1957年 フランス、イタリア合作。
様々なミステリーサスペンス映画では、常に上位にランクされるのに、なぜかずっと不遇な扱いをされていた、この『眼には眼を』。
近年やっとこさDVD化されて、約30年越しで観ることが叶いました。
主演はクルト・ユルゲンス。
知ってる人は少ないかなぁ~。
ドイツの俳優さんで、ブリジット・バルドーの『素直な悪女』などにも出演している。
有名どころでは、ロジャー・ムーアの007『私を愛したスパイ』の敵役ストロンバーグを演じていたと言えば、「あ〜あの人!」って顔が浮かびやすいかな?
それにしても、この映画でのクルト・ユルゲンスは、既に、だいぶ老けて見える。(この時はまだ40代のはず)
額は広くて、後ろに撫で付けている髪は、もう若干薄いような……
眼の下の隈も、もの凄いし、法令線の皺だって……
厳しい顔つきのクルト・ユルゲンス。
ドイツに生まれたユルゲンスは新聞記者をしていたが、最初の妻に俳優を志すように勧められて転身した。
やがて舞台や映画で頭角をあらわした頃、戦争。
ドイツ人だが、ナチに反発して強制収容所送りになる。
戦後に解放されると、急いでオーストリア国籍をとり映画界に復帰。
そして、数年後、この映画の主演のチャンスが、やっとまわってきたのだ。
人生、山あり 谷あり……
そんな状況がクルト・ユルゲンスの風貌をつくりあげたと思うと、なんだか感慨深く観はじめた『眼には眼を』なのでございました。
『ヴァルテル』(クルト・ユルゲンス)は、中東の病院に勤めるフランスの医師だ。
四方を巨大な砂漠に囲まれいて、ポツポツと家がある中、そんな場所にも大勢の人々は住んでいる。
ヴァルテルの勤める病院は、医者や病院の数の少なさから、連日大忙し。
今日も帰る間際に重体の患者が運ばれてきて、なんとか処置をすると、やっと帰宅。
家は、いくつものテナントハウスが並んでいて、その一つを間借りしていた。
管理人部屋では、ちょうど祈りの時間帯なのか?管理人が絨毯をしいて、ひれ伏して祈りを捧げている。
邪魔をしないように、そっと鍵をとると、そのまま自分のハウスへ……。
シャワーを浴びてひと息。好きな音楽を聴きながら、やっと平穏な時間…………が、きたかと思いきや、それを邪魔する電話が!
電話は管理人からで、
「管理人室に男が来ていて、奥さんが具合が悪いそうで……どうしても先生に見てほしいそうなんですが…」だった。
(またか……)
至福の時間までも邪魔されて、さすがにイラっとなっているヴァルテル。
「病院には夜間勤務がいますから見てもらいなさい。病院までの道順を教えますから」
ヴァルテルはそれだけ言うと、(あ〜これでこの話は終わり!)とばかりに電話を切った。
次の日、ヴァルテルが病院に着くと、若い医師のマチックが(ドヨ〜ン)と落ち込んでいる。
昨夜、連れてこられた患者が亡くなったというのだ。
「子宮外妊娠でした……」
マチックは、医師としての自分の未熟さを責めている。
「……君のせいじゃないさ」ヴァルテルは慰めた。
ヴァルテルが霊安室に行くと、若い女性が寝かされていた。
(しょうがないじゃないか……俺の責任じゃない。たまたま運が悪かったんだ……)
その日、仕事を終えて、夜半に車で帰宅するヴァルテルは、道端に放置されている一台の車を見つけた。
(昨日、管理人室に訪ねて来た男の車じゃないか?)
無人の車には『E・ボルタク所有』の名前が刻まれている。
ヴァルテルは、それだけ見ると、自分の車に乗り込んで、さっさと帰宅した。
そうして、帰宅して、しばらくすると鳴り始める電話。
「どちら様?」
ヴァルテルが尋ねても、相手は無言で一向にしゃべらない。
(イタズラ電話か?)
その無言電話は一晩中、何度も何度もかかってきた。
「いい加減にしろ!」
しまいには怒鳴り付けるヴァルテル。
(もしかして……あの死んだ女の旦那、『ボルタク』という男の嫌がらせなのか……?)
次の朝、病院に着くと昨日道端にあった、あの車が止まっている。
『ボルタク』(フォルコ・ルリ)が病院へ遺品を受け取りにやってきたのだ。
ボルタクが車に乗り込む姿を、じっと病室の窓辺から伺っているヴァルテル。
そんなボルタクの乗り込んだ車のサイドミラーには、ヴァルテルの姿が映りこんでいた。
その異様な目線に気づいたのか……
何か言いようもない不気味さを感じたヴァルテルは、慌てて部屋のカーテンを閉めるのだった………
妻が亡くなっても、決して泣き叫んだり、騒いだりしない、この男『ボルテク』……この男の真意が、ヴァルテルだけじゃなく、観ている我々もまるでつかめない。
その分だけ、ヴァルテルの良心の呵責が伝わってくる。
そんな不気味さ漂う冒頭のプロローグなのである。
この映画は、その評判どおり傑作でございました。
この後、案の定、ボルタクがヴァルテルに復讐する展開になるのだが………急がず騒がず、淡々と………
まるで日常、どこにでも起こり得るようなアクシデントの様相で、ゆっくりと、真綿で首を絞めるように行われていく。(怖っ!)
それが、かえってヴァルテルを徐々に苛立たせて、疲れさせていく。
観ているコチラも、そんなヴァルテルの張り詰めた緊張感が伝わってくる。
しまいには、さすがに気の毒になってきて、
「ヒィーーーッ!もう、許してあげてちょうだいな!勘弁してあげてくださいな!」
と、擁護したくなってくるほど。
それでも、監督のアンドレ・カイヤットは、そんな外野の声に耳を傾ける様子はないし、手を抜かない。
妥協を許さず、『ヴァルテル』(クルト・ユルゲンス)を、精神的にも肉体的にも
「これでもか!これでもか!」
と、痛めつけて、さらに追い込んでゆくのだ。(この監督のサドっ気ときたら)
もう、ズタボロのユルゲンスが、ただただ可哀想なのでございます。
…………でも、痛めつけられながらも、段々と妙な感じの色気を振りまきはじめるユルゲンス。
コレはいったい、どういう事なんでしょ?(この人の本質がマゾなのか?)
ユルゲンスが痛めつけられるほど、なぜか?変に興奮してくるという……(変態か (笑) )
サド心を刺激されて、妙に心に残る映画なのでございました。(ユルゲンスには、本当に気の毒なんだけどね (笑) )
星☆☆☆☆。
※アンドレ・カイヤットの映画は日本では、まだまだ不遇の扱い。
これを期に、他の映画もDVD化されることを望みたい。(セバスチャン・ジャプリゾ原作の『シンデレラの罠』。これもアンドレ・カイヤットの作品だと、最近知った次第である。その昔、小説を読んだ私は、映画の方も是非観たいと願う一本なのだ。)
メーカー様、《アンドレ・カイヤット》の名前を、どうか忘れないでね。