1962年 アメリカ。
ご存知、3重苦(目がみえない、耳が聞こえない、しゃべれない)のヘレン・ケラーの自伝的映画である。
もう、観る前から、内容は知っていたのだが、たまたま何かの機会で観だしたら、一気に引き込まれてしまった。
『サリバン先生』(アン・バンクラフト)と『ヘレン・ケラー』(パティ・デューク)の台本があるのか無いのか分からない、壮絶な死闘の物語。
ケラー夫妻は、重度の障害を持つヘレンの為に家庭教師を頼んだ。
やってきたのは、若い情熱いっぱいの『サリバン先生』(アン・バンクラフト)。
父親はサリバンの態度が気に入らなくて、即刻、帰そうとするのだが、母親がそれを引きとめた。
と、いうのもサリバンは、今までやってきた教師とは違う《何か》を持っていると直感したからである。
そうして、サリバンに訊ねてみる。
「こんなヘレンに何を教えようとなさるんですか?」
「《言葉》を教えます! 後にも先にも、私が教えるのは《言葉》です!、そして、それぞれの《言葉》には、ちゃんとした意味があることを教えるのです!」
サリバンの言葉に、ケラー夫人は圧倒されるが、(いくらなんでも、それは無理な話 …… )と、思わずにはいられない。
でも、サリバンは負けないし、絶対に諦めないのだ!
朝食時間、食卓についている皆の皿から、勝手に好き放題に、食べ物を貪り頬張るヘレン。
それに皆が慣れているのか、誰ひとりとして文句を言わない。
サリバンの皿からもヘレンが食べ物を手づかみで捕ろうとしたが、それをサリバンは押し退けた。
「おい!誰かサリバン先生に別の皿を!」と父親のケラー氏が言うのだが、サリバンは、
「どうぞ、お構い無く!私のお皿は、ここにありますから!」と、にべもない。
そして、「皆、ここから出ていってちょうだい!私とヘレンの二人だけにして!!」と叫んだのだ。
父親はカンカンに怒り、母親はオロオロ。
兄や召し使いたちは、やれやれ顔で出ていく。
「ヘレン、モノには名前があるのよ!!」
「自分の椅子に座って、テーブルで食事をするのよ!!」
リビングのドアには鍵をかけて二人きり。
もう、こっからは怒濤の展開、ルール無用の二人だけの真剣勝負になってくる。
サリバンの必死の訴えもとどかず、野獣のように振る舞うヘレン。
そんなものには負けてたまるかのサリバンは、テーブルから離れたヘレンを、また連れ戻して座らせる。
また離れたら、座らせる ……
テーブルの上の食器や食べ物を投げつけるヘレン。
床に落ちた食べ物を、また皿に乗せて、テーブルに持ってくるサリバン。
何とか力ずくで座らせて押さえつけながら、スプーンに乗せた食べ物を、一口、ヘレンの口の中へ持っていった。
(ホッ!)
それも束の間、「ブブーッ!!」とサリバンの顔めがけて、口に入れた食べ物を吐き散らすヘレン。
これには、さすがのサリバンも頭にきた!
水差しの花瓶の水をヘレンの顔めがけて、勢いよく振りかける!!
「アプッー、アッ!アッ!」
鼻にも、口にも水が入り、むせこむヘレン。
こんな二人の闘いが延々と繰り返されてゆく。
監督のアーサー・ペンは、カメラを止めない。
ヘレンが暴れ、サリバンが押さえつけ、叩いたり、叩き返したり……
この壮絶な闘いをワンカットで延々みせるのだから、観てるこちらは微動だにできず、目を反らしたり、物思いにふけったりする暇すらも与えないのだ。
もう、とにかく、もの凄い迫力である。
髪を振り乱し、躾(パワー)で押さえつける『サリバン』(アン・バンクラフト)は、なにか別の人格に乗っとられたような悪鬼のような怖さだ。
それと、「本当に障害者で教育を受けていないのか?」と思わせる『ヘレン』(パティー・デューク)の暴れっぷりと憎たらしさは、演技をとおりこして、本当の障害者にみえてくる。(「いいかげん落ち着けよ!」と鎮静剤を与えたいくらい)
こんな努力が実ってか……
最後は、ヘレンがモノには、すべて名前がある事を理解して映画は、終わるのだが……
映画の感動よりも、ま~二人共、熱演ごくろうさまでしたと言いたくなってしまった。(観ているこっちもドッと疲れた~(ホッ!))
二人は、その年のアカデミー賞の主演女優賞、助演女優賞をとっております。
充分見ごたえあり。
二人の名女優の力演をご覧あれ。
星☆☆☆☆☆。