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2019年6月27日木曜日

映画 「007 黄金銃を持つ男」

1974年 イギリス。






『死ぬのは奴らだ』が1973年に、公開されて、もう翌年には、このロジャー・ムーアとしては2作目『黄金銃を持つ男』が、すぐさま公開された。


映画会社の戦略もあったのだろうか…… 一刻も早く、なんとしても、ボンド=ロジャー・ムーアのイメージを世間に植えつけたかったのだろう。






ところで、この『黄金銃を持つ男』は、原作者イアン・フレミングにとっては最後の作品。


007ものとしては、最終作なのである。


小説の007シリーズは、そもそも公開された映画の順番とは、まったく違い、読んでみると、その内容の違いには、驚かされるはずだ。




小説は『カジノ・ロワイヤル』から始まっている。


そして、
『死ぬのは奴らだ』と続き、………最終作前が『007は2度死ぬ』ときて、『黄金銃を持つ男』で終わる。


原作では、『007は2度死ぬ』では、ラスト、ボンドは生死不明で終わり、最終作『黄金銃を持つ男』で、ソ連に洗脳されて再び現れる。

そして、逆に、敵としてMの命を狙い、襲いかかってくるのである。



もちろん、映画では、そんな事はないのだが、もしも可能なら、原作のままを順番だてて映像化されたものも観てみたい気がする。




さて、このロジャー・ムーアの2作目だが、それなりに面白いのだが、少しばかり気に入らないところもある。



それはボンドガールの取り扱い方だ。



この映画では、二人のボンドガールが出てくる。



敵スカラマンガの愛人『アンドレア』役のモード・アダムスと、MI6のエージェントで『グッドナイト』役のブリット・エクランドだ。



この映画では、ショーン・コネリーのように非情さ回帰を狙ったのかもしれない。



だが、敵の愛人とはいえ、白状させるために美人のモード・アダムスの腕をねじあげたりするロジャー・ムーアを観てると、あまりにも非力の女性に対して残酷そうな行為をしているように思えてしまった。



ましてや、モード・アダムスの役自体が、そこまでされるほどの悪女には思えなかったからである。



そして、哀れ、映画の中盤で、アンドレア役のモード・アダムスは、口封じの為に、座席に座ったまま毒針で殺されてしまう。(ほんとうに可哀想)



多分、当時、観ている観客たちの誰もが、自分と同じイヤ〜な気持ちになったのではないだろうか。






美人のモード・アダムスには、世間の同情が集まった。


そうして異例の処置として、再び『オクトパシー』で《ボンドガール》を務める事となる。(後にも先にも、こんなのはこの人だけである)




ロジャーにも、当然世間の非難が集まったのだろう。


これ以降、ボンドが女性に手をあげる事はなくなる。(監督や演出もあるだろうが、フェミニストのロジャー・ムーアも演じていて、本心は嫌だったろうと思う)


こうして、映画の中盤で、美人のアンドレアが殺された。






でも、この映画には、もうひとりのボンドガール、『グッドナイト』がいるのだが ……





この『グッドナイト』が全くの使えない無能ぶり(おバカさん?)




次から次に、ボンドの足を引っ張る、引っ張る。


ドジを通り越して、本当にイライラさせられた。


これでMI6のエージェントなのだから、MI6も、(どんだけぇ~!)人材不足なんだ。



案の定、世間には無視されて名前すら覚えられず、今では、ボンドガールとしては黒歴史扱いの『グッドナイト』なのである。(原作では有能な片腕ともいうべき秘書なのにね)





これらが原因なのか、映画は興業収入で前作を大きく下回ってしまった。(あ~あ、やっちまったなぁ~、それでも4位だけど。)




折角、この映画、敵役が良いのに。



黄金銃を持つ『スカラマンガ』(名優クリストファー・リー)は、渋くてカッコイイです。(乳首が多くある設定いる?)



宿敵ボンドとの対決は、まるで西部劇の決闘のようで見応えあり!である。




そんなスカラマンガの側で、加勢なのか、邪魔してるのか?分からない小人の召使い『ニック・ナック』(エルヴェ・ヴィルシェーズ)も、なかなか良い味出してるのにね。(ちょこまかと)






ゆえに、ところどころ残念な結果を残した『黄金銃を持つ男』なのでありました。

星☆☆。