1960年 アメリカ。
メキシコは国境はずれの寂れた農村。
村人たちは皆が協力しあい、わずかな作物を育てて地味〜に暮らしていた。
だが、悪党『カルベラ』率いる盗賊団たちが、頻繁にやってきては食べ物や衣服など、次々と奪っていく。
そして、今日も前触れもなく村にやって来ては、盗人猛々しく荷物を奪って積み込みはじめた。
その様子を怒りながらも、只、黙って見ているしかない村人たち ……
その時、一人の農夫が、農具片手に向かっていったのだが …… 呆気なくピストルで、ズドン!
盗賊たちは「また、来るぞ!」と、言い残してスタコラ去っていく。
だが、この事件は村人たちの心に火をつけて、何かを揺り動かしたようだ。
「このままじゃダメだ! どうにかしなければならない。でも、どうすればいい?!」
「長老に相談しよう!」
村のはずれに住んでいる物知りの長老なら、良い知恵を授けてくれるはずだ。
村の青年たちは長老を尋ねていった。
「戦え、戦うんだ!」長老は、開口一番そう言い切った。
「でも、どうやって?」
「銃を買え!」
「そんな …… 金もかかるし …… 」
グズグズ言い続ける3人に、長老は金時計を取り出した。
「これを売って金を作れ!他は皆からも集めろ!」
「銃なんて …… どうやって使えばいいのか …… 」
「じゃ、習え!!」(長老も段々と、めんどくさそうだ)
仕方なく青年たちは、テキサスの町まで銃を買いにやってきた。
そこでは、町外れで死んでいたインディアンのじいさんを誰が霊柩馬車で輸送するかで揉めている。
たまたま、居合わせたセールスマンが代金まで支払うと約束して、
「可哀想だから葬儀をしてくれ!」
(見ず知らずの死体になんて親切なんだ)と、葬儀屋に交渉しているのだが、人種の偏見が強いこの町では死体を取りに行く者さえいないのだ。
「馬車で迎えにいくまでに、きっと誰かに殺されてしまいます!」
馬車の運転手も逃げ出してしまい、葬儀屋は途方にくれている。
そこへ、一人の男が名乗り出た。
「俺が行く」
さすらいのガンマン、『クリス』(ユル・ブリンナー)だ。
そして、もう一人の男、『ヴィン』(スティーブ・マックイーン)も名乗り出た。
二人は馬車に乗り込むと、颯爽と出発した。
その後を、見物人たちもゾロゾロつけてくる。(怖いから誰もやりたくない、って言ってるのにコイツら …… )
二人が馬車で町の通りを走らせていると、建物の2階などから町のゴロツキどもが狙い撃ちしてきた。
それをヴィンもクリスも見事な早撃ちで、次々と撃退する。
遺体を無事に馬車で運んでくると、皆が二人に拍手喝采。
それを感心して見ていた村の青年たちは、
「是非、村の用心棒に来てくれ!」と、クリスとヴィンに頼み込んだ。
「2人じゃダメだ!あと5人の助っ人を探そう!」
クリスとヴィンは全部で7人のメンバー集めの為に、奔走するのだった。
この映画は、皆様、ご存じ有名な黒澤明監督の『七人の侍』のリメイクである。
この映画を観たユル・プランナーが、「是非とも、本国アメリカで映画化したい!」と思い、日本の東宝は破格の安いリメイク権(後年、黒澤明は東宝とこの一件で別離する)で売り渡したのだ。
監督や制作をしたかったユル・ブリンナーだが、あまりにも当時売れっ子で忙しく、映画の主演でなんとか落ち着いた。
監督は、ジョン・スタージェス。
『OK牧場の決斗』、『ガンヒルの決斗』などの西部劇を、今まで撮ってきているので、リメイクが西部劇ならと連れて来られた。
だが、ユル・ブリンナーにしてみれば、あくまでも、
「これは、俺の為の、俺の映画なのだ!」なのだ。
その前の『王様と私』で絶好調、大スターだったユル・ブリンナー。
まさに、向かうところ敵なし!と思っていたユル・ブリンナーなのである。
この『荒野の7人』までは。
この映画には、それ以後、活躍する役者たちが数多く出演している。
チャールズ・ブロンソン、
ジェームズ・コバーン、
ロバート・ヴォーンなどなど ……
いずれも、その後、有名になり大スターになった。
だが、ユル・ブリンナーを一番苦しめたのは、それらではなく、《スティーブ・マックイーン》に他ならない。
勿論、スティーブ・マックイーンは、この時点では、大スターであるユル・ブリンナーには知名度や人気の点では全然及ばない。
TVシリーズ『拳銃無宿』が当たったが、映画界では、まだまだ端役扱い。
マックイーンはとにかく「売れたかった!有名になりたかった!」のだ。
だが、この映画でも与えられたセリフはあるが、たった僅かな数行のセリフだけ。
(どうすればいい?、どうすれば印象づけられる?)…… 考え続けるマックイーン ……
「セリフが無ければ、動きで表現すればいい!」マックイーンが動き出す。
最初のシーン、
ユル・ブリンナーと馬車に乗り込んで向かう時にもセリフはないが、帽子の角度を変えてみたり、馬車に揺られながらライフルの手入れなんかをコソコソ始めるマックイーン。
(なんだ?!こいつは?!)
ユル・ブリンナーは思い、
「じっとしてろ!」と言うのだが、マックイーンは止めない。
実際に二人が並んで映っているシーンでは、マックイーンに目線がどうしてもいってしまう。
その後もマックイーンは、カメラに映り込む為に、(どういう動きをしたらいいのか)カメラマンに、監督に振り向いて貰えるように様々な工夫で挑んでいく。
ユル・ブリンナーは、それにイライラし始めた💢。
そして、脅威を感じた。
ユル・ブリンナーは銃の扱いに慣れていなかった。(それでよく西部劇の主人公に名乗りをあげたものだ)
マックイーンは軍隊にも居たし、『拳銃無宿』の経験があり、ピストルやライフルの扱いはお手のものだ。
華麗なガン・アクションと動きで魅せていく。
ユル・ブリンナーは、只、突っ立って、真正面の敵相手に引き金をひくだけだ。
そんなマックイーンに監督もスタッフたちも魅了されていく。
「なんで、マックイーンのカットがこんなに多いんだ!!」
撮られたフィルムを観て、ある日、ユル・ブリンナーがヒステリックにぶちギレた💢。
「主役は俺なんだぞ!」ユル・ブリンナーが叫ぶ!
ジョン・スタージェスは雇われ監督ゆえ、ブリンナーに逆らえず、ブリンナーの意向を聞いて、なんとか映画を完成させる ……(スタージェスも大変だ。)
そうして完成した、この映画 …… 本国アメリカでは見事にコケたのだった。(アラアラ … )
だが、しばらくするとヨーロッパの方で評判を呼び、なぜか大ヒットしたりする。
(そんなに大ヒットしているなら …… )と再びアメリカに逆輸入されると、今度は話題を呼んで大ヒット!
リバイバル上映では、それぞれの出演者たちが、後に有名になった事もありグンと知名度を上げた ……… そんな一風変わった逸話のある『荒野の七人』なのである。
あの時、ユル・ブリンナーが感じたものは何だったのか……
『追う者』と『追われる者』…… スターの自分を追い抜こうと、後にかまえている未知の存在、マックイーンへの恐怖だったのか ……
(いや!そんなはずはない!!俺はスターなんだ!!)
ユル・ブリンナーは、そんな弱気を振り払い、監督や出演者を変えて、主人公を再び自分にして、『続、荒野の7人』に望んだ。
結果は見事にズッコケた。
それ以降、ユル・ブリンナーは、どんどん衰退していく ……
かたやマックイーンは飛ぶ鳥を落とす勢い。
チャールズ・ブロンソンやジェームズ・コバーン、監督はジョン・スタージェスで、再びタッグを組んで別の映画を撮る。
―――『大脱走』1963年。
「主役はスティーブ・マックイーン、君だ!」
見事、念願の主役をつかみ、映画は大ヒットしたのだった。
この映画を観ると、本当にハリウッドの光と影を見るような気がする。
古いものは、新しいものに、いつかは追い抜かれる。
あれから、ユル・ブリンナーは、大スターになっていくマックイーンをどんな目で見ていたのだろうか ……
そんなマックイーンやユル・ブリンナーのターニング・ポイントになったという意味では、この映画は、貴重な記録だと思わずにはいられないのです。
星☆☆☆☆。