1956年 アメリカ。
遥か昔、太古のエジプト。
占い師が、突如、「今度、産まれてくるヘブライ人の中に救世主がいる!」と大予言した。
この時代のヘブライ人といえば、自由なんかまるでなく、奴隷として、エジプト人に尽くすのが当たり前。
そんなヘブライ人の救世主など、断固として許せるわけがない。
ファラオ王(ラメス一世)は、「今度、産まれてくるヘブライ人の長子を一人残らず、全て殺してしまえ!!」と無理難題な命令を下す。(残酷~)
そして、産まれた赤子のヘブライ人。
「どうか、この子をお救いください」
産まれた我が子を泣く泣く、籠に入れてナイル川に流した母親。
籠はドンブラコ、ドンブラコと流れていき…………偶然、一人の女性に拾われた。
拾ったのは、なんと!エジプトの王女ベシア。
「この子は神さまからの授かり物だわ!私の息子として育てましょう!」
子供は『モーセ』と名付けられた。
ヘブライ人なのに、何の因果か?エジプトの王子として、立派な青年として育てられた『モーセ』(チャールトン・ヘストン)。
武運に長けるモーセは、ベシアの夫で、先代のラメス一世の息子でもある、『セティ一世』も大のお気に入り。(何と、この時代、セティ一世とベシアは兄妹なのに結婚して、子供をもうけているのだ。近親相姦も当たり前。)
セティ一世とベシアには、実子として、『ラメス二世』(ユル・ブリンナー)と『ネフレテリ』(アン・バクスター)がいたのだが、妹ネフレテリも、モーセにメロメロの様子だ。
「私の心は生涯あなたのモノです……」
こんなモーセの甘い囁きは、ネフレテリを夢中にさせている。
だが、この状況に、ひとりだけ面白くない人物がいる。
お察しのとおり、『ラメス二世』(ユル・ブリンナー)である。
「父も母も、そして妹までも…………皆がモーセ!モーセ!モーセ!アイツさえいなければ、俺がネフレテリと結婚して王になれるのに…………」(だから、それ、近親相姦ですって!)
ラメス二世の憎悪は静かにくすぶっている。
それでも恋も皆の信望もあるモーセは、絶好調。
だが、そんな『モーセ』の運命は、ある日を境にガラリと変わってしまう…………。
この映画、長い間、「十戒」を「じゅっかい」だと思って読んでいたら、とんだ勘違い。
最近になって「じっかい」だったんと知った始末である。(今更ど~でもいい事なんだけど)
ここでいう『ヘブライ人』というのも、今回調べてみると、『ユダヤ人』ないし『イスラエル人』の事らしい。
もちろん、この『十戒』の方が、年代的に先なのだが、同じようにユダヤ人迫害のテーマを扱っている『ベン・ハー』とも似ていて、この両作品は異母兄弟のように思っている。(監督は違えど、主演は同じチャールトン・ヘストンですもんね)
で、ここから先の展開なんだけど、勘のいい人なら、薄々感ずいていると思うが…………『モーセ』(チャールトン・ヘストン)の素性がバレてしまう。
「お前は、本当はヘブライ人じゃないのか?!」
ラメス二世にバレて、真っ逆さまに(落ちて、デザイアー♪じゃない!(笑))、奴隷として鎖につながれてしまうモーセ。
やっぱり、チャールトン・ヘストンは、こうなってしまう運命なのか……。(トホホ)
もう、この絵面だけを見れば、『十戒』なのか、『ベン・ハー』なのか『猿の惑星』なのか区別がつかないくらいである。
毎回、裸に腰布1枚で鎖に繋がれるチャールトン・ヘストン。もう、この時から様になってます。
我が子同然に、可愛がって育てたセティ一世は、ものすごく落胆していて刑罰さえも決められない。
「こいつを放り出せ!!」
わずかな食料と水の施しを与えられて、モーセは炎天下の砂漠へと放り出された。
でも、やはり主人公!
こんなところで、くたばるはずもありません。
捨てる神あれば拾う神あり。
羊飼いの女性たちに助けられて、その内のひとりと結婚。
その後は、シナイの山で、不思議な神の声を聴くモーセ。
「お前の使命は、エジプトにいるヘブライ人たちを助けだすことだぁぁーー!」(幻聴?ノイローゼ?(笑))
その声と一緒に、不思議な力を授けられたモーセは、もう、まるで万能な『魔法使い』。
『魔法使いモーセ』の誕生である。
この後は、皆がご存じな、有名なシーン……………あの海が真っ二つに割れて、その間を進んで歩くヘブライたちを救うモーセと、なっていくのです。(何でもアリやんけ)
このシーンのド迫力。
CGなどなかった時代に、当時の人たちは、ぶったまげた事でしょうよ。
昔、天童よしみの『珍島物語』がヒットした頃、この曲が流れると、なぜか?この映画『十戒』を思いだしていた。
海が割れるのよぉ~♪
道ができるのよぉ~♪
まさに『十戒』の事を歌った曲じゃないかな?
決して中森明菜の『十戒 1984』ではございませんのであしからず。(笑)
こんな『十戒』、けっこう見ごたえありですぞ。
星☆☆☆☆。