2018年10月17日水曜日

映画 「救命艇」

1944年 アメリカ イギリス合作。







第二次世界大戦の真っ只中、イギリスへ向かう客船が、ドイツのUボートに撃沈された。


粉々になった残骸が浮かぶ海原に見えるのは、一隻の救命艇。


そこには、優雅な様子でミンクのコートを着ながら、ツンと澄まして座っている女性が一人いる。



新聞記者の『コニー』(タルーラ・バンクヘッド)である。



この大災難も、コニーにとっては特ダネなのだ。

海原に浮かんでいるものに向けては、夢中でカメラのシャッターをきっている。



そこへ、客船の機関士『コバック』が、泳いで乗り込んできた。


体のあちこちに、今までに付き合ってきた女たちの名前を、勲章のように刺青で彫っているという色男コバックは、いかにも荒々しい海の男である。


なりふりかまわず写真を撮りまくるコニーを睨みつけるコバック。


そこへ、「助けてくれ~!」の声が。


慌てて救命艇の漕ぎだしたコバックのオールが、コニーのカメラをはじいた。


哀れ、カメラは海原へドボン!


「なにするのよ!あんたのおかげで折角の特ダネが台無しよ!!」


「あんたなんて助けなければよかった!」


怒り心頭のコニー。



そんな二人の救命艇へ、同じ客船の機関士『スタンリー』が乗り込んでくる。



その後も、次々と救命艇の姿を見つけては、救助されていく人々。



大富豪の『リッテンハウス』、看護師の『アリス』、脚を怪我した船員『ガス』……



しばらくすると、黒人の『ジョー』が産まれたばかりの赤ん坊とイギリス女性『ヒギンズ夫人』を抱えながら、ようやく救命艇に泳ぎついてきた。



だが、赤ん坊は残念ながら、既に息をしていない様子である。


死んでいる現実を受け入れられないのか……ヒギンズ夫人は赤ん坊を抱きしめては、「私の愛しい赤ちゃん!」と叫ぶばかりだ。



「このまま、しばらく抱かせておきましょう…」看護師のアリスが、そっと言う。




さすがのコニーも、商売根性を一時忘れて、同情的な気持ちになった。


皆も、目の前の悲惨な親子に言葉を失っている。




そして、最後に、またもや救命艇に泳ぎ着いた者がいた。



「ダンケ・シェーン(本当にありがとう)……」



その一言に、救命艇に乗っていた皆が、一瞬で凍りつく。


それは、イギリス客船を沈没させた張本人、敵のドイツ人だったのである………。





監督は、名匠アルフレッド・ヒッチコック



この映画を観たのは、深夜のテレビ放送だったと思う。


たまたまテレビをつけていて、いつしか夢中になって食い入るように観ていた記憶がある。



ヒッチコック映画の中で、「何が一番好きなのか?」と聞かれたら、色々ありすぎて、しばし迷うところだが、最近になって、自分自身の答えが、やっと決まった気がする。




私のベスト・ワンは、この『救命艇』なのだ。




以前なら『裏窓』や『サイコ』、『見知らぬ乗客』や『北北西に進路をとれ』など……あちらこちらに目移りして決められなかったものだ、が、結局は、この『救命艇』が、一番数多く、繰り返し観ているということで。(もちろん、他のも傑作なんですよ)




これは隠れた傑作であり、ちょっと特別な映画。




ヒッチコックならではの実験的な仕掛けが、この映画では、特に成功していると思うのだ。




この映画、《撮影カメラが、救命艇の中から、まったく出ていかない》。



だから、観ている側は、まるで同じ船に乗りあわせて、同じような体験している気にさえなってしまうのである。




この映画を何度となく観ているのだが、いつもそう感じてしまう。



自分の、すぐ近くに、コニーや、コバックが、敵のドイツ人がいるような気がしてくるのだ。(本当にそう思えてくるのですよ)



こんなにも近距離で、出演者たちを身近に感じとれるのは、この『救命艇』だけ。


こんな体験ができる映画は、今の今まで、お目にかかったことがないと、ズバリ断言しておこう。



他の映画でも、こんな気持ちにさせられたことはない。



観はじめれば、いつしか、救命艇の皆と一緒に、海原を漂流している気になってくるのである。



だからこそ、主人公である『コニー』(タルーラ・バンクヘッド)の商魂丸出しな性格や、粋な良い女っぷりには、俄然、身近に感じてしまい、特別に惹かれてしまうのだ。




最初は、キャリア・ウーマンを気取っているコニー。


カメラを海に落とし、

スーツケースを嵐で流されて、

果ては、命より大事な幸運のブレスレットまでも、海に落としてしまう……



ひとつ、ひとつ何かをなくす度に、自分を覆っていた武装は剥がれていき、人間らしい弱さを露呈させていくコニー。



そんなコニーは、気の毒と思いながらも、人間くさくて、「なんだか可愛らしい人だなぁ~」なんて思ってしまう。




こんな風に、登場人物たちを近距離に感じてしまうのも、ヒッチコックの仕掛けが成功しているからこそ。



そりゃ、何度でも観てしまうのも納得なのである。



嵐にあい、食べ物が流されて、飢えに苦しむ面々を観ながら、なんだか自分も喉がカラカラになるような気さえしてくる始末。



こんな疑似体験ができる映画を傑作と呼べないはずがない。

星☆☆☆☆☆。(自信をもって超オススメしときます)