1961年 イギリス。
真面目過ぎるデボラ・カー ……私、この女優がちょっと苦手だ。
昔、『悲しみよこんにちは』を観た。
この映画では、主人公セシルの父と恋におちる、生真面目過ぎるような中年女性の役。
そのお陰で、遊び人の父親はすっかり調教されてしまい、面白味のないクソ真面目人間になってしまい、娘のセシルにも自分ルールをグイグイと押しつけてくる。
「自分は正しい! 自分のいう通りにすれば絶対に幸せになれる!」
こんなのが、あまりにも映画からもビンビン伝わってきて、一瞬で「イヤな女だなぁ~」って感じてしまった。
それ以来、
《デボラ・カー》=《我が強くて、押しつけがましい女》
ってのが定着した感じになってしまった。
この映画『回転』でも、その印象は変わらず。
それどころか、この映画では、その強引さが、さらにヒート・アップして頂点にまで達している。
独身で大富豪『ブライ卿』(マイケル・レッドグレーヴ)は、ロンドンに住んでいるが、突然、二人の遺児を引き取らなければならなくなった。
前任の家庭教師が亡くなり、後任として、子供の面倒をみる為に、家庭教師『ギデンス』(デボラ・カー)が雇われる。
「私は子供が苦手だ。私を煩わせないようにしてくれたまえ!」
ブライ卿は念押しとばかりに、ギデンスに言い含めた。(ん?、どっかで聞いたような話だ)
ギデンスが、田舎の屋敷に着くと、幼い『フローラ』と人の良い家政婦頭の『グロース夫人』が出迎えてくれた。
おしゃまなフローラはギデンスを慕い、すぐになつくようになった。(この場面もどこかで、観たような……)
もう一人の遺児マイルスは、寄宿学校に行っている。
何もかもが素晴らしい屋敷での生活。
だが、この屋敷には、隠された秘密があったのだった……。
…………と、いうのが、この映画の出だしだが、以前、紹介した映画『ジェーン・エア』をすぐさま思い出してしまった。
まるでそっくり。
シャーロット・ブロンテが書いた『ジェーン・エア』が発刊されたのが1847年。
ヘンリー・ジェームズが書いた、この映画の原作『ねじの回転』が1898年。
だいぶ、ジェーン・エアに影響受けているのが、一目で分かる。
『ジェーン・エア』では、若くて美しいジョーン・フォンティンが、同じように、家庭教師の職を得て、広大な屋敷で遭遇する怪しい人影、そして隠された秘密に翻弄される。
だが、次々降りかかる災難や困難に、健気に耐えながら、雇い主のオーソン・ウェルズの愛を育み、幸せをつかむまでのお話だった。
これと似た状況で、デボラ・カーが、その世界観の役に入ればどうなるのか。
お話は、とんでもなくドロドロとした異様な展開を迎える。
幼いマイルスが寄宿学校を退学させられ、屋敷に戻ってくると、屋敷や庭などの、あちこちで《見知らぬ幽霊》が出没するのだ。
それを目撃したギデンスは、ひとり「ギャアーーッ!」恐怖する。
黒い髪の冷たい顔をした男と、一人は女性の幽霊。
家政婦頭のグロース夫人に相談すると、
「もう、昔のことですから……」と、何かを知ってるのか、はぐらかされる。
だが、『ギデンス』(デボラ・カー)が、それに納得して引き下がるはずもない。
相手が、根負けして、全てを白状するまで、何度でも詰問しまくるのだ。(これだけでも我の強さが分かるでしょ?)
仕方なくグロース夫人は(やれやれ……)全てをポツリポツリ話し出した。(勝てるはずもないのだ、この強引さに)
昔、この屋敷は留守がちのブライ卿に変わって従者の『クイント』なる男が支配していた。
前任の女家庭教師『ジュセル』は、たちまちクイントの虜になり、幼いマイルス少年もクイントを崇拝していたほど、クイントは妙な魅力があったという。
だが、そのクイントが、ある日酔っぱらって階段から落ちて死んでしまう。
悲嘆した女性ジュセルも後を追うように亡くなっていたのだ。
ギデンスが見たのは、その亡くなったクイントとジュセル、二人の幽霊だったのだ。
それからも、あちこちに出没する幽霊たち。
でも、この幽霊の姿をギデンス以外、誰も見ていないのだ。
ギデンスの形相も、どんどんと恐ろしいモノに変わってくる。
ある日、池の側でフローラと一緒にいる時、またしてもジュセルの幽霊を目にしたギデンスは、
「フローラ、あなたにも見えるでしょ!?」と幼いフローラを揺さぶって同意を求める。
「あ、あたしは見えない!」
恐ろしいギデンスに怯えながら、幼いフローラは答えるのだが、
「嘘よ!なんで嘘を言うの?あなたにも見えてるはずよ!あのジュセルの姿が!!」
と、まるで鬼の形相で詰め寄る。
とうとうフローラは泣き出し、叫びだした。
「あなたなんて大嫌い!誰かたすけて!!」
慌ててかけつけたグロース夫人が、フローラを連れていく。
グロース夫人も、ギデンスを奇妙な目で見ながら、その場を後にした。
結局、次の日、錯乱して精神を病んだフローラは、あっけなく病院送りとなる。
後には、屋敷に残されたマイルス少年ただ一人。
今度はギデンス、このマイルス少年を追いかけまわし、詰問責めにする。
その形相は、まるで悪鬼のごとき。(本当に怖いデボラ・カー)
「本当のことを言ってちょうだい!マイルス、誰があなたたちを操っているのか?!」
とうとう、追い詰められたマイルスは、ショック死する。
そして映画は終わるのだが……
なんとも後味の悪い……何だ?コレ?
結局、幽霊は別に危害を与えてる訳じゃないし、何も悪いことはしていないのに。
怖いのは現実世界のギデンス。
他人を、自分の考えで追いつめて、挙げ句の果てに、幼い子供を病院送りにしたり、殺してしまう『ギデンス』(デボラ・カー)の方が、よっぽど恐ろしい存在だ。
それにしても、ギデンスにしか見えない幽霊は、本当に存在しているのか?
この、あいまいなラストで、映画『回転』では、様々な意見や憶測が飛び交って、度々論争になっている。
「結婚もしていない、オールド・ミスのギデンスが、更年期になりかけていて、見えてしまった幻」だという人もいるが、自分は、そうは思わない。(こんな片寄ったヒドイ意見もあったりする。未婚の女性みんな敵にまわすぞ!(笑) )
それじゃ、ギデンスが会った事もないクイントやジュセルの人相を言い当てて、他人のグロース夫人に説明する場面、これにどう理由をつけます?
納得できるのは、やっぱり、これしかない。
そう、ズバリ!
幽霊はいるのです!そしてギデンスには、それがハッキリと見えているのです!
ただ、この物語は、生真面目過ぎて融通が全く利かない、しかも我の強い、ギデンスが、《ソレ》を見てしまったから、ダメなのだ。
「こんな性格の人が幽霊なんかを見ちゃうと、大騒ぎして周囲に迷惑をかけちゃいますよ!こうなっちゃいますよ」
こう言いたいだけなんじゃないのかな?このお話は。
自分は、こんな風に解釈した。
それにしても、いくら映画の中とはいえ、こういう役柄がまわってくるなんて、周りの人々も、デボラ・カーをそんな風に見ていたのかねぇ〜。
最初にこの人を見たときから、綺麗なんだけど、何だか人を威圧するような雰囲気を感じていた自分の勘は、案外当たっていたのかも。
やはり、デボラ・カーを見ると、その昔、ページをめくるたびに「ギャー!」と叫んでいた楳図かずおの漫画を思い出してしまう。
幽霊よりも、押しの強いデボラ・カーが怖いという、トンデモナイ映画でございました。
星☆☆☆。
※《補足》利己的なブライ卿役のマイケル・レッドグレーヴ。
年と共に、だいぶ真ん丸になっていて、最初気づきませんでした。