1939年 アメリカ。
原作は、1847年に発表されたエミリー・ブロンテ唯一の小説である。(先日紹介した『ジェーン・エア』のシャーロット・ブロンテの妹さん)
と、いうのも翌年に彼女、結核を患い亡くなってしまったからなのだ。
発表当時、姉シャーロットの『ジェーン・エア』は大絶賛されて迎えられたが、妹エミリーの『嵐が丘』には最低の評価。(世間からは大ブーイングの嵐)
だが、20世紀になってから、手のひらを返したように、急に絶賛されはじめていく。
すると、こぞって舞台化や、映画化もされたりして、知名度も人気もドンドン上昇していき……
しまいには、『ジェーン・エア』の6度映画化を越えて、『嵐が丘』は、7度も映画化されてしまったのである。(それもアメリカだけじゃなく、イギリス、フランス、メキシコと、果ては日本まで)
日本では、時代背景を、鎌倉・室町時代に変えて、田中裕子と松田優作で映画化なんてのもされてるらしい。
そんな『嵐が丘』の何に、20世紀の人々は、突然惹き付けられたのだろうか?………………
『嵐が丘』の主人に連れられてきた浮浪児『ヒースクリフ』。
そこで出会った、娘『キャシー』。
キャシーの美しさや奔放さに、ヒースクリフは、たちまちズキューン!ひと目惚れ。
激しく慕い続ける一生の恋の始まりだった。
そんなヒースクリフの出現に、キャシーも、なんだか楽しそう。(だって近くには同じ歳の子もいないんですもの)
兄の『ヒンドリー』は、ブスッとした顔。
(何で俺様が、こいつと仲良くしないといけないんだ?、それにキャシーに馴れ馴れしくしやがって……)
軽蔑と嫉妬心で歪んだ性格になっていく。
やがて屋敷の主人が亡くなると、ヒンドリーが、嵐が丘の主人になり、我が物顔で振るまいだした。
「今日から俺が主人だ!、俺の命令は絶対なんだ!ハハハ!」(こんな小者が、へたに権力を持つと、おかしな事になってくる)
途端に『ヒースクリフ』(ローレンス・オリヴィエ)は馬番に格下げ。
それでも、キャシーとヒースクリフは愛を育んでいくのだが、なぜか、最近物足りない様子の『キャシー』(マール・オベロン)。
ヒースクリフは相変わらずだが、キャシーの気持ちは変わっていった。
そして、成人して大人になっていくと、
「あ~、華やかな生活がした~い!」
と思うようになってきたのだ。
近所のリントン家では、毎日がパーティー三昧。(あ~羨ましい~)
そんな時、大金持ちのリントン家の息子エドガーが、キャシーに求婚してきた。
キャシーにしてみれば夢見心地。(やったー!超ラッキー!)
そんな気持ちが分からないヒースクリフはキャシーに詰め寄って問いただす。
「何故なんだ?! 急にどうしたんだ!!キャシー!俺のキャシー!!」
素敵なエドガーと汚ない身なりのヒースクリフを天秤にかけて、キャシーはあっさり《毒》を吐いた。
「だってあなたは、所詮《馬番》でしょう? 無理なものは無理なのよ!」(全く女って奴は……)
これを言われたヒースクリフは大ショック(ガーン!( ̄▽ ̄;))。
「あんまりだ……キャシー………」
ワナワナ震えながら、こんな捨てセリフの後、嵐の夜、屋敷から飛び出していくのだった。
(畜生!今にみてろよ!……)
ヒースクリフが去ると、迷いなく、さっさとエドガーと結婚したキャシー。
エドガーは優しいし金持ちだし、言うことなし。
平穏で幸せな歳月が流れた。
だが、ある日、あのヒースクリフが、ひょっこりと戻ってきた。
アメリカで成功して紳士然とした姿で現れたのだ。(どんなダーティーなやり方でのしあがったのか?)
そんなヒースクリフの登場に、途端にオロオロと狼狽するキャシー。(多少は気がとがめる?)
もちろん、ヒースクリフの目的は、自分をないがしろにしたキャシーやヒンドリーたちへの復讐なのだ。
手始めに、さっそく《嵐が丘》を買い取るヒースクリフ。(馬鹿なヒンドリーに屋敷の主人なんてのが務まるわけがなく、内情は借金だらけ。買い取りも簡単でした。)
「私が、今日から《嵐が丘》の主人だ。そしてお前はお情けで置いてやる!感謝しろ!!」
「な………何だと………」(ヒンドリーの声も弱々しい)
兄のヒンドリーを下僕にしたヒースクリフ。
「ほら、お前の好きな酒だ、もっと飲め!そら飲め!」
アルコールをたらふく与えて、アル中にしてしまうヒースクリフ。(えげつない)
そして、エドガーの妹『イザベラ』に近づいては、言葉たくみに騙して垂らし込んで愛のない結婚までしてしまう。(そんな高度なスケコマシのテクニックを、この短期間で、どこで身につけたんだろう?ヒースクリフって男は……(笑))
それも、これも、すべては身近なキャシーに苦しみを与えるためなのである。(真綿で首を絞めるように………本当にえげつない復讐である)
だが、そんな風にキャシーを苦しめながらも、一方では、歪んだ愛情で今でも熱烈に愛しているヒースクリフ。
監督は、ウイリアム・ワイラー。(ローマの休日、ベンハーなどなど…)
ワイラーは、完璧主義で有名な方である。
自分が気にいる演技ができるまで、とにかく役者たちには、何度でも演技を強いるのである。
主演の二人、マール・オベロン(キャシー)とローレンス・オリヴィエ(ヒースクリフ)の二人も、さぞや、ワイラーに鍛え上げられたはずだ。
その甲斐あってか、マール・オベロンの演技は、見事なこと。
ともすれば、イヤ~な女になるキャシーをギリギリ上手に演じている。
ローレンス・オリヴィエも、純朴な青年だったヒースクリフから、復讐に燃えるヒースクリフへの変化を立派に演じている。
でも小説が刊行された当時、この『嵐が丘』が、一般の人々が受け入れられなかったのも妙に納得してしまった。
ご覧のように、登場人物たちが、全く《善い感じの性格じゃない》のだ。
貞淑な女性が一般的だった時代に、こんな奔放で言いたい放題のキャシーの性格は、まず同性には嫌われるはずだし、
復讐鬼に変貌するヒースクリフは本当にイヤ〜な野郎にしか見えなかったはずである。
それでも長い時が過ぎると、人の見方も変わってくる。
キャシーのふしだらさに、女性の本音を見いだして、
ヒースクリフには、男の諦めの悪い粘着質を……
横暴なヒンドリーには、裏に隠された心の弱さを見つけてしまうのだ。
人は綺麗事ばかりじゃない。
人の2面性や、むき出しの本音を語った『嵐が丘』が、やっと20世紀になって理解されるようになってきたのである。
世間は、この原作をこぞって求めはじめる。
こんな『嵐が丘』が、スンナリ受け入れられるようになったのも、人の理解力の向上や、それなりの進歩なのかな?(笑)
とにかく、これからも映画やドラマに形を変えて、我々の目の前に、ひょっこり登場するんであろう『嵐が丘』。
そのくらいインパクトのある登場人物たちは、いつまでも色褪せない魅力を放っているのである。
星☆☆☆☆☆。