1941年 アメリカ。
稀代の大金持ちで、世間を騒がし続けた新聞王、『チャールズ・フォスター・ケーン』(オーソン・ウェルズ)が年老いて亡くなった。
謎の言葉《 バラのつぼみ 》という、一言を残して………。
ケーンが亡くなったニュース映画(この頃、テレビなんてない時代。ニュースは映画で流しておりました)の、出来上がったラッシュを観ながら、プロデューサーの『ロールストン』は不満顔。
「これじゃ、人間『ケーン』が、全く描かれていないじゃないか?!ケーンが残した最後の言葉《 バラのつぼみ 》の秘密を探るんだ!!」
ニュース記者『トンプソン』は、命じられてとんでいく。
《 バラのつぼみ 》とは何なのか?!
アメリカ人が、映画ベストテンなんて、ランキングをすると、必ず、1位になるのが、この映画。
アメリカ人は、この『市民ケーン』を、猛烈に溺愛している。
有名俳優たちはもとより、名監督たちも、これを、今でも大絶賛して、必ず1位に押しているほど。
「『市民ケーン』は、映画史に残る偉大な大傑作だよ!」は、スピルバーグのコメント。
もう、過剰なほどの持ち上げ方だ。
で、この『市民ケーン』が絶賛される理由が、以下のとおり。
①物語はケーンの死から、はじまり、ケーンの関係者の証言をもとに、様々な視点からの回想を織り込んでいる。
②主人公の生涯を浮かび上がらせるという構成。
③俳優の演技を生かすために、ショットを少なくした長回し(ワンシーン・ワンショット)の多用。
④パンフォーカス(画面の前方から後方まで、全てにピントを合わせて、奥行きの深い構図を作り出す撮影手法)の使用。
⑤極端なクローズアップ、広角レンズの使用。
⑥ローアングルの多用(穴の開いた床にカメラを構えて撮影された)
⑦そして、弱冠25歳のオーソン・ウェルズが、主演だけではなく、監督、脚本、製作を、全て担っている事。
これらは、当時としては驚きであり、画期的だったのだ。
このオーソン・ウェルズの初挑戦を称える者は、今のアメリカでは数多く存在する。
今じゃ、名作中の名作として、アメリカ人の誰もが認知している作品なのだ。
でも、でも、………
何事にも、初めてというのは目をつけられやすいもので………、
当時、この『市民ケーン』は、ボロカスに叩かれた。
この映画の製作時に、本当に実在していた新聞王『ハースト』は、自分の事を勝手に映画の題材にされてしまったとして、カンカンに激怒する。
「何なんだ!?あんな映画を、断りもなく勝手に作りやがって!!」
もう、猛烈な激しい怒り。
《新聞王ウイリアム・ランドルフ・ハースト》
上映を妨害するために、徹底的に妨害工作をはじめたのだ。
富と権力を持ち合わせたハーストは、自分のハースト系列の新聞を使って、手始めに映画の酷評をしまくる(ネチネチと……)。
抱えているコラムニストたちにも「最低な伝記映画」と言わせてしまう。
映画館やRKO(かつて存在した、メジャーな映画配給会社)にも圧力をかける、などなど………
すると、とうとう、上映を拒否する映画館までも続出しはじめた。
おかげで、オーソン・ウェルズの初監督作品『市民ケーン』は、大損害。大赤字を叩き出したのである。
何が、ハーストをこんなに怒らせたのか?
それは『市民ケーン』の中の主人公『ケーン』の描き方だ。
富と権力を手に入れても、たったひと欠片の《 愛情 》さえも得られなかった『ケーン』………。
母親は幼いケーンの為なのだと、後見人をたてて、ニューヨークの寄宿学校へ送る。
新聞社で成功し、大統領の姪の妻、『エミリー』と結婚。
そうして知事にまでなろうとした矢先、愛人『スーザン』の事をすっぱぬかれて、落選。
エミリーもケーンに愛想をつかして、去ってゆく。
2度目の妻、スーザンには大劇場まで与えて、無理強いして、女優をやらせようとするも酷評だらけ。(女優なんかやりたくないのだ、本当は)
「もう嫌よ!女優なんて!」
「何を言ってるんだ、スーザン!演技を続けるんだ!」ケーンは、こんな調子で、どこまでもゴリ押し。
耐えかねたスーザンは、とうとう自殺未遂をおこして、ケーンの元を去ってゆく。
また、ひとりぼっちのケーン。
富と権力があっても、たったひとつの《 愛情 》さえも得られなかったケーンは、こうして孤独に亡くなるのだった…………。
こんな新聞王ケーンに、モデルになったハーストには、
「ハハハッ!誰からも愛されない男!」なんていう、世間が小馬鹿にして、笑っているような幻聴が聞こえたのかもしれない。
ハーストの怨みは凄まじく、これが後々、続いていくオーソン・ウェルズの、暗雲たちこめる映画人生のはじまりだったのである…………。(怖いねぇ~、恐ろしいねぇ~)
こんな裏事情を、充分、知った上で、今から20年前に、この『市民ケーン』を観た自分。
観た感想…………
ごくごく普通のドラマでした。
何なら、あんまり「少しだけ面白くない」に入れてもいいかも。
現代のハリウッドの映画人たちが、当時としては、画期的なカメラワークを称賛しているけど、お話自体は凡庸って言ってもいいくらいでした。
観た後で、「これがアメリカ映画のベスト・ワンなの?」と疑ったくらい。
ある男の人生ドラマとしても、メロドラマとして観ても、特に何て事はない、まるで「心、揺さぶられない」のだ。(『バラのつぼみ』の謎も大した事ない。ガックリ。)
前述に書いた、この映画の背景が、あまりにも、この映画を過大に持ち上げすぎてる気もする。
当時、この作品は、アカデミー賞で最多ノミネートされても、結局、脚本賞だけの受賞だけだった。
脚本賞?ちょっと違う気がする。
アカデミー賞の撮影賞なら分からないでもないけど。
ハーストが「ギャン!ギャン!」騒いで妨害しなくても、作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞が取れなくても、なんか妙に納得してしまった。(この年のアカデミー賞作品賞は、ジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』。数年前に観ても、こっちの方が、断然面白かった記憶がある)
過剰な背景に持ち上げられてしまった映画。
傑作というよりも、問題作かな?(とりあえずは、オーソン・ウェルズの大親友でもあるジョセフ・コットンのデビュー作でもあるし)
私の評価は、普通の星☆☆☆。
これから初めて観る方は、「アメリカ映画のベスト・ワン」なんて冠を気にせず、まっ皿な気持ちで観てほしい。