会で、心機一転働きはじめるのだが ………


やっぱり、それを邪魔するように、時折見えてくる、あの不気味なゾンビ男の




(他の人には見えないのに …… なぜ?私にだけあんなモノが見えるの?!)



やがて、メアリーはどんどん神経をすり減らしていくのだが ………





こんな導入部で始まる『恐怖の足跡』。

念願叶って、今回、ようやっと観ることができました。



この『恐怖の足跡』は、映画評論家である町山智浩さんの著書『トラウマ映画館』の中で紹介されていた珠玉の一本である。


原案、製作、監督、出演(ゾンビ男)を、ハーク・ハーヴェイって人が、全部一人でこなしている。(低予算ゆえ)


こんなのが知れ渡り、今や「伝説のカルト映画」とまで言われはじめた。(認知度も急上昇だ)




そうして、この映画を語る時に、必ず持ち出されているのが、M・ナイト・シャマラン監督が撮りあげた映画『シックス・センス』。





「『シックス・センス』なんて『恐怖の足跡』のパクリだ!」なんて、酷い事を言う輩(やから)さえポツポツ現れ始めたのだ。



ここまでの酷い言われようは何だろう?


でも、勘の良い人なら、すぐに《ラストのオチ(どんでん返し)に関係してる》と、察しがつくはず。



私も今回、この『恐怖の足跡』をちゃんと観て(あ〜、そういう意味ねぇ〜 …… )と多少は理解したものの、でも、だいぶ中身は違っているような ……





※《ここで、珍しくネタバレ》(知りたくない人は、ここでスルーしてください)





(※注意)《メアリー・ヘンリーは既に死んでいるのだ。それも車が落下した時、女友だちと一緒に》


映画を最後まで観れば分かると思うが、恐ろしいのはゾンビたちでなくメアリー・ヘンリーの方なのだ。


自分が《死んでいる》という実感が全くなく、幽体だけが、こともあろうに、なんと!《実体化》してしまっているのである。(ゲゲッ!そんな事があるのか?)



ここがブルース・ウィリスが演じた『シックス・センス』とは大いに違うところ。(幽体だけのブルース・ウィリスは、霊感のある子供・ハーレイ・ジョエル・オスメントとしか会話が出来ないのだ)



一方、この映画の主人公メアリー・ヘンリーは、なんでもごされだ。


実体化しているから、特に霊感がないような一般人たちにも見えているし、触れることもできる。

会話なんてのも普通にできちゃう。



車だってスイスイ運転してしまう。(ある意味、万能な幽霊)



アパートの管理人のオバサンにしても、

隣室の住人にしても、

新しい勤め先である教会の牧師さんにしても、

皆がメアリー・ヘンリーの存在を認めて、普通に会話しているのだ。(考えてみると恐ろしいことだ)




再三、映画の中で、メアリー・ヘンリーの性格的なことについて語っている場面に遭遇する。

「君は意志が強いんだな」

第三者がメアリーをことごとく、こんな風に語っている。



死んだ実感もないことに加えて、《意志の強さ》が、こんな奇跡をおこしたのなら、それはそれで希少な存在なのかもしれない、メアリー・ヘンリーって人は。




ただ、それを許さないのが魔界のゾンビ幽霊たち。



メアリーのこんな奇跡は、この世とあの世の摂理に反していて、絶対に許されることじゃない のだ。



ゾンビ男が時折メアリーの前に現れるのは、

「ワタシの姿が見えるって事は、お前は既に死んでいるんだよ …… 」と気づかせる為。(ある意味、お節介なゾンビたち)



それが徐々に功を奏したのか、

ゾンビ男が現れる度にメアリーの存在意義はユラユラ揺らいでしまい、メアリーの姿も声も一般人には見えなくなるし、届かなくなってしまう。



とうとう、ゾンビ男は仲間の幽霊たちを引きつれてきて、メアリーを追いかけ回しては、強引に《あの世》へと連れていってしまう。(トドメ)



だが、砂浜には最後まで逃げ惑ったメアリーの足跡がくっきりと残っているのだった。



確かに、メアリーは隣町で数日間暮らしていたのだ。


それは管理人のオバサンや隣人の男、牧師や医者たちも、ちゃんと覚えている。



ただ、メアリーの遺体が見つかった後、恐怖したのは町民たちの方だ。


「私らは数日間、幽霊をアパートに入れたり、幽霊とお喋りしていたのか …… ゾワワッ〜!



映画の中で語られなくても、後日談を想像すれば、きっとこんな感じだったろうと思う。




1度目の視聴では、主人公のメアリーの気持ちに同化して、追いかけてくる気味の悪いゾンビたちに恐怖する。

2度目、3度目の視聴では見方も様変わりして、こんな感想になったりもする。


と、いうことは、この映画は《トラウマ映画館》の中でも、やっぱり傑作の部類に入るんじゃないのかな?



星☆☆☆☆。

※ 後、『シックス・センス』も充分に面白いと思いますよ。(フォローしとく)