2019年4月4日木曜日

映画 「羊たちの沈黙」

1991年 アメリカ。






「バッファロー・ビル」とアダ名される人の皮をはぐ猟奇犯罪者がいる。



次々と事件が起きる中、手がかりすらない状況に、警察官関係者やFBIも頭を痛めていた。



そんな時、FBIアカデミーの訓練生クラリス・スターリング(ジョディ・フォスター)はBSU(行動科学科)のクロフォード主任捜査官(スコット・グレン)から、突然呼び出される。


「君に、ある男の助言を聞いてきてもらいたい」



その男とは、稀代の凶悪殺人犯と同時に、精神分析医と名高い『ハンニバル・レクター』。


レクターの分析力は、すぐれており、殺人犯といえど、バッファロー・ビルを逮捕するための、何か有力な助言が引き出せると、クロフォードは考えているらしい。



人一倍、上昇志向の強いクラリスに異論はなかった。


早速、クラリスは、レクターに謁見するために、収監されているというボルティモアの精神病院に向かった。



そこは病院とは名ばかり。

頑丈な建物は、人を寄せ付けない要塞のようなおもむきだ。


暗い通路を進むと、強固な防弾ガラスから光が漏れている。



そこに『レクター』(アンソニー・ホプキンス)がいた。



凶悪な殺人犯とは思えない風貌。

だが、厚いガラス越しからも漂ってくる、人を圧するような異様なオーラ。



クラリスは、慎重に歩を進め目の前のレクターに近づいていった…………。






トマス・ハリスの小説を映画化した、この映画は、当時、興業的にも賞取りレースでも大成功をおさめた。


アカデミー賞でも5部門を制覇。

作品賞、監督賞、脚本賞。

そして主演女優賞には、『告発の行方』に続いて2度目の受賞、ジョディ・フォスター。



主演男優賞には、アンソニー・ホプキンスが輝いた。




子役から実力をつけてきたジョディ・フォスターとは違い、ホプキンスは、50歳をなかば近くになってからの初受賞。

それでも、まだ、この時代は、アカデミー賞も、興業収益、世間の知名度、作品の人気度などが、きちんと認められていて、皆が納得の受賞だったと思う。



これ以降、どんどん選考基準が、???と首をひねりたくなるくらい、段々おかしくなっていくアカデミー賞を見ていれば、賞の権威もこのあたりくらいまでじゃなかろうか。





と、愚痴はこのへんまで。


今回は、いつもと趣向を変えて、アンソニー・ホプキンスのことについて、重点的に語りたいと思う。





アンソニー・ホプキンスは舞台俳優として、スタートした。


それから、しばらくして映画にも進出し、『冬のライオン』や、『エレファントマン』などの脇役。



たまに主役で『マジック』などにも出ていた。



それらは、いずれも強い印象を残したが、大ヒットまではいかなかった。


それでも、ホプキンスの演技の根源は舞台にあるので舞台と映画をコンスタントに両立していった。





ここで、話は変わるが演技者には、2つの種類があるのをご存じだろうか。




1つは、アンソニー・ホプキンスのように、昔からの伝統的な演技法が確立されたイギリス出身、舞台からスタートした俳優たち。

これらの俳優たちは、演技の基礎から始め、基本の発声法、仕草、パントマイムなど、あらゆる高度な演技の技術をみがいていく。


この中にはローレンス・オリヴィエなども含まれる。






もう1つは、アメリカはアクターズ・スタジオ出身の俳優たち。

これらの俳優たちは、《メソッド演技法》なるものを使って演技する。




メソッド演技法》とは、何か?




その役が、現実でも、より自然に見えるように、徹底的にリサーチし、疑似体験を通して役に近づく演技法なのだ。


ハリウッドではマーロン・ブランドが、その先駆けとなり、役によってボソボソ喋ったり、『ゴッド・ファーザー』では姿を変えるために、髪の毛を抜いて薄くしたり、口に綿を入れたりもした。


日本では三國連太郎が、若いときに、見た目が年寄りに見えるように、全部歯を抜いたりもしている。


役によっては体重を激減させたり、増やしたりもする。(『マシニスト』のクリスチャン・ベールや日本では鈴木亮平といったところか)




ロバート・デニーロも、この手の俳優である。

『タクシー・ドライバー』では実際に3週間くらいタクシーの運転手をしたりもしている。




この《メソッド演技法》は、見た目的にも、その特殊さがウケて、ハリウッドでブームになり、誰も彼もがアクターズ・スタジオの門を叩いた。



あのジェームス・ディーンやマリリン・モンローさえも。


(自分たちも俳優として、1段も2段もステップ・アップできるかも……)


そんな風に思わせて、皆が惹き付けられたのである。





だが、この《メソッド演技法》は、諸刃の刃。



使い方を間違えれば、役者の命さえ奪いかねない。


役作りの為に、外見や内面まで深く掘り下げるため、神経症、アルコール依存性、薬物中毒などに陥りやすいのだ。



モンローは、情緒不安定になり、短命に亡くなった。


『バットマン』のジョーカーを演じたヒース・ロジャーは不眠症で睡眠薬が手放せなくなり、副作用により、これまた公開を待たずに亡くなる。





漫画の世界では、『ガラスの仮面』なんてのが有名だろうか。



役にのめりこみ、その役をつかむためにはと、どんな事でもする北島マヤ。

『奇跡の人』ではヘレンの役をつかむために、目を見えないように包帯で結び、耳栓をして3重苦のヘレンになりきろうとする。

『狼少女ジェーン』では、ジェーンのように、山籠りまでする。



これらは、マヤが自分で思い付いた演技方法だが、これこそが《メソッド演技法》である。


確かに役の気持ちをつかむまでのプロセスは、観ている側としては楽しいんだけどね。




だが、恩師の月影千草は、そんなマヤに警鐘の言葉を投げかける。


「役、そのものに成りきるのは、一見、素晴らしいことに見えるが、その為に内に意識が向かいすぎて、周りが見えなくなるおそれがある」と。



原作者の美内すずえは、自分のキャラクターに、こう言わせているが、当の原作者も、この《メソッド演技法》に狂わされていく。



漫画の中で、マヤに、次はどんな《メソッド演技法》をさせたらいいのか、悩み苦しむうちに漫画は休載になり、次第に話も破綻していった。(多分完結は無理だろう)





そして、《メソッド演技法》を真っ向から馬鹿にしているのが、他ならぬアンソニー・ホプキンスなのである。




「馬鹿馬鹿しい!演技というのは所詮、絵空事。全ての要素は、シナリオの中にあるのだ!」というのが、ホプキンスの見解。



日々の演技の為の鍛練によって培われてきたモノこそが大事であり、観る者を信じこませる、そして、説得させるセリフや動作こそが一番だと考えているのだ。



まず、自分自身の内面がどうとかよりも、常にそれを受け取って観る側、自分主体よりも観客主体の考え方なのである。



マーロン・ブランドーのように、自分に酔いしれて、ボソボソしゃべるなんて、とても考えられない。


観客が聞き取れにくいセリフをつぶやいてどうする?


ただの独りよがりだ。


観てもらう人たちがいるからこそ、演者として、俳優という仕事は成り立っているのだから。




そんな考え方のアンソニー・ホプキンスなのである。




だからホプキンスは、台本のセリフを一字一句、徹底的に自分の頭の中に叩き込む。


そして、セリフの世界を最大限に想像し、ふくらませ、向かい合う相手に合わせながら、演技プランを練っていく。




舞台俳優として生きてきたホプキンス。

舞台では絶対にやり直しはきかない。



映画では、何度もリテイクや取り直しが出来ても舞台は真剣勝負、一発勝負なのだ。




「脚本を理解していない俳優とは、一緒に仕事は出来ない!」



撮影所のあちこちに、セリフのカンペを貼り付けて、それを読みながら演技するなんて、演技者としての風上にもおけないのだ。(マーロン・ブランド「ドキッ!」 (笑) )



アンソニー・ホプキンス、81歳にて現役続行中。まだまだ元気。




メソッド演技に頼らず、その信念で、当分は我々を楽しませてくれるに違いない。



だいぶ、映画の内容からは、脱線して長々書いてみたが、映画はもちろん星☆☆☆☆☆とさせて頂きます。