2019年11月12日火曜日

映画 「奇跡の人」

1962年 アメリカ。






ご存知、3重苦(目がみえない、耳が聞こえない、しゃべれない)のヘレン・ケラーの自伝的映画である。


もう、観る前から、内容は知っていたのだが、たまたま何かの機会で観だしたら、一気に引き込まれてしまった。


『サリバン先生』(アン・バンクラフト)と『ヘレン・ケラー』(パティ・デューク)の台本があるのか無いのか分からない、壮絶な死闘の物語。




ケラー夫妻は、重度の障害を持つヘレンの為に家庭教師を頼んだ。


やってきたのは、若い情熱いっぱいの『サリバン先生』(アン・バンクラフト)。



父親はサリバンの態度が気に入らなくて、即刻、帰そうとするのだが、母親がそれを引きとめた。


と、いうのもサリバンは、今までやってきた教師とは違う《何か》を持っていると直感したからである。



そうして、サリバンに訊ねてみる。


「こんなヘレンに何を教えようとなさるんですか?」


「《言葉》を教えます! 後にも先にも、私が教えるのは《言葉》です!、そして、それぞれの《言葉》には、ちゃんとした意味があることを教えるのです!」


サリバンの言葉に、ケラー夫人は圧倒されるが、(いくらなんでも、それは無理な話 …… )と、思わずにはいられない。



でも、サリバンは負けないし、絶対に諦めないのだ!



朝食時間、食卓についている皆の皿から、勝手に好き放題に、食べ物を貪り頬張るヘレン。



それに皆が慣れているのか、誰ひとりとして文句を言わない。


サリバンの皿からもヘレンが食べ物を手づかみで捕ろうとしたが、それをサリバンは押し退けた。


「おい!誰かサリバン先生に別の皿を!」と父親のケラー氏が言うのだが、サリバンは、

「どうぞ、お構い無く!私のお皿は、ここにありますから!」と、にべもない。


そして、「皆、ここから出ていってちょうだい!私とヘレンの二人だけにして!!」と叫んだのだ。



父親はカンカンに怒り、母親はオロオロ。

兄や召し使いたちは、やれやれ顔で出ていく。



「ヘレン、モノには名前があるのよ!!」

「自分の椅子に座って、テーブルで食事をするのよ!!」



リビングのドアには鍵をかけて二人きり。


いざ、サリバンとヘレンの壮絶な闘いが始まる!!



もう、こっからは怒濤の展開、ルール無用の二人だけの真剣勝負になってくる。




サリバンの必死の訴えもとどかず、野獣のように振る舞うヘレン。


そんなものには負けてたまるかのサリバンは、テーブルから離れたヘレンを、また連れ戻して座らせる。


また離れたら、座らせる ……


テーブルの上の食器や食べ物を投げつけるヘレン。


床に落ちた食べ物を、また皿に乗せて、テーブルに持ってくるサリバン。


何とか力ずくで座らせて押さえつけながら、スプーンに乗せた食べ物を、一口、ヘレンの口の中へ持っていった。


(ホッ!)

それも束の間、「ブブーッ!!」とサリバンの顔めがけて、口に入れた食べ物を吐き散らすヘレン。


これには、さすがのサリバンも頭にきた!



水差しの花瓶の水をヘレンの顔めがけて、勢いよく振りかける!!


「アプッー、アッ!アッ!」

鼻にも、口にも水が入り、むせこむヘレン。



こんな二人の闘いが延々と繰り返されてゆく。




監督のアーサー・ペンは、カメラを止めない。


ヘレンが暴れ、サリバンが押さえつけ、叩いたり、叩き返したり……



この壮絶な闘いをワンカットで延々みせるのだから、観てるこちらは微動だにできず、目を反らしたり、物思いにふけったりする暇すらも与えないのだ。



もう、とにかく、もの凄い迫力である。


髪を振り乱し、躾(パワー)で押さえつける『サリバン』(アン・バンクラフト)は、なにか別の人格に乗っとられたような悪鬼のような怖さだ。



それと、「本当に障害者で教育を受けていないのか?」と思わせる『ヘレン』(パティー・デューク)の暴れっぷりと憎たらしさは、演技をとおりこして、本当の障害者にみえてくる。(「いいかげん落ち着けよ!」と鎮静剤を与えたいくらい)



こんな努力が実ってか……

最後は、ヘレンがモノには、すべて名前がある事を理解して映画は、終わるのだが……



映画の感動よりも、ま~二人共、熱演ごくろうさまでしたと言いたくなってしまった。(観ているこっちもドッと疲れた~(ホッ!))



二人は、その年のアカデミー賞の主演女優賞、助演女優賞をとっております。


充分見ごたえあり。


二人の名女優の力演をご覧あれ。

星☆☆☆☆☆。